28 二度目の初対面
ムンナリア王国の王城を見上げ、ミシュラは小さく息を吐いた。
自分が生まれた悲劇の場所に帰ってきた。
ここに来るのはもう何度目だろう。何一つ良い思い出がなくて、乾いた笑いが込み上げてくる。
蘇りかけた嫌な思い出に蓋をして、ミシュラは隣に立つ少年を見上げた。
「兄さん、大丈夫?」
馬車を降りてからロアートの顔色がどんどん悪くなっていく。押せば簡単に倒れてしまいそうである。
「大丈夫なわけねぇだろっ。大体なんでお前らは平気なんだよ!」
小声で怒鳴るという器用な真似をする辺り余裕がありそうだが、ミシュラは励ますように背を軽く叩いた。
「ふふ、私だって緊張してるよ。フレインは?」
「こう見えて緊張していますよ。剣がないと落ち着かないです。……ねむ」
「揃って下手な嘘を吐くんじゃねぇ!」
背後ではカーフが大げさな仕草で嘆いている。
「あなたたち、これからどなたに謁見するのか分かっています? 今すぐに態度を改めてください。不敬を働くようなら、問答無用で拘束しますから」
カーフはこの中で唯一帯剣しているためか、気が大きくなっているようだ。フレインの剣は城の入り口で預けてしまった。
「ほら、姿勢を正して下さい! 私語も厳禁です!」
「はーい」
一番年下の少年の注意に従い、一行は黙って城の回廊を進んだ。
お茶会が催されるサロンに行く前に、ミシュラたちは応接間に案内された。
「ようこそいらっしゃいました」
待っていたのは老齢の女性だった。ドロッテという名の王妃リタ付きの侍女長だ。リリトゥナの教育係も務めている。
軽く挨拶を交わしながら、ドロッテはミシュラを注意深く観察してきた。自分の主人たちにどのような感情を持っているのか探ろうとしているらしい。
王家側の人間にとって、ミシュラは扱いづらい存在だった。
現国王夫妻と母ミレイヤの確執。さらには教会が認めない禁忌の命ゆえに丁重に迎えることができない。
しかしながらミシュラが最初死産だった原因は、王女リリトゥナの出産を優先させたことによるものであり、祖父メギストの命懸けの取引の結果、ミシュラの命と自由は保障され、不当な扱いをしないことを約束している。
何より、国の守護者であるルナーグ家の娘だ。聖女ララトゥナの血を引くのは王家と同じ。蔑ろにするわけにもいかない。
そして、さらに状況をややこしくしているのが、リリトゥナ姫である。
「リリトゥナ殿下は、あなたが同じ日に生まれたこと、死産だったのを前公爵閣下が禁忌の錬金術によって蘇生したこと、王女の誕生の恩赦によって生き永らえていること……それくらいしか知りません。くれぐれも、殿下の御心を乱すような発言はなさいませんように。殿下が深く傷つくようなことがあれば、前公爵閣下との契約も破棄せざるを得なくなります」
ようするに、リリトゥナ姫の心身に危害を加えれば、命や自由を取り上げるということだ。
前回の人生と同様の説明だ。あの時は、一緒にいた母が即座に「都合の悪いことを隠すな」「事実を歪めるな」と抗議をして険悪な雰囲気になった。
悲劇の当事者でありながらリリトゥナ姫はほとんど何も知らない。それどころか自分のおかげでミシュラが生き延びられたと思っている。むしろ、王女の出産と重なったせいでミシュラは死産だったのだが、それらの事実はリリトゥナの心を曇らせるからと秘匿されているのだ。
やはり母を連れてこなくて良かった、と思う。怒って当然だ。
母に代わってこの場に来ているロアートは、戸惑いながらも口を挟むことができず、それでも不満そうな表情をしている。
「承知いたしました」
ミシュラがあっさり頷くと、ドロッテは警戒するように目に力を入れた。
「私は、自分の立場をよく理解しています。多くは望みません。辺境の地で家族と穏やかに暮らせれば十分なのです。わざわざ波風を立てるようなことはいたしませんよ。むしろ次の世代に禍根が残らないようにしたいと思っています。今回、母を領地に残し、兄に同行をお願いしたのはそのためです」
嘘である。
ムンナリア王家なんか滅んでしまえばいいと、わりと本気で思っている。
怪物の討伐を計画している今、王家に叛意を悟られるわけにはいかない。親世代の確執を憂いているような素振りを見せ、健気な娘を演じるのはそのためだ。
ドロッテは感心したように息を吐き、丁重に頭を下げた。上手く騙せているといいが、果たして。
「では、リリトゥナ殿下をお呼びいたします。少々お待ちください」
ドロッテたちが一旦退室すると、ミシュラは大きく息を吐いた。
「おい、ミシュラ。その、今のは……」
「余計なことを話しちゃダメ。大丈夫だよ。兄さんは普通にしていればいいから」
「普通って、それが一番難しいだろうが」
ほどなくして、リリトゥナの到着を告げられ、ミシュラ達は立ち上がる。
扉が開け放された瞬間、
「あなたがミシュラさんね!」
華やいだ声が鼓膜に響いた。
ふわふわ揺れる若葉色の髪と、無邪気さと神秘性を兼ね備えた不思議な金色の瞳。
聖王女リリトゥナ・フォル・ムンナリア。
全てに愛され、全てに守られる。ミシュラにとって、忌まわしい運命の少女の登場である。
「招待に応じてくださってありがとうございます!」
ミシュラの心情など露知らず、リリトゥナは瞳を輝かせて馴れ馴れしく両手を握ってきた。
――お前のせいで私がどんな目に遭ったか……!
新鮮な殺意が込み上げてくるのを、ミシュラは心を遠くに飛ばして耐えた。
相手は子ども。ずっとちやほやされて生きてきた世間知らずの小娘に過ぎない。波立つ感情を鎮めて、ミシュラは朗らかに微笑みを返す。
「こちらこそお招きいただき、感謝いたします。お初にお目にかかります、東部辺境伯の娘、ミシュラ・ルナーグと申します」
さらりと型通りの挨拶をすれば、周りの大人たちが安堵の息を零した。私が手のひらを返し、第一声で姫を罵るのではないかと気を揉んでいたらしい。
実際、前回の初対面時は冷たい声音で返答して、部屋中を凍りつかせた。
――今回は……リリトゥナ姫次第では仲良くしてあげる。大人にならなきゃ。
純粋無垢なお姫様。今の時点では、無神経で腹が立つだけだ。悪気もなく、何も知らない子どもを本気で憎んでこちらが消耗するなんて馬鹿げている。
周囲の大人たちがミシュラの人間性を確かめようとしているように、ミシュラもまたリリトゥナ姫の本性を試しに来た。
「そのようにかしこまらないで下さい。同じ日に生まれたあなたのことを知ってから、ずっとお友達になりたかったんです」
「光栄です。私も、姫様にお会いできるのを楽しみにしていました」
「本当ですか? 嬉しい!」
ご機嫌に微笑むリリトゥナの姿に、部屋は春めいたように明るくなった。ミシュラは内心の気怠さを隠しながら、後ろで呆然としているロアートに視線を向けた。
「紹介させてください。兄のロアートです」
「あ、え、えっと……ロアート・ルナーグと申します。お会いできて光栄デスっ」
礼をするふりをしてロアートはリリトゥナから目を逸らしていた。平民として育ってきた彼にとって、王女に直々に挨拶する機会が巡ってくるなど想像もしていなかったのだろう。憧憬と畏敬が入り混じった動揺とともに、小さく震えている。
「まぁ、ご丁寧にありがとうございます。あなたが次の……いえ、どうか楽になさって下さいね」
リリトゥナはにこやかに言いながらも、ふと悲しそうに目を伏せた。
まるでロアートを憐れむような仕草に、ミシュラは内心むっとしつつも、勧められるまま再びソファーに腰掛けた。
「カーフも、ご苦労様です。もう一人の神官が粗相をしたと聞いたけど、大丈夫ですか?」
「はい、御心配には及びません。ボク一人でも、立派に任務はこなせます」
リリトゥナに声をかけられ、カーフは嬉々として答えた。年が近いこともあって、カーフはリリトゥナに気に入られていたはずだ。仲が良いのだろう。
「えっと、あの方は……」
「…………」
リリトゥナの視線がカーフの横に移った。フレインは目礼とも無視ともとれる所作をして黙り込んでいる。
「私の護衛です。お気になさらず」
「あ、そうなのですね……」
リリトゥナはどぎまぎした様子でフレインから目を逸らした。王族の前で物怖じしないフレインのことを珍しく思ったのかもしれない。
改めて、リリトゥナは言った。
「あの、マルセル公爵とはお話しできましたか?」
「はい。数年ぶりにたくさんお話しできました」
「それは良かったです。でもわたくし、ミシュラさんに謝らなければいけないことがあって……後で気づいたのですが、わたくしが王都に呼んだせいで、今年はご両親とお誕生日を過ごせなくなってしまいましたよね? とても悪いことをしてしまったと思っていて」
王女の生誕祭に参加するせいで姪の誕生日を祝えないマルセルを不憫に思い、今年はミシュラを王都に招待することにしたのだと、リリトゥナは申し訳なさそうに語った。
本当にいい迷惑だった、と思いながらも、ミシュラはそれをおくびにも出さずに首を横に振った。
「お気になさらないで下さい。両親とはいつも一緒にいられますし、離れていても祝ってくれる気持ちは届いていますから。十二歳の誕生日を姫様と一緒に迎えられるなんて、とても楽しみです」
それっぽいことを言って、周囲の好感度を稼ぐ。リリトゥナに至っては、感激したらしく頬に両手を当てて目を輝かせている。
それからしばらく他愛のない会話が続き、ついにお茶会の時間になった。
「本当に良かったです。ミシュラが仲良くしてくれて嬉しい」
サロンへの道すがら、リリトゥナはミシュラの腕を引いてべったりとくっついてきた。いつの間にか呼び捨てになっている。
前回は母が一緒だったし、冷たい受け答えをしていたので、遠慮がちにしか近づいて来なかった。こちらが友好的になるだけでここまで懐くのかと、ミシュラの方が動揺してしまった。
「素敵な銀色の髪……魔法銀も同じ色なのですか?」
「はい。そうですよ。髪にも溶け込んでいますから」
輝く銀髪をうっとりとした手つきで触ってきて、思わず舌打ちしそうになった。
祖父が最上級の愛を込めて与えてくれた魔法銀に、軽々しく触れてほしくない。この場にレムナンドがいたらどんな顔をしただろう、と想像することでかろうじて耐える。
「今日はわたくしの友人たちを紹介しますね。きっとミシュラも気に入ると思います。でも本当は、もっと二人きりでお話ししたかったのですが……みんなが心配して」
「それは残念ですが、みんなの姫様を、私が独り占めするわけにはいきませんから」
腹の立つ言葉の数々を適当にいなしている間にサロンに到着した。
入室すれば、一斉に視線が集まる。
ミシュラを紹介すべく集められた、リリトゥナと同年代の子息令嬢たちだ。
「皆様、ご機嫌よう。お待たせいたしました。本日は、わたくしの新しい友人を紹介させてくださいね」
親密な距離感のリリトゥナとミシュラに、空気がざわつく。
ちらほらと感じる敵意や嫉妬に、ミシュラは懐かしさを覚えた。
楽しいお茶会になりそうだった。




