第6幕
オルギスラ帝国の名前を聞いて、集まった先輩騎士たちの間にも動揺が広がった。
ざわざわと周囲が騒がしくなる。
こんな場所で帝国軍に遭遇するなんて、誰が予想出来ただろうか。
私は峠の向こう、立ち昇る黒煙を見上げてきゅっと眉をひそめた。
……でも。
今、あそこで襲われている人たちがいるならば、逃げる訳にはいかない。
騎士として、ここで引いてはいけない。こんな時の為に、私たちの剣はあるのだから……!
オルギスラ帝国軍発見の衝撃から何とか立ち直った私は、ぎゅっと手綱を握り締めてバーデル隊長の姿を探した。
あれ、隊長は……?
周囲の先輩方は、斥候を務めたハイネマン先輩に詰め寄り、より詳しい状況を聞き出そうとしていた。
「おい、本当に間違いないのか!」
「敵国の装備を見間違うものか!」
「しかし、何故帝国が……」
「奴ら、堂々と帝国軍の旗まで掲げてやがった……。くそっ!」
口々に声を上げながら浮き足立つ先輩たちを余所に、バーデル隊長はみんなの輪から少し離れた場所にいた。
動揺した風もなく、前方をじっと睨み付けている隊長。
その口元には、ニヤリと不敵な笑みが浮かんでいた。
笑っている……?
「バーデルさま……」
やや青ざめた顔のレーナさまが、そのバーデル隊長の隣に馬を寄せた。
「なぁ、レーナ。あの男の言を信じて良かっただろ?」
してやったりという風に、笑みを浮かべたままレーナさまを見るバーデル隊長。
「これは千載一遇のチャンスだ。我らが戦功を上げる、絶好のな」
「はっ」
レーナさまが小さく頷くのが見えた。
「では、やるぞ。ハイネマン! 敵の規模はどうだった!」
バーデル隊長は、レーナさまに目配せしてから声を上げた。
良く通る大音声が響く。
みんなが一斉に振り返り、バーデル隊長を見た。
バーデル隊長?
「はっ! 村の外に騎兵が10。銃を装備した歩兵が20ほど見受けられました。どうやら村を焼き払っている最中の様なので、村内にはもう幾らかはいるかと思われます!」
私たちより数が少ない。小隊規模か。
しかし……。
私はギリっと奥歯を噛み締めた。
何の罪もない、戦略的価値などもちろんあろう筈もないこんな小さな村を焼き払うなんて、そんな非道、許されるはずがない……!
湧き上がる怒りで、目の前が真っ赤になる。
私はぎゅむっと唇を噛み締めた。
「隊長! やりましょう!」
「オルギスラ帝国など粉砕してやるわっ!」
「おのれ、帝国め!」
「帝国の愚か者に報いを!」
帝国の非道に、先輩方も口々に勇ましい声を上げた。
闘志のこもった眼差しをバーデル隊長に向ける先輩騎士たち。私も負けじと、むんっと真っ直ぐに隊長を見つめた。
そんな周囲の騎士たちをゆっくりと見回してから、バーデル隊長は満足そうに大きく頷いた。
「よし、諸君。良くぞ言った」
そしてニヤリと口元を歪める。それは、獰猛な笑みだった。
「これより我が隊は、エーレスタ領に入り込んだオルギスラ帝国軍を粉砕する! 突撃陣形だ! 武器を構えよ! 奴らに我らが力、見せ付けてやれ!」
バーデル隊長が、がっと吼えた。
「「おおおおっ!」」
一拍遅れて、周囲の騎士たちも、拳を突き上げて咆哮を上げる。怒りと緊張で頬を紅潮させた私も、うんと力を込めて大きく頷いた。
胸がトクントクンと鳴っている。
……戦闘だ。
私、緊張している。
でも……!
村人さんたちを守る為なら、怖くなんてない!
「それでは作戦を説明します」
バーデル隊長の脇から、今度はレーナ副隊長が一歩前に進み出た。眼鏡をくいっと押し上げて、副隊長は詳細な作戦指示を始めた。
「右へ!」
先頭を行くバーデル隊長が、剣を振りかざして進路を指し示しめす。
激しく轟く馬蹄の音の中でも、良く通る隊長の声は明確に聞き取る事が出来た。
紡錘陣形を維持しつつ疾駆する私たちバーデル隊の騎兵部隊は、総勢20騎。
密集しながら高速で駆け抜ける隊は、まるで1つの生き物の様に一斉に右方向へと進路を変える。
草原から森林の中へ。
土を蹴り上げ、地響きを上げ、私たちは目標の村へ向かって突撃する。
「怯むな! 速度を維持せよ!」
バーデル隊長の指示に、私はぎゅと手綱を握り直した。
吹き付ける風に髪をなびかせながら、私は前方を睨みつける。
今頃は、村を見下ろす峠の上に布陣したレーナ副隊長が、残りの騎兵と歩兵隊を率いて第一波攻撃を仕掛けている筈だ。
初手は弓兵隊による牽制射撃。
地の利を生かし、高台からの射撃で帝国軍の注意を引いてくれている筈だ。
その隙に私たち騎兵隊は、草原と峠を迂回して村の側面に回り込む。騎兵の機動力を生かし、レーナ副隊長側に気を取られている帝国軍の背面から本命の突撃を仕掛けるのだ。
「隊形を維持せよ! 速度を落とすな!」
先頭を行くバーデル隊長が再び声を上げた。
林の中は、もちろん走りやすい地形ではなかった。しかしそれでも、部隊は速度を緩めない。
枝葉を張る太い木々を巧みにかわしつつ、全員が一体となって林の中を駆け抜ける。
激しくマントをはためかせ、馬蹄を轟かせ、騎士隊が林の中を通過する。
「前方、倒木注意!」
「注意!」
前衛から出された注意が、素早く後方にも伝えられていく。
私も手綱を操作し、ひょいっと倒木を回避した。
第3大隊の騎士たちは、実戦経験はないかもしれないが、決して練度で劣る訳ではない。
私は片手で抱えた槍をぎゅっと握り直す。
これならいける……!
帝国軍なんて、直ぐに撃退してやるんだから!
リボンで結った髪が、背中で激しく揺れていた。
風を孕んだマントも、激しくたなびいている。
周囲の木々が高速で後方へと流れて行く。
前方に意識を集中する。
はっ、はっ、はっ……。
自分の呼吸音が、やけに大きく聞こえる気がした。
光が見える。
前方。
林が……切れる!
同時に、ふわりと何かが焼ける匂いが鼻を突いた。
くっ。
……村が、焼かれているのだ。
「総員、構え!」
バーデル隊長が先頭で剣を振り上げた。
「三方へ散開! 村の中を駆け抜けつつ、敵背面より突撃する!」
「「了解!」」
馬蹄の響きに負けず、先輩方も私も声を上げる。
「立ち止まるな! 敵を崩し、そのまま駆け抜ける! 速度を維持せよ!」
林が終わる。
馬蹄が轟く。
眩い夏の日差しの中、目的の村が眼前に現れた。
20戸ほどだろうか。
竜山連峰に繋がる森の中。畑に囲まれた開けた土地に、木製の簡素な家々が集まっていた。
防衛の為の堀や壁などはなく、村の中央を先ほどまで私たちが辿っていた街道が貫いている。
家々の中心には教会と思われる背の高い建物があり、その近くにある比較的大きな建物が、激しい炎を吹き上げているのが見えた。
他にも、村の各所から火の手が上がっている様だ。
……帝国軍め!
「総員突撃! オルギスラ帝国軍を撃滅する!」
バーデル隊長が咆哮を上げた。
林を駆け抜けた勢いもそのままに、私たちは村へと突入する。
家々を避ける様に、騎兵隊は3つに別れた。
村の中央を駆け抜ける本隊。右側面、左側面から回り込む部隊だ。
私は進路を右に取り、右側面から村に入る。
破壊された荷馬車。崩された藁束。打ち壊された家屋。散乱した様々な生活道具。そして倒れている人……。
その周囲には血溜まりが出来ている。
……くっ。
眉をひそめる。
「何て事をっ!」
私は思わず声を上げ、唇を噛み締めた。
その時。
建物の陰から、不意に黒い鎧が飛び出して来た。
はっと息を呑む。
敵……!
村内に残っていたオルギスラ帝国兵だ!
「て、敵襲!」
帝国兵は、驚愕に顔を歪めながらも引き攣った声を上げた。そして、手にしていた長い筒を振り上げた。
銃だ。
粉末にした魔晶石を媒介にして弾丸を飛ばす遠距離武器。エーレスタ騎士団ではほとんど用いられないが、オルギスラ帝国軍では広く使用されていると習った事がある。
しかしその帝国兵が引き金を引くより早く。
「はっ!」
一気に加速して距離を詰めた先輩騎士が、猛然と槍を突き出した。
「おおおっ!」
騎兵突撃の勢いを乗せた一撃が、帝国兵を貫く。そしてその体を、易々と吹き飛ばした。
「消えろ! 帝国兵め!」
先輩が叫んだ。
……さすが!
先輩、凄い!
「前方、敵集団!」
別の先輩が槍で前を指し示した。
小さな村だ。
スピードに乗った騎兵隊は、あっという間に村を縦断し、通り抜けてしまう。
そして、私たちの前に現れたのは、街道を塞ぐ様に横に広く隊列を組んだ黒衣の敵集団。
オルギスラ帝国軍だ。
帝国軍は、こちらに背を向けていた。村を背に、前方の峠に布陣するレーナ副隊長の部隊に対しているのだ。
騎馬突撃の轟音と村内での戦闘音から、帝国軍は既にこちらの存在に気が付いていた。
しかし、後背を突かれた事による動揺は明らかだ。
完全にこちらには対応出来ていない。
村の出口で、三方から進出して来た味方が合流する。
「突撃! 行くぞ!」
中央の隊のバーデル隊長が叫んだ。
「おおおおっ!」
騎馬隊から気合いの声が上がる。
槍を構えた騎士たちが、猛然と突撃を仕掛ける。
「狼狽えるな! 構え! 一斉射で薙払え!」
しかし帝国軍も、そのまま大人しく蹂躙されてはくれなかった。
素早く立ち直った敵部隊の左翼が、こちらに向き直り隊列を組み直すと、一斉に銃を構えたのだ。
「撃てぇぇっ!」
羽根飾りを付けた兜の敵指揮官が、指揮杖を振りかざして絶叫する。
その瞬間。
騎兵突撃の轟音を打ち消す様な更なる大音響が轟いた。
私たちの眼前で、白煙がばっと広がった。
発砲。
銃声?
しかし……!
「障壁展開!」
前衛を行く先輩騎士たちが、戦技スキルを発動する。
弾丸と展開された障壁が激突する。
一瞬、白の閃光が周囲を満たした。
逸れた弾の幾つかが、地面をえぐり、土くれを吹き飛ばした。
しかし、倒れる騎士はいない。
立ち止まる騎士もいない。
戦技スキルの白い残光だけを残し、騎兵部隊は猛然と敵集団に襲い掛かる。
障壁の戦技スキル。
それは、鎧や盾に仕込まれた魔晶石を利用し、矢や弾丸の様な遠距離から高速で飛来する物体から身を守る戦技スキルだ。
エーレスタの騎士たちは、この戦技スキルが使用出来る防具を全員が標準装備している。
障壁を展開した重装騎兵が前面に展開。味方の盾となり、その隙に他の騎兵が突撃を仕掛ける。
それが、エーレスタ騎士団の得意とする騎兵突撃の戦術だった。
「う、狼狽えるな! 第2射……!」
敵指揮官が叫ぶ。
……連射!
私は思わずうっと唸った。
目の前の敵が、僅かな操作で2射目の構えを取った。
オルギスラの銃は、連射出来ないと習ったけど……。
でも!
その敵の抵抗も、遅すぎる。
既に私たちは、帝国兵に槍の届く距離まで踏み込んでいた。
行ける。
もうここは、私たちの距離だ!
「突撃!」
「うおおおっ!」
「やあああっ!」
装甲をまとった馬が、前足を振り上げる。
槍がぶんっと唸る。
騎兵たちが、次々に敵の隊列へと突き刺さった。
轟音。悲鳴。怒声。鎧のひしゃげる音。雄叫び。
刃がが空を切る音が響き、暴発した銃声が轟いた。
周囲は無慈悲な蹂躙の音に満たされる。
私も必死で馬を操りながら、突き出される敵の槍を打ち払い、自分の槍を振るう。
ぐぬっ。
かわされたっ!
敵との交錯は一瞬。
その一瞬の攻防で帝国兵の陣形をズタズタに引き裂いた私たちは、そのまま前方へと走り抜ける。
「反転! 再突撃! 隊列を組め!」
バーデル隊長が、血糊の付いた剣を振り上げて叫ぶのが見えた。
はぁ、はぁ、はぁ……。
息を乱しながら、私も馬首を回して振り返る。
再突撃するまでもなく、既に帝国軍は総崩れとなっていた。
こちらへ反撃する事もなく、黒の鎧の兵たちは四方に向かって無秩序に逃げ出し始めていた。
……勝った、のかな?
無我夢中での一瞬の攻防だったが、先輩方は十分な戦果を上げた様だ。
「よし、良くやったぞ、諸君!」
その帝国軍の様子に、バーデル隊長はにやりと口元を歪めた。そして、集結して来る配下の騎士たちをぐるりと見回した。
「ここからは追撃戦だ! 敵を逃がさず仕留めろ! ただし、数名は生け捕りにしておけ」
「「了解!」」
実戦の空気に目をギラつかせた先輩騎士たちが、馬の腹を蹴って早速再突撃していく。隊列を組んでの颯爽とした突撃ではなく、個々がバラバラに帝国の残存兵を追いかけ始めた。
バーデル隊長は満足そうにそれを見送ってから、ちらりと背後を見た。
私たちの背後の峠からは、レーナ副隊長が率いる陽動部隊が駆けて来るところだった。
私は槍の矛先を下ろしながら、ふうっと深く息を吐いた。
全身が少し震えていた。
騎兵隊の不意打ちを食らい、陣を食い破られ、敵は既に壊走状態にある。そこにレーナ副隊長たちの兵力が合流すれば、制圧は時間の問題だろう。
私は追撃戦には加わらない。
それよりも今は、他に大事な事がある。
はぁ、はぁ、はぁ……ふうっ。
私は呼吸を落ち着かせるための大きく深呼吸してから、さっと髪を掻き上げた。初陣の緊張のせいか、いつの間にすっかり汗だくになってしまっていた。
私は熱くなった顔をむんっと引き締めて、バーデル隊長に馬を近付けた。
「隊長、えっと、よろしいでしょうか」
「おお、カーライルか。お前も小さいのに良くやってくれたな! 偉いぞ!」
上機嫌に頷くバーデル隊長。
……ぬぬ、また子供みたいに。
まぁ、今は聞き流そう。
「……隊長。申し上げます。よろしければ、村人のみなさんの救助に向かってもいいでしょうか」
私はキッとバーデル隊長を見上げた。
帝国軍の駆逐も重要だが、あの村にはまだ傷付いている人がいるかもしれない。今手当すれば、助かる人もいるかもしれない。それに、怯えている人、子供だって、まだ残っているかもしれない。
一刻も早く火を消し、そんな人たちの救助に向かわなければ……!
そして、こんな悲惨な目にあった人たちに、少しでも早く安心してもらえたら……。
バーデル隊長は私の進言に、しかし意外な事を聞いたという風に少し驚いた様な顔をした。
「ん、ああ。そうだったな。しかし、帝国軍の追撃もあるしな」
バーデル隊長は、こちらにやって来るレーナ副隊長を一瞥した。
「敵はもう少し数がいると聞いているからな。これも、我らが叩かなくてはならない。我々が、だ」
血糊のついた剣を軽く振り、不敵な笑みを浮かべるバーデル隊長。
突撃前にちらりと聞いたやり取りもそうだったが、バーデル隊長は、誰かから事前にこんなエーレスタ領の奥深くに帝国軍がいるという事を聞いていたのだろうか。
只の警備任務に特別部隊を作ったり、最初から凄い気合の入り様だったのも、戦いがあるかもしれないとわかっていたからなのだろうか。
私は眉をひそめる。
確かに、敵がまだいるならこれを放置する事は出来ないが……。
「……オーズ隊の使用許可をいただければ、私とオーズさんたちで村の方々を救助したいと思います。そうすれば、隊の戦力はそのままです」
私は、上目遣いにバーデル隊長をむうっと睨み上げた。
今の突撃に際しても、オーズ隊は補給隊と共に後方待機を命じられていた。
バーデル隊長は、第2大隊の戦力であるオーズさんたちを使うつもりはない様だ。ならば、ここで村人のみなさんの支援にあたっても問題ないだろう。
「それに、帝国軍の追撃をされるなら、この村を一時拠点にされてはいかがでしょうか。もしかしたら、村人さんからも何か情報が得られるかもしれませんし」
私がそう付け加えると、バーデル隊長は隣に並んだレーナ副隊長と顔を見合わせた。
レーナ副隊長が頷くと、バーデル隊長も私を見て軽く頷いた。
「よし。いいだろう。何人か付けるから、村人から情報を引き出してみろ。帝国軍の本隊は必ずこの近くにいる筈だからな」
「ありがとうございます!」
私はぱっと微笑んだ。そしてバーデル隊長に敬礼すると、オーズさんたちのもとへと駆け出した。
……1人でも多く、一刻も早く、村人さんを安心させてあげたい。
私は速度を上げながら、ぎゅっと唇を噛み締めた。
撃破した帝国軍の撤退の手際は良く、結局先輩たちは、帝国兵の多くに逃げられてしまった様だった。それどころか反撃を受け、防御の間に合わなかった2名の騎士が銃弾を受けて倒れてしまった。
命に別状はなかったが、これにはバーデル隊長も憤慨した様子だった。
その後、これ以上の損害を危惧したバーデル隊長によって、追撃任務は日没と共に終了する事になった。
襲撃された村で野営した隊は、翌日改めて帝国軍の本隊の探索を再開した。
帝国がこの付近のエーレスタ領に侵入するには海からだと踏んだバーデル隊長は、部隊を率いて海岸線に至る方面へと出撃していった。
バーデル隊の士気は高かった。
「我々の力で敵を殲滅し、エーレスタに凱旋を果たす。その時には、諸君らは帝国の策動から故国を救った英雄となっているだろう!」
「おおおっ!」
出撃前のバーデル隊長の演説に、みんな拳を振り上げて雄叫びを上げていた。
帝国軍を追い払うのは先輩方に任せ、私はバーデル隊長にお願いして、昨日に続いて今日も村の方々の支援にあたらせてもらう事になっていた。
悲惨な状況にある村人さんたちを、このままにしておく事なんて出来なかったから。
帝国軍の襲撃を受けた村の被害は甚大だった。村人さんの半数近くが殺されてしまい、村に残されたのはお年寄りか女子どもばかりだった。村の食料備蓄倉庫も燃やされてしまい、家屋の大半も打ち壊され、残された人たちだけでもとの生活を取り戻すには厳しい状況だった。
私はオーズさんたちにお願いして村の片付けを手伝ってもらいながら、怪我人の手当てや被害状況の確認に走り回っていた。
今後公都から支援してもらうにしても、被害状況の正確な把握と報告書は必要なのだ。
私は生き残ったお年寄りから聞き取り調査を終え、ふうっと顔を上げた。
村を見つめる私の脳裏をよぎるのは、小さい頃ガラード残党軍に襲われた故郷の風景だった。
眉をひそめ、そっと目を伏せる。
こんな風景は、もう二度と見たくなかったけど……。
オルギスラ帝国が各地で不穏な動きを続けている以上、ここと同じ様な悲惨な出来事は、どこにでも起こり得るのだ。もしかしたら、今もどこかで起こっているかもしれない。
だからこそ私は、少しでもそんな悲惨な出来事を防ぐ力になりたい。
竜騎士でもなんでもない私には、出来る事なんてほとんどないかもしれないけれど……。
走り回ってくれているオーズ隊のみなさんを見つめながら、私はふっと溜息を吐いた。
その時、不意に後ろからマントを引っ張られる。
ん?
振り返ると、髪の短い小さな女の子が私を見上げていた。
「お姉ちゃん、騎士さま?」
その幼い顔には、未だ涙の跡が残っていた。
私は腰を落とし、女の子に視線を合わせた。
「そうだよ」
そしてにこっと優しく微笑む。
「騎士さま。あの、助けてくれてありがとう。あの、それで……」
もごもごと何かを言い澱む女の子。
初対面の大人にきちんとお礼を言えるなんて、しっかりした子だ。
少し胸が熱くなる。
この子は、どんな怖い目にあったのだろう。
私は、女の子をびっくりさせないようにゆっくりとした口調で話し掛けた。
「どうしたの? お姉さんに言ってみて」
「あの、お兄ちゃんがお腹すいたって……。お兄ちゃん、怪我してて歩けなくて……」
悲しそうに俯く女の子。
やっぱり優しい子だ。
思わず、ギュッと抱きしめたくなる。
そんな衝動を抑え、代わりに私は腰のポーチからハンカチを取り出すと、ごしごしと女の子の涙の跡を拭ってあげた。
「よし、じゃあご飯だ。あなたも一緒にね」
私は女の子の頭を優しく撫でると、その手を取って歩き始めた。
生き残った村人さんたちは今、村の集会所に集まっていた。この子のお兄ちゃんも、きっとそちらにいるのだろう。
女の子の手を引いて歩いていると、井戸の近くで立ち話をしている2人の先輩騎士に出くわした。2人とも、バーデル隊長命令で私と共に補給隊の護衛として村に残された騎士たちだった。
その2人のうち、片方の先輩がギロリと私を睨んだ。
「ったく、何で我々がこんな所で足止めされねばならんのだ」
「全くだ。せっかく騎士団の為に戦える機会なのだがな」
「ふんっ。新米が隊長に余計な言うからだ。武功を上げる好機を逃してしまうではないか」
チッと舌打ちの音が聞こえて来る。
私は何も言わず、先輩たちに会釈だけしてその場を通り過ぎた。
きっと先輩方も、エーレスタ領内に帝国が侵入しているという現状を憂いているのだ。
エーレスタの為に戦いたいという気持ちは良くわかる。でも、今苦しんでいる目の前の人たちの力になる事も大事だと思う。
ただし、自分の戦う理由とか自分が正しいと思う事を他の人に押し付けてはいけない。
これは、この間フェルトくんとぶつかった時に得た教訓だ。
私は近くを通りかかったオーズさんを呼び止め、他の兵のみなさんとも協力して、集会所に集まった村人の方々に食事を配った。
味気ない戦闘糧食しかなかったが、女の子のお兄ちゃんにも一応満足して貰えたみたいだ。
私は集会所を出ると、食料を含めた物資の残量について考える。この程度なら村人さんに分けても問題ない量は用意してあるが、残量を考えると……。
こういう時、隊務管理課で経験した事が役に立つ。
腕組みをして何となく歩きながら、私はうんうんと唸っていた。
そこに、オーズさんが追い掛けてきた。
「お嬢。ちょっといいですかい」
見た目の厳ついオーズさんは、村の子ども達から少し恐がれていた。本人はその事に少し傷ついていたみたいだが……。
「なんでしょう、オーズさん」
私は立ち止まってオーズさんを待った。
「確認したいんですが、公都への伝令は出てるんですかね。それに、援軍要請も」
私は僅かに首を傾げた。
「わかりません。伝令が出たのは見てないですけど……」
私は眉をひそめた。
村の方々の支援に駆け回っていて、そのあたりがどうなっているのか全く気にしていなかったのだ。
「なら、援軍要請はしとくべきだ。もしくは、ここは一度撤退した方がいいと俺たちは思いますがね」
オーズさんは声を低くした。
「どういう事でしょう」
ドキリとしながら、私も声をひそめた。
「いや、村の連中から話を聞いたが、帝国の奴らは、村人を皆殺しにするつもりはなかったみたいだ」
私はオーズさんの言葉に疑問符を浮かべる。
どういう事だろう?
「これは、明らかにエーレスタに対する後方攪乱と陽動だ。派手に村々を襲っておいて、エーレスタの混乱を狙っている」
オーズさんが顔をしかめている。
……そうか。
村人の人たちを全滅させては、オルギスラ帝国が襲ってきてるぞっという宣伝にはならないという訳か。
私は、そこでむむっと唇を引き結んで俯いた。
陽動、攪乱を仕掛けて来ているという事は、オルギスラ帝国の攻撃対象はエーレスタ騎士公国、という事になるのだろうか……?
関係ない場所に攪乱工作なんて仕掛けないだろうし……。
……そんな、まさか。
私は徐々に大きく目を見開いた。
「公都に早く伝えた方がいい。それに、エーレスタを相手にしようって奴らの攪乱作戦が、数十人の部隊1つなんて事がある筈ない。それなりの数を送り込んでいる筈だ。隊長さんたちは勝つ気満々の様子だったが、こんな数の部隊じゃ、どうしょうもないと思いますぜ」
初戦は敵の不意を突けたが、今のバーデル隊長たちの隊は100にも満たない。もし、大規模な敵部隊と遭遇したら、ひとたまりもないかもしれない。
私は、ふと最悪の事態を想像をしてしまう。
顔からさっと血の気が引くのがわかった。
「わかりました。この事は私から先輩たちに話しておきます」
私は自分を落ち着かせる様にこくこくと小さく頷いた。そしてオーズさんと視線を合わせてから頭を下げると、さっとマントをひるがえして踵を返した。
ぎゅっと手を握り締める。
バーデル隊長たちの事も心配だか、エーレスタがオルギスラ帝国の標的になっているかもしれないとい事も衝撃的だった。
……私も何か行動しなければ。今の私に、何か出来る事を。
そんな焦燥感が、じわりと胸の中に広がって行く。
私は足早に先輩たちのところへ向かいながら、ぎゅむっと唇を噛み締めた。
お前には何も守れない。
不意に、そんなフェルトくんの言葉を思い出してしまう。
私は軽く頭を振り、そのフェルトくんの台詞を振り払うと、たたたっと駆け出した。
先輩たちは、まだ井戸の近くで何やら話し込んでいた。
先ほどはいなかったもう1人の先輩も合流し、この村に留まっている先輩騎士3人全員が集合していた。
ちょうどいいけど……。
そこには、もう1人、粗末な革鎧を着た若い女の子が立っていた。
歳は私と同じくらいか。
長い赤毛を三つ編みにし、背中に垂らしている。日に焼けた小麦色の肌と少し吊り目な顔立ちが、快活な印象を与える少女だったが、今はその表情は曇ってしまっていた。
赤毛の少女は、背中に簡素な弓と矢筒を背負っていた。
「あの、失礼します」
私はその子を気にしながらも、先輩たちに声を掛けた。
「ああ、カーライル。いいところに来た」
村に残った隊のリーダー役であるルコント先輩が私を見た。
「少し偵察に出る。お前も同行しろ」
先ほど村に残留させられた事に文句を言っていた先輩は、少し不満そうな顔をして私を睨んでいた。
「偵察、ですか。あの、その前にお話があるのですが……」
私は他の先輩たちをちらりと窺ってから、先ほどオーズさんから教えてもらった話をルコント先輩に伝えてみた。
先輩は、腕組みをしてふんっと息を吐いた。
「ならば、ますます確かめる必要がある。我々の手で、帝国の本隊を暴いてやれば……」
「……何か情報があったのでしょうか」
目をギラギラさせながら呟くルコント先輩を、私は眉をひそめて見上げた。
「ああ。そこの娘から聞いたのだが、ここから山を越えた向こうの入り江で、不審な船影を見たという噂ががあるようだ。バーデル隊長たちが向かった方面とは違う場所で、な」
……船。
私は、はっと息を呑んだ。
このタイミングで不審船といえば、もしかしたらそれはオルギスラ帝国軍が乗って来た船なのではと考えてしまうが……。
ルコント先輩が重々しく頷いた。
「もしそちらに帝国軍の本隊がいるならば、早急に確認しなければならない。公都への報告のためにもな」
……確かにそうだけど。
「山道はこの狩人の娘に案内させる。迷うことなく進めば、バーデル隊長が戻る前には何らかの情報が得られるだろう」
ルコント先輩の言葉に、他の騎士の方々もやる気に満ちた顔で頷いた。
「……でも、バーデル隊長たちに報告してからの方がいいのではありませんか」
私は、眉をひそめながら進言してみる。
敵がオーズさんの指摘する様な大部隊なら、私たちが4騎で行動するのは無謀ではないだろうか。それよりもまず、バーデル隊長に報告して、エーレスタ騎士団として動いた方が……。
「敵情の把握は早い方がいい」
「馬鹿だな。既に他の者よりも出遅れているんだ。じっとしていられるか」
「ふんっ。臆病なだけでは、何も守れんぞ。これだから、新米は困る」
私の意見に、先輩たちがそれぞれ反応する。
臆病……。
むう。
「カーライル。お前は、そこの案内役の娘を護衛していればいい。偵察は我らが行う」
ルコント先輩が、狩人の少女を一瞥した。
「山越の道は現場までの近道らしいが、この山には必ず道案内が必要なのだそうだ。同じ女同士ならば、娘も安心すると思ったのだがな」
狩人の少女は、じっと私を見つめていた。不安そうなその表情に、どこか訝しむ様な様子が窺えた。
まるで、私の判断を窺っている様な表情だ。
「あなたは、案内役、大丈夫なの?」
私は赤毛の狩人の少女にそっと尋ねてみた。
こちらを真っ直ぐに見つめる彼女の目には、強い光が宿っている気がした。何かを決意した、強い意志の力がある目だ。
狩人の少女は、私を睨みつけながらこくりと頷いた。
こんな年端も行かない女の子が、もしかしたら敵の大集団がいるかもしれない場所に赴く。
なのに私だけが、ここに残るだなんて……。
騎士団に協力してくれる彼女を守るためには、人手は多い方が良いに決まっている。
それに。
ここで引いては、誰かの為に戦う騎士さまではなくなってしまうのではないだろうか?
ふんっと先輩が鼻を鳴らした。
「臆病者を無理に連れて行く事なんてないさ。帝国なんて我々だけで蹴散らして……」
「行きます!」
こちらを見下ろす先輩の顔を睨み上げ、私は勢い良く声を上げた。
3人の先輩たちを見回してから、私は狩人の少女に向き直った。
「大丈夫。安心して。あなたは、私がちゃんと守るから!」
握り締めた両手を胸の前でぶんぶん振りながら、私はむんっと気合いを込めた顔を少女に向ける。
しかし赤髪の少女は、先ほどよりもさらに怪訝な顔を強くしてしまった。
……あれ?
「よし。ならば早速出発しよう。カーライル。村の事は第2の兵に引き継げ」
「あ、はい。了解です」
私はルコント先輩を見て、こくりと頷いた。
先輩たちと私、そしてマリアと名乗った赤髪の狩人の少女は、それぞれ騎乗したまま竜山連峰に連なる山へと足を踏み入れた。
村人のみなさんについては、オーズさんにお願いして来た。偵察に出る事については、もちろんオーズさんに渋い顔をされてしまったけれど……。
夏の山の中は、むっとするほどの色濃い緑に覆われていた。
午後の柔らかな高原の日差しが、木々の枝葉をキラキラと輝かせる。吹き抜ける風に揺れ、鳥たちに揺らされて、生い茂る木々は刻一刻とその色合いを変えていく。
色とりどりの花が咲き乱れ、その間を小動物や虫たちが駆けまわっているのが見えた。
木漏れ日が私たちの進む道に様々な模様を描き出す。鳥や虫の音が、絶えず周囲を満たしていた。
命に溢れる夏の山はとても賑やかで、私は馬を進めながら、その周囲の様子に圧倒されていた。
豊かな山だなと思う。
私の田舎も山深いところだったけど、何だろう。ここの緑は、田舎と比べても少し異様なほど鮮やかな気がした。
さっと爽やかな風が吹き抜ける。
木々がざざっと揺れた。
……気持ちいい。
外で悲惨な出来事が起こっているなど信じられなくなるくらい、穏やかで心地いい良い場所だった。
マリアちゃんの教えてくれた山道は、街道と比べれば狭く険しかったけれど、馬を並べて通る程の余裕はあった。
先頭を私とマリアちゃんが並んで進み、少し離れて後ろから、縦隊を組んだ先輩たちがついて来ていた。
涼やかな小さな沢を渡り、木々の間のつづら折りの坂を登り、私たちはどんどん山の奥深くへと進んでいった。
山奥に分け入るほど、周囲の緑はさらに色濃くなっていく。しかし、決して木々が伸び放題、草が茂り放題というわけではなく、マリアちゃんが示してくれる道が塞がれてしまっている様な事もなかった。
もしかしたら、頻繁に人が行き来している場所なのだろうか。
しかしこの山道の周りだけでなくこの山全体に、まるで人の手が入れられているような整然さがある様に私には感じられた。
もちろん、何の根拠もなかったけど……。
「……何だか不思議な場所だね」
私は馬の手綱を握りながら、思わずそう呟いていた。
「当たり前よ。ここは祖竜さまが住まうお山だもの。素人が迷い込めば、罰が当たって抜け出せなくなるよ」
不意に隣から声がした。
ぽかんと周囲を見ていた私が視線を戻すと、狩人のマリアちゃんが怪訝そうな顔で私を見ていた。
そういえばマリアちゃん、出発してから初めて口を開いてくれた気がする。
もしかして、竜が好きなのかな。
「祖竜……。伝説竜だね。ここは、やっぱり竜が住んでいるのかな」
私はマリアちゃんに親しみを込めて微笑み掛けた。竜好きなら、私の仲間だ。
しかしマリアちゃんは、何も答えずにじっと横目で私の顔を見ていた。いや、睨んでいるといってもいい。
私は、微笑みながら、んっと首を傾げた。
協力者であるマリアちゃんを、なるべく不安にさせたくなかった。
「……あなた」
マリアちゃんが、低い声でぽつりと呟いた。
「あたしより小さいのに、本当に騎士なの? 何で子供が騎士やってるの?」
……ぐぬ。
私は笑顔のまま固まってしまう。
確かにマリアちゃんは、私と同い年くらいだけどスラリと背が高い。私よりも、高い……。
「……大丈夫。私も間違いなく騎士だから。マリアちゃんは私が守から、安心して」
私は何とか笑顔を維持しながら、マリアちゃんに頷き掛けた。
「……騎士なら、強いんでしょ。あいつらをやっつけてよ。私たちの村をめちゃくちゃにしたあいつらを……!」
前方に視線を戻したマリアちゃんが、独り言を言う様にぼそっと吐き捨てた。それは、憎しみの籠った暗い声だった。
……胸がずきりと痛む。
そう。
あの村で暮らしていたマリアちゃんの生活は、一瞬にして壊されてしまったのだ。突然襲来した帝国軍により、何の脈絡もなく。唐突に。
そしてそのマリアちゃんは今、私を、騎士を頼りにしてくれている。
……ならば。
騎士ならば、その期待に応えてみせなければならない。
私は笑顔でマリアちゃんに話し掛けながら、胸の奥に熱いものが宿るのを感じていた。
一旦軽い休憩を挟み、私たちはさらに山の奥へと進んで行った。
その間も私は、マリアちゃんにあれこれと話し掛け続けた。じっと黙り込んでいると、きっと嫌な事ばっかりを考えてしまうだろうから。
マリアちゃんも、徐々にではあるが私の話に乗ってくれる様になった。そこで、実はマリアちゃんは私の2つも年下である事が判明してしまったのだが……。
前方に分かれ道が見えてくる。マリアちゃんは、その右側を指差した。
「こっち」
山道は、再び上り坂に入った。
坂の左側は、下草の生い茂った斜面が谷川まで続いていた。そちらからは、軽やかな水の音が聞こえて来る。対して右側は緩やかな斜面になっていて、巨木の森が続いていた。
ここまで山奥に進んで来ると、周囲に並ぶ木は、どれもびっくりするほど大きなものばかりだった。
山道は、その右側斜面を巻くようにカーブしていた。
「おい、あとどれくらいで着くんだ?」
後ろの先輩騎士が声を上げる。
「もう少し。小1時間ほど」
「あと1時間だそうです!」
マリアちゃんの言葉を、私は振り返って先輩たちに伝えた。
その時。
不意に、背筋がぞくりとした。
「……何」
ドキリとする。
肌が、ぞわぞわと粟立った。
森の雰囲気が……変わった?
私は、思わず馬を止めて周囲を見回した。
スキルを発動する時に感じる感覚と同じ……。
これは、魔素?
「……おかしい」
マリアちゃんも立ち止まり、周囲の様子を窺い始めた。
……何かが変だ。
何が、かは分からなかったが、先程までの山とは確実に違う。
今までそこにあったものが不意になくなってしまった様な……。
背筋を走る冷たいものに嫌な予感がして、私は思わず腰の剣に手を掛けた。
「マリアちゃん?」
隣のマリアちゃんを窺う。
「迷いの森の封印が、消えた?」
周囲を見回しながら、マリアちゃんが信じられないという風に呟いた。
山に入る前、私たちはマリアちゃんから注意を受けていた。
この山中を通る道の近くには、不思議な事に迷い込んだら帰ってこれない場所がある。だから、勝手な事はせず、案内役の自分に従って欲しいと。
帰ってこれないというのは、危険な場所がある山中に対する比喩だと思っていたけど……。
「どうした、急に立ち止まって」
3人の先輩たちが、私とマリアちゃんに追い付いて来た。
「いえ、それが何というか……」
この違和感についてどう説明したものかと、私が答えに窮して眉をひそめたその時。
ダンっと轟音が響き渡った。
鳥たちがざっと飛び立つ。
……え?
次の瞬間。
先輩の肩に、ぱっと赤が飛び散った。
赤の……。
血!
「がはっ!」
私の目の前で、うめき声を上げた先輩が馬の上から転げ落ちる。
落馬していく先輩の動きが、驚きのあまり固まる私には、異様にゆっくりに見えた。
呆然とする。
風が吹き抜ける。
木々がざっと鳴った。
一瞬遅れて理解する。
攻撃……狙撃だ!
轟音は銃声。
オルギスラ帝国軍!
「て、敵襲!」
ルコント先輩が叫びながら剣を引き抜いた。
私も剣に手を掛けながら、銃声のした方へと顔を向けた。
その時。
再び銃声が轟いた。
「障壁展開!」
先輩が防御の戦技スキルを発動した。
しかしそれよりも一瞬早く。
銃弾は、マリアちゃんの馬に突き刺さった。
「きゃあっ!」
マリアちゃんの馬が跳ねる。
嘶きが響き渡る。
すぐ側にいた私の馬も、それに巻き込まれて前足を振り上げた。
視界がふわりと揺れた。
不意に体が空中に投げ出された。
あっ。
刹那の浮遊感の後。
私は、地面に叩きつけられていた。
かはっ……!
目の前がチカチカする。
息が、出来ない……。
「カーライル!」
ルコント先輩が前に出てくれる。
「うううっ……」
苦痛に顔を歪めながらも、私は何とか身を起こそうと試みた。
「……マリア、ちゃん!」
私は片目を瞑り、歯を食いしばりながら、落馬したであろうマリアちゃんの姿を探した。
少し離れた場所に、マリアちゃんが倒れているのが見えた。
微かに呻き声は聞こえるが……。
くっ!
何で……!
私は何とか体を起こして膝立ちになりながら、必死に周囲を見回した。
右にカーブした道の向こう。
そこに、いつの間にか騎兵の姿があった。
数は2。
鮮やかな緑の森の中にあって、まるでそこだけ穴が開いているかの様な黒の軍装は、オルギスラ帝国軍!
こんな山の中で帝国軍に遭遇するなんて!
銃声が重なる。
先輩が障壁のスキルで防御する。
銃弾を無効化する障壁が、周囲に白い光をまき散らした。
銃撃が防がれた事に気がついた帝国騎兵は、剣を抜き放ち、猛然とこちらに突撃して来た。
うぐ……!
私は歯を食いしばる。そして何とか体を起こす。
馬蹄の轟音が迫る。
騎兵の巨体が迫る。
「マリアちゃん! 逃げて!」
叫びながら、私は剣を引き抜いた。
白刃が木漏れ日を受けて輝く。
敵が迫る。
黒の騎兵が剣を振り上げる。
「うおおおお!」
ルコント先輩が叫びながら剣を振り上げた。
「マリアちゃん!」
私も必死で叫びながら、突進して来る敵騎兵を睨みつける。
人里離れた山中に、剣と剣がぶつかる激しい音が響き渡った。