革命の夜
微かに聞こえる怒声に、エレノアは笑みを浮かべた。隣に立つイルスが動かないことから、きっと普通の人なら聞こえないくらい遠いところから聞こえてくる声なのだろう。
エレノアは生まれつき盲目だったせいか、他の人より聴覚が優れている。そのことをこれ程嬉しいと思ったことは、きっと初めてだろう。
「──イルス」
エレノアは自分の"目"に声をかける。気配だけで、彼の心が未だ定まっていないことが察せられた。
本当に、優柔不断な人。だからこそ好きなのだが。エレノアは思わず笑みを浮かべる。
「──イルス」
「…………はい」
彼の声は弱々しい。もう、後戻りはできないのに。この日のためにエレノアは生きてきた。この日のためだけに、エレノアは今後の人生を捨てたのだ。
未だにイルスは動かない。そろそろ動かなければならないのに。おそらくイルスも、エレノアの言葉から革命軍が王城のすぐ近くまで来ていると分かっているだろうに。
こういう時に、エレノアはいつも盲目であることを恨む。彼の顔をちゃんと見て、目と目を合わせて会話したいと思ったことは数え切れないほどだ。
「イルス。そろそろ私を殺さなきゃいけないでしょう?」
「……はい」
彼は今、どんな顔をしているのだろうか。泣きそうな顔だろうか。悔しそうな顔だろうか。それとも多くの感情がごちゃ混ぜになった顔だろうか。いずれも文章でしか知らない顔だから、エレノアは1度でもいいから見てみたい、と思う。
"表の"革命軍の怒声がだんだんと大きくなる。おそらくあと数分で王城へと着く。なのにまだ彼は動かない。
「……ねぇ、イルス。早く殺して。私は、殺されるのなら貴方の手でがいいの」
イルスの気配が揺れる。どの言葉に反応したのだろうか。殺すか、はたまたは貴方の手でか。兎にも角にも、エレノアの死についてであろう。
「…………どうしても、死ななきゃいけないのですか。上手く人の目を逃れて、田舎へ逃げるなど……」
イルスが問いかける。それは何度もした質問だ。そしてきっと、イルスは死ぬその時まで己に問い続けるのだろう。
エレノアは子供の癇癪を宥めるように言う。
「イルス。王家の血は残してはいけないの。例え妾腹の子でも」
「ですが、他の人に見つからなければ……!」
「……王政はもう古いのよ。今はどこの国も民主制で、ほぼ全ての国で王家の血は途絶えたわ」
このことはエレノアよりもイルスの方がよく知っているだろう。けれどもエレノアがそれを語るのは、どこか心の底で生きたい、と望んでいるからだろうか。
突如衝撃を感じて、エレノアはベッドの上に倒れ込んだ。腹に服越しに感じる温もりに、大方イルスが押し倒したのだろうと予想する。
「イルス……」
「なんで、なんですか。なんで、エレノアさまが、し、死ななきゃ、いけな、いのですか!」
聞こえてくる嗚咽混じりの声に、ふと頬を冷たい何かが伝った。馬鹿、とエレノアは呟きながらそっと、胸の辺りにあるイルスの髪をなでる。
「私は、この国が好きなの。私の代わりにこの国を見たあなたなら分かるでしょう?豊かな自然に、笑顔の農民たち。当たり前かもしれないけれど、私はそれらが大好きよ」
エレノアは笑みを浮かべて言う。
「だけど今、この国は腐っている。過剰な税に、私腹を肥やすだけの貴族。しかも王族がそれを率先して行っている。なら、大好きなこの国を守るために、この国を変えなければ。王位継承権第6位の私は、王になることはまずないでしょう。なら、私は別の方法でこの国を変えるって決めたの」
あなたなら分かるでしょう?とエレノアはイルスに訊く。
イルスの様子はエレノアには分からないが、頷いてるということが、肌の感触で分かった。
「だからイルス、お願い。私を殺して」
イルスは未だエレノアから離れない。ただ泣くばかりだ。
カンカン、と鐘が鳴り、城内に混乱が広がるのが、エレノアは手に取るように分かった。革命軍が見張りの兵士たちが見つけられるほど、近くに来たのだろう。
「イルス」
「エレノアさま……は、なにかしたいことがありますか……?エレノアさまの代わりに、"俺"がします。"俺"が、エレノア様の願いを叶えます!」
イルスが言う。
ああ、彼は初めて会った時と変わらない。変わらなすぎて、エレノアは胸の底から嬉しいような悲しいような、捉え難い気持ちがこみ上げてきた。
イルスは優しい。優しすぎるほどに。
だからこそ、自分のことで彼の人生を縛りたくない、と思ってしまう。
「最期くらい、"俺"に甘えてください」
馬鹿、とエレノアはつぶやく。今日は最期だからか、距離が異様に近くて泣きたくなるくらい彼が甘い。
「……見て。見続けて。この国の未来を。より良くなったこの国を」
エレノアは無意識のうちにつぶやいていた。この国の未来を見ることができないのが悔しい。できることなら、イルスと共に見続けたかった。
「はい、エレノア様」
そっとイルスの温もりが離れる。ああ、もう時間か、と思う。散々延ばしに延ばした時が来たのだ。殺される時が来たのだ。
キン、と金属の擦れる音が、静かな部屋に響く。剣が抜かれる音だ。ギシ、といって、イルスがベッドの上に乗ったことが分かった。しばらくして、イルスの動きが止まる。
「……おやすみなさい、エレノア様」
怖くない、と言えば嘘になる。実際エレノアの指は細かく震えていた。けれどそれを表情に出すことはしない。出してしまえば、イルスの決意が鈍ってしまう。
エレノアは努めて冷静に言う。
「おやすみ、イルス」
最初に感じたのは熱だった。狂おしいほどの熱。逃げたくても逃げることはできず、とても苦しい。そして徐々に痛みが広がっていくが、それもすぐに薄くなっていく。
段々と闇に染まっていく視界に、エレノアは今まで見ていた世界にも光があったのだと知った。今まで見ていたのはまやかしの黒の世界。僅かな光が混じった黒。けれど今目に映るのは完全なる闇だ。
──イルス、愛してる
そう呟いたつもりだったけれど、それが本当に伝わったのかは分からない。
──愛してます、エレノア様
そんな声が聞こえたような気がした。閉ざされていく感覚に怯えながらも、エレノアは幻聴かもしれないがその声が聞こえて、幸せだった。




