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第54幕

 灰色の世界に浮かぶ巨大な黒い竜。

 このリーナシュタット攻略戦に参加している全ての将兵が、その圧倒的な存在感を放つ黒い竜に目を奪われていた。

 漆黒の竜の赤い目が爛々と輝いている。

 あれだけ轟いていた砲声がいつの間にか止んでいた。青の光を振り撒いていた竜晶石砲弾の砲撃も、今は止まっていた。

 嘘の様に静まり返ってしまった戦場を巨大な黒い竜が睥睨する光景は、まるで伝承の一場面を切り取って来たかの様に幻想的で、神々しささえ漂っていた。

 ただし、その中心に居座る黒の竜はあまりにも禍々しく、私には、この地に生きる全ての存在にとっての敵としか感じられなかったのだけれど。

 周囲が圧倒される中、アーフィリルに邪竜と呼ばれたその竜は、ゆっくりと首を動かし天を見上げる。少しの間そうしていたかと思うと、再び地上に広がるサン・ラブール連合軍を見下ろす邪竜ナハティガル。今度はその腕を広げ掌を上に向けて、何度も指を開いたり握りしめるという様な動作を繰り返す。

 まるで、体の具合を確かめている様だった。

 そして、この世界に存在している事を確かめている様でもあった。

 竜晶石砲弾ストラーフェの着弾によって黒煙をあげるリーナシュタットの街の上空で、再び邪竜ナハティガルが咆哮を上げる。

 空気が震える。

 その大音声は物理的な衝撃波となって、私のもとにも押し寄せて来た。

 同時に吹き荒れる吐き気を催す様な濃厚な魔素の奔流に、空中で静止し、ナハティガルの姿をじっと睨みつけていた私は思わず顔をしかめてしまう。

 もちろん世界を満たす普通の魔素であるならば、どんなに濃密なものであってもアーフィリルと融合したこの私が気分を害する事などない。

 しかし、ナハティガルから溢れ出す魔素は異常だった。

 まるで清廉な泉の中をたゆたっていたら、急に恐ろしく悪臭のする汚泥の中に突っ込んでしまったかの様だ。

 魔素である事は理解出来るのに、私たちを構成する魔素とはあまりに違い過ぎる。異質なのだ。

 生臭い。

 息苦しい。

 肌にチクチクと刺さる。

 邪竜が、魔素をあの様に腐らせてしまっているのだろうか?

 いや、あの邪竜が自身がこの様な出来損ないの魔素を生み出しているのか?

 私は歯を食いしばりながら顔をしかめる。

 いずれにせよ、アーフィリルに言われるまでもない。

 あれは、敵だ。

 あの黒い竜は、この世界と相容れるものではない。

 世界の異物。

 この世界にあってはならないもの。

 この世界で生きる私たちの敵。

 あれをこのまま放置しておけば、世界が侵食される。

 禍々しい、別のものへと。

 ひとしきり咆哮を上げたナハティガルは、さらに周囲の全てを威嚇する様に短く低く唸りながら、すっとその巨大な右腕を前方へと差し出した。

 その手に、光が集まる。

 それは最初、全てを呑み込んでしまうような漆黒の闇だった。

 あの違和感を覚える異質な魔素が、邪竜の手の中に収束していく。直視したく無くなるほど高密度に。

 その魔素の塊の影響で、周囲の大気がゆらゆらと揺らめき始めていた。

 闇はやがて、眩い黄金へと変化し始める。

 邪竜の黒い体が、金色に照らし出された。

『くっ、いかん! セナ、あれはこの大地を汚す力だ! 撃たせてはならぬ!』

 いつも冷静で物静かなアーフィリルが、私の胸の中で吠える。

 アーフィリルは、かなり焦っている様だった。私が一瞬でも臆して動けないなら、すぐさま融合を解除して自ら突撃して行きそうな様子だった。

 私は邪竜ナハティガルを睨み付けたままやや身を屈め、小さく頷く。

 もちろん、そんな事はさせない。

 アーフィリルだけを行かせるものか。

 散々私たちの戦いに付き合わせて来たのだ。

 アーフィリルの敵を討つのに、私が行かずしてどうする。

 それに。

 この世界に生きる者として、私も理解する事が出来た。

 あの巨大な黒い竜は、止めなければならない。あれは、私の敵でもある。

「行くぞ、アーフィリル!」

 私はそう宣言すると、さっと剣を構えた。

『気を付けろセナ。あの光を大地に撃ち込ませてはならない!』

 怒りを抑えつけたアーフィリルの声が響く。

 ナハティガルの手に集まった眩い光が、棒状に伸び始める。それはまるで、アンリエッタの槍の様だった。

 ナハティガルの巨体に合わせて伸びるその光は、既にリーナシュタットの街や城のどの尖塔よりも長く巨大になりつつあった。

 私は背中に展開した飛行制御用の翼に魔素を込め、突撃の態勢を取る。

『邪竜は、あの光の柱を大地に撃ちこみ、全てを侵食、支配する。あれを放置すれば、この地は奴の手に落ちる』

 胸の中にアーフィリルの低い声が響く。

 私は小さく頷き、僅かに体を開いて振り返りナハティガルに目を向けているアンリエッタを一瞥した。

 邪竜の企みは、私やサン・ラブール連合軍にとっての脅威というだけではない筈だ。あれは、あの黄金の光の柱は、帝国軍も含め、この場にいる者全てにとって危険なものなのだ。

 しかし、私と邪竜の間に立ち塞がる様にして滞空しているアンリエッタに、道を譲る様に説いても無駄だろう。

 あれは、あの邪竜を見て笑っていた。

 アンリエッタならば、邪竜が放つ魔素の異様さに気が付いているだろうに。

 説得出来ないならば、力尽くで押し通るしかない。そして、ナハティガルの光の槍を打ち砕く。

 私は、ふっと短く息を吐く。

 そして次の瞬間。

 全速力をもって、邪竜ナハティガルへ突撃する。

 周囲の戦場の風景が一瞬にして後方へと流れ、アンリエッタの間合いが一気に無くなる。

『はぁ、せっかちねっ!』

 こちらを向いたアンリエッタが、黒の槍を横薙ぎに振るう。

 ふっ。

 これは、こちらの動きを予期していた反応速度だった。

 それはこちらも同様だが。 

 私はひょいっと高度を上げると、槍を回避。同時にアンリエッタの胸部装甲を蹴りつけ、その勢いを利用して斜め後方に向かって上昇する。

『ぐ、私を足蹴に……!』

 これは予想外だったのか、蹴られてやや高度を落としたアンリエッタと、急速上昇する私との距離がぐんぐん開く。

 私は曇天の空に向かって登りながら、すっと白の剣の切っ先をナハティガルに向けた。

「アーフィリル、竜の咆哮を!」

『承知!』

 移動しながらでは熱線の収束率が落ちてしまう。

 しかし今は、まずナハティガルの行動を阻止しなければならない!

 剣先に白の光が集い始める。

 いつもなら他を圧倒する白光は、しかし今はあの邪竜の黄金の光に比べると些か見劣りする感があった。

 いけるか。

 私はキッと邪竜を睨みつけ、顔をしかめる。

 その瞬間。

『セナ!』

 アーフィリルの警告が飛ぶ。

 何事だと問うよりも早く、私は咄嗟に回避運動を取る。

 体を回転させ左に軌道をずらしながら、上昇から平行移動へと急速転向。

 同時に前進しながら、竜の咆哮が収束する切っ先だけはナハティガルに向け続ける。

 くっ。

 急激な機動に体が軋む。

 先ほどまで私がいた空間を、下方から飛来した赤黒い魔素の光弾を撃ち抜く。

 さらに光弾が飛来する。

 1つ、2つ、3つ、4つ!

 回避機動に気を取られ、剣先に集まった白の光が収束し切らない。

 ダメか!

 急速に接近してくる強大な魔素反応。

 アンリエッタ・クローチェ!

 私はキッと下方を睨みつける。

『あははははっ、そう簡単に行かせると思ったぁぁ?』

 ナハティガルの不快な魔素が満たす空域に、さらに不快なアンリエッタの高笑いが響いた。

『お前の相手は私だと言っているジャナイっ! 私に殺されナガラ、師団長とナハティガルの行う新しい世界への第一歩を見ながら、お前ハ死ぬの。良い? 良イワヨネ! あははははははっ!』

 再び私とナハティガルの間に立ちふさがる様に停止したアンリエッタは、ケタケタと壊れた様に笑う。

 こうなっては竜の咆哮は無理か。

 私は一度、剣先に集まった魔素を解き放つ。

 アンリエッタの手に握られた槍の周囲には、なおも複数の赤黒い光弾が浮かんでいた。

 そこで私は、ふと気が付いた。

 私と対峙するアンリエッタの黒い鎧には、一部、赤い光の筋が走っていた。その赤い光は、まるで心臓の鼓動に合わせるかの様に微かに明滅を繰り返していた。

 あれは。

 私は、すっと目を細める。

 カルザ王国の王都、フォルクスの街で、アンリエッタを戦った時。追い詰められたアンリエッタが見せた、あの強化形態と同じ光だ。

 あの時は全身に赤の光を走らせ、理性を捨てて獣の様になってしまったアンリエッタだったけれど、今回赤い光が明滅しているのは槍を保持している右半身のみだった。その口調もいつものアンリエッタとあまり変わらない様に思える。

 強化形態の力を制御している、という事なのだろうか。

 私は両手に保持した剣を握りなおし、再度の突撃に備えて制御翼に魔素を込めた。

 厄介な状態だが、今はアンリエッタの相手をしている場合ではない。

 アンリエッタを突破して、あの邪竜を止めなければならないのだ。

『……セナ』

「わかっている!」

 私は小さく身を屈めアンリエッタを睨みつけてから、前方に向かって飛び出した。

 全力加速。

 一気にトップスピードへ持っていく。

『ふふふふ、サァ来い!』

 アンリエッタが哄笑を上げながら光弾を放つ。

 私は最小の動きで体を傾け、その砲撃を回避する。

 アンリエッタが槍を突き出して来る。

 私は左の剣でそれを弾き、逆に右の剣でたっぷりと突進の勢いを乗せた突きを繰り出した。

 仰向けに倒れ込む様にしてこちらの剣を回避するアンリエッタ。

 私はそのままアンリエッタを無視し、ナハティガルに向かって飛ぶ。

 しかし間髪入れず、アンリエッタが追撃を仕掛けて来る。

「くっ!」

 私は、後方から飛来する光弾を回避しながらも前進する。

 アンリエッタと私の飛行速度は同等の様だったけれど、最小限の動きに留めているとはいえ回避運動をしながらでは、猛追を仕掛けてくるアンリエッタを振り切る事は出来ない。

『どうしたの、ドウシタノかしら、竜騎士サマ!』

 黒の光弾を乱射しながら、アンリエッタが距離を詰めてくる。

 半身を赤黒く光らせながら、槍を構えたアンリエッタが突撃してくる。

 その速度は、光弾よりも速い。

「しつこい!」

 私はくるりと反転すると、アンリエッタを睨みつけて叫ぶ。そして槍がこの身に到達する寸前、大きく翼を広げてふわりと高度を上げると、その赤黒く光る矛先を回避した。

 上下にもつれる様に位置を変える私とアンリエッタ。

 しかしそんな展開は想定済みだったのか、すぐさまアンリエッタが槍が振り上げて来た。

 空気を切り裂き、迫る槍の矛先。

 仰向けになる様に体を倒したアンリエッタの赤い目が、ギロリと私を追いかけてくる。

 体を回転させながら、私は空中で足を開いて踏ん張ると、両手の剣でその槍の一撃を受け止めた。

 槍と剣が激突する甲高い音が響き渡る。

 あまりの衝撃に腕が痺れる。

 体勢が崩れてしまいそうになってしまうのを、制御翼に力を込めてなんとか堪える。

『はっ!』

「ぐうっ!」

 さらに私の防御の上から力任せに槍を振り切るアンリエッタ。

 私は翼に魔素を込めて踏み止まろうと努めるが、その圧倒的な膂力にとうとう体勢を崩されてしまった。

 視界がぐるりと回転する。

 バランスを失った私は、錐揉み回転しながら大きく高度を落としてしまう。

 何とか飛行制御翼を展開して体を安定させた時には、私は完全にアンリエッタに頭上を抑えられてしまっていた。

 上空からこちらを見下ろすアンリエッタと、それを見上げる私。

『さぁ、モットもっと楽しみまショウ!』

 大仰に腕を広がたアンリエッタが、その槍の切っ先を私に向ける。

 再び容赦の無い光弾の砲撃が私を襲う。

 くっ!

 回避は出来ない。

 私は、ちらりと背後の地上を一瞥する。

 後ろには、未だ呆然とナハティガルを見上げている味方部隊がいた。例えそれがあの竜晶石砲弾ストラーフェを搭載した機獣の部隊であったとしても、むざむざと味方を撃たせる訳にはいかない。

 私は、前面に障壁を展開してアンリエッタの光弾を受け止める。

 眼前で爆光が広がる。

 私から逸れて地上に落ちる光弾は、素早くその進路に回り込んで白の剣で斬り捨てる。

 光弾の雨の中、アンリエッタ自身も突撃を仕掛けて来た。

『あはははハハハハハハッ!』

 私とアンリエッタは、上へ下へ場所を入れ替えながら何度も交錯する。

 アンリエッタの強襲を捌くのが精一杯で、私はナハティガルに向かう事が出来ない。

「くうっ!」

 ギリっと歯を食いしばる。

 黒の槍を弾いて上昇を試みながら、私はさっと周囲を見回した。

 ギルバートとマルクスの竜の黒鎧は、アルハイムやハイネら白騎士化した竜騎士たちと未だ激しい戦闘を展開していた。

 アルハイムやハイネは、善戦している様だ。

 戦闘では押されてしまっている様だが、ギルバートたちの足を止め、アンリエッタの援護をしようとする動きを防いでくれていた。

 地上の味方機獣部隊は、少し冷静さを取り戻したのか、竜晶石砲弾の砲撃を止めて陣形を組みなおそうとしていた。護衛の部隊が機能を取り戻し、僅かではあるがオレット隊から戻って来た騎士たちとも連携して帝国の襲撃部隊を押し戻し始めている様だった。

 味方に守られた竜晶石砲弾搭載の機獣部隊は、リーナシュタットの街の方へと進軍を始めていた。距離を縮めて、邪竜ナハティガルを砲撃しようというのだろうか。

『よそ見をしてイル余裕、アルノかしらっ!』

 私の斬撃を掻い潜り、さらに間合いを詰めて来たアンリエッタが、むんずと白の剣を掴む。

 赤黒い魔素と私の白い魔素が激しくぶつかり、周囲に光をまき散らす。

 アンリエッタは強化された右腕にさらに障壁を展開し、私の白の剣の刃を直接包み込んだのだ。

『アハハ、もらったあああアッ!』

 アンリエッタが絶叫する。

 矛先付近で短く握った槍を振りかぶるアンリエッタ。

 剣を固められて一瞬硬直した私の真正面から、黒の槍が迫る。

 私は咄嗟に掴まれてしまった剣を離す。そして体を開きながら精一杯首を傾けた。

 肩口に鋭い痛みが走る。

 白のドレスを切り裂いて、黒の槍が私の肩を掠める。

 鮮血が舞う。

 貫かれた白い髪が、はらりと舞った。

 思わず顔をしかめる。

 痛みに歯を食いしばりながら、しかし私は、今度は逆にその黒の槍をガシッと掴んだ。

『ハハハっ、やるっ!』

 アンリエッタが叫ぶ。

 力は向こうの方が上。

 私ごと軽々と槍を振り回すアンリエッタ。私を振りほどこうとしているのだ。

 体が浮かび上がり、槍から手が離れそうになる。

 力を込めて耐える。

 耐えながら、私はすっともう片方の剣をアンリエッタへと向けた。

 剣の切っ先に白い光が収束する。

 咄嗟にかき集められる魔素など僅かの量でしかない。

 しかしこの距離ならばっ!

「くらえっっ!」

『白花の竜騎士!』

 私とアンリエッタが同時に叫ぶ。

 そして遠心力に耐え切れなくなり、私の手が槍から離れたその瞬間。

「これでっ!」

 私は、剣の切っ先から収束熱線を放った。

 眩い白の光が周囲を満たす。

 槍から振りほどかれた勢いで、私は大きく後ろへ飛ばされる。

 咄嗟に放った簡易版竜の咆哮光の光の中に、アンリエッタの黒い鎧が呑み込まれる。

 その刹那。

 私の放ったその白光を塗り潰す様に、周囲一帯に黄金の光が広がった。

「何だ!」

 私は全力で姿勢制御に努めながら、その光の先に目を向ける。

 即ち、邪竜ナハティガルの方へと。




「はぁ、はぁ、はぁ」

 足元に広がる森の木々の先端に足が付かんばかりの高度まで降りてきてしまった私は、そこでようやく安定を取り戻す。そして乱れる息を整えながら、ナハティガルを睨みつけた。

 ナハティガルは、私とアンリエッタが戦っている間も変わらず黄金の柱に魔素を注ぎ込んでいた様だ。

 アンリエッタとの戦闘に気を取られている僅かな間に、その黄金の柱はさらに巨大化し、先ほどとは比べ物にならない程眩い光を放ち始めていた。

 金の光の柱は小雨を降らす曇天の空を突き破り、天へと延びていた。

 モノトーンの世界が、金色に侵される。

 完成した、という事だろうか。

 背筋がぞわりとする。

 冷たいものが胸の間を伝い落ちて行く。

 間に合わなかったのか。

 いや。

『セナ、拙いぞ!』

 アーフィリルの厳しい声が響く。

 まだだ。

 まだ諦めるには早い!

「わかっている! アーフィリル、竜の咆哮をっ!」

 そう叫ぶと、私は高度を上げながら白の剣の切っ先をナハティガルへと向けた。

 熱線のために魔素を練り上げながら、私はアンリエッタの姿を探す。

 こちらの攻撃を至近距離から受けたアンリエッタは、全身から煙を上げながら高度を落として行くところだった。

 随分と距離が開いてしまっているが、アンリエッタもこちらを見失ったという事はないだろう。

 直ぐに反撃してこないという事は何かしらのダメージは与えたのだろうか。遠目には、装甲表面を焼いた以外には変化は見られなかったが。

 私の攻撃も完全とは程遠いものだった。急がなければ、アンリエッタはすぐにでも攻撃を仕掛けてくるだろう。

 それまでに、目の前のナハティガルを何とかしなければならない。

 私はゆっくりと深く息を吐く。そして、改めてナハティガルを睨みつけた。

 長大な黄金の槍を携えた邪竜。

 金の輝きが全てを呑み込むその中であっても、その赤い目だけは爛々と輝いているのが見て取れる。

 胸の奥がキリッと痛む。

 私は以前、こんな光景をどこかで見た事がある気がする。

 黄金の階が、まるで世界の終わりを告げる様に天と地を繋ぐ光景を。

 4枚の補助制御陣が展開され、白の剣の切っ先に魔素が集まって行く。

 剣先に収束する光から溢れた魔素が周囲の空間にもれ、弾ける。

 早く、早く、早く!

 おもむろにナハティガルが腕を振り上げる。それに合わせて、巨大な黄金の槍が振り上げられた。

 間に合うかっ?

 ナハティガルの周囲に、黄金の槍から零れ出した異常魔素が光の粒となって舞い上がり始める。そしてその光はナハティガルを照らし出し、足元のリーナシュタットの街を照らし出す。

 それは、見た目だけであれば美しいといえる光景だった。

 しかし私の中では、危機感と焦燥感がどんどんと大きくなっていく。

 狙いは、あの長大な黄金の光の槍。

 その持ち上げられた先端部。

 アーフィリルの全力の収束熱線を受ければ、あれを撃ち貫ける筈だ。

『収束率90……』

「よし!」

 アーフィリルの声を受け、私が力を解き放とうとしたその瞬間。

 ヒュンッと空気を切り裂き、黒の影が走る。

 突如飛来した黒の槍が、カンッと私の白の剣を弾いた。

 黄金の柱に向けた白の剣が、僅かにずれる。

 その刹那。

 破壊エネルギーに転化された白の魔素が、一気に解き放たれた。

 大気を切り裂き、白光が走る。

 灰色の空の下、眩い白の光が一条の光線へと収束し、一直線にナハティガルへと向かう。

 白光の一撃は、しかしナハティガルが生み出そうとしている黄金の光の柱を掠め、その傍らの空間を貫いた。

「アンリエッタ・クローチェっ!」

 私は叫びながら、白の光を放つ剣を両手でぐっと握りしめ、熱線の照射先を黄金の光の柱へと向ける。

 しかし白の光が黄金の柱を捉えようとした寸前。

 収束熱線は、見えない壁に阻まれてしまう。

 邪竜ナハティガルが、強力な障壁を展開して私の竜の咆哮を受け止めたのだ。

 おのれ!

 全力の竜の咆哮でも貫けないのかっ!

『くっ!』

 アーフィリルが呻く。

 白の魔素の光が邪竜の障壁に激突し、千々に乱れて周囲の空間へと拡散していく。

 そして。

 ナハティガルに有効打を与えられないまま、収束熱戦の照射が終わった。

 私は補助制御陣の消えた白の剣をばっと振り、ナハティガルを睨みつけた。そして、さっと左の空域を一瞥する。

 そこには、僅かに傾きながら飛ぶアンリエッタの黒の鎧があった。

『あはハハっ、白花の竜騎士サマ! お前ニ師団長の邪魔なんてサセナインダからっ!』

 くっ。

 私が短く唸ったその瞬間。

 ナハティガルが、ゆっくりと黄金の槍を振り下ろした。

 長大な光の塊が、ゆっくりと邪竜の足元のリーナシュタットに突き立てられる。

 光が溢れる。

 街の中央部から粉塵が立ち昇る。

 その光の柱の落着地点を中心に、全周囲に向かって衝撃波が駆け抜けた。

 巻き起こる突風に付近の木々が大きく揺れ、街を取り巻く将兵たちが身を屈めて耐える姿が見えた。

 地響きが巻き起こる。

 そして、その変化は直ぐに現れた。

 リーナシュタットの街を含めたその周囲の土地が、淡く黄金に輝き始めたのだ。

 黄金の領域は、徐々にその色味を濃くしながら広がって行く。

 同時に、魔素が、周囲の全ての魔素が塗り替えられて行く。

 平常なものから、あの邪竜と同質の異形のものへと。

 地上が金色に塗りつぶされていく一方で、上空では光の柱を中心に、今まで雨を降らせていた雲が吹き飛ばされていた。

 円形に切り取られた空から、夕刻を迎えようとしている淡い青空が見える。

 光の柱は真っ直ぐにその空の先へと延びて行く。

 その頂は、既に見えない。

「これは」

 思わず私は、小さく呟いていた。

 異常を起こしている範囲は、決して広い訳ではなかった。黄金に輝いている大地は、リーナシュタットの街とその周辺の僅かな範囲だけだった。

 街の直近に展開していた部隊はその黄金の領域に呑まれてしまった様だが、私の足元までは及んでいない。味方機獣部隊や、バーデル伯爵のいる中央軍本陣があると思われる場所も同様だ。

 黄金に塗りつぶされた領域内では、特に爆発や破壊が起こっている訳ではなかった。ただ、平原も岩塊も森も木々も石造りの城壁もリーナシュタットの街並みも、全てが黄金色に染め上げられているだけだ。

 光の粒が、ゆっくりと天へと舞い上がって行く。

 ただの人には、今目の前で何が起こっているのかわからないだろう。

 しかし魔素の流れが見える今の私はには、しっかりと見えていた。

 あの黄金の領域が、世界を司る魔素の循環から完全に切り離されてしまっているという事を。

 魔素は、世界に流れる血液の様なものだ。

 この世に存在する全ては、常にその魔素の流れと繋がっている。そしてその繋がりを断たれては、そこに在る事が出来なくなってしまう。

 あそこには、多くのサン・ラブール連合軍の将兵がいた。

 帝国軍もいた。それに、リーナシュタットには、一般市民だって沢山いた筈だ。

 それを。

「何て事を」

 私は呆然とそう呟いていた。

 その全ての者たちを、一瞬にして世界の魔素の循環から切り離したのだ。

 あの黄金の光の中では、もう誰も生きてはいられない。

 全身が震える。

 その事態を呑み込んだ瞬間、私はキッとナハティガルを睨みつけていた。

「何という事をっ!」

 怒りがこみ上げてくる。

 全身を支配する炎の様な怒りが。

 あの邪竜は、剣や槍、さらには砲撃や熱線照射といった物理的な攻撃ではなく、既存の物から自身が生成する異形の物へと魔素を置換するというやり方で全てを奪い去ったのだ。

 ギリっと奥歯を噛み締める。

 握りしめた手が、わなわなと震える。

 怒りで、頭の中が真っ白になる。

『ふふふ、マサカこれで終わりだなんて思ってナイでしょうね、竜騎士サマ』

 そこに、アンリエッタの嘲笑が響いた。

 その瞬間。

 俄かに戦域が騒がしくなる。

 さっと周囲を見回すと、リーナシュタットの周辺地域で戦闘が再開しているのが見えた。

 今までナハティガルの出現と黄金の光の柱に目を奪われ、皆動きを止めていた筈だ。それが、こんな時に帝国軍が動き始めたとでもいうのだろうか。

『……始まったか。これでは、あの大戦の繰り返しだ』

 アーフィリルが苦々しく呟く。

 私はアーフィリルの言葉に眉をひそめ、部隊の動きが一番活発になっている場所、黄金の領域の外縁部に目を向けた。

 そして、思わず息を呑む。

 金色の領域の外、ナハティガルに侵食されていない無事な地域に向かって、金の光が溢れて出している。

 いや、違う。

 金色の人型が、その近くで呆然と立ち尽くしているサン・ラブールの部隊に襲い掛かっているのだ。

 私は僅かに目を見張り、剣を握る手に力を込めた。

 金色の領域から無数に溢れかえって来るその軍団は、人の形をした異形だった。

 全身が金色に覆われたその姿は、金の甲冑を身に着けている様にも見える。皆一様に、手には剣や槍、歩兵銃などの武器を携行している。

 しかし銃を持った兵は、射撃をしている様子はなかった。

 銃歩兵も、剣や槍を持った者と同様に、近場の味方兵に向かって殴りかかっている。

 黄金兵たちは皆、戦いというにはあまりにもお粗末な、ただ手にした得物を振り回すだけの突撃を行っていた。

 その黄金兵たちの最も異様な部分は、顔だった。

 無数に溢れかえる兵たちの顔は、皆一様に真っ黒だった。

 その真っ黒の面の真ん中に、一つ目の様に赤い光が灯っている。

 あれは、何なのだろうか。

 人間なのだろうか。

 アーフィリルと癒合した今の私にも、あの黄金兵たちの魔素の流れが見えない。あれが生きているものなのか何なのかすらの区別もつかないのだ。

 そんな異形たちが、味方部隊に襲い掛かっている。

 もの凄い数だ。

 私はそこで、ふっと眉をひそめた。

 黄金の領域を離れ、その兵たちが放つ金色の光が弱まると、奴らが身に着けている装備の仔細が見えて来た。

 黄金に輝く雑兵共の外装は、サン・ラブール連合軍の将兵の鎧と同じだった。さらには、銃を手にした兵は帝国軍の鎧の形をしている。

 どれも金色に輝き、黒の面をつけていたけれど。

 最初は不意を打たれた様だったが、黄金領域の近くに展開していた中央方面軍が応戦を開始する。

 個々の黄金兵はさほど強敵では無い様だ。しかし如何せん数が多い。

 サン・ラブールの将兵がいくら倒しても、黄金兵は次から次へと押し寄せて来る。

「あれは何なのだ、アーフィリル」

 私は突如として始まった異形の軍団との戦闘を見下ろしながら、アーフィリルに問いかける。

『あれは、人間だ』

 アーフィリルが平板な声でそう短く告げると、一瞬沈黙した。

『いや、正確には、人間だったものだ』

 私は、思わず眉をひそめる。

 そして直ぐに、アーフィリルの言わんとしている事を理解した。

「まさかっ!」

 私は大きく目を見開き、言葉を失う。

『うフフフっ、気が付いたカシラ。これがヴェルナート師団長のオ力。全てを支配スル絶対的な力よ!』

 アンリエッタが、勝ち誇った様にばっと腕を広げた。

『師団長サマは、ナハティガルの魔素を持ってその領域内の全テノ人間を操ってイルノヨ。サン・ラブールも帝国も関係ない。騎士モ市民モ関係ナイ。ふふっ、生キテイル者も死んでいるものすらも関係ナクネ!』

 人を、人間を操っている!

 その魔素を支配する事によって、か!

 私は言葉を失う。

 巨大な拳で殴りつけられたかの様な衝撃が全身を駆け抜け、一瞬遅れて猛烈な怒りが胸の奥から溢れ出して来た。

 なんという事を。

 何という事をしているのだっ!

 私はギリっと歯を食いしばり、ぎゅっと剣を握る手に力を込めた。

 白の剣の柄が、みしりと音を立てる。

「これが、人間の所業なのか」

 その意思に関わらず人間を使役し、そして味方同士で殺し合いをさせている。一般市民さえも利用し、さらには既に力尽きた騎士や兵たちの亡骸さえも利用して!

 信じられない。

 信じたくない。

 しかし、その惨劇は現に目の前で起こってしまっている。

 強制的に魔素を書き換えられた当人たちにとっては、抗う術などなかっただろう。

 いや、未だ自身が操られている自覚さえないのかもしれない。

 彼らに、未だ自我というものが残っていればの話だが。

 こんな事が許されるのか。

 いや、許される筈がない!

 こんな不条理な支配を、許せる筈がないっ!

「アーフィリル」

 私は腹の底から絞り出す様な低い声で、胸の中の竜に呼びかけた。

「あのナハティガルを殺せば、人々はもとに戻るのか」

 アーフィリルは、少しの間沈黙する。

『……わからぬ。奴による浸食度合いが軽微であれば、あるいは人に戻れるやもしれぬ』

 そのアーフィリルの言葉を聞いて、私はふっと短く息を吐く。

「わかった。可能性があるならば、試すだけだ」

 私は溢れ返りそうな怒りを抑え込んで、短くそう言い放つ。そして白の剣を一旦消すと、静かに目を瞑った。

「アーフィリル。力を貸してくれ。あの敵を討つための力を!」

 今の私の全てを掛けて、あの邪竜ナハティガルを討つ。

 あの様に理不尽な力で人々を支配する存在を、認める事など出来ない。

 竜騎士として、騎士として、私はあの竜を、それを操るものを討たなければならない!

『ふふふっ、ドウシタノかしら、竜騎士サマ! 感動した? これが何者スラモ支配する圧倒的な力! 世界の理サエモ作り変える最強の力よ! さぁ、お前も師団長サマの前で頭を垂れなさい!』

 アンリエッタが何かを叫びながら魔素を高めているのがわかる。こちらに突撃して来るつもりなのだろう。

 だが。

 今は、そんな事は関係ない。

『セナ。あれを、彼の世界の敵を討つために、その身、その力を我に貸してくれるか』

 アーフィリルが、私の台詞を繰り返す様にそんな言葉を投げかけてくる。

 私は、力を込めて頷く。

「無論だ。さぁ行くぞ、アーフィリル!」




『第2次接続を開始する』

 アーフィリルの厳かな宣言と共に、全身がカッと燃え上がる様に熱くなる。

 体の内側から魔素が溢れてくる。その量は圧倒的。膨大な力の奔流に、私の全てが焼き尽くされ、押し流されてしまいそうだ。

 ぐっと歯を食いしばり、私はその力に耐える。

 周囲の全てが私に繋がるのがわかる。

 この戦場に存在するすべての騎士や兵士たち、そして力なき人々の困惑、怒り、迷い。恐怖、悲しみ、後悔。

 懸命に戦っているオレットやフェルトの存在もわかる。マリアやレティシアたちも必死に戦っている様だ。あのバーデル伯爵も怒りに身を任せながら黄金兵の軍団と対している。

 しかし魔素に繋がる人々が無数に存在するこの戦場において、私も把握出来ない場所が存在する。

 それが、あの邪竜ナハティガルを中心とする黄金の領域だ。

 その部分だけがぽっかりと穴が開いているかの様に、魔素の流れを把握出来ない。

 すでに彼の地は、この世界の一部ではないのだ。

 大きな悲しみと喪失感が伝わって来る。

 これは、アーフィリルの思いか。

『魔素制御術式を次段階まで解放。セナ。強く意識を持て』

 アーフィリルの言葉と共に、さらに強大で真っ白な力の塊が私を呑み込む。

 くっ。

 押し潰される。

 塗りつぶされる。

 しかし、負けるものかっ!

 あの邪竜を倒し、皆を解放するまではっ!

 騎士として、私は戦うのだ!

 私の体の中で、アーフィリルの存在が膨れ上がった。

 そして。

 すっと目を開いた時、私は白の光に包まれていた。

 私の体は、いつものドレスの上から、さらに白く輝く鎧に覆われていた。そしてその鎧の各部から、背後に展開した飛行制御用の翼に加えて、さらに沢山の白の翼が、まるで花弁の様に展開していた。

 髪から溢れる余剰魔素の光はさらにその明るさを増し、髪だけでなく白の鎧の表面からも光の粒が溢れていた。

 私は、真っ直ぐに邪竜ナハティガルを見据える。

 あれを倒す。

 その思いは確かに胸の内にあったけれど、先ほどまでの怒りや動揺は完全に治まっていた。

 胸の内が静かだ。

 今までにないほどに。

『第2次接続完了。どうだ、セナ』

 アーフィリルの声が、静かに響く。

「問題はない」

 私は短く答えると、ナハティガルに向かってすっと手を差し出した。

『この状態では、人の身に掛かる負荷が大きすぎる。時間に留意せよ』

「了解」

 私はそう答えると、手の中に魔素を集約し、剣身が眩く白く輝く長剣を生み出した。その刃に緻密に刻まれた文様は、全て魔素の補助制御陣だ。

「これより邪竜ナハティガルを殲滅する」

 私は静かにそう宣言すると、白の剣をすっと振る。そして、邪竜に向かって前進を開始した。

『その姿、ヤット本気かっ、竜騎士!』

 黒の竜鎧が私の前に立ちふさがる。

 その手にした槍を大きく回転させ、黒の光弾を放ちながら私目がけて突進して来た。

 私は、黒の光弾に対しては何もしない。

 黒の破壊エネルギーは、私の体や髪から発せられる白の光の領域に触れた途端、一瞬にして消滅してしまった。

 迫りくる黒の鎧とその槍に対して、私はすっと目を細め、白の剣の切っ先を向けた。

 槍の矛先と白の剣の切っ先が激突する。

 一瞬の衝撃の後、黒の槍が破裂する様に砕けて消え去る。

『ばっ!』

 唖然とした様に声を上げ、急制動を掛ける黒鎧。

「消えろ」

 私はずいっとその眼前に踏み込むと、無造作に白の剣を振り下ろした。

『お、おのれェェェェ!』

 黒鎧は、咄嗟に防御場を展開して私の剣を防ごうと試みる。

 しかしその様なもの、あろうがなかろうが関係ない。

 私は防御場ごと袈裟懸けに黒鎧を引き裂くと、そのまま地上に向かって叩きつけた。

『クソクソクソクソ、クソガァァァ!』

 黒鎧の絶叫が響き渡る。

 しかし墜落する黒鎧を見送る事無く、私はナハティガルに向かって突撃を再開した。

 黄金の領域に隣接する周囲では、金色の兵と通常部隊との間で既に大規模な戦闘が展開されていた。

 皆頭上を飛翔するこちらを見上げる余裕はない様だ。目の前の敵と必死に戦っている。

 黄金兵は、戦術や作戦など関係ないという様に、ただ一心不乱前進しているだけだった。

 手にした武器を振り回し、斬り倒され突き崩され、吹き飛ばされたとしてもむくりと起き上がり、ただひたすらに迫って来る。

 例え体の一部を欠損したとしても。

 まるで、出来の悪い兵隊人形だ。

 周囲に展開するサン・ラブール連合軍は、その黄金兵の物量とダメージをものともしない行軍に押され始めている様だった。

 私はその光景にすっと目を細めると、高度を上げてナハティガルの黄金の領域へと踏み込んだ。

 邪竜が私を見上げ、威嚇する様に低く唸る。

 それだけで大気が震え、黄金の輝きを放つ邪竜の魔素が周囲に飛び散った。

 私は、すっと剣の切っ先をナハティガルに向ける。

 魔素を収束し、おもむろに熱線を照射する。

 今のこの身には、収束の為の時間など不要だ。

 放たれた白の光は、邪竜が展開した障壁によって阻まれる。

 一瞬、白の光は見えない壁によって受け止められる。しかし直ぐにその障壁を突き破り、熱線は邪竜の黒の表皮へと突き刺さった。

 邪竜が咆哮を上げる。

 それは苦悶の声だったのか、怒りの声だったのか。

 あいにく魔素の読めない邪竜の感情は理解不能だ。

 私はふっと息を吐く。

 黄金の領域内では、やはり外部の魔素とのリンクが断たれる様だ。攻撃出力にやや制限が掛かり、機動制御にも負荷が掛かっている。

 なるほど、この場は文字通りあの黒き竜の領域という訳だ。

 邪竜が赤い目で私を睨みつけ、さっと私に向かって両手をかざす。

 その次の瞬間。

 私の足元から、先ほどまでリーナシュタットの街があった方向から黄金の光が伸びて来た。

 光はまるで、それ自体が生きているかの様に私に向かって伸びてくる。

 まるで蛇の様にうねるそれらが無数に襲い掛かって来る光景は、いささか不気味だった。

 私はさっと加速し、その光の触手を回避する。

「面倒だな」

 短くそう吐き捨てると、私は片手にさらに白の剣を生み出す。そしてその刃から大きく白の光を展開させると、まとめて黄金の触手を薙ぎ払った。

 私にも、そして黄金兵化した人間たちにも時間制限がある。

 ここはまず、邪竜本隊よりもあの黄金の柱を排除すべきか。

 恐らくあれがこの地の黄金領域化を制御するものだ。あれを排除すれば、邪竜による支配は消え去るだろう。

 さらに地面から生えて来た新手の金の触手が、私の行く手を阻む様に幾重にも重なり壁を作り出す。

 無駄な事を。

 私はあえてその中に飛び込むと、その壁の中心にとんっと剣を突き立てた。

 ほんの僅かな量だけ、魔素を開放する。

 その次の瞬間、黄金の壁は呆気なく爆ぜた。

 前進しようとした私は、しかし動きを止める。

 その壁が消えた向こうには、いつの間にかこちらに向かってその巨大な頭を突き出すナハティガルの姿があった。

 その巨大な顎がくわっと開かれる。

 邪竜の口腔の中は、牙はあるものの、舌や喉など生物的な構造は見て取れなかった。ただ、黒い空間が広がっているだけだ。

 その口腔に光が集まる。

 赤と黒が入り混じった光が周囲に溢れ出し、激しくスパークする。

 私の視界は、あっという間にその禍々しい破壊の光に覆われてしまった。

 急加速、急速上昇。

 私は全速力を持って体を跳ね上げる。

 白い羽を展開させ、ふわりと回転する。

 視界がぐるりと回転する。

 その刹那。

 私の真下で、膨大な破壊のエネルギーが放たれた。

 赤黒い熱線は、私の白の光を掠めて後方へと逸れる。

 その衝撃波で、私の体は上空へと吹き飛ばされてしまった。

 姿勢を制御しながら視線を巡らせると、ナハティガルが放った光は遥か彼方にある山脈を直撃した様だ。

 曇天から降る霧雨の向こう、黒のシルエットと化していた山の連なりの中に、巨大な爆炎が噴き上げる。

 僅かに遅れて、世界そのものが揺れ動いたかの様な衝撃音が私のもとまで響いてきた。

 私はその惨状から目を離すと、足元へと目を移す。

 そこには、竜の咆哮を照射し終えたばかりの邪竜ナハティガルの巨大な頭部があった。

 すっと息を吸い込み、私は真っ逆さまに反転下降を開始する。同時に、両手の剣を大きく振りかぶった。

 破壊目標は黄金の柱だが、邪竜の首を落とせるならばその方がいい。

 私は無防備な邪竜の脳天を見据え、両手の白の刃を同時に振り下ろした。

 剣越しに、鈍い手ごたえが伝わって来る。

 私の白の刃は、邪竜の漆黒の表皮に突き刺さっていた。

 ただしそれは、頭部ではなく掌だ。

 ナハティガルは、頭上から振り下ろした私の一撃を、咄嗟に左手を掲げて防御したのだ。

 巨躯の割には、存外に素早い動きをする。

 ナハティガルは掌に剣を突き刺したまま、私を捉えようと指を閉じる。

 私は握りしめられる前に白の剣に魔素を込め、内側からその手を吹き飛ばした。

 赤黒い魔素の入り混じった血と黒の肉塊をまき散らせて、邪竜の左手が消し飛ぶ。

 一瞬広がった白光が治まると、その向こう側からナハティガルの真っ赤な瞳がこちらを睨みつけていた。

 左手を喪失したというのに、邪竜には痛みを感じている風も怒り狂っている風もなかった。

 邪竜の肩部や背部から、幾筋もの赤黒い光が放たれる。

 それは、先ほど地面から生えて来た黄金の光の触手の様に空中で軌道を変えると、真っ直ぐに私へと襲い掛かって来た。

 私は体を回転させながらその光を回避する。

 回避しきれない分については剣で切り裂き、消滅させる。

 しかしその回避運動の為に、私は一旦ナハティガルから離れなければならなかった。

 私とナハティガルは距離を取ると、じっと視線を交わす。

 私はナハティガルのやや上方から、その赤い目の巨竜をじっと見下ろした。

『ふむ、なかなかやるな、白花の竜騎士』

 邪竜ナハティガルから声が響いてくる。

 笑いを含んだ低い男の声だ。

『あのアンリエッタを一蹴するその力。そしてまだ完全とは言えないが、このナハティガルをも傷つける力。見事だと言っておこう』

 邪竜の表情は一切変わらない。赤い目で真っ直ぐに私を睨みつけているだけだった。

 この声は、あの邪竜と融合している者の声か。

 私と同じ様に竜と一体になっている人間が、この邪竜の力を操っているという事だ。

 こちらは表面に出ているのが私で中にアーフィリルを宿しているが、あちらはその逆といったところなのだろう。

『この世界を統べるナハティガルの力を試すには、格好の相手だな。くくくっ、良いだろう。良い機会だ。私手ずから相手をしてやる。かかって来ると良い』

 男の声は楽しそうに嗤う。

 それに合わせて、邪竜が咆哮を上げた。

 私は男の言葉に応じる事もなく、ただじっとその黒の竜を見据えていた。

 アーフィリルと融合した竜騎士たるこの身がなすべき事は、眼前の邪竜の殲滅。

 その邪竜に支配された人間たちの解放。

「再び地の底に送ってやる、邪竜よ」

『それこそが、我が使命』

 私の声とアーフィリルの声が重なる。

 白く塗りつぶされた意識の中に、かつての記憶が蘇ってくる。

 それが自分のものなのかアーフィリルのものなのかは、今の私には判断出来なかった。

 かつて同胞の竜たちと共にそうした様に、今回も私が、この大地の竜たるアーフィリルが悪しき紛い物の竜を打ち倒す。そして黄金の毒に侵されたこの大地を開放する。

 私は、白の剣をすっと構える。

「いくぞ」

 ぼそりと呟いたその言葉と共に、私は宙を蹴って突撃を開始した。

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