信じることは難しいと知る
目まぐるしく毎日が過ぎていく。
ダリアと話したこともあって、とりあえず現実逃避することをやめた。何をしようと、今のわたくしはこの国の王女で、三人の兄たちは微妙なのは変わらないから。意気込みがあるわけではないけど、やるべきことはした方がいいという程度のもの。
ゴドフリーにどんなことをすべきかを相談すれば、女性貴族の集まりやすい観劇や茶会の他に、国の政策を自由に話しているサロン、事務棟、騎士団と城にあるあらゆる機関へ連れていかれた。国王に溺愛されている王女ということで、最初はあまり歓迎されていなかったけど、ゴドフリーが間に入ることで極端に嫌われることはなかった。ただ騎士団については――変な盛り上がりがあった。ゲイブリエルがニヤニヤしていたから、兄が何かしたのだろう。
政治など今まで一度も意識したことはなかったけれども、疑問に思うことに説明を求めれば面白いほど説明してくれる。専門家がわかりやすい言葉で説明すれば、それはそれで面白く聞こえてくる。
しかも、前世を思い出す前のわたくしは暢気な愛され王女だったけれども、今は前世で必死に働いていた記憶がある。少し前の自分の能天気さを思い出し、思わずため息が零れる。
「どうした?」
隣を歩くゴドフリーはわたくしのため息に気が付いたようだ。
「今まで無関心すぎたなと思って」
「それは仕方がない。殿下はそういうつもりがなかったのだから」
「そうね。難しいことなんて何も考えずにいたかったわ」
そうぼやけば、ゴドフリーは小さく笑った。
「私はそういう殿下が好きだ。とても優しい」
「優しいなんて、はじめて言われたわね」
何も考えていない天真爛漫な王女様、というのがわたくしの世間一般から見える姿だ。実際そうだったから、何も文句はないのだけど。
「優しいですよ。国なんて放置してもいいんです。殿下の立場なら許される」
「それって、どちらかのお異母兄さまが国王になるということでしょう? 不安でしかないわ」
「それでも何とかなります。そのための臣下ですから」
ゴドフリーは優しい逃げ道を用意してくれる。
理不尽な上司を持った部下の気持ちはよくわかる。だからこそ、その道は選ばない。あの異母兄はどちらもクズな上司にしかならないのだから。
見過ごせない現実に、泣きたくなる。そもそもわたくしは難しいことを考えられるタイプではないのだ。もっと楽な人生を生きたい。
「逃げてしまいたい」
「それは良い。どこに行きたい?」
「……例えば、海の近くの隠れ家とか」
適当なことを言えば、彼は声を立てずに笑った。
「では、とても可愛らしい屋敷を探してこよう。気が済むまで、ゆっくりすればいい」
空想に遊ばせた心に寄り添った言葉を告げられて。
「駄目とは言わないの?」
「やりたいようにすればいい。それを叶えるのが私の役割だから」
塩対応じゃないゴドフリーは最強だった。
◆
彼の微笑みと甘さにくらくらして、ゴドフリーに適当なことを言って逃げ出した。自室に戻り、クッションを抱えて悶々とする。
確かに好きだの愛しているだの、情熱的な言葉は沢山もらっていた。それはとてもあからさまなものだったから、あまり気にならなかった。なのに、逃げ出したい気持ちに寄り添った言葉を貰うと、急激に恥ずかしくなってしまった。
背が高く、顔は好み、仕事が出来て、その上溺愛系だなんて!
確かに口説けとは言ったけど、恋愛初心者には強烈すぎる。
「お茶をどうぞ」
侍女がハーブティーを差し出した。
「ねえ、ちょっと聞いてもいい?」
「なんでしょうか?」
「ゴドフリー、変わり過ぎじゃない?」
気になっていることを、侍女に聞いてみた。一人で考えるから、悶々とするわけで、実は恋愛初心者のわたくしが知らないだけでごく一般なのかもしれない。
「確かに人が変わったように感じます。クリスティーン様が信じきれない気持ちはわからなくもないです」
「やっぱり人が変わったように思える?」
「他の方と違って、わたしはクリスティーン様の側で見てきましたから」
「そうよね。婚約者候補を撤回されそうになって、気になり始めたとか言い出したのよね」
その割にはすぐに愛を五時間は語れると言い始めるし。わたくしのことをよく見ているようなことも言ってくるし。
うーんと唸りながら、カップに手を伸ばした。
「行儀が悪いです。せめてクッションを脇においてください」
「たまにはいいじゃない」
「いけません」
侍女はわざとらしくため息をついた。そんな彼女を上目遣いで見て、そっとクッションを横に置く。
「最初からそうしてくださいませ。もしかしたら女王になるかもしれないのですから」
「女王もどうしようかしらね。ゴドフリーにしてみたら、どちらでもいいみたいな感じだったけど」
ため息交じりにぼやけば、侍女は大きく頷いた。
「以前のクリスティーン様でしたら引き受けないでしょうね」
「そう?」
「ええ。難しいことはしたくないというのがクリスティーン様じゃありませんか」
「そう言われれば」
前世の記憶が戻った後も楽しく幸せになりたいと思っていた。
女王なんてなりたくない。
今だってそう思っている。
「わたくし、どうして女王なんて考えるようになったのかしら?」
その不自然なほどの気持ちの変化に、自分自身で驚く。
わたくしが女王にならなくてはいけないのは、仕方がないことだと思っていた。現実を知って、このままではいけないと思って。
それに、隣にゴドフリーがいるのなら大丈夫じゃないかという安心感もある。
「ゴドフリー様の愛が大きいんでしょう」
ゴドフリー。
塩対応公爵だった彼。
それがドン引きしてしまうほど、甘々に変わった。
それってわたくしが前世の記憶を取り戻したから?
ゲイブリエルは確かに何かに操られているような感じはあった。塩対応だったのは物語の強制力で。激甘になったから物語ではなくなったと思っていたけれども。
次から次へと答えのない疑問が湧き出てくる。
わたくしだって、この世界、この物語の登場人物だ。「クリスティーン」が生まれた理由だって知っている。
与えられたストーリーに沿うように、ゴドフリーもわたくしも気持ちが変化しているというのなら。
わたくしのこの気持ちは何だろう。