第35キロ 婚約者ウィリデ
この話は一応恋愛ものでもあります。
その日は普通の日だった。
ビタミンCの研究およびゼリーの研究を兼ねて午前中にオレンジのゼリーを作って、固めている時のことだった。
お昼ご飯を食べたら、固まったオレンジゼリーを食べよう。
そう思ってお昼ご飯を作るにはまだ早かったので二人ともごろごろしていた。
金の羽を伸ばしていつものソファに伸びているメイ。俺もトントンに寄りかかりながらミズタマンの縞模様の数を数えている時のことだった。
コンコンとドアをたたく音が一階からして、サラマンザラか小林さんか、はたまたマッチョンかマッパンかと思った。
けれど、今言った中でこの研究所を知っているのはマッチョンだけだ。ならマッチョンかと思ったけれど、この前マッチョンは王様たちとお茶会をするとか言っていなかったか。
ではドアをたたくのは誰なのだろうか。そういえば俺がここに来てから来客が無かったことを思い出す。
咄嗟に立ち上がる。
その時にはすでにメイは立ち上がっていて俺の目の前に立っていた。
別にメイにとってはこの来客は驚きではないようだ。いつも通りの顔をして俺にニジを押し付けた。
「よろしくな。」
ニジは俺の腕の仲が気に入らないのかなんかジタバタしている。そんなニジを抱えながら少し遅れてメイの後を追う。
そうしてメイが扉を開けると俺より少しだけ身長が小さい男性が立っていた。
(え?誰?)
「久しぶり。俺のことなんて忘れちゃったかな?」
男はメイにそう問いかけた。
「いっそ忘れられたら楽だったけどね。」
メイはそう答えた。二人の関係性がわからなくて目を白黒させていると男が俺に目を向けた。
「こんにちは。俺はウィリデ。ゴールデンフェアリーであるメイの婚約者だよ。」
「……は?」
男は白々しい笑顔でそう言った。
「婚約者……って。」
メイに視線を向ければ彼女は静かに頷いた。
「本当だ。俺は生まれて間もないころ、この人と婚約した。」
あんまりのことに頭も舌も回らない。
やばい、混乱している。
冷静な部分が混乱を自覚させる。
今まで、この世界に来てから、王の前に立たされた時だってここまで混乱したことはなかった。なのにどうして今、俺はこんなに混乱しているんだろう。
「メイはゴールデンフェアリーとしての役目を果たした。彼女はもう、こんな森の中にいなくたって良い。だってメイは里の誇りだから。」
だから何だというのか。
婚約者だというこの男は何をしようとしているのか。
「ウィリデ。私を迎えに来たんでしょう。御託は必要ない。」
メイが俺とウィリデの間に割って入るようにする。
「メイ!」
迎えに来たって何なんだ。俺はそう口を開こうとしたのにメイの後ろから見たウィリデと目が合ってしまった。そして合った瞬間言葉が出てこなくなった。
「どうしてお前なんかがメイの名前を呼ぶんだ?」
「っ?!」
怖いわけじゃないはずなのに、言葉が出てこない。
無理やり喉の奥が閉められるような、この感覚は何だ?
「ウィリデ!!」
メイが声を荒げる。パラリと赤い煎餅が散った。それにウィリデが目を輝かせる。
「ははっ。珍しいな。メイが俺に感情を向けるなんて。」
「実にかけた魔法を解け。」
どうやらこれは魔法らしい。
メイの言葉にウィリデは不機嫌そうに目を細めた。
「どうせ時間経過で解けるよ。それより要件がわかっているならさっさと俺に従ったらどうだ。俺の力ならこの木どころか森くらい簡単に焼けるよ?」
メイは苦虫を嚙み潰したような顔で
「わかってる。」
と答えた。
「ただ、俺がお前に従うんだからお前は俺以外に手を出すなよ。この木の家も研究施設も、俺は全てを実に移譲する。」
「へぇ。それは啓示かな?ゴールデンフェアリー様。」
「いや、お願いだよ。メイ個人としてのな。」
その言葉にウィリデはピクリと眉を動かした。
出ない言葉の代わりに体を動かそうとしていつの間にか体も動かないことに気が付く。
これも魔法か?!
「ゴールデンフェアリーとしての私をあなたにあげるから、メイとしての俺が移譲したものには手を出さないで欲しい。どうだ?」
ウィリデは少し考えるように眉間にしわを寄せた。
「な?どうせ結婚してずっと一緒にいるんだ。可愛い将来のお嫁さんのお願いくらい聞いてくれよ。」
メイがウィリデに向かって歩き出す。斜め後ろの位置から見えていた表情はもう見えない。
「いけずな奴だな?そんなことを言う割にくれるのはゴールデンフェアリーだけなんだろ。」
「お前が望んでいたのはそれだけだろう。」
「……まあ、それもそうだな。」
ウィリデが仰々しくメイの手を取った。
「それじゃあ、さようなら。短い間だったけどメイの面倒を見てくれてありがとう。」
体が動かない。
声も出せない。
そんな俺にウィリデが嬉しそうにそう言った。
「実。研究所のことは全部任せたからな。」
入り口から光が差し込んでいる。逆光の中でメイが柔らかく微笑んだ。
「じゃあな。」
メイがそう言ってたった一つ、チョコレートが落ちた。
感情は長くはもたない。
俺にかかった魔法が解けるころにはチョコレートの感情も空気に溶けて消えていた。