第45幕
新しい年を迎えても、私の周りはバタバタとして落ち着かなった。
アンリエッタら黒の鎧たちによる急襲から始まったオルギスラ帝国軍の再侵攻は、年が明けて金糸の月の下旬頃になってようやく平定する事が出来た。
でも、帝国軍が引いたからといって、単純にそれでおしまいという訳にはいかなかった。
さらなる侵攻に備えての防衛ライン構築や各地域の治安維持、そしてサン・ラブール連合軍総司令部への状況報告など、むしろ戦いが終わってからの方が私的には忙しかったのだ。
グレイさんの思惑の通り、私はサン・ラブール連合軍北部方面軍を預かる事になった。でもその分複雑化した膨大な事務が、私を待ち構えていた。
そうして、季節はあっと言う間に移ろっていく。
再侵攻した帝国軍の平定任務から帰った私はそのままレンハイムのお城での事務仕事に埋もれてしまい、気がつくと新しい年最初の金糸の月が終わり、次の銀林の月が始まってしまっていた。
部隊を預かってはいても、正式には私は、まだ北部方面軍の司令官に任命された訳ではなかった。
私の方面軍司令官代行は、旧司令部要員壊滅にともなう暫定的措置だった。さすがに一般部隊の指揮官交代などとは違って、サン・ラブール連合軍の主力の一角を預かるのだ。話はそう簡単ではないらしい。
暫定司令官という中途半端な状態だったけど、それでもやっぱり仕事は待ってくれない。
帝国軍を巡る情勢は刻一刻と変化していたし、大軍というものは何もしなくても様々な手続きが必要なものなのだ。
グレイさんや他の幹部の方々からは、司令官である私が全ての書類仕事や報告を受ける事はないと言ってもらっていたけれど、私は指揮官としては何においても経験不足の見習いみたいなものだ。
仕事を、他の人に放り投げるなんて出来ない。
レイランドさんという優秀な事務の専門家がいれば、もっと効率良く仕事が出来たかもしれないけれど、あの人は今エーレスタの私の領地に戻ってしまっている。
でも私も元々は、隊務管理課で事務をこなしていたのだ。書類仕事で弱音を上げる訳にはいかなかった。
レンハイムのお城で新たに得たすごく広い執務室で、私は机の上にアーフィリルを乗せて、ペンと書類と戦う日々が続いていた。
その間も、帝国軍は常に不穏な動きを続けていた。
北部方面軍や白花の騎士団が、全軍でもって動くような事態は起きなかった。しかし、国境に迫る帝国軍の牽制や中部、南部方面軍の支援。帝国軍の拠点への急襲や町村の解放。そしてお城の奪還など、様々な場所で多くの隊の仲間たちが、任務に就いていた。
北部方面軍と白花の騎士団は、アルハイムさまやハイネさまのおかげもあって、着実に戦果を挙げていた。
……でも、もちろん常に勝ち続けられる訳ではない。作戦失敗や部隊に損害が出る事も、少なくはなかった。
それでも私たちは、そうした損害を覆い隠す程の勝利を得ていた。
サン・ラブール連合軍北部方面軍と白花の騎士団。そして白花の竜騎士アーフィリルの名前は、オルギスラ帝国撃退とサン・ラブール勝利の知らせと共に、多くの人の間で広がる事となった。
グレイさんやオレットさんからそう報告を受けても、私には俄かに信じられない話ではあったけれど……。
冬の柔らかな日差しが射し込むレンハイム城の執務室で、私は各部隊から上がって来る作戦報告書と、昨日連合軍司令部から送られて来た最新の戦況報告書に目を通していた。
季節は銀林の月16日。
1年の中で最も寒さが厳しくなる頃であり、確かに窓の外は晴れ渡っていたけれど、空気がキンっと冷え切り澄み渡っていて、とても寒そうだった。
でも魔晶石を動力とした暖房のおかげで、お城の中はぽかぽかと暖かかった。
私は特に厚着もせず、普段通りアーフィリルの用意してくれたひらひらスカートの騎士服姿で過ごしていた。
いつもポニーテールにしている白くなった髪は、今日は頭の右側で綺麗な青色のリボンで緩くまとめてあった。アメルが整えてくれた髪型だ。
私は書類から顔を上げると、うんと軽く伸びをする。
北部方面軍を預かる様になってから入ったこの新しい執務室は、かなり広かった。机も椅子も部屋も私には大きすぎて、何だか落ち着かない。本棚にしろキャビネットにしろ、色々と遠くて少し不便だし……。
でも、方面軍司令ぐらいの立場になるなら、これくらい大きな部屋でなくてはダメだとみんなが言っているのだ。グレイさんとかレティシアさんとか。
うーむ……。
はらりと落ちて来る髪をかき上げて、私は執務机の上で丸くなっているアーフィリルに手を伸ばすと、そのお尻をむんずと掴んで引き寄せた。
『む』
居眠りしていて動く気のないアーフィリルをずりずりと引きずって、私はそのふわふわの白い塊を膝の上にぽんっと乗せた。
アーフィリルの体温のおかげで、スカートから伸びた素足がぽかぽかと暖かくなってくる。
よし……!
私はアーフィリルの頭を撫でてからふっと息を吐き、もう一度書類に目を戻した。
帝国軍を撃退した私たちの北部はもちろんだけど、この最新の勢力図によれば、中部や南部でもサン・ラブール条約同盟側が帝国軍を押し返し、奪還地域を広げつつある様だった。
特に南部戦線、ローデン街道を中心とした方面では、味方部隊が広範囲の地域を解放しているみたいだ。
南部方面の主力は、エーレスタ第2大隊とウェリスタの正規軍だ。それとエーレスタから2騎の竜騎士さまも参陣していて、その片方は黄岩竜ドラストだった。
エーレスタ第2大隊は、私にとっても一緒に戦った馴染深い部隊だ。オレットさんやフェルトくんの古巣でもある。お世話になったディンドルフ大隊長は、今も元気だろうか。
黄岩竜ドラストとその契約者、竜騎士サルートさまも一度だけだったけど一緒に戦った。2人も無事かな。
このまま順調に戦況が推移して行けば、春には北部と南部で中央を挟撃し、帝国軍をサン・ラブール条約同盟の領域の外に押し返せる態勢が整う様に思える。
そうなればきっと、この戦争の終わりも見えて来るだろう。
私は広い執務室の中で、1人むんっと気合いを入れる。
何事かと顔を上げるアーフィリルの頭をぽんぽんしてから、私は資料に添付されている各方面軍の簡易戦績を見た。
味方部隊の皆さんが快進撃を開始したのは、魔素撹乱幕の存在を把握し、その対処に慣れて来たからだと思う。戦技スキルが使えないなら、使えないなりに戦えば良い、という事なのだ。
初戦ではその対処方法がわからずに、各地で大きな損害が出てしまったけれど。
もちろん対処法がわかっているからといって、決して楽な戦いになるわけではない。
それは理解しているつもりだけれど……。
私は、顎先に手を当ててむーんと考え込む。
やはり気になるのは、竜の黒鎧の存在だ。
アンリエッタやあの巨腕のギルバートはもちろん、この間は沢山攻め寄せて来たダガーの鎧でさえ、私たちにとっては脅威だ。一般の騎士さんや兵士の皆さんでは、あれに対処するのは難しいだろう。
もし、魔素撹乱幕を展開された上であの鎧たちに襲われたら……。
あるいは、この間みたいにピンポイントで司令部を強襲されてしまったら、アーフィリルの力を借りる事の出来ない他の部隊は、甚大な被害を出してしまうのではないだろうか。
帝国軍も、その様な戦術が有効である事はとっくに気が付いていると思うけれど……。
私はほふっと息を吐くと戦況報告書をまとめた。さらに既に目を通した決済書類もそれに重ねる。
色々と考え込んでいると、どんどん良くない想像をしてしまう。
帝国軍の意図がわからない以上、私たちはもしもに備えておく事しか出来ないのだ。黒鎧たちの事は、もう総司令部には報告してあったし。
私はアーフィリルをうんしょと脇に抱えると、席を立った。そして書類の束も持つと、執務室のドアへと向かった。
書類とアーフィリルを抱えた私は、一瞬どうやってドアを開けようかと悩んでしまう。しかしそこで、タイミング良く目の前で扉が開いた。
「あっ、アーフィリル閣下!」
扉の向こうには、最近新しくやって来た私の秘書官さんが立っていた。
元北部方面軍の女性騎士である秘書官さんは、顔を強張らせて直立不動の姿勢を取ると、ビシッと敬礼してくれる。
彼女は、白花の騎士団のメンバー以外では、小さな私が竜騎士アーフィリルだと認識している数少ない人物だった。
「あ、すみません。ありがとうございます」
「は、はっ!」
扉を開けてもらったお礼を言うと、秘書官さんは緊張した面持ちで頷いた。
だらんと私に抱きかかえられて動く気のないアーフィリルをうんしょと抱え直すと、私はグレイさんの執務室に向かった。
私が北部方面軍を預かるという事は、サン・ラブール連合軍の総司令部に正式に許可された訳ではなかったけれど、レンハイム急襲の夜以来現場の隊には受け入れてもらっていた。
しかしそれは、アーフィリルと融合した竜騎士アーフィリルが、という事であって、本来の姿である小さな私の立場は微妙だった。
私が大きな竜騎士アーフィリルと同一人物であるという事は、言葉で説明してもなかなか受け入れてもらえない。それこそ、目の前で融合して見せる事でもしなければ……。
そのため、先ほどの秘書官さんなど近しい人には説明して見てもらって納得してもらっていたのだけれど、多くの人たちは、小さな私を竜騎士アーフィリルとは別人だと考えている様だった。
曰く竜騎士アーフィリルの私設秘書官だとか、竜騎士アーフィリルの妹だとか、竜騎士アーフィリルが側に置いているお気に入り騎士だとか……。
きちんと説明をしなくてはいけないと思ってはいたけれど、毎日の忙しさにかまけて結局はそのままの状態になってしまっていた。
大きな私と小さな私は、顔立ちも似ているし髪の色も同じなので、身内だという説が有力らしい。
同一人物なので、似ているのは当たり前なのだけれど……。
この状況、どうしたらいいのかなとぼんやり考えていると、いつの間にか私はグレイさんの執務室に辿り着いていた。
今のグレイさんは、竜騎士アーフィリル配下の3人の副司令官の1人という立場にあった。
白花の騎士団と同様に、私の正式な副官はウェリスタの宮廷魔術士であるレティシアさんという事になっていた。もう1人の副官さんは北部方面軍出身の騎士さんで、実動部隊の指揮官を担ってもらっている。そしてグレイさんは、作戦立案や大規模部隊となってしまった隊の運営などを担当し、私の参謀的な立ち位置となっていた。
そのグレイさんの執務室の前には、鎧を着こんだ実戦装備姿のサリアさんが立っていた。
「あ、セナさま。お疲れ様です」
「お疲れさまです、サリアさん。今帰還したんですか?」
さっと敬礼してくれるサリアさんにこちらも答礼したかったのだけれど、両手がアーフィリルと書類でふさがってしまっている。しょうがないので私は、うむっとサリアさんに頷き掛けた。
「先ほどオレット隊長と共に帰還致しました。ただ今グレイさまのところに報告を。後ほどセナさまのところにもお伺い致します」
何故か微笑ましいもの見る様な柔らかな笑顔を浮かべて、サリアさんが私を見つめる。
一緒に行動する事が多いサリアさんだったけど、小さな私と一緒にいる時は、そんな目を向けてくる事が多々あった。何だかお母さんに見られている様で、少し居心地が悪い。
「……今回の任務は、国境監視所の巡回でしたよね。異常はありませんでしたか?」
私は小さく息を吐き、仕事の話をしてみる。
「はっ。問題ありません。接敵もありませんでした」
サリアさんが国境付近の状況説明をしてくれるが、今回は特に変わった事はなかったみたいだ。
そうして話し込んでいると、ガチャリと執務室の扉が開いてオレットさんが出て来た。こちらもサリアさんと同様、鎧姿だった。
オレットさんは、扉の前に立つ私を見て少し驚いた様に目を大きくする。
「オレットさん、任務お疲れ様でした」
私は、オレットさんを見上げてふわりと微笑んだ。
オレットさんは任務帰りの為か、少し無精髭の濃くなった顔に、にやりといつもの笑みを浮かべて頷いた。
「なんだ、セナか。こんなところをうろうろして、アーフィリルと一緒にお散歩か?」
からかう様にな口調でそう言うと、オレットさんはポンと私の頭の上に手を置いた。
両手がふさがっている私は、体を揺らしてそれに抵抗しながら抗議の声を上げる。
お散歩ではなくグレイさんに書類を持ってきたのだ。仕事なのだ。
しかしオレットさんは、はははと笑うだけだった。サリアさんも困ったように笑っているだけだった。
レンハイム城急襲事件の夜、焦った様に取り乱していたオレットさんは、もうすっかりいつもの調子を取り戻していた。
再侵攻して来た帝国軍との戦況が落ち着いた後、オレットさんとグレイさんには改めて事情を確認してみたけれど、得られた答えは私の想像した通りのものだけだった。
やはりオレットさんとグレイさんは、ラーナストラという東の町で同じ主家に仕えていた者同士だったそうだ。
2人はエーレスタで再会する以前から、前にオレットさんが語っていた様に、戦乱に巻き込まれて離散してしまった主家の方々やそのご令嬢であるアンリエッタを探し求め、行動して来たらしい。
この大陸には、そうしたオレットさんやグレイさんたちの同志が、今もなお色々な所で活動しているそうだ。
そういうお話を聞くと、何だか切なくなって胸がきゅっとしてしまう……。
何年もの時間を掛けて、この広い大陸で大切な人を探し続けるなんて、凄い事だと思う。
……しかし。
グレイさんには、さらに他にも何か目的があって行動している様な気がする。それは、オレットさんについても同様だった。
別に何か証拠がある訳でもなく、私の勘というか勝手な印象から来る推測だったので、きちんと事情を説明してくれたオレットさんたちに、そんなさらなる疑念をぶつける事は結局出来なかったのだけれど……。
ともあれ、オレットさんがいつもの調子を取り戻してくれた事は良かったと思う。オレットさんは私たちの部隊にとって優秀な指揮官であり数少ない魔刃剣を任せられる強者であり、頼りになる私の先生でもあるのだから。
それにオレットさんが落ち着いてくれると、レティシアさんの苛々した感じも治まってくれるし。
「サリアから聞いたなら、報告はもういいな。俺は少し休ませてもらうぞ」
さんざん私の頭を弄ったオレットさんが、飽きたのかぷいっと背中を向けてしまった。
うむむ。
「わかりましたけど、次の軍議には遅れないで下さいね。グレイさんが何かの作戦説明をするって言ってましたから」
ため息交じりにそう告げた私にひらひらと手を振りながら、オレットさんがさっさと歩み去って行く。申し訳なさそうに頭を下げるサリアさんが、その後に続いた。
私は、ふいっとため息を吐く。
そして気を取り直すと、開けっ放しになっているドアからそっとグレイさんの執務室を覗き込んだ。
私の執務室の半分くらいの広さしかなく、最低限の調度品しか整えられていない部屋の中央に、書類が重なった机に向かうグレイさんの姿があった。
グレイさんは騎士服に簡易の胸当てだけを装備した略装姿で、書類に目を落とし、ペンを走らせていた。
その背後の窓から射し込む逆光で、グレイさんの表情を読み取る事は出来ない。
私は、じっとグレイさんを観察する。
レンハイム城急襲事件の夜以来、私はグレイさんがとても怖い人なのではないかと思い始めていた。今までは、優しく微笑んでくれる頼りになるおじさんというイメージしかなかったのだけれど……。
「……どうしました、セナさま。どうぞ、お入り下さい」
不意に、低い声でグレイさんがぼそっと呟いた。
私は、びくりと体を竦ませる。
廊下であれだけ騒いでいれば、私に気が付いているのも当然なのだけれど、何故かドキリとしてしまう。
隠れるのも引き返すのもおかしいので、私は覗き見していたばつの悪さを苦笑でごまかしながら、「失礼します」とグレイさんの部屋に足を踏み入れた。
「セナさま。丁度よいところに来られました。こちらからもお話したい事があったのです」
グレイさんが顔を上げ、私を見た。その視線が私の小脇に抱えたアーフィリルに注がれる。アーフィリルは、くたっと私に抱えられたまま、くんくんと周囲の匂いを嗅いでいた。
私は、とととっとグレイさんの机に駆け寄ると、アーフィリルを床に下した。そして、グレイさんに書類を差し出した。
「私の用事はこれです。中央から最新の戦況報告が送られて来ました。それと、決裁書類、確認し終えました。何点か間違っているところと不明な点があって……」
グレイさんが戦況報告にさっと目を通してから、私を見る。こちらは立っていてグレイさんは椅子に腰かけているのに、目線の高さが僅かしか違わない事にやや不満を覚える。
もちろん指揮官としての貫禄がどちらにあるかは、言わずもがなだ。
「ふむ、この状況なら良いかもしれません。行くならば今でしょうな」
ニヤリと笑うグレイさん。
私は疑問符を浮かべて小さく首を傾げる。
「行く、というのはどちらにでしょうか。前線を離れるんですか?」
私の質問に、グレイさんが大きく頷いた。
「セナさまには、とある方と一緒にノスフィリスの街で開催されるサン・ラブール連合軍の最高幹部会議に出席していただきたいのです」
では午後から軍議を開きましょうという様ないつもの気軽な調子でそう告げるグレイさん。
私は数瞬の間をおいてから、徐々にゆっくりとむうっと顔をしかめた。
最高……幹部の会議?
偉い人いっぱいの会議……?
嫌な予感がもくもくと広がって来る。早くも緊張で、胸がドキドキし始めた。
……名称からして、きっとサン・ラブール条約同盟各国の代表さんとか連合軍のトップの方々が集まる場所なのだ。いくら竜騎士だ、騎士団長だといっても、私なんかにはとても縁がある所には思えないけれど……。
しかしそこで、私はふっと気が付いてしまう。
暫定処置とはいえ、3つある方面軍の1つを預かる立場というのは、十分にその軍のトップの方々に含まれるのではないかという事に。
「よろしくお願い致します」
私の理解が追いついた事が満足だという風に、グレイさんが頷いた。
逆に私は、顔からさっと血の気が引くのがわかった。
「なに、いつものアーフィリルさまならば問題ありませんよ」
セナではなくあえてアーフィリルと呼んだグレイさんは、凍り付いた様に固まってしまった私の事などお構いなしに、はははと軽く笑った。
私が件の幹部会議に出席するのは、方面軍司令官として正式に任命されるためには必要な事らしい。
3つある方面軍の1つを預かるという事は、サン・ラブール条約同盟の各国代表からなる評議会や他の方面軍司令官、そして連合軍最高司令官や参謀部などお歴々に顔合わせを行い、その承認を得なければならないという複雑な手続きが必要なのだそうだ。
現状北部方面軍の実質的な指揮が任されている以上、その場で否という声が上がる可能性は少なく、私の方面軍司令官任命は儀礼的なものに過ぎないだろうとグレイさんは言っていた。もちろん、そうなる様に、色々と根回しもしているそうだ。
それよりもむしろ重要なのは、今後のオルギスラ帝国軍対策を決定する連合軍最高幹部会議の内容の方なのだ。その会議如何によって、私たちの取る行動が変わってきてしまうのだから。
「だからこそセナさまには、これからの我々が進むべき道をきちんと見定めておいて欲しいのです」
真面目な顔でそんな事を言われてしまえば、私には拒否する事が出来なくなってしまう。恥ずかしいとか緊張するとか、言えなくなってしまう。
……でも。
サン・ラブール各国の王族さんたちやそれに近しい立場の方が集まる場所に、私が参加するなんて……。
今でこそアーフィリルの力のおかげで竜騎士なんて言われているけれど、私は一般市民出身で、ついこの間まではエーレスタの3尉騎士だったのだ。
白花の騎士団の騎士団長就任は任命の通達だけだったから、そのうちに何となく慣れてしまったけれど、そもそも方面軍司令官なんてどこかの国の将軍とか王族の方が務めるものであって、私なんて相応しくないと思う。
きっと、そうだ。
なのに、そんな偉い人の集まる場に堂々と出席するなんて……。
そう考えるだけで、胸のドキドキが治まらなくなってしまう。トクントクンと胸が震えているのが、服の上からでもわかってしまう気がする。
その鼓動がガンガンと全身に響き渡って、自分の執務室に帰る足取りがどんどん重くなってしまう。
『セナよ。体調が優れぬのか? 我と融合すれば、病気の類はクリアになる。試してみよ』
とてとてと足元を歩く小さなアーフィリルが、くりくりとした緑の目で私を見上げた。
グレイさんの部屋で受けた話に動揺し、帰りはアーフィリルを抱っこするのを忘れてしまった。そのためアーフィリルは、自分で歩いて私の後を追いかけていた。
「……あ、うん。大丈夫。たぶん、大丈夫だから」
私は疲れた様に苦笑を浮かべて、うんしょと膝を折ってアーフィリルを抱き上げた。そして、白くてフワフワのアーフィリルをぎゅっと抱き締める。
その最高幹部会議というものが終わるまでは、緊張で眠れない日が続きそうだ。
何とか自分の執務室に辿り着いた私は、どかりと大きな椅子に腰掛ける。すると直ぐに、控えめなノックの後、秘書官さんが現れた。
「アーフィリル閣下。お待ちの方がいらっしゃいますが……」
執務机に下したアーフィリルのお腹をぐりぐりして一時現実逃避しようとしていた私は、短くため息をついてお客さんを通してもらう様にお願いした。
先ほどグレイさんが言っていた、最高幹部会議に一緒に参加する人だろうか。
誰なのか聞きそびれてしまったけれど、私の知っている人らしい。後で直接私のところに来ると聞いていたけど……。
「失礼致します!」
しかし、入室して来たのは立派な鎧に身を包んだ騎士さんたち3人組だった。3人とも北部方面軍の部隊長クラスの方だ。何度か一緒に戦ったし、顔は覚えている。
3人の騎士さんが、執務机に向かう私を見て怪訝な顔をした。
「何で子供が……」
「ああ、噂の妹ってやつだな」
「アーフィリルさまが名代をさせてるって子供か」
「秘書だって聞いたけどな」
「しかし堂々とアーフィリルさまの席に座っているなんて、なんて恐れ多い」
「ああ。秘書官は、竜騎士さまは在室していると言っていたが」
ごにょごにょと小さな声で何か相談し始める騎士さんたち。
失礼な態度だと思うが、こういう状態は慣れているので、私は小さくため息を吐き、騎士さんたちが鎮まるのを待った。
「それで、ご用件をお伺いします」
タイミングを見計らってそう尋ねると、3人の真ん中に立つ騎士さんが軽く咳払いをすると、1歩進み出て来た。
「竜騎士アーフィリルさまに作戦具申に参りました。竜騎士さまにお取次ぎ願いたい」
「……伝えますので、お話をどうぞ」
私が竜騎士アーフィリルですと主張しても、混乱するだけだ。それは、ここしばらく何度も経験している事だった。
「では……」
やはり怪訝な表情のまま、しかし騎士さんは説明を始めてくれた。
その騎士さんの隊が、サン・ラブールの国境を越えた向こうに帝国軍が拠点にしていると思われるお城を発見したらしい。
騎士さんたちは即座にこれを討つべきだと主張したが、直属の上司は時期尚早であるとそれを却下したとの事だった。それが納得いかず、私のところに直談判に来たとの事だったけど……。
お城自体は、どうやら帝国軍のものではなく、サン・ラブールと帝国の間に広がる都市国家群の所有物の様だ。かつて都市国家群が、サン・ラブール条約同盟と敵対していた頃の遺物なのだろう。
現在都市国家群の多くは、帝国に併合されたか恭順の態度を示していると思われる。その為、そのお城も帝国軍が使用しているという事だと思うのだけれど……。
私たちの様な個別の部隊単位では、現状サン・ラブール領域内の事で手一杯で、周辺国の動向まで把握するのは難しかった。都市国家群との国境にしても、私たち白花の騎士団と北部方面軍がレンハイムを奪還して初めて辿り着いたのだから。
中央の総司令部なら何か情報があるかもしれないけれど……。
「敵の拠点を見つけた以上、これを制圧すべきだと考えます!」
騎士さんが声を張り上げる。
私は机の上に地図を広げると、そのお城の場所を確認した。
主要街道や平原から外れた山岳地域にあるお城だ。西からサン・ラブール軍が侵攻して来た際に側面を突くための山城、といった感じだろうか。
でも。
やはり、その城攻めは許可出来ない。彼らを諫めた上官の判断が正しいと思う。
「……現在の情勢で、他国に攻め入る事は許可できません。よって、そのお城を攻める事は許可出来ないです」
私は、キッと睨む様に騎士さんを見つめる。
「しかし、目の前に敵がいるのに、そのままには出来んでしょう。その城から再び侵攻を受けえる可能性もある」
「そうだ。叩ける敵は、早急に叩かなくてはならない!」
騎士さんが顔をしかめる。背後に控えていた別の騎士さんも、声を上げた。
「でも、今の状況で国境を超える事は出来ません。それこそ帝国軍の思うつぼになるかもしれませんから。想定されるお城からの侵攻ルートに、町や村はありますか?」
「いや、それは無いが……」
私の言葉に、騎士さんが苛ついているのがわかる。敬語も使わなくなっているいるし……。
しかしここで私たちが越境攻撃すれば、オルギスラ帝国と同じになってしまう。いくら帝国の軍門に下っている可能性があるとはいえ、別の国の領土に攻め入れば、新たな戦いの火種になる可能性だってある。それに、最悪なのはサン・ラブールに攻め入られた国を守るという大義名分を帝国軍に与えてしまう事だ。
そうなれば、帝国軍の都市国家占領を手助けする事になりかねない。
一般の人々に被害が出る可能性が少ないなら、ここは静観すべきだと思うのだ。
「敵を目の前にして放置するなど、わが軍の名誉に関わる!」
「そうだ! ここは迅速に攻め落とし、我が隊を駐留させねば!」
「君では話にならないな。君がどのような立場の人間か知らないが、竜騎士アーフィリルさまはどこだ。我々は竜騎士さまにお話しに来たのだ。自ら万の敵に飛び込まれるあの勇猛な方ならば、我らの話も受け入れてもらえよう」
先頭の騎士さまが、静かだけど有無を言わせぬ口調でそう告げる。
この騎士さまはエーレスタの方ではないけれど、確かどこかの国の上級貴族さまだった筈だ。その視線には、人を従える迫力があった。
騎士さまも、北部方面軍、そしてサン・ラブールの事を思って進言してくれているのだから、無碍に扱うのも良くないと思う。
私は小さく息を吐くと、ごろんと横になりながら興味津々といった様子で事態を眺めているアーフィリルを引き寄せたる。そして、再び席を立った。
「……わかりました。少々お待ちください」
私はそう告げると、アーフィリルを抱えたまま隣の部屋に向かった。
「ごめん、アーフィリル。また力を貸してもらえる?」
『うむ。それがセナの望みであるならば』
まったく、アーフィリルの力を借りなければ自分の意見を通す事も出来ないなんて、我ながら情けなくて恥ずかしくて少し悔しい。
……でも、これで皆さんが納得してくれるなら、私の感情なんて些細な事だ。アーフィリルには申し訳ないけれど。
室内にパッと白の光が満ちる。
私は静かに目を瞑る。
アーフィリルの存在が私の中に沈んでいくのを感じ、その強大な力が私を満たしていくのがわかる。
そして私は、大きく深呼吸するとゆっくりと目を開いた。
白の光が収まる。
私は、壁に掛けられた鏡に目を向けた。
そこには、淡く輝く白の長い髪を揺らした女性が立っていた。
特別長身という訳ではなかったけれど、十分大人の女性と評する事が出来るすらりとした体形に、大きな胸が白のドレスを突き上げていた。もとの私から幼さを排した顔に、鋭さが加味された緑の瞳が輝いている。そしてその鋭い視線が、真っ直ぐに射貫くようにこちらを見据えていた。
その姿は確かにアーフィリルと融合した私で間違いないのだが、こうして改めて、まじまじと鏡越しに大人な自分の姿を見ると、未だに少し違和感を覚えてしまう。
今まで戦場でアーフィリルと融合した際は、自分の姿の変化を客観的に見ている暇などなかった。鏡がある様な場所では、そもそもアーフィリルと融合する必要がなかったし。
私は目を瞑り、小さく首を傾げる。
まぁ、どんな姿をしていようとも私は私だ。
しかし他人にとっては、見た目というものは意外に重要なものであるのも事実だ。その人物をその者だと規定する為には、外見が果たす役割は私たちが想像しているよりもきっとより大きな割合を占めている。
その事を私は、最近改めて思い知っているところだった。
「アーフィリル、問題は?」
『うむ、ない』
「そうか。では後ほど、外に散歩に行こうか。城の裏手はまだ行っていなかったな」
私が労いの意味を込めてそう伝えると、アーフィリルは少しだけ声を弾ませて、『うむ』と答えた。
執務室へと戻ると、私は白いブーツの踵を鳴らして先ほどまで座っていた自席に戻る。
私が姿を見せた瞬間、騎士たちの雰囲気がピリッとしたものに変わるのがわかった。皆背筋を伸ばし、直立不動の姿勢を取っていた。
私は騎士たちを一瞥すると、執務机の前に周り、机の上に軽く腰かけた。そして、腕組みをすると、改めて騎士たちを見据えた。
先頭の騎士が、びくりと身を竦ませるのがわかった。まるで強敵を目の前にし進退窮まったかの様なその態度に、私は思わずふっと笑ってしまう。
「楽にしろ。事情は聞いた」
私は3人の騎士を順番に見据えてから、静かに口を開いた。
「しかし、やはり越境攻撃の許可は出来ないな。理由は、先ほども説明した、いや、説明があったかと思うが」
「はっ……はっ!」
騎士はさらに何か言いたげではあったが、私の視線を受けると息を呑んで押し黙ってしまった。緊張しているのか、その顔は真っ赤になっている。
「お前たちの意気は買っている。いずれ帝国を駆逐する機会は訪れるだろう。それまで堪えて欲しい」
私は胸の下で腕組みをしたまま、ニヤリと笑って見せる。
「しかし、敵拠点の情報は重要だ。良く知らせてくれた。偵察くらいは出しておいた方がいいだろう。人選はお前たちに任せる。さらなる敵の動向把握に努めよ」
「は、はっ! りょ、了解しましたっ!」
騎士たちがざっと敬礼する。
緊張か畏れの為か、皆、私の事をじっと凝視は出来ない様だ。しかしこの身に興味はあるのだろう。その視線だけが、ちらちらと何度も私を捉えていた。
私はそこにわざと視線をぶつけながら、すっと目を細めた。
びくりと身を竦ませた先頭の騎士が、慌てた様子で回れ右をする。他の2人もそれに倣うと、そそくさと私の執務室を出て行った。
「し、失礼致しましたっ!」
最後に幾分裏返った騎士の声が響き渡る。
しかし、こうして一言で納得してくれるなんて、本来の姿の私には、どれほど威厳がないのだろうかと思ってしまう。
もっとも、年齢的にも実戦経験的にも今の騎士たちの方が上なのだ。そんな騎士や兵たちを束ねる立場に私が立つという事が、そもそも分不相応な話だとは思うのだけれど。
私が少しだけ自嘲気味に笑い、アーフィリルに融合解除を頼もうとしたその時。
「アーフィリルさま、失礼致します」
控えめなノックの音が響き、秘書官の女性騎士が現れた。
秘書官は、大人状態の私の姿を見てさっと顔を青くした。
別段何もしていないのに、そこまで恐れる事はないと思うのだが。
「も、申し訳ありません。ま、またお客さまが……」
「ああ、まぁいいだろう。そのまま通せ」
私は秘書官に微笑み掛ける。
どうせアーフィリルと融合しているのだから、竜騎士宛の面会はこのまま受けてしまった方が効率的というものだ。
「やぁ、アーフィリル殿! 久しぶりだな!」
待ち受ける私に対して、明るくよく通る声が響き渡った。
執務室に入って来たその声の主は、金髪を短く整えた碧眼の青年だった。
私は僅かに目を見開く。
青年は臆することもなくずかずかと私に近付いて来ると、さっと手を出し握手を求めて来た。そして爽やかな笑みを浮かべた。
「君は今日も美しい。眩しいくらいだよ。その後の活躍、聞き及んでいる。さすがはアーフィリル殿だ」
私は握手すべく手を差し出しながら、ああと納得する。グレイが言っていたノスフィリスへの同行者とは、この者の事なのだろう。
「グリッジ王国の王子、コンラート・グリッジか。久しぶりだな。そちらも変わりはない様だな」
「ああ! 僕の事を覚えていてくれて光栄だよ。また会えてよかった!」
コンラート王子は私の手を両手で包む様に握ると、満面の笑顔を浮かべて力強く打頷いた。
オルテンシア平原の北部に位置するグリッジ王国は、オルギスラ帝国軍の包囲を受けて全面降伏が玉砕を果たすかの瀬戸際にあった。そこへ私たち白花の騎士団が救援に駆けつけ、竜騎士アルハイムさまや北部方面軍の支援もあって、何とか帝国軍を撃退、グリッジの民のみなさんを逃がす事に成功した。
その際グリッジの王さまを助ける事は出来なかったけれど、帝国軍の北部方面の主力を撃破し、レンハイムの街奪還の下地を築く事に成功したのだ。
その戦いは、まだついこの間の出来事の筈だったけれど、何だかもうずっと前の事の様に感じてしまう。
あれからまた、色々な事があったし……。
ノスフィリスへの同行者として私の執務室に現れたコンラート・グリッジさまは、グリッジ王国のハインケル城で出会った国王さまのご子息、王子さまだった。
ハインケルの戦いの後、グリッジの民を私たちに預けたコンラートさまと妹のアステナさまは、グリッジ王国再建の協力を取り付けるべく、サン・ラブール各国の首脳陣を歴訪する旅に出ていた筈だった。
それが何故か今、私とコンラートさまは同じ馬車に乗ってノスフィリスの街を目指していた。
あと、宮廷魔術師のローブで正装したレティシアさんも同乗している。私の目の前に座るレティシアさんは、先ほどからうとうとと船を漕いでいたけれど……。
私たちは今目指しているノスフィリスは、サン・ラブール条約同盟国の領域の中でも5本の指に入る大都市だ。現在は、対オルギスラ帝国戦の最高司令部が置かれている事でも有名な街だった。
そしてその街が、間もなく開かれるサン・ラブール連合軍最高幹部会議の会場でもある。
コンラートさまの妹のアステナさまは、先にそのノースフィリスで私たちを待っているとの事だった。
一通りの会話も終わって、レティシアさんも居眠りする馬車の車内には、車輪の音だけが慌ただしく響き渡っていた。
私は膝の上で寝転がっているアーフィリルのお腹をぐりぐりするふりをしながら、斜め向かいに座って車窓を眺めているコンラートさまを窺っていた。
ノスフィリスへの同行者として何故ここでコンラートさまが出てくるのかというのは、数日前、レンハイムのお城の執務室で再会した際に、コンラートさまが説明してもらっていた。
私に対して、美しいだの素晴らしいだの散々お世辞を繰り返した後、コンラートさまはやっと事情を話してくれた。
グリッジ再建の活動を始めたコンラートさまとアステナさまだったけれど、それは決して簡単には進まなかったそうだ。
国を亡くした年若い王族の兄妹として同情的に扱われる事は多かったけれど、明確な支援を取り付ける事はなかなか出来なかったみたいだ。
それも、しょうがない事ではあると思う。
何とか最近は好転しているけれど、一時期はサン・ラブール条約同盟の領域奥深くまで攻め込まれてしまった戦況では、どの国も決して無傷という訳にはいかなかった。条約同盟各国は、無事な国の方が少なく、どこもかしこもそれなりに傷を負っていた。
「そこに大した見返りもなく後ろ盾もないどこかの王族の子供が現れても、援助なんてしてもらえる筈がない。まぁ、王族として扱ってもらえただけ良かったんだけれどね。そんな時、君の部下の騎士から、連絡をもらったんだ」
どうやらそれが、グレイさんだったらしい。
グレイさん、やっぱり私の知らないところで色々と動いているのだ。
「彼の提案は、竜騎士アーフィリルと白花の騎士団が、僕たちの後ろ盾となる。その代わりに、サン・ラブールの各王族や連合軍上層部に、君を売り込んで欲しいという内容だった。僕は、なるほどと思ったね。あれは、お互いの利害関係が完全に一致している良い取引だった」
そう言うと、コンラートさまは大人な私に向けて輝く様な笑みを向けた。
今徐々に名が知れ渡り始めている軍部隊の支持を取り付けられるなら、後ろ盾のないコンラートさまたちには大きなメリットとなるだろう。逆に、各国に通じる事が出来るのは、ウェリスタの宮廷魔術師であるレティシアしかいない白花の騎士団にとっては、国破れたとはいえ王族として各国首脳にも顔が利くコンラートさまは、格好の人材だった訳だ。
私は車窓に目を向けながら小さくため息を吐いた。
そんなグレイさんの狡猾な計略により、私の北部方面軍司令官への任命は、既にコンラートさまが根回し済みなのだそうだ。その見返り、私は今度の最高幹部会議でコンラートさまと懇意にしているところを他に見せつければいいらしい。
こういう政治的なお話を聞くと、改めて私には馴染のない世界だなと思ってしまう。純粋に前線で帝国軍と戦っている方が、何だか私の性には合っている気がする。
この馬車に随伴する護衛の騎士さんたちに目をやりながら、私はぼんやりとそんな事を考えていた。
政治の力とかしがらみに触れると、何だか得体のしれない無力感に支配されてしまい、勝手にため息が出てしまう。
あ。
護衛隊の中に、フェルトくんがいる。
こちらを一瞥したフェルトくんと目が合った。
私はひらひらと小さく手を振ってみるが、フェルトくんは何だか不機嫌そうにぷいっと顔を背けてしまった。
きっと私の護衛任務なんて、前線で戦っていたいフェルトくんには不満なのだろう。巻き込んでしまった事、後で謝っておかなければと思う。
そこで私は、ふと視線を感じる。
振り返ると、今度はコンラートさまが微笑みを浮かべて私を見ていた。
窓に張り付いて手を振っているなんて子供みたいな仕草を見られて、私は思わず恥ずかしくなってしまい、むむっと眉をひそめた。
コンラートさまが、ははと軽く笑った。
「本当に小さな君は、アステナとそっくりだね。大人の女性である時の勇ましさとは正反対で、事情を知っていても同一人物とは思えなくなってしまうよ」
アステナさまは可愛らしい方だったけど、私よりもずっと年下なのだ。一緒にされても、あまり嬉しくはない。
しかしもちろんそんな失礼な事は言えないので、私はそうですかと愛想笑いを浮かべておく事にした。
「……これからは、ますます君の力が必要になって来ると思う。勇ましい君ならまだしも、妹と変わらない君を頼りにしなければならないというのは、グリッジの男として恥ずかしいところではあるけどね」
コンラートさまはそう言うと、ひょいっと肩を竦めた。
そのコンラートさまの言葉に、私はハインケルの地で民の為に敵を引き付け、果ててしまったグリッジの王さまの事を思い出してしまう。
やはり親子なのだろう。グリッジの王さまも、コンラートさまと同じような事を言っていたと思う。
……王さまの事を思い出すと、胸がきゅっと締め付けられてしまう。
でも今は、それ以上にコンラートさまの言葉に不穏なものを感じて、私はアーフィリルを膝の上に乗せ直す。そして、やや体を斜めにしてコンラートさまに向き直った。
「……コンラートさま。もしかして、何かまた大きな作戦でもあるのでしょうか?」
私は、やや声を潜めてそんな疑問を口にしていた。
最近の戦況からして、北部方面軍と南部方面軍を連動させて、中央の奪還に向かうという事なのだろうか。しかし私たち北部に加えて南部の戦いも有利に進んでいるのなら、今までの様な激しく大規模な戦いは起きない気がする。
いくら帝国軍といえども、圧倒的戦力に包囲されてしまえば、後退するか降伏するしかなくなるだろうし。
コンラートさまは、しかし直ぐには私の問いに答えず、じっとこちらを見据えていた。
しばらくの間、再び馬車の車輪の音と護衛隊の馬の嘶きだけが車内を支配した。
「今度の最高幹部会議で発表になると思うけど……」
そして、不意にコンラートさまが口を開いた。
「サン・ラブール連合軍は、国境を越えて都市国家群、そしてオルギスラ帝国軍本土への侵攻を始める事を決定したみたいだよ。今度はこちらが反撃する番だってね。残念ながら、まだ戦争は続くみたいだ」
私は、息を呑んで目を大きくする。
コンラートさまはすっと表情を消すと、私から視線を外して窓の外に目を向ける。そして、穏やかな冬晴れの空の下、どこまでも広がる田園風景をじっと見つめていた。




