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店主が焼く手さばきが面白くて、見入ってしまった。くるくると棒を回すと、肉全体に火が通り、綺麗な焼き目がつく。ほぼ焼けたら、柔らかい火がくすぶる網の上に移動させて冷めないように客を待つ。絶え間ない客に、とどまるくしはない。店主は客にくしにと手際よく回している。
飛ぶように売れる、とは、こういうことを言うのだとまじまじと見入ってしまった。
「……この薫りにはかなわないわね」
思わず喉が鳴る。
「ダメですよ。露店なんて……」
ルーシーがたしなめる。
「わかっています」
女の子二人ひそひそと話していた。
店主も気づいて、ニコッと愛想笑いを浮かべる。女の子二人が肉のくしを頬張るなんて恥ずかしいとためらっている。そう思っているのかもしれない。
「食べたいの」
背後から声がかかって、ひやっと私たちは驚いた。
おずおずと振り向くと、背の高い男性が立っている。金髪碧眼の美青年が立っていた。
「食べたいの」
もう一度、聞かれて、怖くなった。ブンブンと首を振って、逃げ出すように立ち去ろうとるすと、がくんと後ろに引っ張られた。
「ひっ……、お嬢様」
ルーシーが姫様と呼ぼうとしてためらう。父の言いつけ通り、お嬢様と言いなおした。
私は襟首をつかまれていた。首根っこをつままれた猫のように、持ち上げられる。つま先立ちになり、首がちょっと苦しい。
「おっ、おろしてくださぁい」
息も絶え絶えにお願いする。
「無視しないでね」
すると、ポンと襟首をつかんでいた手が離れた。私は足がついて、へなっと膝が折れかけて、ルーシーに抱き留められた。
「異国の娘でしょ。とって食べたりしないから、質問に答えようね。このくし食べたいの」
恐る恐る振り向く。正直、食べたかった私はこわかったけど、こくこくと頷いた。
私たちはあっけにとられながら、男性がくしを買うさまを見ていた。
麗しい男性は身なりも整っていた。昨日謁見の間で見た他国の使者のような雰囲気。きれいな服を着ているから大丈夫と保証はないのに、身なりや物腰が良いだけで信頼感が高まる。
買ってもらったくしを受け取る。
「ありがとうございます」
ルーシーにも手渡してくれた。
「どこの国からきたの」
男性に導かれ、近くにあるベンチに腰掛けた。
「……スウェイルです」
ここで嘘はつかない。
「二人とも?」
「はい」
「スウェイルは、黒髪の多い地域だと思ってたんだが……」
私の薄紫の髪を見ての疑問ね。
「いいえ、スウェイルは紫です。濃すぎて黒に見えますが、濡らして日に透かせば紫になるんです。ご存じないですか」
「ああ、知らなかった」
「私は生まれつき色素が薄いのです」
ふうんと男性は、くしを頬張りながら返事をする。男性だけあって食べるのも早い。もう半分以上食べきっている。
「きれいな服着ているし、一緒にいる娘も、友達じゃないあ。それなりのお嬢さんだろう、あんた」
「どうでしょうか……」
はっきり答えるわけにもいかず、誤魔化すしかない。
「その髪目立つよな」
「そうですか」
「お忍びなら帽子ぐらい用意した方が良い。でないと、すぐ正体がばれる」
「以後、気をつけます」
「スカーフでも巻いておけ」
男性は首に巻いていた長く薄い布を引き抜き、私の頭にかけた。
「おつきの女に巻いてもらえ」
そう言うと男性は立ち去って行った。
ルーシーが残していった布で髪を隠すように丁寧に巻いてくれた。
二人で一生懸命、肉を頬張って、王宮へと戻る。
夜は宴の席だ。皇帝があいさつし、麗しい男女がダンスをし、各国の参加者や国の重職をになう貴族が談笑する。皇帝の挨拶を終え、ダンスを少し観覧したら戻るつもりでいた。
薄紫の髪は結い上げ、同色のドレスをまとう私は絢爛豪華な会場と人々の衣装、優雅なダンスを見ているだけで、満足だった。
いずれは父母のもとを離れて、どこぞの国か貴族に嫁ぐはずだ。今はまだそんな話はきていない。私がここに連れてきたのも、私を人前に慣れさせる意図もあるかもしれない。
父は先んじて色々考える人だ。この参加者のなかには、そんな話をしている王家や貴族もいるかもしれない。私の望みは、なにかしら。父や母のように、喧嘩をしながらもどことなく仲良くできる夫婦であれればいい。そういう夫婦のあり方しか私は知らない。
場を去ろうとした時だった。父に耳打ちする男性が現われる。ひそひそと話し、父は少し嫌な顔をした。男性が立ち去ると、父は私に近づき言った。
「ソフィア……、もう少しここにいるように……」
「なぜ」
早く戻らせたがっていた父の様子から、ここにとどめ起きたがるのは不自然だ。さっき父のそばにきた男性が絡んでいるのかもしれない。
私は父に言われた通り、待つことになる。
ほどなく、先ほどの男性がまたきた。
「おいで」
父に手招きされた。この数分で疲れてはてた父の風貌に私は目を見開く。黙ってついていくしかない。
大柄な父の背を追うように、導かれるまま廊下を進む。
「こちらでお待ちください」
父とともに美麗な調度品が並ぶ部屋へと通された。椅子や机といったどこにでもあるものさえ、装飾が細部まで施されている。
「お父様……」
これはどういうことですか。
そう言いかけて、私は息をのんだ。
父の表情が崩れていた。父が私の手を取った。
「……すまない」
手に額をこすりつける。
すまない、すまないとすがるように喉を絞っていた。
ただならないことは察しがつく。
「どうしたんですか」
何を言われても、動じないでいようと思った。
「皇帝がお前を所望した」
父は謝り続けるが、私は、ああそうかと思った。
皇帝に面を上げるように言われている。あの部屋のざわめきも覚えている。
これは、早いか遅いか、どこに嫁ぐかどうか……。そんな違いだ。
「国へ戻ったら、婚礼の準備ですか」
父は頭を振った。
「お前はもう、国へは帰れない」
父の言葉に驚いた。見開いた目に涙が出そうになり、天井を仰いだ。私が泣いてはいけない気がした。
「そうですか……。少し残念です」
居心地の良い自室も、好きな花を植えた庭も、家族と優しい人々がいる、あたたかい道もすべて、遠い思い出と変わるのね。