第三章 国家同士の約束の結末と三人の指導者
『朕は人との約束は守りますわ。ただ、御免なさい。朕には、どうしても貴方が人間には見えなかったの』――ロマノフ女王 テレジアの言葉
『この借りはいつかお返しすると約束した。だから必ず返す。ただし、返済方法の選択権は当方にのみあるのだよ』――コルキスト執政官 ソノワの言葉
『私かて、ほんまは、やりたくて、やっているのと違いますう。たあだ、いつやっても人の首を切り落とすのだけは、人には譲りたない思います』―― ポイズン総統 鳥兜の言葉
第三章 国家同士の約束の結末と三人の指導者
1
椿は経済大臣と話を進め、民衆には悪いが、増税に踏み切った。
別に、税金を椿の懐に入れるわけではないし、税金は資源開発、高速輸送インフラ整備、国内金融機関の改善に使うのだから問題ないと思ったからだ。
経済大臣に勧めに従った案の丸呑みだったが、経済大臣は怪盗紳士風の装いを別にすれば、至極まともな人間だった。
閣議終了後、茶色い公家風の服を着た少年が執事としてやってきた。戴冠式時に宗教大臣の助手をやっていた少年だ。
少年執事は、地下十階にある部屋に椿を案内した。小さくかつチープで、急遽作成したような『王様の部屋』と書かれた看板が掲げられていた。
椿に与えられた部屋の広さは、六畳ほど。
部屋にはベッド、机、本棚、電話機はあるが、窓がなかった。ただ、突貫工事で付けられた、スライダー式のルームライトと、空調があるのが救いだった。
「はは、王様生活の一日目にして、家庭内別居になったよ。正確には宮殿内別居というべきかもしれないけど」
少年執事がきょとん、とした顔で教えてくれた。
「王様、普通。貴族階級では、ご夫婦といえど、寝室や生活空間が別なのが、普通なのでは?」
「あ、そうなの。知らなかった。じゃあ、これで、よかったの、かな?」
でも、寝室に足を踏み入れるな。用がある時以外は部屋に来るな。だから、パートナーとしての絆には亀裂が入っている気がする。
とはいえ、閣議室のやりとりを少年の執事にまで話す気はなれなかった。もっとも、こういうゴシップはすぐに、知れるだろうけど。
椿は改めて部屋を見た。
(この場所って、きっと、閣議前まで物置か何かだった気がする。やっぱ伽具夜と喧嘩したのはまずかったかな。でも、いきなり戦争はないし、俺に戦争なんて、無理だよ。それに、ビン底眼鏡の軍務大臣は頼りなさそうだし)
椿は空腹を感じた。そういえば、朝から何も食べていない。
少年執事に食事を頼むと、すぐに部屋に届けられた。
王様の食事というので、どんな料理が出てくるのかと思ったら、納豆ご飯と味噌汁と、甘味のある菠薐草のお浸しか出なかった。
伽具夜の地味な嫌がらせだと思ったが、いつも食べている物なので、残さずいただいた。
いちおう執事には「次の食事は月帝で普通に食べられている料理を食べたいと」リクエストしておいたが、どうなるかわからない。
なにせ、宮殿は伽具夜の支配下にある。この後、嫌がらせのように延々と同じ日本食を出されるかもしれない。
少年執事が退出前に説明した。
「お部屋は、暗殺を避けるために、国王様、伽具夜様と私しか、外からは入れない設定になっております。もし、不都合がありましたら、設定を変更しますので、お申し付けください。では、私めは退出いたしますので、御用がありましたら、いつでも内線電話でお呼びください」
元物置だったような、六畳間に設置されてあるベッドに転がり、思案した。
(なんかで、こんな事態になったのかなあ。いいさ。日本に帰る方法はわかったんだ。歳を取らずに帰れば、きっと夏休み初日の俺の部屋に帰れるはず)
そこで、椿の頭に不安が持ち上がった。
(でも、ひょっとして、仮想現実じゃなくて、本当に宇宙人に攫われたのなら、歳を取らなくても、リアルに地球でも時間が流れていて、帰ったら未来なんだろうか。いいさ、今の異常な状況と戦争狂の女王に振り回されて、血の河を渡らせられるよりは、よっぽどマシだ)
椿はベッドの下に、ベッドより一回り小さく厚みのある長方形の装置が入っているのを見つけた。これが、代謝速度減縮装置なのだろうかと、試しにベッドの上で寝てみる。だが、何も体に変化はなかった。
(本当に大丈夫なのかな、あの軍服の科学大臣)
パジャマに着替えてベッドに横になると、今朝から目まぐるしく起きた展開が頭を過ぎた。だが、最も鮮明に頭に思い浮かんだのは、伽具夜の裸身だった。
2
体を揺すられて目を覚ますと、少年執事の顔が目に入った。
「ごめん、なに、もう夕食。そういえば、寝ているだけなのに、お腹が空いたな」
「何を仰るのですか、国王様。国様が眠っている間に、半年が過ぎましたよ」
嘘だとしか思えないが、寝る前に月帝暦で何月何日に眠ったから覚えていないので、本当かどうか、わからない。
宮殿のバルコニーに出てから外を覗いて見た。宮殿のバルコニーから見える庭は秋の彩りに変わっていた。本当に半年が経ったようだった。
椿は少しだけ気分がよくなった。
(時間が進むのって、王様の部屋で寝ていると、結構、早いな、体感的には二時間ぐらい寝たけど、半年も経過しているなら、体感的には早く日本に帰れるかも)
少年執事が、椿の着ている服と全く同じ服を持ってきた。
「さあ、着替えてくだい、閣議室に外務大臣と経済大臣がお待ちです」
「なんで、閣僚が二人だけ。それに二人だけなら、執務室とか謁見の間とかで、会ってもいいでしょ」
少年執事が首を竦めて発言した。
「執務室は皇后様が金融取引のために改造して使っております。謁見の間なんて半年間、誰も来なかったんですよ。清掃費削減のために、閉鎖しています。だって、寝たきりの王様ためにお金を使うなんて、もったいないですよ」
ある意味、づけづけ物を言う少年執事に感心した。
「君、ゆうねえ。そういえば、まだ名前を聞いてなかったね、名前は」
「バレンスタイン・ソロアリストス・マルベリストギュンターニューです」
椿は一発で名前を覚えられないのを一瞬で自覚した。
「ごめん、バレン君でいいかな」
バレンは灰色の瞳の笑顔で辛辣な言葉で答えた。
「構いませんよ、王様。伽具夜様から、王様は猿の如き知恵の持ち主だと聞いておりますゆえ。フルネームどころか、バレンスタインまで覚えられるとは思っておりませんでした。王様の記憶力だと、濁点を一文字と計算して、四文字が限界だと思っておりましたので、バレンで結構です」
「俺は昔のコンピューター・ゲーム並みに頭が悪いのか、ちゃんと、ステシア・テレジアちゃんとコルカ・ソノワさんはフルネームで覚えたわ」と返したいところだが、じゃあフルネームで呼んでくれといわれれば、口が回りそうにない。また、女性だけしか覚えられないのですね、と返されると腹が立つので、発言は控えた。
でも、伽具夜に馬鹿にされるのはいいとして、執事にまで馬鹿にされるのは癪なので、呼称問題に触れず、いちおうの抗議をした。
「それ、褒めてないよね? 馬鹿にしているよね? 俺、一応は王様だよ」
バレンは笑顔で、屈託なく返した。
「はい、椿様は国王様です。ですが、私は、れっきとした皇后派ですので、敬意を払うところは払う。貶めるところは、礼節をもって貶めます」
(月帝の人間って、みんなこうなのか。なんか、皆、どこか一癖あるぞ。いいか。どうせ、権力者は孤独なのさ)
3
伽具夜に執務室が占拠された事態は、いいだろう。だが、王様と大臣が金融大国に走ろうとしている話を知っていて金融取引って、究極のインサイダー取引ではないだろうか。
深く考えるのはよそう。ここは封建国家だ。誰も皇后を告発できるとは思えない。それに、伽具夜とは元々大きく価値観が違うのだから、できるだけ衝突は避けよう。嫌な思いをするだけだ。大臣と話すだけなら、どこでもいい。
ただ、誰も半年間、会いに来ずに起されなかった事実は、やはり寂しさを感じた。
「バレン君、閣議室に行こう。案内して」
椿が閣議室に入ると、閣僚二人の他に、伽具夜がいた。
伽具夜は半年ぶりに会ったのに、相変わらず不機嫌な顔をしていた。
椿にしてみれば、二時間ぶりぐらいなので、椿からは話しかけ辛かった。
経済大臣から「これを」と国の収入支出報告書を見せられたが、よく見方がわからなかった。
「すいません。これ、よく見方がわからないんですけど、どう見るの」
横で伽具夜が呆れたように口を出した。
「収入支出報告書もまともに見られないのに、よく経済大国を目指すなんて言えたものね。半年間、お前は何をしていたのよ」
「寝ていました」とは、さすがに告白できなかった。
「いや、その」と適当に言葉を濁すのが、やっとだった。
経済大臣が苦笑いの表情で説明に入った。
「簡単に申し上げますと、現在、国庫には二兆円程度の余剰金があります。来月の収入から支出を引くと、来月には月額二百二十億円程度の黒字になります。今後も、黒字になった分を国内の整備を進めていけば、順調に増えて行き、三年後には月額一千億円程度の黒字になると思います」
日本の国家予算の規模から比べると、金額は少ない。
国庫の余剰金が二兆円、毎月の収入が二百二十億円の黒字が、国として好調なのかどうか、椿には正直わからなかった。
物価が日本と同じなのかも不明なので、月帝が金持ちなのか貧乏なのか判断もつかない。
椿の反応を見て、伽具夜が興味なさそうに発言した。
「月額一千億円の予算を科学技術省に回して、大学や研究施設の完成をさせれば、だいたい二十年で次元帰還装置が完成するわよ。お前の計画通りにね」
椿はいささか楽天的に考えた。
(一年を体感時間で一日と計算すれば、日本に帰れるまで、二十日。なんだか、別にそれほど深刻に考える事態ではない気がしてきた。問題は、帰った時だな。俺がいなくなった日本でも時間が停まったままでいてくれればいいんだけど)
椿は伽具夜に尋ねた。
「ねえ、伽具夜さん。俺のいない間、日本って、どうなっているの? やっぱり、時間が停まっていて、帰ったら、また時間が動き出すの」
伽具夜は全く興味なし、といった態度で返事をした。
「さあ、どうかしら。帰還した人間がどうなったかまでは、補佐役は本当に知らないのよ。案外、普通に二十年が経過していて、日本は核戦争で滅びているかもね」
そこでいったん言葉を区切り、椿の様子を楽しむように伽具夜は見て発言した。
「そんな顔しないでよね。意見を聞かれたから、正直に答えたまでよ。でも、神様のからの通達だと、悪いようにはしないとなっているわ」
神様の正体が、宇宙人でも人事担当者でもいい。とりあえずは、家に帰りたい。
椿が黙ると、パワードスーツから顔だけ出している外務大臣が口を開いた。
「先ほど、ポイズンの総統である鳥兜様より、アーティファクト発掘調査隊の派遣の申し込みがありました」
「許可があれば、他国にアーティファクトの調査団って送れるの」
外務大臣は当然という顔で答えた。
「送れますよ。ただ、発掘したアーティファクトを素直に渡すかどうかは、別ですか」
「それって暗に、ポイズンに苦労だけさせて、カイエロやネガティブ以外のアーティファクトが出たら横取りできる、ってこと?」
外務大臣は、ゆっくり頷いた。
「でも、調査発掘の資金を出して調査に来たアーティファクトを横取りされたら、滅茶苦茶、鳥兜さん怒るよね」
伽具夜が恐ろしい言葉を平然と発言した。
「他国に発掘調査隊が発見して、発見段階で調査団が丸ごと他国で姿を消す事態というのは、よくある展開なのよ。私としても、今回は発掘調査隊を受け入れて、アーティファクトが発見された時点で、発掘調査隊には、まるっと消えてもらおうと思っているから、王様の許可を取りに来たのよ」
「それをやっちゃー、おしまいでしょ」
伽具夜は細い眉を吊り上げて、怒の言葉を口にした。
「なに寝ぼけた言葉を吐いているのよ。鳥兜は他人の土地からアーティファクトを探して持っていこうとしているのに、なんの対価を提示してこなかったのよ。だったら、費用負担だけさせて、成果が出たら、横からいただくのが普通でしょ。発掘調査隊が一人残らず消えたら、こちらが兵隊を使って横取りした証拠は残らないわ。発掘事故で消えたと報告しておけばいいでしょうが」
「悪魔だ。それ悪魔の発想法だよ」とは思ったが、口にしなかった。もう、何を言っても価値観が合わない気がする。
鳥兜のお願いは個人的に聞いてあげたい気がするが、ここでお願いを聞くと、伽具夜が暴挙に出てしまい、結果として外交関係が、拒絶より悪い結果を生む気がした。
椿は伽具夜の意見を、やんわり否定した
「外務大臣、アーティファクトの発掘は初めてだから、自国で掘ってみたいと言って、今回は丁寧に断ってよ」
伽具夜が珍しく建設的な意見を述べた。
「じゃあ、宗教大臣に伝えて、寺院を増やして、発見確率を上げて、アーティファクトを探させる段取りをするわよ。調査して見つかったら、発掘させるけど、いいわね」
椿は一つくらい伽具夜の提案を呑むのは止むなしと思い、首を縦に振った。
伽具夜が平然と経済大臣に命令した。
「許可が下りたから、国庫から一兆五千億円、使うわよ。それに調査隊の予算を毎月の支出に入れなさい。何かアーティファクトが出るまで、使うから」
「一兆五千億円! ちょっと待ってください。伽具夜さん。それ、現在の国庫の四分の三に当る金額ですよ。そんなに出したら、国の経済発展に使うお金が減りますよ」
「大丈夫よ。軍拡をしないんでしょ。だったら、資源発掘で得た余分なレアメタルとベルタ鉱をバルタニアに輸出解禁しなさいよ。海に囲まれて鉱物資源がないバルタニアなら吹っ掛けても、どうにか金策に走るはずよ。二兆円くらいなら、国債を発行してでも集めるわ」
資源がない国の悲哀だ。高値で足元を見られて売りつけられているよ。
(でも、余っている希少資源をバルタニアに売るのは、案外まともな策だな。バルタニアは立地的に海運国家だから陸軍に力を入れていないだろう。侵略される可能せいが低いなら、戦略資源の輸出もありだな。ベルタ鉱もレアメタルも経済の発展に使ってくれれば、月帝国は安全だ)
「よし、レアメタルとベルタ鉱は輸出して、お金に換えよう」
4
経済方針と外交方針が固まると、閣僚と伽具夜はすぐに閣議室から出て行った。
椿は空腹だったので、食事を摂るために、バレンに食堂に連れて行ってもらい、月帝国風の料理を食べようとした。
一品目に出てきたのが、銀色のスープだったので「これ、飲めるの」と正直に思った。試しにスプーンで一口だけ掬ったら、とても苦くて飲めなかった。
「なに、これ、苦」と苦情を述べると、給仕をしていたバレンが「ちょっと失礼」と皿のスープに指先を付けて舐めて「普通に美味しいですけど」と感想を述べた。
二品目は、皿の上に紫色のフリスビーほどある大きな貝が載っており、貝の実と細かく刻んで野菜が載っていた。
一皿目の料理の味がひどかった経験もあるので、スプーンで一口そっと食べると、ワサビを苦くしたような、変な味がした。
バレンに食わせると、やはり「充分に美味しいですけど」と普通に答える。
結論、月帝国料理は苦い。料理が辛いなら、喰えるが、苦いのは食べられない。
結局、素材に塩だけ掛けて焼いて食べる形式になったが、それでも出てきた野菜類全般は、ほとんど苦味があった。
「苦くない野菜って、ないの」
バレンが灰色の瞳を曇らせて意見した。
「ないことはないですけど、苦味がない野菜なんて、月帝では貧しい人間が食べる物ですよ」
結果、前回食べた納豆ごはんに、味噌汁、菠薐草のお浸しを食べる結果になった。
ちなみに月帝では菠薐草という名の草ではなく、誤爆草という名前で、米もザザと呼ばれていて、家畜のエサとして栽培されている飼料だった。
椿はご飯を食べながら、正直な感想を漏らした
「俺、残り十八日間、生きていけるかな」
バレンが平然と失礼な言葉で提案した。
「どうやら、王様には月帝の宮廷料理は御口に合わないようですね。むしろ、味覚が家畜に近いようなので、家畜のエサをご用意しましょうか」
「ちょっと、バレン君。俺。本当に怒るよ」
「だって、今お召し上がりになった食事の誤爆草もザザも、この国では家畜のエサとしてしか栽培されていませんよ」
どうやら、完全に月帝国の料理は俺の口には合わないらしい。
(でも、待てよ。納豆や豆腐は手間が掛かるから、家畜のエサではないよな)
椿はすぐに尋ねた。
「さっきのほら、茶色いスープに白い具が浮かんでいたのと、発酵した大豆の料理あったでしょう。スープと大豆料理は家畜のエサとは違うよね」
「両方、ポイズンの料理ですよ。とてもではないですけど、あんな臭いのする発酵食や、ぶよぶよした具の入った変な味のスープ、よく食べられましたね。確かにポイズン下層労働者は、ザザや誤爆草でも人間が食べていますけど」
どうやら、月帝の人間はポイズンの人間の料理が口に合わず、下に見ているらしい。でも、逆にいえば、ポイズンの料理なら俺の口に合うのかもしれない。
「ごめん、俺の食事。月帝風からポイズンの庶民料理に変えてよ」
バレンはどこか蔑むような目で椿を見て、不平を述べた。
「えー、王様は私が口できないような高級食材を食べられる立場なのに、ポイズンの下層労働者の料理を召し上がるのですかー」
「それは違うよ、バレン君。食文化に上下はないんだよ。どこの国の食べ物であれ、下に見るべきではないんだよ。ましてや、庶民の食べ物を馬鹿にするなんて、いけない行為だよ。そこは王様として命令するけど、改めなさい」
バレンは少しだけ感心した表情で頭を下げた。
「ご無礼をつかまつりました。国王様。国王様の仰せにお言葉は、もっともでございます。では、今度から王様には高給な苦味を抜いた、下層労働者の食事や、家畜飼料を蒸した物をご用意させていただきます」
椿はもう諦めて何も言わなかった。
(だめだ。こいつ、よくわかってないよ。それとも、わかっていてやっているのか? 可能性はあるな。こいつ、正直に皇后派と明言していたからな
)
椿は最後にポイズンで飲まれている、お茶を飲んだが、完全な抹茶だった。
(ひょっとして、月帝国とポイズンは料理に関しては反対の価値観を持つ国なのかな。総統を名乗った鳥兜さんも、ちょっと変わった性癖があるけど、まともな部類だった。俺、呼ばれる国を間違えたかな。でもなあー、さすがに、掃除当番とは違うんだから、鳥兜さんに担当する国を換わってくれとは言えないよなー)
部屋に帰ると、経済大臣から収入支出報告書を取り寄せ、どうにか理解しようとしているうちに眠ってしまった。
5
それから椿は三ヵ月ごとに起こされ、収入支出報告書を見せられた。
アーティファクトの発掘調査に多額の資金を費やしたものの、支出はバルタニアに対する。資源の輸出で埋め合わせられた。国内は順調に経済発展を遂げて行くのが報告書から見えてきた。椿の国は早く経済が発展して、国民の支持率は急回復。
街中を車で走ると、企業の大きな看板に大きなショッピング・モールや、商業ビルが目に入った。国内では大企業も育ち始めているらしかった。
商業ビルやお洒落なテナントが入ったビルが経済の好調を物語り、税収が増えてゆく前触れのように思えて嬉しかった。
自治都市になっている仙台と大阪の首長からは、経済を発展させてくれた行為による感謝の手紙も届いていた。
どうやら、経済効果は地方にも波及しているらしい。
街は豊かになり、娯楽施設が建ち始め、映画スタジオやスタジアムの建設も始まり、国民からの好感度も上がって行く。
眼が覚めるたびに、町に新たな発展があり、国を見るのが楽しみだった。経済が発展していく国を見て「俺っていい王様だなー」と自画自賛していた。
一年が経過したあたりで、アーティファクト『聖エルドの黄金像』が見つかった。
カイエロではなかったが、ネガティブ・アーティファクトでもなかった。
『聖エルドラの黄金像』の効果は経済成長を助けるものらしく、三年より少し早く、月額黒字一千億円を達成できた。
次元帰還装置を開発するための大学や研究所の建設計画も順調に計画され、全てがうまく行きそうに見えた。
そうして、椿が月帝やってきて三年半が過ぎた頃、椿は夜中に起こされた。
「夜中じゃないか。なんで、夜中に起こすの。俺は事実上、三ヵ月ずっと寝ているんだけどさ、ヤッパリ夜中は働きたくないよ」
起こしに来たバレンの顔には、ただならぬ気配が滲んでいた。
「なにを呑気な言葉を言っているんですか、国王様。緊急閣議です」
椿はバレンに連れられて、閣議室に到着した。すると、五人の閣僚がすでに揃っていた。
椿が椅子に座ると、すぐに外務大臣が深刻な表情で告げた。
「ロマノフにより、わが国の人工衛星が破壊されました」
「それって、宣戦布告されたって意味!」
外務大臣は深刻な表情で話を続けた。
「いいえ、まだ、宣戦布告はされておりません。ロマノフ大使の言い分では、ロマノフ側で人工衛星の打ち上げに失敗して、月帝側の人工衛星を誤って落としたと通達してきております。月帝国が人工衛星の再打ち上げに掛かる費用は全額ロマノフで持つとの話も来ております」
「人工衛星の打ち上げで相手の衛星を巻き込むなんて状況あるのかなー」
伽具夜が机を叩いて、椿を罵倒した。
「馬鹿! あるわけないでしょう。ロマノフは人工衛星によって、軍隊がペテルブルグに集結する事態を隠すために、事故を装って、ロケットをぶつけてきたのよ。ロケットの再打ち上げに掛かる費用をこちらが請求しても、高過ぎるといって時間を稼いで、時間を引き延ばしてくるだけよ」
ロマノフの裏切が始まったとしたら、テレジアの言っていた、侵攻しないとの約束は、反故にされた。
テレジアの言い分を信じて人工衛星の打ち上げミスだと思いたかったが、閣僚の顔は全員、ロマノフが攻めてくると言いたげだった。
「じゃあ、ヘッジホッグを移動して、大阪側に配備し直さないと」
外務大臣が険しい表情ですぐに口を挟んだ。
「それもまた、問題があります。ベルポリスがコルキストからの攻撃を受けております。どうやら、コルキストは武力でベルポリスを武力併合するつもりのようです。ベルポリスは我が国に救援を求めておりますが、いかかがいたしましょうか」
これも話が違う。コルキストは平和裏にベルポリスを復帰させると言っていた。コルキストのソノワも裏切った。
こうなってくると、伽具夜が最初に言っていた初見殺しの話が俄然、現実味を帯びてきた。
椿はすかさず、軍務大臣に聞いた。
「コルキストの兵力は、どれくらいなの」
軍務大臣が顔を曇らせ、絶望的な観測を告げた。
「人工衛星がないので正確にはわかりませんでした。ベルポリスの領空に偵察機を出しましたが、撃墜されました。最後の通信データから解析しますと、おそらく最低でも、ヘッジホッグを除けば、現在の月帝国と同程度の兵力を、こちらに向けているかと思います」
いくら楽天的な椿でもコルキストの兵力を聞くと、コルキストの狙いが一目瞭然だった。
「それって、ベルポリスを落すだけなく、南下して月帝領内まで攻めてくる可能性があるってこと! 最悪、北と西から挟撃されるって展開になるよ」
伽具夜が半分キレたような口調で言い直した。
「お前は、どこまで、おめでたいの! 最悪じゃなくて、当然の間違いでしょう。絶対に挟撃されるわよ」
こうなってくると、先の人工衛星の事故もロマノフの故意と確信していいだろう。もう、ロマノフとコルキストは繋がっているようにしか感じられなかった。
伽具夜は、だから言ったじゃないの、とばかりに怒り、椿を睨みつけるように尋ねて来た。
「それで、どうするのよ」
「よ、よし、兵力を二分しよう。ヘッジホッグと戦闘ヘリと戦闘機の半分をベルポリスの救援に出して、北からの攻撃を食い止めよう。残りの爆撃機、戦闘機、ロケット砲、戦車、歩兵を大阪方面の国境に回して西側を守ろう」
椿の作戦を聞いた軍務大臣が驚愕の表情で立ち上がり、すぐに口を挟んだ。
「え、部隊を二つに分けるのですか? それでは、二方面作戦になりますが」
「だって、それしかないでしょう。襲われているベルポリスも、これから襲われる大阪も、見捨てられないよ。両方護らないとダメだよ」
軍務大臣がまだ何か言おうとしたが、今度は伽具夜が不機嫌かつ早口に口を挟んだ。
「軍務大臣、座りなさい。国王自身が考えて決断した作戦よ。作戦の決定権も責任も国王様にあるんだから、命令の通りになさい」
軍務大臣は伽具夜に言われると何も言わず、ゆっくりと席に座った。
伽具夜は不機嫌な顔で、本土防衛作戦に関する注意をした。
「ベルポリスに兵を回してコルキスト軍を攻撃するとなると、こちらから宣戦布告したのと同じ意味を持つわよ。もっとも、コルキストの兵力から見て、こっちが何もしなくても、コルキストから宣戦布告してくるでしょうけどね。直轄都市の陸奥、堺で歩兵を臨時徴兵すると同時に、緊急生産でロケット砲を製造、首都でも臨時徴兵を行って、緊急生産で戦闘機を作らせるを追加提案していいかしら」
「そ、そう、それでいこう」
6
椿はその夜、眠れなかった。
次の日は初めて、代謝速度減縮装置のスイッチをOFFにして起きたが、一日では戦況は変化していなかった。
伽具夜の部屋に行くと、伽具夜は優雅に紫色のお茶を飲んでいた。
椿は素直に、今回の状況に到った経緯を詫びた。
「伽具夜の言った通りになったね。ごめん」
伽具夜は大きな窓の外から町を眺めて、普通に会話した。
「別に、謝らなくていいわよ。覚悟はしていたから。それと毎日、起きるのは、止めたほうがいいわよ。早く年を老けるわよ」
「でも、戦争になったんだよ。寝てなんかいられないよ」
伽具夜は冷静に状況を見ているようだった。
「別に椿が起きていても、戦況は変わらないわ。あとは軍務大臣の仕事よ。でも、期待しないほうがいいわね。さあ、わかったら、部屋に帰って、ゆっくりお眠りなさい。状況に進展が見えたら、教えてあげるわ」
椿が出て行こうとすると背後で、伽具夜が何気なく「お前が作った街は嫌いじゃなかったわ」と評したので、振り返った
。
伽具夜は何事もないように、お茶を飲んでいた。
眠ったのはいいが、一週間で起された。
緊急閣議で軍務大臣がビン底眼鏡を曇らせた、沈痛な面持ちで報告してきた。
「ベルポリスは落ちました。ヘッジホッグにより、コルキスト軍を攻撃した事態により宣戦布告をしたと見なされ、コルキスト軍は月帝領内に侵入。コルキスト軍は仙台の攻略に入りました。バトル・ドミネーターのヘッジホッグは四機も空軍も壊滅です。どうやら、コルキストは対ヘッジホッグ用のミサイル、ナッツ・クラッカーを用意して進軍してきたもようです」
バトル・ドミネーターを過信しすぎた。
考えれば、当たり前だ。科学技術を進めていけばバトル・ドミネーターが作れるんだったら対バトル・ドミネーター用の兵器も開発できて当然だ。
椿は心配な心を胸に、尋ねた。
「仙台は防衛できそうなの?」
軍務大臣が沈痛な表情で続けた。
「難しいでしょう。仙台攻略が開始されるまでに、陸奥で臨時徴兵により歩兵五千と、緊急生産でロケット砲十輌を用意するのが限界です。自治都市の仙台は、首長が平和主義者だったので、駐留する兵力は、歩兵五千しか常備していなかったようです。都市自体にも敵を攻撃する武装防壁がありますので、多少はコルキストに損害を与えられると思いますが、仙台が落ちるのは時間の問題です。コルキストは更に南の陸奥も狙ってくるでしょう」
ショックだった。せっかく育てたて都市が戦争に巻き込まれてゆく。
「そんな、せっかく都市間のインフラ物流も整備して地方都市も発展させたのに」
落ち込む椿に、外務大臣から予想されていた通りの報告が上がった、
「ロマノフより、正式に宣戦布告が通達されてきました」
軍務大臣がすぐに、大阪側の戦況を報告する。
「ペテルブルグと大阪付近で戦闘が間もなく始まるでしょう。こちらは残っているほぼ全ての兵力を回しているので、拮抗すると思います。とはいえ、とてもではないですが、対コルキスト戦まで回す兵力がありません、堺での臨時徴兵、兵器の緊急生産も戦闘への投入にギリギリ間に合わないと思われます。もし、なにかの弾みで、大阪、堺まで陥落したら、急遽、掻き集めた兵力と残存兵力を合流させても、大阪や堺の奪還は不可能と考えられます」
7
次に起されたのは五日後で「仙台が陥落した」との知らせだった。そこで、コルキストのソノワより、会談の申し込みの通信が入った。
椿はすぐにコルキストに抗議した。
「ベルポリスは平和裏に併合するんじゃなかったんですか。それに、仙台まで侵略するなんて約束違反だ」
ソノワは灰色の瞳を冷たく輝かせ、雄弁に語った。
「それは、言いがかりです。ベルポリスは元々コルキストの都市であり、平和的に併合するのは、努力目標でしかなかった。もっとも、平和的に併合するための使者は無駄なので、一度も送りませんでしたけどね。それに、仙台の件は、貴公にも責任があるのはないですか。宣戦布告して我が軍の部隊を先に攻撃したのは、月帝が先ではないですか」
椿は歯噛みした。先に月帝の偵察機をベルポリス内で落とした行為を非難しようとも思っただが、ソノワはシラを切り通すだろう。
それに、仙台、陸奥を落とされれば、次は首都の東京が危ない。東京を守るために、軍を東京に集中させれば、大阪と堺がロマノフに落とされる。
ここは、どうしても戦争をいったん停戦させなければならない。
椿が何も言えないと、ソノワが完全に見下した表情で、提案した。
「まあいい。貴公にも言い分はあるでしょうが、私は時間が惜しい。このまま東京まで兵を進めてもいいのですが、私は借りをきちんと返す性分です。陸奥を引き渡しなさい。そうすれば、和平に応じましょう。せっかく成長した東京を戦場にしたくはないでしょう」
椿はコルキストの東京を戦場にしたくないとの提案は嘘だと思った。
コルキストは、ロマノフと戦闘中の大阪に展開している部隊を首都防衛に回されるのが嫌なのだ。首都が危ないとなれば、嫌でも大阪と堺方面の部隊を戻さざるを得ない。
部隊が戻れば、戦いは長引き、コルキストは被害を出しただけで、首都を落せないかもしれない。そのうちに、ロマノフが手薄になった堺と大阪を手にするのは確実。
陸奥を労せずして手にして、大阪と堺をロマノフに渡す行為を邪魔するのが今回のコルキストの外交の目的だ。
ここで、陸奥を渡して和平をすれば、コルキストは無傷の状態で陸奥が手に入る。
月帝は戦力の大部分をロマノフ軍と戦いに向けられ、堺と大阪を落とされずに済む展開がありえる。そうなれば、ロマノフは戦力を消耗しただけで、何も得るものがない。
国境を接しているロマノフとコルキストは、いずれ戦争状態に入るのは必然。戦争状態に入るまでに、ロマノフを一方的に消耗させるための和平案だ。
ロマノフに右手で握手を差し出しておいて、左には銃を持つようなコルキストのやり方は、汚いといえば汚いが、賢いといえば賢い。
ソノワが険しい顔で迫った。
「さあ、貴公の返事を聞かせてもらおうか」
ソノワに騙されたのは悔しいが、条件を飲むしかなかった。和平が成立すれば、まだ大阪と堺は守れるかもしれない。
だが、二日後、ロマノフ軍勢は大阪を陥落させた。
ロマノフとの戦闘は一進一退だったので、ロマノフ側が大阪を落すのに、もっと時間が掛かると思っていた。
仙台と陸奥から引き上げた兵力を再編成し、急いで大阪に回せば、ギリギリで大阪を防御できるとの計算だった。
けれども、大阪は戦闘で落ちる前に、平和主義者の大阪首長が白旗を上げて、勝手にロマノフの統治下に入ってしまった。結果、大阪方面の戦線が崩壊。
大阪を手にしたロマノフは、勢いに乗って一気に堺まで陥落させた。
ここでも、伽具夜が首長の首を替えろとの提案を拒否した付けが回ってきた。
今度は、ロマノフのテレジアから通信が入った。
テレジアは他国の都市を二つも併合しておいて、なんの呵責も見せていなかった。むしろ、片手で髪をクルクルと弄びながら、余裕すら見せていた。
「ごきげんよう、椿国王、この度はとても簡単なお話があって、来ましたの。これ以上の戦争は無益、ここは互いに条件なしで和平を結びましょう」
「いや、断固戦う」とは口にできなかった。残されたのは首都のみ。
首都は他の都市と比べ防衛施設が充実しているので、篭城すると決めれば、敗戦で生き残った兵力を集めるだけでも、とりあえずはコルキストやロマノフからは守れる。
すでに、軍務大臣から事前予測により、残った兵力と急遽掻き集めた兵力だけでは大阪や堺の奪還は不可能に近いとの報告を受けている。
仮に堺を奪還しに動き、失敗すれば、ロマノフとの戦で敗れ、もう余力がなくなったところをコルキストが首都を落としにくる可能性があった。
かといって、ロマノフとの戦争状態を続けたままにしておけば、今度はコルキストが北方で国境を接するロマノフの都市を次々と落していくだろう。
そうなれば、ロマノフが攻勢を受けた機に乗じて、ペテルブルグまで奪取という機会もあるかもしれない。奇跡的に、堺、大阪、ペテルブルグまで取れたとしよう。
ただ、その後に待っているのは、さらに力を付けたコルキストが北側からの都市を逐次制圧してくる展開だ。
(どうする? こうなったら、せめてロマノフだけでも道連れにしてやろうか?)
テレジアはしばらく返答がないと、悪魔の微笑みを見せて次なる提案をしてきた。
「では、こうしましょう。お互い無条件といいましたが、こちらが譲歩しますわ。ロマノフは大阪の海底油田から上がってくる石油を全て、無償で月帝に差し上げます。月帝領内には、大阪にしか油田がなかったはず。石油がないと、庶民の生活はもちろん、戦闘機も戦車も動かせませんものね」
テレジアは痛いところを突いてきた。
確かに東京には石油の備蓄があるが、戦車や戦闘機を作って運用するとなると、どうしても大量の石油が必要になる。
備蓄分だけでは、戦車や戦闘機といった通常戦力の確保すら儘ならない。
とはいえ、これで、ロマノフ対コルキスト戦が始まれば、石油を輸入に頼っている状況にある月帝は、ロマノフと組まざる得なくなる。
おそらく、テレジアは、もう月帝を見ていない。月帝を分割した今、国境を接する、対コルキスト戦を見越しているのではないのだろうか。
椿はやっと、外交のやり方がわかった気がした。椿はロマノフの和平案を飲んだ。
コルキスト戦、ロマノフ戦と続き、戦争が終結したが、あとに残ったのは、首都東京のみだった。
8
ロマノフとの戦争終了後、今回の一連の事件を総括する閣議が開かれた。
誰も何も言わない。特段、椿を非難する閣僚もいなかった。
だが、明らに今回の失態を招いたのは、国王たる椿の失策だった。
椿は伽具夜から「ほら見たことか」と糾弾されると思ったので胃が痛かった。
本来なら、コルキストやロマノフとの戦争で死んでいった兵士たちが一番の犠牲者だ。
なのだが、顔も知らない兵士たちに対して、残酷だが椿は、あまりすまないと感情が湧かなかった。
伽具夜が厳粛な声で「これより、閣議を始めます」と宣言した。
「まず、軍務大臣から、この壮大な負け戦でどれくらい兵力を失ったかを、説明してちょうだい」
軍務大臣はゆっくりと立ち上がり、沈痛な面持ちで報告を開始した。
「歩兵三万、戦車二十輌、ロケット砲十輌、戦闘ヘリ十機、戦闘機二十機、爆撃機十機、ヘッジホッグ四機です。簡単にいえば、三年前に存在した兵力は、ほぼ全てなくなりました。残ったのは臨時徴兵と緊急生産で創った兵器の余りです。月帝の現在の戦力は歩兵二万、ロケット砲十輌に戦闘機が十機です」
伽具夜が黙って軍務大臣の報告を聞くと、椿に聞こえるように、ずけずけと感想を述べた。
「明らかに戦力を二手に分けたのが失策ね。足の遅いヘッジホッグは捨てるとしても。ベルポリスと、仙台、陸奥まで、最初から放棄する気があれば、ロマノフに大阪と堺まで奪われる事態にはならなかったわ」
伽具夜が棘のある言い方で椿に「責任がある国王陛下としてのご意見は」と聞かれても、もう小さくなって「ありません」と言うしかなかった。
伽具夜はそれ以上、椿を苛める言葉を言わず、付け加えた。
「首都に被害が出なかっただけ、よかった、と現実から目を背けて逃避に走るしかないわね。でも、ここから軍拡に走っても、ここまで見事に初見殺しが決まると、失地回復は無理ね。陸奥か堺は取り返せても、奪還戦争を理由に、すぐに首都まで落とされるわ」
伽具夜が「経済大臣、国内経済はどうなっているの」と経済大臣に尋ねた。
「国内通貨は暴落、インフレと不況に陥りました。ただ、自国通貨暴落前に皇后様の指示で、自国通貨を金に替えて保有していたため、貯蓄してある国庫への損害は、大きくありません。また、バルタニアに輸出しているベルタ鉱とレアメタルの決済代金をバルタニアの外貨で受け取っているので、すぐに資金不足になる恐れはありません」
伽具夜は冷たい視線で、棘のある言葉を吐いた。
「さて、お前はこれから、あと数年で滅び行くかもしれない国で、何をしたいわけ」
椿はもう泣き出したい気分で「家に帰りたい」と正直に申告した。
閣僚たちが一斉に「こいつは、もう最悪だ」とばかりに、あっちこっちに顔を背けた。
椿は半分悔しく、半分腹が立ったので、もうどうなってもいいと思って発言した。
「俺だって、国を別に滅ぼしたくて、こんな状況にしたんじゃないよ! 経済に力を入れて、国民を幸せにしようとしていたでしょう。ただ、戦争の指揮なんてした経験ないし、外交の相手がこれほど、信じられない人間だとは思わなかったんだよ。確かに、伽具夜の意見を聞かなかった責任は、あるかもしれないけど。最初から無理だったんだよー。俺に王様なんて」
椿の意見を聞いた伽具夜は、椿を見ずに科学大臣に聞いた。
「残りの国力を注力するとして、椿国王が帰るための次元帰還装置を開発するのに、どれくらい掛かりそう」
科学大臣が椿一人だけ逃げ出そうとの噴飯物の意見にも拘わらず冷静に予測を述べた。
「軍備もこれ以上は整えず、インフラ整備も中止して、国庫の中身を放出し続けると考えて、三十年でしょうか」
伽具夜は静かに決定を告げた。
「わかりました。では、椿国王を帰すための次元帰還装置の開発に着手しなさい。それが王の御意思です。それでは、今後の方針が決まったので、閣議はこれで終了とします。ご苦労でした」
五人の大臣が退出すると、伽具夜は二人きりなのに、椿を見ないで教えた。
「今回の失策は、経済に走り過ぎたことよ。お前は侵略の危機にあるのに、国を太らせていった。結局、塀も番犬もいない状況で太った豚は、野獣共に喰われる以外になかったのよ。言いたいのはそれだけよ、じゃあ、お休みなさい、椿」
9
椿は敗戦の疲れを感じ、自室の六畳間に戻った。
科学大臣に、三十年も掛ってもいいので、次元帰還装置の開発に予算のほぼ全ての振り分け認めた伽具夜には意外性を感じた。だが、正直なところ、どうでもよかった。
三十年後もこの状態で月帝が残っているとは思えなかった。おそらく、そう遠くない未来にコルキストのソノワかロマノフのテレジアが首都を攻めてくる気がした。
「俺、どうなっちまうんだろう」と思って眠ったら「起きておくれやす」と、以前どこかで聞いた覚えのある声に起こされた。
椿を起したのは、ポイズンの総統、鳥兜だった。ただ、服装は前回の若草色の着物から、真っ白な和服になっていた。
鳥兜が笑顔で、寝起き状態だった椿に対して、優しく声を掛けてくれた。
「やっと、直接お会いできましたなあ。初めて会うて、うなじを見させてもらった時から、この日を楽しみにしてたんどす」
まだ、状況が飲み込めなかった。
ポイズンは以前、月帝にアーティファクト発掘の許可を求めてきたが、拒否した。
では、なんで、アーティファクト発掘を断ったのに、ポイズン国の総統、鳥兜が月帝の首都である東京にいるのだろう。それに、執事のバレンは、どうしたのだ。
見渡せば、鳥兜の後ろには月帝国の兵士ではないドラブ色の迷彩服を着た屈強な兵隊が銃を構えて立っていた。
鳥兜がにこやかな顔で話し続けた。
「それにしても、国王陛下の部屋がこないな、地下の小さな場所にあるとは、思いもよりませんでしたわ。でも、地下にあったおかげで、椿はんが御無事で、なによりですわあ。そうそう、こないな手紙がありましたどすえ」
まだ事態がよく飲み込めない椿に、鳥兜が一通の手紙を差し出した。
『前略 椿幸一 様
この手紙を読んでいるという事態からするに、お前の命は、もう残り少ないでしょう。
簡潔に状況を説明するわね。一週間でポイズンがロマノフ領となった堺から大軍を引き連れ、首都を落としに来たのよ。きっと首都は陥落するでしょうね。
各大臣は、都市の役人としては、そのまま首都で何らかの役職で雇用され続けるので、大臣たちの生活に問題はないと考えてくださって、けっこうです。
私はポイズンの首狩り族女に、首を斬られるわけにはいかないので、個人の金融取引で買った原子力潜水艦で、バルタニアに亡命します。
お前を起すと、一緒に逃げると駄々を捏ねられると面倒なので、起さなかったから。
最後だから、言わせてもらうわね。
馬鹿は一度死ね!
草々』
手紙を読んで、理解した。俺はついに全ての閣僚に見限られ、伽具夜にも愛想を尽かされ、バレンからも見捨てられた。
鳥兜が椿の部屋のドアを開けて、優雅に話した。
「ほな、行きましょか」
「行くって、どこにですか? ポイズンですか? それとも、ロマノフ?」
鳥兜はニッコリ笑って何も言わない。だが、何も言わないのが却って不気味だった。
ポイズンの屈強な兵隊が椿を直立不動に立たせ、大きな金属製のリング四つを体に順次、通していく。
リングは、椿の体を通過したかと思うと、下から順にいきなりギュッと縮まり、拘束具に早変わりした。
リングが縮まった拍子に、椿は倒れそうになった。しかし、屈強な兵士が荷物のように椿の体を支え、担ぎ上げた。完全に身動きが取れなくなり、捕縛された。
椿の部屋からエレベーターまで運ばれていく間、随所にポイズンの兵隊が見えた。宮殿はすでにポイズンの兵により制圧されていた。
エレベーターは上階で止まり、バルコニーに出た。
バルコニーからは、ポイズンの軍の砲撃と空爆によって破壊された町並みが見えた。
かっての繁栄が嘘のように、街はボロボロだった。
バルコニーには大鎌と、大きな下駄のような台が用意されていた。
バルコニーから見える中庭にもポイズン軍の兵士がびっしりと並び、離れた場所に月帝国の国民が遠巻きに、怯え半分、興味半分の雰囲気で見守っていた。
家に帰るためには、五人の首を取らなければならない。伽具夜の言葉を思い出した。あれは椿にのみ用意されたルールではない事態を理解した。
鳥兜が細腕ながら、大鎌を肩に担ぎ上げた。大鎌を担ぐと、鳥兜の顔が残忍な表情に変わった。
「では、スパッと行きましょうか」
椿は必死で懇願した。
「うわ、待って、殺さないでー」
椿の発言は、虚しく響いた。椿の体は下駄の形をした処刑台の上に切り落としやすいように首より先端部分だけが出された。
処刑台が拘束具を吸い付け、椿の体を固定した。
鳥兜が椿の表情を確かめるためか、横にやってきて、しゃがんで覗き込んだ。
横に立った鳥兜が冷徹な笑みを浮かべ、実に楽しそうに発言した。
「どうせ、あんさんは、ロマノフに渡しても、首を刎ねられます。ならいっそ、首だけ送ったほうが、手間が省けていいと思いまへんか」
椿は即座に鳥兜の意見を否定した。
「いえ、体も付いていたほうが、バリュー・セット並みにお徳だと思います」
鳥兜はうっとりした表情で大鎌を振り上げた。
「それに、うち、この瞬間だけは人に譲りたくあらしません。最初に見たときから、椿はんの首は、うちが切りたいと思うておりました。お命、頂戴します」
鳥兜の狂気を滲ませた絶叫が、バルコニーに響きわたった。
「死ねやー」
大鎌が勢いよく、振り下ろされ、椿の首は落ちて転がった。
薄れ行く意識の中、返り血を浴びた鳥兜が、うっとりとした表情で、椿の顔を見下ろし、足で踏みつけ、遊ぶように転がすのが、最後に見えた。