002 帝国・ターン~侵攻準備完了~
カレル暦205年。
赤雀の月、深樹の曜日。
アーランド大陸東部。エイムス帝国の最下層・アーバングラウンドにて――私、アルメリアは人形劇に興じていました。
豪華絢爛。
煌びやかな自動人形が演じる、悲恋のオペラ。
下層部には似付かわしくない大劇場にて、私は声を抑えながら、目元に浮かぶ涙を拭います。
やがて来るカーテンコール。
拍手喝采を浴びながら、一礼をする自動人形達。
あぁ――私も、あんな風になれたならなぁ……。
劇場から出た私は、余韻冷めやらぬ様子で、水溜まりを気にせずにステップを踏みます。
「あぁ! あぁ! 何故あなたはロミィなのッ? これが愛の試練だと言うのなら、これ程までに残酷な事は無い!」
くるくると回りながら、今度はこちらの台詞。
「あぁ、ジュリア! 愛しき人よ! これが女神ククゥリエが課した試練だと言うならば、僕は必ずソレを乗り越える!」
言いながら私は、物語に陶酔します。
良い劇でした――本当に。この日の為に日々の賃金を稼いでいると言っても良いでしょう。
自動人形……正式にはレプリクスって言うんでしたっけ?
感情の起伏なんて、人間そのもの。アレが作りものから出た演技とは私には到底思えません。
それとも、模倣だからこそ美しいのでしょうか?
本物を目指し、けれど、決して本物にはなれない人形。その儚さにこそ私は美しさを感じていたのかも知れません。
「アルメリアも、あぁなりたいなぁ――」
何かを演じられるという事は、何者にもなれるという事。
記憶喪失の私には――それが酷く羨ましい。
分かっているのは、アルメリアという名前だけ。
他には何にも。
偶々世話を焼いてくれた、食堂のカナリア叔母さんがいなければ、きっと今頃野垂れ死んじゃっていると思います。
「私も、何かになりたいなぁ……」
呟きながら、スモッグの浮かぶ灰色の空を見上げます。
突き立つ摩天楼は上層の人達の居住区です。その下に中層があり、此処は掃き溜めの下層エリア。
マナを扱えぬ者達の最後の楽園。
それが、科学技術の発展したエイムス帝国だと教えられましたが……私は余りピンときません。上層エリアの人達は、また違うのかも知れませんが、此処は水も空気も汚いですし、病気になる人だって多いです。
おかげで、変な歌だって流行っています。
――やってくるよ、怪人イージー=ドゥ。
――泥の中から、闇の中から、仮面を着けて現れる。
――生き血を吸うよ、イージー=ドゥ。
――鉈で刻むよ、イージー=ドゥ。
――魂取るよ、イージー=ドゥ。
――下層エリアのイージー=ドゥ。摩天楼を見上げるよ。
確か、こんな歌詞だったと思います。
何とも陰気な……誰が思い付いた歌なんでしょうね、全く。
……別に怖くなんてありませんけど?
良い趣味とは言えませんよね!
「……あれ?」
考え事をしていたら、普段と違う道のりを歩いていた自分に気が付きました。下層エリアは細い道で入り組んでいるので、迷いやすく、治安も悪いので、女性の一人歩きには不向きな場所だったりします。
もしや、また迷子!? 夜も段々更けて来ましたし、このままだと少し不味いかも……。
そう思った矢先、私の背後から――ポチャリ。と、何か水物が落ちた様な音が響きました。
「え……?」
振り返ると、そこには黒いアメーバ状のナニカが蠢いていました。一見すると御伽噺に出て来るスライムの様。けれど、スライムってあんなに黒々としたものだったでしょうか? 何とも不気味な……気色が悪い。
「キィ」と言った鳴き声と共に、黒いスライムはその身を分裂させていきます。一体どういう原理でしょう? 元の体積以上に増殖するスライムは、今にもこの細い通路を埋め尽くしそうな勢いです。
じりじりと後退していく私に気が付いたのか、スライムは勢い良くその身体を噴射し、私へと飛んできました。
「ひぃッ!?」
ドン臭い私は、手を前に広げて、目を瞑ってしまいます。
訪れる衝撃にビクビクとしながら、しかし、想像した衝撃が中々やって来ない事に疑問を抱き、恐る恐る目を開きます。
そこにいたのは――巨軀の怪人でした。
「……イージー=ドゥ……いえ……?」
「……」
カーキ色のトレンチコートに身を包んだ、仮面の大男。
その姿は――歌と一緒だった。
手に掴んだスライムを握り潰し、私を見詰める怪人さん。
物言わぬ彼の視線を受けながら、私は――脳裏に浮かんだ言葉を口にする。
「……■■、■■?」
「――」
頭が痛い。
割れるような痛みです。
脳裏に浮かぶ膨大な、抽象的なイメージ。
硝子細工の眼球。黒い蒸気。下卑た笑いを浮かべる老人。穴を開けられていく身体。アイン。豹変した皇帝。鋼鉄の鎧。立ち並ぶ金管。薄暗い窓辺で――私は、私は、私は――ッ
私は――機能を停止した。
◆
倒れた少女を抱えながら、イージー=ドゥは空を見上げた。
雨の水滴を仮面に受けながら、じっと摩天楼を見詰める。
その足元には、黒いスライムが複数蠢く。
「……」
イージー=ドゥの足元が一瞬、発光する。
バチリと言った、電気音。
己を中心とした電光は石畳の地面を砕き、黒いスライムを全滅させる。身に纏う服が絶縁となっているのか、その電撃は彼のブーツより上へは上って来ない。
抱えた少女や、焼けて消滅したアメーバに意識すら向けず、彼は摩天楼を見続けた。
正確には、その中の最も高き塔。
帝都城――ヴァン・クラウドを見詰めていた。
「……必ズ、這イ上ガル」
怪人の――決意を秘めた様な呟きは、雨音に消えていく。
◆
「ヴァイス・アームズの調整は完了したよ、博士」
薄暗い室内で、男の声が響く。
男の目の前には、一台の端末が置かれていた。
「クケケッ! そうか、遂に……では、動くのか?」
集音機から発せられる声は、音割れもあるのだろうが、それ以上に声の主の所為で、汚い印象であった。
「博士にとっては試運転だが、我々にとっては大いなる戦だ」
「大いなるぅ?……クケケッ、クケケケッ!」
「……」
「精々、壊さぬようにな。――我が息子よ」
言葉を最後に、プツンと、通信が切れる。
暫しの静寂。
それに身を浸しながら、男は溜息は吐いた。
扉がノックされたのは、その暫く後であった。
「――入れ」
言葉と共に、扉が開かれる。
室内へと入ってきたのは、一人の男性であった。
「失礼致します、皇帝陛下」
「よい」
言って、エイムス皇帝――グラム=ヴァン=エイムスは、目の前の男を見詰めた。
マルク=シェトランド。
エイムス帝国の第一軍、突撃隊長を務める男。歳は30後半。将校としては若い部類だろう。尤も、その顔つきは厳めしく、歳以上に老けて見えるのは、改造手術の代償か。
「リアネス侵攻の準備はどうだ?」
「全て、滞りなく」
「長かったな……」
「……」
「リアネスの事だけではない。マナを扱えぬ者として、差別を受けた我々が、頂点に立つまでの事が、だ」
マルクは、皇帝の言葉に静かに頷く。
帝国臣民であるならば、この思いは皆も同様である。
「大気や水を汚し、人間性を捨て我らはこの場に立っている」
「……」
「全ては、傲慢なりしマナの奴隷に鉄槌を下すため」
腕を振り上げ、拳を握り――エイムス皇帝は宣言する。
「さぁ、幕を開けよう……王都侵攻の開戦である!!」




