15 報せ
誕生日から数日後、ミシュラのもとに一羽のフクロウが舞い降りた。
ムンナリア王国では、魔鳥による郵便物の配達が一般的だった。どの町村にも特殊な訓練を受けた鳥が数羽いて、各町村との連絡手段となっている。
大きな町には民間の郵便局が存在するし、貴族などは個人で専用の魔鳥を飼っていて私用のやり取りもしていた。
ルナーグ家でもフクロウや隼、カラスの魔鳥を飼っていて、ミシュラも使うことが許されている。
「また、“エヴァン先輩”?」
ルギがフクロウに餌をあげて労いながら、手紙を読むミシュラを横目で見た。
「先輩の剣の師匠のサクラバ様、ね。先輩とはまだ直接やり取りできないよ」
レムナンドが手に入れてくれた情報によって、ミシュラのかつての仲間であるエヴァン・シャトルの現在地が判明した。
古くから続くリュード流剣術の師範に弟子入りして、現在修行中らしい。
「ミシュラも弟子入りした?」
「あ、私はリュード流の門下じゃないの。前の人生でエヴァン先輩と出会ったのは、私が十五歳の時だよ。入学した魔法学校の先輩だった。すごく問題児だったけど、そこがまた格好良くて……ルギちゃんも絶対憧れると思う」
「……そうなんだ」
ルギは分かっているのかいないのか、反応が薄かった。
「会いに行けそう?」
「やっぱりダメだって。女人禁制なんて時代錯誤ー」
接触を持つべく、ミシュラも入門を希望したが、あっけなく断られてしまった。男所帯ゆえに、女性の立ち入りが禁止されているらしい。
修行の地は巨大な魔物が多く生息する険しい山で、安全が保障できないので面会や見学も困るとのこと。手紙のやり取りすら「これで最後にしてほしい」と断られてしまった。ものすごく煩わしく思われている。
早速難航してしまった。
レムナンドに潜入してもらう手も考えたが、万が一吸血鬼だとバレたら大変だ。いくらレムナンドが強くても、数十人もいる凄腕の魔法剣士から逃げ切るのは至難の業だろう。
「…………」
ルギが何か言いたそうにしていた。
きっと「俺が代わりに行く」と、勇気を振り絞ろうとしているのだろう。
――でも、ルギちゃんは剣を使うの嫌みたいだし、一人で行かせるわけには……。
やりたくもないことを無理強いするのも、いつもミシュラとロアートにべったりのルギを一人で見知らぬ地に向かわせるのも気が引けた。
未だにルギの正体は分からなかった。
王侯貴族の子どもを中心に調べてもらっているが、ルギの年格好に当てはまる行方不明者の話は見つからない。もし平民の子どもなら、身元を突き止めるのは至難の業だろう。そもそも赤ん坊の頃に親元を離れていたら、産まれたことすら教会の記録にも残っていないかもしれない。
せめて出身国が分かればいいのだが、本人の記憶も一向に戻らないようだった。
――家族を見つけてあげたいけど……でも、今のままでもルギちゃんは幸せそうだよね。
なら、このまま戦いとは無縁の平穏な日々を過ごしてほしい。
それこそ、ロアートと一緒に音楽を極めるのもいいと思う。誕生日に贈られた歌はとても素晴らしかった。
ルギには無限の可能性がある。せっかく巻き戻し前の世界とは全く別の人生を送れるのだから、好きに生きて幸せになってほしい。
「まぁ、先輩のことなら大丈夫。下山してから接触してもいい。先輩がいつ魔剣を手に入れるかは分からないけど、魔法学校で出会ってからでも間に合うよ。最悪強引に奪っちゃお」
「……そっか」
ルギはほっとしたように息を吐いた。
ミシュラは重要なことをルギに伝えなかった。
巻き戻し前の世界、魔剣に魅入られて身を滅ぼしたエヴァン。
彼は大陸で五本の指に入る最強格の剣士になる。そんな相手から剣士の魂ともいうべき剣を奪うのは簡単ではない。たとえ奪えても禍根が残りそうだ。
できれば今のうちに忠告をして、魔剣そのものに関わらないように仕向けておきたかった。
――忍び込んで、強引に会いに行こうかな。
結局またレムナンドに苦労をかけることになりそうだった。
「あ、もう一羽……」
「本当だ」
白い鳩がミシュラの肩に止まった。
脚に括りつけられていた手紙を読んで、ミシュラは飛び跳ねた。
「行かなきゃ!」
それは、ずっと待っていた連絡だった。とある村の宿屋の主人に、ある人物が訪れたら連絡してほしいと依頼しておいたのだ。
驚くルギにミシュラは微笑む。
「また魔物討伐に行ってくるね。今度は領地の外だから、ルギちゃんはお留守番していて」
早速、レムナンドに相談しに行こうとしたミシュラの服の袖を、ルギが掴んだ。
「どうしたの?」
ルギは少しだけ寂しそうに目を伏せてから、手を離した。
「……気を付けて」
「うん。ありがとう」
巻き戻し前の人生で今の時期にとある事件が起こった。
山二つ向こうにあるキト村が、奇色化した熊の魔物に襲われるのだ。
村人三十名近くが亡くなったが、それでも奇色化した魔物が起こした被害にしては少ない方だった。魔狩人が駆け付ける前に、たまたま村に滞在していた旅の若者――フレイン・ブルーネルが一早く魔物を討伐したのである。
たった一人で奇色化した魔物を討伐するなど偉業以外の何物でもない。
彼はその場で魔狩人にスカウトされ、遺憾なくその実力を世界に轟かせた。
「魔物の被害を減らすのはもちろんだけど、できればフレインとお近づきになっておきたいんだ。だって彼は将来、一等級の魔狩人になる人だから」
最高ランクである一等級――大陸最強の魔狩人の一人である。
毒蛇の怪物の討伐を目指すミシュラにとって、是が非でもつながりを持っておきたい人物だった。
というわけで、ミシュラは今回もレムナンドに協力を仰ぎ、両親を言いくるめて遠出を決行した。飛獣のクシィではるばる山を二つ越えて。
準備に手間取り、キト村に着いたのは夜だった。魔物の襲撃は昼間だったと記憶しているので、この夜は安全に過ごせるだろう。
村唯一の宿屋にレムナンドと親子のフリをして泊る。若いお父さんですね、と宿屋の主人に言われた時は失笑しそうになった。
目当てのフレインも同じ宿の別室にいるはずだが、今夜は大人しく休むことにした。
部屋に入るなり、レムナンドは倒れるようにベッドに横になった。
「若いのに、お疲れ?」
「うるさい」
「夜にぐったりしてる吸血鬼って、なんか面白いね。美味しいお茶を淹れてあげる」
レムナンドの顔色は悪い。奇色化の魔物と遭遇すると分かっていて、平静を保つのは難しいのだろう。
一服した後、レムナンドは大きなため息を吐いた。
「そのフレインという奴は、本当に強いのか? 一等級と言っても、人族は実力に見合わない評価をするだろう。階級は当てにならない」
「強いよ。少なくとも私よりは」
何を隠そう、彼はミシュラの仲間内で最強だったエヴァンと互角の剣の腕を持っていた。二人の勝負の決着は、魔剣を持っていたエヴァンの方に軍配が上がったが、対等な条件ならばどちらが勝っていたか分からない。
「ま、今の時点でどれくらいの腕なのかは、明日か明後日には分かると思うよ。私も鍛錬の成果を見せなくっちゃね」
数か月、真面目に魔力と体を鍛えてきた。
全盛期と比べたら未熟ではあるが、前回の人生の十一歳の時点よりはずっと強いはず。奇色化した魔物相手にどれくらい通用するか試したい。
「僕は戦闘に参加しないからな。遠くから見守らせてもらう」
「いいけど、村の人の避難は手伝ってあげてよ」
「ああ、無理のない範囲で」
ミシュラはそのやる気のなさに苦笑しつつ、旅装を解いて隣のベッドに飛び乗った。大変なことが起こると分かっているからこそ、休めるうちに休んでおくべきだ。
この村での魔物襲撃について、詳しいことまでは知らない。もしも魔物が現れる方角や時間が正確に分かっていれば、無理矢理にでも村人を避難させただろうが、今は下手なことができなかった。
本番一発勝負である。人の命がかかっていると思うと、さすがに緊張する。
「……お前も無理はするなよ。見ていてハラハラする」
「どうしたの、急に」
レムナンドは背を向けていて顔が見えない。
「身の程を弁えろということだ。たとえ未来のことが分かっていても、ヒト一人にできることは限られている。誰も彼も救おうなんて、不可能だ。優先順位を守れ」
「それは……分かってるよ。パパとママが一番で、あとはロアート兄さんとルギちゃんと――」
「その割には、ジオとミレイヤを心配させているじゃないか」
咄嗟に言い返せなかった。
出発前の二人の顔を覚えていない。後ろめたくてあまり目を合わせられなかったからだ。
たくさん嘘をついてしまった。
この村に奇色化した魔物が出て、娘が居合わせていると一報が入った時、二人がどれだけ心を潰すだろう。
見ないふりをしていた申し訳なさが溢れてきて、ミシュラはぎゅっと拳を握り締めた。
「もっと自分の命の優先順位を上げろ。この村で何人死のうが、本来関係のないことだ」
「……うん、分かった。ありがとう」
冷たい物言いだが、レムナンドなりに心配してくれたようだ。
ミシュラはその背中に向かって、おやすみの挨拶を口にした。