004 ハインリヒ VS レシィ
「ははは! どうだ! これならどうだ!?」
「うッ――ッぜぇ!!」
笑う。我が子が笑っている。
あんなにも喜色の笑みを浮かべたレシィを見たのは――初めてかもしれない。
アルマナ姫の嘆願により、処刑されるか、もしくは永遠に牢獄へと閉じ込められるしか未来のない娘は、こうして姫の護衛として自由を与えられた。
父としてホッとする自分と。騎士として余計な事をと考える自分に頭を悩ませたのは何時の頃だったか――いや、それは今もかもしれない。
そんな自分が――初めて見せる娘の表情。感情に、酷く驚いているのを感じていた。
原因は彼だ。
「シッ、タッ――ハァッ!!」
素手で竜を屠る娘の拳を、次々と捌き、躱してく少年。
娘は手加減を――してる筈はないか。
拳の一振りで地面には大穴が空き、蹴りの風圧で近くの樹木が切断される。
やはり、掛け値なしの化物だ。
だが――それなら、アレに拮抗する少年は何だ?
神童ハインリヒ=セイファート。
テランを周る最中、その噂は耳にしていたが――正直、どこにでもある与太話だと思っていた。
実際、姫様の予見にも彼の存在などなかった筈だ。
でなければ、冷静な彼女がアレほど驚いた顔を見せまい。
「使えるかもしれないな……」
誰に聞かれるでもなく、小さく呟いたその声は、風によって消えていく。
◆
おかしい。
おかしいぞこれは。
俺こと、ハインリヒ=セイファートは憤りを見せていた。
――何故誰も止めない!?
「おっと」
ブンっと。飛んできた拳を足場に、少女の後ろへと降りようとする俺。
「――」
着地を狙い、慣性を無視した速度で飛んでくるスライディングを、身を捻って回避。
崩れた態勢へと放たれる拳打。拳打の嵐を両腕で捌き、間合いを取るために後ろへ飛ぶ。
「――いいなぁ、いいなぁ……」
追撃は無かった。
代わりに少女はトロンとした眼で俺を見る。
「ハイエンターレ……つったか……?」
「いや、ハインリヒだ」
「……ハインリヒ」
「ハインリヒ=セイファートな」
「そうか……」と、何やら考え込む少女。
一生そのまま考え込め。
そして、いい加減終わりにしろ。
ジンジンと痛む手を動かしながら、目の前の少女を睨む。
最初は頭に血が上っていた。
むかつくと思ったし、ぶっ飛ばしてやろうと思っていたのだが――戦い続け、その意思が薄らぐのを感じている。
レシィ=クリムゾンと言ったか……?
ある程度分かってはいたが――こいつ、滅茶苦茶強ぇえ。
それでいて手加減を知らんから、戦っていて怖いのだ。
手加減は――いや、もしかしたらしているのかも。
彼女なりに。
実際手合わせして最初の方は探り探りであったと思う。
これぐらいならどうだ? ならこれは? これでも大丈夫か。なら次はこれだ――と。
段々と力を解放しているのを感じる。
だがそれが下手くそなのだ。
そもそも初めの一撃からして致死級の攻撃をお見舞いしている有様だ。俺でなければもう何回死んだか分からん様な攻撃を繰り返しやがる。
周囲の連中もそれは分かっている筈なんだがな……全く止める素振りが無いと来た。
何故俺が回避一辺倒なのか分かっているのか?
攻撃している暇が無いからだぞ?
捌きミスったら死にかねないしな。
そりゃ慎重にもなる。
「……ありがとな、ハインリヒ」
「……いきなり何だ?」
訝しみながら、俺は尋ねる。
「私はさ――生まれてからずっと、周囲の人間が紙くずに見えたんだ」
「……眼科に行け」
それか頭の病院だ。
「触れたら簡単に壊れちまう、儚いもんだと思ってた」
レシィは一瞬、視線を俺から外し、離れた場所に立つアルマナ姫へと目を向ける。
「それでも面白ぇ奴はいたけどさ、ずっと、何だか仲間外れにされている様な、そんな疎外感を覚えてたんだ」
「……はぁ」
「だからハインリヒ。お前には感謝してるんだぜ? 私と同世代で生まれてくれた事。テランというクソ田舎にいてくれた事。力を持っていてくれた事に――感謝している」
レシィはその場で半身になり、右拳を突き出し、左拳を顔の横へと静止させる。
見た事はない。だがそれは――紛れもない【構え】であった。
「だから、な……これは我儘なんだけどよ」
直後、彼女の肉体を気の奔流が包み込む。
「――抑えられねんだ。ドキドキしてッ、あーッ! 初めてだからかなぁ!? 駄目なんだよ。全然駄目駄目で止められねぇッ!! こんなの全然知らねぇし! ……だから、さ」
「……ッ!」
目と目があった。
両腕に金色のオーラを放ち、少女は俺に対し懇願する。
「――死ぬなよ」
「止めてッ!!」
アルマナ姫が切迫した叫び声を上げる。
遅い。遅いのだ。
この姫様はさっきから遅すぎる。
拳を突き出し、光の速さで俺へと突進するレシィ。
何が死ぬなよだ。
断頭台に掛けられた罪人に、処刑人が言うのと同じ状況だぞ、それ。
つまり何が言いたいかと言うと――
「ふ、っざ、けんなぁあああああああああー!!」
――という事である。
叫びながら俺は、己の中のマナを臨界し、前方に魔法陣を展開する。
無詠唱五重奏。属性は無の反発。
両足にのみ気を放出。金色のオーラが嵐の様に足へと巻き付いた。
『エア・クリエイト』
風の第三魔法を瞬時に行使。風により実体化した巨大なハンマーを両手に顕現。残った時間の全てで足元の魔法陣を何重にも重ねていく。
全て――刹那の出来事であった。
◆
「――ッ!!!」
――衝突。
光が何色にも色を変えたと思った瞬間、二人の姿は消えていた。舞い散る砂に視界を奪われながら、何とか見えたその箇所には、大穴が空いている。
「な、なにが……」
キョロキョロと周囲を見回すザンス。
しかし、二人の姿は何処にも見当たらない。
一体何処に……? と、誰もが思った瞬間。――スタッと。
周囲の輪の外側から、何かが着地する足音が聞こえた。
「……」
「レシィ!」
そこには、レシィ=クリムゾンを脇に抱え、立ち尽くすハインリヒの姿があった。
「……気を失ってるだけだ」
「気を!?」
驚く姫様に気絶したレシィを手渡すと、ハインリヒは何処かへ行こうとしてしまう。
「待ってくれ!! 君はあの瞬間、どうやって娘を!?」
「……突進を受け止め、地面を爆発させた。ついでにハンマーで顎を叩いてお終いだ」
「――ッ」
酷く疲れた顔をして、その場から立ち去るハインリヒ。
彼の背中を追うのは幼馴染のキッチェのみだった。
「……信じられない」
レシィを抱えながら、アルマナ姫がそう零す。
予見の姫と呼ばれた少女が、そんな事を口走るのかと、ザンスは他人事の様に思った。
「あぁ……そうか」
気絶した娘を見下ろしながら、彼は呟く。
「レシィが負けたのか……」
◆
「……はぁ」
帰宅して早々、自室のベッドへと身を投げるハイン。
疲れた。
ものすっっごい、疲れた……。
「それに……」
何かを言おうとして――止めた。
代わりに出るのは溜息だけだ。
「ハイン~~!!」
「……」
どたどたといった足音を立てながら、キッチェの奴が俺の部屋へと入ってくる。
勝手知ったる何とやらという奴か。
本当、コイツ自由だよな。俺にプライバシーは無いのか。
「んだよ?」
立ち上がるのも面倒だったので、顔だけ向けて対応してやる。
「凄かったね~~!!」
「……」
キラキラとした目で俺を見るキッチェ。
ああ、そういうこと。
素人にはそう見えるんだよな、素人には。
「……全っ然、凄くないっつーの」
「ええー!?」
驚いた表情で固まるキッチェ。
くっそコイツ、俺の事を馬鹿にしてるのかな?
反応が一々大袈裟なんだよ。
「……でもでも! ハインはあのすっごい強い子に勝っちゃったよ?」
「……いや」
キッチェの言葉に、俺は起き上がりながら首を振る。
「あれは俺の負けだ」
「えぇ!?」
「――魔術を使った。体術だけじゃ敵わなかった」
レシィ=クリムゾンは終始此方の実力を推し量る様な戦い方をしていた。
全力で、勝ちにいく様な戦いではない。
そもそも奴は、腰に差した剣すら使っていなかった。
ずっと素手だ。
だからこそこっちも素手でやりあっていたのだが、最後の最後にその意地も無くしてしまった。
「――なぁキッチェ。もしかしたら俺は……神童じゃないのかもしれないな」
「ええぇ!?」
再び驚くキッチェ。俺はもう気にしない。
正直ビビった。
奴が俺の事を【初めて】と呼んでいたが、こっちだってそれは一緒だ。
初めて全力を出した。出して良いと思える相手だった。
奴はその事に対して喜んでいたが、俺は――無理だ。
喜べない。
上には上がいるなんて、知りたくもなかった。
これから先――神童だなんて調子こいた名乗りを上げていたら、今後もこういった事が起こるかもしれない。
それは、果てしなく面倒だった。
「周りの奴らにも言っといてくれ。もう俺を神童と呼ぶなとな……ちょっぴり気が重いが、今日父さん達にもそう伝えておくよ」
「ほ、本気なの!? ハイン!!」
「あぁ」
「むむむむむ……」
頭を抱えながら唸るキッチェ。
そもそも、神童だなんて周りが勝手に呼んでいた事だ。
俺自身、拘りがある訳ではない。
捨てるのに、一切の躊躇もない訳なんだが――目の前の幼馴染は、そうでもなかったらしい。
「バカー!! 自信満々じゃないハインなんて、ハインじゃないよー!!」
「うお!?」
叫び、来た時と同じ様にドタドタと去っていくキッチェ。
……。
……まぁ、仕方がない、か。
なぁキッチェ。
こんな身近な所でこんなに強い奴がいたんだぞ?
ーーきっと世界には、もっともっと強い奴が一杯いるに決まってるだろう?
だから俺は決めたんだ――そんな奴らに、目を付けられない様な生き方をしてやる、と。