第五章 軍拡に走ったら、こうなった
『落ちていく剣は掴もうとするな、地面に倒れたところで使えそうでならば拾えばいい。錆びていれば、そのまま捨てて置け。どうせ、放って置いても朽ち果てる』――ガレリアの首領 リードの言葉
第五章 軍拡に走ったら、こうなった
1
戦勝ムードに沸く東京の元に、大量の略奪品を持った軍務大臣が帰還した。すぐに、閣議室で閣議が行われた。
軍務大臣が意気揚々と成果を発表し終わると、伽具夜が椿に尋ねた。
「で、どうするのよ。仙台は」
「自治都市にしておくと、勝手に降伏するおそれがあるから、直轄都市にして、兵器工場を修理して、徴兵と兵器の増産に特化するよ。コルキストが奪還にしに来るかもしれないからね」
伽具夜が嫌味を含んだ口調で確認してくる。
「そうね。軍事政権の独裁者なのだから、好きにすればいいわ。でも、仙台から略奪した富は、予定通りに私と宗教大臣で使うわよ」
「いや、それは、新たな兵器の開発費用に――」
伽具夜の顔が険しく歪んだので、後半の言葉を変更した。
「――使わず、伽具夜が使いたいように使ったらいいよ」
伽具夜の顔が元に戻ったところで、外務大臣が口を開いた。
「御報告がございます。ロマノフが月帝に宣戦布告しました」
椿が何か言う前に、伽具夜が口を開いた。
「そうだったわね。でも、堺には、東京で徴兵が完了した兵をすぐに歩兵として回しておくように軍務大臣に命令しておいたから大丈夫でしょう。仙台から戻った兵も加えれば問題ないわ。あとは、ガレリアのリードが約束道理に動けば、ロマノフは身動きがとれなくなり、真っ先にロマノフが退場ね」
椿は大声が上げた。
「ちょっと、ストップ。ストップ、俺、ロマノフが宣戦布告してきた情報を聞いてないよ」
外務大臣が問題ないとばかりに口を開いた。
「はあ、ですから、今こうして報告を」
「違うでしょう。なんで、国王の俺が知らないで、皇后の伽具夜だけが知っているの? しかも軍務大臣に命令しているんだから、最近の情報ではないよね」
伽具夜が、そんなつまらない言葉を言うな、とばかりに口を挟んだ。
「あーあ、そうだった。まだ言ってなかったかしら。ロマノフは月帝が仙台を攻略すると同時に動いたわよ。夜中だったから起すと悪いと思って、軍務大臣に指示を出して、翌朝、私から報告しようと思って、忘れていたわ」
「いや、そこ、忘れちゃダメなとこだよね。王様の腕の見せ所だよね」
伽具夜が馬鹿にしたように、酷評した。
「王様の腕? そんなものを振るわれたら、十回戦って十回勝てる戦いも、十一回負けるわよ」
本来ならこんな越権行為をする伽具夜を幽閉するなり、処罰するのが軍事政権なんだろう。
けれども、全閣僚プラス執事まで伽具夜派なので、伽具夜の処罰に走れば、今夜にでもクーデターが起こり、政権がひっくり返ること間違いなしだ。
その結果、逆に椿がどこかの高い石造の塔か監獄にでも幽閉という展開が眼に見えているので、何も言えなかった。
(やっぱり、これ俺の軍事国家ではないよな。伽具夜の軍事国家になっているよね)
椿が黙ると、軍務大臣が報告に入った。
「堺方面は現状では問題がありません。これに仙台が攻略に回していた部隊が合流して反撃にでれば、押し返せると思います。ガレリアが約束どおりに動けば、大阪奪還も可能でしょうが、ガレリアには、まだ動きがありません」
椿はまた裏切られるかもと、疑心暗鬼になった。
椿の不安に追い討ちを懸けるように、科学大臣が口を開いた。
「軍事関係の技術を開発していますが、資金難に陥っています。このままでは、通常兵器の改良程度の技術開発ができても、バトル・ドミネーターや海軍関連の開発が無理です」
経済大臣も追い討ちを懸ける。
「国の軍一辺倒に偏り過ぎて、歪みが生じています。軍需関連産業は良いのですが、その他の産業の育成が遅れています。このまま行くと、軍の崩壊が経済の崩壊と直結します。その他の産業の育成に力を入れないと、あとで取り返しかがつかない事態を招くかと」
すると、軍務大臣までも口を開いた。
「我が軍ですが、海軍の編成が皆無に等しい状況です。ロマノフを追い詰めるには、歩兵中心の軍事力の強化だけでなく、そろそろ海軍の増強を始めなくてはなりません。また、バトル・ドミネーターの配備も、対コルキスト制圧を考えると、そろそろ着手していただけませんと」
椿はうんざりした。また、予算の獲得合戦が始まったと思った。各大臣の言い分には皆それぞれ一理ある。けれども、お金は降って湧いて出るものではない。
もちろん、紙幣の増発という手段もあるが、下手に紙幣の増発に踏み切れば、国内でインフレが起こり、手が付けられなくなると本で読んだ記憶がある。
どうしようかなと悩んでいる時に限って、伽具夜は助け舟を出してくれない。というか、やっぱり軍事国家はまずかったのかなという思いが頭を過ぎった。
あまり悩んで結論を出せないでいると、閣僚たちの椿に対する信頼は失われていくので、のんびりもしていられない。
椿は思い切って宣言した。
「現状のままでいい。国家運営は、このまま歩兵中心の部隊編成でいく。まずは悲願の大阪奪回だ。バトル・ドミネーターの開発や海軍の編成は、後回しにする」
椿は軍務大臣を見て命令を発した。
「堺の防衛部隊は新たに加えた、仙台を攻略した部隊と共に、大阪奪還を目指してくれ。リードは必ず動くはずだ」
軍務大臣だけが機嫌よく頷くなか、伽具夜が閣議閉会を宣言して、閣議は終了となった。
2
大阪奪回作戦は、仙台とは逆に難航し、半年にも及ぶ消耗戦という最悪の展開に突入していた。いくら、東京や堺で生産した兵器や歩兵を回しても、溶けるように消えていく。
かといって、何もしなければ、戦況が悪いほうに傾きそうなので、戦力の逐次投入がやめられない。
また、仙台の守備もおろそかにすれば、すぐにコルキストが軍を送って奪い返しにきそうだった。コルキストに停戦を持ちかけてみたが、ソノワは徹底して停戦を拒否した。
仙台はコルキストが撤退間際に軍関連の工場を破壊していったので、修理に手間取り、兵器の生産ができなかった。
やむなく、陸奥で生産した兵器や徴兵した歩兵を仙台に回さねばならず、大阪にまで兵を回せなかった。椿は椿自身が下した作戦が、物の見事に裏目に出ていると思った。
(やべえ、これ、またも事実上の二方面作戦だよ。やっちゃあいけない戦い方だったよな)
椿は早くリードが対ロマノフ戦に参戦しないか、気が気ではなかった。椿はリードとの直接会談により局面を打開しようとしたが、リードは直接会談には出ず、外務大臣が応対する。
ガレリアの外務大臣は催促する度に「もうすぐ参戦します」「いま参戦します」「もう出ました」と中々届かないラーメン屋の出前のような態度をとるので、段々苛立ついてきた。
そうしているうちに、作った兵器は作った側から消えて行き、戦死者だけが膨らみ、国民の不満だけが増大していく。
そんな、ストレスフルな状況のためか、椿は自室で不貞寝状態になってしまった。毎日が不貞寝状態だったが、ある日、まどろみの中、部屋の扉が開く音が聞こえた気がした。
柔らかい手が、椿の手にそっと触れた気がした。誰が手を触れたか確認しようとしたが、一服でも盛られたように、意識が判然としなかった。
椿の親指の何かが触れたと思ったら、すぐに椿の親指がひんやりしたアルコールを含んだ脱脂綿で拭かれ、離された。
椿の意識がはっきりして起きた時には、部屋には誰もいなかった。夢だったのだろうかと思ったが、現実だったような気もする。
そんな、ボーッとした状態の椿の部屋を、笑顔のバレンが訪れた。
「国王陛下、良い話と、とても良い話と、凄く良い話があるのですが、どれから聞きたいですか」
絶対に嘘だと思った。
「それ、本当は、悪い話と、とても悪い話と、凄く悪い話の間違いとか、言わないよね?」
「もう、疑り深いですねー。じゃあ、良い話からお話しますね。わが国でついに、カイエロが発掘されました。カイエロは〝天元の盾〟です」
伽具夜が前に、資源が少ない場合、国にアーティファクトが多めに眠っている確率が高いという話をしていた。本当に掘り当てたのなら、確かに幸運だ。
「え、ほんとうに出たの? 〝天元の盾〟って、効果はどんなの? 経済がよくなるやる版の強力なやつ?」
バレンは苦笑いしてから教えてくれた。
「詳しく説明してもわからないと思うので、簡単にいいますが、超重量子シャイターン・フィールドを発生させる装置です」
「ごめん、簡単に言われても、わからないよ」
バレンが執事の分際でありながら、一瞬だが「もうダメだ。本当にコイツ使えねーわ」と露骨な表情をした。
「超重量子シャイターン・フィールドは科学省の中で、理論的に作り出せるが、実現は不可能と言われる力場の一種です」
どうやら〝天元の盾〟が凄いアーティファクトらしいのは理解した。だが、問題は使い道だ。
「よくわからんが、軍事的に利用可能なのか?」
バレンは執事の顔で滔々と説明した。
「はい、強力なバトル・ドミネーターを製造する技術にも利用可能ですが、我が国はバトル・ドミネーター関連の技術開発が遅れているので、無理です。でも、ご安心を。都市防御には、すぐに使えますから。それが、とてもいい話です。現に伽具夜皇后様がカイエロを利用して、首都に超重量子シャイターン・フィールドを利用した天元防壁と呼ばれる武装防壁を設置する工事を始めています」
椿は直感的にバレンがぼかして発言した「工事を始めている」に、すかさず突っ込んだ。
「ちょっと、その、とてもいい話、待った! 工事っていえば小さな出来事に聞こえるけど、首都を守る防壁の改築は、大規模公共事業になるよね。俺、そんな、予算を許可した覚えはないよ」
3
バレンは、いくぶん芝居が掛った口調で「変ですね」といいながら、書類を差し出した。
それは、経済大臣が作ったと思われる、大規模事業を行うための建設国債の発行を求める許可申請書だった。申請書があるのはいい。
けれども、許可欄には椿の署名が記載されており、母印が押されていた。署名は明らかに、椿の文字ではなかった。
バレンは、こともなげに発言する。
「ほら、ここに、国王陛下の許可の文書がありますよ」
「待ってよ。これ俺の字じゃないよ。筆跡、どう見ても違うよ」
バレンは、しらばっくれるように言い放った。
「そうですかね? でも、母印を指紋照合してみましたところ、指紋が国王陛下の物と一致しておりますが」
椿は敏腕弁護士の如く、異議を唱えた。
「ちょっと、待ちなさい。バレン君。君はどうして、この母印が俺の物と同一であるって知っているのかな?」
バレンの表情が僅かに曇った。
「え、それは、ですね。その。ほら、よく国王様を見ているので、国王様の指紋の形くらい、覚えていますよ」
嘘もここまで見えすいていると、いっそ清清しい。
椿はバレンの顔をしっかりと見据えて、優しく問い質す。
「正直に言おうね、バレン君。君は、俺が寝ている間に、部屋に侵入して母印を押させたね。いったい君は、伽具夜からいくら貰ったんだい」
「え、嫌ですよ、国王様。まるで私が書類を偽造したみたいに言わないでくださいよ」
バレンはすぐに疑惑を否定したが、顔にはありありと嘘が滲み出ていた。
椿は畳み掛けるように、バレンを糾弾した。
「この部屋に入れるのは、俺とバレン君と伽具夜だけだよね。でも、伽具夜が俺の部屋を訪れた過去は、一度もないんだよ。しかも、寝ている俺から母印だけを採取するなんて真似、伽具夜がするとは思えないよ」
バレンが逆ギレしたように怒った。
「国王様、そんな証拠もなしに、人を犯人扱いしないでください」
犯人扱いするなと言うが、椿はバレンの顔の裏に狼狽の色を見た。
椿はすぐに優しい声で脅しながら、自白を迫った。
「バレン君、君は忘れているよ。月帝は国王が支配する軍事政権なんだよ。公平な裁判なんて、あると思うのかい。それに、伽具夜の性格からして、余計な真実を知る人間なんて、この世にいないほうがいいと思うかもしれないよ。執事の替わりなんて、いくらでもいそうだし」
バレンが縋るような表情になった
「そんな、あんまりです」
「じゃあ、正直に言おうね。バレン君、俺が寝ている間に母印を押させたね?」
バレンは落ちた。バレンは頭を下げて答えた。
「すいません、国王様。全ては伽具夜様の御命令だったのです。私は伽具夜様に命令されて、国王様が寝ている間に、母印を押しました」
椿は不満をぶちまけた。
「もう、なんなんだよ、この国は! 王様って、公印と同じで、物扱いかよ。俺だって理由を話してくれれば、きちんと考えて判断するよ。建設国債だって認めるよ。え、そんなに皆、俺と口を利きたくないわけ。独裁者は孤独だっていうけど、俺は別の孤独を俺は感じるよ」
椿の愚痴をバレンはうな垂れて聞いていたが、演技のような気がした。
椿はいちおうバレンに尋ねた。
「それで、バレン君はいくら、伽具夜から貰ったわけ? まさか、伽具夜と寝たとか、言うわないよね」
バレンは大きく首を振って否定した。
「そんな、滅相もない。私めごときを伽具夜様が相手にするわけはございません。それにお金だって、一銭たりとも受け取っておりません」
「じゃあ、何を受け取ったの」
バレンが言いづらそうに白状した。
「なにも受け取っておりません。ただ、その、父親が建設事業をしておりまして、大規模な公共事業があると助かるかなーって思って、手を貸しました」
「結局、行政と業者との癒着かよ!」
バレンが居直ったように怒った。
「こうなったら言わせて貰いますけどね。この国は歪んでいるんですよ。儲かるのは軍事産業だけで、それ以外の企業はもう、ボロボロなんですよ。ここらで大きな公共事業があって建設業にお金が周ってもいいでしょう」
椿は軍事に傾倒したために、国がおかしくなっている状況を、閣僚以外から初めて聞いた。
閣僚は予算だけ考えているので、大袈裟に吹聴していると思っていたが、庶民の暮らしに本当に影響が出ているらしかった。
(やっぱり軍事国家はダメなのかな。でも、もう少しで大阪が手に入りそうだから、今から方針を変えると、消えて行った兵器や血を流した数万の兵が無駄に……)
段々、椿自身がやっている国策に疑問が出てきたが、路線強硬の進路変更も決められなかった。椿自身も優柔不断だと思ったが、こればかりは直せなかった。
「わかった。今回の件は伽具夜が全て悪いとして、目を瞑ろう。最後に、もう全く期待していないけど、凄く良い話を聞かせてくれ」
流れ上、実際は悪い話でも、聞いておいたほうが後でショックが少ない気がするので、聞かないわけにはいかなかった。
バレンは真剣な顔つきになり、話した。
「ガレリアが約束を守って、ロマノフに宣戦布告して戦争を始めたようです」
最後は本当に凄く良い話だった。
4
リードが参戦すると、二週間で大阪攻めの様相が変化した。
戦線が大阪側に向って移動を始めた。ガレリアがロマノフに戦いを挑んだせいで、ロマノフは大阪に向けて兵力を回せなくなった証拠だと思った。
遂に大阪に部隊が肉薄すると、ロマノフのテレジアから会談の申し込みがあった。
テレジアは前回、椿を裏切った記憶がないような態度で、しおらしく申し出た。
「ごきげんよう、椿国王様」
椿はあまりの悪びれのなさに、多少なりとも怒りを感じ、皮肉をぶつけた。
「ごきげんよう、の前に何か言うことはないですか。前回の件で、他に仰りたい言葉はないんですか、テレジアさん」
テレジアは椿の皮肉なんて、タンポポの種ほども気にせず、可愛らしく小首を傾げた。
「さあ、なんのことか全然わかりませんわ。確か前回、交渉で譲歩した記憶ならあるんですが」
なんて女だ。自分の都合のいい事実しか覚えていない。それとも、イブリーズでは俺の考え方が間違っているのか。ここは悪党の巣窟か。
椿が葛藤していると、テレジアは時間が惜しいとばかりに、用件を切り出した。
「この度は、とても簡単なお話があってきましたの。これ以上の戦争は無益、ここは互いに条件なしで和平を結びましょう」
絶句とは、こういう場面で使うのだろう。今は圧倒的に月帝に有利な局面なのに、無条件和平をテレジアは提案してきた。
相手が男なら中指をビシッと立てて「おととい来やがれ、このすっとこどっこい」と罵倒するのだが、相手は女性のテレジアなので、表現を変えた。
「その条件では、飲めませんね」
丁寧な口調で答えたのが気に入らなかったのか、テレジアから見えない位置にいる伽具夜が、鬼をも殺しそうな恐ろしい顔で椿を見ていた。
テレジアから伽具夜は見えないので、テレジアはいけしゃあしゃあと言葉を紡ぐ。
「では、こうしましょう。お互い無条件といいましたが、こちらが譲歩しますわ」
来た、テレジアお得意のフレーズだ。
「大阪の施設を破壊せず、無血開城で明け渡しますわ。その代わり一年は、ペテルブルグを攻めないでくださいね」
微妙なタイミングでの申し出だった。おそらく、戦線が大阪側に押しているので、戦っても大阪は落せる目処は既についている。
だが、戦争で大阪を落としてしまった場合、大阪の街に被害が出て兵器の生産能力は落ち、徴兵にも影響が出るのはどうしても避けられない。
ロマノフの戦いぶりによっては、大阪攻めは想定外に兵力は消耗するかもしれない。相手がロマノフだけならいいが、コルキストとは依然、戦争状態だ。
大阪が無傷で手に入ってしまえば、コルキストを睨みながら、一年もあれば兵力を蓄えてから、月帝国の西側からペテルブルグまで一気に落せる。
とても魅力的な話に聞こえるが、一年後にペテルブルグが危なくなるのは、テレジアも見越しているはず。
テレジアには何か策があるのだろうか。それとも、ガレリアの攻撃が激し過ぎて、単なる急場凌ぎをするしか手がなくなったのだろうか。
椿が迷っていると、伽具夜からイヤホンを通してアドバイスが飛んだ。
「和平はまだ早いわよ。テレジアの提案を拒否しなさい。または、和平したいのなら、ペテルブルグもよこせと言いいなさいよ」
椿はテレジアには聞こえないように手に握ったスイッチで音声を切って、口元を隠して、伽具夜に相談した。
「でも、大阪を戦火に曝さず、獲得できるなら、和平に応じたほうがお得だよ。下手に仙台の時のように工場を壊されると、後始末が大変だよ」
伽具夜からすぐに怒声が飛んだ。
「馬鹿、ペテルブルグを落としておけば、後々、ガレリア、バルタニア、ポイズンのどこかに譲渡するなりして交渉材料に使えるでしょう。今、落ち目のテレジアを葬っておいたほうが後々、有利になるのは間違いないのよ。ペテルブルグは月帝国内にできた橋頭堡だって、忘れたの」
伽具夜の言葉を聞いても、椿は決断できなかった。それより、別の不安が頭を過ぎった
「そうすると、ガレリアが強くなりすぎなるよねえ、ガレリアのリードって、あからさまに危険な感じのする指導者なんだけど」
ガレリアは、なんだかんだ理由をつけて、すぐにロマノフに宣戦布告しなかった。そのせいで、月帝は六ヶ月以上に渡る要らぬ消耗戦に入ったとも判断できる。
だったら、ガレリアがあまり強大にならないように、ロマノフとは一度は和平しておいたほうが良い気がしてならなかった。
また、椿をないがしろにする伽具夜に対する反発も、なかったとはいえない。
あまり長い間、ずっと音声を切っておくのも不自然なので、椿は音声を入れて決断した。
「わかった。大阪の設備を破壊しない、大阪から財産を持ち出さない条件で兵を引けば、ペテルブルグは攻めない」
もちろん、前回に学んだ教訓から、約束は完全に守る気ではなかった。一年が経たずとも、状況によっては兵を進めて、奪いに行く気、満々だった。
今度は椿が裏切り返す番だ。今度こそ優位な立場に立って、上から目線で言ってやる。
テレジアは両手を胸の前で組み、安堵した表情を浮かべた。
「よかったですわ。椿国王様が紳士なお方で」
こうして、大阪を手にした月帝国は、前回と同じだけの領土を回復した。
テレジアが約束通りに兵をペテルブルグまで引き、大阪を手にした事実で、椿は自信を回復させた。同時に、安価な歩兵至上主義の軍事国家の強みを理解した。
あとは、このまま大阪で歩兵と兵器を増やして、ペテルブルグを蹂躙して、対コルキスト戦に臨むだけだ。
ただ、自信を回復した椿を、伽具夜が苦い顔で見ていた。
5
結論から言えば、椿の幸せは一年も続かなかった。ロマノフとの停戦後、半年後に椿は夜遅くにバレンに起されて、閣議室に呼び出された。
閣議室では、閣僚が全員、揃っていた。深夜の全員が揃った閣僚会議、もう完全に嫌な予感しかしなかった。
まず、口火を切ったのは、外務大臣だった。
「バルタニアより先ほど、月帝国に対して、宣戦布告がなされました」
外務大臣の言葉を聞いても椿は最初ピンと来なかった。
「バルタニアが! 今まで何も言ってこなかったのに、なんで今さら」
伽具夜が当然だとばかりに、椿を腐した。
「お前は本当に救いようのない、馬鹿よね。これから攻めようっていう相手にわざわざ、事前の動きを悟らせるわけないわ。攻めるなら、宣戦布告すぐ越境が基本でしょ」
「俺、バルタニアに何も悪い態度を取ってないよ。なんらかの要請だって断ってないし、前回は資源だって、輸出していただろう」
伽具夜が怒鳴った。
「前言を撤回するわ、救いようがない馬鹿じゃなくて。地獄に落ちて当然の馬鹿だわ。なんで過去に囚われるのよ。第一、お前は首を斬られたでしょ。その後の外交関係や貸し借りなんて、まるでわかってないでしょう」
伽具夜に指摘された通りだと思った。一番早く退場したので、その後の外交関係なんて知る由もない。
もしかすると、椿が鳥兜に首を斬られて退場になったあとに、バルタニアはコルキストかロマノフに借りができる展開になっていたのは、充分に考えられる状況だった。
椿は慌てて軍務大臣に尋ねた。
「バルタニアの兵力って、どれくらいなの?」
軍務大臣が沈鬱な表情で答えた。
「レーダーから、艦船にして五十以上です。敵の進軍速度から、明日の午後には月帝の領海に侵入すると思われます」
最低でも五十隻の軍艦が首都東京を目指してやってきた。
椿が閣議室の時計を見ると、今日は残り五十分しかない。
「バルタニアと戦争になると、どういう展開が予想されるの」
軍務大臣が沈痛な面持ちで返答した。
「こちらには遠距離攻撃が可能なロケット砲や戦闘機はありますが、偵察機の報告から、相手には空母や、イージス艦、ミサイル巡洋艦が確認されていますので、おそらく海側から一方的に攻撃されるでしょう。歩兵は海戦では役に立ちませんから」
「それって、海からの攻撃で東京が落ちるってこと」
椿にとっては予想外の展開だった。
伽具夜が冷静に反応した。
「すぐには、落ちないでしょうね。東京にはカイエロを利用した、天元防御壁があるのよ。単なる爆撃機やナックラッカー程度のミサイルでは、東京は落ちないわよ。でも安心しないでね、天元防御壁といえど、完璧ではないから。さすがに五十隻もの艦船で攻撃されれば、少しずつ街に被害が出るし、防壁もいつかは瓦解するわよ」
軍務大臣がビン底眼鏡を鈍く光らせ、だから言ったでしょ、と言わんばかりに発言した。
「月帝国の戦力が歩兵にのみ注力しており、海軍がないのが致命的です」
軍務大臣は辛うじて礼節を保っているが、チクチク椿の心に刺さるような言い方で言葉を続けた。
「大阪、堺、仙台は海に面しているために、造船所がありますが、今から緊急生産体制をとって生産しても、数は全く揃わないでしょう。さらに、堺は別ですが、大阪と仙台は西側の内海側に面しているので、大陸東端に位置する東京に来るには、ペテルブルグを周るようにして大陸を迂回させねば、海軍は東京湾に集結できません」
「凄くまずいじゃん!」
伽具夜がすぐに皮肉めいた言葉で問いかけてきた。
「凄くまずいじゃくなくて、絶望的って言葉を、知っているかしら」
6
陸軍、しかも歩兵に注力していた月帝には、海から攻撃してくるバルタニアに対し、為す術がなかった。
急遽バルタニアに停戦を呼び掛けて見たものの、相手の指導者は出ず、女性秘書官を思わせる外務大臣が出た。
「宣戦布告はしましたが、撤回してもよろしいです。ただし、条件は、カイエロの引渡しです」
椿は答に窮した。
停戦が本当に可能なら、カイエロを失うくらいの損失を覚悟して、停戦の条件を飲んでもいい。だが、バルタニアの指導者と会った経験もなく、性格も知らない。
イブリーズでは、今まで会った人間で信用できる人間は、誰もいない。
カイエロを渡してしまえば、天元防壁が機能しなくなり、首都の防御力は格段に下がる。
首都の防御力が格段に下がったところで「停戦は、やっぱりなし」と言われれば、東京は海からの攻撃で簡単に落ちるだろう。
東京が落ちたところで、バルタニアが手に入れたカイエロ〝天元の盾〟で天元防壁を展開されれば、東京奪還のために掛かる兵力の損耗も、半端ではないだろう。
バルタニアが隣国のコルキストを攻めず、月帝にターゲットを絞ったので、両国の間には密約があるかもしれない。
そうなれば、東京奪還に兵力を集中して消耗したところで、コルキストが南下してくれば、最悪、東京、仙台、陸奥まで失い、弱小国へ転落だ。
椿は迷った挙句、バルタニアの申し出を断ると、相手の外務大臣は「では、いいです。実力で東京を切り取ります」と、すげなく言って通信を切った。
次に椿は盟友と思われるガレリアのリードに通信を入れた。リードは会談に応じてくれた。
だが、リードは明らかに興味を失った態度だった。
「どうした、月帝国の国王様、何か問題でも起きたか?」
どうやら、リードの態度から見て、ガレリアはバルタニアの動きを知っていた可能性があった。
椿は率直に懇願した。
「バルタニアと戦うために、海軍を派遣して欲しい」
リードが、とてもつまらなさそうに聞いてきた。
「なるほどね。確かにガレリアは海軍を要している。それで、見返りは、なんだ? もちろんアーティファクトの一つも用意しているんだろうな」
月帝が所有するアーティファクトは一つしかない、カイエロの〝天元の盾〟だ。
「わかった。カイエロの一つ〝天元の盾〟を渡す。だから、助けてくれ」
リードはカイエロと聞いて、ヒューと口笛を吹いてから、面白そうに笑った。
「よし、いいだろう。ただし、軍を派遣するのは〝天元の盾〟が届いてからだ」
〝天元の盾〝を先に渡せば、ガレリアの艦隊が到着するまで、東京は保たない。
「それでは困る。今、〝天元の盾〟を渡せば、東京が守りきれない。東京防衛に成功した暁に、〝天元の盾〟を渡す。それでいいだろう」
リードが鼻で椿の言葉を笑って、即座に申し出を拒否した。
「どうやら、椿国王は、さっさと寝たほうがいいらしい。椿国王様は完全に寝ぼけていらっしゃる。椿国王の申し出だと、ガレリアの軍が到着した時に東京が落ちていれば、ガレリアはバルタニアと関係を悪化させただけで、何も得る物がない」
リードの言葉はもっともだったが、これ以上は、どうしろと言うんだ。
椿はここで、ペテルブルグまで落としておいて、交渉の材料にしろと進言していた、伽具夜の言葉の正しさを、今になって噛み締めた。噛み締めたが、もう遅い。
椿はそれでもなお、ガレリアに援軍を出させるために譲歩した。
「わかった。月帝が所有する、大阪を渡す。だから、助けて欲しい」
リードは眼を細めて、残酷な言葉をぶつけた。
「私は自分が助かるために、部下たちが住む都市を差し出すような奴は嫌いだよ。今度は、もっと面白い話を聞かせて欲しいね。あ、そうそう、ついでだから言っておくが、ガレリアとロマノフ間では和平が成立した。それでは、お休み、命短き国王様」
リードとの通信が切れた。完全に外交ルートでの局面打開は失敗した。
あとは、ポイズン首領の鳥兜だけだ。けれども、鳥兜の性格からして、どうしても、救ってくれるとは思えなかった。
それに、鳥兜に大阪を渡すと、前回の悪夢が再来する気がしてならなかった。
もっとも、鳥兜が大好きな首を差し出せば別だろうが、首は差し出した時点で即敗北だ。
それでも、藁に縋ろうと鳥兜に援軍を頼んでみようと思ったところで、伽具夜が家畜でも見るような目で見て評価をぶつけた。
「また、最悪の外交をしたわね。バルタニアとの停戦は蹴られ、ガレリアには弱っている醜態を曝したのよ。それどころか、何の情報も得られず、ガレリアにカイエロを持っている事実を教えたわ。この先まだ、どこかの国に月帝の危機を吹聴しようとするつもりなの」
少し冷静になれば、助けてくれる可能性がないポイズンにまで月帝の危機を教えるのは、却って危険な行為かもしれない。
椿は独力で困難な局面に立ち向かわざるを得なくなった。
7
翌日午後より、東京は戦闘機と爆撃機の強襲プラス、多数のミサイル攻撃に見舞われた。
椿は独り閣議室のモニターで東京の様子を見ていたが、ミサイルは透明な障壁にぶつかり、爆発して消えて行き、街にミサイルが落ちなかった。
ミサイルが街に有効的な効果を与えられないと知ったのか、バルタニアはすぐに防壁側に攻撃を移した。だが、防壁は、ほとんど破損しなかった。
椿は素直に「これって東京は安泰かも」と思った。
この時ばかりは、カイエロの発掘に資金を投じて、天元防壁を作ってくれた伽具夜に感謝した。天元防壁の効果は高く、街には被害はほとんど出なかったので、椿は改めて、大陸に眠っているカイエロの効果に驚嘆せざるを得なかった。
戦争が始まって初日の夜に閣議が開かれ、軍務大臣から報告があった。
「バルタニアの攻撃により、街に張り巡らされた天元防壁の隙間から僅かに被害が出ましたが、軍の兵器生産施設には被害はありませんでした。空軍戦力がバルタニアより劣ると思われる状況から、迎撃の戦闘機は出撃させませんでした。ですが、敵の戦闘機の攻撃により天元防壁に与えられた損傷は、軽微です」
軍務大臣の報告を聞いた椿は正直な感想を漏らした。
「よし、後は、堺、大阪、仙台で駆逐艦、原子力潜水艦、ミサイル巡洋艦を緊急生産してで無理矢理、総動員態勢で造らせよう。東京では戦闘機を優先的に製造しながら、バルタニアが東京攻略を諦めて撤退するまで、天元防壁の中に篭っていよう」
軍務大臣が椿の発言の問題点を指摘した。
「畏れながら、歩兵の装備を優先的に開発させたので。海軍に関する技術力はバルタニアより一世代は遅れています。戦艦、駆逐艦、ディーゼル型潜水艦までなら作れますが。バルタニアの所有するようなミサイル巡洋艦や原子力潜水艦のような高度な海軍兵器を製造する技術が、月帝国にはありません」
椿は愕然となった。
「つまり、今から海軍を作っても、質でも数でも劣った物しか揃えられないって意味」
伽具夜が落胆を通り越して欝になったような表情で告げた。
「椿国王に軍事的才能はないと思っていたけど、先見性の明に懸けては、蝙蝠の視力より低かったのね。もう、がっかりも、すっかりも通り越しているから、掛ける言葉もないけどね」
伽具夜が経済大臣の発言を手で促すと、経済大臣が暗い表情で立ち上がった。
「国王陛下。確かに天元防壁は、かなりの防御効果を持ちますが、エネルギー消費量が莫大です。天元防壁を張り続けていれば、東京への電力供給は不足します。軍需用の生産施設が無事でも、東京の経済や生産活動は攻撃を防いでいる間、停まります」
同じく暗い顔で宗教大臣が立ち上がり、発言した。
「今はまだ、カイエロの奇跡に民衆が感謝しております。ですが、東京湾を閉鎖され、敵の艦船の姿が見え続ければ、いずれ国民の不安はピークに達するでしょう。そうなれば、暴動以上の事態が起きる可能性があります」
さらに暗い顔で、科学大臣が陰鬱な表情で口を開いた。
「科学省はエネルギー不足の煽りと、防壁の補修に懸かりきりのため、事実上機能停止状態に陥りました。新たな研究が全くできない状態です」
どうやら、ただ、引き篭もっていても、いずれはジリ貧になるらしかった。かといって、特効薬的な案はなに一つない。
「よし、このまま旧式でもいいから、海軍を急ピッチで作らせながら、事態をしばらくは見守ろうよ。どうせ、東京は安泰なんだし、少しくらい不便な生活も国民に強いても大丈夫だろう。バルタニアも中々、東京が落ちないとわかれば、いずれ包囲を解いて帰って行くだろう」
椿の言葉に対して、閣僚たちは、唖然としたのか、何も言わなかった。
伽具夜にいたっては、冷蔵庫の奥で腐って融け掛った煮物でも見つけたかのような表情をして、椿から顔を背けた。
五日後、バルタニアの攻撃が断続的に続く中、緊急閣議が召集された。
軍務大臣が立ち上がって、どん底の表情で話し始めた。
「追加報告があります。堺付近でも、バルタニア艦隊が目撃されました」
さすがに椿は、まずいと思った。
バルタニアが東京攻略を放棄して、海沿いにある仙台、堺、大阪の攻略に入ったと思った。
三都市には普通の武装防壁しかない。大規模な攻撃を受ければ、陥落する危険性が有った。
椿は半ば椿自身に言い聞かせるように発言した。
「大丈夫だって。海からの攻撃で仙台、堺、大阪が落ちても、すぐに歩兵で取り返せるよ」
軍務大臣が椿の意見を聞いて、どん底よりさらに、暗い顔で意見を述べた。
「いえ、バルタニアの姿はすぐに見えなくなったので、堺、大阪、仙台をすぐに攻撃する意思は、ないと思われます。補給艦もほとんど見当たりませんでした。おそらくは――」
伽具夜が諦め顔のまま、手で軍務大臣の発言を制した。
「その先は、もうよしましょう。もう、月帝の未来は決まったようなものです。あとは国王陛下への宿題としましょう。皆、よく仕えてくれて、ありがとう」
伽具夜は月帝国にお別れの挨拶をするように、閣議を早々に打ち切った。
バルタニアは毎日のようにミサイル、戦闘機、爆撃を投入して東京を攻めてきたが、天元防壁のおかげで、東京の街には被害がほとんど出ない。けれども、被害が出ないだけで、東京では偽りの平和な時間が経過しているに過ぎなかった。
大阪と仙台で、緊急生産していた駆逐艦が完成した。
椿は「少なくてもいいから、堺方面に回して海軍を合流させて」と軍務大臣に命令を出した。
だが、軍務大臣から「仙台と大阪から出た駆逐艦は、堺に到着する前にバルタニアに撃破されました」と、すぐに報告を受けた。
椿は前回の閣議で軍務大臣がどん底より暗い顔をしていた理由を、やっと理解した。
海軍の生産が終る前に、先にバルタニアの艦隊が大陸を回り込み、内海に展開したのだ。
堺で見たバルタニアの艦隊は堺を攻撃するためではなく、内海に展開するために移動中だったのだ。こうなってくると、なんで伽具夜がお別れの挨拶をするように閣議を打ち切ったのかも、理解できた。
バルタニアは、内海に面した都市を所有していない。もし、バルタニアが単独で軍事作戦を行っていたのなら、補給路は長大なものとなっており、補給艦が絶えず行き来していなければおかしい。
だが、そんな多数の補給艦が見かけないとなると、内海に面した都市を持つどこかの国が、バルタニアに燃料と弾薬を供給しているとしか思えなかった。
ガレリアを信頼すると仮定しよう。ポイズンは月帝と離れているので、バルタニアと組んで補給を提供している可能性は低い。
となると、残るは月帝と戦争状態にあるコルキストか、ロマノフに限定される。
不幸というか幸運というか、偶然から、バルタニアに燃料と弾薬を供給している国家が判明した。ロマノフだった。燃料や弾薬を供給している都市はペテルブルグだった。
伽具夜が「ペテルブルグまで落せ」と進言した言葉を無視した付けが、ここでも出た。
緊急閣議がまた開かれた。
閣議室に一同が集まると、軍務大臣から淡淡とした報告があった。
「偵察機からの報告です。多数の輸送艦がバルタニア艦隊に護衛され、ペテルブルグに向ったと知らせを受けました」
やられたと思った。ロマノフは、一年の和平と言っていた。一年の和平は、ペテルブルグの保持が目的ではなく、大阪を奪還するための算段だったのだ。
その前段階として大阪が危なくなった時点で、バルタニアと組んだと見ていいだろう。
バルタニアは、内海から東京湾に海軍を合流するのを阻止する役目を受け持っていたのと同時に、ロマノフの陸戦部隊の護衛役でもあった。
外務大臣が立ち上がって、粛々と通達事項を告げた。
「ロマノフより、和平撤回と宣戦布告通知を受けました」
椿が一年を掛けてペテルブルグを落す準備をするよりも早く、ロマノフが軍備を増強して、バルタニアを動かし、大阪進攻に動いた。
今度は、海からもバルタニア軍がロマノフ軍を援護してくる。大阪戦では大量の歩兵の血が流れるだろう。
短い閣議が終了すると、どの閣僚も椿と眼も合わさずに退出した。ただ、伽具夜だけが「覚悟しておいてね」と不吉に伝えた。
8
大阪戦は激戦になると思ったが、大阪戦以前に、椿にとって想定外の事態が、まず襲ってきた。停戦こそなかったものの、今まで軍事行動を起さなかった、コルキストが攻めてきた。
コルキストは椿が初めて見る二足歩行の剣士型バトル・ドミネーター四機を先頭に侵攻してきた。
閣議室で見覚えのないバトル・ドミネーターの出現に、椿はすぐに科学大臣に説明を求める。
科学大臣が粛々と説明してくれた。
「あれは、重量子シャイターン・フィールドを纏い、対超重量子シャイターン・フィールド用の武器を装備した新型バトル・ドミネーターですね。我々は、テンペシオスと呼んでいます。月帝では基礎理論の概念はありますが、まだ、部品の設計図すらできていません。まさか、コルキストが四機とはいえ、こんなに早く実戦配備できるとは、思いもよりませんでした」
コルキストが随分おとなしいと思っていたら、思わぬ新兵器を開発していた。椿が軍拡に走っている間に、コルキストは国力のほとんどを科学技術に振り向け、バトル・ドミネーターに絞って開発していたのだろうか。
科学大臣が説明を付け加えた。
「普通に考えれば、コルキスト一国の科学力では、開発から実戦配備までは無理だったでしょう。おそらく、コルキストはバトル・ドミネーター型のアーティファクトの発掘に成功したか、他国から入手したと思われます。発掘された物を元に技術解析して、どこかの国と共同で技術開発を行い、短期間で実戦に投入できるまでにした手並みは、見事としかいいようがありません」
ソノワが外交的交渉術に聡明で、科学振興の手腕が優れているのを認めるのは、いい。
問題は新兵器の威力だ。
「どうやって、入手したかはいいよ。それで、どの程度の戦力なの」
戦闘能力については軍務大臣がアッサリと答えた。
「攻撃能力という面に関しては、ロケット砲や爆撃機の数を揃えたほうが、安価かつ上でしょう。ですが、対バトル・ドミネーターや都市の持つ武装防壁に関してなら、テンペシオスは、どの兵器より効果的です。防御性能という面なら、他を寄せ付けません」
椿は、大変な展開になったと自覚した。
「ということは、仙台や陸奥にいる歩兵やロケット砲部隊は、テンペシオスを破壊できないの?」
「ナッツ・クラッカーのような、対バトル・ドミネーター用のミサイルならまだしも、単純なロケット砲は、ほとんど無意味かと。歩兵に関しては、虫けらほどにも役に立たないでしょう」
大量にいる歩兵が戦力にならないなら、仙台と陸奥は落ちたかもしれない。
椿は不安を隠して科学大臣に尋ねた。
「でも、天元防壁がある東京は、無事なんだろう?」
科学大臣は、あくまで冷静に私見を述べた。
「海上からのバルタニアの攻撃がなければ、わかりません。ですが、今この状況でテンペシオスを四機から攻撃されると、危険です。天元防壁の必要とするエネルギー量が都市のエネルギー供給量を越えるでしょう。天元防壁も破られるかもしれません」
バトル・ドミネーターのテンペオスが仙台と陸奥を攻略している間に、大阪はバルタニア海軍とロマノフの機甲部隊によって、あえなく陥落した。
堺だけでも死守しようと思ったが、大問題が発生した。無理矢理、兵器を造り続けさせられ、徴兵で民を苦しめ結果、天元防壁がない堺では、住民の反乱が起きた。
堺は民衆の手で内側から解放軍として、ロマノフを受け入れたのだ。同日には仙台が、翌週には陸奥がテンペシオスの前に陥落。
気が付けばまた、両端をロマノフとコルキストに挟まれ、首都しか残らないという悲惨な末路になっていた。しかも、椿が国王となってから、二年と持たなかったという、異例の速さだ。
考えようによっては、今回は海上もバルタニアに封鎖されているので、前回より悪い状況とも言える。
二週間後、コルキストのテンペシオス四機の猛攻とバルタニア海軍の爆撃により、天元防壁は機能を停止した。
天元防壁がなくなった東京を、海上でずっとこの機を待ち構えていたバルタニア軍より総攻撃を受けた。遂に首都東京陥落の日を迎えた。
今度はバルタニアに海上を封鎖されていたので、伽具夜も逃亡を図れなかった。
ロマノフ、コルキスト、バルタニアが同時に攻めて来ているので、どこの国の兵が先に椿の身柄を押さえるか皆目わからない。
椿と伽具夜はどこの国が最初に閣議室に入って来るのかを待つ状態になった。
伽具夜と二人きりになるのは久しぶりだった。もう、最後かもしれないので、椿は聞いた。
「ねえ、どこで、間違ったのかな?」
伽具夜は顔も合わさずに、拗ねたように発言した
「最初からよ。今回の月帝は軍国家には都合が悪い。最初は良いかもしれないけど、すぐに巻き返されるが目に見えているって、私の予想した通りになったでしょう。なにを今さら反省しているのよ
」
「素直に、御免と謝るよ。でも、内政もダメ、軍事もダメってなると、あとはバランスよく国を育てる方針しかないけど。もし最初にバランスよく、国を育てていたら、うまくいったのかな?」
伽具夜が最後まで辛辣な言葉をぶつけてきた。
「さあ、それはどうかしら。指導者が指導者じゃ、中途半端な国ができて、もっと早くに首都が落ちたかもしれないわよ。まあ、お前が指導者だから、好きにやって好きに滅びればいいでしょ。残念だけど、お前はこの世界の指導者には向かないわ」
外で銃声が聞こえてきた。もうじき、閣議室前まできた他国の兵隊がやって来て、閣議室の扉を破壊するだろう。
椿は陰鬱な気持ちで聞いた。
「これで、またこの狂った世界で、一からやり直しなのかな。今回は前回よりひどく負けたから、条件はもっと悪くなっているんだろうか。それとも、あまりにも酷い成績だから、神様に消されるのかな」
伽具夜はいよいよ最後だと思ったらしく、教えてくれた。
「確かに、ひどい負け方をしたから、椿が消滅する可能性はあるけど、そっちの確率は低いと思うわ。それよりも問題なのは、私がどうなるかよ」
椿は苦笑いすると、伽具夜は顔を顰めて告知した。
「指導者が酷い負け方を続けると、消滅させられるのは確かよ。でもね、首を三回刎ねられても消滅するのよ。首を三回刎ねられるは目安だから、神様が気まぐれを起すと、二回で消滅もあるわ。ただ、私の記憶が確かなら、最長五回まで待ってくれた例もあるわね」
「つまり、俺が捕まって、首を刎ねられても、おおよそ、あと一回チャンスがあるんだ」
伽具夜がそこで厳しい表情で付け加えた。
「ただし、補佐役も一緒に首を刎ねられた場合、指導者の首が刎ねられた回数に関係なく消滅するルールが存在するのよ。つまり、一発退場の特例ね」
椿はどうして、伽具夜が前回一人で逃げたかを理解した。
ポイズンの鳥兜に捕まっていれば、鳥兜なら間違いなく、伽具夜の首も一緒に刎ねただろう。伽具夜は椿を消滅から救うために、あえて一人で逃げた、と思いたかった。
9
閣議室の扉が破壊され、入って来たのは、カーキー色の服を着た兵士だった。確か、カーキー色の服はコルキストでもロマノフでもない、バルタニアの兵士だ。
二人は一緒に港まで連行され、別々の軍艦に監禁された。
椿はバルタニアに連れて行かれ、初めて会うバルタニアの指導者に首を刎ねられると思った。
長い時間ぐらぐら揺られる艦内で、どういえば伽具夜だけは見逃してもらえるか、考えた。だが、名回答は浮かばなかった。
長い船旅の先に着いたのは、紫色の大きな洋館が立ち並ぶ、ちょっとホラーチックな街だった。軍艦を降りたのは、椿が独りだけだった。
(伽具夜はすでに連れていかれてしまったのだろうか)
軍艦を降りてドラブ色の服を着た兵士に引き渡された事態が、最悪の展開を物語っていた。
連れて来られたのはポイズン領内だ。ということは、今いるのは鳥兜が支配するポイズンの首都。処刑確定だった。
ポイズンの兵士は、前にも見た記憶のある銀色のリングを椿の服の上から通した。すると、前回と同じように、リングが閉まって体を拘束した。
そのまま、ポイズンの民衆が見物するなか『首切り広場』と銘打たれた大きな広場に荷物のように運ばれた。
『首切り広場』の周りを厳重に警護する兵士の輪の中に、真っ白な着物姿で、下駄のような処刑台に腰掛けた鳥兜が待っていた。
もちろん、鳥兜の横には前回に見たのと同様の、大鎌が用意してあった。
処刑台に腰掛けていた鳥兜が、公園でたまたま会った友人にでも挨拶するように、にっこりと微笑み「こんにちは」と声を掛けてきた。
椿はもう、鳥兜の格好を見て、覚悟を決めていた。
「こんにちは、鳥兜さん。またこうして直にお会いしましたね。美しい貴女と会えて嬉しさのあまり、膝が震えてきそうですよ」
鳥兜は腰掛けていた処刑台から立ち上がった。
「ほんまどすかー。嬉しゅうおすわー。若い男の子の首は、斬り応えありますさかいに」
処刑台の上に仰向けで体をポイズンの兵士に固定されながらも、椿は尋ねた。
「一つ、聞いていいですか? 伽具夜は、どうなりました? やはりもう、首を刎ねたんですか。それとも、俺の次ですか。まだ、首を刎ねてないなら、伽具夜の首だけは勘弁してもらえませんか」
鳥兜はどこか恍惚とした表情で答えた。
「気になってまっしゃろか。ふふふ、でも、それを教えたらおもしろおへん。ほな、スッパといかせてもらいますさかいに。今度は二回目やさかい、仰向けでいきます」
椿は鳥兜に伽具夜の扱いを教える気がないのを理解したので、仰向けのまま眼を閉じた。
椿はふと、伽具夜が死ねば消滅という状況は、この狂った世界から消えられる良い機会ではないかとすら、思った。
鳥兜から不思議そうに発言する声が聞こえてきた。
「おや、眼を閉じて笑っとるんどすか? そんな首を刎ねるのも、また一興どすなー」
首の後ろに冷たい刃が当てられて、大鎌が引き上げられた。