第47幕
新任方面軍司令官となった竜騎士アーフィリルの、つまりは私のお披露目パレードが予定されている朝。
私は、憂鬱な気分で目を覚ました。
むむむっと目を擦りながら、ああ今日が昨日だったらいいのになと思ってしまう。でも、もちろんそんな事はあり得ないのだけれど……。
私は、どんよりと重たい体をベッドから無理やり下ろす。その途中、眠っているアーフィリルにどしんとぶつかってしまったので「ごめん」と謝り、その白いもこもこの背中を撫でておいた。
ふうっ……。
ここ数日。私は、何だかぐっと疲れが増して来ている様な気がしていた。
……主に、精神的に。
これは、決して今日のパレードに緊張していて、という理由だけではないと思う。
あの最高幹部会議の初日から、帝国への侵攻作戦に反対する人たちが次々に私を訪ねて来ると、私の周りで議案を否決にするための相談をしていた。
会議で最初に反対意見を述べたベルデ公国の方やルテナン国王さま、それにコンラートさまたちが、顔を付き合わせてずっと難しい話をしている。
そしてそのコンラートさまたちが、私に何かを期待しているのが、ひしひしとわかってしまうのだ。
思わぬ形でどんどん出世してしまったとはいえ、もともと一介の騎士である私には、皆さんの期待にどう応えていいのかがわからなかった。
連合軍本部からは、軍部が提案した作戦に公然と反対するのは良くないと注意されてしまった。
大きな状態の私では、言うべき事は言えばいいのだと胸を張っていられる。でも、もとの状態に戻ってしまうと、この状況をどう解決していいのかわからず、ここ最近はむむむと悩んでばかりいるのだった。
コンラートさまやルテナン国王陛下の紹介で色々な人にお会いして、竜騎士アーフィリルとしては帝国への侵攻作戦には反対する旨を話しているのだけれど、今のところは作戦計画が撤回される事はなさそうだった。
帝国への侵攻作戦には反対だけど、この作戦が正式に決まってしまえば、私もそれに従うしかない。
作戦が決行されるのを踏まえた上で、コンラートさまたちの国の復興にも出来る限りの支援をしてもらえる様に、ハルスフォード侯爵以下評議員の方々にお願いするしかないのだろうか。
でもそれでは、戦火が広がる事によって犠牲になってしまう人たちの事は、どうしたら良いのだろうか。
オレットさんがいれば、助言を頼めるのに……。
ついついそんな事を考えてしまう。
……むーん。
考え込みながらのろのろとした動作で顔を洗った私は、イルカさんマークのパジャマから騎士服に着替え、ドレッサーの前に座った。
「セナ、最近元気ないね」
背後から心配そうな声が響く。
私のお世話係のマリアちゃんが背後に立つと、私の髪を梳いてくれた。
マリアちゃんは、心配そうな面持ちで鏡越しにこちらを見ていた。
いつもクールな表情のマリアちゃんだけど、僅かに下がった眉尻から、私の事を本当に心配してくれているというのが良くわかる。
「……うん、何でもないよ。だいじょぶ!」
私は鏡越しに、マリアちゃんににこりと微笑み掛けた。そして、ぐっと握った手を掲げて見せる。
……思い悩んでいるばかりではダメだな。
そう思って、何となく窓の方へと視線を向けた瞬間。
私は、ドキリとして固まってしまう。
そしてすぐに、ガタリと椅子を鳴らして立ち上がった。
窓の外に広がるのは、適度な密度で広がる林だった。隣のお屋敷との境界を示すために整備された木立だ。
その木々の向こうから、今、一筋の黒い煙が立ち上っていた。
首筋がチリチリして、背筋がぞわりとする。
呆然とその黒煙を見上げていた私は、表情を引き締める。そして、ぐっと奥歯を噛み締めた。
……嫌な予感がする。
これまでの経験から、あの煙がただの焚き火や火事の類ではないと考えてしまう。
このノスフィリスの郊外に広がる高級住宅地域には、サン・ラブール連合軍最高幹部会議に出席するために各国の重鎮の方々が集まっている。これを狙って敵が襲撃して来てもおかしくはない。
私たちの敵……オルギスラ帝国軍が。
もちろん、味方だってそんな事は想定済みだ。
この高級住宅地域は、エーレスタの精鋭第一大隊が警備に就いている。さらにノスフィリスの外には、別の部隊が何重にも厳重に防衛網を敷いているのだ。
でも、それでもやはり、嫌な予感は消えてくれない……。
「マリアちゃん、フェルトくんとレティシアさんを呼んで。後、伝令に出れそうな騎士さんも連れて来て」
私はドレッサーの脇でゴロゴロしていたアーフィリルを抱き上げると、玄関に向かって駆け出した。
お屋敷の外に出た瞬間、警備の騎士さんたちが慌ただしく駆け回っている姿が飛び込んでくる。同時にあちこちから、怒鳴り声や叫び声、悲鳴、そしてが乾いた炸裂が聞こえて来た。
……あれは、銃声だ。
その音で確信する。
今、この住宅地を満たしているのは、間違いなくすっかり慣れてしまった戦場の空気だった。
「セナ!」
ぎゅうっとアーフィリルを抱き締める私のもとに、フェルトくんとレティシアさん、マリアちゃんやアメルが来てくれた。
みんな、厳しい顔をしていた。フェルトくんは、既に完全に戦闘態勢だった。
馬の嘶きが響き渡る。
お屋敷の裏手から、騎乗した騎士さんが飛び出して来た。伝令役の騎士さんだ。
「セナさま!」
騎士さんが私の前で馬を回して止まる。下馬しようとしたその騎士さんを、私は手を振って止めた。
「まずは、第一大隊に事態の確認と状況の報告を。可能なら、市内の連合軍司令部にも確認と報告をお願いします。ただし、敵がいる可能性を考慮して、無理はしないで下さい」
私はアーフィリルを抱き締めながら、馬上の騎士さんを上目遣いにキッと見上げた。
「了解! はっ!」
力強く頷いた騎士さんが手綱を打つ。軍馬が地面を蹴り上げ、走り出した。
「レティシアさんは、マリアちゃんたちとお屋敷の周辺警戒をお願いします」
私は次に、さっとレティシアさんの方を見た。
胸元の大きく開いた私服の上に赤いマントを羽織ったレティシアさんは、疲れた様にため息を吐いた。
「まったく、本当に戦争馬鹿はこれだから……。行くわよ、マリア」
ぶつぶつと言いながら、お屋敷の外周路に向かって歩き出すレティシアさん。その後を、私に向かってこくりと頷き掛けてからマリアちゃんが追い掛けて行った。
「アメルは、お屋敷で待機を。フェルトくんと私は現場に……」
私がくるりと振り返ってフェルトくんとアメルを見たその時。
「セナっ!」
フェルトくんが鋭い声を上げる。そして、黒煙が立ち昇っているのとは別の方向をさっと指さした。
そちらに目をやった瞬間、私は大きく息を呑んだ。
さらにもう1つ。ノスフィリスの閑静な住宅街に新たな黒煙が立ち上っていた。
冬晴れの蒼天に、黒々とした煙が染みの様に広がっていく。
やはりこれは、火事や何かの事故なんかではない……!
「フェルトくん、行こう!」
私はフェルトくんにキッと目を向けると、アーフィリルを抱き締めたまま走り出した。
凍てつく冷たい空気を切り裂いて、私は地上へ向けて降下する。白のドレスと余剰魔素を放出する長い髪が、押し寄せる風圧になぶられて激しくはためいていた。
フェルトと並んで走り出した私は、アーフィリルと融合すると新たに黒煙が立ち上る場所に向かって大きく跳躍した。ノスフィリス郊外の高級住宅街は、家々の間の緑地の面積が広く取られていたが、大人状態の私の跳躍力があればさしたる距離ではなかった。
フェルトには最初の黒煙地点へ向かう様に指示し、私は2度の跳躍で新手の黒煙地点の上空に達していた。
高所から見下ろすと、ノスフィリスの街の全景を見て取る事が出来た。
城壁に守られた中心街には、背の高い建物が密集している。その壁の外側には、新たに形成され始めた新市街や住宅街、広い畑、再度街を取り巻こうと工事中の外壁を一望する事が出来た。その街のさらに向こうには、頂きに雪を冠した山々が広がっている。
そして。
私の直下に広がるのは、古い城壁の外に作られた高級住宅街。その中にあって、もうもうと黒煙を上げている屋敷だった。
作りは私が逗留している屋敷と同じ様だ。その北側から、黒煙が上がっている。
上空からは、屋敷の中から人々がわらわらと逃げ出しているのが見えた。使用人などの非戦闘員だろう。
それとは逆に、煙が上がっている方向に向かって駆けて行くのは、鎧を身にまとった警備の騎士たちだ。
軍装が違う。エーレスタの騎士ではない。恐らくは、この屋敷に滞在している要人の護衛だと思われる。
その騎士たちが立ち止まり、陣を組みだした。
あれは、防御陣形だ。
戦技スキルの障壁が展開されるのがわかる。
そして次の瞬間、屋敷から上がる黒煙とはまた違う煙が吹き上がるのが見えた。
自由落下の風圧に包まれる私のもとにも、乾いた炸裂音が聞こえて来る。
銃声だ。
放たれた弾丸は、騎士たちの障壁に弾かれる。
防御陣形を解き、騎士たちが突撃を開始した。
その先に、ちらりと黒の鎧が見える。
やはり敵襲。
オルギスラ帝国軍か!
地表が近付くにつれて、戦闘現場が屋敷の影に入って見えなくなる。
敵は、サン・ラブール連合軍の最高幹部会議を察知し、強襲を仕掛けて来たのだ。黒鎧という事は、アンリエッタやギルバートも来ているのだろうか。
先日のレンハイムへの強襲からしても、敵がアンリエッタら竜の黒鎧の部隊である可能性が高い。どれくらいの敵が入り込んでいるのかはわからないが、この住宅街には各国の要人が集まっているのだ。下手をすれば、サン・ラブール条約同盟全体に関わる深刻な被害を受けかねない。
くっ。
私はギリっと奥歯を噛み締めて、黒煙を上げる屋敷の敷地に降り立った。そしてすぐさま味方の騎士隊と敵性部隊が交戦している屋敷の北側に向かって突撃を開始した。
再び視界に入って来た戦況は、一方的だった。
私が着地している僅かな間に、屋敷の防衛に回っていた騎士隊は壊滅的な打撃を受けていた。
他の生死は不明だが、未だに武器を構えて立っている騎士は僅かだった。
敵は、漆黒の鎧を身にまとった集団。ざっと見て20名前後。小隊編成といったところか。
私は白の剣を生み出しながら僅かに目を細めた。
全員同一の鎧を身にまとっていたが、竜の意匠は見受けられない。今まで出会ってきた黒の竜鎧とは違う。初めて見るタイプだ。
アンリエッタらの鎧は、兜から覗く目が赤く不気味に輝いているのも特徴的だったが、この鎧たちの兜には、無機質なスリット状の覗き穴が付いているだけだった。
例の竜の黒鎧というよりも、一般的な黒騎士といった雰囲気だ。帝国軍の一般騎士か。
敵集団の得物は、銃剣の付いた歩兵銃だった。
その武器から、特に魔素の反応はない。
竜の黒鎧なら、大抵魔素で構成された刃の武器を携えている。例外は、この間レンハイムを襲撃して来た黒鎧の持っていたダガーだが、あれも僅かに魔素は帯びていた。
この敵、アンリエッタやあの巨腕のギルバートの部隊ではないのか。
「貴様ら、何者だ」
白の剣を構えながら、私は黒の襲撃者たちを睨みつけた。
しかし黒の鎧たちは、何も答える事なく歩兵銃の銃口を私へと向ける。
問答無用という事か。
ならば、こちらも容赦はしない。
私はダッと地を蹴り、突撃を再開する。
踏みぬいた地面が、ボコリと大きく陥没した。
一足のもとに倒れ伏す護衛の騎士隊の前に飛び出した私は、今まさに引き金を引こうとしていた黒の鎧の1体を袈裟懸けに斬り捨てた。そしてすかさず手をかざし、広めに設定した防御障壁を展開する。
味方の死などものともせずに、黒の襲撃者たちが発砲する。
銃声が響き渡る。
発砲煙が瞬間的に膨れ上がり、銃弾が私や味方騎士たちに向けて殺到する。
しかしそれらは全て、私の障壁に容易く弾かれた。
跳弾が近くの地面や木々、そして燃えている屋敷の壁面を削る。
「騎士隊は下がれ。ここは私が引き受ける」
私は、近くで片膝を着いている騎士に向かって声を掛けた。
「貴方は……」
銃弾で撃ち貫かれたのか銃剣の刺突を受けたのか、だらだらと血の流れる肩を抑えた騎士が私を見上げた。
「私は、白花の騎士団の竜騎士アーフィリルだ。早く行け」
私が名乗った途端、騎士が目を見開いて息を呑んだ。
「貴方が……いえ、貴方さまが……」
敵黒鎧たちが、突撃態勢を取る。
前衛の者たちが銃の構えを変えて銃剣突撃の様子を見せ、後列の者たちが再び銃口をこちらに向けた。
この迷いのない展開、どうやら敵は歩兵銃での戦い方に慣れている様だ。動きや陣の組み方に迷いがない。よく訓練の行き届いた練度の高い部隊の様だ。
再び私に促された味方部隊が、負傷者を引きずりながら後退し始める。
ああ、そういえば、1つ確認しておかなければならない事があった。
「悪いが、教えて欲しい。ここの屋敷の主は、誰だ?」
私は、後退する騎士を一瞥した。
「はっ、こ、ここは、ベルデ公国の皇太子さま、全権委任大使さまの逗留地です!」
騎士の答えに、私はすっと目を細めた。
最高幹部会議の初日、一番最初にオルギスラ帝国への侵攻作戦に反対意見を口にしたあの細面の王族の姿を思い出す。
彼とはその後、コンラートやルテナン国王の引き合わせにより直接話をした。さらには彼の依頼により、幾人かの要人に会い、帝国侵攻作戦の是非について話した。決して知らぬ人物ではない。
ベルデの代表は、無事なのだろうか。
さらにそう尋ねたいところではあったけれど、それは黒の襲撃者たちが許してはくれなかった。
銃剣を構えた敵鎧が、ぐっと腰を沈ませる。
その次の瞬間。
今まで感知出来なかった魔素反応が、瞬間的に膨れ上がった。
これは。
私がむっと眉をひそめた刹那。
踏み込んで来た黒鎧の銃剣の切っ先が、私の眼前にあった。
それも、正面だけではない。左右にも。
同じタイミングで踏み込んで来た6体の黒鎧たちに、私は一瞬にして半包囲される。
そして、何の迷いもなく突き出される銃先の刃。
なかなか良い速度だ。
だが。
ニヤリと口元を歪めた私は、後方に倒れ込む様に跳んだ。
前方の空間が、先ほどまで私の体があった場所が、6本の銃剣により串刺しになる。
後ろに倒れ込みながら、しかし私は、途中で右足を引いて体を支える。そして上半身を、力任せに前方に引き戻した。
もちろん同時に、大きく振りかぶった剣を振り下ろしながら。
体を戻す勢いを利用して、正面の敵を脳天から真っ二つにする。
魔素で編まれた私の白い刃は、黒の鎧などものともせずに敵を斬り裂いた。
鮮血が舞う。
まずは1つめだ。
このままでは危険だと思ったのか、他の5体が後退し始める。しかしその速度は、踏み込んで来た時ほどではなかった。
私はまず、左手の1体の装甲に覆われた胸に白の剣を突き立てる。そして黒鎧を突き刺したまま力任せに剣を右に振るった。
2体の黒鎧が味方の体に強打され、吹き飛ぶ。盛大な金属音と共にくぐもった悲鳴が響いた。
そこで後方に残った鎧部隊が、味方の後退を援護すべく射撃を行って来るが、歩兵銃の銃弾程度ではアーフィリルの自動障壁を破る事は出来ない。
屋敷の護衛の騎士たちが後退してくれたので、先ほどの様に広範囲の防御障壁など展開しなくてもいいのだ。
私は味方に激突して倒れた鎧にとどめの刃を振り絞りながら、一旦間合いを外して銃剣を構えなおしている残りの黒鎧たちに向き直った。
「さて、もう一度問おう」
私はだらりと白の剣を左手に下げながら、右手を掲げる。そして手の中に、もう一振りの白の剣を生み出した。
「貴様たちは何者だ。素直に答えるのならば、投降を認めよう。答えぬのならば、ここがお前たちの終わりの地となる」
私は冷ややかにそう告げ名げながら、口元だけでふっと微笑んで見せた。
敵の黒鎧たちは何も答えない。しかし私の恫喝が効いたのか、じりじりと後退する鎧もいた。
ふむ。
この鎧たち、練度や技能の面では見るべきものがあるが、この程度で動揺するとは実戦経験があまりないのかもしれない。やはりアンリエッタやギルバートとは、別の部隊の様だ。
こちらを窺っている敵前衛に対し、今度はこちらから仕掛ける事にする。
真正面から、敵鎧の1体へ踏み込む。
右手の剣で防御の為に掲げられた歩兵銃ごと敵の鎧を斬り裂く。そして左手の剣で、その胴を横に薙いだ。
私が剣を振り切ったのを好機と見たのか、もう1体の鎧が私の側面から銃剣を繰り出して来た。
鋭いが、何の変哲もないただの刺突だ。
そう思った刹那、銃剣の刃に魔素が走るのを感知した。
迫る刃が、赤く輝く。
魔素により、刃の切断力を高めているのだ。
いつかオレットが、同様の戦技スキルで機獣の足を斬り飛ばしていたのを思い出す。
私はふっと息を吐き、僅かに体を開いてその刺突を回避する。同時に左手の剣を振り上げてその歩兵銃を真っ二つにすると、突撃の勢い余って体が流れてしまっている黒鎧の背中に、右手の剣の柄頭を振り下ろした。
鈍い手応えの後、敵黒鎧が地面に沈む。
私はその背を踏みつけて動きを封じながら、周囲を見回した。
銃を構えている鎧たちは、既に私には銃撃が効かない事を悟っている様だ。銃口はこちらに向けているが、発砲はしてこない。
機獣がいない状況では、切り札の魔素攪乱幕も使えないのだろう。
敵部隊は、既に後退の姿勢を見せていた。
この敵、サン・ラブールの領域深くに進攻し、精鋭揃いである防衛部隊を突破して来た割には、部隊としての圧力が弱い気がする。それとも敵中浸透に長けた隠密部隊なのだろうか。
でもそれならば、屋敷に火などつけず、対象を暗殺している事だろう。
あるいは、敵主力はフェルトの向かった先にいるのだろうか。
む、フェルトは大丈夫だろうか。
それと、気になるのは敵の戦い方だ。
歩兵銃と銃剣というオルギスラ帝国式の武装をしているが、奴らが使っている技は、戦技スキルに近いものだ。魔素の発露などを抑えてスキルの発動状態を隠そうとしている様だが、アーフィリルと融合している私には、その力の流れがありありと感知する事が出来た。
私は引っかかるものを感じながらも、残りの敵を殲滅すべく足元の敵にとどめを刺そうとした。
その時。
「アーフィリル殿!」
黒煙を上げて一部が燃えている屋敷の方から声が響く。
それは、私も良く知っている声だった。
そちらに目を向けると、火の手がまだ迫っていない屋敷の一角からこちらに手を振る人の姿が見えた。
私は少しだけ目を見開き、驚いてしまう。
そこにいたのは、コンラート王子だった。
何故コンラートがあの様な場所に。
「アーフィリル殿! 救援感謝する! ついでにお願いだ! 敵はなるべく殺さずに捕えて欲しい!」
どうやらコンラートは無事の様だ。顔が煤で汚れているが、ここから見る限りでは怪我はない。
しかし捕えろとは、また手間の掛かる事を。
コンラートがああ言うからには、何かがあるのだろう。その言葉を無視する訳にもいかない。
私は片目を閉じて、ふっと息を吐いた。そして取り合えず足の下にいる敵を、力を込めて踏みつける。
ボゴっと鎧がひしゃげる鈍い音とくぐもった悲鳴と共に、黒鎧が地面に埋もれる。取り合えずこれで、この鎧は身動きが取れないだろう。
さて。
私は、すっと視線を残りの敵たちへと向けた。
『くっ……!』
その瞬間、敵部隊が一斉に発砲した。
もうもうと発砲煙が吹き上がる。
しかしそれは、屋敷の護衛隊相手に見せた様な綺麗に揃った射撃ではなく、いささかバラつきがあった。発砲した一人に、周囲が釣られた様な感じだ。
弾丸が障壁に弾かれ、近接弾がひゅんっと風切り音を上げながら私の直ぐ傍を通過して行く。
私は連続して襲い来る銃弾の中を、敵部隊に向かってゆっくりと進み始める。
最初はゆっくりと、徐々に速度を速め、発砲煙を切り裂いて敵渦中へと向かって飛び込む。
黒い鎧が作り出す隊列の中で、白いドレスがふわりとひるがえり、光を放つ白の髪が弧を描いた。
『総員、ここはもういい! 撤退を……』
敵指揮官らしき鎧が、ようやく声を上げた。
「いや、逃がすと思うか?」
私はその鎧を横目で睨みつけ、はっと薄く笑う。そして、白の剣をさっと振るった。
敵の鎮圧自体は、それほど手間取らずに終了した。
しかし大変だったのは、その後。無力化した襲撃者たちの処置と、ベルデ公国の屋敷に残っていたコンラートたちの避難誘導の方だった。
屋敷の護衛の騎士隊は散り散りになっていたし、混乱の為か、警備の部隊も駆けつけて来る様子がなかった。そのため私は、コンラートたちと屋敷に残っていた僅かな使用人たちの協力を得て、昏倒している敵を拘束して行かねばならなかった。
屋敷の主、ベルデ公国の代表者である王族の青年は無事だった。
何故ベルデのお屋敷にいるのかと尋ねると、コンラートは、朝から帝国侵攻作戦に対する対策を協議する為に集まっていたのだと苦笑いを浮かべていた。
どうやら二人は、以前からの知り合いらしい。
使用人やベルデの代表者からも直接襲撃時の状況を確認してみたが、特に何の前触れもなく突然屋敷に火が放たれ、あの黒鎧たちが襲い掛かって来たとの事だった。
私が同時に別の場所でも襲撃が行われている可能性があると告げると、コンラートは険しい顔で何かを考え込む様に沈黙してしまった。ベルデの王族青年も、何か思い当たるところがあるのか厳しい表情を浮かべていた。
無事な者や軽傷の者たちで何とか隊を立て直した護衛の騎士隊が戻って来ると、私は彼らに拘束した敵の事を頼み、コンラートらを私の屋敷へと連れて行く事にした。もちろん敵がどこにいるのかわからないので、護衛しながらだ。
私の屋敷ならばレティシアやマリア、それに数は少ないが白花の騎士団の皆が防御態勢を敷いている。他の場所よりは安全といえるだろう。
その移動の途中。
私は、住宅街からさらに別の煙が上がっているのを見つけた。
3か所目だった。
屋敷に戻ると、私は先ほど遭遇した敵黒鎧の特徴をレティシアらにも説明しておく事にした。敵の事がわかっていれば、対処もし易いだろうから。
コンラートも、一緒になって私の指示を聞いていた。
レティシアもコンラートも、敵の黒鎧が戦技スキルを使うかもしれない事、そして今まで戦ってきた帝国軍の竜の鎧とは何か違う気がするという私の印象を聞いて、何か思い当たる事があるのか、顔をしかめてじっと黙り込んでしまった。
レティシアに後の事を頼むと、私はまずフェルトが向かった現場を目指す事にした。
フェルトは、危なげ無く敵部隊に対処していた。
味方部隊と上手く連携し、確実に敵の黒鎧を撃破している。そもそも味方の方が数が少ないので、少し時間は掛かっている様だったが。
私はその現場の中央に降り立つと、手早く黒の襲撃者たちを無力化する。
フェルトは突然やって来た私に現場を横取りされたのが不満だったのか、もしくは私と同じ様に何か違和感を覚えていたのか、敵を無力化したのにも関わらず釈然としない様な顔をしていた。
その現場はフェルトに任せ、私は次の黒煙が上がる場所へと向かう事にした。
そこでもやはり、黒の鎧の襲撃者たちが屋敷に火を放っていた。
その場の敵も手早く無力化するが、やはりアンリエッタやギルバートの様な特別な強敵はいなかった。
敵を拘束し、この場所は誰の屋敷なのかを確認していると、そこでやっとこの住宅街を警備している筈のエーレスタ第1大隊の部隊がやって来た。
現場にやって来たエーレスタの1尉騎士に事情を確認すると、どうやら警備部隊には、敵の襲撃があったかもしれないという情報が入った段階で、ノスフィリスの中心街の防衛に徹せよという命令が出ていたらしい。
高級住宅街に逗留している各国代表者には、自前の護衛隊が存在する。しかし人口が密集している街の中心部に敵が入り込めば、一般人にも大きな被害が出てしまう。そのため、まずは街の中心部に敵を入れない様に内壁の防御態勢を確立させ通用門を固めよというのが、連合軍司令部側からの指示だったらしい。
エーレスタの隊長は、その命令に納得していない様だった。
市民の安全ももちろん大切だが、目の前でサン・ラブールの要人が襲われているのを座して見守る事が出来なかったのだろう。
結局エーレスタ第1大隊側でも襲撃を受ける住宅地を完全に見捨てる事は出来ず、命令通り防衛体制を整えつつ、こうして独自に部隊を出して来たという事らしい。
その判断に手間取り、現場到着が今になってしまったのだが。
私が白花の竜騎士であると名乗ると、隊長は恐縮しっぱなしとなり、出遅れた事を何度も何度も詫びていた。エーレスタの騎士としてこの様な事になってしまい、恥ずかしいとも言っていた。
この屋敷もフェルトが急行した屋敷も、両者とも私が会った事のある国の代表の逗留場所だった。こうして救援が遅れたのにも関わらず両名とも無事だったのが、不幸中の幸いだった。
私はエーレスタの隊長に現場を引き継ぐと、一旦屋敷に戻る事にした。
2度の大きな跳躍を経て、屋敷に戻る。
私が逗留しているお屋敷の前には、各屋敷から逃れて来た人が集まっていた。
白のドレスをひるがえし、落下の速度を制御した私がふわりと屋敷の前に降り立つと、その人々から歓声が上がった。
感謝の声を上げる者。私の名前を連呼する者。ひたすら雄叫びを上げて拳を突き上げている者。
皆無事の様で何よりだ。しかし、平伏してこちらに祈りを捧げている老婆、あれは少しやり過ぎではないだろうかと思う。
私の姿を確認すると、直ぐに白花の騎士団のメンバーが駆け寄って来た。そして中でコンラートやレティシアが待っている旨を教えてくれた。
どうやら、フェルトも先に帰還している様だった。
屋敷の中に入り背後で扉が閉まると、表の喧騒が一旦遠のく。
私はふうっと深く息を吐くと、アーフィリルに融合を解除する様にお願いした。
お屋敷のエントランスホールに、ぱっと白い光が広がる。
その光が収まると、私はもとの姿に戻っていた。
「うーんっ!」
手を上げて伸びをする私の頭の上に、ぽすっと白くてもこもこのアーフィリルが舞い降りた。
首を回してからゆっくりと深呼吸した私は、驚いた様な顔をしてじっとこちらに見入っている騎士さんを、むんっと見上げた。
「では、コンラートさまたちのところに案内してもらえますか?」
「は、は! こちらです!」
騎士さんは少し慌てた様にお屋敷の奥に向かった。
お屋敷の応接間には、コンラートさまや妹君のアステナさま。ベルデ公国の王族の全権委任大使さま、それにルテナン国王さまやお屋敷を襲撃された方々が集まっていた。さらには、レティシアさんやフェルトくん、それにアメルや白花の騎士団の幹部騎士さんも、部屋の片隅に控えていた。
私が入って来ると、みんなの目が一斉にこちらに集まる。その視線の圧力に、私はうっと一瞬立ち止まってしまった。
大人状態の私にしか会った事のない人は、「何故子供がここに……」と怪訝な表情を浮かべている。
「やぁ、アーフィリル殿。その姿ではやはり可憐だな!」
やや青ざめた顔をしながら、コンラートさまが駆け寄って来る。
背筋に冷たいものを感じて振り返ると、何故かフェルトくんが鬼の様な形相を浮かべてこちらを見ていた。
むむ、さすがフェルトくんだ。凄い殺気だ。
何を怒っているのかわからないけど、少しやり過ぎだ。アステナさまが怯えてしまっている。
私はフェルトくんを見つめながら小さく首を振った。
こちらの意図に気が付いてくれたのか、フェルトくんは面白くなさそうにすっと視線を逸らした。
コンラートさまは私の手を握ってぶんぶんと振ると、改めて救援感謝の旨を告げる。そして振り返ると、居並ぶ方々に私が竜騎士アーフィリルである旨の説明をしてくれた。
みなさんやはりなかなか信じられない様で、難しい顔でこちらを見ている。そんな中、ソファーに腰かけていた初老のご婦人が、柔らかい笑顔で自分の隣に座る様に私に手招きしてくれた。
あのお方は確か、ルテナン王国の王妃様だ。
私は、素直に王妃さまの申し出に従う事にした。
とととっと小走りにソファーへ向かうと、王妃様の隣にぽすっと腰かける。その私の膝の上に、アーフィリルが下りて来た。
「助けていただいて、本当にありがとうね、竜騎士さま。こんなに小さいのに、偉いわね」
王妃さまが、私の頭を優しく撫でてくれる。
年齢的には、頭を撫でられるほど幼くはないのだけど……。
もちろんその手をはねつける事なんて出来ないので、私は大人しく王妃さまに撫でられるしかなかった。
オレットさんもそうだが、たまに初見にも関わらず大きな私と小さな私が同一人物だと見抜く人がいる。この王妃さまも、多分そうなのだ。
……いや、アーフィリルと融合した私は私の成長した姿なのだから、見抜けて当然ではあるのだけれど。
「……しかし、白花の騎士団の迅速な行動には本当に感謝の言葉もありません」
ルテナン国王陛下が、私を見ながら深く頷く。私がアーフィリルだという話を、取り合えずは受け入れてくれたのだろう。
「まったくです。あのままでは、どうなっていたかわからない。この様な場所まで攻め込まれるとは、サン・ラブールも危ういですな……」
一度私と会った事のある、お屋敷を襲撃された大使さまがため息を吐いて項垂れた。
「……いえ。恐らくそれはないでしょう。このままアーフィリル殿に助けに来ていただけなくても、皆さまの身に被害が及ぶ事はなかったと思います」
コンラートさまが、何かを考え込んでいるかの様な難しい顔をしたまま、ゆっくりと言葉を選ぶ様にそう告げた。
その瞬間、周囲の空気がキリッと引き締まった様な気がした。
「……まさか、我々は釘を刺されたのだと。そう言いたいのか、グリッジの王子」
ルテナン国王陛下が厳しい表情を浮かべる。帝国に敗れ去ったとはいえ、さすが一国の王様だ。その顔には、ドキリとしてしまう様な迫力があった。
しかし、釘を刺されたとはどういう事なのだろう……。
私はぐいっと身を乗り出す様に座り直すと、そんな質問を口にしようとした。
しかしその前に、コンラートさまが低い声で説明を始めてしまう。
「これは、あくまでも推測にすぎません。なので、この場限りのお話にしていただきたいのです」
コンラートさまが、ギロリと目を動かして周囲を見回した。
「アーフィリル殿から聞かされた敵の様子。襲われた方々。そして、このタイミングでの敵襲。警備の部隊が即座に動かなかった事なども踏まえて、今回の襲撃は、仕組まれたものである可能性が非常に高い」
仕組まれた……。
私は、はっと息を呑む。
そしてその言葉を、胸の中で繰り返す。
ゆっくりと。
そして、徐々に目を大きく丸めた。
……まさか。
まさか!
「サン・ラブール内の主戦派の何者かが、和平を模索し始めている我々を襲撃したのではないでしょうか。おそらくその鎧の襲撃者も、帝国軍に偽装した犯人の私兵か、傭兵といったところではないでしょう」
「そんな、味方を!」
私はコンラートさまの説明に対して、即座に声を上げていた。
味方なのだ。
いくら意見が食い違っているとはいえ、ここにいるのは、みんなサン・ラブール条約同盟の味方なのだ。
それを、味方が味方を襲うなんて……。
あまりにも衝撃的な話に、私は頭の中が真っ白になってしまう。思わず体が、ふるふると震えてしまう。
そんな事……。
そんな事が、あり得るのだろうか……。
小さく震える私の肩を、ルテナン王妃さまが優しく抱き締めてくれた。
「そう、だから敵も、我々の命を取る事まではしなかった。恐らくこれは、警告なんだと思うのです。今回の帝国侵攻作戦に反対意見を表明する事で、我々和平の意思を持つ国が集まり始めた。今の状況で侵攻作戦を止める事は難しいかもしれないが、この反戦の機運はきっとこの後もどんどん広がって行く事でしょう。戦争が長引けば長引くほど、顕著に。だから、そうなる前にさらなる戦争継続を求める主戦派は、我々に脅しをかけるべく動いた」
コンラートさまは、そこでひょいと肩を竦めた。
「脅し程度だから、各国の要人に死傷者は出さない手筈だった筈です。ここで要人の人命が失われれば、サン・ラブールの面目が丸潰れになるでしょうから」
コンラートさまの説明を受けて、俄かに応接間無いががやがやと騒がしくなり始める。みなさんが口々に、自分の意見や考えを述べ始めた。
襲撃を帝国軍の仕業にすれば、帝国の脅威を喧伝し、侵攻作戦を行う後押しに出来る。しかし、ノスフィリスで襲撃事件が発生した段階で、連合軍の落ち度になるのではないか。いや、確かに非難も出てくるだろうけど、それで帝国軍の脅威をアピールする事と潜在的な和平派への牽制が行えるのであれば、メリットの方が大きくなるのではないか。
応接間内に飛び交うそんな意見を聞いていると、私は胸の奥がすうっと冷たくなる様な気がして来た。
……そこまで。
そこまでして、戦わなければならないのだろうか。
騎士としての義務やサン・ラブール連合軍の方面軍司令官という立場よりもまず1人の人間として、私はそう思わずにはいられなかった。
さらに衝撃的だったのは、コンラートさまも含めて周囲の偉い人たちがみんな、事の真相は別として、そんな事も起こり得るだろうと味方の主戦派犯行説を受け入れてしまっている事だった。
レティシアさんも、面白くなさそうな表情だったけど、こくこくと頷きながらアメルと話をしている。フェルトくんは、何だか考える事をやめた様な仏頂面だった。
コンラートさまは、周囲の方々と今後の方策について話し合っている。
最初にハインケルのお城で出会った時のコンラートさまは、何だか猪突猛進なだけの上流階級のお坊ちゃまに見えたのだけれど、こうしていると、もう何だか立派な政治家の様に見えた。
「成長したでしょう、あの子。グリッジ王が亡くなられてから、グリッジの国を背負おうと必死なのよ」
隣のルテナン王妃さまが、私の目線から何かを察したのか、そう説明してくれた。
自らの主張を通すために味方をも平気で襲撃する。
その様な発想が出来てこそ、多くの国々がひしめくサン・ラブール条約同盟の中で自国を守る事が出来る。複雑な政治の世界を渡って行ける。そういう事なのだろうか。
私は膝の上のアーフィリルを抱き上げると、ぎゅっと抱きしめた。
私が成すべき事。
エーレスタの騎士としての在り方。
竜騎士としての振舞い。
そして騎士団長や方面軍司令官として出来る事。
それをもっと、きちんと考えていかなければならない。そして改めて、この美しき白の祖竜、アーフィリルと契約した者として、この戦争の中で出来る事を考えなければ……。
世界は広い。
色んな立場の、色んな思惑の人がいる。
その中で私は……。
胸がトクリと鳴る。
緑の瞳を潤ませたアーフィリルが、真っ直ぐに私を見上げていた。
……世界を見てみたいと言っていたアーフィリルの言葉が、今なら少しわかる様な気がした。
私はアーフィリルの頭を撫でると、目を瞑って大きく深呼吸した。
その時。
廊下を掛けてくる足音がしたかと思うと、応接間の扉がバタンと勢いよく開いた。
「失礼致します!」
顔を強張らせて応接室に飛び込んで来たのは、警備役のエーレスタ第1大隊と中央の連合軍司令部に伝令に出した騎士さんだった。
伝令の騎士さんが馬を飛ばしてもたらしてくれた情報は、私にとってそれほど重大なものではない様に思えた。
騎士さんの話によると、連合軍司令部はノスフィリス市民の動揺を防ぐために、今回の襲撃事件については公に発表せず、秘密裏に処理すると決定したらしい。そして、私、竜騎士アーフィリルの方面軍司令官就任パレードも、予定通り執り行うと伝えて来たのだ。
時刻を確認すれば、もう既にパレードを開始しなければならない時間だった。
襲撃事件の鎮圧に飛び回っている間に、いつのまにかこんな時間になってしまっていたのだ。
正直、パレードの事なんてすっかり忘れてしまっていた。
わざわざパレードを見ようと集まってくれた市民のみなさんには申し訳ないけれど、しかし今はそれよりも、味方を襲撃するという卑劣な行為を計画したかもしれない犯人の追及こそが急務なのだ。
本人不在のまま、竜騎士アーフィリルが北部方面軍司令官になったという示達を行うだけの式典になってしまうが、やむを得ない。
私は連合軍司令部にパレードに出席出来ない旨の使者を出そうとしたのだけれど、それはコンラートさまやルテナン国王陛下、それにレティシアさんの大反対にあって止められてしまった。
「まったく、よくもまぁこんな見え透いた嫌がらせをするわね」
レティシアさんが腕組みをして壁にもたれ掛かりながら、面白くなさそうに吐き捨てる。
隣のフェルトくんが、ちらちらとレティシアさんの胸元に視線を向けていた。
「どういう事ですか?」
私は、むうっとフェルトくんを睨みつけてから、レティシアさんを見た。
「今回の襲撃、そこの王子さまが言う通りの真相だったとして、それに合わせて竜騎士アーフィリルの面子も潰しておこうっていうのよ、きっと。セナちゃんは、王子さまのせいで和平派の中心みたいにみなされてしまったのよ。ああ、これは王子さまの計画通りかしら。でも主戦派としても、サン・ラブールにとっての戦力としてのセナちゃんは排除出来ない。だからせめてパレードを欠席したという状況を作ってセナちゃんの面子を潰し、周囲への求心力を削っておこうというのね」
レティシアさんが、ふんっと不満そうに鼻を鳴らした。
「汚い上に小狡いやり方。まぁ、あのロリコン侯爵あたりなら考えそうな方法ではあるけれど」
声の端々から、レティシアさんが怒りをこらえているのが良く分かった。レティシアさん、私の為に怒ってくれているのだ。
でも、私としては自分の体面なんてどうでもいい。それよりも、実被害が出ている方を何とかしなければ……。
「そうだ、セナちゃん! 良い事思いついたわ!」
それまでプリプリ怒っていたレティシアさんが、不意にぱっと顔を輝かせた。そしてカツカツと踵を鳴らして私の前に進み出てくると、腰を折ってにっと笑った顔を近づけて来た。
ふわりと甘い香りが漂う。
「セナちゃん、これからパレードに参加しなさい。堂々と、正面から」
レティシアさんが微笑みながら、僅かに首を傾げた。
後ろ盾となるべき私が立場を失っては、コンラートさまたち和平派もあまりよろしくないらしい。みなさんもレティシアさんの提案に賛成し、私にパレードへの参加を促して来た。
……どうやら、私に拒否権はないみたいだ。
それに、今回の計画を立てた者にそれで少しでも反撃出来るのなら、それもいいかと思ってしまう。
その計画に従って、私はお屋敷を飛び立ち、ノスフィリスの街の中心へと向かった。
街の中心のパレード区画に入る方法は、レティシアさんがしたり顔で指定して来た。
それは、正面から馬車で向かうのでも、アーフィリルと融合して跳躍で直接乗り込むのでもなかった。飛行制御の翼を生やし、飛び込むのでもない。
久々に元の巨大な竜の姿に戻ってもらったアーフィリルに跨って、上空から進入する、というものだった。
この方法だと、確かに周囲の人々に竜が来た!というインパクトを与える事が出来る。
しかし小さな私の姿が見えてしまうので、他の人に混乱を与えてしまうのではないかという疑問があった。
世間でも連合軍司令部でも、竜騎士アーフィリルの姿は、大人状態の私で通っているのだ。
しかしレティシアさんは、大丈夫、大丈夫と悪戯っぽく笑っていた。
「セナちゃん小さいから、きっと下からじゃ見えないから!」
むーん……。
何だか素直に受け入れるのが、悲しくなってしまう……。
ともあれ私は、レティシアさんの計画に従ってノスフィリスの中心街へと進入した。
ふわふわのアーフィリルは、白く輝く大きな翼を羽ばたかせてゆったりと街の上空を飛ぶ。
吹き付ける風は冷たかったけれど、ぺたんと体を伏せてアーフィリルに抱き着く様にしがみついていると、そんなに苦にはならなかった。
「ごめんね、アーフィリル。またこんな事させちゃって」
私は押し寄せる風圧に乱れる髪を押さえながら、眉をひそめてそっとアーフィリルに話しかけた。
『気にするな、セナよ。たまには、こうして自由に翼を広げるのも心地よいものだ。それに、巨大な人間の都市を空から見下ろすのも久しぶりでな。うむ、なかなかこれも面白い』
そう答えてくれたアーフィリルは、機嫌がよさそうだった。
私はありがとうと告げながら、ぎゅっとアーフィリルを抱き締める。
お屋敷を飛び立ってさほど時間もかからず、ノスフィリスのメインストリートが見えてくる。
背の高い建物の間に伸びる幅の広い通りには、沢山の人々が集まっていた。
目抜き通りの沿道は、一面人で埋まっていた。
……こんなに人が集まっているなんて。
そっと地上を見下ろした私は、ぎゅっと眉をひそめた。
確か以前、私の名前が一人歩きして、一般の人たちの間にも広まっているって聞いた事がある。
グレイさんは、私の戦果がサン・ラブールの優勢を強調する為の宣伝に使われているとも言っていた。そのため、今では私の名前が一般にも広がっているのだと。
予定通りなら、あんな中を馬車に乗って練り歩かなければならなかったのだ。そう思うと、今からでもお腹がきゅっとなってしまう。
私は、アーフィリルにお願いして高度を落としてもらう。
すると、直ぐにこちらに気が付く人が現れた。
1人、また1人とこちらを見上げ、指差す人々。呆然とする人や、思わず逃げ出す人も見受けられた。
しかし動揺の騒めきは、直ぐに大きな歓声へと変わる。
やがてその場に集まった人たちが、こちらを見上げて声を上げ、手を振り始めた。
騎士のみなさんが上げる気合の声も大きいけれど、やはりこれだけの人たちが上げる歓声は凄まじかった。
私の体が、アーフィリルの白い羽毛に包まれ体が、ビリビリと震えているかの様だった。
私とアーフィリルは、そんな人々の上をゆっくりと通過する。背の高い建物に接触しない様に、優雅に旋回しながら進んでいく。
竜を間近で見るのは初めての人が多いのだろう。こちらを見上げている顔には、期待と僅かな畏れの入り混じった表情が浮かんでいるのが見て取れた。
アーフィリルの姿に驚いているのは、沿道の警備にあたっている騎士や兵士のみなさんも同じだった。
……予定とは全く違った行動をとっているので、驚くのも当たり前なのだが。
パレードの出発地点と終着地点は、ノスフィリスの街の中心に位置する大議場前の広場だった。
その場所も、やはり多くの人で埋め尽くされていた。
広場の人たちは沿道の人々とは違い、私が来ないと告げられたのか、今まさにのろのろと解散しようと動き出している最中だった。
街中からの歓声に何事かと空を見上げた人たちが、アーフィリルの姿を見つけて驚きの声を上げ始める。
やがてそれは、歓声へと変化して行った。
こちらに向けて手を振る者。拳を突き上げて叫ぶ者。そしてやはりここでも、祈りを捧げる様なポーズを見せる者。
誰もが顔を輝かせながら、こちらを見上げていた。
「アーフィリルさまが来られたぞ!」
「アーフィリルさま!」
「竜騎士さま!」
「白花の竜騎士さま、万歳!」
「サン・ラブールの英雄、万歳!」
「アーフィリルさま! こちらを!」
「ああ、なんて美しいのかしら!」
口々にアーフィリルの名を告げる人たちの声が、やがて一つになって大きな唱和と化す。
解散しようとしていた人たちが、再び広場の中心に集まって来る。
その中心、広場の上空で、私はアーフィリルに融合してくれる様にお願いした。
見上げる人々の頭上で、白の光が弾ける。眩い光が人々に降り注ぐ。
黒山の群衆に、どよめきの声が走った。
白光が収束したその後には、巨大な白の竜の姿は既になかった。
その代わり。
大人状態へと変化した私が、宙に浮いていた。
白のドレスが揺れる。輝く白い髪が、ふわりと流れる。そして腰の後ろから生やした白の翼が、ばさりと広がった。
アーフィリルと融合状態となった私は、緑の瞳でゆっくりと足元に集った人々を見回した。
私の突然の変容に、議場前広場が一瞬静寂に包まれた。
しかし、その次の瞬間。
今までとは比べ物にならない程の巨大な歓声が巻き起こった。
天高く広がる冬の空すらも揺るがす様な巨大な叫びは、やがてアーフィリルの名を叫ぶ声へと収れんして行く。
私はそんな声に包まれながら、翼と落下速度を調整してゆっくりと下降を始めた。
竜騎士アーフィリルの名前を唱える群衆を背にして、私はふわりと大議場の2階バルコニーへと降り立った。
そこには、今日のパレードに臨席する予定だった連合軍幹部と、数名のサン・ラブール最高評議員たちの姿があった。
皆、こちらを見ていた。
呆然としながら。
しかしその場にいたのは、あらかじめ知らされていた参列者よりも随分と少ない様だ。私が遅刻したために、もう帰ってしまったのだろうか。
もしくは、私は来ないと知っていたか、だが。
評議員の中には、ハルスフォード侯爵の姿もあった。いつも傲然としている侯爵も、今は少し驚いた顔をしている。私と目が合うと、侯爵は直ぐに鋭い眼光を湛えた無表情に戻ってしまったけれど。
私は目を細める。そして、その場に集まったお歴々をすっと見回した。
「さて、遅れた事をまずは謝ろう。少しばかり忙しくてな」
冷ややかにそう告げた私に対し、何人かが引きつった様な表情を浮かべた。
私は、ふっと微笑んでみせる。
そして無言の高官たちに視線を残しながら、くるりと踵を返して私の名を呼ぶ人々の方へと向き直った。




