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紺碧の宮に侍女が帰ってきた。以前より人数は少ないものの、猫の手も借りたい状況は解消され、私は元の妾として生活を取り戻す。
陛下から頂いた品々を撫でながら、本当にあの人はいなくなってしまったのかと静かに思いをはせる日々が続く。
答えを出す日が刻々と迫っていた。
陛下の望みが、子息である現皇帝への妃であれと言うなら、それもいい。現皇帝陛下自ら命じてくだされば、私は応じるしかない。考えなくてよいなら、それもうれしい。
選択肢を与えられたことが辛い。元々、意志など通らないのが姫であり、妾だ。今さら、選ぶ権利だけ与えられても、慣れないことを考え消耗する。
呼んでくださるのが当たり前だと思っていた。ここで通わぬ夜はなかったのだから……。ふれないのもご意思なら、それを受けるのが妾だと思っていた。自ら希求することをためらう以前に、求めるものも気づかなかった。
もう撫でてくださらないのだと思うと心がしぼむ。ぽっかりとあいた心に風が吹いて沁みる。死に目を見ていない分だけ、実感もわかない。
寝所に呼ばれなくなった。それだけが強調され、どこかで別の女性との逢瀬を重ねていると思い込もうとすることもできる。それも苦しい。どちらを向いても、苦しい。
現皇帝に寄り添うか、修道を選び、国へ戻らせてもらうか。ここに留まるか。
答えがでないまま、現皇帝が数人の従者を連れてやってきた。
きちんと現皇帝陛下を迎え入れる準備は整っている。侍女たちの手により、私もきれいになった。髪をすき、香油も塗られ、ほんのりと化粧をして、陛下から頂いた飾りを一つだけ身につける。
応接室で、私は宮の主人として、新皇帝陛下をお迎えした。
「答えをもらえますか」
前置きもなく、率直にきかれた。
「決めかねております。前皇帝陛下のご遺志に沿いたいと思うならば、新皇帝陛下の妃になるのが良いはずと思えば、
前皇帝陛下が恋しくて涙が出て、こんなにも悲しくなるなら、修道へ入り、祖国に戻って祈って暮らすも悪くない気がしました。
かと思えば、祖国に戻ればここでの暮らしは夢と化し、私は前皇帝陛下を忘れて暮らすのも今はまだ裂かれるように寂しいことだろうと思います。
さすれば、またあの方の遺志はどこにあるのだろうと思い、元へもどってしまいます」
涙がじんわりと浮かんできた。
陛下を思って、一人で泣くことはあっても、いない寂しさを誰かに語るのは始めてだった。
「父をそれほどに想っていらっしゃたのですね」
ふるふると身を縮め、肩を小さくした。現皇帝陛下の御前で泣いてしまうわけにもいかないと打ち震えた。
「父上……、もういいでしょう。このままではお可哀そうです」
私はばっと顔をあげた。両目から一つ二つと雫があふれた。現皇帝陛下は私の顔を見て苦笑し、私の背後にその視線を投げた。
背もたれに人の手が添えられ、気配に心音が跳ねると同時にふりむいた。
懐かしい尊顔がそこにあり、こらえていた涙の堰が決壊した。
いてもたってもいられず、身を反転させ、座面に膝立ちし、陛下の首に両腕を伸ばす。大声をあげて子どものように泣く私の背に、陛下の手が沿い、撫でてくれた。
「父上、よかったですね。最期に一人くらい本気で泣いてもらえる方がいて……」
新皇帝陛下の声が届き、私は我に返る。離れがたかったものの、腕を少し離した。
「陛下、なぜ……なぜ……」
「死んだことにしたのだ。もう表舞台からは消えることにした」
「……どうして、すぐに会いにきてくださらないのですか」
私の陛下は、頭を撫でながら語った。
「若い娘にとって先は長い。息子のような若い男に嫁ぐか、祖国に戻りやり直す道を選ばせるのも良いかと思った」
「それは……ないです。ひどいです。
いつも呼んでいただいていたのに、急に会えなくなるなんて……、ここでは陛下が私の父でした。陛下の腕で抱かれて眠ることが、私の安らぎでしたのに……。
寂しかったのです……」
もう一度抱きつこうとしたら、脇に陛下の手が滑り込み、私は軽々と抱き上げられた。座面から浮いた足が不安定さに揺れる間もなく、陛下の腕が私の足をつかみ上げる。
私は陛下に抱きかかえられていた。
「アラスター。俺は、紺碧の宮に住まうぞ」
「お好きにどうぞ、父上」
「お前は宮一つぐらいいらないと言うのか」
「もとより、私は使いません。皇后一人いれば十分です。彼女には皇子が三人います。残りの三つの宮はそれぞれの皇子に与え、切磋琢磨させます。父上のように世継ぎの問題も起こしません」
「平和な世は、お前みたいなのが良いのだろう。
血気盛んな将軍は道を間違えた。アラスター、お前は賢い。俺が間違えてあの道へすすんでいれば、お前の粛清対象は俺さえも含んでいただろうな」
「さあ、どうでしょう。親殺しはさすがに避けたいところです」
「なにを言う。血なまぐさい歴史など、星の数ほどあるわ」
「父上が道を間違えられなかったのは、ソフィア様のおかげでしょう。私は、スウェイル国王に足を向けて眠ることができません。彼こそ、今回の政変を納めた影の立役者です」
「結果としてそうなっただけだな。あの男、娘をどうやって育てたんだか……」
父を褒めていただいているのは理解できた。私を宮へ入れたことが、それほど影響することだっただろうか。
「紺碧の宮の主は、前皇帝の妾であらせたソフィア様です。父上も彼女の了承得なくては、住まうことが難しいのですよ」
「そんな、私は、陛下と一緒にいられればそれでいいです」
返答に、場がしんと静まる。おかしなことを言ったかと恥ずかしくなった。
「どうぞ、ここはあなたの宮です。ご自由にお使いください。あんたは前皇帝の妾としてここに残られる選択をなされた。これでよろしいでしょうか」
私は大きくうなずいた。
「アルスター。俺の時代は終わった。後はお前に任せる。口は出さん。皇帝の座に興味は失せた」
私を抱き抱えたまま、陛下が歩き出す。扉まで歩く。従者が一人、扉を開き始める。
陛下は、振り向き、一声を放った。
「これより酒色にふける」
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