真実と虚構
なにぶん素人ですので、温かい目で読んでくれると嬉しいです。
『全ては虚構』 著者 オヴィーミ・シニー 第二章 第二節
私は神の存在を否定しない。なぜかというと、ソレは存在するかもしれないからだ。
しかし、神とはいかような存在なのだろうか。
人に近しい姿なのか、はたまた、異形の姿をしているのかは全く分かっていない。
ヨーロッパでは、『神は細部に宿る』という言葉がある。
本当に素晴らしい技術や、こだわりは目には見えないという意味だ。
要するに私が何を言いたいのかというと、神というのは人の認識によって姿を変えるということだ。
つまり、神という存在は虚構に近しいのである。
存在するのかも分からないモノに祈り、縋り、呪う。
ソレが、あたかもいるかのように。
繰り返すが、私は神の存在を否定しない。
何故ならソレは存在するかもしれないのだから――。
キーン コーン カーン コーン。
そこまで読んだところで、予鈴を告げるチャイムが鳴り響いた。
意識が本の中から急に現実へと引き戻され、やや不満を残しつつも、今まで読んでいた本を机の中にしまう。
次の授業が数学だという事を思い出し、ため息をつきながら準備を始める。
――ここは、日本の東京。
もっと詳しく言うのであれば、日本列島からやや東に位置する、人工フロートである。
太平洋に浮かぶこの巨大人工フロートは、正式名称を「東京邦域巨大人工フロート」という。
ほとんど人は正式名称で呼ばず、東京フロートであったり、ビッグフロート、リゾートフロートなどと呼んでいる。
なぜこの東京フロートが、リゾートフロートと呼ばれているのかというと、単純にリゾート施設が豊富だからというのが理由だ。
東京フロートの中心地はショッピング地帯と化し、一般人向けとなっている。
それだけではなく、そのまま東側に行くと、高級ホテルなどがずらりと並んだビーチになっている。
もちろん、本物の砂浜ではなく人工的な砂浜だが、雰囲気などは本物と比べても遜色はない。
そして、東京フロートの中心地からやや西側に、ここ、"邦莱高校"は建っている。
初めのうちは、この学校の名前はどうなってるんだと思っていたが、今となっては特徴的で覚えやすいと思えるほどに慣れてしまった。
つくづく慣れというものは恐ろしいものだ、ということを痛感している。
といっても、まだここに来てから一か月経ったかどうかなのだが。
そういうこともあり、この学校にはあまり馴染めていない。
そもそも、中学時代の友達がほとんど違う学校に行ってしまったということもある。
正直、心細いというのが本音だ。
そんなこんなで今日の授業も終わり、帰路につく。
そして、その帰路についている途中で重大な事に気づいたのである。
「……やっべ、忘れてた。今日ってカステラシェイクの発売日じゃん。」
そう、重大な事というのは彼がよく足を運んでいる、コンビニの新商品の発売日なのである。
しかし、カステラシェイクとはいったい何なのだろうか、という疑問を持つ読者もいるであろう。
その読者達のために、あえて紹介しておこう。
もちろん、興味が無い方々はスルーしていただいて構わない。
では、そもそもカステラシェイクが生まれるきっかけとなったのは、長いような、浅いような戦争の果てにできた産物なのである。
いや、産物というよりも、象徴と言った方が適切なのかもしれない。
戦争が勃発したのは些細なきっかけであった。
それは、ただの好奇心であったかもしれないし、あるいは、わざと戦争をけしかけたのかもしれない。
コンビニの開発部に勤める一人の青年がシェイクを飲みながらこう言った、いや、言ってしまったのだ。
「シェイクって、いろんなフレーバ―あるけど、結局のところ何のフレーバーが一番おいしいんだろ。」
その一言、そのたった一言で職場は戦場と化したのである。
「何って、そんなのフルーツに決まってんだろ。」
「なんだと?それは聞き捨てならないな。どう考えても洋菓子だろ?」
「いやいや、野菜に決まってんだろ?」
「「いや、お前のそれはスムージーだろが!!」」
と、いった具合に口々に言い争うようになってしまい、気が付けば他部署にまで話が広まってしまい、社内全体で論争が巻き起こるまでになってしまったのだ。
この戦争をもとに、三つの勢力が社内に出来上がってしまった。
一つ目が、王道にして至高を謳うフルーツ派閥。
二つ目に、甘さ×甘さこそが正義の洋菓子派閥。
三つ目に、自称スムージーではないの野菜派閥。
この三つにほとんどが分かれたのである。
この派閥は、新商品開発とともに解散されていたはずなのだが、それぞれの派閥が秘密裏に結成されているなどという事はまた後の話である。
それはさておき、このシェイク戦争は論争を重ねるにつれ、さらにと悪化の一途を辿っていったのである。
会社の中では、それぞれの所属を示す腕章をつけるようになり、同じ派閥の人としかしゃべることも許されないという厳しい状況にまでなってしまったのだ。
しかし、物事というのは、始まりがあれば必ず終わりというものが存在するのである。
それは、月末恒例の定例会議でのことだった。
会社の雰囲気に困っていた社長自らが話を切り出した。
「君たち、シェイクで何が一番のフレーバーかを争っているようじゃないか。……正直に言うと、君たちには悪いが、私はそんなことどうでもいいと思っている。」
その時、会議室に緊張が走った。
社長とはいえ、もはやいつ血を見ることになってもおかしくない状態となっているこのシェイク戦争を、どうでもいいだと? ふざけるな! と誰しもが言いたい気持ちをぐっとこらえていた。
いくら社長とはいえ、それ以上は許されないともでに至った会議室の空気は、社長の次の一言で霧散することなる。
「シェイクで何のフレーバーが一番だなんて、決められるわけがないだろう。」
会議室の面々は、その言葉を一瞬理解することが出来なかった。
決められるわけがない、だと? 何を言っているんだといわんばかりに視線が社長に向けられる。
「何が一番おいしいかなんて、どうでもいいだろう。大事なのは、それぞれに個性があり、それぞれにいい部分があるという事なんだから。」
その社長の言葉によって、シェイク戦争は幕を閉じたのであった。
そして、定例会議から数週間後、開発部はカステラシェイクを開発したのである。
どの派閥にも属さず、まさかの和菓子という斬新すぎる発想から、そして、あのシェイク戦争を繰り返さないように、という願いを込めて創られたのである。
以来、カステラシェイクはシェイク戦争の象徴という事で、会社が赤字になったとしてもカステラシェイクだけは売り続けた、というのは余談である。
さて、そのカステラシェイクを買い、家へと帰ってきた彼、“木伏央麻”はカステラシェイクを台所の冷蔵庫へと入れていた。
ここ木伏家には央麻を含め、現在三人が暮らしている。
まず、央麻の義母“木伏すみれ”、そして、義妹の“木伏瑠璃”である。
ちなみに、央麻の父は再婚後に職場での事故で死んでしまっている。
央麻の父は、良く言えば自由、悪く言えば子供に無関心な人であった。
昔から、やりたいことはやってみろの精神の人だった。
今にして思えば、良い父親だったと心の底から思える。
門限などほとんど無かったようなものだし、ちょっとしたわがままも聞いてくれたし、おかげで色々と自由に過ごさせてもらった。
父のことを思い出し、すこし懐かしい気持ちになりながら冷蔵庫の扉を閉めた。
すると、そのタイミングで義妹が帰ってきた。
「……何やってんの、兄さん」
相変わらず、不愛想な義妹だと思う。
まぁ、思春期真っただ中の年齢であれば致し方がない反応だとは思うが。
「いや別に……、ただ買ってきた物を冷蔵庫にしまってただけだけど」
「……あっそ」
そう一言吐き捨てるように言うと、瑠璃は二階へと上がっていった。
正直、俺が冷蔵庫で何をしていようと俺の勝手だと思うのだが。
別に義妹の食い物に毒を仕込む訳でもあるまいし、勝手に食べることなどまずありえない。
勝手に食べた日にはどんな仕打ちをされるかわからない。
昔の頃(といっても五、六年前の話だが)はそもそも、話すらまともにしてくれなかった。
しかし、無理もないだろう。
小学校四年生の子供に、いきなり知らない人を連れてきて義兄だの、義父だの言われたら混乱もするだろうし、頭の整理も追い付かないだろう。
それに何より、不信感が強くなる。
いくら、母親が連れてきた人とはいえ、まったく知らない赤の他人をそうやすやすと信じることはできない。
いきなり家族だなんだといわれても、結局のところ他人であることには変わりないのだから。
しかし、だからこそ、俺は常に瑠璃に優しく接してきた。
困っている時には手を差し伸べ、隙を見ては積極的に声をかけた。
もちろん嫌がるようなことを故意にすることは絶対になかった。
常に瑠璃に好きなものを譲るようにもした。
そんな義妹優位な生活を出会ってからずっと続けてきた。
もはや、瑠璃の表情を見るだけで何となく言わんとしていることがわかるぐらいにまでなってしまった。
そんな瑠璃の表情がここ最近読めなくなっている。
理由は分かっている。
最近義妹が妙によそよそしいからだ。
朝、顔を合わせようとしてもなぜかそらされるし、声をかけても無視されることが多い。
これは、俺たちが出会ったときの反応に近い。
不信感マックスの時の瑠璃だ。
……まぁ、年頃の女の子というのは男の身内に対して厳しくなるというし、そういうものなのだろう。
で、あれば、俺としてもそれなりに気を遣っていこうではないか。
義兄として。
うん。 そうしよう。
そして、考えがまとまったころには、二階の自室でとっくに部屋着に着替え終わっていた。
それからは、あまり瑠璃に関わらないようにしながら、しかし、自然な感じを意識して一日が終わっていったのであった。
朝、昨日と同様に瑠璃にあまり関わらないようにしながら、いつも通りの時間に家を出た。
朝の登校ほど憂鬱なものはない。
一歩ずつ学校へ向かうごとに気分が滅入ってくる。
そういえば、今日は五時限目に数学か、絶対眠くなるだろうな。
そんなことをぼんやりと考えながら、学校へと向かってゆく。
気分に反して足取りがさほど重くないのは、本人の性格ゆえであろう。
「ぉはよーござやーす」
などと適当な挨拶を風紀委員にしながら校門を抜けていく。
この学校では、風紀委員が日替わりで挨拶当番のようなものをしている。
もちろん本来の目的は服装のチェックや、校則違反になるような物を持っていないかである。
しかし、今日の当番は明らかに違反している人、もしくは風紀委員や、先生などの自分に関係のある人しかチェックすしないタイプであることは確認済みである。
なので、適当な挨拶でも許されるのだ。
これが、厳しい風紀委員だと、良しと判断されるまで挨拶を繰り返す羽目になる。
そんなこんなで、今日はゆるかったチェックを抜けたのち、教室へと入る。
席へと座り、カバンを机の横に掛け、自前の本を取り出す。
朝から話しかけてくる奴はそうそう居ないので、ほとんど朝はこうして本を読んでいる。
べ、別に友達が居ないとかじゃないんだからね!
そして、黙々と本を読み進めていれば、あっという間に朝のHRを迎える。
ちなみに、朝のHRでは特にこれといったことはなかったので割愛。
午前の授業でも特に何もなかったので割愛。
そもそも、何かある方がおかしいと思う。
普段、会話をしないようなクラスメイトから、急に話しかけられるだなんて恐怖に近い体験だろう。
転校生が来るだなんて話は夢のまた夢である。
ということで、昼休み。
いつも通りのメンツで、いつものように机を囲みながら弁当を食べていた。
特に話題が決まっているわけでもないが、近況報告のようなものをした後に、その近況報告の内容から話題を広めていくという平凡な日常風景である。
「昨日のガチャでさ、爆死してさぁ……」
「何を言ってるんだ。あのガチャで爆死は当たり前だろう」
「いや、でもよ、七十連だぜ?さすがにそれで爆死はやばくないか?」
「いや、普通だろ」
といった具合で会話が続いてゆく。
そして、この会話の間俺は黙々と食べ進めている。
本当に他愛もない会話だが、今どきの学生の会話としては割と普通の部類に入ると思う。
ちなみに、俺もガチャは爆死当たり前派です。
「絶対、おかしいよな、あのゲーム」
「運が無いだけだろ」
この二人とはよくしゃべる仲だ。
さっきからゲームの運営に対しての愚痴を漏らしているのは、波根凪という男だ。
中肉中背で、どこからどう見ても普通の高校生と変わりない。
唯一の特徴としては、おかっぱ頭ってことくらいか。
そして、凪よ、運営に文句を言ったところで良いキャラは当たらんぞ。
それからもう一人、その凪に対して現実を突きつけているのは七竈裕木という男だ。
背は央麻よりも小さいが、線は細く、髪型はそこら辺の一般人と変わりない。
苗字が特徴的な奴だ。
しかし、七竈という苗字からどこかの博士が出てきそうなものだが、関係は全く無い。
「央麻はどう思うよ」
凪が意見を求めてきたが、爆死当たり前派の俺の答えは決まっている。
「普通、ガチャってのは爆死するもんなんだ。残念ながらな」
「……現実は残酷なんだな」
なんか凪が悟っているようだが、気にせず俺は弁当を食べることにしよう。
「そういえば、何かで見た気がするんだけど」
そう切り出したのは裕木だった。
珍しい、と思ってしまった。
基本的に裕木から何かを発信するということはほとんど無い。
誰かが発信したことに対して言い返す、というのが裕木の基本スタイルだ。
雪でも降るかな? とまではいかないにしろ、結構珍しい。
「ゲームのガチャの排出率とかって、ちゃんと計算すると結構低いらしいんだってな」
「へー……、初知り」
そんなことをちゃんと計算するもの好きもいるんだな、と思いながら弁当を平らげる。
「現実が残酷な事には変わりないんだな……」
そんなもんだろ、と適当に凪を励ましながら弁当箱を片付ける。
そして、少しの間沈黙が続いた。
これは、特に話題もないけど時間あるし、とりあえずここにいるか状態だ。
しかし、不意に凪が話題を振ってきた。
「そういえばさ、弓道部の誰だったか忘れたけど、彼女ができたんだってさ」
「なんだそのふわっとした情報」
確かに裕木の言う通りだ。
そして、どうでもいい。
ついでに言うなら、リア充は滅べばいい。
「いや、でもマジで。誰だったかは忘れたけど、彼女ができたって」
「そんなの聞いたって、俺たちはどう答えればいいんだよ」
少し、ほんの少~~しだけ怒気を孕ませた声音で凪に聞き返す。
別に彼女なんていなくてもいいもん。
強がりなんかじゃないもん。
「まぁまぁ、そんな怒んなよ。俺だって聞いたときは腹がたったけどさ」
なぜバレた。
ほんの少ししか出てないはずなのに。
「……んで、それがどうしたって?」
俺の代わりに裕木が答えると、凪が続きをしゃべりだした。
「実はさ、その彼女ってのが外人らしいんだよ。ヨーロッパ辺りに居そうな人で、めちゃくちゃ美人だって話なんだよね」
なんだそれ、腹立つわ。
もはや、ただの自慢話にしか聞こえなくなってきた。
「それで、結局何が言いたいんだよ」
ため息交じりに言う裕木の声にも、少し怒りが入っていたように聞こえた。
気のせいかもしれないけど。
「いやさー……、俺たちで見に行ってみない?」
「「……は?」」
何言ってんだこいつ。
人の彼女見に行こうぜ! とか、頭大丈夫か?
そういったことを俺たちの表情から読み取ったのであろう凪は、言葉を付け加えた。
「美人って聞いたんだけどさ、どんだけ美人なのかって気になるじゃん。そんで、今日見れるかもって話も聞いたからさ、それに、一人で見に行くのは嫌だし」
絶対こいつ最後のが本当の理由だろ、とか思ったが、まぁ良いだろう。
確かに、美人って言われたら気になるしな。
別に美人じゃなかったらめちゃくちゃ笑ってやろうとか、考えてないから。
さすがにそこまでは落ちてはいない。
という事で、俺は凪の誘いに応じることにした。
しかし、裕木はというと
「俺はパスしとく。今日は予定が入ってっから」
そう言われ、断られてしまった。
「後でどんなだったか、教えてくれ」
俺らは裕木に了解の意を示したが、結局二人で見に行くことになってしまった。
そして、放課後――。
俺らは、弓道部が練習している弓道場へ行った。
もちろん、見学という名目で見させてもらっている。
「マジか……」
「まさかの、だったな……」
確かに、見るからに日本人ではない人がこの弓道場に居た。
目鼻立ちが整っていることは言うまでもない。
そして、白磁器を思わせるかのような白い肌は美麗であり、出るとこは出てるし、引っ込むところは引っ込んでいる、抜群のスタイルだ。
さらに、シアン色の瞳は澄んだ海を連想させる。
しかし、その目尻はツンっと吊り上がっており、それゆえに厳しさのようなものを感じる。
だが、特に目を引くのはその髪色だ。
その銀色の髪は太陽の光を反射してきらきらと輝いており、艶やかでさらさらな髪だという事が審美眼の無い俺でも一目で分かった。
そんな彼女を一言で表すのだとしたら、"絶世の美少女"という言葉が最も相応しいだろう。
しかし、央麻が思ったことはそれだけではなかった。
彼女のことを絶世の美少女だと思うのと同時に央麻は、人間じゃない、そう思ったのだった。
もちろん賛辞の意味ではあったが、それでも思わずにはいられなかった。
隣の凪を見てみると、心ここにあらずといった感じであった。
確かに、心を奪われたとしてもおかしくはないだろう。
あれだけの美少女なのだから。
しかし、やはり央麻には素直に彼女を美少女だと思うことはできなかった。
そして、その彼女はというと、弓道場の壁の前で正座をしながら、ある人物へシアン色の瞳を真っ直ぐに向けていた。
その人物というのが、弓道部に所属している先輩であり、央麻達の一つ上の先輩、二年の鉄原仙華である。
そう、名前の通り女性である。
……別に個人の事をどうこう言うつもりは毛頭ない。
しかし、実際に目の前でそういった関係なのかというのを見ると反応に困ってしまう。
「よし、少し休憩だ」
弓道部の部長の声とともに、各々練習を止め休憩に入る部員達、その中には仙華先輩も含まれていた。
すかさず、美少女がタオルと飲み物を仙華先輩に渡す。
ありがとうと短く言うと、仙華先輩はそれらを受け取った。
「何か、アレだな。格が違うな」
凪がぼそりとつぶやいた。
おそらく、周りの女子達と比べてという事だろう。
「確かにな。格が違い過ぎるな」
思わず、人間じゃないという言葉が出そうになったが、何とか飲み込むことが出来た。
それからの時間というもの、凪はほとんど美少女しか見ていなかった。
逆に央麻はほとんど美少女を見ることは無かった。
どちらかというと、央麻は仙華先輩を見ていた。
はっきり言って、仙華先輩は央麻にとって好みのタイプであった。
クールビューティという言葉が似あいそうな雰囲気。
艶々としていながら、さらさらのショートボブの黒髪。
豊かな双丘とまではいかないが、袴の上からでも分かる形の良さ。
そして、すらりとしていながらも程よく筋肉のある脚。
何より、人間味のある美人な顔立ちが好みであった。
そういった具合に終始、凪は凪で鼻の下を伸ばして美少女を見ており、央麻は仙華先輩を見てさすがに鼻の下を伸ばしてはいなかったが、ずっと見ていた。
最後まで美少女の名前も分からずに弓道部の見学を終え、二人は帰路についていた。
「……アレだな。何か、あんなに美人な人って世の中にいるんだな」
帰路の途中で凪がため息交じりにつぶやいた。
その中には、憧れ、諦め、嫉妬、色々な感情が込められていただろう。
「世の中って広いな」
「そうだな」
そんな低めのテンションの凪に素っ気無い返事をしながら、スマホを見る。
いつもの帰りよりもだいぶ遅い時間だが、義母には連絡を入れてあるので問題はないだろうとは思いつつも、念のため今から帰るという事を伝えておく。
「そういえばさ、」
ふと、凪が思い出したかのように言い出す。
「お前んとこの妹、可愛いって話を聞いたことあるんだけど、マジ?」
それは、どうなんだろうか。
俺は全く聞いたこともないし、誰かに妹のことを話した覚えはない。
正直、どこからの情報か全く分からないので信用ならない。
とはいえ、否定はしない。
私的な意見としては可愛いと思う。
別に、シスコンというわけではない。
あくまでも客観的な意見だ。
長く伸びた黒髪はサラッサラで、手触りもとても良い。
それに、双丘は少ない部類に入るが、それを差し引いてもスタイルはとても良い。
ミスコンに出れば上位間違いなしくらいに可愛いと思っている。
念のため、もう一度言っておこう。
俺はシスコンではない。
という事を凪に言った。
すると凪は、そ、そうか、と何故か苦笑いをしていた。
なぜだろう、何かおかしな部分でもあっただろうか。
「とりあえず、それくらい可愛いってことだよな?」
「まぁ、そういうこと」
「やっぱり、仲悪かったりするの?」
「それは、ないかな。仲悪くはない」
俺たちは基本的に仲が悪くはない。
というよりも、瑠璃が嫌がるようなことをあまりしていないということもある。
しかし、やはり、お互い他人だから遠慮している、というのが一番の理由だと思う。
「へー、それはいいなー。普通に羨ましい。後で紹介してくれよ、お兄様」
「お兄様って言うな、気持ち悪い。それに、紹介もせんぞ」
断っても、断ってもしつこく凪に紹介しろとせがまれたが、何とかそれを振り切って家へと帰るのであった。
「ただいま」
「お帰り」
玄関のドアを開けると、瑠璃が立っていた。
夕食を食べ終わり、自分の部屋に戻るところだったのだろうか、と思ったが、どうやら違うようだ。
なぜだかそわそわとしており、何というか忙しない。
「どうした?」
とりあえず声を掛けてみた。
「えっと……、冷蔵庫の中に入ってたのって、兄さんの、だよね?」
冷蔵庫? と少し疑問符が浮かんでいたが、思い出した。
昨日買ったカステラシェイクのことか。
それがどうかしたのか、と言おうとしたが言わなかった。
何となく分かったからだ。
おそらく飲んでしまったのだろう。
「飲んだのか?」
と、確認のために聞いてみると、案の定、瑠璃がコクリと頷いた。
怒られるとでも思っているのか、瑠璃は下を向いて俺と目を合わせようとしなかった。
そんなことで怒らないのに、と思いながら瑠璃の頭に手を伸ばす。
頭に手を乗せると、瑠璃は肩をビクリと震わせた。
それを気にせず、ゆっくりと落ち着かせるように瑠璃の頭を撫でてゆく。
「別に良いよ、俺も名前書き忘れてたし。それに、もう一回買ってくりゃ良いだけの話だし」
手を頭から離すと瑠璃は小さな声で、ごめん、と言ってから自分の部屋へ戻っていった。
しかし、瑠璃にしては珍しい。
基本的に自分の物には名前を書くことにしている。
だが、自分が買ったかどうかくらいは分かると思う。
もし仮に、義母が俺たちに買ってきてくれていたのだとしても冷蔵庫に二つ入っているはずだ。
なんというか、珍しいというよりも何かおかしい気がしてきた。
……まぁ、気にしても仕方がない。
無いものは無いのだ。
夕食を食べた後にでも買ってこようかな。
風呂から上がった後に、冷たい飲み物とか飲みたいし。
そうと決まればさっさと夕食を食べてしまおう。
「ただいま」
食器を洗っていた義母に声を掛けてから、自分の椅子に座る。
「お帰りなさい。それで、今日は何の部活見てきたの?」
央麻は夕食に掛かっていたラップを取りながら、弓道部、と答えた。
「弓道部!?弓道って、あの長い弓でやるやつ?」
長い弓て、間違ってはいないんだがなぁ……。
「そう、それ」
「見てて楽しかった?」
楽しかったかと言われれば難しい。
見てて楽しいと思える程、弓道が好きなわけでもないし、どちらかと言えば、凛としていてカッコ良かったとは言えるかもしれない。
「面白くはなかったかな。カッコ良かったけど」
「それなら良かったじゃない。それで、弓道部に入るの?」
ハッキリ言って入部する気はない。
確かにカッコ良かったが、それだけだ。
しかし、今決めるのは早計だろう。
であれば、
「他の部活見てから決めるよ」
この答えが一番無難だろう。
「そうよね。他にも部活があるものね。色んな部活を見て、決めてちょうだい」
そう言って、ニッコリと微笑んでから義母は皿洗いに戻った。
しかし、何の部活に入るのかってのは、本当に考えておか。ないとな。
そんな事を考えながら夕食を完食する。
そして、義母に少し出掛けることを伝えた。
二階の自室に戻り、出掛ける準備をする。
と言っても、財布と携帯を持っていくだけだが。
準備も終わり、玄関で靴を履いていると後ろから瑠璃が声を掛けてきた。
「どっか出掛けるの?兄さん」
「うん、ちょっとコンビニに行ってくる」
「……そう、なんだ。その……、ごめんなさい」
別にもう気にしてないんだが。
まったく、可愛い義妹だ。
「いいよ。気にしてないから」
「……怒ってる?」
「いや、全く」
「本当に?」
「ホントだよ」
央麻は靴を履き終わり、瑠璃に向き直る。
玄関の段差で同じくらいの背丈になっている瑠璃は、央麻のことをじっと見つめている。
これは、瑠璃が顔色を窺っている時だ。
顔をみるだけで相手の考えがよく分かるものだと思う。
だが、コレをされると少し背筋が寒くなる。
本当に全部見透かされているようで気持ちが悪い。
やがて、本当に気にしてないということが分かったのか、瑠璃が口を開いた。
「……ありがとう。兄さん」
「いや、いいよ。別に、大丈夫だから。あー……、そうだ、何か欲しいのあるか?言ってくれればついでに買ってくるけど」
「ううん、特にいらない」
「そっか、じゃあ行ってくる」
「うん、行ってらっしゃい」
微笑みながら送ってくれる瑠璃に、央麻は手を少し振りながら玄関の扉を閉める。
外は既に暗く、街灯の光が明るく灯っている。
コンビニまでは歩いて五分か、そこらだ。
大した距離ではない。
しかし、春の夜はやや肌寒い。
パーカーにジーンズでも寒さで体が少し震えてしまう。
「寒い……」
そんな愚痴を漏らすが、速度は家を出た時と全く変わっていない。
むしろ、いつもより遅い。
なんだかんだ言って、央麻は夜が好きなのだ。
肌寒くとも、夜の闇がいかに深くとも、それら全部をひっくるめて美しく、愛おしいと思える。
そして、五分の道のりを、倍の十分かけてコンビニへと辿り着いた。
ゆっくり歩いていたせいで、すっかり体が冷えてしまった。
これ以上体が冷えてもいけないので、コンビニの中へ入る。
目当ての商品がある場所へと向かいつつ、他の商品も見てゆく。
そして、目当ての物を手に取り、それから瑠璃が好きそうな物もついでに買ってゆく。
会計を済ませ、コンビニから出る時、仙華先輩と入れ違った。
もちろん、あの人も一緒だった。
本当に見ていて不気味に思えるな、などと失礼なことを考えながら、ついじっと見つめてしまっていた。
おかげで仙華先輩から変態を見るかのような、冷ややかな眼で見られてしまった。
それに央麻は気づき、そそくさとコンビニから離れていった。
「完全に印象が悪くなったな、アレ……」
帰り道、少しだけしょんぼりとしながら央麻は歩いていた。
その時はまだ、央麻は気づいていなかった。
自分の周りに蜃気楼が揺らめいていることに。
「はぁ……、やっちまったなぁ」
そう、つぶやいた時だった。
突如として目の前の景色が歪んだのだ。
「……!」
目の前で何が起きたのか、理解が出来なかった。
というよりも、したくなかった。
しかし、それは誰だってそうだろうと思う。
夜道を歩いていたら、急に目の前に猛獣が出てきたのと同じことだ。
いや、それよりも質が悪いだろう。
なんせ相手は化け物なのだから。
そう、央麻の目の前に突如として現れたのは得体の知れない化け物なのだ。
ソレはまさに、化け物と呼ぶに相応しい姿だった。
人の形はしているものの、顔には道化師の仮面のようなものを付けていて、腕は四本、脚が六本くっついていた。
生えていた、のではない。
くっついていたのだ。
切断された脚部を自分の腰に縫い付けたかのような、異様な姿であった。
白いスカートからは六本の脚が出ており、それがより一層不気味さに拍車をかけていた。
さらに、ところどころに赤黒いシミのあるドレスからは四本の腕が出ていた。
そして、その四本の腕にはそれぞれ違う武器を持っていた。
長剣、スタッフ、ダガー、クロスボウ。
そのどれからも赤黒い液体がポタポタと滴っていた。
その液体が何なのか、理解してしまった。
明らかに、ヤバい。
今すぐにでも逃げなければ死ぬだろう。
いや、そうでなくとも死ぬだろう。
こんなことなら、今日コンビニなんかに行かなきゃよかった。
もっと、いろんなことをすれば良かった。
そうすれば後悔なんてせずに死ねたかもしれないのに。
そんな考えが浮かんでは消えてゆく。
しかし、なぜか不思議と恐怖は感じなかった。
むしろ、愛おしいと思えた。
不気味なはずなのに、死ぬかもしれないのに。
なぜか央麻が感じたのは愛おしさだった。
そして、気が付けば化け物は央麻のすぐ目の前にいた。
やはり、目の前に来ても恐怖は感じなかった。
声が聞こえた気がした。
しかし、央麻には何と言っているのかまでは聞こえなかった。
だが、何となく分かった気がした。
この化け物、いや、この娘は『受け入れろ』と言っている。
そして、それはもはや確信であった。
感覚でもなく、予感でもない、確信だ。
化け物はじっと央麻を見つめると、やがて、長剣を高く、高く持ち上げた。
この娘は自分に向けてアレを振り下ろすだろう。
そして、俺はそれを受け入れなければならない。
その思いはもはや使命感に近く、それ以外の考えは央麻の頭の中には浮かばなかった。
化け物が、長剣を持つ手を握り締めたのを央麻は見た。
そして、長剣が振り下ろされ――
目の前で硬質な音が響いた。
音の正体は、長剣とクロスするように突き出された大きな槍だった。
「大丈夫か?」
それはまるで、天使のようだった。
前言撤回、天使そのものだった。
鎧のようなものを着ており、頭には輪っかがある。
さらに、背中には大きな羽が生えていて、神々しさすら感じた。
「怪我とかは無いか?」
化け物と央麻の間に立ち、大きな槍を構え、化け物を見据えていた。
「な、何とか、大丈夫です」
情けなく、尻もちをつくような姿勢で央麻は答えた。
「そうか、なら早くここから逃げろ。今すぐだ」
そう、央麻は天使に言われたが、央麻にそんな気は起きそうになかった。
なぜなら、まだ受け入れていないからだ。
「早く逃げろ!」
こちらに振り向きながら天使が叫んだ瞬間、好機だといわんばかりに化け物の長剣が天使に振るわれる。
それを天使が大きな槍で受け止め、化け物の胴体を蹴り、化け物と自分との距離を離した。
「腰でも抜けているのか?立てるか?」
優しく声をかけながら、しかし、化け物からは目を離さない。
とても戦い慣れている。
それが央麻の率直な感想だった。
「腰は抜けてないです。立てますし、走れます。でも……」
「でも、どうした?」
天使は顔を化け物に向けながら、目線だけをこちらに向けた。
央麻は化け物を見つめながら、天使に向かって言った。
「俺は、あの娘を受け入れなければいけないんです」
「……そうか。ならば、止めはしない。惹かれ合ったのであれば仕方ない」
天使が言っている意味は分からなかったが、とりあえず納得はしてくれたようだ。
そして、央麻は化け物に向かって歩き出した。
それと同時に、化け物も央麻に向かって進み始めた。
やがて、央麻と化け物は出会った時と同じ距離まで近づいた。
鉄の臭いが央麻の鼻腔を刺激する。
『受け入れてくれる?』
声が、また聞こえた。
今度ははっきりと聞こえた。
『私の過去を、私の現在を、私の未来を、私の罪を、全部、全部受け止めて、受け入れてくれる?』
「受け入れる。君の全てを」
特別、央麻は何もしていない。
口が勝手に動いているのだ。
『ありがとう。My Dear。』
そう言って、再び長剣を構える。
今度は天使が間に割って入る気配もない。
じっと、央麻は自らに振り下ろされるのを待った。
そして、長剣が央麻に向かって振り下ろされた。
そこで央麻の意識は途切れた。
だが、意識が途切れる間際、央麻は少女を見た気がした。
その少女こそが、央麻の人生の転機となるのであった。