第59キロ この世界じゃなく、君の隣に
メイが淹れてくれたドクダミ茶を飲みながら向かい合う。メイの膝の上にはニジ。俺の膝の上にはミズタマン。メイの隣にはリーダー。俺の肩の上にはトントンがいる。どうやら彼らも興味津々らしい。
「俺は異世界から来たんだ。」
「……確かにお前が持っている知識を考えればこの世界のどこにもないものだと思う。異世界から来て同じ生物に見えても根本的に存在が違うから感情を零さないってことか。」
そもそも俺の世界では感情なんて零すものでは無かった。言わなきゃ伝わらないようなものだった。エルフも妖精もドワーフもいなかった世界なんだ。
「どうしてこの世界に来たんだ?」
俺は首を横に振る。どうしてここに来たのかなんて、俺にも分からない。働き続けて夢も知識も摩耗していくだけの毎日で過労死寸前の時にここに来た。異世界転移だと思っていたけど異世界転生の可能性だってある。あっちの世界の俺は死んでいるかもしれないし、そもそもこの世界は痛覚は感じるけれど死後の世界、もしくは植物状態になっている俺の空想って可能性だってあるんだ。この世界が現実である保証はない。
「お前は、何かあったら……ふいに、目を離したらいなくなるのか?」
儚げとは程遠いデブな男に金色の妖精がそんなことを言う。ある意味すごくシュールなのに、その声色は胸が締め付けられるほどに切なげだった。
元の世界に戻りたいわけじゃない。上司は嫌な人ばかりだったし、良い同僚もお互い死なないように生きるのに精一杯だった。自分の知識が活かせて、過労死もしないで健康に気を配ることができる余裕のあるこの世界のなんと素晴らしいことか。それに……。
(大切だな。)
目の前にいる彼女が、この世界の何よりも、元の世界の何よりも大切だと思ってしまった。過去に夢を語り合った友人よりも、大学にまで行かせてくれた親よりも、一緒に研究して、一緒に笑って、俺にたくさんの感情を向けてくれる彼女が大切だった。
「その時はできる限り抵抗する。だって、メイと一緒にいたいから。」
メイは俺の言葉に目を丸くした。
「元の世界に帰りたくないのか?」
「それもあるけど……どっちの世界を選ぶとかじゃなくて、メイの隣にいたいから。」
例えこの世界でもメイがいなかったら、俺はここにいる意味がなくなってしまう気すらするんだ。
「喜べ実。」
「ん?」
顔を赤く染めたメイがむず痒そうに口をもにゅもにゅしている。
「今日のお八つはチョコレートファウンテンだ。」
そう言ってメイから零れた感情はしっかりお店のチョコレートファウンテンだった。
「見ろ!俺は耐えたぞ!!制御!前よりしっかりしてるだろ!!!」
そんなことを言いながらメイがニジを抱きしめている。あれじゃ呼吸できないんじゃないだろうか。いや、ニンジンは呼吸しないか。
「ん!甘いミルクチョコレートだ!!」
俺はメイに追加でマシュマロを出して欲しくなった。それにしてもチョコレート、一体何の感情なんだ?
「メイって可愛いと思わん?」
「え?まあ普通に?ゴールデンフェアリー要素含めればワンチャン美少女に入るかもしれないくらいには?」
サラマンザラにそう返された。今日は町まで米を売りに来て、メイは留守番だ。
「個人的にはレチノールとレチナールとか還元型ビタミンCと酸化型ビタミンCの関係も萌えるんだけど、そっちってワンチャン同一人物じゃん?」
「は?何ですか?栄養の話ですか?」
「関係性の萌え語りです。同じ存在内で引き合う……両片思い的な関係ならアデニンとチミン?いや、こっちは他のキャラでウラシルも出てくるからな。安定した関係を考えるならグアニンとシトシンかな?!」
「何の話?!栄養学?!」
「どちらかというと生物学!!でもどちらかというと内因子とビタミン12のような、ビタミンDとカルシウムのような助け合う関係になりたいような……。」
「……再三聞きますが、何の話っすか?」
「……メイとなりたい関係について。」
「わかりにくい!!!」
サラマンザラがバシッと机をたたいた。
「最初からそう言えば良いんですよ!!っつーかなんで例えが全部栄養学?!意味が分からない!!」
確かに俺の生物や栄養学の萌えって誰にも伝わらなかったなと思い出す。アクチンとミオシンの関係とか萌えません?え?その前に意味が理解できない?……少し反省します。
「今更どういう関係になりたいかについて考えてるんですかー?」
サラマンザラがため息をつきながらそんなことを言う。今更ってなんだ。今更って。
「研究仲間ってだけじゃ……足りないですかね。足りなそうですよね。」
確かに現時点でも大切な研究仲間なんだけど。
「そうだなあ。それだと足りない気がする。」
サラマンザラはため息をついて
「実さんが感情を零せばもっとわかりやすいんですけどねー。」
と言った。零せないものは仕方ないだろうが。サラマンザラのところには寄っただけだったので後は帰るだけだ。俺は外出時は肩に乗っているミズタマンとトントンを連れて帰路につくことにした。