012 生きていて良いんだ
生まれた時から、レシィ=クリムゾンの中には何かがいた。
時折耳にする囁き。
振り返っても、そこには誰もいない。
小さな違和感を覚えつつも、私は気にせず能天気に生きてきた。
同年代の子供よりも、明らかに強い力。
それを意識したのはいつだったかな――?
同年代の男のガキと追いかけっこをし、誤って腕を折っちまった時だろうか?
父の陰口を言う大人の騎士を、素手で半殺しにしちまった時だろうか?
覚えちゃいない。
――日を追うごとに、頭の中の囁きは大きくなっていた。
ただの雑音。
異音としか思えなかった音が――日増しに鮮明に。
意味のあるモノへと――聞こえてきた。
『――殺せ』
……誰を?
浮かぶ疑問に、声は答えない。ただ私に『殺せ』とだけ繰り返した。
カレル歴194年。
私が七つになった頃――私達家族は、珍しく王宮へとお呼ばれされた。
初めて見るお城は大きくてなぁ……当時の私は、無邪気に馬車の中ではしゃいでいたっけ。
「お行儀良くしなさい」と、母は言っていたと思うが、耳に入らねぇ。
王宮の中――家にいた時とは違い、正装に身を包んだ父を見付けた時。
私は――
『――殺せッ!!』
「――ッ!」
――己の中で叫ぶ、声の意味を知った。
全身に嫌な汗を掻きながら――
心臓を鷲掴みにされた様な痛みに堪えながら――
静かに。
誰にも気付かれない様に、その場を後にする。
遠くへ。
出来るだけ遠くへ。
離れなければ、いけない。
ぼやけた視界の中、私は歩き続けた。
何処をどう歩いたかなんて、覚えちゃいない。
誰もいない場所を探し、私は王城の地下へとやってきていた。
「わるいことをした人が、閉じ込められている場所だよ」
と――昔、父の同僚に教えられた場所だ。
適当言いやがって。
地下にわるい奴なんて、何処にもいなかった。
いたのは――大きな白い竜だけだ。
ふらふらな足取りで、鎖に繋がれた白竜へと足を向ける私。その牙が届くであろう場所にまで近付くと、私は膝を折って、両手を組む。
神秘的な、幻想的な竜だった。
何かお願い事をすれば――叶えてくれそうな。
子供心に、私はそんな事を考えていた。
朦朧とした意識の中、目の前の竜に祈りを捧げ――願いを口にする私。
「――おねがいです。わたしをたべてください」
私の声に、竜は身じろぐ反応を見せた。
『――何故』
頭の中へと、語りかける声が響く。
きっと目の前の竜によるものだろうと、疑いもせずに私は言葉を続けた。
「おとうさんを、ころしたくないから」
『……』
呂律の周らぬ私の返答に、竜はすぐには答えなかった。
じっと此方を見詰め、何かを考えている様だ。
『サラマンドラ――奴の呪いか』
竜はそう零す。
呪い……言われてみれば、そうかも知れねぇ。
『人の子よ。貴様は父の為、その命を捨てると言うのか? そこに恐怖はないのか?』
竜の問いに、私はこくりと頷いた。
「わたしは、じぶんがいちばんこわいから」
『ふ――はは。ふははははは!!』
私の答えに、目の前の竜は何が面白いのか、笑い声を上げやがる。
『この聖王竜を目の前にして――自身が一番怖いとぬかすか? ――面白い』
竜はその場で身を捩ると、自らを拘束する鎖を呆気なく破壊する。
地下全体が潰れちまうんじゃないか?
そう危惧してしまう程の、衝撃音を伴って。
『――殺せ』
「……ッ」
脳裏に響く呪いの言葉に、頭を抱える私。
そんな状態の私を見下ろしながら、聖王竜は言葉を掛ける。
『――闘争心を、解放しろ』
……闘争……心?
『言葉通りにせよという意味だ。我が勝てばお前を食らう。お前が勝てば我を食らう。その身に竜族種が二対宿れば、貴様の呪いも幾分中和されるだろう』
「ぐ、あああ! あああああああ――!!!」
『――来い。人の子よ』
目の前の竜の咆哮は、私を更に狂わせた。
重なり合う不協和音。
黒く混濁する意識。
ぐちゃぐちゃに。ぐちゃぐちゃにーーなっていく。
そうして目が覚めた時――私は、聖王竜を食っていた。
それからどうなったのか、詳しい所は覚えちゃいねぇ。
あれほど喧しかった頭の中の声は止み――
代わりに、私を罵倒する父の声が聞こえていた。
何を言ってたっけ……?
あー、駄目だ。思い出せねぇ。
覚えていたのは、私を罵倒する父のその目だ。
私の事を、怯えた目で見ていた。
化け物をーー見る様な目だった。
その目を見て――私は改めて気が付いたんだ。
自身が間違っちまった事を。
牢屋へと入れられ、何日経っただろうか?
出される食事にも手を付けず、私はただ――自身が裁かれる日を待っていた。
そんな時だ。
アルマナ=ディ=リアネスは――私の前に姿を見せた。
護衛の一人も着けず、パッと見て清廉なお姫様は、不衛生な牢へと足を近付けた。
私と――同い年の少女だと聞いている。
顔も見るのも初めてだったが、思ったよりも冷たい目をする女だなぁと。私はそんな風に奴を見ていた。
「聖王竜を殺した、じゃじゃ馬だって聞いたけど――何、その姿?」
「……」
嘲る様に。見下す様に。アルマナの奴は最初、私にそんな声を掛けてきやがった。
「もう生きるのを辞めてしまったのかしら?」
「……」
「死人の様な顔をしているわよ?」
「……」
何を言われても、私は答えない。
この時の私に、何かを答える気力など何処にも無かった。
「……ッ!」
何が気に食わなかったんだろう……?
怒りに歯を食いしばった様な表情を見せるアルマナ。
その時の私は『何でこいつ、こんなに怒っているんだ?』と、不思議に思っていた。
「あ……?」
突然、牢の鍵を開けようとするアルマナ。
何故このお姫様が、牢の鍵を持っているのだろう?
そもそも、こんな場所に護衛を着けずに出歩けるもんなのか?
普通、周りが止めるだろう。
という事は何か? この姫様は、勝手に――
そこまで考えた時、目の前にまで近付いて来たアルマナが、私の胸元をグイッと掴む。
「――ふざけんじゃないわよッ!!」
「……ッ」
豹変した様な彼女の姿に、私は思わず息を呑んだ。
「貴女、死ぬ気でしょう!?」
「……だったら、どうした……ッ?」
言い返す私の頬に、アルマナの右拳が突き刺さる。
「――ぐッ」
この女……ッ!拳で殴りやがったッ!?
瞬間。吹き上がった怒りが私を立ち上がらせ、姫の胸元を掴ませた。
「手前……ッ!」
「そんな力がありながら!! 楽な方向に行こうとするなッ!!!」
「お前に何が分かるって言うんだよッ!?」
「分かるわよ!! 貴女より貴女の事が私には分かる!!!」
「……は、はぁ!?」
「予見の力……未来を見る力……」
「……」
「その力の所為で……私には未来が無い……ッ」
「それは――」
どう言う意味だ?
聞き返す前に、アルマナは私へと叫ぶ。
「まだ未来は確定してないのに――勝手に未来を閉ざすなッ!! 苛々するのよ貴女!!」
「ん、だとぉ……ッ!?」
こっちの気も知らずに、言いたい放題言いやがって!
「――ひ、姫様!? 一体何を!? お、おい! 誰か来てくれッ!!」
騒ぎを聞きつけた兵士が牢の中へと殺到するのには、然程時間は掛からなかった。
兵士達にもみくちゃにされながらも、尚も私へと口撃をするアルマナ。
負けじと言い返す私。
気が付けば――鬱屈した気分は晴れていた。
数日後――牢から出された私は、アルマナの護衛へと指名されていた。
何が何なのか分からない。
戸惑う私を、勝ち誇った様に見詰めるアルマナの姿が――印象的だった。
「なぁアルマナ?」
「あら。何かしら、レシィ?」
「私の未来が確定してないって、本当か?」
「本当よ。信じられない?」
「ああ、無理だ。今でも俺の頭には竜の呪いが囁いてやがる」
「……」
「俺は俺でなくなって、どちらにせよ――死ぬ」
これが確定事項で無くて、何が確定なのかと。私はアルマナへと問い掛ける。
「貴女の未来は――私にも見えない」
「……」
「見えないというのは、続いていくという事なのよ?」
「そりゃ……能天気な解釈だな」
「いつか――あなたの闘争心を受け止められる様な――」
「……」
「そんな人が――現れるかも知れないわね」
希望的観測を口にするアルマナに、私は「ハッ」と軽く吐き捨てた。
◆
そうして――現在。
いたぞ、アルマナ。
私の事を受け止められる存在。
そいつが――目の前にいた。
ハインリヒ=セイファート。
白銀の髪をした、自身と同い年の少年。
私は、生きていて良いんだ。
存在していて良いんだ。
生まれてきた事に、後悔しなくて良いんだ。
こいつの存在が――私にそれを証明してくれる。
周囲の惨状。
私も見守るアルマナの目。親父の目。
目の前のハインリヒ。
あぁ――言わなくても分かっている。
私を元に戻す為、全員が骨を折ってくれたんだろう?
気が付くと――目から涙が零れていた。
アルマナの奴が、私を優しい目で見やがる。
何だよ、照れるだろうが。畜生。
このままでも充分だった。
何が起こっていたのかは、朧気ながら理解している。
此処で終わりにしても――構わなかった。
だが、ハインリヒは私に言う。
「全力でやろう」――と。
その言葉を受けた時、私は思った。
あぁ――やっぱりコイツは、最高だ。――と。




