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魔法銀の悪魔の救済  作者: 緑名紺
第一章 幸せな幼少期
19/40

19 終わりと始まり


 

 奇色化した魔物の襲撃から三日が経った。


 不幸中の幸いで、死者は出なかった。それだけがミシュラの救いとなった。

 怪我人は多く、戦った私兵団の中には後遺症が残りそうな者もいる。住民の中には家を失った者も多くいて、町全体が落ち着くにはかなり時間がかかりそうだった。

 この魔物襲撃はルナリアに深い爪痕を残した。


 メイサは元気な男の子を出産した。

 しかし彼女自身が随分と衰弱としていて、ハンナとグラスが付きっきりで看護している状態だ。命の危険はないようだが、しばらくは安静が必要だった。


 ――あと五年は、何事もなく幸せに暮らせるはずだったのに……ううん、今回はずっと幸せなはずだった。


 巻き戻し前と比べても切ない結末に、ミシュラは申し訳なくて仕方がなかった。


「良かったじゃないか。三十人以上死ぬはずが、ゼロだ。お前のおかげだ」


 レムナンドは、落ち込むミシュラにも容赦がなかった。


「そんなわけないでしょ。ルナリアの皆の幸せが奪われるくらいなら、知らない誰かに死んでもらった方が良かった」


 キト村の人々には申し訳ないが、それがミシュラの偽らざる本心だった。


「私が欲張ったせいで、こんなことになったの。ルギちゃんに辛いことを肩代わりさせちゃった。ちゃんと反省してるよ」

「ようやくその言葉が聞けて良かった。今回のことで、得るものがあったのなら何よりだ」


 いつもなら聞き流せる皮肉が、ミシュラに重く圧しかかる。

 得られたものなんて、ほんのわずかだ。

 誰も彼もが傷ついた。私兵団や住民はもちろん、魔物と戦ったルギも、何もできなかったと落ち込むロアートも、己の過ちを認めたミシュラ自身も。


 感情論で言えば、「キト村へ行かなければ良かった」という後悔しかない。

 しかし理性的に考えれば、「行かない」という選択肢はあり得なかった。ただ、備えが足りなかったのだ。未来の情報を信じすぎて、無関係に思えることが運命を変えるのだという考えに及ばなかった。


『たとえ未来のことが分かっていても、ヒト一人にできることは限られている』


 やはりレムナンドの言う通り、自分だけがどれだけ頑張っても解決できないことはある。レムナンドの他にも頼れる仲間が必要だ。


 ――あとは、ルギちゃんのこと。


 レムナンドと別れ、ミシュラはルギの部屋を訪れた。

 この三日間、彼はほとんどの時間を眠り続けている。


 魔物と一緒に崖から落ちて無傷なはずもなく、全身の打ち身が酷かった。骨折や内臓への損傷はなかっただけで十分に奇跡的ではあるが、気力も魔力も尽きてしまったのか、長く起きていられないようだ。

 目を覚ませば「もうここにはいられない」と泣くので、ミシュラは時間が許す限りそばにいて励ましていた。


「本当にごめんね……」


 眠るルギからは返事がない。どこか寝苦しそうな顔をしていて、こちらの胸まで苦しくなる。


 ルギを甘やかしていた自覚はある。それは可愛いので仕方がないが、無意識に彼を無力化しようとしていたのかもしれない。

 平穏に暮らすことがルギのためだと思った。好きでもない戦いの技術を無理に学ぶ必要はない。優しくて大人しいままでいい。そう思ったのは本当だ。

 だが、自らの汚い部分が言っている。ルギは巻き戻し前の最後、自分を殺した男だ。また自分より強くなってしまったら厄介だと、思わなかったと言えば嘘になる。


 今回のことではっきりと分かった。

 ルギは自分と同じか、それ以上にこの世界に影響力を持っている。あるいは、自分の方がおまけだったのかもしれない。


 ルギが魔物にとどめを刺したという事実は、ミシュラとレムナンド以外は知らない。表向きは崖から落ちたとき、偶然に剣が魔物の頭に突き刺さり、力尽きたことになっている。あの後駆けつけてきた魔狩人にもそう説明した。

 ルギは何も語らなかったし、子ども一人で戦って奇色化した魔物を倒したなど、誰も信じないだろう。逃げて生き残ったという話すら半信半疑だった。


 本来ならば、私兵団が魔物を引き付けている間に住民を避難させ、父と母が避難区域を結界魔法で守り、魔狩人が駆け付けるまで時間を稼ぐはずだった。当然ルギも避難対象だったが、魔物の標的になったがためにその場に釘づけにされてしまった。


 両親も私兵団の皆もルギには申し訳なく思っている。

 力があったのに出し惜しみしていたなどと思う者はいないだろうが、彼がこれ以上傷つくようなことがあってはならない。一片でも悪意や恨みを生み出さないように、事実は黙すことにした。


 奇色化した魔物に狙われた可哀想な子どもを、天の神々が憐れんで守ってくれた。周囲にはそう思われていた方がマシだ。

 偉業めいた手柄を取り上げるような決まりの悪さはあるが、ルギは気にしないと思う。


 だが、いつまでも隠してはおけないかもしれない。

 本人が望まなくても、この世界がルギを埋もれさせない。そういう運命の下に生まれたのなら、今後も同じように翻弄されてしまうだろう。


 別れの予感がする。ルギが離れて行ってしまう。


 ――神モドキ様は、私に何をさせたいのかな?


 もしも守り、崇めるべき対象がルギなのだとしたら、自分は失敗して用済みになってしまったのだろうか。

 いや、そもそもまだルギがそうだと決まったわけではない。


 お告げの一つもくれないというのなら、好きにさせてもらう。

 ルギを手放したくない。彼に運命を狂わせるほどの力があるのだとしたら、なおさらだ。


 ミシュラは父の執務室へ向かった。






 さらに一週間が過ぎ、ルギは起き上がれるようになった。


「ミシュラ、ごめん。……やっぱり俺は、ここを出ていく」


 今にもベッドから降りようとするルギを制して、ミシュラは苦笑した。


「私は嫌だな。ルギちゃんがいなくなっちゃったら寂しい。絶対兄さんも同じこと言うよ」

「……でも、俺がここにいて、またミシュラの知らない不幸が起こったら、耐えられない」


 あれから何度もルギに責任はないと言っているが、効果はなかった。父や母、使用人や私兵団の者たちが見舞いに来て声をかけても、ずっと暗い表情で黙り込んでしまっている。優しくされればされるほど、罪悪感が積もっていくようだ。

 ミシュラはその気持ちが痛いほど理解できた。


「どうしても?」


 ルギは悄然とした様子で頷いた。この屋敷に身を置くことで心を病み続けるのなら、これ以上は引き留められない。


「……分かった。でも、どこに行くの? まさか宝樹の地下に戻るなんて言わないよね? それだけは許さないから」


 それをするなら宝樹を燃やす。ミシュラが冗談めいて脅すと、ルギはぎゅっと布団の端を握り締めた。やはり行く当てなどないようだ。


「ルギちゃんは、何がしたい? どうなりたい?」

「俺は、強くなりたい……強くならなきゃ。何度も機会はあったのに、頑張らなかったのが悪かったんだ」


 ルギならそう言うと思った。先回りしていた甲斐があったというものだ。


「じゃあ、エヴァン先輩のところに行ってくれない?」

「え……」

「リュード流剣術の門下生になるの。そこで剣と魔力の使い方を学んで、ついでにエヴァン先輩のことも見張っていて欲しい。ダメかな?」


 父に頼んで、リュード流の師範であるサクラバに推薦状を書いてもらった。ルギが奇色化した魔物から逃げ延びたことも伝えてある。「本人にやる気があるのなら、来ても良い」という返事をもらった。

 数回手紙のやり取りをしただけだが、サクラバは真面目で思慮深い人のようだ。剣士としての評判もいい。あのエヴァンが唯一師と認めた相手なのだ。ルギを預けるのに不足はない。


 ルギは焦ったように首を横に振った。


「だ、ダメだ……俺がそこに行って、ミシュラの大切な人に何かあったら」

「エヴァン先輩の心配は要らないよ。めちゃくちゃ強いもん。他の人のことも大丈夫。修行先は元々魔物がたくさん出るところだし、厳しい修行でそういう事故もあるみたい。だから、何かあってもルギちゃんのせいじゃない。自己責任だよ」

「でも」


 ミシュラはルギの頭を抱きよせた。


「本当はずっとそばにいてほしいし、危ない修行なんてしてほしくない。でも、どうしてもルギちゃんと離れなくちゃいけないのなら、せめて所在が分かる場所に、少しでも安心できるところにいて。エヴァン先輩のそばなら、きっと大丈夫。絶対に守ってくれるし……先輩が危ない時はルギちゃんが守ってあげて。それで、強くなったら私のところに帰ってきてほしい」


 嘘は一つも言っていないのに、どうして心苦しく感じるのだろう。

 ルギには自由に楽しく生きてほしいと願っておきながら、結局自分の人生に巻き込んで束縛しようとしているからだろうか。利用しようとしていると思われても仕方がない。

 凍りついたように動かないルギの頭をそっと撫でる。


「お願い。私を(たす)けて」


 あれだけ“悪魔”にはならないと言っておいて、人を堕落させる誘惑を囁いているような気分になる。


 しばらくして、ミシュラの腕の中でルギは小さく頷いた。






 旅立ちの日。

 ルギがこの屋敷に来てから約一年が経っていた。


 ミシュラと両親とロアートに加え、屋敷の使用人も一部、見送りのために門に集まった。皆が別れを惜しんでいる。

 修行の地まではレムナンドが送ってくれることになった。本当はミシュラが最後まで付き添って送りたかったが、徹底して女人禁制とのことだ。修行先でルギが白い目で見られないためにも、今回は断腸の思いでルールを守ることにした。


「ルギくん、どうかお元気で。帰ってきたら、この子とも遊んであげてね」


 ようやく外を歩けるようになったメイサも、グラスとともに赤ん坊を連れて見送りに来てくれた。「ルイン」と名付けられたその赤ん坊は、ご機嫌に笑っている。

 まだ顔色の悪いメイサに対し、ルギは申し訳なさそうにしながら頷いていた。赤ん坊にも小さく手を振る。


「くそ、本当に行くのかよ……せっかくさぁ」


 誰よりもルギとの別れを残念がっているのはロアートだった。友人であり、弟分であり、屋敷で唯一気楽に話せる相手だったのだ。無理もない。


「剣士なんて、絶対にルギに向いてねぇよ。それなのに……」

「向いてないかもしれないけど、俺、頑張る。ロアートも、練習頑張って。ずっと応援してる。一番格好いいピアニストになってほしい」

「っ!」


 ロアートは目頭に来るものがあったらしく、手で顔を覆ってそのまま母の背に隠れてしまった。

 その姿に使用人たちも温かい視線を送っている。ルギのおかげでロアートの人柄は皆の知るところになった。もう屋敷で孤立することはないだろう。


 ミシュラは鳥かごをルギに押し付けた。長距離の飛行でも迷わない賢いフクロウが入っている。


「たまにでいいから、手紙を送ってね」

「……うん」


 レムナンドがやや面倒くさそうに、荷物と一緒に鳥かごを飛獣に括りつけてくれた。その間もミシュラはルギにたくさん言葉をかける。


「怪我に気を付けてね。病気にも」

「分かった」

「困ったことがあったら手紙に書いて。絶対隠したりしないで」

「ミシュラも、何かあったら教えてくれる?」

「もちろん」


 ルギの両手を包み込むようにして握り、誰にも聞こえないように呟いた。


「先輩のこと頼んじゃったけど、辛かったら忘れていい。いつでも帰ってきていいからね」


 考えるように目を伏せた後、ルギは決心したように顔を上げ、はっきりと告げた。


「……強くなるまでは帰らない」


 でも、とルギはミシュラの手を強く握り返す。

 至近距離で見つめ合う。いつになく強い光を宿す青い瞳に吸い込まれてしまいそうだった。


「強くなって帰ってきたら、その後は……もう離れなくてもいい? 俺はずっとミシュラと一緒にいたい」


 心臓が止まるかと思った。


「…………」


 否、かつてなくときめいて、甘い痛みを伴って脈打っている。

 その場にいた一同が驚いてどよめいたが、口を挟む無粋な者はいなかった。固唾をのんで見守っている。

 ミシュラは心に従って答えた。


「嬉しい。いいよ。ずっと待ってるね」


 にっこりと微笑んで頷くと、ほんの少しだけルギも口元を緩めた。あの日からずっと暗い顔をしていた彼に対して、やはり大人たちは何も言えなかった。


 最後に大きく手を振って別れ、ルギとレムナンドを乗せた飛獣は飛び立っていった。


 求婚めいた問答に動揺したのか、父は大汗をかき、母がどこか楽しそうに扇子で煽ってあげている。使用人やメイサたちは普通にはしゃぎ始めた。

 一方ロアートは、一瞬複雑そうな表情を見せたが、気を取り直して最後まで飛獣に向かって手を振っていた。






 飛獣が見えなくなるまで見送った後、ミシュラは一人で中庭に足を運んだ。

 数日前にひょっこりと尋ねてきた客人が、ベンチに腰掛けてぼんやりしていた。ミシュラに気づいた後、ルギが旅立っていった方角をちらりと見た。


「きみたちを見ていると、懐かしい気分になりますね」

「幼なじみの女の子でもいたの?」

「いいえ」

「……変なの」


 フレイン・ブルーネルは毒蛇の怪物の封印を見に来た。毒と瘴気に包まれた森を案内し、封印を解く方法はルナーグ家の人間しか知らないと告げると、途端に興味を失くしたようだった。

 再び旅立とうとする彼を引き留めたのはミシュラである。


「ねぇ、お兄さん。お願いがあるの」


 フレインは感情の乏しい表情でミシュラを眺めた。

 奇色化した魔物を狩りそびれ、名声を逃した現代の英雄。彼もまた、今回のことで運命を歪められた者の一人だった。


「私に雇われて。ドラゴンは無理だけど、少し待ってくれたら毒蛇には会わせてあげられると思う」


 今回の失敗でたった一つ得られたもの――この予測不能な縁が、希望になることを信じるしかない。


「次から次へと男を口説いて、悪い女の子ですね」


 フレインはほんのわずかに口の端を持ち上げた。





第一章・完


ここまでお読みいただき、ありがとうございます。

申し訳ありませんが、少々書き溜めの時間をいただきたいです。

感想などいただけると嬉しいです。

よろしくお願いいたします。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 個人的な一章の印象的なシーンは「嘘つき」とロアートの心情変化。 友好的な少女が突然攻撃する展開は意表を突かれ面白かった。 ロアートは無理矢理養子にされ過酷な運命にも関わらず、巻き戻し前に主…
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