56話 報復です。
新年。
カクラマタン帝国でも新年の慶びにわいていた。二日目の今日は、国民の前で皇帝が新年の挨拶をするのが慣例だ。
王城の庭が開放され、そこに夜明けとともに国民が集まってくる。カクラマタン帝国の新年は夏なので、暑さが増す前に挨拶が行われる。
庭に入れず、せめてと王城の周りにも人々が集まった頃、皇帝が妃たち、皇子皇女たちを引き連れてバルコニーに現れた。
国民の歓声と拍手が城を揺らす。
皇帝が満足気に片手を上げ、それらを静かにさせた。
「へぇ、随分と人望がおありのようで」
突如響いた子供の声に、会場がざわりとした。
「うちに攻撃を仕掛けておいて、随分とのんびりしてますねぇ」
皇帝が使う拡声魔法よりも綺麗に大きく響く声に、ざわざわと会場がうるさくなり、あちらこちらで警備の兵士が動き出す。
「他人ん家を勝手に魔族の国と呼んでくれてるようで?」
誰かがあそこだ!と指したのは王城の中心にある尖塔。今現在、皇帝よりも高い場所に一人の少女がいた。
騒がしくなる会場と比例するように、皇帝の顔色が青くなっていく。バルコニーの脇に控えていた重鎮たちも、何人かが汗を流しながらキョロキョロしだした。
「こっちは新年早々めちゃくちゃにされたので、新年のうちにとお返しに来ました。もちろん、前回もう関係無いからと手打ちにした案件も含めてのお返しです!」
きゃは、とでも続きそうな笑顔の少女。
皇帝よりも高い位置にいる事に無礼だと叫ぶ大臣。
あわあわしだす皇帝と一部の重鎮。
そして、弓を構える兵士。射つ合図を待つ隊長。
しかし弓兵たちはバタバタと倒れた。唖然とする隊長の前に立つのは、剣を持った老執事。
「恨むならば貴方の上司を。お嬢様を傷つけようなど、万死に値します」
今でなければ心和む笑顔であろうが、今この老執事の全身からは暗い何かが染みだしている。隊長は自身の足が震えるのを止める事ができない。目の前の人物は誰なのかと必死に考えるがまとまらない。
兵士が次々と倒れていく。班編成されたはずのそれぞれの場には、老執事のように姿勢良く立つ人物が次々と現れた。同じく執事のような者や大剣を担いだ農夫のような者、鞭をしならせる女性に侍女のような装いの者もいる。
新年用の護衛として雇った、帝国でも有名な冒険者さえもが倒された。剣を数度交わし、だが魔法を使う間もなく。
おかしい。あの冒険者たちがほとんど何もできずに倒れるはずがない。皇帝が震えながらもそう考えた時、王城の周りに大きな音とともに巨大な柱がたった。
うねる火柱。轟音の水柱。そして、竜巻。
国民はその柱の中に自分の家が巻き上げられるのを見た。人らしき影も呑み込まれていく。
理解不能。
《ふははっ》
勢力範囲が広がっている火柱から、火の大鳥が飛び出した。ばさりと動く炎の翼の先から火の粉が落ち、人々が逃げ惑う。
《四神討伐に自信があると聞いてな。来てやったぞ! はははっ!》
《待て待て朱雀よ》
こちらも勢力範囲がじりじりと広がる水柱から、青い巨大な蛇のようなものが現れた。
《御主だけ飛び出してはつまらぬではないか》
《おお、すまぬな青龍よ。我らが友人がこの国の連中に馬鹿にされたと聞いては気が急いて仕方がないのだ》
朱雀と青龍。そう呼び合う二体の魔物。
その名を知る者は腰を抜かした。
まさかの四神が二柱も現れた。
《む! なぜもう姿を現しておるのだ! 我も我も!》
一つウロウロと移動し続けてカクラマタン帝国の被害をすでに最大にしていた竜巻から、巨大な白い虎が飛び出した。
四神の白虎であることを認識した者は、その場にうずくまり命乞いをしだした。涙もよだれも垂れ流しである。
一柱でもその威圧感は立つことを諦めるほど。
今意識のあるカクラマタン帝国の者のうち、四神にまみえた者は皆無である。討伐成功率がトップだろうと、皇帝や一般人はまず高位の魔物に出会う事はない。会ったとしても生き残れるとは限らない。
そして畑を荒らしに来るような低級魔物を知る者は、そのあまりの違いに意識を手離す。
そんな魔物が三体も現れた。
「な、なぜ・・・」
腰を抜かしながらもまだ意識を保つ皇帝がガタガタと震えながら発した疑問は、頭上で応えられた。
「さっきも言ったじゃん。諸々の事情により徹底的に仕返しをすることにしたの」
この現場にそぐわない軽やかな空気をまとい、フワリと降りてきた少女は。
漆黒の何かを持ち、恐怖しか連想させない笑顔を皇帝に向けた。
皇帝の震えがさらに大きくなる。
「帝国というからには部下をもっとがっつりと掌握してもらえる? お宅の勝手に動いた部下のせいで今回、とてもとてもとーっても迷惑したの。もう二度と、未来永劫、ドロードラング領及び関係各国にちょっかいを出さないでもらえる? あぁもちろん、アーライル国全体も含むからね」
そう言うと少女は今語った文言を記された証書を皇帝の目の前につきだした。それをどうにか読み、承諾の証しとして皇帝が頷く。
にんまりとした少女は、何の躊躇いもなく皇帝の手を取り、その親指に針を刺し、あっという間に証書に血判を押した。
少女は満足気に頷くと皇帝の傷を癒す。温かな感触に皇帝が微かに気を取り直すと、少女はもう関心が無いとばかりにスクッと立ち上がった。
「亀様ーっ!」
ゴ ゴゴ、 ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴッ!!
自身の震えではなく、地面が揺れているのだと皇帝が認識した時には、頭が割れるかという程の轟音が響き、そして文字通り地面が割れた。
そしてそこから巨大な、心がへし折られる程に大きな亀が現れた。先に現れた四神のどれよりも大きい。
そこにはもはや半壊した、いや、まだ全壊していないだけの国があった。
皇帝は気絶したいと切に願ったが、なぜか叶わなかった。
「亀様、証書もらったよー」
《うむ。では、この約束が破られた場合、我らがこのカクラマタン帝国を消滅させよう》
亀が、いや、玄武がじっと皇帝を見つめる。
皇帝は心臓が止まるのではないかと恐れ、いっそ止まってしまえと恐怖した。
《我、玄武の名の元に、この証書を有効とする》
《我! 白虎の名の元に! この証書を有効とする!》
《我も。朱雀の名の元に、この証書を有効としよう》
《我、青龍の名の元に、この証書を有効とする》
いつの間にか四神が並んでいた。皇帝の視界は四神で埋め尽くされた。
そして、それらを従えているような風情の少女がやはり笑顔で四神と並ぶ。
異様。
「約束、ちゃ~んと後世に伝えてね皇帝様。それができなかったら、本当にこうなるからね~?」
おもむろに少女が、手に持っていた漆黒の何かを振り下ろした。
そうして皇帝は、崩れていく城に呑まれていった。
「うぁはああああああああぁぁああっっ!!」
カクラマタン帝国の皇帝は飛び起きた。そのまままだ薄暗い寝室を転げまわる。
そうしてしばらくしてから揺れのない事に気づき、そぉっと周りを窺う。
紛れもなく自分の寝室である事を認識すると、大きく息を吐いた。
生きている。まずそう思った。
夢で良かった。強くそう思った。
寝間着は汗でべっとりとくっつき、髪は顔に張りついている。
今日は国民の前で新年の挨拶をする。さすがにこの様では一度風呂に入りたい。
皇帝は部屋にある、侍従を呼び出すベルを鳴らした。
待てど暮らせど誰も訪れず、一人部屋を出た皇帝が見たものは。
一人残らず気絶した侍従と侍女、自室で意識を失った王妃に妾妃、皇子皇女たちだった。
そうして城内を駆けずり回り、意識のある者を見つけられなかった皇帝は、馴染んだ執務室に逃げ込んだ。椅子にかければ落ち着くはずと机に寄れば、その上には、夢で見た証書があった。
皇帝はその場で気絶した。
国民全員で同じ夢を見た。
その事実を国民が知るのはその日午後。
皇帝が、未来永劫アーライル国に攻め入る事はしないと宣言をしたことで、この宣言を破った時にはあの夢が正夢になるのだと、国民の誰もが心に刻んだのだった。
……こんな感じでした(笑)




