024 ハインSIDE: 一網打尽
颯々たる風の音を耳にしながら、俺は魔法陣を展開していく。
視界に映る情報は雑音。
目を閉じ、音を聞き、空間に漂うマナ粒子を肌で感じる。
島全体の形を上空より俯瞰するイメージ。己の身体より延長されたマナの網は、既にこの島の全域へと及んでいる。
絹を織る乙女の繊細な手付きが如く、細緻なる手技で局地的な魔術を発動していく。
魔物との相対距離。対象となる人間の移動範囲。行動を予測しながら、効果的に防御魔術を展開。最適なタイミングで瞬時に発動していく。
消費されるマナにも限度はある。
任せられる部分は任せ、必要な部分にだけ力を注ぐ。
現在、魔物が分布する場所は大きく三つある。
一つは宿泊エリア。
最も非戦闘員が集まる場所である。此方は念話による伝達で、我神団のルーシー=スカイバーンを派遣した。
防衛線からの予想以上の魔物の取り零しにより、一時は此方から魔術を展開する事も検討していたのだが、どうやら味方が現れてくれたらしい。
マナの波長から、カルナ=サヴァンが防衛に加わったのを察知した。
俺の想像通り、奴は戦える女だったらしい。
目立つ事を嫌った彼女の心変わりの理由も知りたいが……今は無粋だろう。
防衛線はクルス=オーグメントと学院の教師達が構築している。
本音は、七聖剣の連中も此処に詰めて欲しかったのだが……まぁ、奴等は勝手に動くよな。一時的に物量に押されてしまった様だが、見知らぬマナの出現により、魔物の数は激減。
――此処ら辺は、後で現地にいたクルスから詳しい事を聞いておこう。とにかく、この場所は安全地帯と判断して良いだろう。
もう一つは、砂浜エリア。
避難が遅れた観光客や、現地の住民が多数いた場所だ。
事前の行動で教師達を早期に派遣出来たのが救いだったな。
七聖剣のディンハルトが戦いに加わったのもあってか、一度装備を整えに施設へと戻っていたファング=コードレス。グエン=ドウェンの両名の応援が間に合った。
マナを感知した所、既に殆どの避難は完了している様だった。
戦闘力の高いファングの力もあるが、こういった避難誘導の能力はグエンの力だろう。知らぬ間に頼もしくなってきた。
そして最後は、郊外エリア。
少数で家屋に取り残された住民を、キルツ=レヴァノフが救助。ディンハルトが魔物を蹴散らしていった。
教団七聖剣というものに、正直俺は良い印象を持っていない。
だが、その実力は確かなのだろう。
エリア間を横断しながらの継戦。単独で魔物を討伐していく二人を感知しながら、俺は彼等の評価を上方修正する事に決めた。
アルマナ、そしてガルシアの両名は、このエリアに居た様だ。
アルマナの奴がクロードを庇って魔物の前に飛び出した時は、本当にどうしようかと思ったぞ。
念の為、無属性を準備していて良かった……。
この場所は七聖剣の二人に任せておけば問題はないだろう。
「さて――と。キッチェ!」
「うん!」
名前を呼ぶと、キッチェの奴は阿吽の呼吸で俺へとエーテル液の瓶を手渡してきた。
テーブルの上には、既に夥しい数の空き瓶が転がっている。
兵どもが夢の跡、か……。
いや、少し違うとも思うが……とにかく、俺は頑張った。
自分で自分を褒めてやりたいくらいだ。
水っ腹を抑えながら、その場から立ち上がり、前方へ向き直る。
「随分、倒したな」
「先生に比べれば、まだまだですよ」
レイド=レヴァノフは謙遜しながらそう言ってくる。
奴の背後には、大量の魔物の残骸が所狭しと散らばっていた。
……魔物とは元来、より大きなマナに魅かれる。これ程までに大量にこの場へと集まったのは、俺のマナが誘蛾灯となった所為だろう。
レイドの戦いぶりを見学する余裕は無かったが、引き攣った顔をする生徒達を見るに、それはそれは苛烈であったのだろう。
「――今から、残った魔物を殲滅するわ」
「……住民の避難は?」
「全部終わっている。やはりウチの連中は優秀だ」
俺がそう言って笑うと、レイドは中指で眼鏡の位置を直しながら、真っすぐと俺を見詰めた。
「――楽しみです」
誕生日のプレゼントを前に、興奮を隠せない子供かよ。
打ち震える様な笑みを浮かべたレイドへと、俺は「ハッ」と軽く笑って魔術式を展開する。
手渡された瓶の蓋を片手で開け、中身を一気に飲み干す。
「目標は上空――2000フィール」
さぁ、式を描こう。
魔術の深奥とは斯くも玄妙だと見せてやる。
纏綿神秘な幻想魔文。
廻る術理は天を飛ぶ。
子供の様な笑みを浮かべ、俺は自身のマナから生じる事の出来る、最大の魔術を展開した。
◆
「ハァッ……ハァ……ッ!」
荒げた呼気をそのままに、大樹を背にした少女はその場に座り込む。
熟れた果樹に実る桃の様な髪色に、平均よりも低い矮躯。
紐の様な衣とも呼べぬ水着を纏った少女は、体に着いた砂埃にも構わず、疲れ切った様子で地べたで息を整える。
マチュア=キュベレイ。
七聖剣・第六位『深淵』エギンガルを持つ少女。
彼女はガフ=コフィンと対峙した後、伸びたアーサーやゲインズに構わず、一人でその場から遁走していた。
元々大して仲間意識などなかった。
むしろ、今は全く使えない二人に対し、怒りすら覚えている。
見捨てるのに何ら躊躇は無かった。
運が良ければ魔物に食われずに済むんじゃないかしら? と。酷く他人事の様に彼等の事は思っていた。
――計画は、失敗した。
凡そで言えば成功なのかも知れないが、起こしたリスクには見合わない。
恐らくガフ=コフィンは、今回の件をキルツに報告するだろう。
その情報はディンハルトにも行く。
教団の暗部に疎い二人は、事件を起こした三名を然なきだに糾弾するのは想像に難しくない。
「ああ、面倒臭いッ!!」
治まらぬ不安を苛立ちに変え、マチュアは背中の木々を打つ。
裏切ったガフ。倒されたアーサー・ゲインズ。
教会に蟄居するプライスマーへと腹を立てながら、マチュアは自身の自慢とする髪が、上方へと流れている事に気が付く。
「なに、これ……?」
呟き、空へと視線を上げる。
「――」
――其処には、蠢く魔物達の球体が存在していた。
上空より発生した強大な引力は、魔物にのみ作用している様だった。
蠕動し、地を這う芋蟲が空を飛ぶ。
四方より集められた蟲・蟲・蟲の大群。
島全域から飛んできたソレは、まるで蟲毒の壺の様に上空の一か所へと搔き集められ、真っ黒な球体を形成していた。
その様は、不気味を通り越して不吉である。
地獄の釜を地上に顕現したならば、この様な光景が生まれるのかも知れない。そう、マチュアが思った時。
――球体は、その体積を萎ませる。
ギチギチギチギチ。
奇妙な音を鳴らしながら、甲殻が擦れて潰れていく。
甲高い鳴き声は蟲の断末魔である。
必死の声は言葉も通じぬ気色の悪い蟲であろうとも心を抉るのだと、マチュアはこの時、初めて知った。
徐々に徐々に小さくなる球体が、ある地点を境に急激にブチュン。と萎んだ。
まるで今の光景が嘘だったかの様に、空には何もなくなってしまう。
「……ハァ、ハァ……ッ」
訳もなく、息が乱れる。
木の葉の隙間から見える、丘の上。
その魔術を行使したと思われる白銀の少年の横顔を見詰めながら、マチュア=キュベレイはぶるりと、身震いをする。
ああ――思い知った。知らされた。
世の中には、いるのだと。
自分が及びもしない――≪化物≫が。




