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「……その、どなたかしら?」
「うぇ!?」
青年はズコッとこけて、驚きの意を表明した。
「うぅ……この流れでその質問を繰り返すのか。天然か?」
「不審者ですもの、当然の反応です」
「あーはいはい正論だね、すごく痛い。分かった、答えよう。僕はフェアリーゴッドマザーのようなお人の弟子だ。ゴッドマザーの代わりに、君に魔法をかけに来た」
「フェアリーゴッドマザーの……お弟子さん?」
青年は部屋をあっちこっち動き回って、あまり意味の無さそうな身振り手振りを交えて説明を続ける。
「簡単なことだよ。物語の方ではお構いなしだけど、現実の魔女は人畜有害の象徴だからね。師匠は幸福を振りまく存在として、自分はあまり適切でないとお考えになった。もう一つは、歳かな」
「歳、ですか……」
「もうかなりいってるから、遠出は体に堪えるみたいでね。そういう理由で、僕が代わりにここに来たのさ」
そこまで語って満足したのか、青年はチラッとシンデレラを見た。彼女の怪訝な表情を見て、驚いたに違いない。
「えっと…何か不満かな?」
「いえ、不満なのではなく……私が伺いたいのは、あなたが何をしにここに来たのか、ですので」
「なんだそんなことか。さっきも言ったろ? フェアリーゴッドマザーの代わりだよ」
青年は懐から杖を取り出して、シンデレラをピッと差した。
「分かるね、シンデレラ? 僕の言っている意味」
「……っ、でも、もう時間が過ぎてしまった」
シンデレラは俯いて、弱々しく返した。けれども青年はお構いなしに、シンデレラに詰め寄った。
「何を言ってるんだ! これは童話じゃない、現実だ。そう思い通りにいくはずがないじゃないか。その証拠に、君の二人の義姉はすっごい美人だ。王子だってオトせるほどにね。既に『灰かぶり姫』と違っているだろう? でも、だからなんだ!」
青年は意気揚々と続ける。
「君の方が美しいだろう! 容姿も、心もだ!」
「………っ!?」
なんとなく恥ずかしくなって、シンデレラは目を背けた。
「十二時を過ぎただけであって、パーティはまだ続いている。舞踏会じゃないけど、まだ終わっていないんだ」
青年は優しく語りかける。シンデレラは俯いたまま、耳を傾けている。
不意に、青年はシンデレラの元に歩み寄って、グイッと顔を寄せた。シンデレラは思わずのけぞって、背後のテーブルに手をついた。
「どうして躊躇うことがある? いや、分かっているよ、シンデレラ。君に足りないのは勇気だ。ああなりたいこうなりたいと思っていたけど、いざそれが目の前に現れて足がすくんでしまっている。よくあることだ。でもね」
青年はひざまづいて、手を差し出した。
「僕の手を取って、シンデレラ。そうすれば君はお城に行って、間違いなく幸せになれる」
真っ直ぐな瞳だった。ここいらではあまり見ない青白い瞳に、思わず吸い込まれそうだった。
シンデレラは震えた声で、弱く返す。
「……わ、私は、本物のシンデレラではないわ」
「だからなんだ。幸せになる権利は、シンデレラにも君にも平等にある」
「で、でも……自信がない。シンデレラのようにはなれない」
「いーや違うね、そもそもシンデレラのようになる必要はない。それに、君はもっと自信を持って良い。さっきも言ったけど、君はとても美人だからね」
「………」
また恥ずかしくなった。なんとなく頬が熱くなって、でも、改めて青年の目を真っ直ぐ見た。
「私はただ、今の生活から抜け出したいだけ」
「十分だ。だからこそ、君は行くべきだ」
「私は……幸せになっていいのかしら」
「さっきも言ったろう? 幸せになる権利は、皆に平等にある」
そこからシンデレラはしばらく黙って、一人で考え込んでいた。あるのはただの葛藤だ。青年が言った通り、夢に思っていたことが突然現実に現れて怯えている。加えて、私は本当にシンデレラのようになれるのだろうか、もしかしたら騙されているのではないかと、青年を疑ってもいる。
(………関係ないわ)
嘘でもいい。詐欺でもいい。失うものは何もない。
シンデレラは不意に顔を上げて、突然青年の手を取った。
「『魔法使い』さん」
シンデレラは青年の手を強く握り、力強く言う。
「私に、とびきり素敵なドレスを見繕ってちょうだい」
青年は待ってましたと言わんばかりの笑みをこぼした。
「ああ、任せておきなさい!」
※
「ええっと……」
場所は園庭。見ず知らずの男を勝手に土地に入れていると義母に知られれば絶対怒られたろうが、当の義母たちが不在なので問題なし。目の前にはシンデレラが一生懸命直した馬車がある。魔法使いの青年はそのすぐそばで、難しそうな表情をしていた。
「私は一体何をすれば……?」
「そこでじっとしていてくれればいい。僕も初めてだから、少し緊張する」
青年は杖を構えた姿勢のまましばらく硬直していた。シンデレラは言われた通りじっと突っ立っていたが、青年があまりに長い間何もしないものだから、段々と困惑の色を滲ませていた。
「…………よぉおおし! いくよ!」
「は、はいっ!?」
突然大きな声を出した青年にびっくりして、思わず背筋が伸びた。青年は杖を振りかぶり、
「ビビデバビデ、ブー!」
そう唱えて、シンデレラに向かって杖を振った。
「わっ」
杖の先からキラキラと輝く粒子が放たれ、シンデレラにまとわりついた。光の粒は青年が杖を振るたびにどんどん量を増し、やがて全身を覆った。
「どんどんいくぞぉ!」
青年は杖の先をくるくると回す。それと連動して、光の粒が足下の方から実体化していき、やがて透き通るような、ほんのり茜色をした美しいドレスが出来上がった。
「す、すごい……キレイ……」
思わず見惚れる。よく見る青白のドレスではなく、ちょっと赤みがかった色なのは、シンデレラの赤毛に合わせてのことなのだろう。
シンデレラはキラキラと輝いた目で青年を見ている。
「魔法使いさん、本物の魔法使いだったんですね……!」
「信じてなかったの!?」
「ついさっきまで疑っていました……!」
「あ、そう……信じてもらえてよかったよ……ちなみにドレスはどう? ガラス製でね、色々配慮したつもりなんだけど」
「肌触りが独特で、ええ、とても素敵です。ただ……ちょっと、大胆すぎる気が……」
胸に手を当てて言う。シンデレラのドレスは、胸元が大胆に開いていた。
「ああそれね、僕の趣味ではないんだけど、最近の流行らしいんだ。お城のパーティだから、そういうのを無視するわけにはいかない」
「な、なるほど……」
そういえばクリティアのドレスは肩が出ていて、裾も短かった。アザレアのドレスも、一瞬しか見てないが、いつもより肌面積が多かった気がする。
「まあシンデレラのデカいし、王子を骨抜きにしてしまうといいよ」
「……最低です」
「あー、これは失礼した」
青年は気を取り直し、再び杖を振りかぶる。
「次は馬車だ。そーれっ!」
シンデレラのドレスと同じ要領で、今度は馬車を飾り付けていく。シンデレラが知る「灰かぶり姫」では乗り物はカボチャだが、此度乗るのはガラスで装飾された馬車そのままになるようだ。
屋根から噴水のように煌めくガラスがニョキニョキと伸びて、いかにもな形に変形していく。車輪は一段と大きくなり、車体全体には宝石のように輝くガラスが散りばめられていく。
「はい、シンデレラ。これは君に欠かせないだろう?」
そう言うと、青年はシンデレラの足元にガラス製の靴を置いた。シンデレラはボロボロの靴を脱いで、そのガラスの靴に履き替えた。
「さあ、準備完了だ」
そう言って手を差し出し、青年はシンデレラを馬車に乗せた。そしてまた杖を振って、今度は馬のような形のガラスを作り出し、馬車にくっつけた。
「あ、あの、何か手伝いましょうか? 馬の騎乗くらいならできますが……」
「ホントに? すごいね。でも大丈夫、僕お手製の馬だから、操るのは簡単なんだ。それに、馬を操るレディっていうのはちょっとアグレッシブ過ぎるしね」
暗に大人しくしてなさいと言われた気がして、シンデレラはしゅんとしていた。そんな様子には全く気付かずに、青年は高らかに声を出す。
「さあさあ、夢に見た幸福は眼前だ! 準備はいいかい?」
「……ええ」
青年はニッと笑った。
「よーし、出発だぁ!」
杖を振って、勢いよく馬を走り出させた。
馬車が大きく揺れ、どんどんボロ小屋を後方に置いていき、城を目指していく。
シンデレラの心臓は、これまでにないほどに、大きく高鳴っていた。