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短編・童話集

サンと山の神

掲載日:2023/01/21

 その子どもが現れたのは夏のことである。

 男はその日も山に入り、その地に住まう神に祈りを捧げていた。

 彼は農耕を行うことによって生計を立てていた。

 その合間を縫って、猟や川での漁、山菜収穫などを行う。

 生活はすべて山に支えられていた。

 だからこそ、山に感謝するのは当然のことだ、というのが彼の持論だった。


 酒や供物を山に捧げ、祈りを終えてから、男は山を降りだした。

 夕闇が迫ってきている。

 そうして足を動かしながら、ふと、子どものことを考えた。

 妻と結婚して、二年が経っていた。

 夫婦の営みを行っていないわけではない。

 だが、妻には妊娠する気配がない。

 別段急がずとも構わない。

 人生はまだ長いのだから。

 しかし、だからといって、時が止まるわけではない。

 若くして子どもを生んだ友人が、子を連れて遊びに来た時など、羨みの心があるのを男には否定できない。


「彼ら幼子の笑顔といったら……」


 その子を見つけたのは、男がそうつぶやいてすぐのことである。

 土手を越えた林の中に、少年が立っているのを見つけた。

 光を失いつつある山中のことである。

 男は慌てて子どもへ近づいた。


「ぼうや、どうしたんだい」


 子どもは答えなかった。

 ただ男をじっと見た。


「お父さんと一緒だったのか? それともお母さん?」


 子どもは何もいわず、ただ、首を降った。

 男は困り果てた。

 はて、どうしたものか。

 もっていたお菓子をやると子どもは喜んで食べたが、自分の身の上については何も語らなかった。

 いや、この子は何も知らないのだ。

 無邪気というより、どこか抜けてさえいるその笑顔を見ながら、男はそう考えていた。


 夕闇は近づいている。

 あたりにいるかもしれないこの子の親へ向けて、男は何度も大声をあげた。

 しかし反応はなかった。

 捨て置いていくわけにもいくまい。

 子どもの手をとり、男は山を下りた。



   ※※※



 家へ連れてきた最初のうちは、妻もあまりいい顔をしなかった。

 だが、数日暮らすうち、子どもの無邪気な笑顔に心を奪われた。


「いつまでもうちにいていいんだからね」


 そんなことまで口にするようになっていた。


 子どもの親は、結局見つからなかった。

 最悪の可能性を考慮し、明るくなってから男は何度も山へ戻った。

 谷や沢に落ちている可能性だってあったが、それらしいものは見つからなかった。

 男の村にも、行方不明になった子どもは居ないそうだった。


 どこへ連れて行くわけにも行かず、さりとて役人に引き渡す気も起きず、男はずるずると子どもと生活を共にした。

 相変わらず会話らしい会話も出来ない子であったが、行動からは優しさが伝わってきた。

 それに、一度言い含めれば言いつけを破ることはない。

 言葉を発さないだけで、決して頭が悪いわけではなさそうだ。

 無口だが、こんな子どもだって、いたって構わないだろう。


 よく男は、家の裏山に入り子どもと二人で遊んでいた。

 やがて男は彼のことを自らの子と思うようになった。

 出会って二ヶ月、彼は子どもにサンと名前をつけた。



   ※※※



 サンとの生活が急に終わりを告げたのは、それから一月も経たないある日のことだった。


 男に、隣町から友人がやってきた。

 男は、もらいっ子だが子どもを育てている、そんな話をしながらサンをみせた。

 友人は喜び、サンを抱き上げたが、その前に一瞬見せた訝しげな顔を男は見逃さなかった。

 そういう顔は滅多にしない友人なのだ。


 その日の夜のこと、サンが寝付いた後に男は友人に聞いてみた。


「さっきの、どういうことだい」


「さっきのって?」


「あの子を見たときのお前の顔だよ。あの子の身の上は特殊だ。お前、何か知っているんじゃないのか」


 友人はすぐには答えなかった。

 夕方から突如としてひどい雨が降っていた。

 やがて出て来た友人の声を掻き消すかのような雨音だった。


「あの子がどういう子なのか、俺は知らん。知っているのは……おい、あんた、あの子は早く放り出した方がいい。悪いことはいわねえから」


「どうして」


「あの子は俺たちの町にもいたことがある。あんたと同じ様な気のいい人が育てだしたんだ。だけどな、そのせいで、その人は家を失っちまった」


「どういうことだ?」


「そのままの意味さ。あの子が家に火をつけたのさ。家財道具は無事だったが、家は燃えちまって何も残っていない。本当さ」



  ※※※



 男は絶句した。

 そのとき、パチパチ、と火がはぜるような男がどこかから聞こえてきた。


 やがて、サンと眠っていたはずの妻の叫びが聞こえた。

 男と友人は自室を出た。

 するとそこへ妻が転げるようにして現れた。


「あなた、サンがいつのまにか火をいじっていて……」


「どうしてちゃんと見てなかった、馬鹿!」


「いいや、奥さんのせいじゃないよ。あの子はそうなんだ。そういう癖がついているんだ。……あの火を消し止めるのはもう無理だ。早く、大事なものだけでも家の外へ」


「サンは? サンはどうした」


「それが、すぐにどこかへ消えてしまって」


「あの子は大丈夫さ。前もそうだった」


 炎はすでに天井に達していた。

 火元は台所のようだったから、幸いにして主要な財産まで距離があった。

 友人の協力を得て一通り運び出したあと、サンを探したが、やはりその姿はなかった。

 外の大雨でずぶぬれになりながら、男はみじめな気分を味わっていた。


 あの子を連れてこなければよかったのだろうか。

 立ち尽くす男の後ろから、轟音が響いてきた。

 その音は家の裏の山の上から聞こえてくるようだった。 



   ※※※



 新たな家を作るのは骨が折れたが、それでも、生活が破滅してしまうほどのものではなかった。

 サンは結局見つからなかった。

 かつて家があった場所に遺体があるのかどうかも、いまとなってはわからない。


 焼け跡は、すべて、土砂で埋まっていた。

 あの夜のことだ。

 自分たちが財産を運び出し家を出てすぐ、裏山で土砂崩れが起こったのだ。

 男の家は、火がついたまま、土や砂や木々の破片に飲み込まれた。

 中にいたらどう考えても助かっていなかった。


 そうだ、火がつかなかったら自分たちは逃げなかった。

 サンは、俺たちを助けてくれたんだ。

 友人は人がよすぎると笑ったが、男と妻はそう信じていた。


 夏を終え、秋になると、男はまた山へと祈りを捧げにいった。

 家を破壊されたものの、山は依然として大きな恵みを男に与えていた。

 大きな木の根元に、酒と供物、そしてお菓子を置く。

 お菓子はサンの分である。

 そして、山の神とサンへ祈りを捧げる。

 半分はかつてと同様の祈り、半分は供養のつもりだったが、ふと、男は気がついた。


 そういえば、あの日サンと出会ったのも、こうして祈りをささげた帰り道のことだった。

 もしかすると、山の神とサンとは、同じものだったのかな。

 あの無邪気な笑顔は神様にも似ていた。

 サンの笑顔を思い出しながら、男は山を降りていった。

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