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第5幕

 ダンっと大扉を開けると、そこには既に沢山の騎士たちが集まっていた。

 長机や椅子が規則正しく並ぶ広い室内に、それぞれ少人数で固まりながら雑談をしている騎士さま達。その中には、私の知り合いや顔を見たことがある人たちも何人か見受けられた。

 それもその筈。

 ここは第3大隊の隊舎。その騎士の待機所。

 普段は隊務管理課に派遣になっていても、ここがもともと私の所属する場所なのだ。

 ……でも、急な召集命令って何だろう。

 私は取り敢えず、きょろきょろと周囲を見回した。

 「ああ、カーライルではないか」

 どうしたものかと眉をひそめてうろうろしていると、壁際に集まった4人組から声を掛けられた。

「リドックさま!」

 私はその中の1人、同じ基幹中隊の先輩で顔馴染みのリドックさまに駆け寄った。他の3人も、顔だけは見知っている先輩ばかりだった。

 この先輩方は、まだ若いが全員が1尉騎士。そして名のある貴族の家柄の方ばかりだった。同僚という立場でなければ、私なんかには話し掛ける事も出来ない方々だ。

 手入れの行き届いた輝く様な長い金髪を束ねたリドックさまは、私を見ると目を細めて優しく頷いてくれた。

 私も丁寧に頭を下げて挨拶する。

「しばらく会っていなかったね。変わりはないかな」

 優雅に微笑むリドックさま。上流階級の品の良さがこれでもかと滲み出ていた。

「はい。ありがとうございます」

 微笑み返しながら、私は少し緊張していた。

 先ほどまでいた第2大隊の砕けた雰囲気とは、違い過ぎる。

 ここに集まっているのは、リドックさま達以外もほぼ全員が各国の貴族出身者ばかりなのだ。対して第2大隊は現場からの叩き上げや傭兵出身者で構成されているのだから、雰囲気が違うのは当然の事かもしれないが……。

 ハロルドおじいちゃんの口利きによって入団出来たとはいえ、もともと平民出身の私には、第2大隊の空気の方が楽な気がする。

「リドックさま。この召集は何なのでしょうか」

 私はリドックさまを見上げてから、もう一度待機所内を見渡した。

「ふむ。まだ聞いていないのか、カーライル。どうやら我々第3大隊に出撃任務があるみたいだよ」

 私は、はっと息を呑んで表情を引き締めると、リドックさまを見上げた。

「ここに集められたのは、その選抜メンバーだ。各中隊から人員を抽出し、特別部隊を組むらしい」

 リドックさまとは別の先輩騎士が説明してくれる。

 私はふむふむと頷きながらも、眉をひそめた。

 しかし……。

「バーデル卿がごり押しで作戦上申を行ったみたいだね。オルギスラ帝国の動向によっては戦力はいくらあっても足りないから、そこにねじ込んだのだろう」

 私の表情から察してくれたのか、リドックさまがそう説明してくれた。

 ……なるほど。

 通常であれば、他国より預っている大切な貴族の子弟で構成されている第3大隊は、エーレスタの街の警備任務以外に用いられる事はない。それが今までの伝統だった。

 しかし、今は時期が時期だ。きっと人手はいくらあっても足りない筈だ。

 そしてそこに、バーデル卿という方が第3大隊員での任務を提案したという事なのだろう。

 目的は、戦功か。それとも戦争に参戦したという武勲だろうか。

 何にせよ、これは今の私にはチャンスだ。

 騎士として任務に就ける。

 この剣で誰かを守れる……!

 私の決意は、私の剣で証明してみせるんだ。

 ……フェルトくんに言われっぱなしにはならないんだから!

 私は大きく深呼吸してから、ぎゅっと握り締めた手に力を込めた。

「ほら、噂のバーデル卿がいらっしゃったぞ」

 リドックさまが待機所の中央に目を向けた。

 私もそちらに向き直る。

 皆の注目が集まる中、金髪を短く刈った体の大きな男性が、肩で風を切る様にのしのしと進み出て来た。

「あの人は……」

 不敵な笑みを浮かべる巨漢の男性騎士は、いつかのお昼休みに中庭で出会った副士長さまだった。

 私の鍛錬を褒めてくれた人だ。

同じ隊といっても大隊は大所帯だ。このバーデルさまという方は、中庭の件以外で顔を合わせた記憶はなかったが……。

 みんなの中心に立ったバーデル副士長は、胸を張って腰に手を当てながら周囲を見回した。自信に満ち溢れた堂々とした態度だ。

 そしてその厳の様な顔に満足そうな笑みを浮かべたバーデル副士長は、大きく頷いた。

「さて、第3大隊の選ばれし諸君! 良く集まってくれたっ!」

 大きな声が待機所中に響き渡る。怒鳴っているという感じはないのに、低く良く通る声だった。

「諸君! 任務である! 気を引き締め、剣を取れ! ここに集まってくれた諸君には、これより今回の重大な任務の概要を示達する!」

 バーデル副士長の宣言に、周囲の先輩騎士たちが軽くざわめいた。

 私も、ドキドキしながらじっとバーデル副士長の次の言葉を待った。

「諸君も知っている通り、昨今オルギスラ帝国が不穏な動きを強めている。北部アーテニアだけでなく、エーレスタが存在する西南部地域においてもだ。この事態を受け、エーレスタ上層部は第2大隊を北部国境付近に集結させる事に決した!」

 第2大隊の状況を知らない周囲から、どよめきが湧き上がった。

「これを受け、私は我々第3大隊による領内巡回警備を提案した! 具体的には、第3大隊各中隊より優秀な人員を抽出し、特別隊を結成。第2大隊が集結している間手薄になるエーレスタ領南部地域の巡回警備を行う作戦である!」

 再びどよめきが湧き起る。しかし今回は、驚きというよりも困惑の声が多い様だった。

 昨今の状況やバーデル副士長の勢いから、密かに今回の任務が対オルギスラ戦だと思っていた者も多いのだろう。

 私も、もしかしてと考えていたけど……。

 それが実際には、第2大隊の抜けた穴を埋める為の警備任務とくれば、少し肩すかしを食らった感じになってしまうのやむを得ないかもしれない。

 何せ管轄は違っても、警備は第3大隊の基本任務なのだから。

「皆、静粛に! ただの警備任務だと気を抜くな!」

 そこに、バーデル副士長の声が一際強く響き渡った。

 その迫力に、みんなが再び副士長に目を向けた。

 バーデル副士長が片手を上げると、後方から木製のボードが運ばれて来る。そこには、エーレスタ騎士公国の大きな地図が張り出されていた。

 バーデル副士長は、私たちが今いる場所、公都エーレスタから南側の地域をばんっと指し示した。

「皆も知っての通り、エーレスタの南部には竜山連峰がそびえる。竜が住まう山とされるこの地は、我らエーレスタ騎士団の聖地といえるが……」

 バーデル副士長は、その竜山連峰から東側にさっと指を動かした。

「この竜山連峰の東側、セレナ内海に面する地域は、寒村と農地が広がるばかりの何もない場所だ。騎士団の拠点もなく、我らの目も届きにくい。我々が北のオルギスラに目を向けている間に、良からぬ事を企む輩がいるかもしれない」

 バーデル副士長が、その何も表示のない地域をバンと叩いた。木製のボードが不安定にゆらゆら揺れる。

「よって我々は、この地域を重点的に巡回し、エーレスタ領の治安維持にあたるものである!」

 そこでバーデル副士長は、ニヤリと不敵に笑った。それは、狩るべき獲物を目の前にした獣の様な獰猛な笑みだった。

「諸君! 私は諸君らに約束しよう! この我々主導の任務は、エーレスタ騎士団の歴史において名を残すべき偉大な功績となる! この任務が終わった時、諸君らは騎士の名誉を得る! 祖国からも称えられよう! 諸君! 私を信じ、諸君らの力を貸してくれ!」

 待機所内に響き渡るバーデル副士長の声。

 一瞬遅れて、周囲から了解の声が上がった。

 しかし、まるで戦争の趨勢を決する大作戦に向かう様なバーデル副士長の物言いに、訝しげな表情を浮かべる先輩たちも多かった。

 第3大隊には稀な対外任務という事で、バーデル副士長が張り切っているだけだろうか。

 それとも何か別の思惑がある……?

 私は胸の下で腕を組み、うーんと唸った。

「任務開始は2日後の朝です。それまで各員は出立の準備を整えて下さい」

 バーデル副士長に代わり、副官らしき眼鏡の女性騎士が前に進み出て細かな指示を出し始めた。

「それと、これから読み上げる者はこちらに集まって下さい!」

 任務の意図するところに不明な点はあるが、しかし騎士としてこの剣で貢献できるなら、どんな任務だって望むところだ。

 ましてや、領民の皆さんの安全を守る任務なら、何も躊躇う事なんかない。

 ……よし。

 私は握り締めた拳を胸に当てて、小さく頷いた。

 何故私なんかが召集されたのかはわからないが、選ばれたからには全力を尽くすまでだ……!

「セナ・カーライル3尉!」

 先輩騎士たちの間で、1人決意を新たに闘志を燃やしていた私は、不意に名前を呼ばれてはっと顔を上げた。

 眼鏡の副官さんが、私の名前を呼びながら周囲を見回していた。

「あ、はい、ここにいます!」

 私はパッと手を挙げて小さくジャンプする。そして先輩騎士たちの後ろから慌てて飛び出すと、パタパタと小走りに副官さんの方に向かった。



 バーデル副士長が立案した作戦の決行日当日。

 まだ薄暗く、魔晶石のランプが必要な早朝の寮の部屋で、私はアメルに手伝ってもらいながら出立の為の最後の準備を進めていた。

「セナ、本当に行っちゃうの?」

 鎧を着るのを手伝ってくれていたアメルが、不安そうに私を見上げた。

 アメルのこの質問は、2日前からもう何十回目だろう。

「もちろん」

 私はこくりとアメルに頷いて見せた。

「大丈夫。エーレスタ領の南側をぐるりと回る警備だけなんだから」

 そして、ふわりと微笑んでおく。

 私はパンパンと胸を叩いて鎧の具合を確かめた。その間に後ろに回ったアメルが、ばさりと紺色のマントを羽織らせてくれた。

「はい、出来上がり。でも、無茶はダメだからね。セナに何かあったら、私泣いちゃうから……」

 もう既に泣きそうな声のアメル。

「大丈夫だよ」

 私はマントをひるがえしてくるりと後ろを向くと、肩を落としているアメルの頭にぽんと手を乗せた。

 ……懸命に背伸びして。

 そして、アメルの目を見つめながら優しく微笑む。

 何だかいつもと立場が逆転したみたいで、心配してくれているアメルには申し訳ないけど、少し楽しいと思ってしまった。

 アメルを慰めてから、私は部屋の隅の姿見の前に立って自分の姿をチェックしてみる。

 鎧着装の完全装備なんていつ以来だろ。

 私が選んだのは、エーレスタ騎士団の正式装備の中でも軽装にあたるものだった。

 騎士団の制服の上に身に付けた白銀の金属鎧は、いつもの胸当てよりも遥に重厚で頼もしい。右胸にはエーレスタ騎士団の紋章と第3大隊の隊章が刻まれ、左胸には3尉騎士の証である3本の剣が交わった装飾品が揺れていた。

 いつも暇があれば手入れをしていた鎧の装甲面は、きらきらと輝いていた。

 足には金属板と魔晶石で強化されたブーツを、腕には同じく白銀のガントレットを装備。そして水筒やその他装備品が携行出来る旅用の丈夫な剣帯に愛用の長剣を吊し、エーレスタ騎士団の紋章が中央に示された紺色のマントをひるがえせば、私の戦闘装備の出来上がりだ。

 ……よし。

 私は腰に手を当て、襟首を守る鎧に顎を埋めながら、ふんっと息を吐いて頷いた。愛用のリボンでまとめた髪が、後ろでふわりと揺れた。

 我ながら、なかなか様になっている。

 これで、少し小柄ではあるが、なかなか立派な騎士さまに見えるのではないだろうか。

 私は両手を握り締めて、うんっと気合いを入れた。

 第3大隊の先輩には地方の村々を警備巡回するという今回の地味な任務に顔をしかめる人もいたけれど、私は当然やる気に満ちていた。

 各集落を直に回って騎士団が警備しているその姿を示せば、領民の方々もきっと安心してくれるだろう。

 沢山の人に安心してもらって笑顔になってもらう事こそ、私が騎士になった目的ともいえる。剣を抜く様な状況にはならないかもしれないが、この任務こそ私が求めていたものなのだ。

 突然の事で少し驚いたけど、私は今回の任務のメンバーに選んでもらって良かったと思っていた。

 バーデル副士長の特別任務に私が選ばれたのは、第3大隊所属であり、同時に管理課での経験から補給や物質管理などの事務手続きに慣れているという点が買われたからの様だった。

 任務示達の日。バーデル副士長の副官である眼鏡の女性騎士レーナさまに呼び出された私は、今回の任務での物資管理の担当を言い渡された。

 後で管理課の上司にこっそりと聞いた話だと、当初エーレスタ騎士団の上層部は、バーデル副士長発案の任務に乗り気ではなかったらしい。

 しかし、バーデル副士長の実家はエーレスタ騎士公国の最大の宗主国であるウェリスタ王国の大貴族らしく、結局その威光を無視する事が出来なかった様だ。

 任務を許可する条件として、エーレスタ騎士団統帥部は部隊運用の手続きが出来る者の同道を条件に出したらしい。つまりは、お目付け役の同行を条件に出したのだ。

 それに対してバーデル副士長は、今回の任務は第3大隊員だけで行うと強硬に主張した様だ。

 結局妥協案として、第3大隊所属であり尚且つ管理課在籍の私が選出されたという訳だ。

「バーデル卿は、セナちゃんをやる気のある隊員だと誉めておられたよ」

 老騎士の上司は、笑顔でそう付け加えてくれた。

 バーデル副士長さまは、中庭で私と出会った事を覚えていてくれたのだ。

 頑張っていた事を誰かに認めてもらえる。

 ……これほど嬉しい事はない。

 私はこの任務に対して全力を尽くす事を誓いながら、任務に対する緊張と共に今日この日の出陣を待ちわびていたのだ。

 ……おかげで、昨日の夜は興奮してなかなか寝付けなかったけれど。

「セナ、気をつけてね!」

「行ってきます!」

 緊張と興奮で頬を熱くした私は、アメルに手を振って寮の部屋を出た。

 女子寮を出ると、辺りはまだ薄暗く、早朝のひんやりとした空気の中にまだ微かな夜の気配が混じっていた。

 遥か遠く東の山の稜線が、微かに白くなり始める時間帯。まだ竜舎の竜たちも鳴いていなかった。

 私は腰の剣を押さえながら、小走りにファレス・ライト城の正門前大広場に向かって走った。そこが、バーデル副士長指揮下の特別編成部隊の集合場所だった。

 騎士公さまへの一般拝謁や各隊上級幹部に対する訓示、その他様々な儀式や行事に使用される城門前の大広場には、既に沢山の先輩たちが集まっていた。

 朝の澄んだ空気の中、勇ましい鎧に身を包んだ屈強な騎士たちが集まっている様子は、まるで物語の中の一幕の様だった。

 私はその壮観な眺めに、思わず背筋を伸ばして姿勢を正してしまう。

 ……それに、さすがは第3大隊所属の騎士さまたちだ。

 集まった先輩方の多くが身に着けているのは、エーレスタ騎士団の正式装備ではなかった。

 みんな、私物と思われる豪華な鎧を着用している。どれも精緻な彫刻や魔晶石の装飾が施された立派で煌びやかなものばかりだ。

 一応、軍規で定められているエーレスタ騎士団の紋章は付いているみたいだけれど……。

 そんな先輩方の装備が、城門前大広場に集合した隊に華やかさを付け加えていた。これから任務に赴くというよりも、まるで何かの祭典に出席するかの様だ。

 さらにもともと貴族である先輩方は、豪華な装備だけでなく、個人的な従者を従えていたりする。今も私たちから少し離れた場所で待機している軽装備な集団が、多分それなのだろう。

 今朝。この任務に際して集合したのは、私を含めて第3大隊から選出された騎士が32名。さらにエーレスタの街とメルズポートの街で一般兵のみなさんと合流し、最終的に120名程になるのが今回の部隊編成となる予定だった。

 実際は、そこに従者の方々を加えるので、もう少し数は増えるだろうが。

 小隊と呼ぶにも中隊と呼ぶにも中途半端な規模だが、今回の任務には色々な方面の思惑が絡まっていそうなので、しょうがない事なのかもしれない。

 ……まぁ、私は全力を尽くすだけだけど!

 私はだんだんと大きくなる胸の鼓動を感じながら、決意を込めてうんっと小さく頷いた。

「総員集合!」

 朝靄が掛かる中、早朝の静寂を切り裂いて凛とした声が響き渡った。今回の隊の副官であるレーナさまから号令が掛かったのだ。

 私も先輩方もさっと集合し、瞬時に3列横隊を形成した。

 ちなみに私は最後列の左端なので、背の高い先輩たちに塞がれて前方が全く見えない。そっと背伸びしてもダメだった。

 むむむ……。

「おはよう、諸君!」

 レーナさまの声とは対照的なバーデル副士長の野太い声が響いた。

 今回編成された特別部隊はバーデル隊と呼称されるので、バーデル隊長と呼んだ方がいいのかもしれない。

「とうとうこの日がやって来た。我ら第3大隊の大いなる力を他に知らしめる時が来たのだ!」

 ……そうだ。

 頑張る。

 私も頑張るのだ。

「諸君らは栄えある第3大隊においても選び抜かれた精鋭である! 今回の任務においても、遺憾なくその力を示して欲しい!」

 バーデル隊長の雄々しい声に揺さぶられて、胸の奥からじわじわと高揚感が湧き上がって来る。

 デスクワーク以外の私の初任務が、いよいよ始まる。

 とうとう私は、私が目指す騎士さまになるんだ……!

「今回はご多忙のところ、トラバース閣下にもお見送りに来ていただいている。これは、我らの身に余る栄誉である! 総員、閣下に恥じぬ働きを示してみせよ!」

 バーデル隊長の言葉に、先輩方の間に微かなどよめきが起こった。

 トラバースさん……。

 第3大隊長!

 私も思わず息を呑む。

 大隊長クラスといえば、ここエーレスタにおいては竜騎士に次ぐ地位にあるエーレスタ騎士公国の要人、騎士団の大幹部だ。ただの警備に出る部隊に、わざわざそんな大隊長が見送りに現れるなんて普通はあり得ない事だと思う。

「諸君らには、エーレスタだけでなく、故郷の国、そして各々の家の名誉を背負っている事も忘れないでいただきたい! 普段の研鑽の成果を存分に発揮し、エーレスタ騎士団の栄えある第3大隊員として、その名に恥じぬ成果を期待する!」

 そこで隊列を組む私たちの前に立っているであろうバーデル隊長の方から、すらりと鞘走りの音が聞こえて来た。

 私の所からは見えなかったけど……。

「各員の奮起を期待する! では、各員騎乗せよ! バーデル隊はこれよりメルズポートを目指し進発する! 任務開始だ! 総員、出撃!」

「「了解!」」

 バーデル隊長が、号令と共にぶんっと剣を振り下ろす音が聞こえた。

 集合した騎士さまたちが一斉に姿勢を正し、敬礼する。

 私も背筋を伸ばし、声を張り上げた。

 私たちはさっと踵を返しマントを翻して散開すると、馬丁の皆さんが用意してくれた馬にそれぞれ騎乗する。私もうんしょと栗毛の馬に跨り、手綱を引いた。

 手を伸ばして馬の太い首をぽんぽんと叩きながら、私はそっとよろしくねと声を掛けた。馬は首を振りながら、ぶるりと小さく鳴いた。

「隊列を組め! 開門せよ! 行くぞ、諸君!」

 今まさに全力疾走で突撃でもしかねない勢いでバーデル隊長が声を上げた。同時に、低い軋みを上げてファレス・ライト城の巨大な正門がゆっくりと開き始めた。

 私は手綱を握る手にギュッと力を込める。

 私に実戦任務はまだ早いと言っていたオレットさんの言葉が脳裏をよぎる。

 ……でもこれは、アルハイムさまの様な騎士を目指す私にとってはチャンスなのだ。

 私には何も守れないと言っていたフェルトくんの言葉が脳裏をよぎる。

 私はギュッと眉をひそめた。

 ……守ってみせるもん。私が騎士として、みんなを笑顔にして見せるんだから!

 前方から徐々に騎馬の隊列が動き始めた。私も馬のお腹を軽く蹴って進み始める。

 強い決意と強い思いを胸に、私はファレス・ライト城の城門をくぐった。



 城を出たバーデル隊の隊列は、城下にて第3大隊所属の一般兵60名と合流した。

 先頭を隊長以下私たち騎兵隊、その後に長槍や弓を担いだ一般兵の皆さんが続く長い隊列を形成したバーデル隊は、早朝のエーレスタの街を堂々と通過して行く。

 日の出の時刻を迎えたばかりのエーレスタの街はまだ本格的に動き出す前ではあったけれど、それでも既に働き始めている人たちが、遠巻きに私たちの隊列を見つめていた。

 騎士の国であるエーレスタでは、様々な任務を帯びた部隊が頻繁に街中を行き来する。騎士の長い隊列が通過するのも珍しい風景ではなかった。

 しかし、今はオルギスラ帝国が各地で動き回っている状況下だ。

 作業の手を止めて私たちを見る市民の皆さんは、どこか不安そうな顔をしていた。

 一般市民の方々とは別に、街角、城門、そして各所の警備詰め所など、様々な場所に立つ警備の騎士たちも、私たちを敬礼で見送ってくれた。

 みんな今日の当直の第3大隊員たちばかりだ。

 私も右に左にキョロキョロしながら、一生懸命敬礼を返した。

 頑張らなくては。

 バーデル隊長の言葉ではないが、私たちの行動はそのまま第3大隊の評価になってしまう。無様な姿は見せられない。

 バーデル隊は、そのまま3重の城壁をくぐり抜け、エーレスタの街を出た。

 街の外。

 外の世界に出る。

 私は馬上で大きく胸を膨らませ、まだ冷たい早朝の空気を吸い込んだ。

 黎明の空。

 緑が萌える畑と草原と丘と森。

 私の前には、今、広大な世界が広がっている。

 エーレスタに来てから1年。こうして街を出たのは、公私を問わず今が初めてだった。

 普段はずっとデスクワークだし、お休みの日も大概の用事は城下街で事足りるからだ。アメルなんかは、街の外周警備なんかで出ているんだろうけど……。

 まだ見たことない街や村、色々な人たちや様々な大自然に思いを馳せると、自然と胸が高鳴ってしまう。

 ……むむん。

 ダメだ、ダメだ。

 今は目の前の任務に集中し、全力を尽くさなければ。

 私は小さく首を振って余計な考えを打ち払うと、馬上からそっと空を見上げた。

 雲1つない朝焼けの空。

 早起きの大きな鳥が、私たちと同じ方向に向かってすっと飛んでいった。

 バーデル隊は、そのまま街道を東に向かい、夕刻前には最初の逗留地であるエレハム砦に到着した。

 自然の岩山を利用した堅固な石造りの砦は、文字通り山の様に大きかった。

 エーレスタの街を守る最終防衛線にしてメルズポートとエーレスタの中継地点となるエレハム砦は、一般の旅人が通過する関所も併設され、さらには簡易な宿場も合わさって小さな町の様相を呈してた。

 私たちはエレハム砦駐屯部隊の司令官さんに手厚い歓迎を受けた。

 階級的には司令官さんの方が上の筈なのだが、バーデル隊長はまるで竜騎士さまが来たかの様に丁重に扱われていた。隊の先輩方も、さもそれが当然の事の様に受け止めていた。

 これが貴族部隊とか揶揄される所以なのだろう。

 私は同じ第3大隊員として、少し恥ずかしくなってしまう。

 砦に到着したのはまだ明るい内だったので、砦司令官さんとの挨拶の後、私たちバーデル隊は簡単な訓練を行う事になった。

 私たちはバーデル隊長の意向で各中隊から選抜されたメンバーだ。突発的な事態に対処できる様にするためにも、息を合わせる為の訓練は必要だった。

 エレハム砦近くの草原を使い、騎馬突撃の陣形や歩兵部隊との連携などの確認が繰り返し行われた。

 最近はオレットさんやフェルトくんの訓練で散々醜態を晒していた私だが、馬の扱いには少し自信があった。故郷のハロルド領では、領主さまの子馬を借りてよく山野を駆け回っていたから。

 おかげで、今日の訓練には問題なく付いていく事が出来た。

 突撃訓練の際に、槍を取り落として笑われてしまった事はあったけど……。

 そのまま砦で一泊した私たちバーデル隊は、次の朝早くに出発した。

 次はいよいよメルズポートの街。

 エーレスタ領第2の大きな街にして、セレナ内海に面する港町だ。

 海に向かっているため、エレハム砦からメルズポートへの道は概ね下りだった。整備された街道でも、一部急な坂もあって、注意しながら馬を進める。するとやがて左手に、木々の切れ間からキラキラと輝く水面が見えて来た。

 私は目を丸くして、その夏の午後の陽光を受けて輝くセレナ内海に見とれてしまった。

 海だ。

 海を見たのは人生で二度目。一年前に故郷からエーレスタにやって来た時以来だ。

 そのまま進むと、だんだんと穏やかなセレナ内海に面する平地に家々の屋根が密集しているメルズポートの街が見えて来る。丘を下るにつれて、街を取り囲む外壁や整備された大きな港。そこに並ぶ大小沢山の帆船の姿も見えて来た。

 私も一年間、このメルズポートの港からエーレスタに入ったのだ。

 あの時は緊張でカチコチになっていたから、周りの風景なんて気にしている余裕はなかった。そのせいで、今こうして改めて目にするメルズポートの街は、私にとって初めて来た場所の様に新鮮だった。

 街が見えてから到着するまでに随分と時間が掛かったが、夕刻、日が傾く頃にはバーデル隊はメルズポートの街に入った。

 メルズポートの町並みは、港町だけあって色々な風体の大勢の人で賑わっていた。建物はエーレスタの街よりも密集していて、全体的にゴミゴミと混み合っていて狭苦しい街という印象を受けた。

 同じバーデル隊の先輩女性騎士リナさんに聞いた話だと、普段なら海産物を扱う市が港方面にずらりと並び、交易品を乗せた船が頻繁に行き来して一日中活気に溢れているそうだが、やはりオルギスラ帝国との戦争が影を落としているのか、少し沈んだ空気が街中に漂っている気がした。

 街中の至る所にはためくエーレスタ騎士団の軍旗と第2大隊の隊旗が、物々しい雰囲気を作り出しているのもその原因の1つかもしれない。

 今この街には、第2大隊の本隊がやって来ている。

 北東の国境、ローデン街道方面からの接近が警戒されているオルギスラ帝国軍に対処するためだ。

 第2大隊には全軍動員が掛かっているようだから、万を超える戦力が今この街周辺に集結している事になる。街に入る前、城壁の外にもエーレスタ騎士団の天幕が大量に並んでいた。恐らくあれがそうなのだろう。

 フェルトくんやオレットさんも、ここに来ている筈だ。

 フェルトくんには私もこれから任務で頑張るのだと面と向かって宣言してやりたかったが、オレットさんに見つかるとまた叱られそうなので、出来れば目立たないようにしておきたかった。

 しかし、このメルズポートでこそ、私の仕事が山盛りなのだ。

 バーデル隊はこの街に2日ほど逗留する事になっていた。その間私は補給物資の借り上げなど、第2大隊の担当との間で色々と事務処理をこなさなければならなかった。

 半ばこの為につれてこられた様なものだから、忙しいのは仕方がない。きっちりとこなして、バーデル隊長の期待に応えなければ……。

 食料はもちろん、野営用の資材や予備の武具、馬なども第2大隊から借り受ける。相手の担当さんが非常に手慣れていたので、諸々の手続きは全て円滑に進められた。

 遠征用の物資がここメルズポートに集積されていたので、エーレスタから運んでくるよりも効率的ではあったけど、全て第2大から隊借りるというのはどうも気が引けてならなかったが……。

 物資と同時に、バーデル隊はここで第2大隊所属の一般兵30も借り受ける事になっていた。

 この兵員の補充は、騎士団上層部がバーデル隊長の任務を承認する代わりに出した条件の1つでもあった。上層部は、訓練は積んでいても実戦慣れしていないバーデル隊に、実戦慣れした兵を同行させたかったのだろう。

 期限内に事務手続きを終えた私は、バーデル隊長に笑顔で誉められた。

 頑張った甲斐があるというものだ。うん。

 私たちバーデル隊は、予定通りメルズポートを出立した。

 進路は南へ。

 ここからが今回の警備任務の本番だ。

 街を出て再び登り道に入ると、私はちらりと振り返って遠ざかるメルズポートを見た。

 結局、フェルトくんにもオレットさんにも出くわす事はなかった。

 メルズポートでも、帝国軍が国境に迫っているという話はあちこちで聞いた。もしかしたら、あの2人も早々に国境方面に出ているのかもしれない。

「……2人とも、無事だといいけれど」

 遠ざかる街を見つめながら、私はそっと小さく呟いた。

 2人だけではない。

 気のいい第2大隊のみんなが無事にまたエーレスタに帰れますように。

 私は心の中でそっと祈る。



 メルズポートを発った後。南に向かうバーデル隊の隊列の中で、私は最後尾の一団と一緒に行軍する様になっていた。

 この隊列最後尾には、荷馬車を連ねた補給部隊と、その警護についている第2大隊所属の一般兵の方々が集まっていた。

 私は一応物資管理の担当なので、バーデル隊長から彼らの随伴を命じられたのだ。

 他にも3名の先輩騎士が補給隊の随伴担当を命じられていたが、メルズポートを出てしばらく後にみんな前方の騎兵隊本体の方に行ってしまった。

 うーん、いいのだろうか……。

「しかし、お嬢みたいな話せる人がいて助かりましたぜ」

 槍を携えて荷馬車の横を歩く兵士の1人が、馬上の私を見上げて笑い掛けて来た。

「いえ。こちらもオーズさんみたいなベテランに来ていただいて助かります」

 私はその兵士、オーズ兵長さんに向けてふわりと微笑み掛けた。

「ったく、貴族さまの部隊について行けと命じられた時には、げんなりしたもんですがね。お嬢みたいな気取らない可愛らしい娘さんとお散歩出来るなら、こっちに来て良かったってもんだぜ」

 少し声をひそめながら、オーズさんがニヤリと悪戯っぽい笑み浮かべた。

 私は、取りあえずはははと笑っておく事にした。

 オーズ兵長さんは、第2大隊から借り受けた一般兵部隊の隊長さんだった。

 私からすれば小山の様な大きな体のベテラン兵士で、鍛え上げた筋肉と日に焼けた赤銅色の肌が特徴的だった。短く刈りこんだ髪に厳しい面構え、それに頬についた古傷が、オーズさんが歴戦の強兵である事を示していた。

 メルズポートから南部を目指す行軍が始まってもう3日目。

 1日の大部分を一緒に歩いていると、オーズさんを初めとする第2大隊の一般兵の皆さんとも自然と打ち解ける事が出来た。

 第2大隊の兵士の皆さんは、みんな気さくで陽気な人たちばかりだった。

 それに、普段はにこにこと冗談を飛ばして笑い合っているのに、号令が掛かるとオーズさんを中心に皆が一体になってキビキビと行動する姿は、見ていて何だかとても頼もしかった。

 旅に関するあれこれを教えてもらうのも勉強になったし、楽しかった。

 貴族の先輩方はあまりこちらには近づいてこなかったけれど、私は何だか居心地が良くて、ずっとオーズさんたちと行動を共にしていた。

 オーズさんたち良い人にも出会えたし、警備巡回の任務は今のところ順調そのものだった。

 最初に訪問した村でも、私たちは村人さんから歓迎を受けた。

 盗賊などの具体的な被害はなかったけど、いつも巡回している第2大隊の騎士たちが引き上げてしまったという話が出ていたところに私たちの隊が現れて、みんなほっと安心した様だった。

 このまま次の村でもまた住民の方々に安堵の笑顔を浮かべてもらう事が出来れば、それは私にとって何よりも嬉しい事だ。

 騎士になった甲斐があるというものだから。

 太陽が一番高くなる時間帯。バーデル隊は深い森の中を抜けていく。強い日差しは木々が遮ってくれるので、森の中の行軍は快適だった。

「オーズさん。この後もよろしくお願いしますね」

 私は手綱を握る手に力を込めて、オーズさんを見た。

「任せて下さい、お嬢。なぁ、野郎ども!」

「おおっ!」

 オーズさんの号令のもと、兵士のみなさんから野太い声が上がった。前を行く騎兵隊の何人かが、何事かと振り返ってこちらを見ていた。

 そして次の村、その次の村を経由し、メルズポートを出て4日目。とうとう私たちは、竜山連峰の麓に辿り着こうとしていた。

 その日も私は、オーズさんたちと一緒に隊列の最後尾を進んでいた。

 だんだんと不整地が目立つ様になってきた街道は森を抜け、なだらかな起伏を繰り返す草原に出ていた。

 あたり一面を覆う丈の短い草が、吹き抜ける風にざざっと揺れる。それはまるで、数日前目にしたセレナ内海の波の様だった。

 隊の右手前方からは、険しい山々が迫ってきていた。天を突く山々の峰が重なる向こうには、遠く山頂に雪を被った山もちらりと見えた。

 エーレスタの街やお城も巨大な建築物だが、やはり自然の圧倒的な存在感にはかなわない。私は馬上から、その雄大な景色にただただ目を奪われていた。

 あれが、竜の住んでいると伝えられる山……。

 街道はこのままその山々の方へと進み、やがて再び森の中に入って行く事になる。

「お嬢。大した事じゃないんですが、1つお聞きしてもいいですかい?」

 ぽかんと景色を眺める私に、オーズさんが話し掛けて来た。

「なんでしょう」

 私はオーズさんを見て小さく首を傾げた。

 私が貴族の出ではないと説明しても、オーズさんたちは私をお嬢と呼ぶのを止めてくれなかった。

 ……もう訂正するのは諦めた。

「数日間過ごしてわかったが、この隊は隊長のバーデルさまを初め、色々な国の有力貴族の関係者ばかりだ」

 オーズさんが俯き加減に横目で私を見た。

 まぁ第3大隊なのだから、それが当たり前なのだけど……。

「第3大隊にしても、こう家格が高い家の関係者ばかりというのも気になるんでさ。あんまり前例のない第3大隊主導の任務といい、この編成には何か意味があるんですかい?」

 うーん。

 既存の中隊ではなく選抜部隊というのは、私も疑問に思っていたけれど……。

「……隊長の選抜なんだと思いますけど、それにしてもオーズさんは貴族に詳しいんですね」

 私は先程とは逆に首を傾げた。

「そりゃ、ボスはインテリですからね! こんな厳つい顔して!」

 オーズさんが何かを言うよりも先に、他の兵士さんが大げさに肩をすくめて見せながら声を上げた。

「うるせえよ」

 顔をしかめるオーズさん。

 隊列の中に、ぱっと笑いの花が咲いた。

 しかしその瞬間。

 オーズさんが不意に立ち止まる。そして、無表情のまま、ぱっと片手を上げた。

 歩兵の皆さんの顔色が変わる。隊が一斉に立ち止まり、ガチャガチャと武器の準備が始まった。

 えっ。

「あ、あの、みなさん、どうしたんですか?」

 私も慌てて馬を止めて振り返るが、既に荷馬車を囲む様に展開し始めたオーズ隊に、先程までのにこやかな雰囲気は微塵もなかった。

 皆厳しい顔をしている。

「お嬢。前方です。煙が出てます」

 オーズさんが厳しい顔で前方を指差した。

 その先。

 竜山連峰から連なる山の稜線の向こう、小高い峠になっている街道の先から、微かに黒煙が立ち上っているのが見えた。

 それも、何筋もだ。

「ありゃ、煮炊きの煙じゃありませんぜ」

 オーズさんがすっと目を細めた。

 では何がと聞き返そうとした瞬間、隊列の前方から全隊停止と騎士は集合の旨の伝令が飛んできた。

 私はオーズさんと軽く頷きあってから、馬のお腹を蹴って走り出す。

 直ぐに一番前を進んでいた騎馬部隊に合流出来たが、先輩騎士たちを始め、バーデル隊長も緊張の面持ちで峠の先に続く街道を睨み付けていた。

 どうやら前方の異変を察して、既に斥候が放たれている様だ。実戦慣れしていないといえども、さすが先輩たちだ。行動が早い。

 私も先輩騎士たちの後ろに並び、その斥候が帰ってくるのをじっと待った。

 まだ遠くだが、あれは確かに黒煙だ。

 煙が上がっているという事は、何かが燃えているという事だ。

 あちらの方角には、私たちが次に目指している小さな村がある筈だった。

 胸がきゅっと締め付けられる気がした。

 ドキドキと高まる鼓動が、ぐらぐらと全身を揺らしている様な感覚に襲われる。

 もしかして……。

 恐れていた最悪の事態。バーデル隊長の言っていた様に、騎士団不在を狙った野盗が村を襲っているのだとしたら。

 私は手綱を握る手にぎゅっと力を込めた。

 ……困っている人がいるなら助けに行かないと。

 それが、騎士の務めなのだから!

 私はゆっくりと大きく深呼吸してから、腰の剣の柄にそっと手を置いた。

 実戦。

 とうとう、戦うのか、私も……。

 緊張と不安で何だか苦しい。

 そこへ、遠くから馬蹄の音が響いて来た。

 前方の峠から、全身鎧姿の重装騎士が姿を現した。

 斥候に出ていた先輩騎士だ。

 斥候役の先輩は、私たちに突進する様な猛烈なスピードで駆け戻って来た。紺のマントが風を受けて激しくはためいていた。

「た、隊長! ご報告致します!」

 隊の前で急停止した先輩が、大声を上げた。その声は焦りで上擦ってしまっていた。

 乗り手の動揺を悟ったのか、斥候の先輩の馬が激しく嘶いた。

 先輩騎士は、手綱を引いて馬首を回しながら声を張り上げた。

「前方の村が襲撃されています! や、野盗などではありません、あれは!」

「落ち着け、ハイネマン。敵は何だ。誰が村を襲っている」

 落ち着き払ったバーデル隊長の声。この状況においても、びっくりするほど冷静だ。

「は、はいっ! その、しゅ、襲撃者は黒の軍装を身に着けた一団! あ、あれは、オルギスラ帝国軍かと思われます!」

 その瞬間。

 私は目を見開き、固まってしまった。

 愕然とする。

 ここは、竜山連峰の麓。エーレスタ騎士公国の領内奥深くなのだ。

 なぜ。

 なぜ、こんなところにオルギスラ帝国軍が……!

 声が出ない。

 手綱を握る私の手は、小刻みに震え始めていた。

 私は突然の事態に呆然としながら、ただ目を見開き、前方で立ち上る黒煙を見つめる事しか出来なかった。


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