009 最強の交渉術
カレル歴205年。
虹梟の月、双月の曜日。
亜人の子を解放し、一月を跨いだ日の事。
「よお! 来たぜ」
「……」
「んな嫌そうな顔すんなよ。こっちも仕事だから来てんだっつーの」
戦闘メイド――ルーシー=スカイバーンが、教会へと訪れた。
要件はアレだろう?
貴族のボンボン――スネップ=アノンドロワの【礼】という奴だろう。
……面倒臭せぇ。
……ただでさえ、傭兵団を作るのに難航しているというのに。
……この、余計な手間。
「……やっぱり、あの館に行かんといけんのか?」
「そう言われてはいるな」
「拒否権は?」
「無い」
「……」
一瞬、暴れてやろうとも思ったが、後の事の方が面倒なので、止めておく。
俺は溜息を吐きながら、ルーシーと共に、もう一度領主の館へと向かうのであった。
◆
「――久しぶりだな。ハインリヒ君」
「……」
通された貴賓室には、見覚えのある男性の姿があった。
ザンス=クリムゾン。
以前見た甲冑姿ではなく、オフの様なシャツ姿で、彼は俺へと笑いかける。
っていうか……。
「――何で此処に?」
俺は浮かんだ疑問をそのまま口にしてみる。
此処はポンペイ領主の館だよな?
何故王都の騎士団長様が、こんな場所へといるのだろうか?
「スネップ=アノンドロワ君から、話は聞いている。――傭兵団を作るんだってね?」
「まぁ、はい」
答えになってない。というか、疑問を疑問で返されたな。
「必要なのは人員。それと顧客だろう。騎士団の伝手を頼ってみよう。何、こう見えて顔は広いんでね。パトロンには事欠かないよ」
「……協力してくれるっていう事で、良いんですか?」
俺の言葉に元から笑みを絶やさないザンスは、さらにその口角を引き上げた。
「協力。確かに協力かも知れない。だが――私たちの関係は相互利益の関係にあると言って良いだろう。所謂、ウィンウィン。という奴だ」
「win-winね……話を変えるが――スネップ君。これが君の言う俺への礼という奴か?」
「へ――?」
まさか話を振られるとは思っていなかったのだろう。
自分の家でありながら、所在無げに突っ立っている青年へと、俺は視線を向ける。
「あ、ああ! 勿論そうさ! 騎士団長であるザンス卿が君の事を探していたからね。きっと君の為になるだろうと思い、僕が連絡を取ったんだ!」
――俺の事を、探していたか。
誇るように胸を張りながら、そう言うスネップ。
成程、ザンス卿がね。
しかしこいつは、本当に扱いやすい奴だな。
政治とかもあるだろうに、貴族やってけんのか?と――妙な心配もしてしまう。
「俺にやらせたい事があると見た。――相違ありませんか? ザンスさん?」
「……ああ、その通りだ」
一瞬、苦い表情を浮かべながら、俺へと返答するザンス。
残念だったな。
相互利益と言いながら、随分と耳障りの良い事ばかりを囁いてくれた。
主導権を握ろうとしたんだろう?
――悪いが、そうはさせない。
「どうしても頼みたい事がある――その交換条件として、貴方はパトロンを紹介する」
「――ああ」
「そこに貸し借りは存在しない。貴方の願いも悪い案件であるならば――俺は拒否する」
「……」
「それで――いいですね?」
ザンス=クリムゾンは意気消沈した姿で、俺の言葉に頷いた。
訳も分からず、取り残されるスネップ君。
まぁ、いい仕事したよ。君は。
礼としては十分だ。
ザンス=クリムゾンはハインリヒ=セイファートとパイプを作りたがっていた。
恩着せがましくパトロンを紹介すると言っていたが、そうして欲しいのは自分なのだ。
後で――その恩を笠に着て、恐らくは俺に対し無茶な案件を振ろうとしていた筈だ。
だが、スネップ君の失言でその企みは水の泡。
残念だったな、ザンス。
話は終わった。
そう認識し、俺は貴賓室のソファから立ち上がる。
扉の傍に立つルーシーに先導され、外へと出て行こうとする。その時――
「――頼む!! ハインリヒ君!!!」
「え?」
ザンス=クリムゾンは、その場の床に直に座ると、頭を地面へと擦り、俺へと叫ぶ。
その姿は――東部、ガシュウ真国に伝わる最上級の礼。
――土下座と呼ばれるものであった。
「な、何を……ッ!?」
流石にこれには俺も動揺する。
何せ見た事が無かった。
自分の倍以上も生きた人間が――大人が――平伏する姿なんて。
初めて見たが――その様、衝撃が大きい。
正直、引いていた。
「娘の為――レシィの為!! 今一度王都に来て――あの子と戦って欲しい!!!」
「頼む……ッ!!!」と。
とんでもない態勢でとんでもない頼み事を言うザンス。
「レシィって……レシィ=クリムゾンッ!?」
驚愕の声を上げたのはスネップだ。
「王国最強。赤竜の生まれ変わり。付いた字名は【竜神】レシィ! そのレシィかッ!?」
「――ッ」
スネップ君の解説に、瞠目しながら此方を見詰めるルーシー。
いやいや、【竜神】なんて字名知らねーし。
余計会いたく無くなったわ。アイツ。
「娘は禁断症状に陥っている!!」
「……禁断症状?」
「竜の呪いだ。好戦欲が抑えられず、今にも正気を失いかけているのだ!!」
「……」
「原因の一端は、君にもある!」
なんでやねん。
俺は思わず心の中でツッコミを入れる。
「君は――娘に力を見せ過ぎた」
「む……」
「だが、責任を追求する気はない。今はただ――あの子と戦って欲しい!」
ゴツン、と。
再度額を地面に突けながら、ザンスは俺に懇願する。
「娘が――本物の化物になってしまう前に――ッ!!」




