010 血の覚醒~嘲笑う邪神~
この世界には、明確に神と呼ばれる者が存在する。
聖書・アズワルド創世記には、初めの頁にこう記されている。
創造の女神カレルが、この世界と生命を作り――
慈愛の女神アルフロアが、その愛でもって育み――
試練の女神ククゥリエが、正しさを導き――
天杯の女神ローディアンが、裁定する――と。
世界は四柱の女神により創造され、我らは常に導かれている。
しかし、それでも争いは存在する。
人間と亜人と魔族。……種族の違いによる不和。
富と貧困。……貧富による格差。
性質の不一致。……正しさ故の曲げられぬ争い。
これらは決して無くならない。何故なら、争いは自然の摂理だからだ。
けれど――その火種を。
敢えて大きくし、娯楽として消費する悪魔の様な存在が――この世界には、いる。
――七大邪神。
狡知の邪神トゥールスレイ
暴虐の邪神アルバルヴァ
哀願の邪神マーケスタ
色欲の邪神ペンティアム
狂奔の邪神フィアテレッサ
反転の邪神オルケイン
終焉の邪神アンセム
聖書に示され。
更に実際に歴史書に記され。
今もなお時代の節目に存在を認知されるもの――邪神。
それが今――カレル暦204年。
山羊の月、黒土の曜日。
アーランド大陸西部に位置する大国リアネス。その南部の片田舎、テランにて――
――降臨する。
◆
「はぁああああああッ!!!」
裂帛の気合と共に空を駆け、邪神トゥールスレイへと突撃するリィン。
両手には無詠唱『エア・クリエイト』により作られた魔術の双剣を顕現し、振っていく。
「はははは! あはははははははは!!」
馬鹿にした様に両手を広げ、背後へ飛んでいく邪神。
追い縋るリィンの姿は閃光の様で、傍目には赤い線が走っている様にしか見えない。
だが――それでも当たらない。
上下左右と縦横無尽に走る両者。
あまりにも力量の違う争いに、俺とライディは立ち尽くす事しか出来なかった。
魔王の力に目覚めたリィンの実力は――俺達を遥かに超えていた。
だが――そんなリィンでも、邪神トゥールスレイを相手に掠り傷すら負わせられない。
「リィン……」
下唇を噛み、悔しそうに目の前の光景を見詰めるライディ。
気持ちは――分かる。
だがどうすれば良い?
相手は教科書にも載る様な化物だ。
地方によっては子供を寝かしつけるのに『トゥールスレイが来るよ』と唄があるくらいだ。
狡知の邪神トゥールスレイ。
直接戦闘するタイプではなく、その狡猾な智謀でもって人々を操り、破滅させるという。
かの邪神に滅ぼされた国は数知れず。
帝国地方の亜人の部族はその全てを灰にされたと聞く。
人間・魔族・亜人・魔物・龍族・妖精属・精霊……。
この世界に存在する、生きとし生ける生命の――天敵。
それが――邪神。
「リィンが負けたら……俺達も終わりか……」
弱気な声が、ポツリと出てしまう。
聞こえてくる戦闘の音で、その言葉はライディの耳には聞こえなかった様だ。
◆
「やるねぇ!やるねぇ! ほら、もうちょっとだよぉ? ほれほれほれぇぇえ??」
「――ッ、ふざけてッ!」
苛立ちながら、私は剣を振るう。
忌避していた化物の力。
お父さんの力。
だけど――今だけは私に力を貸してほしい。
「おしいいい――ッ!!」
「――ッ!」
完全に入ったと思った斬撃を、文字通り首を折って回避する化物。
「強くなってるねぇえ? ……戦いの中で、血が昂ってるのかなぁ??」
「……」
息を切らしながら、私は一旦攻撃の手を止める。
魔法剣……ハインから教わった魔法……だけど、こいつを倒すにはソレだけじゃ駄目だ。
「何でそんなに必死なのぉ? ボクは君に用があるんだよぉ?」
目の前の空間が、揺らぐ。
「君がボクの言う事を聞いてくれたらぁ……お兄ちゃんは見逃してあげてもいいよぉ??」
――耳元で、道化師が囁く。
「くッ!!」
鋭く変異した爪で、道化師を切り裂こうとするも――躱される。
「それともハイン君の方が良いかなぁ?? でも駄目駄目。二人は欲張りだぁ」
陽気な態度を一変させ――邪神は囁く。
「助かるのは一人だけ。――もう片方は無残に殺す」
脅す様に、弄ぶように、道化師は言った。
「……それを――私に選ばせたいのね……」
最低な趣味。
けれど、私は分かっていた。
こいつの本質を。――やり口を。
「――私達の家に、火を付けたのはあなたでしょう?」
「うふ?」
「――人を操って、殺させた」
「分かってんならいいやぁ……そだよ? 傑作だったなぁ、君もあそこでスッキリ――」
「六年前も――そうだよね?」
「……へぇぇえ??」
トゥールスレイの声色が変わる。
あまりにも似ていた。似すぎていたのだ。
それこそ、同一のものが企てた犯行だと――今になって気が付いた。
そしてその想像は――間違って、ない!
「お前……母さんを殺したな? 人間だった母さんを……焼き殺したな?」
「……」
「父さんを……優しくなっていた父さんを――狂わせたな?」
「……」
「……許さない。絶対に」
――許さない。
「許さないって――具体的にどうするのかなぁぁああああ???」
空間が歪み、再び背後へと回り込む邪神。
その手には大鎌を持ち、此方へとその凶刃を振りかざしてくる。
「――リィン!!」
地上にいるお兄ちゃんが、悲痛な声を上げる。
――大丈夫。
――絶対に――仇は討つから――。
「――あ?」
刃が触れる寸前――振り返ったリィンの髪は――赤く、紅く、朱く――
空間転移により、離れた場所へと出現する邪神。
その姿にはあるべきものがなかった。
元より異形である邪神。
その身体に流れるのは黒い血であることを――この日、ハインリヒは初めて知った。
「……腕を、取ったのか?」
あの一瞬で。
……リィンが?
「あの髪、父さんと同じ色をしている……」
呆然としたまま、ライディは変貌した妹の姿を見て、そう呟く。
「完全に目覚めたのか――リィン」
――そこからの展開は早かった。
魔王の血に目覚めたリィンは、その圧倒的身体スペックにより、邪神トゥールスレイを追撃し、疲弊させていく。
繰り返される空間転移。
だが、時を止めたかの様なリィンの速度には到底敵わず、邪神は徐々に追い詰められていった。
「はは、ハハハハハ! 何だこれ? なぁんだこれぇ???」
両手と右足を失い、仮面の下から黒い血を吐き出しながら、邪神は狂笑する。
「こんなに強くなっちゃさぁ……もう人並みの生活なんて、完っ全に無理だよねぇ??」
「……」
「理解者なんていないよぉ? 君は枠から外れたぁ! 生命の枠からだぁ!!」
「……」
「父親より強いよぉ……誇って良い。――君は、化物だ」
「……滅べ」
リィンが呟くと、邪神の身体から黒い炎が上がっていく。
魔術……ではないだろう。
あれほど強力な炎は――火属性の位階には存在しない。
「あ! あああ! ああああああああああああ!!?」
消える。消えていく。
あれほど恐ろしかった邪神が。トゥールスレイが――リィンの手によって消えていく。
「……」
やがて炎は消え――邪神は完全に消滅する。
「勝った……のか?」
「リィン……」
呟く俺達を、リィンは悲しい瞳で見つめていた。
……おい、何だよその表情。
……トゥールスレイの奴の言葉を気にしているのか……?
「……リィン」
ライディにも、その空気が伝わったのか、妹の姿を固唾を飲んで見守っている。
……おいおい。
……もう全部終わったんだ。
……もう良いじゃないか、そのまま帰ってきてくれれば――
「――ッ! まだだ! リィン――ッ!!」
舞い上がった黒い粒子が――リィン=アークスの首を掴む。
「な――ッ!?」
丸まった粒子は蛾となり、リィンの手足を包み、彼女の口内にまで侵入する。
「!!」
突然の異物感に、涙目になりながら身を捩るリィン。
だが、彼女の拘束は解けない。
「――位相を、ずらしたんだよぉお??」
聞きたくもない声が、その場から響く。
集合した蛾は、やがて形を変え――姿を変え――邪神トゥールスレイへと変貌する。
「邪神を滅ぼしたいならぁ、――位相を固定しなきゃぁ駄目だよぉ??」
「――」
「幾ら巨大な力を持っていても、意味はない……。とはいえ、位相の固定なんて、古代のアーティファクトでも無い限り、無理だけどねぇえ??」




