【序】詩論
#ストリートピアノ #超絶ジャズ #StevieWonder
【ストリートピアノ】日本人のサックスプロと「イズント・シー・ラブリー(ノリノリジャズ)」をガチで共演したら、道が大喝采!by Jacob Koller
を 聴きながら
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……詩をまた綴り始めること……に決めまし て……いえ、 周りの熱に 触発され て……(いえ、勝手に熱を煽られてともいえる)……私は、……その時期ごとに、詩作スタイルを変えていく……という創作スタイルとテーマを練り上げつつ突き進む……というタイプ……なのですが……、折角ですから、そこも詩作と合わせて行っていこうかしら……と、思いまして……中途半端に目が覚めてしまい今夜はもう眠れそうにもありませんし、……早速綴ることを 始めてしまいましょう
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……真面目に取り組んでいた詩作を最後に終えたのは、いつだったか……は、すっかり忘れ去っておりました……が、過去の時をさぐってみると、私の中で詩を止めた時期が、他サイトで書いた 2019-12-20 00:16:02 ……の、【身体 感覚】という詩作で停滞しており……折角ですから、その当時の詩作テーマとスタイル(身体の感覚を文字に起こす詩作スタイル)で、その作品からまた始めてみようとしているところ です ね
……ご興味がお有りの方は皆無なように思えますが……、……このような感じで どうぞ宜しくお願い致します ……序 と置いて、私の詩論から先に 失礼致します
【序】
【詩論】
詩は、情緒の穴である。 端的に言い換えれば、詩とは、ハーモニーである。 ゆらぎである。 感応することであり、掘り起こすことである。 詩は、情緒の穴である。 つまりは、そこにこそ、詩の存在意義があり、そこにこそ、詩は息づいている。 息を放っている。 眼差しがあり、詩の生がある。 喩えるなら、詩は、殺されやすい繊細な砂糖菓子のようなものである。 口に含めば味合うまでもなく、はかなくふくらみ、煮溶けてしまう。 詩は、殺されやすい、繊細な心の触れをゆらぎをそっと固めたものである。 感応することでしか、それをほどくことは難しいだろう。 詩は、学ぶものではない。 フィーリングで伝わるものだ。 私に あなたに 私の心に あなたの魂に ゆらぎ 感応する。 詩は、情緒の穴である。 ひとたびその魅力にとりつかれれば、人は、その永遠の宇宙の穴へと吸い込まれていくだろう。 すなわち、情緒の穴という魅力的な魂の感応の先へ。 想像というイメージという魅力的で終わりのない感応の先へ。 そこにこそ、詩の生があり、つまり端的に申すならば、詩をあなたが殺したくないのならば、その情緒の穴に身を投げ出すべきなのである。 詩が息づくそこへ。
イメージに終わりは無いように、世界があなたが満たされても尚、不思議がそこに満ちるなら 情緒の穴に身を投げ出す先に終わりはない。 そこに広がる果てないイメージの本流は、きっと絶え間なく続くだろう。 詩は、そのような殺されやすく、ある特定の間にしか潜めない息づくことの出来ない繊細なそれなのだから。自由な解釈で満たされるもの 詩は、情緒の穴である。