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魔法銀の悪魔の救済  作者: 緑名紺
第一章 幸せな幼少期
11/40

11 持つ者と持たざる者


 ルギが屋敷にやってきてから、三か月が経過した。


 ミシュラはルギを連れてよく町に出かけるようになっていた。

 メイサが教会の神父グラスと結婚したため、ハンナとともに様子を見に行く。結婚式の準備や引っ越しの手伝いにも参加したくらいだ。


 ルナーグ家が治める辺境の町ルナリアは、特殊な町だった。

 毒蛇の怪物の封印の地に、好き好んで暮らす者はいない。長い年月の間、犯罪者や奴隷の子孫などが、ルナーグ家の加護を求めて集まった。

 封印を守るルナーグ家に対して、ムンナリア王家はほとんど税の徴収を行わない。そのため、領民が取り立てられる税も少なく、贅沢さえしなければ暮らしていけるのだ。


 結果、町と呼べるだけの規模になった。今移住してくる者たちもほとんどがワケありである。


 しかし不思議と治安は悪くない。

 活気のない辺境の地には荒くれ者が住み着かず、賊の類も寄り付かないのだ。住民たちもここが最後の砦とばかりに、揉め事を起こさないように気を払っている節がある。

 もちろんルナーグ家お抱えの私兵団の他、自警団がしっかり町を見回っている。犯罪発生率が低いのは特殊な土地柄に加え、領主と領民、双方の努力が実っているからだろう。


 王都や他の町と比べればみすぼらしく、流行とは無縁の野暮ったい町だが、その慎ましい雰囲気がミシュラは嫌いではなかった。

 町民も、ミシュラのことはルナーグ家のお嬢様として尊重しつつ、気安く接してくれる。


 ミシュラは既に一人で魔物を狩れる力を持っているため、町の大通りを歩き回るくらいの自由は許されていた。巻き戻し前の知識のおかげで、学業面でも優秀さをアピールできている。わがままを許してもらえる下地は十分にできていた。

 常に護衛の兵士が後ろをついてくるが、それくらい気にならない。


「魔石の質はどう?」

「……これが一番だと思う」

「うん、あってる! じゃあ、あと良さそうなのを二個選んで」


 魔石の専門店で最近入荷したものを見せてもらい、ルギに目利きを任せる。魔力の強さを感知する訓練なのだが、ルギは難なくこなしている。

 魔石は照明器具や浄水器など生活に欠かせないあらゆる魔道具のエネルギー源である。大地の命脈の太い土地で採掘されているが、あいにくルナーグの領地ではあまり採れないので、交易品に頼るしかなかった。


「ルギちゃん、もうお金の計算も完璧だね」


 市場を見て回ったり、屋台で買い食いしたり、今日のようにハンナの代わりにお使いをすることで、ルギにお金の使い方を教えていた。乾いた砂が水を吸うように、ルギはどんどん新しいことを覚えている。忘れているだけで元々知っていたのではないか、と思えるほどだ。


「これで目当ての品は全部買えたよね。……ゲルト、荷物持って」

「はっ」


 今日の護衛係は、ハンナの夫で私兵団の長を務めるゲルトだった。荷物を押し付け、ミシュラはルギの手を引いた。


「そろそろ教会に戻りましょ」

「うん」


 ルナリアの教会は、この町の数少ない観光名所の一つだった。

 教会の窓に嵌っている、末の神が毒蛇の怪物を沼地に封印する場面のステンドグラスが壮観だからである。

 ルナーグ家の人間からすればあまり面白くないデザインだが、色とりどりのガラスが光を反射する光景は美しい。ルギはそれを仰ぎ見るのが好きだった。

 ハンナの用事はまだ時間がかかるらしく、ゲルトも手伝いに行った。帰る時間まで、二人は教会のステンドグラスを見ながら待つことにする。


「あ」


 教会内には先客がいた。義兄のロアートである。きょろきょろと周りを気にしていて、とても怪しい。

 ミシュラはルギを引き留めて、静かにするようジェスチャーを出す。

 こんなところで何をしているのだろうという興味が勝った。二人で身を低くして、こっそり椅子の陰に隠れるように中に入る。


「――――」


 ロアートは教会の隅にあるピアノの前に腰掛けると、演奏を始めた。

 ミシュラは自分の目と耳を疑う。チンピラ崩れの粗暴なロアートと、ピアノの組み合わせがあまりにもミスマッチだった。


 ――あんまり上手くないなぁ……。


 貴族令嬢として、ピアノの嗜みはある。

 奏でているのは、誰でも知っているような神への感謝を捧げる合唱曲の伴奏だ。

 ロアートは一応右手で主旋律、左手で伴奏を弾いているが、途切れがちで覚束ない。多分、運指を知らないのだろう。


 ――でも、すごく真剣な表情。兄さんのこんな顔、初めて見た。


 演奏は拙くても、音に心がこもっている。少しでも綺麗な音を鳴らそうとタッチに気を遣っているのが分かった。それに、独学で旋律を覚えてここまで弾けるのなら、ロアートはよい耳をしている。


 ――もしかして兄さんは“持っている”人間なのかもしれない。


 いつの間にかその優しい音色にミシュラは聞き入っていた。

 最後の一音をしっかり伸ばして、演奏は終わる。


 余韻が消えて無音になる間、こっそり去るか、ロアートに声をかけるべきか迷う。盗み聞きしていたことがバレたら絶対に怒られる。でも、もしかしたら関係改善に繋がるかもしれない。下手をしたらより悪化することも考えられるが……。


「すごい……!」


 ミシュラの葛藤も虚しく、ルギが思い切り立ち上がった。


 ロアートの演奏に感極まったらしく、ルギは勢いよく椅子の影から飛び出していった。ミシュラは苦笑しながらも、微笑ましい気分で後に続く。


「なっ、お前ら!? わ!」


 ロアートは驚きのあまり椅子ごとひっくり返ってしまった。


「もう、兄さんったら、何やってるの? 大丈夫?」

「そ、それはこっちのセリフだ! お前ら、何してやがる!」


 助け起こそうとしたミシュラの手を振り払って、ロアートは警戒しながら立ち上がった。その顔はほんのり赤くなっている。


 ――可愛いところあるんだなぁ。


 言葉には出さなかったが、ミシュラがにやにやと微笑んでいるのに気づき、ロアートの目つきが険しくなった。


「馬鹿にしやがって!」

「してないよ」

「勝手に聴いてんじゃねぇっ」

「それは悪かったけど……公共の場で弾いてたんだから、覚悟の上じゃないの? あ、とっても素敵な演奏だったよ。びっくりした」


 ミシュラの言葉に追従するように、ルギが一歩前に出た。

 その瞳は朝日を受けた湖のように、清純な光で輝いている。


「うん、すごかった。綺麗な音だった……!」

「う……」

「もう一回聴きたい」

「っ!」


 純粋無垢なルギの圧。さすがのロアートも力づくでは振り払えないようだった。


「だ、誰が弾くかよ。大体こんな下手くそな……」

「へぇ、兄さん、上手になりたいの? だったら、ママに習ってみない?」

「はぁ!? いきなり、そんな、何言って……」


 悪態をつきながらも強く拒否されない。ロアートもこの提案に魅力を感じているのだろう。

 ミシュラは無邪気な振りをして、もっと誘惑することにした。

 屋敷の音楽室は完全防音だからいつでも弾けるし、楽譜もたくさんある。ミシュラの母ミレイヤのピアノの腕はプロの演奏家顔負けで、厳しくも的確な助言がもらえる。上達するには母に師事するのが一番の近道だ。


「そうすれば、俺もまた聴ける?」

「うん、ルギちゃんもいつでも聴きに行けて嬉しいよね」


 喜ぶルギに、戸惑うロアート。


「お、俺なんかがピアノ習ったって、何にもならないだろ……」

「どうして?」


 ルギが心底不思議そうに首を傾げている。ミシュラは「いいぞ、もっとやれ」という気持ちでそれを眺めていた。


「自分がすごく好きなこと、好きなだけやれたら楽しいんじゃないの? 演奏を聴いた人も幸せな気持ちになれる。何も悪いことないのに……俺、ロアートにはたくさん良い思いをしてほしい!」


 巻き戻し前の世界でロアートを殺めてしまったことを、ルギは気に病んでいる。今回の人生では幸せになってほしいと心から願っているようだ。

 しかしロアートからしたら、あまり話したことのない子どもから何故か熱烈に幸せを願われ、訳が分からないだろう。


 混乱がピークに達したのか、ルギを突き放すようにロアートは腕を振った。


「お、俺が真剣にピアノやったって、十年後には意味無くなるだろ! 俺は生贄になるんだ!」


 ロアートの心からの叫びに、ミシュラもルギも言葉を失くす。


「十年経って、ご当主様から役目を受け継いだら、ピアノに嫌われる! きっと指だって動かなくなる! それが分かっていてやる気になれるわけねぇよ!」


 お前のせいだ、と言わんばかりにロアートはミシュラを睨みつけた。

 自分が未来に夢を見られないのは全てルナーグ家の宿命を肩代わりさせられるから。中途半端にピアノに触れて、一時は楽しい気分を味わえても、そう遠くない未来に全て失う。それが耐えられない。


 ――そっか。だから、巻き戻し前の世界でも、兄さんはピアノを弾かなかったんだ……。


 そんな簡単なことも察してあげられなかった。

 ミシュラはロアートの絶望を知り、そして。


「大丈夫だよ。兄さんは、生贄にならなくていい。十年後も五十年後も、好きなだけピアノを弾いていられるよ」

「……は? てめぇ、何言って」

「だって、私が毒蛇の怪物を倒すから」


 自信満々に宣言すると、今度はロアートが言葉を失う番だった。


「私がパパと兄さんを助けて見せる。そのために私は強く生まれたの。そのための、魔法銀の心臓だから」


 ミシュラは倒れた椅子を直して、ピアノの前に座る。指を軽く解してから、先ほどロアートが弾いていた曲を演奏した。

 途切れることなく、滑らかに旋律が紡がれていく。一音ずつ丁寧に、母に教わった通りに弾いていく。


「……どう? ルギちゃんは、私と兄さんの演奏、どっちが好き? 正直に言って」


 キリの良いところまで弾き終えて、ルギに意見を求めた。演奏技術の差は明らかで、ロアートが悔しそうに奥歯を噛みしめている。

 ルギはとても言いづらそうだった。


「ミシュラの方が上手だ。……でも俺は、ロアートの演奏の方が好き」

「なっ!?」

「音が、キラキラしてるから」


 ルギの感受性の確かさに感謝しながら、ミシュラはピアノの鍵盤を撫でてため息を吐く。

 これも、自分に“心”がないからだろうか。音楽によって魔力が高まることもなく、演奏に人を感動させる熱が宿ることもない。

 いつからか母も熱心にピアノを教えてくれなくなった。上達すればするほど、足りないものが浮き彫りになるから。


「だよね。やっぱり、私には向いてないみたい。でも兄さんは違う。才能あるよ。音が違うもん」

「…………」


 ロアートは俯いてしまった。

 暗くなりかけた空気を払拭するようにミシュラは笑った。


「その代わり、私には戦いの才能がある。おじい様がくれた魔法で、十年以内に怪物を倒せるくらい強くなる。だから兄さんは、何も気にせずピアノを弾いて」


 どうか信じて。ミシュラのその言葉に、ロアートは顔をぐしゃぐしゃに歪めた。


「……信じられねぇよ、そんなの」


 そのままそっぽを向いて、ロアートは教会から出て行ってしまった。


「もう、面倒くさいな。素直になればいいのに」


 ロアートは一回もピアノを弾きたくないとは言わなかった。それが答えだ。

 信じてもらえないなら、信じさせてやる。そんな傲慢な考えを持ち、ミシュラは一計を講じることにした。






「明日ね、ササ村に魔物討伐に行くんだって。私たちもついて行かない?」


 数日後、ミシュラは相変わらず町で寝泊まりしているロアートを直撃し、強引に約束を取り付けた。

 突然のことに渋ってキレるロアートに、「魔物が怖いの?」と煽るだけの簡単な作業だった。


 ルナーグ家が治める領内にはルナリアの町の他、周囲に農村が点在している。

 そのうちの一つ、ササ村の近くで大型の魔物が目撃され、畑が荒らされたため、ルナーグ家が抱える私兵団が駆除することになったのだ。


 前回の人生では、ササ村での魔物討伐にはついて行かなかった。

 ただし、この討伐で私兵団と村人に怪我人が出たことははっきりと覚えている。思ったよりもずっと凶暴な魔物で、しかも複数体いたらしい。

 自分がついて行くことで被害を減らしたい。ミシュラは前々から討伐に同行するつもりでおり、ついでにロアートに自分の強さを見せつけようという魂胆である。


 当然両親も私兵団の者も「危険だ」と反対した。

 しかしミシュラは無邪気な笑顔で押し切った。


「私、魔狩人になりたいの。その勉強がしたい」


 初めて将来の夢を明かした娘に、父も母も驚いていた。


「だって、私じゃ鎮めの役もできないし、政略結婚も難しそうでしょ? お家の役に立つにはこれしかない」


 さらに猛反対されたが、「じゃあ今回ついて行って、無理そうなら諦める」と手のひらを返したことで、なんとか同行の許可を勝ち取った。


 なし崩しにロアートとルギの同行も認めてもらえた。

 ロアートが同行するという話はむしろ喜ばれた。十二歳の貴族の跡取りならば魔物狩りの訓練をしてもおかしくない。


「ルギくん、どうかミシュラが無茶をしないように見張っていてね」


 ルギに関しては、父自らミシュラのお目付け役を頼んでいた。ミシュラがルギのことを弟のように可愛がっているのを知っているので、抑止役を期待したのだろう。


 結局、ミシュラたちの護衛のために、私兵団の派遣人数が通常の倍になり、医療魔法士まで同行することになった。

 慢心もなく、数も十分。これで安全に魔物討伐ができる。


 ササ村までは馬車で移動する。

 ミシュラ、ルギ、ロアートの三人きりの馬車内は、気まずい空気が流れていた。それを払拭すべく、ミシュラはルギに話しかける。


「ルギちゃんは魔物を見るの初めてだよね」

「うん……多分」

「はっ、俺は見たことあるぜ。俺の住んでた町の近くにも出たことあるし」


 兄さんには聞いてないのに、と思いつつも、ミシュラは改めてルギに説明した。


「魔物はその名の通り、魔力が強い生き物のこと。長く生きるほど強くなって、上位個体だと魔法を使ってくることもあるの」

「危なくないの?」

「普段は大人しい種もいるんだけど、人里に近づいてきてるのはそれなりに危険かな。でも、団の皆は強いから大丈夫だよ。それに、今回は“奇色化”してない魔物が相手のはずだし」


 奇色化は魔力の過剰放出により、魔物の見た目の色が変わる現象である。

 分かりやすく言えば暴走状態。


「奇色化してると、自分が傷ついても怯まないし、体内の魔力が何倍も膨れ上がって、すごく狂暴になるんだよ。行動パターンも短絡的になって、周囲の生物を襲うの」


 奇色化の際の行動パターンは魔物によって違う。赤色を攻撃したり、女性だけを狙ったり、建物を壊すことに夢中になったり。

 とにかく暴れ回って大きな被害を出す。


「大昔は、奇色化した魔物のせいで滅んだ国があるくらい」

「……どうして奇色化しちゃうの?」

「さぁ? 原因は未だによく分かってないの。突然変異の病気みたいな感じ」


 人々にとって、魔物の奇色化は天変地異と同じなのである。

 備える以外の対策がない。


「魔物の被害が出ると、まず奇色化かどうかを疑う。奇色化だったらすぐに“魔狩人”――魔物討伐専門の魔法士を呼んで、違ったらまず地元の討伐部隊が駆除する。奇色化してなくても強い魔物はいるけどね」


 ミシュラは不安そうなルギに笑いかけ、ロアートに聞こえないように耳打ちする。


「大丈夫。ルギちゃんと兄さんのことは、絶対に私が守るから」


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