この婚約破棄、知っている!
「ダリア・ヘイル侯爵令嬢! 貴様との婚約を破棄する!」
「殿下、突然何をおっしゃいますの?」
唐突に始まった騒動に、物色していた沢山の料理から声のしている方へと顔を向けた。
王家主催の夜会会場となった大広間は城の中でも一番の大きさを誇る。当然この大広間を使うということは、年に数回しかないほど大きな規模の夜会。
王家主催ということで、沢山の貴族たちが着飾って参加する。見ているだけでも華やかさが感じられる、それはそれは楽しみな夜会の一つだ。
なのに、そんな華やかな空気を凍らせるほどの会話が先ほどから続いている。気のせいだろうと、できる限り無視をしていたけど、騒々しい会話は嫌でも耳に入ってしまう。誰か早く摘み出さないかしら、と他人事のように考えながら、テーブルの上に並ぶ料理を物色した。
今夜はとてもお金をかけているようで、肉の種類が多い。この国では手に入りにくい肉も数種類、さらには市場に出回らない魔物肉までもある。
どれもこれも美味しそうで、選びきれない。
「どうしよう……やっぱり珍しいお肉からがいいかしら?」
「こちらは北国しか生息しない鳥型の魔物肉だそうですよ。ソースはベリー系ですね」
「じゃあ、それから頂くわ。あと、そちらの三種類もお願いね」
「クリスティーン様、流石に食べ過ぎでは?」
伯爵令嬢として正装した侍女がいつも通り小さな声で注意してきた。折角の夜会なのだから仕事を忘れればいいのにと思いつつ、手をひらひらとさせた。
「大丈夫、大丈夫。この後たっぷり踊るつもりだから」
「……先日の夜会ではそう言いながら、一度も踊りませんでしたが?」
「そうだったかしら?」
「そうでございます。公爵閣下との距離を縮める機会でしたのに」
公爵閣下、と聞いて、切なくなる。グレンフェル公爵はわたくしの八歳年上、まだ候補の段階だけれども、ほぼ婚約者。成人した三年前、候補になってから何度か顔合わせの茶会もしたけれど、興味がないのか、会話が成立しない。それに、先日の夜会ではわたくしがいるのをわかっていて、無視されたような気がしたのだ。
小さく息を吐く。確かに二人の結婚は周囲の望んだものだけども、もっと優しくしてくれてもいいと思う。本当に彼と結婚してやっていけるのだろうか。
「思い出したら、辛くなってきたわ」
「塩対応公爵ですから、徐々にですよ。あ、肉ばかりではなく、ちゃんと野菜も取ってください」
そう言いながら、彼女はわたくしの皿の上にこんもりと大量のサラダを載せた。肉よりもはるかに多めの野菜に気分はだだ下がりだ。珍しい肉料理が沢山あるのに、サラダなんて食べていたらすぐにお腹がいっぱいになってしまう。
「夜会なんだから、好きなものだけ食べてもいいじゃない」
「いけません。肉ばかり食べるなんて、見栄えが悪すぎます」
見栄え、と言われて、大丈夫じゃないかなと思ってしまう。
わたくしは王族の唯一の王女で、見た目は「これぞ王族」。ふわっとした儚げな顔立ちはお母さまに似ていて、はちみつ色の金の髪と赤みのかかった金の瞳は王族の印。
側室にもかかわらず、寵姫になっているお母さまによく似た容姿だもの。大抵の男性はうっとりと見入ってくる。まあ、婚約者候補である公爵には少しも褒めてもらったことはないけど。
侍女を懐柔するために、にっこりと笑う。
「ちゃんと儚げに食べるから、あと五枚ほど追加してちょうだい」
「追加するのは一枚だけです」
「じゃあ、四枚」
「……二枚」
侍女の圧力に負けて、渋々二枚で頷いた。侍女はささっと二枚だけ、しかも端の小さいサイズをお皿に載せる。
「ひ、ひどいわ」
「ひどくありません。さあ、あちらに」
侍女がホールの隅に準備されている休憩スペースへと促そうとした。だが、その声は大音量でかき消された。侍女と顔を見合わせて、騒動の中心へと目を向ける。
「まだ摘み出されていなかったの?」
「警備を呼びましょう」
「そうね、お願い」
興味なく見ていたけれども、ちょっとした隙間から見てはいけない人を見た。自分と同じ髪色を何度か確認するが、やっぱり色は変わらない。
「あー……これは見て見ぬふりをした方がよさそう」
「クリスティーン様?」
「だって、あの中心にいるの、お異母兄さまだわ」
珍しいことに侍女が大きく目を見開いた。
「冗談でしょうか?」
「いいえ? ほら、耳を澄ませて」
侍女は信じられないと言わんばかりの顔をしていたが、聞こえる会話に顔色を悪くする。
「とぼけるつもりか! 貴様のその腐った性根は万死に値する!」
「話を聞いてくださいまし!」
侍女はしばらく放心していたが、すぐに顔をわたくしの方へと向けた。
「これはクリスティーン様しかお止めできないのでは?」
「なんであんな痴話げんかに突撃しなくてはいけないの。絶対にイヤ」
年下の、しかも異母妹が間に入ったことで騒動は収まるどころか、大きくなる可能性もある。
「わたくし、王妃様に嫌われているから、余計なことはしないことにしているの」
「いい心がけだ」
後ろから声が聞こえた。振り返れば、そこには双子の兄であるゲイブリエルがいる。ゲイブリエルはわたくしと双子なのに、似ているところは色合いだけだ。彼は父親である国王譲りのがっちりとした逞しい体をしていた。しかも鍛えているものだから、礼服の上からでもその逞しさは隠しきれない。
「ゲイブリエル」
ゲイブリエルはひょいっとわたくしの皿から肉を攫うと、口の中に入れてしまう。
「あ! 肉を食べるなんてひどい!」
「さっさと食べないのが悪い。この後、食べられる時間が取れそうにないから今すぐ食べてしまった方がいいぞ」
「どうして?」
「どうしてって、あそこでやらかしているのは王太子の異母兄上。さて、この会場にいる王族は誰がいる?」
ゲイブリエルはわたくしの皿の上からひょいひょいと肉を摘み、どんどん口の中に入れていく。その早業はとてもじゃないけど王族らしからぬマナーであったが、それでも上品に見えるのだから不思議だ。
時折、わたくしの口にも野菜を突っ込んでくるのがいただけない。野菜じゃなくて、肉が欲しいのよ。とはいえ、口に入ったものを出すわけにはいかないから、必死に咀嚼する。視線で説明を求めれば、ニヤニヤしながら教えてくれた。
「いいか、頭のねじが吹っ飛んでいる異母兄上がああやって騒動を起こせたということは、国王も王妃もいないということだ」
「デニスお異母兄さまがいるでしょう? わたくし、夜会が始まる前に見たわよ」
二番目のお異母兄さまの名前を出せば、ゲイブリエルは肩を竦めた。
「どこかの令嬢と一緒に姿を消したよ」
「婚約者の令嬢ではなく?」
「ああ。休憩室にいると思うぞ。今いいところだろうから、声を掛けに行くのはお勧めできないけど」
「休憩室? 気分でも悪いの?」
「あれ、意味が分からなかった?」
意味が分からないと言われても。
そう困惑すれば、ゲイブリエルはおかしそうに笑った。乱暴な手つきで、わたくしの頭を撫でてくる。
「まあ、しょうがないか。お子様だし」
「わたくし、ゲイブリエルと同じ年よ!」
「ああ、うん。時々信じられないけどね。父上が過保護すぎる」
むっとして口を開けた途端、甘いクッキーが口の中に突っ込まれた。肉が欲しいのに、と心で文句を言いながら、もぐもぐと食べる。
「それにしてもどうして夜会で婚約破棄なのかしら……」
「隣にいる男爵令嬢が原因だろうな」
「男爵令嬢?」
思わぬ言葉に、もう一度騒動の中心を見た。お異母兄さまと婚約者の侯爵令嬢、そしてお異母兄さまに引っ付いている見知らぬ令嬢がいる。
派手なピンクブロンドの髪に、華奢な体。お異母兄さまが好きそうな、たわわなお胸。
どこかで見たような?
ふとした既視感に、首を傾げた。わたくしの交友関係はすべて調査の結果問題ない人たちのみのため、すべての貴族を知っているわけではない。だから、彼女の顔を見ても名前も何も出てこないのだけれども。
どこかで見たような、ぼんやりとした記憶がある。
「どうした?」
「いえ、あの令嬢――」
ゲイブリエルの心配そうな様子に、大丈夫だと笑う。そして、気になったことを聞こうとした時。
「皆さん、聞いてください! わたし、ダリア様に殺されそうになりました!」
「……そのようなこと、しておりませんわ」
「なんてことだ! 私の寵愛する彼女を害そうとするなど!」
女の姦しい声に、頭の奥の方がずきりと痛んだ。その痛みは目の前が白くなるほど強く、体がふらついた。
「クリスティーン?」
「ちょっと頭が」
耐えられないほどの痛み、ぐるぐると目が回る。
「貴様のような女は国外追放だ!」
お異母兄さまの激高した声を聞いた途端に、体から力が抜けた。落としてしまった皿の割れる甲高い音と、驚いたゲイブリエルの声が重なる。
――やっぱりベタな婚約破棄は内容を知っているから萎えるわね。事情を知らなかったら、コメディっぽくて楽しめるかもしれないけど。
意識が遠くなるのを感じながら、どこか冷静な感想が頭の中に浮かんだ。