第一章 最初は処女の如く
『もし、貴方の眼の前に突如、適度な大きさの乳が現れても、喜んではいけない。それは、死へのカウントダウンなのかも知れないからだ』――ある国王の言葉より
第一章 最初は処女の如く
1
椿幸一は寝ていて、ふと寒さを感じた。どうせ寝ていて羽織っていたタオルケットを蹴飛ばしたのだろう。椿はタオルケットを引き寄せるべく、手を伸ばした。
右手が何か柔らかい物を掴んだ。次に左手も伸ばすと、同じく柔らかい物を掴んだ。
柔らく感触のよさに、寝ぼけた頭で「これはなんだろう?」と、感触を楽しみながら、しばらく手を動かし考える。けれども、わからないので、目を開けてみた。
まっさらな黒髪に、切れ長の目、ちょっときつい印象を与える唇。椿より年上の二十代前半くらいの女性が目に入った。女性は全裸で、薄い恥毛まで、はっきり見えた。
椿の両手は、あろうことか、裸の女性の胸を掴んでいた。
女性は怒るわけでもなく、恥らうわけでもなく、電気料金の明細を見るような目で、椿を見詰めていた。
頭が「???」となる。夏休み終業式の夜、明け方近くまでオンライン・ゲームの『天上天下唯我独尊』を六畳間の自室でやっていた。
ソロで武神討滅戦のコンテンツ終了後、ログアウトして、眠たくなったので、服のままベッドに寝転んだ記憶しかなかった。
女性が無言で、乳房に張り付いた椿の両手に視線を移した。
女性は慌てず騒がず、冷たく聞いてくる。
「それで、その先は、どうしたいの? やるの? やらないの?」
「では、続きを」といえるほど、椿には度胸がなかった。
瞬間的に手を離して、尻で這いずるように女性と距離をとった。
椿の六畳間にあるベッドは小さいので、距離をとろうものなら、すぐに床に落ちる。だが、床に落ちなかった。
見渡せば馬鹿でかい天蓋付きのベッドの上にいた。ホームセンターでは絶対に売っていない、世界遺産の旅番組に出て来るようなヤツだ。
全裸の女性は横になったまま、冷徹に講評した。
「最初に私を見て、正直に体を求めてくる男は、たいてい、死ぬ。何も求めて来ないやつも、同じく死ぬ。だけど、中途半端に胸だけ揉む男は、ほぼ確実に死ぬ。占いみたいなものだけど、これが、けっこう当るのよね」
女性はビシッと椿を指差して、宣言した。
「そう、椿幸一。貴方、おそらく、この世界で確実に死ぬわ」
いきなり、わけのわからない場所に連れて来られて、いきなり死亡予告を受けた。しかも、椿は相手を知らないが、相手は椿を知っている人物らしい。
椿は馬鹿正直な人間として、尋ねた。
「すいません。ここは、どこなんでしょう? 俺は、どうして、ここにいるのでしょうか?」
女性は横になったまま、どこか気だるげに、前も隠さずに裸のまま説明した。
「愚問だわ。なぜ、自分がここにいるのか? どうして自分がここにいるのか、それが知りたければ一回、死んで覚えたらいいわよ。あと、人に会ったら、礼節を持って名前ぐらい聞く礼儀を心得たほうが、寿命が幾分か延びるわよ」
「礼節を持って」と自ら言うのなら、全裸で説教とか異常じゃないのかよ、と突っ込みたかった。でも、口には出せなかった。女性は、たとえ全裸でも、威厳という名の衣を身に纏っていたからだ。
女性がそのまま言葉を続けた。
「お聞きなさい。私の名前は、迦具夜、月帝国の女王にして、仕事は椿の飼育――、えふん、えふん、補佐役よ。さあ、椿、短い付き合いになると思うけど、死ぬまでの間、よろしく頼むわね」
全く持って、よろしくない。今の説明では目の前の全裸の美人さんが、伽具夜という名前の状況以外には、何もわからないではないか。
それに、月帝国という国も、聞いた記憶がない。それに「一回、死んで覚えろ」って、どういう意味だ? 死んだら覚えられないじゃないか。
伽具夜の説明になっていない説明が終ると、伽具夜は椿の下半身を見ていた。そこで、椿も初めて、自分が裸の事態に気が付いた。
椿はすぐに後ろを向いて、伽具夜に尋ねた。
「お、俺の服は、どうしたんですか、逃げないから、服だけは返してくださいよ」
「服ね。細かいこと一々気にしていると、死ぬわよ。もっとも、お大雑把な奴も、死ぬけどね。服ならベッドを降りたところにあるわよ。着替え係が必要なら、呼ぶけど」
椿は「けっこうです」と断って、ベッドを這いながら進んで下りた。
すると、衣装掛けに、見た覚えのない勲章がずらりと並んだ赤い軍服があった。下の衣装籠に下着が入っていた。
明らかに椿自身が寝る前に着ていた普段着ではなかった。
赤い軍服を前に着ようか、どうしたものか、迷った。
伽具夜が裸のままベッドの上を歩いてきた。伽具夜はベッドから下りてきて、近くにあった衣装籠から、黒の下着を堂々と椿の横で身に着け始めた。
椿もパンツとシャツだけ急いで身に着けてから、怖る怖る聞いた。
「俺が前に着ていた服は、どこにあるのでしょうか?」
伽具夜が下着姿のまま、怪訝そうに細い眉を上げた。
「服? 目の前にあるでしょう。それとも、貴方がここ来るとき着ていた、難民が身に着けるようなボロ布のことかしら。ボロ布なら、私の趣味に合わないから、捨てたわ。だけど、あれがいいって言うなら、ゴミ箱から拾ったら? もっとも、あんな服を着ていると、死ぬわよ」
どうやら、伽具夜は一々「死ぬ」といわなければ、気が済まない女性らしい。でも、反抗する気には全然なれなかった。
直感以外の何物でもないが、伽具夜の言葉に反抗すれば、「死ぬわよ」が「死ね」に変わるかもしれない。
「あの、それで、ゴミ箱は、どこにあるのでしょうか」
伽具夜にベッドの反対側を指差されたので、服を取りに行った。
ゴミ箱には椿の服しか捨てられておらず、汚れてもいなかった。そこで、とりあえず、椿は着慣れたシャツにズボンを穿いた。
2
ゴミ箱の横にあったカーテンを捲って外を見た。
椿が住んでいた町の情景は一片もなかった。窓からは広大な街を囲うような高い城壁と、内側にどでかいビルが建ち並ぶ、巨大な都市が見えた。
下を見渡せば、広場と庭が見えた、大きな通りが挟んだ向こう側に大勢の人が見える。
どうやら、五階建の洋風の黒い宮殿にいるらしいと理解した。
日本に、こんな真っ黒な宮殿はない。こんな黒い宮殿がある大きな街も知らない。椿はやっと椿自身が日本どころか、地球にすらいない事実を目の前に突き付けられた気がした。
これが、俗にいわれる、宇宙人に攫われる事態なのだろうか。だとすると、内臓を抜かれたり、変な機械を入れられたりするかも。
椿が椿自身の考えにゾッと戦慄していると、背後から伽具夜の声がした。
「最初だから、死んで行く前の記念に、戴冠式と国民に対する顔見世をやっておいたらどうかしら」
「ちょっと待ってください、戴冠式って、誰のですか」
伽具夜が半ば馬鹿にしたような表情で言い返してきた。
「むろん、椿の戴冠式よ。それとも、お前、王様候補でもないのに、一国の女王と寝ておいて、タダで済むと思っているの? だったら大したものだけど」
呼称が「貴方」から「お前」に変わった、明らかに段々、椿の価値が下がり始めていた。
椿はすぐに辞退した。
「できません。俺に、国王なんて。それに、夏休み明けには学校が――」
伽具夜が両眉を吊り上げて罵声を浴びせた。
「お前は最初に見た時からダメなやつだと思ったけど、本当に頭が可哀想な子よね。状況がここまで来て、できませんとか、夏休みとかがあると、本当に思っているわけ? それより、まず、目の前の現状に現実的に対処しようとは思わないのかしら。今となっては、お前にとって、日本や高校生活が非日常になったと、なぜ、わからないのよ。ほんとに、馬鹿は死ななきゃ治らないのかしら」
椿の正気はそれでも、現在の状況を受け入れられず懇願した。
「俺は夏休み中ずっと、午前中から午後に掛けて夏期講習に行き、夜はダラダラでゲームの『天上天下唯我独尊』をやり、時には友人と話たりする、ふつーな、夏休みを過ごしたいんですってば。日本に帰してくださいよ」
伽具夜は目を閉じて首を小刻みに振り、最悪だとばかりのリアクションを返してから、思いついたように、発言した。
「よし、じゃあ、こう考えなさい。実は、お前が高校生だったというのは、嘘の記憶なのよ。お前は大学生四年生なのよ。そうして今は就職試験中、就職試験の一環として、完全仮想現実の中で入社試験として、王様をやって幹部職員採用コースに受かるか落ちるかの瀬戸際なの。この説明なら、いいかしら」
よくない。だいたい、そんな完全な仮想現実を実現する装置は今の日本にはない。
王様が務まるかどうか、就職試験だなんて嘘だ。
「それ、おかしいでしょう。だって俺、高校二年生、だったわけだし――」
椿はそこまで口にしてから、少し不安になった。
(待てよ? 宇宙人に拉致られるのと、記憶を改竄されて完全仮想現実によって行われる就職試験。どっちが、ありえるかといえば、就職試験の可能性が、まだあるな。だとすると、ここで完全に拒否するのって、まずくないか。適応能力無しで、眼が覚めた後、不採用通知とか渡されたら、凄く、ショックを受けるだろう。しかも受けた試験が最終試験で、国家公務員Ⅰ種とか、大企業の採用試験なら、立ち直れなくなるかも)
悶々とする椿に、伽具夜が怒声を浴びせた。
「もう、グダグダね。高校二年とか、椿幸一とかいう自己認識は捨てなさい。お前の頭ではもう、異常な事態に巻き込まれている現実は、理解しているんでしょ。だったら、あんたも狂ちゃいなさいよ。狂った世界で行く秘訣は、狂った世界より更に狂った人間になることよ」
嫌な秘訣だ。でも、もうここまで来ているのなら、目の前の異常な現実に適応するしかないのだろうか。
3
結局、戴冠式には出る事態になった。
戴冠式用に用意してあった赤い軍服に着替えようかと迷っていると、伽具夜から「決断が遅過ぎると」とキレられ、普段着のシャツとジーンズという、寝た時のままの格好で、むりやり戴冠式に出席させられた。
戴冠式は宮殿内の簡素な白塗りの結婚式場のような場所で行われた。参列者は二百人ほど。
芸術的な絵が描かれた、大きな天井画がある聖堂で、多くの参列者がいるかと思ったが、これなら親戚の派手な結婚式のほうが、もっと豪華な気がする。
伽具夜は黒い胸元の開いたドレスを着ており、椿と一緒に中央の通路を歩いていく。
歩いていると、出席者のひそひそ声が聞こえてきた「やっちまったな」「あれが国王かよ」「あの間抜け面は、外れだな」「なに、あの格好。乞食みたい」との正直な出席の声が、容赦なく耳に聞こえてくる。
非常に嫌な気分だった。おごそかな儀式がこのあと続くのかと思いきや、司祭と思わしき人は、スパンコールの僧衣に成金趣味的な金色の袈裟を着た坊さんだった。
(ここは、袈裟を着た坊さんって、おかしいだろう。せめて、場所が教会形式なんだから、カトリックとかロシア正教的な司祭の人が出てこなきゃ、変でしょう。それに坊さんって、俺的には栄光より、なんか葬式をイメージするんだけど)
助手も僧衣なら、わかる。だが、僧侶の助手は地味な茶色の公家が着るようなゆったりした和服を着ていた。助手は青い髪で、灰色の瞳をした十四歳くらいの子供だった。
戴冠式を取り仕切るのは、とてつもなく、アンバランスな組み合わせの人物二人だけ。
椿が式典のやりかたを聞く前に、スパンコールの僧衣を着た坊さんが、王冠を助手から受け取って、「はい、どうぞ」と椿の頭に載せた。
黙って頭を下げて王冠を頂いたが、妙な気分だった。
坊さんは王冠を載せる時に、誰にも聞こえないような小声で「ぜひ、宗教省へ予算の増額を」と囁いた。
椿は微笑んで何もいわなかったけど「俺は宗教が嫌いだ」が本音だった。
それより、結婚式場に似たチャペルで胸元の開いた黒いドレスの美女と並んで、スパンコール衣装を着た坊さんから王冠を載せられるのって、文化形式がどうにも受け入れられない。
(やっぱり、月帝と俺は、合わないのかもしれない)
戴冠式場で伽具夜がおざなりに拍手をすると、参列者が伽具夜の機嫌を損ねないための計らいか、続いて威勢よく拍手をした。たったそれだけで、戴冠式がお開きとなった。
助手からは、すぐに「はい、王冠を返してくださいね。王冠は貸衣装屋のレンタルですから、遅れると、延滞金が発生するんで」と王冠が没収された。
「王冠くらい、本物を用意しろよ! え、なに、それとも、王様の価値って、この国じゃ、そんなものなの? 王冠って、そもそも貸衣装屋で用意できるの? なら、いっそ王様をこっちの星で公募とかすればいいじゃないか」と言いたかった。けれども、口には出せなかった。
口に出したら伽具夜なら、「あ、そう。じゃあ、そうするわ」と発言して、椿を前国王として、どこかの牢獄に幽閉する可能性が頭を過ぎったからだ。
それなら、まだ乞食みたいな格好と評されても、王様の扱いがいい。
戴冠式の所要時間は十分あったかどうかだった。完全なやっつけ作業だ。
(明らかに歓迎されてねー。いや、むしろ、がっかりされている。侮られている。微糖コーヒーに入っている砂糖量並みの期待感だ)
その後、宮殿のバルコニーから見えた雰囲気が、また異常だった。
暗殺防止のためか、バルコニーの厚いガラスは閉まったまま。群衆の前には歩兵が銃を持って並び、後ろに放水車が何台か控えていた。
椿が姿を見せると、民衆は騒ぎ出した。遠めで見えないが、民衆は怒っているようにしか見えなかった。
それでも、椿が愛想笑いを浮かべて手を振ると、民衆はなにやら叫び出し、最前列の盾を持つ兵士と押し合いを始めた。
椿の横で、伽具夜が命令した
「放水を開始しなさい」
椿が「えっ」と思っている間に、次々に放水が開始された。軍が催涙弾でも投げたのか、煙が立ち上った。歩兵もおそらく、ゴム弾だとは思うが、発砲を開始した。
国王の顔見せ行為が、明らかに暴徒鎮圧作業と化していた。
(ちょっと、やばいって、これって。こんなシーン、テレビで見たけど、このあと独裁者って、よくて亡命で、残りは形だけの裁判で処刑されたり、反乱兵に殺されるって)
さすがにまずいと思い、伽具夜に意見をしようとして横を見た。
伽具夜がうっとりとした顔で、言葉を紡いだ。
「見て見なさい、椿。王家に反対する民衆が、虫けらのように散っていく。いつ見ても、いい光景だわ。あははは」
「怖えよ、あんたの考え方。仮にも、人の上に立つ人間でしょうが」とは、恐ろしくて、口にできなかった。
椿は言葉を飲み込むと、ちょっと言い方を変えた。
「ちょっと、伽具夜さん。これ、ひどくないないですか? 俺、笑顔で手を振っただけですよ」
伽具夜は気にしないとばかりに踵を返した。
「いいのよ。どうせ、民衆なんて、税金を搾取するためか、戦場という名の地獄の釜に投げ込むための素材だから。あんまり機嫌とる価値なんて、ないのよ。図に乗らせると手が付けられなくなるしね」
「俺が何もしなくても、この国は滅ぶな」と椿は直感した。
戴冠式を終ると、小さな部屋に連れて行かれた。
部屋に着くと伽具夜が命令した。
「さあ、これを、耳に隠すように詰めて、こっちのスイッチを、手に隠すように持ちなさい。戴冠式も無事に済んだから、私は女王を降りて皇后として、補佐役に徹するわ。お前が王様として、指導者になったのだから会談は指導者たる王様がするのよ」
椿は感心して感想を漏らした。
「へー、俺が指導者である王様になると、権限が委譲されて、女王は皇后になるんだ」
椿は素直に従い、渡されたイヤホンの先のような物を耳に詰め、手に隠れるような小さなスイッチを握った。
部屋の後ろの壁には日の丸が掛っていた。
「日の丸がある。なんで日本の旗が、ここに?」
伽具夜は何を言っているんだとばかりに言い返した。
「日の丸? なに、それ? 赤い満月は月帝国のシンボルよ。赤い月、それは神が済む場所。月帝国は、この世界の中心とならなければいけない国なのよ」
どうやら、この惑星の月は赤いらしい。月帝という名が現すように、真っ赤な満月がこの国の象徴のようだ。
伽具夜は部屋の隅に壁に寄りかかり、険しい顔で発言した。
「戴冠式と国民へのお披露目のスケジュールは、各国に通達してあるわ。そろそろ、ロマノフの貪欲な牝豚とコルキストの戦争狂が挨拶に来るころよ」
他国の指導者に対して、ひどい言いようだ。
それとも、伽具夜が〝あれ〟なだけに、他の国との関係は最悪なのだろうか。だとすると、いざと言うとき、亡命もできないじゃないか。
伽具夜がイヤホンとスイッチについて説明した。
「イヤホンは、私が話す言葉が、お前だけに聞こえるわ。スイッチを押すと、こちらからの音声が向こうに聞こえなくなるから、私に話があるときだけ使いなさい。いいこと。隣に補佐役の皇后がいて、あれこれ教えていると思われたら、ダメよ。舐められたらすぐに、食われるわよ
」
やっぱり、隣国との関係は、よくないらしい。
「そういえば、この惑星って、どんな国があるんですか」
「まだ、教えていなかったわね。惑星の名前は、イブリーズ」
(イブリーズって、どこかの悪魔の名前だった気がする。え、なんか、嫌ーな展開が予感させる名前の惑星だな)
伽具夜は言葉を続けた。
「惑星は、海が大半で、大陸は『づ』の字に連なっているわ。書順から、ポイズン、ガレリア、ロマノフ、コルキスト、月帝の順になっていて、濁点部分は大陸から離れていて、バルタニアっていう国があるわよ」
椿は地球と状況を比べて驚いた。
「六カ国しかないの。それじゃあ、お互いに仲良くしないと、取り返しのつかない戦争へと世界が突入するかもしれないじゃないですか」
伽具夜は買い物の帰り道、風呂用洗剤でも買い忘れでもしたかのように、気軽に教えた。
「言い忘れていたわ。日本に無事にお土産付きで帰る方法があるわよ」
「貴女は、どこまでサドっ気強いんですか、前世は拷問官吏か何かですか。もう、人の面を被った悪魔にしか見えませんよ」とは思っても口にはできなかった。
椿は伽具夜の気の変わらない内に、日本に帰る方法を下手に出ながら尋ねた。
「日本に帰る方法があるなら、真っ先に教えてくださいよ。それがわかれば、王様だって、ちゃんとやりますから」
伽具夜は怒ったような口調で答えた。
「真っ先に? 教えても、やらなければ意味がないでしょ。意味がない行為は優先度が低くなるのが当たり前でしょう」
(こいつは、本当に皇后として王様を補佐する気があるのか。というより、本当に俺の味方なのかよ)
伽具夜は、あっけらかんとした表情で教えた。
「大陸にいる他の五人の指導者の首を刎ねるのよ。別に、大陸にある全部の都市を征服しなくてもいいわよ。あくまでも、目的は首を刎ねて、最後の一人になるまで生き残ればいいだけよ」
「ちょ、それって、殺人じゃないですか! そんなこと、できませんよ」
伽具夜は野獣のように怖い顔をして喰って懸かってきた。
「はあー、人の首は刎ねられませんって、何を暢気なこと言っているのよ! お前が参加しているのは、勝者が一人だけのデス・ゲームなのよ。それに、王権を維持するのに、血の河が死の海に注ぐのは当たり前でしょう。お前が死にたくなければ、代わりに何万もの歩兵を死地に送りなさいよ」
月帝の民衆が、なぜ王家を支持していないか、わかった気がした。伽具夜はきっと民衆に処刑されるタイプの王族だ。
(伽具夜の言う通りに動いていたら、民衆に一緒に殺されるかも。亡命も無理となると、まずくねえ? 待て、伽具夜の性格だ、まだ重要な告知事項を隠している気がする)
椿は努めて前面に笑顔を出して、控えめに尋ねた。
「伽具夜さん、他に帰る方法は、ないのですか? なんか、ありそうな気がするんですけど」
伽具夜は不貞腐れた態度で簡便に教えた。
「あるわよ。神様に頼むのよ。あと、自分で見つけるって方法もあるわよ」
「ないなら、ないと言え!」とは、怖くて面と向かっては口に出せなかった。
でも、事態は深刻化していた。どうやら、訳のわからない世界に連れて来られて、強制的にデス・ゲームに対する参加が義務付けられているらしい。
ただ、伽具夜の口ぶりからは、他の五人の首を取れば帰れるのは事実のような気がする。
そこで、伽具夜の「完全仮想現実による就職試験」発言を思い出した。
(ちょっと待てよ。これ、試験だったら、五人の首を取りに行く、行かない、どっちが正解なんだ? 自分のために他人を犠牲にできる人間は、落とされるのか。それとも、単純な国取りゲームで戦略的な思考を見ているだけなら、五人の首を取りに行かなきゃならないのかなあ。戦争か、平和か、正解は、どっちなんだ)
4
椿が悶々としていると、伽具夜が正面の壁を見て、楽しそうに発言した。
「さっそく、ロマノフの女王ステシア・テレジアから通信が入ったわよ。言っとくけど、ロマノフは王配殿下が補佐役で、女王が指導者だから、間違えないでね。テレジアは猫を被っているけど、実際は表も裏もある人物だから、そこはお忘れなく」
「まだ、心の準備ができていない」との言葉より前に、正面モニターに映像が映った。
オレンジ色の髪をカールにして、黄色いドレスを着た、灰色の瞳を持つ、小柄で椿と同年代の女性が映し出された。女性はスカートの端を軽く持ち、挨拶してきた。
「初めまして、月帝国の王、椿様、ロマノフの女王ステシア・テレジアと申します。お目に掛かれて光栄ですわ。お互い、共存共栄と行きましょう」
初めて目にしたテレジアの仕草は、可愛く見えた。
椿はテレジアの魅力に、初恋のごとく心ときめいた。
「こちらこそ、よろしくお願いします。できれば、国のため公私共に仲良くありたいですね」
テレジアは瞳を曇らせ、悲しげに提案した。
「実はロマノフは隣国、コルキストに脅かされているのです。ロマノフの東からいずれコルキストが攻めてきますわ。戦争は本位ではないのですが、わたくしは国民と国土を守らなければいけません。そこで、提案がありますのよ。椿様は軍を進めて、北上してください。ロマノフと月帝国でコルキストを挟み撃ちにして、分割しましょう」
いきなりの可憐な少女から戦争提案に「えっ」と言葉に詰まると、耳に装着したイヤホンより伽具夜の声が聞こえた。
「なら、まず、同盟の証に、月帝領内の最西端近くにねじ込むように造られている港湾都市ペテルブルグを譲渡しろと言ってみなさい」
椿はとてもでないが他国に都市を譲渡しろとは言いたくなかった。だが、伽具夜が怖いので、表現を変えて、提案してみた。
「ところで、テレジアさん。月帝領内近くの最西端にあるペテルブルグの件ですが、どうにかなりませんかね。どうも、本来、月帝が治める領内にロマノフの都市があるのを、ウチの皇后が嫌っているようなので」
テレジアは申し訳なさそうに頭を下げた。
「ごめんなさい。椿国王様、ペテルブルグは月帝領内に近く存在していて、ご迷惑かもしれませんが、しばらくお貸しください。ペテルブルグから月帝国に侵攻する行為は、決してしません。それどころか、コルキストの首都を無事に攻略できた暁には、献上しますわ」
言い方は丁寧だが、ペテルブルグを渡す条件がコルキストに対する共同戦線とも聞こえるので、踏ん切りがつかなかった。
「テレジアさん。すいません、コルキストとはまだ敵対関係にないので、戦うと決めたわけではないのです。ですから、コルキストに対する共同戦線を張るお話はお受けできません」
テレジアは灰色の瞳に悲哀の色を浮かべて、残念そうに伝えた。
「こちらこそ、月帝国に無理な戦争のお願いをして、すいませんでした。コルキストとの件は、こちらで、どうにか対処します。ぺテルブルグの件は、また後日お話しましょう。でも、コルキストには、くれぐれも気をつけてください。コルキストの指導者は、非常に危険な人物なのです」
「わかりました。気を付けます。でも、できれば、話し合いで解決するつもりですから」
テレジアは最後に、「椿様は、お優しい方なのですね」と、はにかむように付け加えて通信を切った。
椿はテレジアとの通話回線を遮断した。テレジアに姿を見られないように壁に寄りかかって、写らないようにしていた伽具夜が、冷たい視線を送ってきた。
「テレジアを気に入ったのかしら、あのテレジアを」
テレジアに好感を持ったのは事実だ。
けれども、伽具夜はパートナーなので、浮気と見られたくなかったため、カッコを付けて言い訳した。
「嫌ですよ、そんな。ちょっと可愛いなと思っただけですよ。伽具夜さん、妬かないでくださいよ」
伽具夜は冷たい視線を送りながら質問してきた。
「ところで、お前。今、テレジアに試されたのが、わかったかしら」
会談のどこにもテレジアに不自然な点が見えなかったので、椿は答えられなかった。
伽具夜がどこか椿を見下したように説明した。
「テレジアがドレスの裾を持って挨拶したでしょう。お前は、テレジアの動作を可愛い仕草だな、程度にしか思わなかったようだけど、さっきの仕草は臣従を意味する挨拶なのよ。テレジアはそれに気付くかどうか、まず試した。気付かないと感づくと、いつも遣っている自分の呼称を、朕ではなく、わたくし、と呼んで親しみを誘ったのよ。結果、見事に我が椿国王様は、テレジアに好感を抱いたわけよ」
伽具夜は目を瞑って下を向き、首を小さく横に振った。
「ロマノフが月帝の最西端にあるペテルブルグを持っている限り、いずれロマノフは月帝に侵攻してくるわよ。それを、お前は全く省みずに、問題を先送りしたのにも呆れたわ。やっぱりお前は、死ぬ運命にあるようね」
また、死ぬと言われてしまった。なにか言い返そうとすると、通信が入った。今度はコルキストからだった。
5
コルキストの指導者は白と黒のストライプ・ヘアーの短い髪に、切れ目の顔立ちをした人物だった。相手はグレーのスーツを着ており、中性的な感じの二十歳代後半の人物で、一見すると男装の麗人といった印象を受けた。
最初に椿は性別をぱっと見て、どちらなのかが、わからなかった。
コルキストの指導者が恭しく礼を取った
「コルキストの執政官。コルカ・ソノワといいます。まずは、国王就任おめでとうございます。今日は一つお願いしたい件があり、お話に上がりました」
椿は声で、やっと女性だと判別がついた。
ソノワが話を進めた。
「コルキストは西側でロマノフと国境を接しており、いずれ決着をつけねばいけません。ただそうなると、南端でベルポリスを挟んでいるとはいえ、貴国との関係悪化は避けたい」
すかさず伽具夜から説明が入った。
「ベルポリスは元コルキストの都市だったけど、現在はコルキストより独立した状態になっているようね。位置的には月帝の北にあり、コルキストの南、ちょうどコルキストからの壁になっているわ」
ソノワは遣り手ビジネスマンのように話を続けた。
「貴国は西にロマノフ領ペテルブルグがあり、ロマノフの脅威に曝されているともいえます。ここは一つ、手を取って、対ロマノフ共同戦線を張っていただきたいのです」
さっきロマノフに提案されたのと似たような提案をしてきたよ。正直、どうも人の血が流れる、戦争は、やっぱり避けたいんだけどな。
椿はソノワの提案を丁寧に拒否した。
「お話はわかりましたが、ペテルブルグ問題は戦争によらず、解決したいと考えています。ロマノフとも、対話による解決を試みるつもりです。現段階では、対ロマノフ戦は考えていないのです。もちろん、コルキストとの戦争も考えておりませんし、ベルポリスを併合しようとも思いません」
ソノワは硬い表情を崩して、柔らかな物腰で最後の挨拶をした。
「椿国王が平和的人物で、安心しました。ベルポリスとの問題に月帝国が介入なされないのであれば、この借りは、いつかお返しします。ベルポリスが平和的にコルキストに復帰するように、私も努力しましょう。ベルポリスがコルキストに復帰して国境を接するようになっても、友好が末永く続く状況をお互いに維持しましょう」
椿は二人との通信が終わり、ホッとした。
どちらも、敵対的な態度を椿に対して採らなかった。
それに、ロマノフとコルキストの仲が険悪なら、両国で争っていて、月帝には手出ししてこないだろうとも感じた。
(まずは、ひと安心といったところか)
椿の安心をよそに、伽具夜が冷たい目で評価を下した。
「最悪の外交だったわ。これで、お前は間違いなく、初見殺しに遭うわね」
不吉な言葉を聞いた。
「な、なんだよ。その、初見殺しって」
伽具夜は苦い表情をしたまま、教えてくれた。
「まだ何もわからず、世界にやってきた指導者を二ヶ国で襲って、何もかも奪っていく作戦よ」
「え、でも、ロマノフもコルキストも、互いに国境を接して敵対しているって――」
椿が全てを言い終わる前に、伽具夜の怒声が飛んだ。
「それは、お前がコルキストとの通信を切る前までの話よ。今頃、ロマノフのテレジアとコルキストのソノワが初見殺しの話を始めているわよ。一度、死ぬ目に遭えば、わかるよ。さあ、自国の閣僚たちと話を始めましょうか」
「でも、まだ、ポイズン、ガレリア、バルタニアの指導者から挨拶がないよ」
伽具夜は、もうどうしもない馬鹿を見るような目で教えた。
「それはねえ、椿。お前を相手にするまでもないと、三カ国の指導者が見た証拠なのよ。もっとも、椿が今の対ロマノフ、対コルキスト戦略が芝居で、両方を同時に潰そうって、素敵な考えの持ち主なら、残り三カ国に話を持ち掛けてみなさい」
椿はとてもじゃないが「今の話は嘘だよーん。他三カ国と組んで、テレジアとソノワの首をハンティング・トロフィーがわりに王宮に飾って眺めてやるぜ。ひゃははは」と言える神経の持ち主ではなかった。
6
椿が伽具夜と話を終え、通信部屋を出ようとしたところで、突如、通信が入った。
相手にされていない発言のあとだったので、椿は伽具夜がアドバイスするより早く、電話に出るような軽い気持ちで、通話に出た。
通信相手は目尻に紫のアイシャドーを塗り、栗色の髪を肩まで伸ばして、年齢が伽具夜と同じくらいの女性だった。ただ、伽具夜よりも、どことなく、大人びた印象を感じさせる。
衣装は和服に似た着物を着ていたので、同じ日本人かと最初は思った。
相手の女性は、にっこりと微笑むと、友好的に挨拶をしてきた。
「お初にお目にかかりやす。ポイズン国で総統をやらしてもらっております、鳥兜葵、言います」
鳥兜には、テレジアとはまた別の魅力があった。鳥兜は京都美人といった感じだった。
「こ、こちらこそ、初めまして。椿幸一といいます」
鳥兜は小鳥のように笑って喋った。
「そない、緊張せんかて、よろしいわ。うちも緊張してしまうさかいに」
椿はテレジア、ソノワより、鳥兜に対して一番好意を感じた。
「貴女も、日本からやってきたんですか?」
鳥兜が小首を傾げて、わからないといった表情をした。
「ご期待に添えんようやけど、日本いう国は、知りまへんわ。それに、椿はんは月帝国の人と違いますか?」
鳥兜という名前に和服姿なので、日本人かと思ったが、違うのか。それともここでは、現実を持ち込むのはNGで、役になりきらないといけないのだろうか。
椿はとりあえず、話を合わせる選択をした。
「いえ、わからないなら、なんでもないです。それで、ご用件は、なんでしょうか。月帝と友好を結びたいのでしたら、大歓迎です。ポイズンとは大陸の先端同士で離れていますから、国境も接していません。いえ、もちろん、国境を接していても、軍事的に攻めるつもりは一切ありませんよ」
鳥兜は両手を胸の前で合わせて無邪気そうに喜んだ。
「嬉しいわあ、平和的な指導者で安心しました。ただ、一つお願いがあるんどすけど、いいどすか」
椿はそこで違和感を持った。
(あれ、これ、ひょっとして、キャッチ・セールス的な外交? 何かお金とか資源とか、たかられるんだろうか)
非モテ系の椿にとって、あまりに愛想がいい女性は悲しいかな、疑いの対象だった。
椿の心境の微妙な変化を読んだのか、鳥兜は笑った。
「嫌ですわ、椿さん。別になにか、いただこうというわけではないんどす。ただ、お願い言うのは、ちょっと後ろを向きになって、下を見て欲しいんどすわ」
後ろ向きになって下を見ろ? それぐらいなら、いいけど。
椿が後ろ向きになって、下を見ると、鳥兜がせがむよう「もう少しだけ、頭を下げておくれやす」と頼んできた。
椿は頭を垂れて、床を見ると、鳥兜が 悩ましげな声を出した。
「ああ、椿さんのうなじ、ほんま、綺麗どすなー」
(え、男のうなじなんか見たかったの? なんかポイズンの総統って、変わった人だなあ)
下を向いてばかりの椿が疲れたので「もういいですか」と聞くと「おおきに」と鳥兜はお礼を言って通信を切った。
(なんだったんだ、今の人は)
椿が疑問に思っていると、伽具夜が冷ややかに継げた。
「これで、お前の未来は、ハルマゲドンよ。初見殺しは二カ国で仕掛けるといったけど、間違っていたと訂正するわ。ポイズンも参加したようね。おそらく、テレジアが誘ったんでしょう。いいの、お前。段々、首が危なくってきているわよ」
伽具夜の言いように、つい腹が立って、言い返してしまった。
「仮にテレジアちゃんとソノワさんが組んでも、鳥兜さんまで敵に回ったなんてどうして、今の会話でわかるのさ。鳥兜さんは、友好的だったじゃないか」
伽具夜は、もう知らないとばかりに言い放つ。
「鳥兜の性癖を知らない人間のセリフね。全くおめでたい奴は、どこまで行っても、おめでたいわよ。ある意味、パーツとして気に入られたのは本当なんだけどね。どんな意味で気に入られたか、いずれわかるわよ。わかった時には、遅いかもしれないけどね」




