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第53幕

 帝国西部の要衝、バルクスを制圧したサン・ラブール連合軍は、本国の総司令部より北上の指令を受けると、いよいよオルギスラ帝国の帝都を目指して進軍を開始した。

 これまで私たちは、3つの方面軍をそれぞれ違うルートから進めて来たのだけれど、バルクスからは全軍が一丸となって帝国軍の本拠地である帝都オルス・イリシアを目指す事になった。

 その先方は、中央方面軍が務める。私たち北部方面軍と南部方面軍は、側面防御を兼ねながら中央軍の左右やや後方を行軍する事となった。

 あちこちに岩石が覗く荒涼とした原野を、サン・ラブール連合軍の軍勢が埋め尽くす。

 北へ向かって進むそんな私たちの頭上は、重く立ち込めた灰色の雲に覆い尽くされていた。

 あのバルクスでの戦い以来、私は晴れ渡った青い空をほとんど見た事がなかった。

 聞くところによると、オルギスラ帝国はこの時期、雨季なのだそうだ。

 雨季といっても、サン・ラブールの南部の様にまとまった豪雨が降るわけではないらしい。しとしと、霧雨の様な弱い雨がずっと降り続くそうだ。

 雨に煙る殺風景な原野と重苦しい空。歩くには不自由なぬかるんだ地面と湿度の高い不快な空気。どこまで行っても畑や人家は見えず、ずっとこの場に留まっていると、だんだんと憂鬱な気分になってしまいそうだった。

 しかしそんな周囲の様子に反して、味方の騎士や兵士たちは明るい顔をしていた。中には笑顔を浮かべ、笑い声を上げている者の姿まであった。

 皆がこうも明るいのには、理由がある。

 竜晶石砲弾ストラーフェによるバルクスでの大勝ももちろんその1つなのだが、最も大きな理由は、戦争の終わりが見えて来たと皆が感じている事だと思う。

 この先、バーデル伯爵の言葉が正しいならば親衛師団が拠点としているらしいリーナシュタットを落とせば、いよいよオルギスラ帝国の中枢が見えて来る。

 その帝都を攻略出来れば、この戦争も終わるという訳だ。

 皆、あの竜晶石の砲弾があれば、それも難しくないと考えているのだ。

 私はアーフィリルと融合した状態で軍馬に騎乗しながら、行軍する軍団の遥か前方、中央方面軍と鹵獲した機獣群がいるであろう方角をじっと睨み付けていた。

 戦争が終わる事については、歓迎する。

 しかし私は、関係ない者を巻き込んでしまうあの無差別大規模破壊兵器を、やはり認める事など出来なかった。

 今回のリーナシュタット攻略戦では、その私が竜晶石砲弾を放つ部隊の護衛を務めなければならない。

 今回は敵も竜晶石砲弾を警戒しているだろうから護衛戦力は多い方がいいとグレイたちも進言していたのだけれど、結局バーデル伯爵は私とオレット隊ら白花の騎士団の一部にのみ護衛を任せると言い切っていた。

 戦力不足の厳しい防衛線を皆に強いる事。そして護衛対象が気に食わない事。

 それが私を、周囲のオルギスラ帝国の風景の様に憂鬱な気分にさせていた。

 私は、騎士としてどうしたらいいのか。

 心の中でそんな何回目かもわからない問いを繰り返し、しばらく悩んだ後、私はふんっと短く息を吐いた。

 それを聞いた周囲の騎士たちが、びくりと身をすくませる。

「……最近の竜騎士さま、何だかおっかなくないか?」

「ああ。いつも機嫌が悪くてらっしゃるな」

「あの側近の小さな女の子も、最近ずっと悲しそうな顔をしてるんだよな……」

「何かあったのかな……」

 私はひそひそと会話を続けている騎士たちの方をギロリと見た。

 騎士たちがさっと目を逸らす。

 私は再びふっと息を吐き、軽い自己嫌悪に陥る。

 まるで自分が、騎士の皆に八つ当たりしてしまったかのように感じられたのだ。

「セナ」

 再び胸の内で自問自答を続ける私のもとに、フェルトが馬を寄せて来た。

 さっと白の髪を払ってそちらに目を向けると、フェルトは少し緊張した様な表情を浮かべていた。

 他の騎士ならいざ知らず、フェルトは私の視線程度で怖気づく様な男ではない筈なのだが。

 フェルトはさらに近づいて来ると、私の隣に馬を並べた。そしておもむろに、んっと手を差し出してきた。

 その手には、可愛らしい包み紙が乗せられていた。

 飴、だろうか。

「その、何だ。甘いものでも食べて元気出せよ。俺も、その、何だ……」

 今にも斬りかかってきそうな緊迫した表情で私を睨みつけるフェルト。

 私は横目でフェルトの顔を見ると、一旦飴に視線を移し、再びその顔を見た。そして、フェルトの手の上の飴を手に取った。

「すまないな、フェルト」

 私は短くそれだけを告げると、飴玉を口の中に頬り込む。

 む、甘い。

 そのまま前方に目を向けると、私は再びこれからの、リーナシュタットでの戦いについて考えを巡らせ始めた。

 考えておかなければいけない事、私の中でケリをつけておかなければならない事はまだまだ山ほどあるのだ。

 そのまましばらくしてふと気配を感じ、隣を見ると、少し項垂れた様子のフェルトがすごすごと離れていくところだった。

 その向こうには、顔をしかめているアメルとマリアの姿があった。アメルは露骨に、失敗かという様な表情を浮かべていた。

 フェルトやアメルたちは集まると、何かを話し合い始めた様だ。

「フェルトの役立たず! せっかく飴を渡す役を譲ってあげたのに!」

「お、俺のせいなのかっ?」

「セナ、大丈夫かな……」

 ぼそぼそと話す声が聞こえてくる。

 皆、何をしているのだろうか。

 今度は反対側から、オレットが馬を寄せて来た。

「あまりフェルトをいじめるなよ。あいつが積極的になるなんて、そうある事じゃないんだからな」

 訳知り顔でニヤニヤ笑いを浮かべるオレット。

 私はその言葉の意味がわからず、むっと僅かに首を傾げる事しか出来なかった。

「あまり考えすぎるなよ、セナ。考えてもどうにもならない事もある」

 オレットが笑みを浮かべた表情のまま、少しだけ声を低くした。

 私は僅かに顎を引き、唇を引き結ぶ。

「俺たちは神様じゃない。全てのものを思い通り得られる訳じゃない。何かを捨てて、何かを得る。その程度の事しか出来ないんだ。何を得たいのか、その事だけを考えて行動すればいいんだと思うがな」

 私の目を見据えながら、飄々とした調子でそう続けるオレット。

 オレットにとっては、その得たいものというのがアンリエッタを救い出す事、という事なのだろうか。

 サン・ラブールの勝利を得たいならば、竜晶石砲弾の活用は必要な事なのかもしれない。

 しかし、それで得られる勝利に、本当に価値はあるのだろうか?

 国の勝利の為に、罪もない一般の人々を踏みにじって良いのだろうか?

 私は眉をひそめ、やはり前方をじっと睨みつける事しか出来なかった。

 その私の肩を、ポンッとオレットが叩く。

「あまり気負いすぎるなよ、セナ。どんなに強くても、個人の力で出来る事には限界がある。諦めろとは言わないが、それでお前が倒れる様な事があっては、この先守れる筈だったものも全て守れなくなってしまうぞ。まずは目の前の戦いに集中しろ」

 オレットが笑みを消し、真面目な表情を浮かべた。

「あの伯爵さまの情報が正しければ、この先に待っているのはあの黒鎧どもだ。きっと一筋縄ではいかないぞ。注意しろ」

 ギラリと光る鋭い眼光で私を射貫くオレット。

 アンリエッタを使う竜の黒鎧たちが旧ガラード神聖王国の生き残りたちであるのならば、オレットたちにとっては因縁の相手という事になる。この場でアンリエッタを捕え、奴らを倒す事が出来たなら、これまで続けて来たオレットらの戦いはここで終わらせる事が出来るのだ。

 オレットが人生を掛けて来た、長い長い戦いが。

 私も、オレットやグレイたちには随分と世話になって来た。私に出来る事があるなら、彼らには全力で協力したいと思う。

「油断するなよ、セナ。気を引き締めていけ」

 オレットはもう一度私の肩をポンポンと叩くと、僅かに馬の脚を速めた。

 その背中を見送りながら、私はすっと目を細めた。

 そうだ、な。

 今は目の前に戦いに、集中しなければならない。

 オレットらにとって、リーナシュタットでの戦いが重要なものになるのは間違いない。しかしオレットが、決して自分の目的ばかりを見ているのではない事は、私にもよくわかっていた。

 オレットは、いつもの通り私の心配もしてくれている。部隊の騎士や兵たちにも気を配ってくれている。

 先ほどの言葉に従えば、私や部隊の事なんかよりも、アンリエッタを取り戻すという目的だけを目指すべきだと思うのだけれど、オレットはきっちりと仲間たちの事も考えて行動している。

 私も、そうあらなければならないと思う。

 自分の目的をしっかりと持ち、それに向かって突き進む。しかしそれだけでは無く、周囲の状況や自身のおかれた境遇ともきちんと折り合いをつけ、きっちりと前を見据える。

 オレットは、強い。

 ただ、そう思った。

 いくら私がアーフィリルと融合してその力を使える様になっても、騎士団長や方面軍司令官の立場に就いても、オレットの印象はエーレスタで剣技を教えて欲しいと頼んだあの時から少しも変っていなかった。

 私がまだまだ力不足なのも、あの時のままだと思う。

 具体的にどうすればいいのか。

 やはりそれはわからなかったけれど、私も強くなりたいと思う。強くあらねばと思う。

 剣技や物理的な力ではなく、心から、内側から本当に強い騎士に。

 私は地上を埋め尽くすサン・ラブール連合軍から目を離すと、今にも雨粒が零れて来そうな曇天の空をそっと見上げた。




 リーナシュタットは、豊富な水量を誇るゼルテ川の河畔に沿って広がる細長い街だった。

 街の南西から北側に向かって流れるゼルテ川は、川幅が広く深さもかなりあるようで、大軍が素早く渡河するのは難しそうだった。

 それに対して街の南や東側には、複数の城壁が重なる堅固な防御施設が広がっていた。偵察に出た兵の話によれば、今回の私たちの侵攻に対し、簡易の防御陣地や塹壕も準備されている様だった。

 そしてリーナシュタットの北、オルギスラ帝国帝都へと繋がる方面には、深い森とその中に鎮座する大きな古城を見て取る事が出来た。

 その城が、リーナシュタット駐留の帝国軍の拠点なのだ。

 トラヌス文書によれば、この街には中規模程度の守備軍が常駐しているという情報しかなかった。他に特筆すべき点と言えば、ゼルテ川に面する場所には造船ドックがあり、帝国軍の軍艦が建造されているという情報くらいだった。

 もっともその造船ドックも、決して大規模なものではなく、わざわざこちらの全軍をもって叩くべき戦略拠点という場所でもない。

 トラヌス文書やその他の情報から判断する限りでは、この地に帝国軍の親衛師団が駐留しているという証拠は何もなかった。

 しかしバーデル伯爵は、敵の最重要戦力の一角と推測される親衛師団の黒鎧部隊が、このリーナシュタットにいるという事を確信している様だった。

 リーナシュタット攻略戦は、その地形的に南側と東側から本隊主力が攻め掛かり、別動隊が北側の森を超え、背面奇襲を仕掛けるという形となった。

 南から進む先鋒の主力は中央方面軍。東側と北側の奇襲隊は、私たち北部方面軍と南部方面軍の混成隊で行われる事になった。

 私とオレットら白花の騎士団の一部は、その中央方面軍の後方に配置された。

 竜晶石砲弾ストラーフェを放つ味方機獣部隊を護衛するためだ。

 帝国軍の新型砲を用いているといっても、竜晶石砲弾をリーナシュタットの帝国軍拠点に向かって放つには、それなりに接近しなければならなかった。

 今回の砲撃地点は、リーナシュタットの南東に位置する丘の上だ。

 味方機獣部隊は中央方面軍の進軍に合わせてその丘まで進出、攻撃のタイミングを窺い、敵の司令部とその施設を砲撃する事になっていた。

 味方が奮戦し、素早くリーナシュタットを制圧出来れば、そんな機会は来ない筈だったけれど、そう簡単に事が運ぶ筈がないという予感はあった。

 オルギスラ帝国領独特のどんよりと重苦しい曇天と時より霧雨の様な雨が舞う朝。

 とうとうリーナシュタット攻略戦が開始された。

 突撃の合図であるラッパや太鼓の音、それに騎士や兵士たちの喊声が、荒涼としたオルギスラ帝国の大地に響き渡った。

 初戦は、士気の高いサン・ラブール連合軍が破竹の勢いで敵守備隊を押し返し、街へと迫る事となった。しかし防衛陣地を落としリーナシュタットの街の城壁に味方が到達する頃になると、敵の巻き返しが始まる。

 帝国軍の死に物狂いの反撃により、突出していた中央方面軍の先鋒が瓦解。味方部隊は戦線を一時後退せざるを得なくなった。

 特に竜晶石砲弾の砲撃地点に指定されている丘周辺では、一進一退の激しい攻防が繰り広げられた。

 砲撃に関しては、帝国軍の方が上手である。

バルクスの街で起こった出来事から、帝国軍もこちらが何を仕掛けてくるかは予想していたのだろう。絶好の砲撃地点であるその丘を、こちらに譲るつもりはないという事だ。

 戦線は一時膠着状態に陥るが、そこにグレイやディンドルフ大隊長の率いる部隊がリーナシュタットの側面、そして背面へと連続して奇襲を仕掛けることにより、再びこちら側の優勢となった。

 砲声と死に物狂いに突撃を繰り返す将兵の雄叫びが、周囲を満たす。

 街や森のあちこちから黒煙が立ち昇る。

 中央方面軍が態勢を立て直し、再度突撃を始めると、バーデル伯爵から竜晶石砲弾を搭載した機獣部隊に対して、中央軍の動きに合わせて前進するようにとの命令が来た。

 それを受けた機獣部隊の隊長から、護衛の私たちに対し進路上の敵を排除して欲しいとの要望が来る。

 しかし、私は動かなかった。

 白の剣を握りしめ、遠雷の様な砲声と両軍の喊声が響き渡る戦場をじっと睨みつけているだけだった。

 時折味方の隊列を突破し、機獣部隊に迫る敵もあったけれど、その排除も中央方面軍に任せていた。

 決して、竜晶石砲弾の砲撃を行わせない様にサボタージュをしているのではない。

 竜晶石砲弾の使用には反対だが、今回の作戦は全てその決戦兵器の使用を前提にして行われているのだ。

 ここで私が機獣部隊の行動を妨害すれば、多くの味方を裏切る事になる。そうなれば、友軍に大きな損害を出す事になってしまうだろう。

 竜晶石砲弾は使わせたくない。しかしそれを使用する事が前提の作戦が始まってしまった時点で、既に私としては負けなのだ。

 始まってしまった以上は、作戦と命令に従うのが軍人の務めだ。

 胸の中では、やはり不満が溢れ返って来そうではあったけれど。

 私が動かなかったのは、敵の本命の襲撃を警戒しての事だった。

 即ち、バーデル伯爵がその存在を断言した、アンリエッタら竜の黒鎧たちの攻撃を。

 ここに至るも、未だ黒鎧たちの姿は確認されていない。

 奴らがどれほどの規模の戦力を繰り出してくるかはわからなかったけれど、あの黒鎧たちが突撃してくれば、私たち竜騎士とオレットら白花の騎士団のメンバーで対処しなければならない。

 このような寡兵では取れる選択肢など限られている。

 実際奴らが襲来すれば、厳しい戦いになるだろうが。

 私は、ただじっとその時を待っていた。

 奴らが動き出す、その時を。

 リーナシュタットに迫っていた味方部隊が、再び押し戻された様だ。グレイやディンドルフたちの部隊も、一時後退を始めたとの情報が入って来た。

 何度目かの敵の攻勢が始まった。

 帝国軍の士気は、こちらに負けず劣らず高かった。

 数の上ではこちらが勝っているけれど、リーナシュタットの街にこもる事もせず反撃を繰り返し、こちらを押し返す帝国軍の動きには、悲壮感すら漂っている様に思えた。

 帝国軍も、あの青の終の花を咲かせまいと必死なのだ。

 その帝国軍の攻勢に合わせて、私たちのもとに伝令の騎士が飛び込んで来た。

「報告! 右翼に新たな敵集団発見! 例の黒鎧の集団が急速接近中です!」

 騎士の報告に、オレットやフェルトを除く周囲の騎士たちがざわめく。

 やはり来たか。

 私は伝令の騎士を横目で見ながら、剣の柄を握る手に力を込めた。

 あとは、アンリエッタら黒鎧の主力と思われる者たちの位置だが。

 いずれにせよ、これでバーデル伯爵の情報が正しかったという事になる。

「グレイのおっさんの読み通りだな。黒鎧の機動力を生かして側面奇襲を仕掛けて来たか」

 オレットがにやりと獰猛な笑みを浮かべながら私を見た。

「手筈通り俺たちは敵集団の迎撃に向かう。セナは待機だ。いいな?」

 そう言いながら、オレットがひらひらと手を振った。

 オレットの合図で、即座に白花の騎士団の部隊が臨戦態勢に入った。

 私はフェルトと視線を交わし、小さく頷く。

 私やアルハイムら竜騎士は、アンリエッタらの位置が確認できるまで動けない。いささか不満ではあるが、そういう作戦なのだ。

「敵は速いぞ! 連携を取り、抜かせるな!」

 オレットが魔刃剣を引き抜きながら声を張り上げた。そしてちらりと私を一瞥する。

 私は再度小さく頷く。

「総員、防御戦闘用意! 行くぞ!」

 オレットの号令が響き渡る。

 敵竜の黒鎧の集団に対して、まずはオレットやフェルトたちの隊が先行して迎撃に飛び出して行った。

 オレットからはアンリエッタに関して、何か特別申し出があった訳ではなかった。ただ一言、よろしく頼むと言われただけだった。

 捕らえるにしろ無力化するにしろ、手心を加えられる相手ではない事はオレットも承知しているのだ。

 オレットの事だ。

 逆に、あのアンリエッタがあっさりやられるとも思ってはいないのだろう。

 私は、黒の竜鎧の部隊が現れた方向を睨みつける。

 伏兵による側面奇襲。

 奴らの策がその程度であるとは思えない。

 私は、先行するオレットやフェルトたちを援護すべく弓兵部隊の指揮を執っているレティシアの背中を背中を一瞥した。

 この作戦が始まる前。

 私はレティシアに、オルギスラ帝国軍が竜晶石砲弾を使用してくる可能性について尋ねていた。

 竜晶石砲弾の原理が簡単なものであるならば、魔晶石技術の進んだ帝国軍でもその様な兵器が使用可能なのではと思ったのだ。

 レティシアは、その私の問いに露骨に顔をしかめた。

「起爆の調整とか、色々手間は掛かるけど、製造は可能でしょうね」

 レティシアの声は、今まで聞いたこともないほど冷ややかだった。

「でも、竜晶石のあんな使い方、真っ当な技術者なら思いついても鼻で笑うところでしょう。機獣にしろ魔素攪乱幕にしろあの竜の鎧にしろ、使い道に困らない貴重な竜晶石を一瞬で消し飛ぶ爆弾にしてしまうなんて、そんな贅沢な、いいえ、もったいない使い方を帝国軍がするとは思えないわ」

 技術的な事はわからないが、大幅な部隊強化に使える竜晶石を消耗品として一気に使い切るのは費用対効果が悪い、という事なのだろうか。

 しかし、それはこれまでの話だと思う。

 バルクスの街で竜晶石砲弾の威力を実際に目撃した帝国軍が、こちらと同様にその様な使い方をしないという保証はないのだ。

 圧倒的な力は、容易く人の常識や理性など吹き飛ばしてしまう。

 もしかしたら、帝国軍が竜晶石砲弾による攻撃を仕掛けて来るかもしれない。

 又は、こちらの考えもつかない様な別の攻撃か。

 いずれにしても私やアルハイムら竜騎士は、そういった不測の事態にも備えておかなければならないのだ。

 竜の黒鎧の部隊がオレットらと激突する。

 レティシアの援護魔術が盛大な爆炎を噴き上げる。

 最初の敵の突撃は、何とか支えきった様だ。

 白花の騎士団の騎士たちは、この1年間常に強敵を前に戦い抜いて来た手練れたちだ。いくら相手が竜の黒鎧であろうとも、そう簡単に遅れは取らない。

 前線から報告が上がって来る。

 どうやら側面奇襲に現れた敵集団は、レンハイムの城を襲った際に現れた様な雑兵型の黒鎧たちの様だ。

 同時に味方の機獣部隊に対し、バーデル伯爵からさっさと前進し、砲撃位置につくようにとの何度目かの命令が飛び込んで来た様だ。

 焦った様子の機獣部隊の騎士が、私に部隊を前進させたい旨を申し出て来る。さらには、ここからでも敵を砲撃したいなどと出鱈目な事を言い始めた。

 敵の主力、アンリエッタらの位置が未だにわからない。今は不用意に動かない方がいい。

 機獣部隊の騎士に私がそう伝えようと口を開きかけたその時。

 不意に、ぼんっと間の抜けた爆発音が響いた。

 同時に、竜晶石砲弾を搭載した機獣の1体が、煙を噴き上げて傾いた。

「な、何だ……。何事だ!」

 機獣部隊の騎士が声を裏返して叫ぶ。

 私は、すっと表情を消して全身の力を抜く。

 いつでも飛び出せる様に。

『セナ。この魔素の反応は……』

 警戒を滲ませたアーフィリルの声が響く。

「ああ。わかっている」

 私は短く答え、黒煙を上げる機獣の背に突き刺さった黒の槍を睨みつけた。




 時折薄日の射す事もあった空は、いつの間にか完全に黒い雲に覆われていた。

 戦場の風に乗って、雨粒が飛んでくる。

 いつもの通り一時的な通り雨だと思われるが、瞬く間に戦場が霧雨の帳に覆われてしまった。

 私は顔を濡らすそんな雨を無視し、キッと表情を引き締めた。

「アルハイム、ハイネ。来るぞ。機獣部隊はさがれ!」

 既に白騎士化しているアルハイムらにそう告げると、私はすっと剣を構える。そして白のドレスをひるがえし、量産型の黒鎧たちが攻め込んで来た方向とは逆に向かって駆けだした。

 前方に広がるのは、薄い霧雨のヴェールとその向こうに見える黒々とした森。

 その森の中から、強大な魔素反応が膨れ上がるのがわかった。

 ひゅっと微かに風切り音が聞こえた。

 私は咄嗟に左に短くステップする。

 ちらりと視界をかすめる黒い塊。

 それに合わせて、さっと白の剣を振り上げる。

 甲高い金属音が響き渡る。

 重い手応えに手がしびれる。

 私の剣に弾き飛ばされた黒い槍が、くるくると空中で回転する。

 2射目の槍の投擲は防いだ。

 これ以上は、やらせるものか。

 空中を舞う槍が地面に落ちるよりも早く、私は剣の切っ先に白の光弾を生み出す。そして、雨の帳の向こうの黒の森へ向かって、その破壊エネルギーの塊を放った。

 白の光が森の中へ吸い込まれる。

 爆光が広がる。

 しかし手ごたえはない。

 その爆発を背に、黒の塊が飛び出してくる。

 来た!

 私は剣を構え、短く息を刻む。

 地を舐める様に低空で、黒の塊が迫って来る。

 直ぐにそれが、竜を模した黒い鎧だとわかった。

 背に直線的な翼を生やし、雑兵の鎧とは違う鋭く攻撃的なシルエットをしたその黒鎧の手には、魔素で編まれた黒の槍が握られていた。

 これまで遭遇して来たアンリエッタとの鎧とは違うが。

 鎧が近付く。

 急速に。

 黒く輝く黒の穂先が、突撃の勢いもそのままに、雷鳴の様な勢いで突き出される。

 私はすっと息を吸い込み腰を沈めると、下から救い上げる一撃でその槍を受け止めた。

 黒と白の刃をぶつけ合い、激しく魔素の火花が散る。

 私とその黒鎧は、お互いの得物を押さえつけたまま至近距離で睨み合った。

 竜を模した兜の面防の間から覗く赤い目が、ギラリと輝いた。

『あはははははははははっ!』

 砲声轟く戦場に、甲高い笑い声が響き渡る。

 聞き間違う筈のないその声は、オルギスラ帝国の機竜士アンリエッタ・クローチェのものだった。

 やはりか!

『ようこそ、白花の竜騎士サマ! 我らが帝国を侵略する旅は楽しんでいただけているかしら?』

 ケタケタと世間話をする様な軽さで笑いながら、凄まじい力で槍を押し込んでくるアンリエッタ。

 私はギリっと奥歯を噛み締め、白の剣に力を込める。

 これまでのアンリエッタとの戦闘は、サン・ラブールの地を守るためのものだった。しかし今は、奴の言う通りこちらが侵略者だ。

『随分と好き勝手してるみたいだけど……』

 アンリエッタがさらに私の剣を押し込むと、突然身を退いた。

 体勢が崩れない様に踏ん張る私の側面に、ぶんっと空気を斬る黒の槍の横薙ぎの一撃が襲い来る。

 私は、白の剣の腹で何とかそれを防ぐ。

 剣と槍が激突する激しい音が、再び周囲に響き渡った。

『これ以上の非道な行いは、この私が許さないからね、この侵略者め! あははははははははっ!』

 アンリエッタが狂った様な笑い声を上げる。

 私はギリっと唇を噛み締め、眼前の黒鎧に斬撃を繰り出した。

 黒の槍が引き戻され、間髪おかず無数の突きが繰り出される。

 攻撃を諦めて素早く防御に転じた私は、それを剣で弾き、左右にステップを刻みながらすべて回避する。

 しかし猛烈な刺突の弾幕に、それ以上攻め込む事が出来ない。

「くっ」

 今日のアンリエッタは一段と速い。

 それに、一撃一撃が重い。

 鎧を一新して、能力が上がっているのか?

『竜の姫!』

『援護致します!』

 近距離での攻防を繰り広げる私とアンリエッタの左右から、白化した竜に騎乗したアルハイムとハイネが突撃してくる。

『はっ! 雑魚には興味ないのよねっ!』

 アンリエッタが吠えると、新たに生み出した槍をハイネとシルフィルドに向かって投げつけた。

 さらにくるりと身をひるがえすと、突撃して来たアルハイムの乗竜ルールハウトの鼻っ面をガントレットに覆われた手で殴りつけた。

 たまらず体勢を崩すルールハウト。

 純白に輝く巨体が、ぐらりと揺れる。

「アンリエッタ!」

 アンリエッタの注意がルールハウトに向いた僅かな隙を突いて、私は突撃を仕掛ける。

 咄嗟に振り上げられた黒の槍を、魔素を高めた白の剣で両断する。

『ぐうっ……!』

 さらに踏み込み、返す刃で逆袈裟の斬撃を放つ。

 白の刃は、確かにアンリエッタの鎧を捉えた。

 しかし、その黒の装甲を斬り裂く事は叶わない。

「浅いかっ」

 アンリエッタは咄嗟に後ろに跳ぶのと同時に、鎧表面に防御障壁を展開した様だ。

 深追いは出来ない、か。

 私はふわりと白のドレスの裾を舞い上がらせ、一旦間合いを離す。

 二つになった槍を捨て、新たな黒の長槍を生み出したアンリエッタが、ゆらりと体を揺らして私を睨みつけた。

『やっぱりやるわね、竜騎士サマ。天然ものの祖竜を宿しているのは、伊達ではないという事ね』

 燃えるような赤い目で私を睨みつけるアンリエッタ。

 私は、正面からその視線を受け止める。

『でも、今日ここでお前は死ぬのよ。私に殺されるの! これまでの屈辱を晴らし、我が愛すべき帝国臣民を野蛮で非道なサン・ラブールから守るためにっ!』

 アンリエッタは、芝居がかった動作で胸に手を当てる。

 散々サン・ラブールの民を蹂躙していてよく言うものだ。

 しかし、私は反論しない。

 表面上は、アンリエッタの言っている事はその通りなのだ。

 アンリエッタが安い挑発を行っているというのはわかっている。それに対して動揺はない。

 しかし今口を開けば、自軍を貶める様な自嘲的な発言をしてしまいそうなのも確かだった。

 私はただ不愉快だという様にふんっと鼻を鳴らし、剣を振った。

『今日は無口なのね。つまらないわ。また強さの在り方とか騎士としての心構えについて、じっくりお話してみたかったのに』

 アンリエッタが嗤う。

 また?

 アンリエッタとその様な事を話した事があっただろうか。

 私が眉をひそめたその時。

 アンリエッタの後方の空気がふわりと舞い上がる。

 霧雨が、押し寄せる風圧に弾き飛ばされる。

 体勢を立て直したアルハイムとハイネが、白の竜を駆り、アンリエッタに突撃を仕掛けたのだ。

 背後からの攻撃ではあったけれど、無論それにはアンリエッタも気が付いている。

 しかし、黒の竜の鎧は真っ直ぐに私を見据えたまま少しも動かなかった。

『これでっ!』

『行くぞぉぉぉっ!』

 アルハイムもハイネも、竜たちの巨体を真っ直ぐにアンリエッタ目がけて突進させる。

 その白の巨躯がアンリエッタに到達する寸前。

 疾駆するルールハウトとシルフィルドの眼前に、2つの黒の塊が落下して来た。

 どんっと衝撃音が響き渡る。

 雨粒を乱して着地したのは、2体の異形の黒の塊。

 その人というには歪な形状をした鎧が、ぶんっとそれぞれの得物を振るった。

 突撃の勢いに乗っていた竜たちは、シルフィルドが急制動を掛けて後方上空に飛び上がり、ルールハウトが着地して踏ん張り、何とかその一撃を回避した様だ。

 突如上空から現れ、アンリエッタの背を守る様に立ちはだかった黒鎧の片方は、見覚えのある形状をしていた。

 人型というにはあまりにも異常な巨腕を持つ鎧。

 レンハイムの城で遭遇した、あのギルバートと呼ばれた鎧だ。

 さらにその隣に並ぶのは、背中から翼の様な板状のパーツを生やしたスリムな形状の黒鎧だった。

 やはりその鎧も、竜を模した形状をしていた。

 ギルバートの鎧は、ガンガンと両の拳を叩きつけながらアルハイムたちに対する。翼の鎧も、黒く刃の光る長剣をすっと構えた。

『ギルバート、マルクス。外野は任せるわよ』

 アンリエッタが、ひらひらと手を振った。

『あまり夢中になり過ぎるな、アンリエッタよ』

 ギルバートのくぐもった低い声が響く。

『師団長の御前です。くれぐれもミスのないようにお願いしますよ』

 丁寧な口調ではあったけれど、冷たい声で答える翼の鎧。

 すぐさまハイネとアルハイムが竜たちから降りると、剣を構えた。それぞれの竜たちも牙を剥き、主と並んで黒の鎧たちに対する。

 アンリエッタの背後で、2体の竜と2人の白の騎士が、黒の異形の鎧たちと激しい戦闘を開始した。

『さて。私たちも始めましょうか』

 アルハイムたちの戦闘を一瞥したアンリエッタが、だらりと槍を下ろした。

 アンリエッタの雰囲気が変わる。

 空気が凍り付くのが分かった。

 まるで空から零れる雨粒も、空中で停止してしまったかの様だった。

 一瞬の沈黙の後。

 雨のヴェールを突き破り、アンリエッタが突進してくる。

 私は腰だめに剣を構え、怪しく光る赤い目を睨みつける。そして短く息を吐き、こちらからも突撃を仕掛けた。

 アンリエッタが槍を振るうよりも先に、その間合いの内側へと踏み込む。

 横薙ぎの一閃。

 白の刃が雨粒を斬り裂く。

 しかし、それだけだ。

 既にそこにアンリエッタの姿はない。

 どこだと周囲を見回す余裕はない。

 ただ強烈な殺気とプレッシャーが押し寄せて来る感覚だけを頼りに、剣を振るった勢いに任せて体を回転させる。

 雨の中でも白い光を放つ髪が、ふわりと弧を描き舞う。

 その中心。

 先ほどまで私の体があった場所の直上から、黒の槍が振り下ろされた。

 瞬時に跳躍し、私の斬撃を回避したアンリエッタが、そのまま空中から槍を突き落として来たのだ。

 黒の槍が地面を穿つ。

 着弾地点を中心に、盛大に地面が陥没した。

 私はさっと後方に跳び、クレーター状になってしまったその場所から離れる。

 しかし後退する私の正面に、さらにアンリエッタが突っ込んで来た。

 突き出される黒の槍。

 その穂先は、黒く赤く輝いていた。

『はっ!』

 アンリエッタの気合の声が漏れる。

 私は左手で剣を振り上げ、槍の軌道を僅かに逸らす。そして左足を踏ん張って後退の勢いを殺しながら、右手に新たな白の剣を生み出した。

「はああああっ!」

 声を上げながら、槍の間合いの内側へと踏み込む。

 至近距離に迫る黒の竜の鎧。

 黒一色であまり目立たないが、至近距離でじっくりと見ると、装甲表面には精緻な装飾彫刻が施されているのがよくわかった。

 体を捻りながら袈裟懸けに振り下ろした右手の斬撃は、しかし赤黒い光をまとったアンリエッタのガントレットに容易く弾かれてしまう。

 不安定な姿勢から片手の攻撃だったので、あまり力を乗せる事は出来なかった。しかし、魔素で編まれた刃を通常の装甲で弾くことなど出来ない筈だ。

 アンリエッタは、瞬時に腕部に盾の様に防御障壁を展開させて私の剣を防いだのだ。

「くっ」

 私は小さく悪態をつくと、更なる追撃を仕掛ける。

 しかし私が剣を振るうよりも先に、いつの間にか引き戻されていた槍の石突きが、ぶんっと振り上げられた。

 下から迫る石突きを左の剣で弾き、右の剣で踏み込む。

 しかしその時には、既に回転した槍の穂先が、こちらへと迫って来る。

 私は両手の剣を駆使して防御し、斬撃を繰り出す。

 アンリエッタは黒の長槍を起用に回転させ、まるで複数の槍を操っているかのように私の攻撃を捌き、逆に鋭い突きを放って来た。

 乱打戦となる。

 剣が、槍が雨粒を弾き、斬り飛ばす。

 その雨粒が軽やかに舞う。

 私のドレスや髪がさっと宙を踊り、霧雨に閉ざされた灰色の世界にアンリエッタの赤い目が漂う。

『この人竜兵装、以前よりも魔素との親和性が増している様だ。心せよ、セナよ!』

『あははは、楽しいわっ! でも、お前は私が殺す! 私が強くあるために、竜騎士サマ! 死んでよっ!』

 アーフィリルとアンリエッタの声を聞きながら、私は体内の魔素を高め、歯を食いしばりながら必死に剣を振るい続けた。

 離れてはぶつかって、幾度も際どい攻防を繰り返す白の剣と黒の槍。

 だんだんと、時間の感覚がなくなって来る。

 はぁ、はぁ、はぁ。

 戦闘が始まって、まだ数分しか経っていないのかもしれない。

 あるいはもしかしたら、数時間経っているのかもしれない。

 そう思えてしまう。

 雨粒に汗が混じる。

 私は、すっと目を細める。

「やあああああっ!」

『ぐうっ!』

 気合を込めた私の一撃が、再びアンリエッタの黒槍を破壊する。

 ここだっ!

「うおおおおおっ!」

 両手の剣を握りしめ、髪を振り乱し、私が必殺の一撃を放つべく踏み込もうとした瞬間。

 視界の隅で、黒の光が走るのが見えた。

 その次の瞬間。

 背後で、どんっと爆発音が起こった。

『す、すみません、アーフィリルさま!』

 ハイネの声が響く。

 巨腕のギルバートか、翼のマルクスか、いずれかの攻撃が味方機獣隊を襲った様だ。

 白騎士化したアンリエッタらでもおさえられないか。

 私は一旦後退し、周囲の状況を確認する。

 アンリエッタとの戦闘に集中するあまり、機獣隊の動向を確認するのを怠っていた。

 さっと視線を走らせる。

 アンリエッタとハイネ、竜たちの猛攻を華麗に回避したマルクスの翼の鎧が、その黒の長剣の切っ先を機獣部隊に向けるのが見えた。

 私たちが黒鎧を抑えている間に、機獣部隊も退避行動を行っている筈だ。

 しかし、奴らの光弾の射程からは簡単には逃れられない。

 初撃と先ほどの攻撃。

 機獣部隊には、既に2度の損害が出てしまっていた。

 くっ。

 これ以上はやらせるものか。

 私はアンリエッタに突撃を仕掛けると見せかけて、その直前で急激に方向を変える。

 横へ跳ぶのと同時に背部に飛行制御用の翼を展開させ、マルクスの鎧と機獣部隊の間に立ち塞がる様に着地した。

 マルクスの剣から黒の光弾が放たれる。

 私は自分の魔素感知の感覚だけを頼りに前へ踏み込み、片手の剣を振るう。

「はああっ!」

 白の剣が光弾を弾き飛ばす。

 同時に反対側の剣の切っ先をマルクスに向け、こちらも白の光弾を放った。

 私が弾いたマルクスの光弾が、付近の森へと着弾する。

 天を突く爆炎が吹き上がり、続いて衝撃波が森の木々を大きく揺らした。

 私の攻撃がどうなったのか。

 それを確認している余裕はなかった。

『私を無視するのかっ! いい度胸だぁぁぁぁっ!』

 咆哮を上げたアンリエッタが、真っ直ぐこちらへと飛び込んで来たのだ。

「お前は、あのギルバートやマルクスとかいう奴らにさらわれたのだろう。何故奴らの側に就く!」

 激情に身を任せているためか、先ほどよりもやや直線的な動きになったアンリエッタの槍を捌きながら、私は思わずそう声を上げていた。

『はっ、私は強くなるためにここにいるだけ! 師団長閣下の命に従っていれば、私はどんどん強くなれるっ! 他の奴らなんて関係ない! だから、私の強さを汚したお前を、私は絶対に許さないっ!』

 下から上から左右から、縦横無尽に襲い来る黒の槍。

 まるで槍そのものが、別の生き物の様だった。

 私は先ほど展開した翼を利用して空中へと逃れる。

 しかし直ぐにアンリエッタも黒の硬質な翼に光を宿すと、私を追撃して来た。

 足場のない空中で、さらに不規則な斬撃と刺突の応酬が繰り返される。

 時には地面に頭を向け、時には高速で交錯しながら刃を交わす。

 空中を激しく動き回る私とアンリエッタは、戦闘を続けながらだんだんと味方機獣部隊の方向へと流れ始めていた。

 ちらりと視界の端に移る機獣部隊の周囲に、敵部隊が接近しているのが見えた。

 ここで新手!

 一瞬の事なので、それが竜の黒鎧の部隊なのかそれとも前線を突破して来た一般部隊なのかは判断出来なかった。

 しかし既に機獣部隊の周囲には、直掩の中央軍の騎士が僅かに残っているだけだった。

 ギルバートとマルクスが黒の光弾を放つ。

 アンリエッタとルールハウトが射線に飛び込み、その攻撃を防ぐ。

 しかし連続して放たれた光弾が、機獣部隊の至近距離に着弾してしまった。

 爆炎が上がる。

 機獣部隊に被害が出たかどうかはわからない。

 吹き上がる土くれと黒煙が、私の視界を遮る。

 両手の剣で弾き飛ばしたアンリエッタが体勢を崩し、その向こうへと消える。

 すかさず私は、追撃に入った。

 隊列を組み、前進を続ける機獣部隊。

 その直上で、私とアンリエッタが激突する。

「くっ、手が足りないかっ!」

 戦力が前線に集中し過ぎなのだ。

 こうも敵に回り込まれるのを防げないとは!

 白花の騎士団は黒の竜鎧の部隊を抑えるので精一杯で、更なる敵増援に対応出来ていない。私やアルハイムらも、アンリエッタたちの対応で余裕がない。

 敵がこちらに向けて来た戦力が、思ったより多い。

 防衛戦闘を行うには、やはり純粋にこちら側の数が足りていなかったのだ。

 私はアンリエッタの猛攻の合間に地上に降り立ち、敵の増援を蹴散らす。即座に地を舐める様に飛び、ギルバートやマルクスの光弾を防ぐ。

 それでも、じわじわと味方の損害は拡大していった。

 そして。

『ははっ、集中出来ていないね、竜騎士サマ!』

 私が敵部隊の騎兵を両断した一瞬に間に後ろに回り込んだアンリエッタが、ぶんっと槍を繰り出して来た。

 その鋭い刺突が、私のわき腹をかすめる。

 体を貫く激痛に顔をしかめ、私は咄嗟に後方に剣を振るい、高度を取って空中へと退避した。

『大丈夫か、セナよ!』

 アーフィリルの声が響く。

 じわっと滲んだ血が、白のドレスを染め上げ、傷口を押さえる私の手から零れ落ちた。

 一瞬私の防御が無くなったその隙に、機獣部隊の後方から迫っていた敵の一団が味方の最終防衛ラインを突破した。

 機獣たちへと殺到する帝国軍部隊。

 機獣たちが隊列を解き、ばらばらに逃げ惑い始める。

 白と青に塗り替えられた巨体が、敵に追い立てられて散り散りになり始める。

 拙い、このままではっ!

 痛みに顔をしかめながら、私がギリっと歯を食いしばった瞬間。

 押し寄せる敵を目の前にした機獣が、砲撃態勢を取るのが見えた。

 はっ?

 一瞬、理解が追いつかない。

 何をっ!

 そう思った刹那。

 砲炎が煌めく。

 砲声が轟く。

 その直後。

 霧雨に覆われた灰色の大地の上に、鮮やかな青の光が膨れ上がった。

 衝撃波が空中の私にも押し寄せてくる。

 竜晶石砲弾がさく裂したのだ。

 味方部隊の直近で。

 いや、味方部隊も巻き込まれたか!

「馬鹿なっ!」

 わき腹を押さえながら、私は思わずそう叫んでいた。

 周囲は混戦の様相を呈している。こんな中で広範囲破壊の攻撃を行えば、味方も敵も関係ない。

 しかしその砲撃を皮切りにして、機獣部隊が本格的な砲撃を開始してしまった。

 迫る敵部隊に向けて砲弾を放つ機獣。

 リーナシュタットに向けて砲撃を開始する機獣。

 戦場のあちこちで、青の光が膨れ上がる。

「レティシア! オレットに隊を引かせろ! こうなっては自分の身を守る事をまず考えろ!」

 私は耳に装着した遠話装置に向かって叫びながら、リーナシュタットの方を見た。

 リーナシュタットの敵軍事施設を射程に捉えるにはまだ遠い。ここからの砲撃では、細長く広がるリーナシュタットの、一般市民が暮らす市街区をむやみに破壊するだけだ。

 もしくは、その城壁の前で戦っている中央方面軍の、味方の頭上に砲弾が落ちているかもしれない。

「何をやっているのだっ!」

 私は苛立ちを込めて叫ぶと、地上の機獣部隊に向かって急降下した。

 新兵でもあるまいに、敵の不意打ちにここまで混乱するとはっ!

『ふふ、無差別攻撃なんて酷い事するじゃない、サン・ラブールも』

 しかしその私の前に、槍をくるくると回すアンリエッタが立ち塞がった。

『ふふ、あははははっ! でも、凄いわ! 本当に師団長の言う通りになったっ! 強く圧倒的な力は味方の士気を高めて人々の心に安心感を与える事が出来る。でも、強い力に頼り切った凡人は、心を脆くする。特に信じていた絶対的な力が失われようとした時には、ね。ホント、滑稽だわっ!』

 アンリエッタの目が、ギラリと赤く輝く。

『ここまでは想定通り。さーて。ここからが私たちの反撃よ。我らが師団長の力、よく見ておくといいわ、古の竜を宿す時代遅れの騎士サマ!』

 私と同様の高度まで飛翔して来たアンリエッタが、大仰に両腕を開いて見せた。

 その時。

『馬鹿なっ!』

 突然アーフィリルが吠えた。

 竜晶石砲弾による青の爆光が連続して広がるリーナシュタットの街。

 その爆光に照らされてシルエットとなった街の向こうから、何か巨大な黒の塊がゆっくりと飛翔するのが見えた。

 肌が粟立つ。

 目を見張る。

 何だ、あれは。

『何という事だっ!』

 アーフィリルの声が胸の中で響き渡る。

 しかし私は、それに反応する事が出来なかった。

 ただじっと、目の前で起こっている事をじっと見つめる事しか出来なかった。

 さらに広がる青の光をに照らし出されたそれは、漆黒の竜の姿をしていた。

 距離があって詳細はわからないが、それは長い尻尾と巨大な翼、そして角の生えた頭部といった典型的な竜の特徴を備えていた。

 しかし、発達した脚部やだらりと下げられた長い腕など、全体的な体型そのものは屈強な人間の形をしている。

 激しい違和感を覚える。

 眩暈がしそうだ。

 アンリエッタが身に着けているのが竜を模した形状の普通の人型の鎧であるならば、あちらは人型になった竜というべきだろうか。

 しかしその大きさは、アンリエッタやギルバートなどとは比べ物にならない程巨大だ。まるで砦が1つ丸ごと、空中に浮いている様だった。

 そして瞠目すべきは、その異様な姿だけではない。

 私の所まで押し寄せてくるこの魔素の反応。

 こんな魔素、今まで感じたことがない。

 呼吸が出来ない。

 吐き気を催してしまう。

 この世界に住むすべての存在とは相容れないであろう異質な気配を帯びた魔素。

 確かに魔素なのに、決定的にこの体が受け付けない。

 そんな異質な力の奔流が、あの黒の竜からほとばしっていた。

 まるで、周囲の全てを蝕む様に。

「なんなのだ、あれは」

 そう呟いた私の声は、かすれてしまっていた。

 くるくると回転させた槍をガシャリと肩に担いだアンリエッタが、ふっと嗤った。顔が兜に覆われていても、おかしそうに嗤っているのが私にはわかった。

『教えてあげるわ。あれこそが、我らが親衛師団長ヴェルナート・フォン・ガラードが駆る……』

 一旦言葉を切り黒の竜を一瞥したアンリエッタが、改めて私を見た。

『あれこそが、黒の竜ナハティガル。世界の理を塗り替える存在よ』

 胸の奥がざわりと震える。 

『……邪竜ナハティガル。よもや復活しようとはな』

 アーフィリルの重く低い声が、私の中で静かに響く。

 リーナシュタットの上空で翼を広げた黒の竜ナハティガルが、咆哮を上げる。

 敵味方全ての将兵が、戦闘を中断し、その竜を見上げている。

 響き渡る咆哮が衝撃波となり、天を覆う雲に波紋を広げる。

 それはまるで、世界そのものが震えているかの様な光景だった。

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