003 その日、リィンは魔王となる
アーランド大陸、リアネス領南部。
田舎村テランより南東には、リヴィア山脈が広がっている。
草木も生えぬ険しい山々。
人理の届かぬ虚空山を乗り越えた先に――魔族領が存在する。
リヴィア山脈と接した場所に存在する――ナイトホルン。
領土の中央を陣取る――ジフトール。
最果ての更に南端――魔王の居城、万魔殿が建てられし場所――メメリア。
魔族領とは――この三つの国で形成されていた。
歴代から続く魔王はメメリアを拠点とし、万魔殿の玉座で魔族へと指揮を下すのだ。
当然――現魔王であるレノ=アークスも、その場所にいる筈であった。
――そう、筈であったのだ。
◆
カレル暦204年。
終の月、鮮火の曜日。
銀翼の翼を背中に生やし、深緑色の髪を真ん中で分けた青年は――今日、何度目か分からぬ溜息を吐いた。身に着けた高級そうな黒い軍服には皺が出来ており、美丈夫と謳われるその容姿、その目の下には寝不足によって魔坑線とは別の隈が出来ている。
室内には彼一人しかいなかった。
机の上に積み重なった書類を一瞥し、手で払い崩したくなる欲求を寸での所で止める。
――落ち着け、ケレス=ハイロゥ。
――お前が此処で暴れたとして、事態は何も変わらない。
魔族――ケレス=ハイロゥは自身にそう言い聞かせ、何とか落ち着きを取り戻す。
落ち着いた所で――もう一度、件の書類を見てみよう。
密偵より、もたらされた情報。
慣れぬとはいえ――魔王軍の軍師を任された以上、私にはその情報を精査する義務がある。
「――ぐッ」
しかし、その一文を見る度に、己の中の怒りが再燃する。
「刃殲コクトー、創殲ゲルマがアストラッド派に寝返っただと……ッ!? ……あ、あの恩知らず共がッ!! 出奔しただけに留まらず、敵に寝返るとは――ッ!!」
熱くなった私は、思わずその場にあった机を叩き割ってしまう。
大幹部である魔族――アストラッド=メディスンと、イシュラ=シュタム。
この二柱が現魔王へと反旗を翻したのは、未だ記憶に新しい。
魔王様が寵愛する人間族の女が――同じく人間によって殺されそうになっていると聞いた魔王様は、単独で人間領へと足を運ばれた。
愚かなる人間共は、その女――ルシルを焼き殺した事により、魔王様の逆鱗に触れ、周囲一帯、塵も残さず消滅させられてしまう。
この時までは――まだ良かった。
人の女を溺愛する余り――人間共に対して寛大な気持ちをお出しになっていた魔王様。
それがようやく目を覚ましたのだと――内心ではホッとしていたからだ。
が――事はそれだけでは終わらなかった。
魔王様を追い、同じく人間領へと足を運んでいた私は気が付かなかった。
まさか――あの二柱がそれぞれ独立を目論んでいるとは、と。
アストラッド=メディスンにより――メメリアは占領された。
イシュラ=シュタムにより――ジフトールは占領された。
そうして彼等、彼女等は――己をこそが真の魔王だと周囲に喧伝したのだ。
万魔八殲将……個でもって、一国を殲滅する力量を持つ魔軍の将。
魔族領において、多大なる影響をもたらす彼等は――私を除き、全てが離散していた。
現在、私とレノ=アークス様はナイトホルンを拠点とし、占領された領土を取り戻そうと競り合いを続けているのだが――現状、膠着気味なのは否めない。
魔族領の中では、この三体の事を三大魔王と呼んでいる様だが――ふざけるなだ。
魔王の称号はアークス家の一族であるレノ=アークス様のものなのだ。
仮にレノ様が亡くなったとしても、次代の魔王はアークス家から輩出されるべきである。
古き魔族とは――血統を重んじるもの。
それを忘れた者に――繁栄などはありえない。
「しかし……現状はキツいか……」
アストラッド派に、八殲将が二柱加わった……この勢いは止まらないだろう。
イシュラ派に寝返るものも出るかも知れない。
各地へと散った残る八殲将の捜索を急いだ方が良いだろう。
業腹ではあるが――彼等の力無くして、両派を打ち倒す事は困難であろう。
「魔族領を出てはいないとは思うが――」
広がるリヴィア山脈は――人は勿論、魔族にとっても厄介なものであった。
何もないくせにだだっ広すぎるのだ。
一、二か月分の食糧を積まなければ、越える事は出来ない。
その癖足場が悪すぎるので、物資の運搬は困難を極める。
私や魔王様の様に飛行できる能力を持っているなら話は別だが――まぁそこまでして人間領に行きたがる奴もいないだろう。
人間側にとってみれば、これ以上ない程の防波堤だ。
まぁそれも――魔王様が再び魔族領を統一すれば話は変わってくるのかも知れないが――
そんな未来の事を想像するケレスの耳に――突然、轟音が鳴り響く。
「――なッ!!?」
ドオン! といった衝撃と共に、壁が震える。
思わず椅子から立ち上がり、執務室から廊下へと飛び出すケレス。
ナイトホルン城内は――騒然としていた。
廊下には自身と同じ様に飛び出し、現状確認に努める魔族の姿がちらほらと見受けられる。
「く――ッ」
ケレス=ハイロゥはそれら全てを無視し、その場から駆け出した。
今の砲撃音――敵の攻撃か?
アストラッド派か、イシュラ派か――どっちだ? どちらが攻めてきた!?
頭の中で思考を巡らせつつ、彼は玉座へと続く道を走っていた。
魔王レノ=アークスへと続く道を。
◆
万魔八殲将が一人――天殲ケレス=ハイロゥは驚愕した表情でそれを目撃する。
「ば、馬鹿なぁ……っ ――こ、この我が!」
息も絶え絶えに、目の前の現実が理解出来ぬと声を出すレノ。
魔王――
絶対的な力を誇り、魔を統べる――王。
その魔王は……一人の女に首を掴まれ、そのまま宙吊りにされていた。
身体の至る所には血が流れ、疲弊しきる姿を見せるレノ。
想像だにしなかったその光景に――ケレスは絶句する。
「――もういいよ、お父さん」
「――ッ!?」
その言葉に、目を見開くレノとケレス。
ケレスの驚愕は――侵入者の正体が見知った少女だという事。
レノの驚愕は――絶対者である自身に、己が娘が憐憫の目を向けた事。
「――ッ! リィン……貴様ぁ、どのようにしてそんな力を……ッ!?」
「……別に。こんなの大した事じゃないよ――あの人に比べれば」
「……人だとォッ?」
「ふん……」
驚愕する父の様子を鼻で嗤い、掴んだ手を振り、魔王を投げ捨てるリィン。
「――ぶわぁッ!?」
「……弱っ」
倒れる父の姿を見下ろし、冷たく言い放つリィン。
そんな事態に、ケレスは混乱を極めていた。
おかしい……。
私が三年前に見た少女は、未だ子供の姿のままだった筈。
それがどうした事か、リィン=アークスと思われる彼女は――成人した姿を取っており、その髪の色も魔王様と同じ紅色に染まっていた。
「……うん?」
玉座へと差し込む月の光を目で追い、天井へと視線をやるケレス。
「!」
そこで見たのは――屋根の部分が完全に消し飛んだ城の光景であった。
先程聞こえた砲撃音。
その正体を知り――冷や汗を掻きながら、リィン=アークスへと目をやるケレス。
「お父さんはさ、魔族領を統一したらどうするの? ――何がしたい?」
「知れたこと。――人間領へと攻め入り、人間を駆逐する。それ以外に何がある!?」
「――あっそ。……それじゃあ駄目なんだよね」
「何ぃ……?」
「いつまで経っても、争いは終わらない……」
「……」
「どっちみち、こんなに弱いお父さんじゃぁ、魔族領の統一なんて無理だと思うけどね」
「――ッ!! 言わせておけばぁ、娘といえ許せんッ!!」
額に青筋を浮かべて立ち上がり、リィン=アークスへと突撃するレノ。
「その身で罪を後悔するが良い……ッ!! リィン=アークスッ!!!」
叫び、変異した爪を振り上げるレノ。
対するリィンは、右掌を魔王へと向け――微笑を浮かべる。
「――じゃあね、お父さん」
放たれる、極太の魔術光。
その術理がどのようなものか、想像も付かないが――分かった。
彼女はアレで――城を削ったのだろう、と。
「ぬわぁぁああああああああああ――ッ!!!」
魔術光に押し出され、城の外――遥か彼方へと消えていく魔王。
一瞬であった。
勝負にもなりはしなった。
至る所に瓦礫が散らばる城内で――リィンは一人、玉座へと腰を下ろした。
足を組み、ただ一人残ったケレスを眺めながら、彼女は思い出した様に声を出す。
「――そっか。何処かで見たと思ったら……お母さんが死んだ日、私達を違う場所へと連れてってくれた人かな? あれから代わる替わる色んな人が私達を別の場所に連れてってくれたんだけど――もしかして、全部あなたの指示だったりする?」
「……ッ」
どう答えたら良いのか分からず、ケレスはその場で首をぶんぶんと縦に振る。
「そっか。それじゃあいいか……」
――何が良いのだろう?
――怖くて聞き返す事は出来なかった。
「ね。あなた――名前は何て言うの?」
「……ケ、ケレス=ハイロゥと申します……ッ!!」
「そう。じゃあケレス。今日から私が此処の魔王になるから――よろしくね?」
「――ま? へ、……はッ!?」
驚きのあまり、アホなリアクションを取るケレス。
「私が――魔族を統べる」
「……」
「ね? ――問題ないよね?」
リィン=アークスの問いに、ケレスは――
「――問題ありませぇんッ!!」
最敬礼をしながら、返答する。
その日――古き魔王が消え、新しき魔王が誕生した瞬間であった。




