005 魔族の兄妹との邂逅
カレル暦203年。
十三歳になったハインリヒは、河で釣りをしていた。
手製の魚籠の中には既に生きの良い魚が三匹ほど入れられている。
所詮一人で食べる分だ。
一日の成果としては十分なのだが、今日は干す分も確保したいと考え、釣りを続行している。
「……ん?」
木の陰から視線を感じる……この雰囲気は、キッチェだな。
俺が視線をそちらにやろうとすると、キッチェは慌てた様子で茂みへと隠れる。
……バレてないとでも思ってるのかな、アイツ。
「ふん……」
三年前のあの日……神童を辞めると言ってから、実はアイツとは全然話せてない。
正直、まさかこんな事になるなんて思ってもみなかった。
神童を辞めると言ってヘソを曲げたとしても、明日になればいつも通りに話しかけてくるだろうと、楽観していたのだ。
一日二日、違和感はあったが、まぁすぐに元に戻るだろうと放置してしまった。
それがいけなかったのだろう。
十日二十日とそれは続き、今では話すタイミングを完全に見失ってしまった。
「……」
漏れそうになる溜息を無理やり止め、俺はその場から立ち上がる。
近くにいるって事は、きっと気持ちは一緒なんだろうけどな――
「……って、何思ってんだか」
俺らしくもない。
頭を振って苦笑する。
釣りは止めだ。気分じゃない。
釣竿を片付けながらその場を後にしようとする俺。すると――
「いたぞーこっちだ!」
「ははは!」
「追い込め追い込め!!」
「……?」
複数人の子供の声が、森の奥から聞こえてきた。
何だ? 何かを追いかけている様子だが……。
少し気になった俺は、そのままの足取りで声のする方向へと歩き出した。
「やれーやれー!」
「いくぞー!」
そこには複数人のガキんちょに囲まれる色白の少年の姿があった。
「どーん!」
太った子供が少年の顔へと飛び蹴りを入れる。
「お兄ちゃん!!」
少年の背後で見えなかったが、アレは妹か? 金色の髪をした少女が、吹き飛んだ兄へと駆け寄ろうとするが、近くにいたガキに手を取られ、捕まってしまう。
「や、やめろ……リィンに手を出すなー!!」
起き上がった少年が妹を捕まえたガキに向かっていこうとするが、横からきた別のガキに殴り倒されてしまう。
「バーカ、格好つけてんじゃねぇよ! 魔族の癖に!!」
「魔族は魔族の場所に帰れよな!」
「お前臭いんだよ!人間のところに来るな!」
『キャハハハハ!』
少年を殴りながら、笑うガキ共。
「魔族……?」
確かによく見ると、やられている少年と少女の耳は、亜人特有の尖がりが見えた。
それだけならばエルフとも取れるかもしれないが、彼等の目元には魔族特有の黒い隈取。≪魔坑線≫が出ていた。人とはマナの流れが違うため、ああいった場所に特徴が出来てしまうらしい。
「やめてよ! お兄ちゃんが死んじゃう!お兄ちゃんを叩かないで!!」
泣きながら身を捩る少女だが、掴まれた手は振りほどけない。
「うるせえな、こいつ! 汚い恰好しやがって!」
「そんなボロボロ脱がしちゃえ!」
「!」
「面白そう! やれやれー!」
「脱がせー!」
周囲に促され、太ったガキが少女のボロ着へと手を伸ばす。
が――そこまでだ。
「おい、何やってんだ」
太ったガキの後頭部を後ろから鷲掴みにしながら、俺は周りのガキ共を威圧する。
「は、ハインリヒ……?」
水を打ったように静まり返るガキ共。
いい加減邪魔なので、俺は奴らに向けて太ったガキを片手で投げ付ける。
「ひぃ!」
「――で。何やってんだ、お前ら」
「は、ハインリヒは魔族の味方をするのか!?」
「こいつらは魔族なんだぞ! 倒しても良い敵なんだ!!」
……魔族の味方ねぇ。
「馬鹿か? そんな理論でお前らの暴力に正当性を持たせられるとでも思っているのか?」
魔族だろうと何だろうと、大人数で弱い奴を一方的に叩くのは悪に決まってるだろうが。
そう、敢えて教える様に言ってやったのだが――駄目だ。
「……せ、せいとうせい?」
「むずかしい話をするなよハイン!」
ごちゃごちゃと騒ぐガキ共。
「もういい! こいつ、昔は神童だって言われてたけど、それも全部嘘だったんだろう!」
「……」
「大した奴じゃないんだ! 皆でかかれば――」
ガキが言い終わる前に、俺は近くにあった結構な太さの木を殴り倒す。
「……確かに俺は神童じゃない。神童じゃないが――だからどうした?」
ガキへと向かい、足を向ける。
「――お前らが強くなった訳じゃないだろう?」
脅す。
おら、泣け。叫べと念を込め。
『ひ、ひ、ひ……ひぎゃあああああ!!』
脱兎の如く逃げ出すガキ共。
全く。変に粘らず最初から大人しく散っていればいいものを。
「おい、大丈夫か?」
俺は倒れた少年を起こしてやると、軽く回復魔術をかけてやる。
「う、うう……」
「お兄ちゃん!」
どうやら気が付いた様だ。
「……君は」
「災難だったな。ま、生きてりゃこんな最悪な一日もあるさ」
「……一日か。一日だけだったら良かったんだけどね……」
ははは。と、力なく笑う少年。
……それでも笑えるのか。
……きっと、守る妹がいるから笑えるんだろうな。
「君は、何で俺達を助けてくれたの? 俺達はその、魔族なのに……」
「さぁな。……強いて言うなら」
「言うなら?」
「お前の妹が可愛かったからだ。……理由になるだろう?」
冗談めかしてそう言ってやると、少年は一瞬目を大きくして、次に――笑った。
「違いない――」と。