23 望まぬ招待
両親の協力を得られることになり、ミシュラが悩んでいたほとんどの問題は解決しそうだった。
猛毒の解毒方法については、やはり完全なものは存在しなかった。
しかし、父とレムナンドが情報共有し、共同で研究することで、一時的にでも毒を中和する魔法薬を開発できる可能性が出てきた。
そこで改めて問題になったのが資金である。
レムナンドはともかく、父は危険な薬を娘たちに飲ませないために、かなり慎重に臨床試験を行いたいとのことだった。貴重な素材を用意するために、大金が必要になった。
「薬草を売りましょう。今まで門外不出とされていたものを」
「ま、待って、ミレイヤ。あれは薬草というよりも毒草だよ。流通させるのはまずい」
「そんなもの、紙一重でしょう。売る相手はちゃんと選びます」
毒蛇の封印の影響で、周囲の黒い森には他では見られない種の植物が群生している。口にすればたちまち死に至るような危険なものが多い。
裏を返せば、未知の薬効が期待できる。実際、ルナーグ家の先祖の中には、毒草から鎮痛剤を開発した者もいて、一財を築いている。
「医療大国キュアリスの国立研究所なら、悪いようにはしないでしょう。簡単な研究資料と一緒に渡せば、飛びつくに決まっています。名目上は、魔物被害の復興目的の金策。自国の王家を頼らないのは、私との因縁を知っていれば察して下さるでしょう。ああ、資源の横流しを内密にするよう、契約を結ばないと。取引相手の選定からですね」
母はそう決めるや否や、秘書の中で最も信頼できる者に密命を与え、交渉に向かわせる準備を始めた。
資金集めは母に一任されることになった。今までになく生き生きしていて、誰にも止められなかった。
「あと準備が必要なのは、毒を遮断する強力な結界魔法ですね」
怪物討伐の際、ルナリアの住民を避難させるのは絶対だが、被害を最小限に留めるためにも森に結界を張る必要がある。
ミシュラは巻き戻し前の知識を利用して、著名になる前の若い魔法士をスカウトすることを考えていたが、その必要はなさそうだった。
「これは弟に依頼しましょう」
「そっか、叔父様なら」
母の弟、ミシュラにとって叔父にあたるマルセル・メリク公爵は、天才的な魔法士である。現時点で結界魔法に造詣が深いかは分からないが、数年あれば要望に応える魔法を開発してくれるだろう。経験も資金も豊富で、裏切る心配もしなくていい。
「いいですか。決して、ムンナリア王家に気取られてはなりません」
母は一同を見渡して宣言した。
討伐のためとはいえ、ルナーグ家が怪物の封印を解こうとしていると露見すれば、絶対に王家に邪魔される。最悪、反乱の兆しとして軍を差し向けられるだろう。今の王家とルナーグ家の関係を思えば、邪推されるに決まっていた。
怪物討伐計画は、家族とごく一部の信頼できる従者たちにのみ知らされ、慎重に綿密に進められていくことになった。
両親が精力的に準備を進めてくれる分、ミシュラは鍛錬に時間を回せるようになった。体力と魔力を向上させるだけではなく、今なら実戦形式の訓練もできる。
森の空き地でミシュラとフレインは向き合っていた。投げた小石が地面に落ちた瞬間、二人は動き出す。
フレインは剣を構え、ミシュラは後ろに跳ぶのと同時に魔法を発動。
「!」
魔法銀の弾丸を発射するが、フレインは足運びと剣さばきで全てを避ける。それどころか、弾丸を打ち返されてミシュラの魔法制御に一瞬の隙が生じた。フレインが一気に距離を詰める。
間一髪、しゃがむことで剣の横薙ぎを避けるが、続く二撃目を防ぐ術はない。
「参りました!」
剣が脳天に振り下ろされる前に、ミシュラは白旗を上げる。
寸止めの剣を鞘に戻しながら、フレインがため息を吐く。
「弱すぎます。この程度で、本当に世界を滅ぼしたんですか?」
「この間合いでのスタートは魔法剣士に有利すぎるよ」
「お嬢さんも近距離武器で戦えばいいだけの話です」
「……フレインが相手じゃ分が悪いからやらないの」
もちろん、ミシュラにも近距離戦闘の心得はある。普通の兵士が相手なら翻弄できる自信はあるが、世界最強クラスの剣士とまともに斬り合って勝てるとは思えない。
「やってみないと、練習にはならないのでは?」
「そ、そうだけど」
絶対に負けると分かっていて、近距離戦に飛び込むには勇気が必要だ。下手に相手の力量を測る能力がある分、思い切れない。肉体年齢通りの子どもだったら、無謀な挑戦も怖くなかったかもしれないが。
「仕方ないですね。ハンデをあげます。俺は魔力なしでいいですよ」
「え、それはさすがに危なくない?」
「今のまま続けても面白くないです」
魔法剣士は魔力を二つのことに使用している。体に過剰に巡らせることで身体能力を向上させ、剣に流し込むことで切れ味と強度を上げているのだ。戦闘という極限状態で魔力を制御するのはかなり難しく、実際に魔物と戦闘できるレベルの者は少ない。
さらに、固有魔法を戦いに織り交ぜられる者はごくごく僅かだ。
「それもいいけど、フレインの固有魔法の特訓はいいの? お手伝いするよ?」
「その手には乗りません。お嬢さんに教えるつもりはないです」
「もう。意地悪ー」
固有魔法は、その名の通り人それぞれ違う。
魔力の性質が変わったり、物体を操作したり、五感が研ぎ澄まされたり、幅広い。戦闘職の魔法士にとっては切り札となるが、有名な魔法士のそれは隠せるものではなく、民衆の知るところになる。固有魔法で二つ名がつくこともざらだった。
しかし巻き戻し前の世界でも、フレインの固有魔法は謎に包まれていた。魔力による身体能力向上と剣術だけで“神速”と呼ばれ、魔物を討伐し続けていたのだ。
「私の固有魔法はバレバレなのにな」
「そうですか? 俺が知る限りこんなに汎用性の高い固有魔法はない。いろいろな使い方ができるのを隠しているでしょう」
「まぁね。危ないからやらないだけだよ」
お互いに切り札を隠して戦闘訓練をしていた。
二人とも本気を出せば相手を殺しかねないことを理解しているのである。
「それより気になっていたのですが」
「何?」
「巻き戻し前のお嬢さんは、親を亡くしたことで魔力量が爆発的に増加したんでしょう? 今回はそれがないので、全盛期のレベルまで魔力を鍛えるのは不可能ではないですか?」
「……フレインって、ずけずけとものを言うよね」
「ご不満ですか? お嬢様」
「ううん。遠慮がなくて大変よろしい」
それはミシュラも懸念している問題ではあった。
父と母が自分のせいで死んだと知ったあの時、絶望と憎悪がミシュラを強くした。
「確かに、強い負の感情によって魔力が増加することはないかもしれない。でも、地道に鍛えていくよ。実際、前回の十一歳の時よりも格段に強いもん。まぁ、前回の人生で本格的に鍛え始めたのは十二歳頃からだから当然なんだけど」
心臓に手を当てて、ミシュラは苦笑いをした。
「それに、今回は喜びや感動でパワーアップできるかもしれない。兄さんが頑張ってくれるっていうし、パパとママも味方になってくれて心が穏やかだもん。最強格の剣士様もいて下さるし」
「…………」
「後は」
遠い地で修行に励んでいるルギのことを思い出す。
彼の癒し効果は凄まじかったのだ。一緒に滅びの世界から戻ってきたのに、彼はどこまでも純粋無垢で健全な心を持っている。
離れて改めて思うが、愛しい存在だった。距離を隔てたことで激しい頭痛や動悸がすることはないが、なぜか落ち着かない気分になる。
「あ……」
そんなことを考えていたら、フクロウが飛んできた。ルギに渡した白と黒のまだら模様の子だ。配達を労って、脚についている手紙を取る。
「エヴァン・シャトルのところに行ったあの子ですか?」
「うん。ルギちゃんからの手紙! どれどれ……」
文面はいつも短い。
手紙への礼と、元気で過ごしていること。ミシュラの送った手紙への感想が少し。特に近況報告は少ない。
修行と雑用に追われて、自由時間がほとんどないらしい。疲れて眠ってしまうことも多いようで、一か月に一度手紙が届けば良い方だった。
「えっと、『競争が厳しくて空気がピリピリしてるけど、親切にしてくれる人もいます』だって。この書き方、ルギちゃんいじめられてない? 大丈夫かな?」
心配になってきた。
ルギの可愛らしさが通用しないほど、厳格な集団のようだ。エヴァンを除けば、強面の男だらけなのかもしれない。泣き暮らしていないだろうか。
「心配しなくとも、決定的に心が折れていたら、見込みがないと追い出されますよ」
「心が折れちゃダメでしょ」
手紙の最後にはこう綴られていた。
『少しだけ強くなれた気がして嬉しい。俺はもっと頑張る。早くミシュラのところに帰りたいから』
なんて健気なのだろう。
ルギのことだ。心配していると伝われば、無理をして隠してしまうかもしれない。次の返信では、信じて励ますに留めることにした。
……結局、フレインに一から近距離戦闘を習うことになり、ミシュラは顔を引き攣らせながら、その懐に飛び込んだ。ルギだけに苦労をさせるわけにはいかない。
またあくる日、報せが届いた。
魔鳥ではなく、わざわざ使者を立て、豪華な招待状を持ってルナーグの屋敷にやってきたのだ。
――やっぱり、ここは変わらないよね……。
この出来事を知っていたミシュラはげんなりしつつも、この後激昂する母を宥める言葉を考え始めた。
「なんですって?」
「……ですから、第一王女であらせられるリリトゥナ・フォル・ムンナリア殿下より、ミシュラ・ルナーグ様への招待状でございます。誕生日の一週間前までに、必ず王都へお越しください」
苦い記憶がよみがえる。
はた迷惑な招待によってミシュラは十二歳の誕生日を父と過ごせなくなり、かなり不機嫌だった。そのまま王都へ向かい散々嫌な思いをして、そして己の運命を思い知らされることになったのだ。
――また会えるね、リリトゥナ姫。今のあなたは知らなくても、私は忘れてないから。
十二歳の誕生日まであと三か月。準備をする時間はたっぷりある。
楽しい再会にしよう、とミシュラは黒い感情を抱きながら招待状を手に取った。




