002 王都からの来訪者
カレル暦200年。
俺こと、ハインリヒ=セイファートは今年で十才になる。
神童神童と崇められている俺だが、いい加減、このクソ田舎にも飽きていた。
俺が何かしようものなら――
「さ、さすがハインリヒ!」
「凄すぎる……」
「僕たちじゃ百回生まれ変わってもそんな事出来ないよ!」
「格が違う!」
――とかなんとか、貧弱な語彙で俺をヨイショしてくる連中ばかり。
昔は気を良くしていたが、何事もやりすぎはいけない。
流石に飽きた。飽き飽きだ。
本当なら今すぐにでもこんなド田舎を出て王国へと出向き、英雄譚の一つでも作りたい気分なのだが、頭の固い親がそれを許しちゃくれない。
せめて十五才になるまで待ちなさいと、一般論で語ってくれる。俺の様な神童の一年が、どれほど貴重なのか……未だに親達は理解していない様だ。
とはいえ、今まで育てて貰った恩もある。それを無視してまで王都に行こうだなんて、俺も思ってはいない。
……思ってはいないが。
「……退屈だ」
呟き、手にしていた魔術書をパンっと閉じる。
「ハイン! ハインリヒ~!!」
「む」
屋敷の外から、気安く俺の名を呼ぶ声が聞こえる。
またキッチェ=ルヴィか。
幼馴染とは言え、この俺に気安くし過ぎではないかと常日頃引っ掛かってはいるのだが……それを指摘するのも、何となく器が小さい感じがして嫌だ。
俺はその場から立ち上がると、窓を開け、外にいる階下の煩い奴へと目を向ける。
「騒がしいぞ、キッチェ! 用があるなら玄関から来い!」
幼馴染なんだし、普通に入れて貰えるだろう。何を慌ててるんだか……。
「そんな事言ってる場合じゃないんだよー!!」
「はぁ……?」
「急いでよ!!」
「何をそんな、いいか、俺は今読書中で――」
「王女様!!王女様が来てるの!!」
「は――」
くるり、と。窓枠に手を付き前転。そこそこの高さから飛び降りた俺は、空中で姿勢を制御。着地点近くの木の枝を片手で掴み、減速。枝はポキリと折れてしまうが、地面へと着地する頃には落下速度は十分に殺されていた。
「――で、王女様が何だって?」
問い返す俺を、ドングリの様な丸い目で凝視しながら、口を開けたままのキッチェが返事をする。
「すっ――」
「すっごいのは分かってんだよ!! 俺がすっっごいのは生まれた時からすっっっごいの!!!」
被せるように言ってやる。
時代は早さを求めてるんだよ! 早さを!!
「あわわわ」
「で! 王女様ってのは何処!? この村に来てんだろ!?」
「う、うん! こっち!!」
「うっし、案内しろ!」
退屈で飽き飽きしていたんだ。
本当に。本っ当に!
王女様?
リアネスの王女と言えば、アルマナ=ディ=リアネス姫。
予見の力を持つと言われる人だ。
そんな人が何故このクソ田舎に――?
いや、分かる。
分かっているとも。
俺は駆けながら、自然と口角を持ち上げていた。
この俺、神童・ハインリヒ=セイファートへと会うために決まっている!!
面白くなってきた!
ようやく何か、歴史の物語が動き出したように感じるぞ!
俺は内心の興奮を抱きながら、先導するキッチェと共に村に一つだけ存在する、古聖堂へと足を向ける。
聖堂の入り口は野次馬の村人の行列と、護衛の鎧騎士で埋まっていた。
いつもはこんな人だかりなんて出来ないんだがな。
俺は内心舌打ちをしながら周囲を見回すと、近くの騎士達の中でも、一際偉そうな奴にペコペコする父の姿を見つけた。
――よし、使えるな。
「父さん!」
「……おお! ハインじゃないか!お前も来ていたのか」
一瞬ぎくりとした表情を見せた父は、それを隠すように俺へと笑顔を向ける。
うんうん、分かる分かる。
普段町長として偉い姿を見せている父だ。
息子に。例え圧倒的に立場が上な相手だとしても、遜る姿を見せたくは無いのだろう。
――だが、今の俺にはそんな事どうでも良い。
「失礼、息子様ですか?」
豪華な鎧を着た、細目の男がそう問いかける。
騎士団長……という奴だろうか?
白髪を上に纏めた髪型。顔の皺から見て、結構な歳の者なのだろう。他の鎧騎士に比べても、格が違う強さを感じる。
「ハインリヒ=セイファートです。団長様」
「良く出来た息子ですよ」
「ほう」
自己紹介をする俺に、男は興味深げな視線をやる。
「団長と、エレグス殿から私の事を聞いていましたか?」
「いえ。ですが、佇まいを見れば分かります」
「ほう……エレグス殿、ご子息はお幾つでしたかな?」
「今年で十になります」
「十? ……歳以上に利発そうな子ですな。どの様な教育をしているのか、一度ご教授して頂きたい程だ。かくいう私にも、不肖の娘がおりまして――」
何やらヒートアップする団長さん。
あ、これ長くなるかも。と、頬を引き攣らせた瞬間。
「おい! 何をギャーギャーと騒いでんだよ、オヤジ!」
教会の入口から、ガラの悪い声が掛けられた。
現れたのは、赤い髪に褐色の肌をした少女だ。
恐らくは俺と変わらぬ歳の子だが、その眼光の強さは同年代では見た事がない。革の軽装に騎士団のマントを羽織り、生意気にも腰に帯剣をした格好をしている。
俺と同年代のガキがそんな恰好をしていたら、普通は似合わないし、見た瞬間噴き出す自信がある俺だが――何故だろう、コイツには違和感がない。
というか、似合っている。
剣や血や土埃。歴戦の戦士の風格が、コイツにはある。
胸が少しチクっとした。
不愉快だ。
何だこの感覚?
アイツを見ていると、何だか苛々してくるぞ。
「……任務中は団長と呼べと言っているだろう!」
「は! うっぜ!! アルマナが用事が済んだから、撤収しろっつってんだよ!」
「アルマナ姫だ!!」
顔を真っ赤にしながら、叫ぶ団長さん。話の流れからして親子関係なのだろうが、随分と舐められている印象だ。
「喧嘩は駄目よ、ザンス。レシィもお行儀良く。村の人達が困ってしまうわ」
「ッ、姫様」
レシィと呼ばれた少女の背後、純白のドレスに身を包んだ少女が教会から姿を現した。
青く澄んだ長い髪を腰まで伸ばし、頭には儀式様のティアラ、首には銀のネックレス、白いオペラグローブの上にはダイヤの指輪と、豪華絢爛な礼装がまず目に付き、次に、少女自体の美しさに目を奪われる。
彼女が、アルマナ=ディ=リアネス姫。
全体的に清楚な印象を持つ彼女だが、キリっとした瞳には意志の強さを感じる。
……レシィと呼ばれた少女と、似ているかもしれない。
タイプ的にも色的にも、全くの正反対なのだが……。
雰囲気だろうか? ……ま、どうでもいいか。
俺は考えを中断すると、そのまま足を前へと踏み出す。
「騒がせてしまってごめんなさい。もう用事は済んだから、次は――」
「――姫様! 予見の姫様!!」
「――ちょっ!」
後ろでキッチェの奴が何やら慌てた声を出すが、興味はない。
「――おい、何だガキ。それ以上進むんじゃねぇ」
「待って、レシィ」
俺の歩みはレシィとかいう少女に立ち塞がれ、止められてしまうが構わない。
「姫様は予見の力を持っていると聞きます。では、テランへとやってきたのはそれと関係があるのでしょうか?」
「!」
アルマナ姫の目が、一瞬大きく見開かれる。
よし! 当たりだ!
「それは……」
「あるんですね?」
何かを躊躇う姫様に、念を押すよう言う俺。
「おいガキ、無礼過ぎんだろ。黙んねぇと殴るぞオイ!」
ドスの効いた声で脅しを掛けるレシィ。
だが、俺は黙らん。
というか、むしろヒートアップしている。
「その予見とは――神の事で間違いありませんか!?」
「――っ!?」
今度こそ、本当に驚いた顔を見せる姫様。
ああ、間違いない。間違いない……。
「あなた、どうしてそれを……?」
恐る恐る俺に問い返す姫様。
困惑する団長さんとレシィ。
にわかに騒ぎ立つ周囲。
「農耕以外見るものがない片田舎のテランに、一柱の神が降臨すると予見した。だからこそ姫様は、態々こんな村へと足を運んで来たんですよね!?」
俺の言葉に、父エレグスが「まさか!」と声を上げる。
相変わらず察しの遅い父だ。
「それは……」
姫様は俺の言葉に答えて良いか、判断しかねている様だ。
無理もない。
こんな衆人環視の中、村の民を騒がせるような事は言いたくないだろう。
――だが! それだと俺が困るのだ!!
「ならば言います。その神とは――私の事ですね!!」
「……え?」
「私の名はハインリヒ=セイファート。テランの町長であるエレグス=セイファートの息子にして、神童と謳われる者。恐らくは姫様が探す神と相違なき者と愚考します」
「え、っと……ハインリヒ?」
「ハッ!」
元気よく返事する俺。
どうやら姫様は困惑している様だ。
無理もない。
見た感じ同世代の異性が自分は神だと名乗っているのだ。
俺以外の誰かが言っていたとしたら、俺だってそいつの頭の中身を疑ってしまう。
だが、事実なんだから仕方がない。
ハインリヒ=セイファートは神童だ。
神の様な才能を持った神の生まれ変わり。
つまりは俺が神。
現実は直視して貰わないと――
「ぷっ、くくくく、ははは、あーはっはっはっは!!」
誰もが一言も発せないまま、目の前の少女の笑い声が、沈黙を破る。
「ひ、ひひ。やば、何だ神って! くくく、頭ぁイカれてんぞお前。くっははははは!」
「――」
腹を抱え、笑い転げる少女。
無知から来るものだっていうのは分かっている。
分かってはいるが――しかし、むかつく。
「……へぇ?」
不愉快だと。そう思った態度が伝わったのか、少女はにやけ顔を浮かべながら俺を睨む。
む。何だ。むかつく態度を取られたのは俺だというのに、何故こいつはこんなに好戦的な目をしやがるんだ?
「……おい、レシィ」
焦った団長さんが、声を出す。
目の前の少女はそれに振り返り「分かってる」と答え――
「ッ!!」
俺の顔面へと向けて、拳を放った。
「レシィ!!」
静止を呼び掛ける様なアルマナ姫の声も、一拍遅い。
十の少女が放つものとは、到底思えぬ風圧の拳。
まともに食らえば容易く命を刈り取るであろうソレは、俺の眼前でピタリと止まった。
寸止めだ。
最初から当てる気はなかったのだろう。
その事を見切れていれば、今、大量の冷や汗を掻かなくて済んだものを。
「テメエ……」
死ぬかと思った。
本当に驚いた。
同年代でこんな奴がいるなんて、思ってもいなかった。
「躱したな?」
震える様な少女の声。
目線は一瞬、俺の足元――両のつま先から延びた一本の砂の線に向けられていた。
――今、俺は恐怖したのか?
同年代。それも女の拳を見て――死ぬかもしれないと体を固めた?
「……」
胸の奥で、何かの感情が溢れてきていた。
指先は震え、足はこわばり、息が荒くなるのを自覚する。
あぁ、強いんだろうな。目の前のこいつは。
勝てないかもしれないと。
――心の奥底の冷静な俺が分析する。
けれど――どうでもいい。
重要なのはただ一つだ。
神である俺が――ビビらされた。
その事実に俺は、体の自由が利かなくなる程の怒りを覚えている。
許せないと。
今すぐ目の前の存在を叩きのめせと。
拳が震えているのだ。
「……あは」
そんな嬉しそうな顔をするな。
「くそが」
吐き捨てる。
俺は天才だ。天才だからこそ、天才の事が良く分かる。
こいつ――待ってたな。
対等に戦い合える相手を。敵を。――待ってたな。
でもって、それが俺だと。
未だ半信半疑だが、期待してもいいかもと、ワクワクしている顔だぞ、それは。
……舐めやがって。
……今すぐにでも思い知らせて――ッ!
「――ぐうッ!?」
「また躱したなぁ。……やっぱ見えてるぜ」
顎先を狙い、飛んできた蹴り足を顎を上げる事で回避する。
……どうやら、考えている場合じゃないみたいだ。