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第44幕

 暗闇の中で赤い目をぼうっと輝かせるアンリエッタの竜の鎧が、私とアルハイムら白の騎士2騎と対峙する。

 空気が凍りついてしまったかの様な沈黙は、果たして一瞬の事だったのだろうか。それとも、数刻の間の事だったのだろうか。

 先に動き出したのは、アンリエッタだった。

 こちらを睨み付けていた黒鎧は、不意に腰の後ろからダガーを引き抜くと、何の予備動作もなくそれを投げ付けた。

 私たちの方ではなく、後方で魔刃剣を構えるオレットに向かって。

 漆黒の刃が空を切る。

 私はふっと息を吐く。そして、片手の剣を投げる。

 同時に床を蹴り、オレットとアンリエッタの間へと飛び込んだ。

 空中で、白の剣と黒のダガーが激突する。

 魔素と魔素が激突する激しい光が散る。

 白のドレスをひるがえし、私はオレットの前に滑り込むと、すかさず新しい剣を生み出して構えた。

 キッとアンリエッタを睨みつけるが、しかしそれ以上仕掛けて来る様子がない。

 アンリエッタは、私と同時に飛び出したアルハイムとハイネの2人の竜騎士の相手をしている最中だった。

 アルハイムの剣がひるがえる。

 両手に小剣を携えたハイネが、素早い動きでアンリエッタの後方へと回り込む。

 しかし白騎士2騎のその高速の連撃を、アンリエッタは槍と体を捌いて見事に凌いでいた。

『はっ!』

 穂先とは別の生き物の様に跳ね上がった黒の槍の石突きが、空中から強襲を仕掛けた白騎士ハイネを強打する。

 甲高い金属音をあげてハイネが吹き飛ぶが、しかしそこへ、すかさずアルハイムが斬り込んだ。

 本調子ではないだろうに、良くやるものだ。

 私は息を吸い込みキッとアンリエッタの黒鎧を見据える。そして、アルハイムの攻撃に加勢するべく床を蹴った。

 常にオレットとアンリエッタの間に立ち塞がる様なラインを意識し、突撃する。

 先ほどアンリエッタがダガーを投擲したのは、本気でオレットを倒しに掛った訳ではない。私たちの内誰かをオレットの防御に回らせ、自身と対する頭数を減らしたのだ。

 私はアンリエッタが黒の槍を掲げ、アルハイムの斬撃を凌いだ隙を突いて、その内側へと踏み込んだ。

 低い姿勢からアンリエッタを睨み上げ、その面防に覆われた顔に向けてニヤリと不敵に笑って見せる。

 調子は悪い様だが、やはりあの機竜士アンリエッタだ。

 なかなかどうして、簡単には倒されてくれない!

「はっ、沈めっ!」

 ざっと左足を踏みしめながら、私は右腰に落とした白の剣を一気に振り上げる。

 白刃の閃光が空を断つ。

 しかし手応えはない。

『誰がっ!』

 倒れ込む様に仰け反り、私の斬撃を回避するアンリエッタ。

 後方に体を倒しながら、同時に金属装甲に包まれた足を振り上げて来る。

 直撃すれば鋼の鎧をも粉砕するであろうその蹴りを、私は片手で受け留めた。

『なっ……!』

 やはり、以前のアンリエッタよりも格段に力が弱い。

 私はアンリエッタのグリーブを掴んだまま体を回転させると、その黒い鎧を壁面に向かって投げ付けた。

『ぐっ!』

 轟音が響き渡る。

 アンリエッタが壁を突き破り、廊下へと吹き飛ぶ。

 壁が瓦礫の山と化し崩れ、もうもうと粉塵が巻き上がった。

 そこへすかさずアルハイムとハイネの2人の白騎士が、追撃を仕掛ける。

 しかしアルハイムらが粉塵の向こう、廊下へと飛び出した瞬間。

「アルハイム、ハイネ!」

 私は思わず警告を発していた。

 迫る強力な魔素の気配。

 これはっ!

『ふんっ』

 黒鎧独特のくぐもった声が響き渡る。

 低く野太い声。

 アンリエッタではない。

 粉塵と暗闇の向こうの廊下で、激しい金属音が鳴り、魔素と魔素がぶつかる閃光が瞬いた。

 姿は見えないが、強い魔素の反応を感じる。

 新手だ。

 私はすっと目を細め、白の剣を構え直した。

 アルハイムとハイネが、私のところまで後退してくる。

 幸い2人ともダメージはない様だったが、アルハイムの左肩とハイネの右足の装甲に大きな衝撃を受けた跡が残っていた。

『アーフィリルさま。ご注意ください。新手です』

『くっ、またとんでもないのが出てきましたよ!』

 アルハイムたちが武器を構え直す。

 瓦礫から巻き上がった粉塵が収まり始めると、突如現れたその新手の敵が、ゆっくりと姿を現した。

 ガシャリと鎧がなる。

 その敵も、やはり竜を模した黒い全身鎧に身を包んでいた。

 ただしそれは、過去アンリエッタが身にまとっていたものとも現在レンハイム城に進入している鎧とも違う、人型と形容するには違和感を覚える異形の姿をしていた。

 まず、下半身に対して上半身が異様に巨大だ。脚部は大柄な男程度だが、胸部は機獣の体が乗っているのではないかと思えてしまう程大きかった。腕は私の胴ほどの太さもあって、丸められた拳は私の頭よりも遥かに大きい。

 頭部は竜の意匠を施された、というより竜そのものの形をしていて、赤い輝きを放つ双眸が巨大な上半身に半ば埋もれる様にしてこちらを睨み付けていた。

 大人状態の私はもちろん、背の高いオレットすら見下ろす様な黒の巨躯の鎧は、ゆっくりと破壊された会議室内に踏み込んでくると、拳を固めたまま私と相対した。

『気をつけよ、セナ』

 アーフィリルが、胸の奥から低い警告を発する。

『あの人竜兵装はこれまでのものとは違う。恐らくは、フレイズのオリジナルナンバーだ。まさか、未だに残っていようとはな……』

 低く重々しい声で苦々しく告げるアーフィリル。

 アーフィリルの告げた名が何を意味するかはわからなかったが、私にも目の前に立ちはだかるあれが普通でない事はよく理解できた。

 私は、こくりと小さく頷く。

「強いな、あれは」

『うむ』

 アーフィリルが一瞬沈黙する。

『……十分に警戒せよ、セナよ。あれは敵だ。あれを運用する者にどの様な目的があろうともどの様な思想があろうとも、あれは人にとって、この世の者にとっての敵である。心せよ』

 珍しく語気を強めてそう言い放つアーフィリル。

 私は、少し驚いてしまう。

 いつも事態を静観している事が多いアーフィリルが、ここまで自分の考えを押し出して来るのは珍しい事だったからだ。

 しかし。

 私は、剣を握る手に力を込めた。

 アーフィリルに言われるまでもなく、アルハイムたちを吹き飛ばしアンリエッタを守ったあの巨腕の鎧が、私たちの敵対者である事は明白だ。

『……何を遊んでいる、アンリエッタ』

 巨腕の鎧から低い声が響く。

 アンリエッタと同様に兜のせいかややくぐもってはいたが、その声は確かに人間のそれだった。他の有象無象の鎧の様に獣の様な、又は感情の欠落した金属音の様な声ではない。

 瓦礫を押し退けて、巨腕の鎧の背後からアンリエッタが歩み出て来る。

『……ふんっ、ギルバート・バルトレー。余計な手出しはしないでもらいたいものね』

 アンリエッタが不機嫌そうに巨腕の鎧、ギルバートを睨み上げた。

『所期の目的は達成した。時間がない。速やかに二次目標の排除に掛かるぞ。一応これも、師団長の命令なのだからな』

 低い声を轟かせて、ギルバート・バルトレーが私たちに向けて一歩を踏み出す。

 アンリエッタが、『わかってるわよ』と悪態をつきながら槍を構えた。

 こちらも腰を落として剣を構えるが、しかし先に動いたのは、鎧でも私やアルハイムたちでもなかった。

「……ギルバート、ギルバート・バルトレーぇぇぇっ!」

 咆哮が上がる。

 背後から。

 振り返るよりも早く、青く煌めく魔刃剣を振りかぶったオレットが私の脇をすり抜けると、巨腕の鎧に向かって斬り掛かった。

 その魔刃剣の魔素の刃を、ギルバートの鎧の拳が易々と受け止める。

 その巨大な黒い拳も、黒い魔素の輝きに彩られていた。

「やはりか! やはりアンリエッタはっ! お前ら、見つけたぞっ! よくもっ!」

『なんだ、お前は。煩いぞ』

 オレットが叫びながら高速の斬撃を繰り出すが、それはまるで蝿蚊でも叩き落とす様に容易くギルバートの拳に弾かれてしまった。

「アルハイム、ハイネ、オレットをカバーしろ。オレット、無理だ。退がれ」

 私は床を蹴ってギルバートの鎧へと斬り込む。

 オレットに体当たりする様にギルバートの鎧の前に立つと、風を切って振り下ろされるその巨腕を白の剣で弾いた。

 凄まじい衝撃が腕を駆け抜ける。

 くっ、力は以前のアンリエッタを遥かに凌いでいる様だ。

 私の吶喊と同時に、アルハイムとハイネはアンリエッタの押えに向かっていた。

『お前がアンリエッタに手傷を負わせた竜騎士かっ!』

 なおも攻撃を仕掛けるオレットをうざったそうに弾き飛ばしたギルバートが、拳を構えて私に対する。

 兜に覆われたその表情はもちろん確認出来ないが、その口調はまるで笑っている様だった。

「オレットは下がっていろ!」

 視界の隅でさらにギルバートに斬り掛かろうとしているオレットに言葉をぶつけ、私は白の剣を振りかぶった。

 らしくない。

 今夜のオレットの態度は、まったくオレットらしくない。

 オレットとこのギルバートには、絶望的な程の戦力差がある。普段のオレットなら、仕掛ける前にその程度の事は気が付いている筈だ。

 いつも飄々と人を食った様な態度をしていながら、しかし的確に冷静な判断を下すあのオレットが、どうしてしまったのか。

「はぁっ!」

 私は胸の奥の苛立ちをぶつける様に、両手で握りしめた剣を袈裟懸けに振り下ろした。

 閃光が走る。

 重い衝撃が私の体を揺さぶる。

 やはり、私の一撃も止めるか。

『これが姫を打ち倒した一撃かっ!』

 ギルバートが赤い目で私を見下ろしながら、さらに拳に力を込めて来る。

 白の剣と黒の拳が、スパークを上げながら競り合う。

 強い。

 しかし!

 さらなる魔素を全身に流す。

 体の中を流れるその力を、私の血肉に変えて力とする。

 一瞬、思考までもがその白い力に持っていかれそうになるがっ!

「はっ!」

 私は気合の声を上げて力を振り絞った。

 白い髪から放出される光の粒子が、ふわりと周囲に広がった。

 私は、ジリっとさらに一歩を踏み出す。

『むうっ、だがっ!』

 ギルバートが、片手で私の剣を受け止めながら、反対側の腕を振り上げた。

 その拳に、暗く淀んだ禍々しい魔素が集まるのがわかる。

『ふんっ!』

 私目掛けて豪腕が降り下ろされる。

 拳が作る風圧が迫る。

 私はアーフィリルの魔素を瞬時に開放し全身へと流すと、タンっと床を蹴った。

 グルリと視界が回る。

 ギルバートの拳と打ち合わせた剣を支点にして、私は空中に向かって体を回転させる。

 眼下には、拳を振り抜いたギルバートの黒鎧。

 どうやらギルバートは、私の姿を見失っている様だ。

 体が倒立するタイミングで白の剣を引き戻した私は、直上からその黒の巨躯に向かって刃を振り下ろした。

 白の刃が、黒の鎧の肩を斬り裂く。

 しかし、浅い。

 ギルバートは、咄嗟に体を引いて私の一撃を回避したのだ。

『ぐぬ、やるな……!』

 ギルバートが飛び退き、間合いを離す。

「それはこちらの台詞だ」

 床に降り立ち、私はギロリとギルバートを睨みつけた。

 今の一撃、かわされるのは予想外だった。

 私の剣が斬り裂いたギルバートの左肩が、小さな爆発を起こした。それを気にする事もなく、ギルバートが再び拳を構えた。

 僅かに左腕が下がっているのは、左肩の傷の為だろう。

 このままいけるか。

 私は両手で剣を構えると、巨腕の鎧と対峙する。

 私とギルバートが睨み合っている隙に突撃を仕掛けようとするオレットの腕を掴んで後方に押しやりながら、私はちらりと左に視線を送った。

 そちらでは、アルハイムとハイネがアンリエッタ相手に激しい戦闘を展開していた。

『なるほど。これが噂に聞く白花の竜騎士か。人竜一体化の可能なその力、見事だ』

 ギルバートがふっと笑った。

『しかし、なるほどな。古の理に引きずられる貴様を打ち倒してこそ、我らの理想に手が届こうというものだ。相手にとって不足なしである。さぁ、存分に打ち掛かって来るがいいっ!』

 ギルバートの鎧の破損箇所から、赤い光となった魔素が吹き出した。まるで、あふれ出す血潮の様だ。

「お前たちが何を望むかは知らない。しかし、その理想とやらで多くのものを踏みにじって来た罪、許されると思うなよ」

 私は静かにそう告げると、突撃に備えて身をたまわせる。

 一瞬の静寂が、周囲を支配する。

 そして、私とギルバートが再び激突しようとしたその次の瞬間。

『あははははっ、私を除け者にしないでよ!』

 不意に、アルハイムたちを振り切ったアンリエッタが突っ込んで来た。

『アーフィリルさまっ!』

『ごめん、抜かれたっ!』

 アルハイムとハイネの叫び声が聞こえる。

 闇の奥から湧き上がって来る様に、アンリエッタの黒の槍が突き出される。

 それをひらりと躱した私の眼前に、ギルバートの巨腕が迫る。

 魔素を帯びた拳を弾き、空を裂く槍を回避する。

「はっ!」

 私は短く息を吐き、掬い上げる様な一撃でギルバートをけん制。そのまま槍を振り切り、がら空きになったアンリエッタの脇に向かって剣を突き込もうと床を踏み切る。

 その刹那。

「セナっ!」

 オレットの声が響いた。

 私は一瞬、体を止める。

 しかし、必殺のタイミングを逸するにはその一瞬で十分だった。

 アルハイムを守る様に、さっとギルバートが前へ出た。巨体の割にはなかなか素早い動きだ。

 繰り返し繰り出される巨腕を弾いて、私は一旦後退する。

 ふんっと息を吐く。

 これでは拉致があかない。また仕切り直しだ。

 私は表情を消すと、剣を握り直す。

 その時。

『竜姫さま、今参ります! アーフィリルさまを援護しろっ!』

 アルハイムの凛とした声が響き渡った。

 膨れ上がる魔素の反応。

 これは、屋外からだ。

 私は咄嗟にアルハイムの意図するところを悟り、跳び退く。

 その時、会議室全体が、いや、レンハイムの城そのものがドカっと揺れた。

 アンリエッタたちが、警戒する様に動きを止める。

 そしてその次の瞬間。

 天井に開いた穴から、純白に輝く竜がにょきりと首を出した。

 やはりルールハウトか。

 アルハイムの白騎士化に伴い、空色の鱗のルールハウトも今は純白化していた。

『放て、ルールハウト! 姫をお守りしろ! 焼き払え!』

 アルハイムの命に従い、ルールハウトがくわっと口を開いた。

 その口腔に光が収束する。強力な魔素の光だ。

 この至近距離で、城内で竜の咆哮とは、アルハイムも大胆な事をするっ!

 私はふっと笑うと、オレットの元に駆け寄った。そしてその首に腕を回して胸に抱くと、ルールハウトの方に向かって手をかざし、防御障壁を展開した。

「うおっ、セナ、わぷっ、胸がっ……」

 オレットが私の腕の中でわめいているが、そんな事には構っていられない。私はまだしも、オレットの戦技スキル程度の守りでは、ルールハウトの竜の咆哮に耐えられない可能性がある。

 しかしそのオレットの声も、周囲の全ての音が、次の瞬間には竜の咆哮照射の轟音に塗り潰された。

 光が溢れる。

 ボロボロの会議室内が、眩い閃光に満たされる。

 全てを焼き尽くす高熱の破壊の光が、アンリエッタとギルバートを包み込み、そして城をも貫いた。

 光の中、黒の鎧たちと一緒にレンハイム城の最上階の半分が吹き飛ぶのがわかった。

 アルハイムも一応手加減はしていたのだろう。

 それほど時間もかからず、ルールハウトの熱戦が収束する。

 後に残されたのは完全に破壊し尽くされ、屋内か屋外かわからなくなった会議室と、星の瞬く澄んだ夜空だった。

 さっと周囲を窺うが、アンリエッタとギルバートの姿がない。そもそも鎧たちの立っていた床がない。

 まさか、先ほどの一撃で溶けたとは思えないが。

 もがくオレットを離して吹き飛んだ部屋の端に駆け寄ると、私は眼下に広がるレンハイム城内を見回した。

 ふん、やはりか。

 私はすっと目を細める。

 果たして、この会議室のあるレンハイム城の本館から離れた別棟の屋根の上に、こちらを睨め付ける黒い巨躯の姿が見つかった。

 ギルバートの黒鎧は、脇にアンリエッタを抱えていた。

 アンリエッタからは煙が上がっている様に見える。どうやらルールハウトの竜の咆哮は、直撃はした様だ。しかしアンリエッタが先ほどのオレットの様に離せ離せともがいている事から、大したダメージはないのだろう。

 ギルバートの鎧の赤い目が、暗闇の中に輝いている。

 その目は、真っ直ぐに私を捉えている様だった。

 見上げるギルバートと見下ろす私の間に、冷たい真冬の夜の風が吹き抜ける。ものの焼ける臭いと血の臭いが色濃く混じり合った戦場の風だ。

 しばらく私を睨み上げていたギルバートは、不意に身をひるがえした。そして、城の屋根を陥没させて跳躍する。

 巨体にそぐわぬ身軽さでレンハイム城の外壁を超えたギルバートは、そのまま街の外に広がる森へと姿を消した。

 それに合わせる様に、城のあちこちから飛び出した黒い影が城外へと消えていく。

 どうやら、帝国軍襲撃部隊は撤退した様だ。

 引き際が良いのが気になるが、一旦終わりという事だろうか。

 私はふっと長く息を吐くと、さっと白の剣を消した。

 ギルバートやアンリエッタたちを追撃したいところではあるが、現在レンハイム城は混乱の極みにある。サン・ラブール連合軍北部方面軍の被害も甚大だ。

 ここはまず、事態の収拾と態勢の立て直しを図った方が良いだろう。

 振り返ると、私と目が合ったルールハウトがびくりと身をすくませて天井の穴の向こうに姿を消した。

 アルハイムとハイネは膝を着き、私に頭を下げている。オレットはやや憮然とした表情をしながらペチペチと頰を叩いていた。

「とんだ醜態だったな、オレット」

 冷ややかに告げる私に対して、オレットは何も答えずにただ真っ直ぐな目を向けて来た。

 鋭い光が宿る目だ。

 オレットは、自分がした事に対しては何も後悔していないといった顔をしていた。それどころか、勝利者の様に生き生きした様子ですらある。

 まるで、何かの希望を見出したといった様に目を輝かせている。

 アンリエッタと、ギルバートというあの巨腕の鎧が関係しているのだろうが。

「ありがとう、アーフィリル」

 私はアーフィリルにお願いして、一旦融合を解除した。

 視点が下がる。

 元の姿に戻った私の頭の上に、小さなアーフィリルがぽすんと収まった。

 私は床に散らばった瓦礫に躓かない様に気を付けながら、足早にオレットさんのもとに駆け寄る。そしてむんっと腰に手を当てると、オレットさんを睨み上げた。

「ちゃんと事情、説明してもらいますからね、オレットさん!」

 むむっと唇を尖らせる私に対し、オレットさんは目を反らす。しかし直ぐにこちらを向いて、少し困った様にため息を吐き、後頭部をガリガリと掻いた。

 む。

 何故、私がわがままを言っているかの様な空気になってしまうのだろう。

 私はオレットさんを見上げながら、きゅっと眉をひそめた。




 私がアーフィリルとの融合を解除したのと同時に、アルハイムさまとハイネさまの白騎士化も解除されてしまった。

 2度目の白騎士化だったアルハイムさまは問題なかったみたいだけど、ハイネさまは瀕死の重傷を負っていたのだ。体力の消耗が激しかったみたいで、元の姿に戻った途端意識を失ってしまった。

 駆け付けてくれた軍医さんによると、命に別状はないとの事なのでよかったのだけれど……。

 敵が去り、レンハイム城最上階の会議室にも続々と人が集まって来て、被害状況の確認と負傷者の救出が始まった。

 私はオレットさんを色々と問い詰めたかったのだけれど、その状況確認の指揮を執らなければいけなくなってしまった。

 まだ死亡が確認出来ていない行方不明扱いの幹部の方も多かったけれど、現場に出ている人間では、白花の騎士団の団長である私が最上位の立場にあるらしかった。

 たとえ、名目上であっても……。

 悪く言えば色々な国からの寄せ集め部隊であるサン・ラブール連合軍には、全体をまとめる役が必要だった。そしてそれを今この場で担えるのは、私だけだったのだ。

 私の事を知らない騎士さんたちは、こちらに怪訝な目を向けて来る人もいた。

 アーフィリルとの融合を解除したのは失敗だったかなと思ったけれど、そこはオレットさんが色々と説明して回ってくれたおかげで、何とか作業を進める事が出来た。

 応援に駆けつけてくれた騎士や兵士さんたちが、瓦礫に埋もれた会議室の中から幹部の方々の亡骸を運び始める。

 私はそんな騎士さんたちの間を行ったり来たりしながら、城内各所から上がって来る報告を聞いたり幹部の方の安否を確かめるリストの作成に走り回っていた。

 破壊された廊下には煌々と松明が灯され、簡易テントやシートがあちこちに設えられる。

 あちこちで騎士さんたちの叫び声が飛び交い、建物内にいるのに、まるで屋外の陣中にいる様な雰囲気だった。

 ……それも、激戦を終えたばかりの陣地だ。

 そこに、ひょっこりとグレイさんがやって来た。

 浅黒い顔に笑みを浮かべて手を上げるグレイさんを見て、私は目を丸くする。

 あ。

 色々あって忘れていたけれど、グレイさんも行方不明だったのだ。

「グレイさん! 無事だったんですか!」

 多少の後ろめたさを感じながら、私はパタパタとグレイさんに駆け寄った。

「はははっ、この通りピンピンしております。セナさまもご無事で何より」

 グレイさんは、少し白髪の混じり始めた短く刈り込んだ黒髪をポンポンと叩いた。

「しかしこれはまた、手酷くやられましたな」

 顎に手をやりながら、グレイさんはボロボロになったレンハイム城の最上階を見回した。

「あの竜の鎧のアンリエッタが出たんです。それに、新手の凄くおっきいのも……」

 私はふうっとゆっくり息を吐くとそっと目を瞑り、そして改めてグレイさんを見上げた。

 そこで私は、びくりと身をすくませてしまう。

 グレイさんが、ギラリと鋭い眼光で北部方面軍の幹部の皆さんがいた会議室を見つめていた。

 その口元が歪んでいる。

 目付きは鋭いのに口元は笑っているかの様なその表情は、まるで戦場で敵を倒した剣士の様な、勝利を得た戦士が見せる様な表情だった。

 したり顔というか、何というか……。

 胸がドキリとする。

 むーん。

「グレイ、さん……?」

「ああ、セナさま。何でもありません。それより、我が騎士団の状況ですが」

 ふっと柔らかな表情に戻ったグレイさんが、私を見てにこりと微笑んだ。先ほど覗かせたあの顔が嘘の様に、グレイさんはいつもの穏やかな表情を浮かべていた。

 私は眉をひそめ、小さく首を傾げた。

「グレイのおっさん!」

 釈然としないものを感じながらも白花の騎士団の状況について話していた私たちのもとに、オレットさんが駆け寄って来た。

「グレイ、間違いないぞ。帝国軍のアンリエッタの近くには、あのギルバート・バルトレーがいた。……間違いない、あいつらだ!」

 オレットさんが興奮を抑える様に低い声でそう告げると、真っ直ぐにグレイさんを見た。頬は紅潮し、やはりまだ随分と興奮している様だ。

 対してグレイさんは、顎に手をやりながらすっと目を細めた。

 ただならぬ様子の2人に、私は何だろうとキョロキョロする事しか出来なかった。

『む、セナよ。あまり頭を動かしては、安定しない』

「あ、ごめん、ごめん」

 私は頭の上のアーフィリルに小さな声で謝りながら、そっとオレットさんたちを窺った。

「オレット。お前は、そうやって1人で突っ走って、姫を救えたのか?」

 グレイさんが冷ややかに告げる。少し怒っているみたいだ。

 でも、姫というのは……。

「それは……」

 オレットさんが顔をしかめる。

「今姫を連れ戻すだけで、我々の目的が叶うのか? ならば、そうするがいい。しかし我らが戦って来たのは、今戦っているのは、それだけのためではないだろう」

 グレイさんの低く突き放す様な声に、オレットさんが視線を逸らす。

「ここにはあの方もいる。急いては事を為損じるぞ、オレットよ。それでは、ここまで培ってきたものが全て水泡に帰す。その事を良く考えて行動しろ」

 最後は穏やかな口調に戻りながら、オレットさんの肩をぽんっと叩くグレイさん。

 私は腕組みをしながら、そんな2人を見上げる。

 オレットさんとグレイさんは、昔からの知り合いだと言っていた。

 今の話から、姫というのがオレットさんの昔の主人の娘であるアンリエッタを指すならば、グレイさんもオレットさんと同じ主家に使えていたという事なのだろう。

 うーん……。

 そんな2人が今は共に白花の騎士団に所属しているなんて、何だか凄く運命的なものを感じる。

 アンリエッタやあのギルバートとかいう大きな手の鎧の事も含めて、何だか色々と複雑な様だ。

 戦乱に翻弄される運命。

 自然とそんな言葉を思い浮かべてしまう。

 私はなおも声をひそめて話を続けるオレットさんとグレイさんから少し離れると、頭の上からアーフィリルを抱き上げてぎゅむっと胸に抱いた。そして壁にもたれ掛かりながら、アーフィリルのふわふわの頭に顎を埋めた。

 神妙な様子で話しむオレットさんたちの間に割って入る事は出来なかった。でも、落ち着いたらまた事情を聞かなくてはいけないなと思う。

「……何だか色々と難しいね、アーフィリル」

 私はごにょごにょと小さな声で、そんな事を言ってみる。

『……うむ。フレイズのオリジナルナンバーの人竜兵装まで出て来ているのだ。この戦争、いつも人間が行なっている国取りの争いでは済まぬやもしれぬな』

 アーフィリルも、何やら色々と考え込んでいるみたいだ。

「おりじなるなんばーって、強い鎧って事?」

『うむ。あれは世の理を乱すものだ。この世界の敵と言っても良いものでもある』

 うむむ……。

 アーフィリルは、その世界の敵と戦った事があるのだろうか。

 私もアーフィリルと一緒に眉をひそめて考え込んでいると、話が終わったのか、グレイさんとオレットさんが私の前にやって来た。

 グレイさんが片膝を着き、私を見上げる。

「セナさま。お疲れのところ申し訳ないですが……」

 改まった様子でグレイさんがそう切り出した。

 私も壁から背を離して背筋を伸ばす。アーフィリルは抱いたままだったけれど。

 その時。

 ドンっと重々しい衝撃が、足に伝わって来た。

 一度なら気のせいかと思うような振動だったが、それが連続で伝わって来る。

 私は思わずキョロキョロと周囲を見回した。周囲で作業中だった騎士や兵士のみなさんも手を止め、周りを窺っていた。

「来たか。予想より遅かったな」

 グレイさんがニヤリと笑うと立ち上がり、ルールハウトが吹き飛ばした開口部開に向かって歩き出した。

 私は大きく息を吸い込み、小走りにその後を追いかける。

 ……何だか嫌な予感しかしなかった。

 壁も窓も吹き飛んでしまったその向こうには、煌々と松明に照らし出されたレンハイム城と、その先の城下町が広がっていた。さらには、街の外周部に展開する広大な軍の野営地も見渡す事が出来た。

 野営地にも、至る所に明かりが瞬いている。城の異変を察した北部方面軍の本隊や白花の騎士団が、動き出しているのだ。

 異変の原因は、直ぐにわかった。

 私の目は、そんな野営地の外周部から上る火の手と黒煙に吸い寄せられてしまう。

 あれは……。

 まだ敵が残っていたという事なんだろうか。

 私がぎゅむっと唇を噛み締めたその時。

 レンハイムの街や野営地からさらに離れた平原上に、連続して光が瞬いた。

 僅かに遅れて、遠雷の様な轟音が響いて来る。

 そして、野営地外周に連続して爆炎が立ち昇った。

 再び重々しい振動が、私たちのもとに伝わって来る。

 ……あれは、大砲の砲撃だ。

 野営地が砲撃されている。

 帝国軍の襲撃……!

 それもあの発砲炎の数!

 これは、少数部隊による強襲なんかじゃない。

「敵が来ている!」

 大規模な部隊が、私たちの部隊の野営地に向けて砲撃を仕掛けているのだ。

 唖然としていた私は、一転してぎりっと奥歯を噛み締めて、手に力を込めた。

 今北部方面軍は大混乱中だ。こんな状態で大軍に攻め寄せられたら……。

 思わず背筋に冷たいものが走る。

「指揮系統の混乱を作り出し、その隙に大規模攻勢にでる。定石だが、効果的な手ですな」

 アーフィリルを抱き締めて眉をひそめる私とは対照的に、グレイさんはいたって平然とした様子だった。

「グレイさん、早くみなさんを退避させないと!」

 私がむんっと見上げると、しかしグレイさんは余裕の表情のまま顎に手を当ててニタリと笑った。

「ご心配無用です。帝国軍の襲撃があった時点で、我が騎士団には一部を残して郊外に出る様に下命しておきました。北部方面軍にも、白花の騎士団からの要請という形で、野営地をそのままに、レンハイムから離れる様に通達は出しております」

 グレイさんは再び、砲撃が行われているレンハイム郊外に目を向けた。

「司令部はやられましたが、現場の部隊指揮官クラスは今回の難を逃れております。ここまで戦い抜いて来た彼らなら、我々の意図を察してくれているでしょう」

 むむむ……。

 私は目を丸めて息を呑む。

 グレイさんは、この状況を見越していたという事か。

「では、ここで改めて竜騎士セナ・アーフィリルさまに申し上げます。戦力の確保は致しました。ここからはあたなが、喪失した北部方面軍司令部に成り替わり全軍の指揮を執っていただきたい。この状況を打破するには、それしかありません」

 こちらに向き直り私を見下ろすグレイさんの目が、ギラリと光った気がした。

「根回しはしてあります。あなたの武勇ならば、異議を唱える者もいないでしょう。セナさまのもとにサン・ラブールの力を結集させ、一気に帝国軍を叩くのです」

 掲げた手をぐっと握り締めるグレイさん。

「そしてこれは、これからの為の戦いでもある。ここで華々しく勝利して見せれば、北部方面軍を実質的にセナさまの下につける事が可能になる。白花の騎士団の大幅な強化に繋がるのです。今後の戦いの為に、これは必要な事です。心していただきたい」

 私は、不敵な笑みを浮かべるグレイさんの視線を正面から受け止める。

「……それが、オレットさんやグレイさんの目的にも繋がるんですか?」

 私は、上目遣いでグレイさんを見上げた。

 グレイさんの言っている事はわかる。

 私たちの戦力が増せば、より積極的な攻勢に出る事が出来るだろう。作戦や行動の選択肢も多くなる。戦局だって動かせるかもしれない。

 それはきっと、アンリエッタを取り戻そうとしているオレットさんやグレイさんにとって必要な事なんだと思う。

 ……でも。

 先ほど見てしまったグレイさんのしたり顔や今の言葉から、現在のこの状況を好機だと利用しようとしているグレイさんの考えが、私は少し嫌だった。

 北部方面軍の指揮官さんたちが、沢山亡くなられてしまっているというのに……。

 もちろん、それが綺麗事だというのはわかっている。戦争をしているのだから、軍人に犠牲者が出るのはしょうがない事なのだ。

 でも。

 それでも。

 騎士ならば、キッと背筋を正して綺麗事を、理想を口にするくらいの気概が必要だと思う。そしてそれを果たして見せるのが、私は思い描く理想の騎士さまなのだ。

 私は、ふっと小さくため息を吐いた。

 ……今は取り合えず、帝国部隊の襲撃を受けているこの状況を何とかするのが先だ。いくら移動が済んでいるといっても、このまま帝国軍に攻め込まれてしまっては、私たちは壊走するしかなくなってしまう。

 私はアーフィリルをうんしょと頭の上に乗せる。そして、ぺちっと両手で頰を叩いた。

「……作戦はありますか、グレイさん。軍議を始めましょう。あまり時間がありません」

 私は気合を込めてグレイさんを見上げた。

 グレイさんが微笑みながら、大きく頷いた。




 再びアーフィリルと融合した私は、背後に白騎士化したアルハイムとルールハウトを従えて、サン・ラブール連合軍北部方面軍主力の前に立っていた。

 時刻は黎明。

 間も無く夜が明けようとしている。

 東の空が群青から鮮やかな青へと移り変わり、山の端が白く輝き始める。

 天気は良さそうではあるが、やはり厳しい寒さの一日が始まるのだ

 地面に突き立てた白の剣の柄に手を乗せ、迫る帝国軍を見据える私の髪は、早朝の微風に揺れていた。

 真っ白に染まった息が、そんな風に流されて空中へと消えていく。

 防寒コートの襟に頰を埋めて白い息を吐いている将兵の頰が赤くなっているのは、寒さのせいか、目の前に迫る帝国軍への緊張のためだろうか。

 帝国軍からは、なおも野営地に向けた砲撃が続いていた。

 しかしそこに、既に味方部隊は存在しない。

 北部方面軍はグレイの提言に従い、野営地の明かりをそのままに、部隊を細分してレンハイムの街直近まで後退させていた。

 司令部からの指示を待つ事なく独自に防御態勢を整えられたのは、グレイの提言が以前から行われていた帝国軍の再侵攻に対する備えに沿ったものだったからだ。

 帝国軍の初撃を回避する事には成功したが、しかし部隊が万全の状況という訳ではなかった。

 司令部襲撃の動揺は、確かに伝わっていた。

 先程、配置に付く前。

 とある天幕内に集合させた部隊指揮官の前で私が名乗ると、周囲は困惑の声に包まれた。

 レンハイム城内の状況を説明し、司令部不在の為臨時で私が部隊の指揮を執る旨を告げると、今度は部隊長たちが息を呑むのがわかった。

 町の外部に駐屯していた部隊も、レンハイム城の異変を察した段階で独自に斥候を放ち、ある程度状況を把握していた様だ。

 しかし司令部の要人がほぼ壊滅という状況は、さすがに想定外だったのだろう。

 私の言葉を聞いた部隊長たちは、一様に渋い顔をして俯いてしまった。

「顔をあげろ、皆」

 そんな騎士たちに、私は静かにそう告げた。

 しんと静まり返り、帝国軍の砲撃音のみが遠く響く天幕の中に、私の声は思いのほか大きく響き渡った。

「部隊には、まだ皆が残っている。多くの騎士や兵たちが残っている。悲観する事はない。皆の道は私が切り開く。皆は剣を手に取り、我が後に続け」

 私はふわりと微笑みながら、周囲に集まった騎士たちを見回した。

「今日逝った者たちの犠牲を無駄にするな。帝国軍など再び撃退すれば良いだけの事だ。皆、力を合わせてレンハイムを守り抜くぞ。それが、サン・ラブール全体を、皆の故郷を守る事に繋がる。北部方面軍の武勇、今こそ示す時だ」

 私はそう告げると、じっとこちらを見つめる騎士たちに力を込めて頷いてみせた。

 初めは沈黙しているだけだった騎士たちだったが、やがて1人、また1人と頷き返してくれた。

 『総員、竜を統べるアーフィリルさまにその力を示しなさい! 竜の姫がいる限り負けはしない! さぁ、戦闘の準備を!』

 そこに、白騎士化したアルハイムが声を上げる。

 周囲の騎士たちが今度は力強く頷き、「了解!」と応じた。

「あの白花の竜騎士さまがいらっしゃるなら……」

「そうだ。まだ終わった訳じゃない」

「やるか。いや、やるしかないか!」

「ああ! 俺たちは、勝って故郷に帰るんだっ!」

「アーフィリルさまっ!」

「美しい……。噂以上だ。俺、感動した……」

 俄かに天幕内が騒がしくなる。その場に集まった誰もが、私を注視しながら声を上げ、拳を突き上げていた。

 私はそんな騎士たちを見回す。

「よし、では行くぞ」

 そして一言、そう告げた。

 こうして私は、グレイの言葉の通り北部方面軍の部隊を率いる事となった。

 夜明けと共に一旦砲撃を中止した帝国軍は、レンハイムの東側から私たちを半包囲する様な陣形で進攻を開始した。

 それに対してこちらは、散発的に部隊を繰り出し、一当てしては撤退するという事を繰り返す。同時にレンハイム付近に後退した部隊も、整然とではなく乱れた状態で隊列を組みなおしていた。

 もちろんそれは、すべて演技だ。

 しかし帝国軍は、そんな状況を好機と見たのか、一気に進攻速度を速めて部隊を押し上げて来た。

 散発的な攻撃。統制を欠いた部隊。

 それらが、昨夜のレンハイム城襲撃の結果だと判断したのだろう。もはやこちらが、指揮系統を失い、混乱しているのだと。

「帝国軍はレンハイムの街には砲撃を加えて来ないでしょう。彼らもサン・ラブールに侵攻するには、この街を拠点にしなくてはなりません。街に被害を出さず早期に戦闘を終わらせるため、こちらが浮き足立っている姿を見せれば、彼らは一気に突撃して来るでしょう」

 戦闘前の軍議で、グレイはそう言って薄く微笑んでいた。

 戦況は、まさにそんなグレイの言う通りとなった。

 まずは先行した数体の機獣から、魔素撹乱幕が撃ち込まれる。そして大砲の代りに銃歩兵が前進して来ると、整然と並んだ幾重もの隊列から一斉に銃撃が始まった。

 戦技スキルを封じられた我々は、混乱状態を装いながら遮蔽物に身を隠し、あるいはレンハイムの街の城壁を利用してその銃撃に耐えた。

 さらに帝国軍は、歩兵と騎兵を繰り出し、私たちを包囲し始めた。

 しかしそこで状況が動く。

 帝国軍の後方、深い森の中から、大きな喚声と共に新手の部隊が現れたのだ。

 ひるがえる軍旗は、竜と白い花。

 事前にグレイが戦域と予想される場所の後方に移動させていた白花の騎士団だ。

 地響きと共に爆炎が立ち上る。

 帝国軍の機獣が吹き飛ぶ。

 密かに本隊に合流していたレティシアの魔術スキルだ。

 左翼背面を突かれた帝国軍が、乱れ始める。そこに、突撃を仕掛けた白花の騎士団本隊が突き刺さった。

 あそこには、レティシアと同様に密かに部隊に合流したオレットやフェルトもいる筈だ。

 帝国軍は右翼部隊を白花の騎士団迎撃に向かわせようとするが、そこでさらなる味方部隊が現れる。

 帝国軍に対してレンハイムの街が目隠しになる様に密かに配置されていた、北部方面軍の部隊の1つだ。

 まさに、絶妙のタイミングだった。

 騎兵中心で構成された伏兵部隊は、その機動力をもって手薄になった敵右翼へと殺到した。

 たまらず帝国軍が下がり始める。

 形勢が逆転する。

 混乱に陥っている私たち本隊を包囲しようとした帝国軍は、一気に逆包囲されてしまったのだ。

 まさにグレイの戦術通りだ。

 右翼側に後方に控えていた予備戦力を当てながら、帝国軍は白花の騎士団側に戦力を集中させ始めた。

 我々の逆包囲を崩す為に、1番寡兵な騎士団を狙ったのだ。

 しかし、そうはいかない。

 我が白花の騎士団は、それほど甘くはないのだ。

「ここだな。アルハイム、私も突撃する。部隊の守りは頼んだぞ」

 レンハイムの街の正面で戦場を見据えていた私は、背後に控えるアルハイムとルールハウトを見た。

 帝国軍は魔素撹乱幕があれば竜の遠距離攻撃を無力化出来ると考えているのだろう。先程から牽制射撃は来るものの、ルールハウトのいるこちらに特に部隊は割いていない様だった。あえて接近戦を挑んでくる者も、もちろんいない。

 しかし。

 純白化したルールハウトの攻撃は、魔素撹乱幕を突き破る事が出来る。

『では、アーフィリルさまの道は私が切り開きます』

 自信に満ちた声でそう告げたアルハイムは、一歩前に進み出るとさっと前方に手をかざした。

『ルールハウト、竜の咆哮で薙ぎ払え!』

 アルハイムの声に従い、ルールハウトが動き出す。四肢を踏ん張り、前方の帝国軍に向けてその顎を開いた。

 光が放たれる。

 一部は逃げ出す者も見受けられたが、竜の咆哮を目の前にしても帝国軍は隊列を維持したままだった。

 その破壊の光が、決して自分たちには届かないと思っているのだ。

 しかしルールハウトの光は、黒山の帝国軍を容易く溶断する。

 猛烈な爆発が巻き起こる。

 その爆風が、私の白い髪をふわりと揺らした。

 ルールハウトが咆哮を上げる。

 黎明の空に響き渡る勝利の雄叫びだ。

 私は背や腰に白の光の翼を展開すると、ふわりと宙に舞い上がった。

 空中で振り返り、両手に魔素で剣を生み出しながら、こちらを見上げている将兵たちをゆっくりと見回す。

「皆、行くぞ。オルギスラ帝国軍に、我らサン・ラブールの力を示してやれ!」

 ルールハウトに負けない様に大声でそう告げた私は、にやりと微笑んでみせる。

「おおおおお!」

「行くぞ!」

「アーフィリルさまっ!」

「竜騎士さまに続け!」

 一瞬の間の後、大喚声が巻き起こる。大地が叫んでいるかの様な皆の声が、戦場に響き渡る。

 私は帝国軍の方へと向き直った。

 味方部隊の声に気圧されたのかルールハウトや空中にある私に臆したのか、帝国軍の前衛部隊はジリジリと後退を始めていた。

 中央の部隊が敗走を始めれば、この戦いの趨勢はそこで決するだろう。

 さて。

 ふっと息を吐く。

 そして私は、両手に剣を握りしめ、帝国軍部隊の中心へと突撃した。




 イリアス帝歴392年黒空の月30日。

 我々白花の騎士団とサン・ラブール連合軍は、帝国軍の黒鎧部隊の襲撃により甚大な被害を受けながらも、その後攻め寄せた帝国軍部隊を撃退する事に成功した。

 サン・ラブール北東地域に再侵攻して来た敵はかなり大規模だったみたいだ。帝国軍は、レンハイムだけでなく周辺地域も同時にも占領しようと部隊を送り込んでいた。

 しかしレンハイムに攻め寄せた本隊を撃破した事で、私たちはその帝国軍の再侵攻を食い止める事が出来た。

 レンハイム郊外の会戦では勝利したけれど、その後もそうした他の地域の帝国軍の駆逐や事後処理のため、私や白花の騎士団は忙しなく各地を転戦する事になった。

 そうして奔走している間に、いつの間にか新しい年を迎える事になってしまった。

 イリアス帝歴393年。

 年が明けても、未だオルギスラ帝国軍との戦争に終わりは見えない。

 でも、今年の内には、来年こそは、みんな笑顔でいられたらいいなと思う。

 新しい年の最初の日。

 行軍中の馬上にあった私は、コートとマフラーに埋もれながら、輝き始めた早朝のお日様を見上げてそう思ったのだった。



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