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第8幕

 頭上には、無数の星が散りばめられた満天の夜空が広がっていた。

 そして見下ろす足元には、オルギスラ帝国の兵士たちが、松明を掲げ、唖然とした顔でこちらを見上げている。

 夜の静寂の中、宙に浮かんだ私は、眼前に広がるそんな光景をじっと見つめていた。

 夜風に揺れる木々もこの山もこの大地も、涼やかな夏の夜の空気さえ、まるで自分の一部になってしまったかの様な不思議な感覚が、私の体を満たしていた。

 頭の中は、靄が晴れた様にすっきりとしていた。今なら帝国軍も現在の状況も、全てを冷静に捉える事が出来た。

 これが、あの白い羽の竜、アーフィリルの力。

 ぎゅっと手を握り締める。

 私は体を包む魔素を制御して、ゆっくりと地面に降り立った。

 白いスカートがふわりと広がる。ドレスや鎧と同様に、魔素によって構成されたブーツがカツリと音を立てた。

 今の私は、全身真っ白だ。

 胸や手を覆う鎧も、ひらひらと夜風に揺れるスカートも純白。はらりと流れる長い髪も白く、さらに白い光の粒を放ち続けていた。

 そして、この体。

 普段の子供みたいな体型の私とは全く違う大きな胸や長い手足。

 今の私は、まるで大人の女性の様だった。

 何だか慣れない。

「アーフィリル」

 私はそっと胸の中の竜に呼び掛けた。

『何か』

 頭の中に、白の竜アーフィリルの声が響いた。

「この姿、何なの」

 私は、光の粒を放ち続けている髪を一房手に乗せた。

『我と融合状態にあるセナは、大地の根幹を成す魔素の環流に、直接干渉している状態にある』

 私は、手にした髪をさっと払った。

 ふむ。

 今私を満たしているこの膨大な魔素は、世界を構成する魔素の流れから直接得ているという訳か。

 普段一般的に人が活用出来る魔素は、自己の体内にある僅かな分と魔素の結晶である魔晶石から得られる分しかない。

 人間はその力を使い、スキルなどの力を行使している。

 しかし唯一例外として竜だけは、世界を構成する魔素に外部から直接干渉出来るといわれている。

 生物として内包する魔素だけでなく、外部の力をも取り込み、行使できる能力。それ故に竜は、古来より最強の生物と称えられてきたのだ。

 アーフィリルと一体になった今の私は、そんな竜と同じ状態にあるという事なのだろう。

『その姿の変容は、強大な魔素の受容により、セナの体が強制的に最適な形状へと成長したものと推測する。その髪は、人の体では受け止めきれない余剰魔素の放出を行っている様だ』

「なるほどね」

 私はふっと息を吐き、目を閉じた。

 体の中を巡る力を感じる。

 不思議とその使い方も理解出来た。

 アーフィリルが制御してくれているからだろうか。

 これならば、いける。

 目を開き、私は薄く微笑んだ。

「おい、お、女! 貴様っ、どこから現れたっ! だ、誰と話をしている!」

 そこへ、夜の静寂を壊す様な金切声が響き渡った。

 ちらりとそちらに視線を送ると、羽根飾りが付いた兜を被った帝国軍の指揮官が、剣をこちらに向けていた。

「貴様っ、祖竜をどうした! な、何者だ、お前はっ!」

 顔を真っ赤にしながら怒鳴り散らすその姿は、何だか滑稽だった。

 私はふふっと笑ってしまう。

「オルギスラ帝国軍。お前たちは何しにここへ来た。大人しく吐けば、何人かは見逃してやってもいい」

 私は微笑みを浮かべながら告げる。

 もとより私には、帝国軍を逃がすつもりなどなかった。

 エーレスタ領に土足で踏み入り、マリアや罪もない人間を苦しめ、アーフィリルを傷付けたその報いは、その身を持って償わなければならないのだ。

 私の言葉に一瞬呆気に取られた様に目を丸くした敵の隊長殿は、しかし次の瞬間には顔をさらに赤くして震え出した。

 まるで猿だ。

「き、き、貴様っ! その無礼な態度、後悔することになるぞっ!」

 隊長殿は私に向けた剣の切っ先を、ぶんぶんと何度も振り始めた。

「あの女を捕らえよ! 拷問でも何でもして、祖竜の情報を聞き出せ!」

 隊長殿の命令に、帝国軍の前衛隊がざっと槍を構えた。

「行け! さっさとしろ! こんな事で俺の手柄をふいに出来るか!」

「第1小隊、あの女を捕らえよ!」

 隊長殿の名を受けた副官らしき騎士が、号令を掛ける。

 整然と隊列を組んだ帝国軍の小隊が、見事な動きで私を包囲する様に広がり、そして前進し始めた。

 軍靴の音が規則正しく響き、松明の灯を受けた槍の矛先がギラリと光る。

「竜の代わりに現れた女だ。何かしら手掛かりがある筈だ」

「はっ、しかし……」

「馬鹿者! 部隊を動員して祖竜は見つかりませんでしたでは、俺の立場がないだろう! あの男の言葉は正しかった。祖竜はいたのだ。後は連れ帰るだけだろうが!」

 接近する敵兵の向こうで、指揮官殿が怒鳴り声を上げているのが聞こえて来た。

 奴らの目的は祖竜か。

 私はすっと目を細めた。

「大人しくしろ!」

「抵抗すれば怪我をするぞ!」

 帝国兵が槍を突き付けながら間合いを詰めて来る。

「へへ、しかしすげえ美人だな」

「おい、お前、あの鎧をひん剥いてこいよ」

 兵たちの下卑た声が聞こえてくる。

 小隊指揮官の騎士は、しかしそんな兵たちを諌めようとしない。

 兵も指揮官の騎士も、警戒はしていても未だ余裕の表情を保っていた。

 それはそうだろう。

 向こうは100人以上の完全武装の部隊で、こちらは丸腰の女1人なのだから。

 そうだ、武器が必要だ。

 私はちらりと帝国兵の槍の穂先を一瞥してから、ゆっくりと右手を掲げた。

 白い魔素の光が、その手の中に生まれる。

 思い描くのは剣。

 騎士が携える剣だ。

 光が弾ける。

 そして次の瞬間。

 私の手には、優美なラインを描く長剣が握られていた。

 鍔もとに向かうにつれ幅が広がる刀身には、精緻な彫刻が施されていた。竜が翼を閉じている姿を意匠化した彫刻だ。

 鍔も白く、柄も白い。柄頭には、アーフィリルの羽毛を思わせる細く長い剣緒がひらひらと揺れていた。

 そしてその刃は、微かに白く輝いていた。

 まぁ概ねイメージ通りだ。こんなものだろう。

「な、何だ!」

「貴様っ、抵抗するかっ!」

「いったい、どこから剣を……」

 帝国兵が声を上げる。先ほどまでの余裕ぶった態度が嘘の様に、さっと身構えて戦闘態勢を取る。

 なるほど。兵の質は悪くても、練度は悪くないらしい。

 しかし私は、そんな帝国兵など意に介さず、まずは剣の具合を確かめてみる。

 白の剣は確かに私の手の中にあるのだが、まるで重さが感じられなかった。

「少し軽いな」

 私は軽く剣を振った。

 刃がぶんっと空気を斬り裂いた。

『問題ない。高密度の魔素により形成された刃に、切断できないものなどない。重さは不要だ』

「そう」

 私はアーフィリルの説明になるほどと頷いた。アーフィリルが保証してくれるなら間違いない。

 私は白の剣を片手に下げながら、カツリと踵をならして帝国軍に向き直った。

「投降しなさい。今エーレスタに降れば、捕虜として扱ってやってもいい。死なずに済む」

 私は目を細め、冷ややかに帝国軍を見据える。そして静かに、最後通牒を突き付けた。

 髪がふわりと夜風を受けて広がった。

 輝く剣の緒が、ひらひらと揺れる。

「エーレスタ! やはり貴様、エーレスタの騎士か! ええい、何をしている! さっさと捕らえんか!」

 私の勧告に耳を傾ける事もなく、敵包囲網の向こうで隊長殿が声を張り上げた。

「進め! 捕えろ!」

 小隊指揮官が剣を引き抜き命令を下した。それを受け、帝国兵が槍を構えてじりじりと前進を開始した。

 仕方がない。

 こうなれば蹂躙するだけだ。

 私はふっと軽く息を吐く。

 そして踵を鳴らし、ゆっくりと敵に向かって歩き始めた。



 目指すは敵の指揮官だ。

 あの口髭の男を押さえれば、エーレスタ領に侵入した帝国軍の規模や現在地などの情報が得られるかもしれない。

 私はこちらに向けられる無数の刃を無視し、真っ直ぐに敵隊長の方へと歩みを進めた。

 突きつけられる刃にも吹き付ける濃密な殺気にも、不思議と私は脅威を感じなかった。先ほどまであれだけ怖かったのが、嘘の様だ。

 私の堂々とした様子に、逆に帝国兵の方が一歩下がる。私と目が合った敵の小隊指揮官が、びくりと体を竦ませ、後退りした。

 兵の壁の向こうで、指揮官殿がまた何かを叫ぶのが聞こえた。

 鎧がガシャリと鳴り、槍兵隊の壁の間から、今度は立派な鎧を身に付けた騎士たちがわらわらと姿を現した。

 黒鎧の騎士たちが、剣を抜き放つ。

「大人しくしろっ!」

 兜の下のくぐもった声が響く。

「お前たち、何を臆している! 行け!」

 騎士の1人が、周囲の兵に命令を下した。

 その合図に合わせて、槍兵がずいっと踏み込んで来た。私を捕えるためか、矛先ではなく石突きの方を振り上げて来る。

 さらに左右から、私の動きを阻害する様に同時に槍先が突き出された。

 振り下ろされる槍を一瞥し、私はさっと剣を振り上げた。

 微かに輝く剣の白い刃は、何の抵抗なく打ち下ろされる槍を切断する。

「なっ!」

 敵兵から驚愕の呻きが漏れる。

 斬り飛ばされた槍の石突きが、くるくると宙を舞った。

 返す刃で、左から迫る槍を無造作に斬り飛ばす。そして、右から迫る穂先に、私はすっと手のひらを当てた。

 槍が止まる。

「何だぁ?」

 素手で槍を止めた私に、敵兵が目を見開き裏返った声を上げた。

 目が合う。

 敵兵がびくりと体を震わせた。

 体中を流れる力を、軽く放出するイメージで。

 私はすっと目を細め、槍を受け止めた手に力を込めた。

 その瞬間。

 手を当てた槍の穂先が、ぼんっと爆ぜる様に消滅した。

 跡形もなく、だ。

 私の放った衝撃波は、そのまま槍兵も吹き飛ばした。さらにはその後ろに回り込もうとしていた敵兵も薙ぎ倒し、その後ろの大木をへし折った。

 みしみしと軋みを上げて大木が倒れる。

 一瞬、場の空気が凍り付いた様に停止した。

 ふむ。

 私は自分の手を見て首を傾げる。

 魔素をそのまま衝撃波として放ってみたが、力の調整には練習が必要みたいだ。

「き、貴様っ!」

「おのれっ!

「掛かれ!」

「容赦するなっ!」

 はっと我に返ったように、剣を構える黒の騎士たち。それぞれ大声を上げながら、私へと襲い掛かって来る。

 その騎士たちに続く様に、他の槍兵たちも私目掛けて突進して来た。

「おおおっ!」

 裂帛の気合いと共に振り下ろされる敵の刃。

 私はそれを、さっと手を当てて打ち砕いた。

 そのまま白のスカートを広げてふわりと回転。

 さっと振り上げた白の剣で、背後から斬りかかって来た別の敵騎士の腕を斬り飛ばした。

 左から襲い来る敵を、軽く振り上げた白の刃で縦に両断。ひらりとステップを踏んで右から迫る敵の胴を薙ぎ払う。

 突き出される槍を粉砕し、身をひるがえして、覆い被さるように襲い掛かって来た騎士の首を飛ばす。

 鮮血が舞う。

 赤の軌跡を引く白の剣を振り、スカートを翻し、敵兵を倒す。髪が翻り、剣の緒がくるくると舞う。

 次から次へと襲い来る敵を、私は淡々と斬り伏せていった。

「お、おのれっ!」

 大剣を構えた巨漢の騎士が私の前に立ちはだかる。他よりも立派な鎧だ。

 真正面から唸りを上げて振り下ろされる巨漢の騎士の大剣。その刃を白の剣で受け止めると、すっと何の抵抗もなく大剣は2つに断ち切られた。

「馬鹿なっ……」

 唖然とする黒の騎士。

 私は袈裟掛け振り下ろした剣で、その巨漢の騎士を鎧ごと両断した。

 白く輝く刃の私の剣は、アーフィリルが示した通り、敵の剣も鎧も体もまるで紙の様に滑らかに斬り捨ててしまう。

 ふむ。

 大したものだなと思う。

「があああっ!」

 獣の様な咆哮を上げて、さらに敵の騎士が斬り込んで来る。

 槍が突き出される。剣が振り下ろされる。

 しかし私は、時にはその武器ごと、時には数人まとめて、そのことごとくを一刀のもとに斬り伏せた。

 剣を振り、ステップを踏む毎にスカートがひらりと舞い、白の光を放つ髪が弧を描く。

 真紅の血がそれに合わせて広がり、屍の山が積み上がって行く。

 赤と白の軌跡を描きながら、私は帝国軍の部隊を切り裂いて、前へと進んだ。

 鎧の上から一突きにした騎士が崩れ落ちる。

 私は引き抜いた剣に付いた血をさっと払った。

 これだけ敵を倒しても、私のドレスも鎧も純白のままだった。

 見えない壁が、返り血から私を守ってくれているのだ。

 アーフィリルが、その障壁を制御してくれている。

「く、くっ……」

「な、何だあれはっ!」

 帝国兵の間から動揺の声が上がる。

 槍を構えた兵士たちは明らかに狼狽し、顔をひきつらせていた。最早逃げ腰状態で、私の歩みに合わせてじりじりと後退している。

「ひ、怯むな! 進め、おらっ、下がるな!」

 敵指揮官が絶叫しているのが聞こえた。

「行くぞ、女っ! 死ね!」

 敵騎士がさらに斬り掛かってくる。やはり騎士は、未だ戦意を失っていない様だ。

 私は一撃でその騎士を斬り捨てると、カツカツと踵を鳴らして歩みを進めた。

「ば、馬鹿な……この私が……」

 防御の為に掲げられた剣ごと斬り捨てた騎士が、呻きながら倒れた。

 戦意はあっても、その程度では私を止められない。

 私は目を細めってキッと前方を睨んだ。

 薄くなった敵の隊列の向こうに、口髭の指揮官が見えて来た。

 髭の指揮官殿と目が合う。

 見つけた。

 私は、ふっと微笑む。

 その瞬間、指揮官殿の兜の下の顔がさっと青ざめるのがわかった。

「も、もういい! 殺せ! 撃ち殺せ!」

 隊長殿が叫ぶ。

「了解っ! 全隊銃構えぇっ! 射線開けろっ!」

 隊長殿の指示を受け、副隊長らしき騎士が腕を振り上げて叫んだ。

 私の周囲に残っていたまだ動ける兵たちが、転げる様に散開する。

 その向こうに現れたのは、2列2段で銃を構えた帝国兵たちの隊列だった。

 私は、ちらりとそちらに視線を送る。

「狙え! 斉射3連……放てぇぇ!」

 副隊長が絶叫と共に腕を振り下ろした。

 銃声が轟く。

 まるで雷が落ちたかの様な轟音が、山中に響き渡った。

 発砲炎が煌めき、白い煙がもうもうと吹き上がる。

「斉射っ!放て!」

 号令が連続する。

 それに合わせてさらに白煙が上がり、銃声が響き渡った。

 無数の銃弾が私の周囲の地面を削る。そして私の周りに横たわる帝国兵たちをも撃ち抜いた。

『害意性接触を確認。自動防御展開中』

 アーフィリルの冷静な声が私の中に響く。

 私へ直撃する筈だった弾丸は、全て空中で停止していた。

 私の眼前で。

 アーフィリルが制御する不可視の防壁に阻まれて。

 私が一瞥すると、その弾丸はバラバラと地面に落ちた。

「馬鹿な……」

「有り得んっ!」

 帝国軍がどよめく。

 その動揺は、既に帝国軍部隊全体に広がっていた。

 後退りする者が目立ち始め、中にはあからさまに逃げ出そうとする者の姿も見て取れた。

 私は僅かに眉をひそめる。

 見苦しい。

 決して認める事は出来ないが、帝国軍にも与えられた任務というものがある筈だ。

 命を賭してそれに従うのが兵士であり、騎士の在り方だろうに。

 私はぶんっと剣を振ると、歩みを再開させた。

「狼狽えるな、馬鹿者! あの女はエーレスタお決まり戦技スキルを使用しただけだ! 機獣隊前へ! フレイズ抗術弾発射だっ! 術式封印フィールドを展開してあの女を閉じ込めろ!」

 じりじりと後退する敵の隊長殿が、手にした剣を振り上げて叫んだ。

 聞き慣れない単語だ。

 私は僅かに首を傾げる。

「し、しかし隊長。フレイズ弾は秘匿兵器です。今はまだ参謀部の許可なしに使用は……」

「馬鹿か、お前はっ! 今撃たずして何時使うのだっ!」

 副官の制止を振り切り、顔を真っ赤にした隊長殿が唾を飛ばして声を張り上げた。

 ズシンと足音が響く。

 隊長殿の指示により、全身金属の獣が一斉にその頭を私に向けた。

 私は立ち止まり周囲の様子を窺う。

 帝国軍の動きに脅威を感じたという訳ではない。

 あの金属の塊の牡牛も含め、帝国軍が仕掛けようとしている事に興味があったのだ。

 個人の戦技スキルに重きを置くエーレスタ騎士団とは違い、帝国軍は魔晶石や魔素を誰でも扱える兵器に加工して利用している。

 例えば銃などだ。

 スキルは使いこなせば強力だが、扱う人間の技量や適性により、同じ魔晶石を用いてもその効果に差異が生じてしまう。しかし、砕いた魔晶石を利用した銃ならば、誰が撃っても威力は同じだ。

 オルギスラ帝国は、個人の資質によるところの大きいスキルよりも、機械化された均一な戦力を重視しているのだ。

 そのためオルギスラ帝国は、魔晶石を利用した工業力では大陸一と謳われていた。

 それでも今までは、帝国の兵器よりもスキルを操るエーレスタの騎士の方が強いといわれてきた。現にマリアの村の戦闘でも、帝国の銃は我々に効かなかった。

 しかし帝国軍も、何の勝算もなく他国に攻め入ったりはしないだろう。

 帝国軍がエーレスタに侵攻するならば、対エーレスタ戦闘に関して何かしらの切り札がある筈だ。

 連射が可能な銃がまさかそれではあるまいし、きっと何か新しい兵器を作り上げているのだろう。

 ここでそれを見定めるのも重要だ。

 私を遠巻きに取り囲んでいる金属の獣は、シュッと煙を吐き出して姿勢を低くした。そして短い炸裂音を響かせ、何かを頭上へと打ち出した。

 私は夜空を見上げる。

 また銃撃かと思ったが、金属の獣が放ったそれは、木々を超えて空高くまで昇ると、そこでぼんっと弾けた。

 その瞬間、白くて細かい何かが空中にまき散らされる。まるで祭りの花火の様だ。

 キラキラと広がった白の破片は、あっというまに夜空に溶けて広がり、肉眼では捉えられなくなってしまった。

 それが4発。

 雄牛の数だけ打ち上げられる。

 私は僅かに首を傾げた。

「アーフィリル。帝国軍が仕掛けた事、わかる?」

 私は自分の中の白竜に問い掛けてみる。

『この場所全体に、魔素の展開を阻害する微弱な波動が広がるのを感知した。強さの異なる魔素が、無数にばらまかれいる様だ。ふむ、面白いな。これでは他の生物の体内魔素に影響が出るやもしれん。なるほど、なるほど。やはり人間とは観察に値するものだ』

 アーフィリルが即座に答えてくれる。饒舌に説明してくれるその声は、少し弾んでいる様だった。

 魔素を阻害する。

 なるほど。

 やはりこれが、帝国軍のエーレスタ対策という訳だ。

「ふっ、はははははっ! いいぞ。これであの女はもうスキルを使えない。丸裸だ!」

 口髭の指揮官が甲高い笑い声を上げた。

 魔素の流れを妨害し、スキルの発動を乱す。

 確かにこれならば、騎兵突撃するエーレスタ騎士団は、新式の銃の餌食になってしまうだろう。

 副隊長の号令のもと、各小隊長たちが口々に銃構えの号令を発した。

 やはり、私の予想通りという訳だ

 ガチャリと音を立て、横隊を組んだ帝国軍が一斉に銃を構える。兵を束ねようと各級指揮官の騎士たちが、声を張り上げた。

「横隊! 列を乱すな!」

「今度こそ仕留めろっ!」

「構え、構えっ!」

 私はふわりとスカートを翻し、並ぶ銃口に向き直った。

 そして。

「放てっ!」

 髭の総指揮官が絶叫する。

 その瞬間。

 再び銃声が轟いた。

 そして、さらに発砲は続く。

 轟音が繰り返す。

 沸き立つ雲の様に膨らんだ白煙が、私を包み込む。

「やったか!」

「ざまぁみやがれっ!」

「おおおお!」

「オルギスラ帝国、万歳!」

 白煙の向こうから、帝国兵たちの歓声が聞こえて来た。

 障壁のスキルを無効化された上でこの火力を叩き込まれれば、確かに脅威だ。

 私は視線を落とし、目の前で停止する無数の銃弾を一瞥した。

 しかし。

 私には通じない。

「アーフィリル。何か問題は?」

 私はふっと息を吐き、胸の内の竜に静かに問い掛けた。

 空中に停止していた銃弾がバラバラと地面に落ちた。

『ない。展開されている魔素の量が小さすぎる。これでは我には干渉できない』

 白煙が晴れていく。

 まぁ、当然だ。

 私は小さく頷き、カツリと一歩を踏み出した。

 さっと涼やかな夜風が吹き抜ける。

 光の粒を放つ私の髪がさらりと揺れ、ドレスの裾が微かにはためいた。

 その夜風が、銃撃の白煙も一緒に吹き散らしていく。

 目の前に、歓声を上げる帝国軍の姿が現れる。

 そして帝国軍からも、白煙の向こうから現れる私の姿が見えた瞬間。

 歓声が消え、静寂が戻った。

 帝国軍が凍り付いた様に固まってしまった。

「馬鹿な……」

 髭の指揮官殿が目を見開いている。

 顎が外れた様にぽかんと口を開いたまま。

「あ、有り得ん……」

「我が軍の、最新鋭兵器が……」

「い、いったい何が……」

 私が一歩進む度に、先ほどまで帝国兵たちの間で沸き起こっていた歓声が、悲鳴と驚愕の声に変わり始めた。

「ば、化け物!」

 一部の者が戦列を逃げ出す。それに釣られる様にして帝国軍の隊列が乱れ始めた。

「く、来るなっ!」

「撃て、撃ちまくれ!」

「馬鹿者っ! 発砲を控えよ! 味方を撃つ気か!」

 逃げ出すもの。指揮官の命に従わず、個別に攻撃を仕掛けて来る者。そのまま呆然として固まっている者。

 反応は様々だったが、そこには既に、整然とした軍隊の姿はなかった。2度目の銃撃を無効化した時点で、目の前の集団は完全に混乱状態に陥っていた。

 脆いものだ。

 私はその光景を冷ややかに見据える。

 同時に、胸の奥にふつふつと静かな怒りが降り積もっていく。

 それは、この程度の者たちにマリアや領民たちが苦しめられた事への怒り。エーレスタの領土が踏みにじられ、守るべき竜をも傷つけられた事への怒りだ。

 そして、こんな者たちの侵入を防げず、多くの人々を守れなかった私たちエーレスタの騎士に対する怒りでもあった。

 私はキッと帝国軍を睨む。

「アーフィリル」

 小さく呟く。

『うむ』

「いくぞ」 

『セナの思うところを成すがよい』

 私の言葉に間を置かずアーフィリルが答えてくれる。

 私は小さく頷いた。

 そして、すっと白い剣を掲げた。

 その切っ先を、ぴたりと帝国兵たちに向けて。

「刃を持って他国に、エーレスタに攻め入って来た。そのお前たちならば、果てる覚悟などとうに出来ているだろう!」

 私は胸を張り、声を上げる。

 帝国兵たちが動きを止め、私を見た。

「さぁ、挑んで来るがいい! せめて騎士ならば、戦って果てろ! 私がその覚悟、見届けてやる!」

 私はそこで初めて、さっと剣を構えた。



 白く輝く刃が、夜闇に残光の軌跡を残す。

 最早隊列も上官の命令も関係なく、ばらばらに四方から襲い掛かってくる敵を、私は次々に斬り伏せていた。

 ドレスを翻し、ステップを踏みながら、剣を振る。

 剣緒がくるくると円を描く。

「そうこなくては」

 私はニヤリと口を歪め、薄く微笑む。

 そしてまた、次の敵を屠る。

 しかし向かって来る敵はほんの一部であり、殆どの兵たちは、恐慌状態に陥りながら私に背を向けて逃走し始めた。

 誇りも気概も感じられない、ただの敗走だ。

 夜の山中は、混乱と悲鳴と怒声に包まれていた。戦う者の声。他者を押しのけて逃げる者の声だ。

 右手から黒の鎧の重装騎士が斬り掛かって来る。

 飛来した銃弾が、私の障壁に阻まれ、ぴたりと止まる。

 銃弾は無視して、私は襲い来る騎士を横薙で両断した。

 剣の血をさっと振り払う。

『セナ。広範囲の制圧ならば、単純に薙払えばいい』

「わかった」

 アーフィリルの助言に、私はこくりと頷いた。

 逃げる敵を背中から斬ってもしょうがない。正面から挑んで来るならば、剣を合わせるけれど。

 私はすっと左手を持ち上げて、押し合いながら我先に逃げようとしている帝国兵の一団を指差した。

『収束』

 アーフィリルが力を制御してくれる。

 私が意識を集中させると、その帝国軍の周囲に白い光の球が浮かび上がった。

 帝国兵が悲鳴を上げ、その球に武器を向ける。

 しかし等間隔に3つ並んだその球は、みるみる内に膨れ上がる。

 その中に押し込められたエネルギーが、スパークとなって弾けた。

 挑み掛かって来る敵騎士を斬り伏せながら、私はその球を横目で見ると、ぽつりと小さく呟いた。

「爆ぜろ」

 その瞬間。

 光が炸裂する。

 夜を昼に変えてしまうかの様な閃光が、周囲を包み込む。

 そして、白の球が爆裂した。

 帝国軍の銃声など比較にならない爆音が轟く。

 衝撃が大地を揺さぶる。

 まるで山全体が打ち震えている様だ。

 熱が大地を溶かし、衝撃波が帝国兵ごと全てを吹き飛ばす。

 その衝撃波を受けて周囲の木々が大きく揺れた。私の長い髪やスカートも、激しく揺さぶられた。

 閃光が収束する。

 その後に残されたのは、無惨にえぐられた大地だけだった。

『続いて自動照準。同時制御』

「了解。展開開始」

 アーフィリルが力の使い方を示してくれる。

 私は剣を握っていない方の手をさっと振った。

 騎兵を先頭に背を向けて逃げていく帝国軍の部隊に向けて。

 私が指し示した方向、その帝国軍の頭上に、再び白の光点が現れた。

 今度は先ほどよりも遥かに小さい。拳程の大きさだ。

 しかしその数は、一息では数えられない程だった。

 白光が、引きつる帝国兵の顔を照らし出した。

 私はふっと息を吐き、命令を下す。

「殲滅」

 光が降り注ぐ。

 空中の光球から放たれた白の光の柱が、次々と敵を打ち貫いていく。

 悲鳴が上がる。

 帝国兵が逃げ惑う。

 中には銃で白の球を狙う者もいたが、当然その程度の攻撃で打ち消せる様なエネルギー量ではない。

 盾も鎧も関係ない。

 兵も騎士も指揮官も関係ない。

 降り注ぐ光が、容赦なく問答無用で帝国軍を貫いていった。

 金属の固まりの牡牛も、その一体が同時に5本の光の柱に撃ち貫かれ、地響きを上げて崩れ落ちた。

 その巨大から煙が吹き上がったかと思うと、ぼんっと炎が吹き上がり爆発が起こる。

「ば、化け物め……」

 光に腕を貫かれながらも、何とかその効果範囲から逃れて来た騎士が、崩れ落ちる様に膝を突き、私を見上げた。

 その騎士が逃れて来た場所。

 それは、私の目の前だった。

「つ、終の花は、白だったか……」

 私を見上げる騎士が、ぽつりと何かを呟いた。

 私はすっと目を細め、その騎士を見下ろす。

 そして、無造作に剣を振り下ろした。

「た、隊長はご無事か? どこにいらっしゃるんだ?」

 顔を上げる。

 副隊長の騎士が、頭から血を流しながら叫んでいるのが見えた。

 新たな敵騎士を斬り伏せ、木々の中に逃げ込もうとする敵集団に光球を放ってから、私はその副隊長の方へと歩き出した。

 副隊長の騎士と目が合う。

「くっ、何をしている、機獣隊! あの女を、あの化け物をさっさと踏み潰せ!」

 兜の下の顔をひきつらせる副隊長。

 残った機獣隊が私に向かって、金属の擦れる様な低い唸り声を上げた。

 そして、猛然と突進を開始する。

 倒れた兵や逃げ惑う味方をも跳ね飛ばし、金属の塊の牡牛が地響きを上げて突撃して来る。

 鈍重そうな姿なのに、意外と俊敏な動きだ。

 鬣の様に首から生えた鋭い突起を私に向けて、3方向から機獣が迫る。

 巨体が槍の様な突起を振りかざし迫る姿は、中々迫力があった。

 面白い。

 私は口元に笑みを浮かべる。

 ふっと息を吐き、私は迫る機獣の1体へと踏み出した。

 眼前に迫る巨体。

 その突起の先端が触れる直前で、私はひらりと身を翻した。

 同時に、その側面に白の刃を突き立てる。

 分厚い装甲に対しても何の抵抗もなく、すっと白く輝く刃が突き立った。

 そのまま敵の突進力を利用し、私は機獣を上下二つに斬り裂いた。

 機獣の突進の風圧が、私の髪をはらりと揺らす。

 ズシンと背後で地響きがする。

 斬られた機獣が崩れ落ちた。

 血は、出ないのか。

 ふとそんな事を思う。

 私は、しかしそこで動きを止めず、体を捻りながら右へ跳んだ。

 ふわりとスカートを広げて着地した瞬間。

 先ほどまでいた場所にもう一体の機獣が突進して来た。

 既にそこに私はいないが、巨大な質量を直ぐに止める事は出来ないだろう。

 私の眼前には、無防備な機獣の横腹が晒された。

 剣を振り上げ、私は大岩の様なその巨体を両断する。

 そこに、銃声の様な炸裂音が響いた。

 私はさっと跳躍する。

 見下ろす先に、最後の一体となった機獣が足を踏ん張って身を低くしているのが見えた。

 その首もとから生えていた馬上槍の様な突起が、私が斬り倒した仲間の残骸に突き刺さっていた。

 先ほどの炸裂音は、あの突起を撃ち出した音の様だ。

 飛ぶのか、あれ。

 色々な機能があって凄いと思わず感心してしまう。

 空中で一回転した私は、カツリと踵を鳴らして着地した。

 鬣を撃ち出した最後の機獣の隣に。

 片手で剣を振り上げる。

 その一刀で、私は機獣の首を落とした。

 地響きを上げて機獣が崩れ落ちる中、剣を下に向けた私は副隊長に向き直った。

 背後で、斬り伏せた機獣たちがほぼ同時に炎を吹き上げて爆発する。

 近くで爆発が起こったのにも関わらず、熱も衝撃も感じない。アーフィリルが守ってくれているのだ。

 炎の煌めきが、白い私のドレスを赤く照らし出した。

「た、隊長! くそっ! あの野郎、どこに行きやがった!」

 副隊長の騎士が悪態をつきながら剣を構えた。

「は、話が違う! そう、違うんだ! 竜を捕まえて、貴族のボンボンの部隊を捻り潰して、後は村を焼き払うだけだって聞いていたのに!」

 副隊長の剣先はカタカタと震えていた。

「それがお前たちの部隊の目的という訳か」

 私はふっと副隊長に微笑み掛けた。

「くそっ、がああああっ!」

 副隊長の騎士は、絶叫を上げながら私に斬り掛かって来た。

 副隊長を斬り伏せてから間を置かず、戦闘は終結した。

 静寂を取り戻した夜の山中に既に動くものは何もなく、ただ白い私だけがそこに立っていた。

 私はふっと息を吐く。

 そして、白の剣をすっと手放した。

 私の手から離れた途端刃の光を失った剣は、地面に落ちる前に溶ける様にして消滅してしまった。

 さて、次だ。

 結局髭の隊長殿を捕える事が出来なかった。もしかしたらどさくさに紛れて吹き飛ばしてしまったのかもしれない。

 しかし色々と情報は得られた。

 あとは、他にもエーレスタ領に侵入して来た帝国軍がいるならば、見つけ出して殲滅する。今のが全てならば、このまま北上し、第2大隊や第4大隊が対峙しているであろうオルギスラ帝国軍に向かうまでだ。

 馬なら数日の距離でも、今の私なら何ら問題ない。

 まずは山を下り、バーデルやオーズと合流しなければならない。それに、マリアの安否も確かめなければ。

 微笑む。

 争いを生み出す元凶は、私が潰してやる。

 この手で。

 私はカツカツと踵を鳴らし、歩き始めた。

『待て、セナよ』

 しかしそこへ、アーフィリルの声が響いた。

「何?」

 歩きながら返事をする。

 その瞬間。不意に私の体から、アーフィリルがふっと離れるのを感じた。

「うっ」

 それと同時に、激しい目眩に襲われる。

 私の体を包んでいた白の鎧とドレスが、弾ける様に砕けた。そして光となって消えてしまう。光を放っていた長い髪も、その輝きを失い、溶ける様に消えてしまった。

「これは……」

 ぽつりと呟いたその声は、子供の様に高かった。

 聞き慣れた私の声だ。

 ううっ……。

 私、いったい……。

 顔を押さえながら周囲を見回そうとして、しかしふらふらとよろめいた私は、ぺたりとその場に座り込んでしまった。

 うぐぐぐ……。

 か、体中が痛い。

 まるで全身がトレーニングの後の筋肉痛みたいだ。それに体を包み込む強い疲労感のせいで、脚に力が入らなかった。

 立ち上がれない。

 そこに急激な眠気が襲い掛かって来る。

 あっという間に私は、瞼を開けている事が出来なくなってしまった。頭の中が、霞が掛かった様に急速にぼやけていく。

「あれ……アーフィリ……ル……?」

 その眠気に抗う事は出来ず、座っているのも辛くなって、私はそのままこてっと倒れてしまった。

 意識がなくなる直前。

 私は何かふわふわと柔らかなものに包み込まれた様な気がした。



 はっと目を開けた瞬間、辺りは既に明るくなっていた。

 ……私、眠ってしまっていたのだろうか。

 体感的には一瞬の事だったけど。

 目を閉じて、開いた次の瞬間にはもう朝だった。

 何で……。

 どれくらい……。

 状況を把握しようとしても、目覚めたばかりの私の頭がついていけない。

 うう……。

 未だしょぼしょぼする目を擦って、私は体を起こした。

 一瞬、実家の自分の部屋に戻って来たのかと思ってしまう。

 私を包み込んでくれていた白い柔らかな羽毛からは、お母さんが干してくれたお布団の匂いがしたから。

 体が重い。できれば、もう少し寝ていたい。

 それに、全身が痛い……。

「そうだ……」

 その痛みで、私は現在の状況を何とか思い出した。

 私は夜の山の中でオルギスラ帝国に出会い、そして白い羽の竜、アーフィリルに出会った。そのアーフィリルの力を借りた私は帝国軍と戦って……。

 自分の体を見る。

 胸はいつも通りほぼぺったんこだった。ほぼ……。

 手足もお腹も、概ね制服のサイズにあっている。リボンで結んだ髪も、触れてみるといつもと変わらない長さだった。視界に入る髪の色も、平凡な茶色だ。

 しかし。

 制服の胸元はボタンがなくなり裂けていたし、袖口も敗れてしまってた。上衣もあちこちが裂け、何だか全体的にダボダボになってしまっていた。

 やはり、私の体が大きくなっていたんだ……。

『セナ』

 頭の中に低い声が響く。

 私は、はっとして振り返った。

 そこには、小山の様に大きな竜が横たわっていた。朝日を受けてその白い羽が、キラキラと輝いていた。

「アーフィリル……」

 私はアーフィリルの腕の中で眠ってしまっていたみたいだ。

 アーフィリルが潤んだ緑の瞳をそっと細めた。そして、その大きな鼻を私にぐいぐい押し付けてくる。

『体はどうだ?』

「ああ、うん。大丈夫……だと思う」

 私はアーフィリルの顔を撫でながら、頷いた。

『セナの意志を歪めて申し訳なかった。しかし初めての我との接続だったのでな。セナの体の負担を考慮して、あれまでと断じたのだ』

 ……そうだ。

 私は、アーフィリルと1つになっていたのだ。それで帝国軍を倒して……。

 はっとする。

 私の意志……。

 ……帝国軍の駆逐。

 私は痛む体に顔をしかめながら、アーフィリルの腕からぴょんと飛び降りた。そして、小走りに大きなアーフィリルの体の後ろに回り込んだ。

 そして息を呑む。

 私の目の前には、壮絶な戦闘の跡が残されていた。

 アーフィリルが最初に座っていた石の遺跡からここまで、延々と戦いの跡が残されていた。

 大穴の空いた大地。未だくすぶっている機獣の残骸。そして無数の帝国軍の亡骸。血溜まり……。

 目を見開いたまま、私は震えた。

 冷水を浴びせられたように背筋がすっと冷たくなった。

 これを私が……。

 全身が震える。

 顔から血の気が引く。

 こんな悲惨な光景を、私が作り出してしまった……。

 足元がぐらりと揺れた。

 私は思わず、数歩後退ってしまった。

 不意に、つっと一筋の涙が頬を伝い落ちる。

 アーフィリルと一緒に戦っていた時は、何も感じなかった。

 あの時の私にあったのは、怒りだけだった。

 不甲斐ない敵と自分への……。

 しかし今は、言いようのない複雑な気持ちが胸の中に渦巻いていた。頭の中もぐちゃぐちゃに、色々な感情が入り混じっている。

 帝国軍は私たちの国に押し入り、マリアちゃんや村人さん達に酷いことをした。彼らの仇を取り、さらなる被害を出さない為にも帝国軍と戦う事は大事な事だ。

 ……何せ、私はエーレスタの騎士なのだから。

 でも……。

 戦いの最中、戦意を無くして逃げようとする敵を倒す事は正しい事だったのだろうか。

 くっ。

 唇を噛み締める。

 敵は、私の降伏勧告に従わなかったではないか。

 ……でも。

 やっぱりそれでも……。

 やはり目の前に広がる光景は衝撃的だった。

 心が痛い。

 私は胸をぎゅっと抑えた。

 わ、私は……。

『セナ。何故泣いている?』

 身を起こしたアーフィリルが、私の隣に並んだ。

『セナは自らの敵を討った。それが何故悲しい』

 アーフィリルの声は、詰問しているというより、むしろ優しい響きがあった。まるで私を落ち着かせようとしてくれている様な。

『セナは弱きものを守ろうとしているのだろう。それは後悔する様な事か?』

 私は、はっとしてアーフィリルを見上げた。

 ……違う。

 オルギスラ帝国軍を放置してはいけない。

 その為に私は戦ったのだ。

 それに、これからも戦う。

 1人でも多くの人々を、戦禍から守るために。

 その為に私は、騎士になったのだから。

 オルギスラ帝国が戦争を仕掛けてくるというなら、戦わなくてはならない。そのためならば、こんな所で立ち止まっていてはダメなのだ。

 ……強くならなくちゃ。

 私は唇を噛み締め、顔を上げた。

 破れた袖で、ごしごしと顔を擦って涙を拭いた。

 衝撃的な光景に取り乱して一々混乱している様では、まだまだ1人前の騎士とはいえない。

 私は背けたくなる衝動を抑え、じっと目の前の光景を見詰めた。

 私が成した事。

 それをきちんと受け入れなければ。

 それがこの場に立つ私の義務なのだ。

 この光景を、私は心に刻み込む。

「……ありがとう。もう大丈夫」

 私は大きなアーフィリルの優しい目を見つめる。

「行こう、アーフィリル。マリアちゃんやオーズさんたちと合流しなくちゃ」

 私は踵を返し、朝日に向かって歩き始めた。

 アーフィリルに力を借りても、それを振う私の心が弱くてはダメなのだ。

 心も、もっと強くならなければ。

 もっと、もっと……。

 私は握り締めた手にそっと力を込めた。


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