14 聖王女の憂鬱
ムンナリア王国の王都・ムスリカ。
晴れ渡る空の下、王国の民も他国からの観光客も、一様に祝いの歌を口ずさんでいる。楽器の音も花びらの雨も止まず、人々は飽きずに乾杯を繰り返していた。
この朝から続くお祭り騒ぎには理由がある。
今日は、王国の宝と呼ばれる第一王女リリトゥナの十一歳の誕生日なのである。
リリトゥナ姫は王族の中でも群を抜いて人気だった。
彼女は、ムンナリア王家の祖・聖女ララトゥナの再来だと信じられている。
この大陸で、聖女ララトゥナの名を知らぬ者はいない。
彼女は三百年前、神の封印から解き放たれた最悪の怪物――“邪竜王”を討伐した四人の英雄の一人で、“神聖力”と呼ばれる魔力とは異なるエネルギーをその身に宿していた。その力で瞬く間に仲間の傷を癒し、邪竜がまき散らした闇の瘴気を浄化した。
心優しい美少女で、英雄の一人である勇者ヴィントラーと恋仲であった。二人の愛が“奇跡”を呼び、世界を救ったという英雄譚は、演劇業界において今もなお大人気の演目である。
ララトゥナは民衆に愛され続ける文句なしの偉人だった。
リリトゥナ姫は、両親のどちらとも違う、若葉色の髪と金色の瞳を持って生まれた。その特徴は聖女ララトゥナと同じである。
それだけではなく、歴代のムンナリア王家の人間でもわずかしか顕現しなかった“神聖力”を生まれつき持っていた。
その特徴にあやかって、“リリトゥナ”と名付けられ、民衆にも熱烈に愛された。
彼女が歌えば花が咲き、彼女が踊れば空に虹がかかる。
その豊かな心は世界に共鳴し、いとも容易く奇跡を起こす。
その上、王家に受け継がれているララトゥナの肖像画と瓜二つに成長した。
八歳になると、教会から正式に「リリトゥナ姫は聖女ララトゥナの生まれ変わりである」と宣言があった。
人々は彼女を“聖王女”と呼ぶようになり、惜しみなく敬愛の念を送った。
「退屈です……」
リリトゥナは辟易としていた。
朝から晩までパーティーと謁見の予定がぎっしり入っていて、ドレスが汚れると困るからと、食事も満足にできない。
貴族や他国の使者からの挨拶はほとんど同じ。
リリトゥナの成長を喜び、自分の名前、あるいは将来を見据えて子どもの存在をアピールする。彼らへの対応も公平に同じにしなければならず、いい加減笑顔が引きつりそうだった。
山のように運び込まれている贈り物も、検閲のためにしばらく触れそうにない。
誕生日なのに、どうしてこんな窮屈な想いをしなければいけないのだろう。
やっと訪れた休憩時間、リリトゥナはバルコニーから外を睨みつけた。城下町のお祭りが羨ましい。自分の誕生日の祝祭なのに、参加できないのが不満だった。
「そうむくれないで。可愛いお顔が台無しだよ、リリ」
「お兄様!」
リリトゥナは現れた兄・トールバルトに抱きついた。
この国の第一王子で眉目秀麗で優しい兄のことがリリトゥナは大好きだった。トールバルトもまた、妹のことを溺愛している。
「だって、つまらないのですもの。わたくしもお祭りに行きたいです……」
「今日は我慢して。来年はパレードができるようにしてあげるから」
「えー、それって、結局馬車から出られないのでしょう? 意味がありません」
リリトゥナの膨らんだ頬をつつきながら、トールバルトは苦笑を浮かべた。
「困ったな。リリはどんなお誕生日がいいのかな?」
「こんな盛大じゃなくていいんです。家族やお友達、仲の良い侍女たちだけに祝ってほしい。そしてみんなでお歌を歌うの……これって贅沢な望みなのですか?」
皆に祝われて嬉しくないわけではないし、感謝の気持ちもある。一国の王女として、不自由を我慢しなければならないことも分かっていた。
だけど今、気の置けない兄の前でくらいわがままを言わせてほしい。
トールバルトは妹の若葉色の髪を優しく撫でた。
「……リリ、約束する。来年はきっと、今年より楽しい誕生日にしてあげる。きみの希望を尊重するよう、私から父上に進言してみよう」
「本当ですか?」
「ああ、絶対だ。……だけどすまない。今年は、もう少しだけ頑張ってくれ。さぁ、戻って。あとでケーキを一緒に食べよう」
納得はできていなかったが、これ以上兄を困らせたくなくて、リリトゥナは小さく頷いた。
他国からの使者、自国の貴族、そして、商人や魔法士と言った平民の有力者との謁見の終わりが近づいた頃、周囲がざわめいた。
順番を抜かして、一人の男がリリトゥナの前にふらりと現れ、略式の礼をする。
「このような素晴らしい日に遅れてしまい、申し訳ありません。リリトゥナ殿下、十一歳になられましたこと、心よりお祝い申し上げます」
男は、嘲るような笑みをリリトゥナに向けた。二十代後半でありながら、既に貫禄があり、謁見に訪れた誰よりも華があった。
彼の慇懃無礼な態度に、お付きたちが目を吊り上げた。
「メリク公爵、あまりにも礼を欠いていらっしゃる。姫様の誕生日にそのような――」
「構いません。来てくださって、ありがとうございます」
疲れがピークに達していたリリトゥナは、これ以上不毛な時間が長引かないように不敬な態度をすぐに許した。
それに、自国の貴族筆頭でありながら遅参してきた公爵には前々から興味があった。
マルセル・メリク。
彼の父親――前公爵メギスト・メリクは禁忌の錬金術を使ったことで処刑され、マルセルは十代で爵位を継いだという。没落していくかと思われたメリク家の権勢を維持しているだけではなく、斬新な現代魔法を開発して魔法業界にも名が知られている。
王家に対する忠誠心は感じられない。
怪しくて危険な人物だ。だからこそ興味は尽きない。
――この方だけです。わたくしに冷たく当たるのは。
誰もがリリトゥナを敬愛し、媚びを売り、取り入ろうと必死なのに、彼だけはいつもその素振りがない。嫌われているのが新鮮で面白かった。
詳しい事情をリリトゥナは知らない。大人の前で彼の名前を出すと、いつも顔をしかめられるだけで、何も教えてもらえないのだ。
このような式典でない限り、メリク公爵が城に来ることは稀だった。
「どうして遅れてきたのですか? お仕事ですか?」
リリトゥナは公平な対応をするのを忘れ、好奇心を隠さずに問う。
メリク公爵は小さく息を吐き、肩をすくめた。
「いえ……少々物思いに耽って時間を忘れておりました。今年も可愛い姪の誕生日を直接祝いに行けなかったものですから」
「公爵っ」
お付きの侍女がぎょっとしていた。
「姪……?」
「ええ、辺境伯に嫁いだ姉の一人娘ですよ。殿下と同じ日に生まれたのですが、まだご存じないようだ」
意味深に笑う公爵に対し、周囲の者が途端に慌て出した。
「おっと、失礼。……殿下にはなんの罪もない。偉大な国王陛下から重要な事業を任されており、なかなか王都を離れられないだけ……もう何年も姉や姪に会えていませんが、これは仕方がないことなのです」
謁見の時間は不自然なほど早く打ち切られた。退場を促されても、これといった抵抗もなく、公爵は去っていった。
周囲には異様な空気が漂っていた。
残されたリリトゥナは、首を傾げる。試しに侍女に尋ねてみても、相変わらず言葉を濁されるばかりだ。
辺境伯と言えば、ルナーグ家のことだろう。毒蛇の怪物の封印を守る一族。
ムンナリア王家の傍系の血筋でありながら、不思議とリリトゥナとは面識がなかった。役目のせいで領地を離れられないのだとは思っていたが、考えてみれば全く交流がないのも不自然だった。同い年の娘がいるのに、存在すら知らなかった。
聖女と怪物。その二つを結び付けまいと、両親が配慮しているのかもしれない。
「わたくしと同い年で、同じ誕生日の子がいるのですね……」
公爵の機嫌が悪かったのはこの式典に参加させられるせいで、辺境にいる姪の誕生日を祝いに行けないからだろうか。だとしたら、冷たく当たられるのも納得できた。
――良いことを思いつきました。だったら、呼べばいいではありませんか。公爵と姪御さんを会わせてあげましょう!
来年の誕生日は楽しくしてくれると兄が約束してくれた。ならば、多少のわがままは許されるはずだ。
リリトゥナ自身、同じ誕生日の令嬢に会ってみたかった。
特別で、運命的。もしかしたら親友のように仲良くなれるかもしれない。
思いついた素敵なアイディアに想いを馳せながら、何も知らないリリトゥナはうわの空で謁見を続けた。