塩対応公爵に口説かれる
どうしたことだろう。
わたくしをエスコートする男をまじまじと見上げた。朝からこの顔を見るとは思っていなかった。
朝よ、朝!
今までは夜会に参加する時にエスコートしてくれるぐらいだったのに。何故、朝食を取りに食堂に向かっているだけなのに彼にエスコートされているの。
「どうかした?」
「何故、わたくしはあなたにエスコートされているのかと思って」
「陛下に今までのことを謝罪し、これから全身全霊を込めてクリスティーン殿下に愛を捧げると説明したからかな」
「……お父さまがよく許可したわね」
だってここ、王族の居住区。許可がないと立ち入りできない場所。
朝の支度を終えて、食堂に向かおうとしたときに扉からグレンフェル公爵が一輪の花を持って現れた。
正直、びっくりした。寝過ごしたかと思ったわ。
「私の胸に秘めた思いを二時間ほど語ったら、ご理解いただけた」
「二時間」
「あと三時間ほどは語れる。もし興味があるなら、朝食の後にでも」
「結構よ」
引きつった顔で断りを入れれば、残念そうに眉尻を下げた。
「では、次の機会に」
そういう機会は多分ないと思う。曖昧に頷き、話題を変えた。
「ところでグレンフェル公爵は」
「ゴドフリーと」
「はい?」
言い切らないうちに、被せてきた。グレンフェル公爵は立ち止まると、わたくしの両手を握った。大きな手に包み込まれて、どきりとしてしまう。しかも真面目な顔をしてわたくしを見つめてくる。目が合わせられなくて、そっと彼の胸元に落とした。
「ゴドフリーと呼んでほしい」
それって、ファーストネームよね?
え、いきなりそこまで距離を縮めるの?
目を白黒させていれば、わたくしの両手を持ち上げ、手のひらに口づけをする。
手のひら。
手のひら。
え、手のひら!?
前世で培った同人作家としての知識が、頭の中をざああああ、と流れた。
キスはロマンスには欠かせない要素で、キスする場所で気持ちを表すのよ。言葉にしないけど、態度で気持ちを表現したいじゃない。文章にしてもイラストにしても映えるしね。
指先なら称賛や感謝、手の甲なら敬愛、そして手のひらは相手への懇願。
そして、彼が口づけているのはわたくしの手のひら。しかも、唇を触れたまま薄く目を開いてこちらを見つめてくるのだから、恐ろしいほどの色気が降り注いでくる。神絵師が性癖を注ぎ込んで作り上げたキャラだけあって、目が潰れるほどのイケメンだ。
何やってくれているの。朝から浴びていい色気じゃないわよ。顔が赤くなるのを抑えきれないじゃない。
グレンフェル公爵ならわたくしへのキスは手の甲にするのが正しいでしょう?
「グレンフェル公爵」
「ゴドフリー」
まだ言うのか!
うききききー! と心の中で金切り声を上げていれば、彼は目を細めた。
「名前を呼んでくれるまで、懇願しよう。そうだな、殿下への愛も一緒に」
「ゴドフリー」
五時間も聞かされるのは冗談じゃない。あっさりと彼の名前を呼べば、手は解放された。
「残念」
「……変わり過ぎよ」
「抑えるのをやめただけだから、変わったわけではない」
それはそれで微妙な気持ちになる。いつから思ってくれたのかわからないが、成人前であれば世間で言われているような趣味になってしまうし、婚約者候補となってからということであれば、あの塩対応はどういうことだと言いたくなる。
どちらにしろ文句しか出てこないのだから、と口をつぐんだ。
ゴドフリーは再びわたくしの手を取ると歩き始めた。
「朝食が終わったら、少しお付き合いしていただいても?」
「そのつもりでわたくしの予定も組んでいるのでしょう?」
素直に返事をしたくなくて、ひねくれた言い方をした。ゴドフリーは小さく笑った。
「この程度で拗ねるなんて可愛いな」
「……わたくし、拗ねていませんけど」
「そういうことにしよう。では、食事の後に」
「ゴドフリー、食事は?」
つい聞いてしまった。驚いたような顔を一瞬したが、すぐにとろけるような笑みになる。なかなか刺激の強い笑だ。
「もう済ませてある。サロンで待っている」
待たせるのだから、サロンまでお茶を運ばせよう。
◆
食堂に入れば、二番目兄、デニスお異母兄さまがけだるそうな様子で座っていた。白いシャツを一枚羽織り、ボタンは真ん中二つぐらいしか止まっていない。緩いウェーブのかかった長い金髪は雑にまとめられていた。服ぐらいちゃんと着ろと言いたくなるほどのだらしなさだ。しかも見えている胸板には赤い痕がいくつか散らばっている。
今までは気が付かなかったが、そういうことだ。きっと昨夜もお楽しみだったのだろう。
この風紀に乱れた半分血のつながっている男と同じ空間にいることが苦痛。これなら、部屋で食事をとればよかったと後悔する。
ちらりとテーブルの上を確認すれば、お茶の入ったカップが置いてあった。すでに食後ということにほっとしながら、挨拶をする。
「デニスお異母兄さま、おはようございます」
「やあ、クリスティーン」
マナーがなっていない態度にイラッとしたが、澄ました顔で席に着く。なるべく早く食べ終わりたい。見苦しくない程度のスピードで食事を終わりにしよう。そう決めて、スプーンを手に取った。
「そうだ、食堂に来る前に公爵に会ったよ」
「左様ですか」
会話をするつもりはないので、流す。だが、それはわたくしの思いであって、デニスお異母兄さまは違ったらしい。普段は挨拶をしてもスルーする癖に、今朝に限って、ニヤニヤしながら行儀悪く肘をテーブルについて身を乗り出した。距離があるから、迫られているわけではない。だけど、不愉快だ。
「なあ、あの鉄面皮に何を言ったんだ? こっちまでやってくるなんて初めてじゃないか?」
「特別おかしなことは言っていませんわ。ただ婚約者候補を白紙にしたいとお父さまに言っただけです」
「へえ! それなら、あいつも慌てるだろうな」
うくくく、と楽しげに笑うのを見て、げんなりした。料理を味わうのを諦め、早く食事が終わるようにせっせと口に運ぶ。デニスお異母兄さまは拒絶の空気を振り撒くわたくしのことを気にすることもなく、さらに聞いてくる。
「五、六年前になるが、あいつに婚約者がいたこと、知っているか?」
婚約者?
思わず手が止まった。わたくしの興味を引いたのが嬉しかったのか、デニスお異母兄さまは得意気になって続ける。
「すごく溺愛していたらしいぞ。侯爵令嬢だったはずだ。黒髪の美しい令嬢だったと聞いている。婚約破棄と聞いたが、理由は何だったかな?」
肝心なところを覚えていないのか、うーんと考え込んでしまう。だが、ひとしきり考えても思い出せなかったのか、首を左右に振った。
「まあ、気になるなら本人に聞いてみたらいい」
「……どうしてそんなことをわたくしに?」
「ん? 一度、壊れかかった方が上手くいくかもしれないだろう? 雨降って地固まるっていうしな」
「心配してくださっているということですか」
ピンと来なかったけど、わたくしのことを心配しているということなのだろう。その割には今更のような古い話を持ち出している。すでに数年前の話で、わたくしにしたらそういう過去があったのか程度の話でしかないのに。
「心配はほんの少しだな。トラブった方が見ている方が面白いじゃないか。あとは、そうだな、クリスティーンも可愛くなろうとするかと思って。女は綺麗なだけじゃダメなんだよ。愛嬌がないとね。一緒にいてもつまらないし、肩が凝って仕方がない」
あまりの言い分に、呆気にとられた。
デニスお異母兄さまはこちらのことを気にすることなく、男を立てるような女性でないと、などと好き勝手なことを言っている。
無視だ、と言い聞かせていても、耳からは垂れ流しの害悪が入ってきて。
わたくしに止めを刺した。
「ああ、でも。お前が可愛い振る舞いをしても気持ち悪いだけか」
付き合っている令嬢達に刺されてしまえ!
手に持っていたスプーンを投げつけない自分を褒めてあげたい。