27 手合わせ
ミシュラはカーフへの屋敷の案内役を買って出た。
マルセルからは快諾され、見張りが仕事のカーフに拒否権はない。
「おい、羽目を外すなよ」
「もう。兄さんったら、変な心配しないで」
「ふん」
また別の男をひっかけようとしているだろ、とロアートの目が言っている。ひどい濡れ衣である。
確かにカーフは目を惹く少年だった。
くるくるした柔らかい栗毛色の髪に、猫を思わせるエメラルドグリーンの小生意気な瞳、真面目で気の強そうな細めの眉と薄い唇。聖騎士としての矜持がそうさせるのか、十歳にして既に品性と知性を感じさせる佇まいをしている。
純粋無垢でふわふわしたところがあるルギとは正反対の、凛とした美少年である。
――顔が良ければ誰でもいいわけじゃないんだけどなぁ……。
ロアートには変な勘違いをされている気がするが、できれば仲良くなっておきたいと思っている手前、弁明するのも難しい。
巻き戻し前の世界でカーフがエヴァンを殺したことについて、既に怒りは風化している。聖騎士として当然の行動だし、仇は取った。今回の人生でエヴァンを魔剣に関わらせなければ、カーフを恨む理由は発生しないはずだ。
“人間”として扱ってくれないことに不満はあるが、幼いカーフならばまだ偏見を取り除けるかもしれない。先程のバヤのような頭でっかちになる前に、何とか手懐けたいと思う。
ピアノの練習に行くロアートと別れ、ミシュラとフレイン、そしてカーフは連れ立って屋敷内を歩く。
間取りや内装は記憶の通りなので、案内もお手の物だった。
「カーフ様のお部屋はここだって。私のお屋敷じゃないけど、不便なことがあったら遠慮なく言ってね」
「……ありがとうございます」
戸惑うような、拗ねたような、複雑な心境が滲む声だった。それに気づかない振りをしてミシュラはにっこりと笑いかける。
「どうしたの? あ、長旅でお疲れ?」
「いえ。先ほどと態度や口調が違うようですが……」
「大人の前だったからね。子ども同士、仲良くしましょ」
後ろでフレインが呆れたようにため息を吐いたのが分かった。精神年齢詐称を咎められている気がする。
「仲良くは、難しいです。ボクは仕事で来てますし、あなたは……」
「でも私のこと、意外と人間っぽいって思ってない?」
「…………」
「もっと人形みたいに表情が乏しいとか、会話が成立しないとか、そういう想像してたんだよね? ご期待に沿えなくて申し訳ないけれど、心臓が人造ってだけで後は普通の人間と同じだよ」
疑いの眼が突き刺さるが、軽く流して次に進む。
食堂や広間を巡り、公爵の執務室や私室など立ち入り厳禁の場所を教えて、説明を終える。
「最後に、ここが私の部屋。元はママが使っていたところで、ほとんどそのままなんだって。どうぞ」
「……広いですね」
二部屋続きになっていて、来客を迎えられる部屋と寝室で別れている。
どちらの部屋にも大きなクローゼットがあったが、ほとんど何も入っていない。母はルナーグ家に嫁入りする時に、ほとんどの衣装や装飾品を侍女たちに下げ与えたらしい。辺境の地に連れて行けないことや、悪評の立つ自分に最後まで仕えてくれたことに対する礼だった。
「案内はこんなところだね。お茶でもする? それとも――」
「移動続きで体が鈍っています。鍛錬をしましょう」
ずっと黙っていたフレインがすかさず言う。
「鍛錬……?」
「護身術としてフレインに剣を教わってるの」
実際は護身術というレベルではない。過剰防衛でしかない殺意の高い一撃を繰り出す方法を習っている。
「カーフ様も剣は得意でしょ? 一緒にどうかな?」
フレインはカーフの剣の腕を確かめたくてうずうずしている。ここで誘導してあげないと後でうるさそうである。
不思議なものを見るように首を傾げながらも、カーフは最終的に頷いた。
公爵邸の中庭に、幼い少年の声が響く。
「なんなんですか!? こんなの異常です!」
まずミシュラは「軽い木製の剣を借りてきて良かったなぁ」と思った。フレインが遠慮も配慮もなく斬りかかってきたからだ。ミシュラはギリギリのところで回避して苦し紛れに一撃を振るうが、簡単にいなされて芝生の地面に転がされた。受け身だけはしっかりとったので、及第点だろう。
仕えている令嬢に対して尋常ではない剣速を振るう護衛。カーフはそれに驚いて棒立ちになっていたが、次の標的が自分に移ったのを感じたようで、すぐに木剣を構えた。
「っ!」
フレインの鋭い一撃を防ぐが、力で負けて体勢が崩れる。しかしミシュラと違ってカーフは持ち直し、二撃三撃と続いた。
「ちょ、ちょっとっ! 待って――」
四撃目でカーフが剣を落とし、ついでに足を払われて尻もちをついたところで決着した。
「え、怖……なんなんですか、この人……げほっ」
ほんのわずかな打ち合いだったが、カーフは既に汗だくで息切れしている。あえてだと思うが、フレインは実戦と変わらない殺気を放っていたので無理もない。
ミシュラはフレインに近寄って小声で尋ねた。
「やりすぎだよ。可哀想。で、どうだった?」
「剣士として非凡ではありますが、それだけですね。俺を殺した男を殺せたのは、やはり神聖力を持っているからでしょうか」
聖騎士は教会に所属し、天上の神に仕える騎士である。
その中でもカーフは特別な存在だった。
ほとんどの聖騎士は、普通の魔法剣士と同じ魔力を使って戦うが、カーフはリリトゥナ姫と同じく神聖力をその身に宿している。文字通り“聖騎士”にふさわしい少年なのである。将来は教会内でも高位の地位に就くことが約束されていた。
それに加え、この年齢で聖騎士に任じられるくらいだ。カーフに剣術の才があるのは間違いない。
しかし、エヴァンに勝てるほど強くなるなんて、今の時点では信じ難かった。
「……かもね。どう考えてもエヴァン先輩より強くなかった。実際、前の私は勝てたわけだし」
おそらく魔剣と聖騎士の相性が悪かったのだろう。魔剣のせいでエヴァンが本来の実力を発揮できていなかったのかもしれないが。
「あり得ない。ボクが、このボクが、こんなに簡単に負けるなんて……!」
カーフは小刻みに震えていた。そして、少し涙の滲む目でキッとフレインを睨みつける。
「あなたは一体何者なんですかっ?」
「普通の人間ですよ」
「嘘だ! もう一回! もう一回勝負して下さい!」
どうやら闘魂に火がついてしまったようだ。フレインは面倒くさそうに目を細め、剣でミシュラを指した。
「では、お嬢さん相手に三連勝して下さい。そうしたらもう一度お相手しましょう」
「ちょっとフレイン」
「親睦を深める良い機会じゃないですか。どうぞ、年の近い子ども同士で励んでください。あ、わざと手を抜いたら、後で怖いことが起きますから」
全てを丸投げして不穏な予告をしたフレインは、近くの木陰に座り込んでしまった。これは昼寝に入る姿勢である。
「ご心配なく! ちゃんと手加減して差し上げますし、怪我をしても治してあげます……!」
カーフはやる気満々だった。エリート街道まっしぐらだった彼にとって、フレインにあっさりと転ばされたことは屈辱的だったのだろう。
「うーん、お手柔らかにね?」
ミシュラは精一杯の微笑みを浮かべて剣を構えた。
数十分後、芝生に膝をついて、カーフが大きく肩で息をしている。
「し、信じられない。そんな、ボクの今までの努力が……」
剣術勝負の決着はつかなかった。
何回戦ったかは分からないが、勝率自体は七対三でカーフの方が上だった。純粋な剣術ではやはり本職には敵わない。ただしミシュラは三連勝だけはさせないように、ここぞという時にフェイントや新しい剣筋を見せて勝利をもぎ取った。
フレインの剣速に慣れてしまっているせいで、カーフの一撃を見切るのは容易かったのだ。それに前世の戦闘経験もある。
もちろん魔法銀さえ使えれば完封することもできたが、カーフに手の内を見せる気にはなれなかった。
「もう終わりでいいよね。一度着替えてから、お茶にしましょ」
「ば、化け物……どれだけ体力があるんですかっ」
「ひどーい。自分の鍛錬が足りなかっただけじゃない?」
ミシュラは普通の人間よりもずっと心肺能力に優れている。長時間の戦闘でもパフォーマンスが落ちないのが強みだ。
「でも、カーフ様の方がやっぱり強かった。すごいね」
「…………」
素直に称賛すると、カーフは顔を背けた。既に頬が真っ赤だったので、照れているのかは分からなかった。
結果的に、カーフとは少しだけ仲良くなれたと思う。
熱くなり過ぎたことを恥じたのか、お茶の席ではお互いの健闘を称え合った。
「見事でした。あんなすごい剣士に教わっていたら、そりゃ強くなりますよね。いえ、決して教会の指導官の技術が劣っているわけではありません。えっと、そう、厳しさ? きっと指導の厳しさが段違いだったんですっ」
「そうだねぇ。フレインは少しでも失敗すると虫を見るような目をするから、怒りと哀しみをバネに頑張ってるの。こんなに可愛い女の子相手に、平気で突き技を使ってくるんだよ。ひどいよね? それと比べて、カーフ様は少し手加減してくれたでしょ。絶対に顔は狙わなかった。じゃなきゃ、すぐ三連勝されていたと思う」
「そ、それは、その、騎士としては当然の配慮ですっ。そうです、ご令嬢相手に本気で戦うなんて、恥ずべきことで――」
「ふふ、お嬢様扱いしてもらっちゃった」
「はっ!?」
「ありがとう。カーフ様は優しいね。さすが聖騎士様」
にこりと微笑み、言い訳を封じる。
やはりまだ子どもだ。簡単にミシュラを人間だと認識して口を滑らせた。
「……よく分かりました。あなたは、イイ性格をしていますね」
「私もあなたのことが少し分かったよ。仲良くなれそうで嬉しいな」
どうやら警戒度は上がってしまったようだが、情は湧いただろう。今はこれで十分だ。
翌日も二人は剣術の稽古を一緒にした。
そしてやってきた城でのお茶会の日。
ミシュラは朝から準備に追われていた。と言っても、実際に忙しく働くのは侍女とメイドたちだ。前回は苦痛でしかなかったが、鏡の中の自分が美しく可憐に飾られていくのを見るのは楽しかった。
公爵邸のエントランスには既に皆揃っていて、ミシュラを待っていてくれた。
「とても可愛らしい。ああ、この姿を姉上たちにも見せてあげたかった」
「ありがとうございます。嬉しいです」
マルセルを始め、公爵家の者は口々と着飾った姿を褒めてくれる一方、ロアートは緊張のあまりこちらのことなど目に入っておらず、フレインは眠たそうな無表情、カーフは一応感想を述べた方がいいのかともじもじしている。三者三様で面白かった。
城に行くということで、彼らもきちんと着飾っている。なかなか壮観である。
「本当に、付き添いは必要ないのかい? 何を言われるか分からないよ」
「ええ、叔父様。大丈夫です。私自身は何を言われようとも平気ですが、叔父様たちが悪く言われたら許せませんから。……行ってまいります」
今回は母が付き添えない代わりに、マルセルや夫人が同行を買って出てくれたが、ミシュラはそれを断っていた。
運命を変えたことで、今回のお茶会で何が起こるのか読めなくなった。これからも王都で暮らす彼らが窮地に立たされないためにも、一緒にいない方がいい。
「お待たせ。では、参りましょう」
自分の瞳と同じピンク色のドレスに身を包み、自慢の銀髪をなびかせて、ミシュラはロアートのぎこちないエスコートで馬車に乗り込んだ。
――大丈夫。今回の私は一人じゃない。
何を言われても、涼しげに微笑んでやる。
決して弱さや愚かさを見せず、絶対に負けない。
魔法銀の心臓は高揚を隠さず、少し早い鼓動を刻んでいた。




