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魔法銀の悪魔の救済  作者: 緑名紺
第一章 幸せな幼少期
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2 取り戻した日常



 目を覚ましたミシュラは、まだ夢の続きを見ているような心地だった。

 自分の体が子どもになっていて、懐かしい屋敷の自室にいたからである。簡単には信じられない。

 備え付けの鏡をのぞき込めば、不思議な光沢を持つ銀髪とラズベリーピンクの瞳が爛々と輝いていた。紛れもなく、子どもの頃の自分の姿だった。

 混乱とともに心臓が高鳴る。

 手足は思うように動くし、五感も正常に働いている。何より世界を滅ぼすまでの記憶がはっきりと残っている。


 本当に時間が巻き戻ったのだろうか。

 実感を求めて、ミシュラは寝間着のまま自室を飛び出した。


「まぁ、お嬢様。そんな格好で」

「あ、ハンナ!」


 生まれた時から自分の世話をしていたメイド長の姿に、ミシュラは自然と笑顔になった。自分の感覚では、数年前に死んでしまった相手だった。


「ねぇ、今は何年? 私っていくつになるんだった?」

「ええ? どうなさったのです、急に」

「いいから教えて」


 ハンナの戸惑いながらの返答で、ミシュラは現状を把握できた。

 巻き戻った時間は約十年。自分は今、十歳の誕生日を迎えたばかり。


 まだ間に合う。今から頑張れば、何も失わずに済むかもしれない。逸る気持ちを押さえられず、ミシュラは食堂に飛び込んだ。


「パパ!」

「……ああ、おはよう、ミシュラ」


 いつもの席で朝食の給仕を待つ父――ジオ・ルナーグの姿に、ミシュラはこらえきれずに抱きついた。


「ど、どうしたんだ。寝間着のままじゃないか。怖い夢でも見たのかい?」

「……うん」


 最愛の父の体温を感じ、ミシュラは大きく息を吐いた。

 決して夢などではなかった。否、あの恐ろしい未来は夢となった。

 気づけば、大粒の涙が流れ落ちていた。


「そんなに怖い夢だったのか。可哀想に……大丈夫だよ。楽しいことを考えていれば、すぐに忘れられるからね」


 十歳の愛娘に父は優しかった。壊れ物に触るような手つきで、手袋越しに頭を撫でてくれた。


「ミシュラ、離れなさい。お父様が困っているのが分からないの?」

「ママ」


 一方、母は厳しかった。食堂に入って来るや否や、夫から娘を引きはがして、大きなため息を吐く。


「ミレイヤ、ぼ、僕は別に大丈夫だから」

「嘘を言わないで。肌が赤くなっているわ。すぐに薬を塗らないと」


 ミシュラの母――ミレイヤ・ルナーグはそのまま使用人にてきぱきと指示を出した。

 見れば、父の服と手袋の隙間から僅かに覗く皮膚が、真っ赤になっていた。抱きついたときに触れてしまったのだろう。父の肌は僅かな刺激でも拒否反応を起こすほど繊細で脆いのだ。


「ご、ごめんなさい、パパ」


 父は、世間一般的に見れば醜い容姿をしていた。

 頬の一部は赤黒く変色し、目は腫れぼったく、体格もぶくぶくと肥えていて丸い。

 美麗なミレイヤと並べば、その醜悪さは一層際立ち、可憐なミシュラと血縁関係にあることなど初対面の人間は誰も信じないだろう。

 それでも、世界一優しくて大好きな自慢の父親だった。彼よりも心が豊かで素晴らしい人格者をミシュラは知らない。


「いいんだよ、ミシュラ。気にしなくていい。僕の方こそごめんね。……嬉しかったよ。久しぶりに可愛い娘と触れ合えて」


 父は薬を塗りながら、ミシュラが怖い夢を見て、自分に甘えに来たことを本当に嬉しそうに妻に説明した。

 ミシュラは恐る恐る母の顔色を窺う。怒っているというよりも、呆れている様子だった。


「もうそんな幼い子どもでもないでしょうに……」


 ミシュラは気まずさを覚えた。精神年齢は二十歳なのである。恥ずかしい気持ちが追い付いてきた。


「仕方がない子」


 母は素っ気なくそう言いつつも、ミシュラの目尻に溜まった涙をハンカチで綺麗に拭ってくれた。

 お礼を言って、もう一度父に謝罪をすれば、母は満足げに席に着いた。母にも抱きつきたい衝動はあったが、これ以上不出来な子だと思われたくなくてぐっと堪えた。


「ロアートは、今日もお寝坊かな」

「放っておいてあげましょう。朝食は別に用意させます」


 ミシュラは記憶を遡る。この頃の義理の兄は、まだ屋敷に来たばかりで馴染んでいなかった。否、彼が屋敷に馴染む日などついぞ来なかった。一緒に食事をした記憶はほとんどない。

 いつも通り、ミシュラにとっては久しぶりに三人で静かに朝食を取る。明日からは着替えて身支度を整えてから来るように母にきつく言われたが、ミシュラは良い子の返事をしつつも、別のことを考えていた。


 気になっていること、やらなければいけないこと、時間があるうちにやりたいことがたくさんあった。

 運命を変えることができるのだ。もう死ぬ間際に後悔はしたくない。

 美しく気高い母と、誰よりも優しい父の姿を見て強く思う。


 ――絶対に、守らないと。そのためなら何でもする。


 穏やかで尊い時間を噛みしめながら、ミシュラは改めて胸に誓った。






「今からレムナンド様のところに参りますが、お嬢様はどうしますか?」


 朝食後、改めて身支度をして屋敷内を散策していると、ハンナがバスケットを手に声をかけてきた。


「レムの……行く!」

「ふふ、お嬢様は本当にレムナンド様のことが大好きですね」

「うん。でも、ハンナのことも大好きだよ」


 にこりと微笑むと、ハンナは目を細めて頬を緩めた。

 十歳の子どもらしい無邪気さは難なく再現できた。巻き戻りの奇跡によって浮かれていたのもあるが、元来ミシュラは両親に愛されて育ち、天真爛漫な少女だった。


 ハンナと連れ立って屋敷を出る。


 レムナンドは、屋敷の裏の森に住むはぐれ耳長族である。

 母方の祖父の友人で、とある理由で隠遁生活をしている。ふらりと旅に出てしまうこともあるが、大体は父が用意した裏の森の小屋にいて、週に一度、ハンナたち使用人が食料や日用品などの物資を差し入れに行くことになっていた。


「レム、おはよう!」


 目深にフードを被って薪割りをしていた青年の背に、ミシュラは元気よく声をかけた。


「ああ、ミシュラ……おはよう」


 柔らかい微笑みが返ってきた。

 レムナンドは女性に見間違うほど線が細く、顔立ちも美しい。今はフードに隠されているが、やや赤みがかった金髪と鮮やかなグリーンの瞳、人族よりも尖がった耳が特徴的である。

 本来、耳長族は深い森に集落を築いて住む見目麗しい種族だ。弓術や風の魔法を得意としていて人族と比べて非常に長寿だが、年々数を減らしている。

 レムナンドは若い頃に好奇心から集落から飛び出して、そのまま一度も帰っていないという話だった。


 ミシュラにとって、レムナンドは恩人であり、師匠であった。

 見た目は若い男だが、百年以上生きていて博識な彼からはあらゆることを教わった。聡明で冷静で穏和な彼のことをとても尊敬している。

 ルナーグ家に恩があるレムナンドは、両親の敵討ちにも迷うことなく手を貸してくれた。巻き戻り前の世界で、誰よりも頼もしい味方だったのだ。


「いつもありがとう、ハンナ」

「いえいえ」


 ハンナはレムナンドにうっとりしながらバスケットを手渡していた。若いメイドにこの役割をあまり譲らないのは、目の保養をしたいからだろう。


「ねぇ、レム。いろいろお手伝いするから、また弓を教えて。いいでしょ?」

「ミシュラにこれ以上教えることはないよ」


 そうだったっけ、とミシュラは首を傾げる。さすがに十年前の自分がどれくらい物事を習得していたかははっきり覚えていない。


「レムに比べたらまだまだだよ。もっと上手くなりたいし、レムとお話ししたいの。少しだけでいいから、お願い」

「……仕方ないな」


 ミシュラが可愛くごねたら、大抵のことは周囲が折れてくれる。優しい世界だった。

 ハンナから昼食までには必ず戻るように釘を刺され、森の中に二人で残る。薪や荷物をレムナンドが暮らす小屋に運ぶのを手伝った。といっても、ほとんどのことはレムナンドが一人でやってしまったが。


「さて、いつもの場所に行こうか」


 弓矢の練習は、開けた場所で行っていた。弓と矢筒、的を持って森の中を一緒に歩く。帰り道で薬草を摘んで帰るためか、レムナンドは籠も持っていた。


「レムはいつ見てもフードを被っているよね。この森には地元の人も入ってこないし、私たち以外には会わないのに、お耳を隠す必要がある?」

「……念には念を入れないと。ルナーグ家にこれ以上迷惑をかけるわけにはいかないからね」

「迷惑なんて、思ってないよ」


 木立を抜けると、広い場所に出た。春の光が差し込んで、緑がキラキラと輝いている。

 ミシュラは弓と矢の準備をしつつ、いつもの木に的を括りつけているレムナンドの背を見つめた。

 あまりにも無防備で、ミシュラはなんともやるせない気持ちになった。


「的当て、レムもたくさん練習した?」

「僕は……そうだね、少しだけ。耳長族は風と仲が良いから、しっかり狙わらなくても当たるんだよ」


 くすりと笑って、ミシュラは弓に矢を番える。


「嘘つき」


 そして、隙だらけのその背に照準を定めた。

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― 新着の感想 ―
[一言] なにこれいきなり面白そうじゃない。
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