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第43幕

 夜の帳が下りたレンハイムの城内に、剣戟と怒声と慌ただしい軍靴の音が響き渡る。

 アーフィリルと融合した私は、白の剣を手に私たち白花の騎士団が間借りしている塔の廊下を進む。

 現在レンハイム城の内部には、広く敵が侵入している様だ。それに伴って、城内各所で防衛戦が展開されているのだ。

 私の進む先、塔の階下からも、戦闘音と共に魔術スキルや戦技スキルが展開される魔素反応を感知していた。

 恐らくはオレットとレティシアが戦っているのだ。

 オルギスラ帝国軍め。

 複数目標に対する同時強襲など、よくもまぁやってくれるものだ。

 私は僅かに目を細めて息を付き、階段室を見やる。

 その私のすぐ脇で突然ドアが開いたかと思うと、アメルがひょっこり顔を覗かせた。

「わ、セ、セナ!」

 アメルは剣を手にしている私を見て一瞬ギョッとした様な顔をした。

「アメル、帝国軍の襲撃だ。戦闘態勢を整えて部屋の中で待機していろ。不用意に外に出るな」

 私が鋭い視線を向けてそう告げると、アメルはコクコクと頷いてドアの向こうに引っ込んだ。

 それでいい。

 私はドレスの裾をひるがえし階段室に入ると、飛び降りる様に階下を目指した。

 その途中、今度は別のフロアから飛び出して来たサリアと複数の騎士たちと出くわす。

「セナさま! ご無事でしたか!」

 サリアは既に剣を抜き放っていた。他の騎士たちも臨戦態勢だ。

「帝国軍の襲撃だ。そちらは敵と遭遇したか?」

 私は階段の先、塔の下に目をやりながら尋ねる。

「いえ、私たちは戦闘音を聞きつけて今飛び出して来たところですので……」

 サリアがさっと自身が飛び出してきたフロアに目をやった。

 私の居室がある下のフロア、サリアたちが控えていた部屋の周囲には襲撃がなかったという事は、やはり敵の狙いは私という事なのだろう。

 サリアたちと状況確認をしている間にも、塔の入り口がある階下から激しい衝撃が伝わって来る。

 襲撃犯は、私の部屋への強襲と同時にこの塔に対して正面からも仕掛けて来ている。2方向からの強襲で、私を抑えるつもりの様だ。

 しかし、正面からの敵は未だここまで到達していない。

 襲撃犯にとっては運の悪い事に、塔の正面入り口付近にはたまたまオレットとレティシアがいたのだろう。あの2人がいれば、容易に突破は出来ない筈だ。

「サリア。何人か率いて、塔の内部の安全を確認しろ。各員をどこか一箇所に集めて、被害の確認と防衛態勢を取れ」

「はっ!」

 サリアが私の前で直立不動の姿勢を取った。

「上層階には敵はいないと思われが、油断はするな。襲って来たのは帝国軍の黒鎧だ。単独行動は避け、常に複数で動け。無理な交戦はするな」

「了解です……!」

 サリアが、真っ直ぐに私を見つめながら敬礼した。

「では行け」

「はっ!」

 サリアたちが階段を駆け上がる。逆に私は、下方へ向かって身を躍らせた。

 吹き抜けになっている階下に、塔のエントランスと以前竜騎士アルハイムの乗竜ルールハウトが待機していた中庭が見えてきた。

 同時に、黒い塊となって押し寄せる複数の竜の黒鎧と石床を舐める炎が視界に入る。

 再び衝撃が走る。

 さらに炎が走り、その黒鎧の内の1体が火だるまになった。

 レティシアの魔術スキルだ。

『グギギギギギッ!』

 炎に包まれた黒鎧がたまらず叫び声を上げる。そこへ、3人の味方騎士たちが剣を構えて突撃を仕掛けた。

 黒鎧は、炎に包まれながらも後退する。

 それと入れ替わる様に、新たな黒鎧が前に進み出た。

 素早い動きでダガーを振るう黒鎧に対して、白花の騎士団の騎士たちは複数で戦闘隊形を組み、防衛にあたっていた。

 レティシアを中心に戦っている騎士たちは6人。今晩の警備当直の騎士たちだ。

 個々の力やスピードでは竜の黒鎧には及ばない騎士たちだったが、お互いの死角をカバーし、的確な援護を行いながら、見事な連携で敵の猛攻を凌いでいた。

 しかし、敵の数が多い。

 私は4階の廊下からさっと身をひるがえし、エントランスへと急ぐ。

「もう、うざったいわね! 燃えなさい、浄化の炎、焼き尽くせ、焦熱!」

 レティシアが、騎士隊の側面に回り込もうとしていた黒鎧にさっと指を向けた。

 その瞬間、再びごうっと炎が上がり、黒鎧が燃え上がる。

 炎に包まれる鎧に向かって、今度は盾を構えた騎士たちが体当たりを敢行した。

 一方で先ほどレティシアが燃やした鎧が自ら火を消し、再び騎士たちに襲い掛かる。鎧の表面が焦げ、さらに爛々と輝く赤い目も相まって、黒鎧の不気味さに拍車が掛かっていた。

 大人数がぶつかるには狭過ぎるこんな場所では、レティシアの魔術スキルもその力を出し切れない様だ。彼女の技は、広域での大規模攻撃にこそ威力を発揮するのだから。

 全体的に苦戦はしているが、今回襲来した黒鎧は、個々の力では以前遭遇した鎧たちに比べて大した事がなさそうだ。並みの騎士よりは遥かに強敵だが、フェルトやオレットであれば一騎打ちで倒す事も出来る程度だろう。あくまでも、常識の範囲内での強敵といった感じだ。

 その様な敵であっても、もちろん集団で迫られた場合は危険な事に変わりはない。

 私は一旦レティシアの後方に着地すると、そのままタンっと床を蹴って味方騎士たちの防衛線の前へと躍り出た。

「セナちゃん?」

「アーフィリルさま!」

 一瞬後ろを振り返ったレティシアが驚きの声を上げ、騎士たちがほっと安堵した様な声を上げた。

「気を抜くな! 一気に敵を押し返す!」

 私は叫びながら、白の剣を一閃する。

 防御の為に掲げられたダガーごと竜鎧を薙ぎ倒す。

 すかさずさっと身をひるがえした私は、死角から迫る1体を袈裟がけに斬り倒す。そしてその返す刃で、さらに背後に回り込んだ竜鎧の、ダガーを握るその腕を斬り飛ばした。

 腕を失ってよろける鎧を蹴り付け吹き飛ばしながら、私はさっと次の敵を探した。

「みんな、セナちゃんに続いて! セナちゃん、援護するわ!」

 珍しくレティシアが部隊指揮を執っているが、そういえばオレットの姿が見当たらない。

 レティシアの炎に包まれた黒鎧の胸に白の刃を突き立てる。さらに体を捻り、味方騎士に向かおうとしていた黒鎧を横手から牽制した私は、後方から飛び掛かって来た1体を逆に斬り倒した。

 一瞬にして前衛戦力を無力化された帝国軍部隊が、一旦後退する。

 その隙に私の周囲の騎士たちは盾を構えて陣形を組み直し、防御態勢を整えた。

 私は騎士たちの前に立ちながら、背後のレティシアに目をやった。

「レティシア。オレットはどうした。一緒にいたのではないのか?」

 私の言葉を聞いた途端、レティシアがむっと顔をしかめた。

「……それが、突然飛び出していったのよ、あいつ! まったく、どうなっているのかしら!」

 飛び出した?

 私はすっと目を細める。

 レティシアが、自分を落ち着ける様に短く息を吐いた。

「オレット、突然アンリエッタって叫んで敵の中へ突撃したのよ。止める暇もなくて、さらに敵は押し寄せて来るし、私も追いかける事が出来なかったわ」

 レティシアは、後悔する様に顔をしかめて私から視線を逸らした。

 私は表情を消し、敵集団をキッと睨み付ける。

 アンリエッタ・クローチェ。

 このタイミングで現れたのか。

 私は、グッと手を握り締める。それに呼応する様に白の剣の刃が光を増し、長い髪から放出される余剰魔素の光が増した。

 味方を放り出して敵中に突撃するなど、オレットらしからぬ行動だ。しかし、あのアンリエッタが現れたのならば、オレットが冷静さを失うのも納得出来る。

 私は、そこでふと疑問を覚えた。

 アンリエッタがここに現れたのは、私や白花の騎士団を襲撃するためだろう。しかし、今この場にアンリエッタは見当たらない。

 退いたのだろうか。

 ここまで来ておいて?

 何故だ。

 まさか、オレットに見つかったからではないだろう。

 何か他に、優先すべき別の目標があったのか。目標が、出来たのか。

「アンリエッタってセナちゃんの敵でしょう。どうしてオレットが追いかけてるのかしら」

 不満そうな声を上げるレティシア。

「レティシアは、アンリエッタの姿を確認したのか?」

 黒鎧の姿は似た物が多い。オレットの強い思い入れが、他の鎧をアンリエッタに見せた可能性は無いとは言えない。

「それが、私はそこにいる雑兵の鎧しか見ていないわ。それなのに急にオレットったら……」

 レティシアはそこで一旦言葉を切ると、ふっと考え込む。

「でもそういえば……ダーナで出会ったあの女騎士の姿がちらっと見えたのだけれど……」

 ダーナの女騎士?

 シェリルの事か。

 私は、むっと眉をひそめた。

 その時。

 背後の階段から、ガシャガシャと鎧の音を立てて白花の騎士団の援軍が到着した。

「待たせたなっ!」

 その先頭に立つのはフェルトだった。その後方、階段の途中には、膝立ちになり弓を構えるマリアの姿もあった。

 フェルトは私に並ぶと、すっと魔刃剣を構えた。その刃が、淡く清廉な青に輝く。

 こちらの増援に対応するかの様に、5体程度だが敵にも増援が到着する。

 まだいるのか。

 しかし、味方の戦力も整った。ここの防衛は、もう問題ないだろう。

「フェルト。ここは任せる。レティシア。敵を制圧したら、レンハイムの外にいる騎士団本隊に伝令を出せ。戦闘準備と城内への増援を要請しろ。北部方面軍も襲撃を受けている。我々は独自に動くぞ」

 私は、さっとレティシアとフェルトを見た。

「了解!」

「わかったわ」

 2人が力を込めて頷く。

 私はその2人に軽く頷いて見せると、前方の敵に向き直った。

「私は敵を引き付けつつ、状況確認を行う。あわよくば、オレットを連れ戻す。グレイは?」

「はっ、北部方面軍の幹部と会議の為、城内に赴かれていますが……」

 私の問いに、近くの騎士が答えてくれた。

 僅かに首を傾げ、私は目を細めた。

 少しタイミングが悪いな。オレットと合わせて、グレイも探さなくてはならないか。

「総員、来るぞ。構えろ。我が白花の騎士団の力、レンハイムの将兵に示すぞ」

 私はキッと敵を睨みつけながら声を上げると、薄く笑った。

「「了解っ!」」

 周囲の騎士たちから、力強い声が返って来る。

 笑みを浮かべたまま小さく頷くと、私は床を蹴り剣を腰だめに構えて敵正面へと突撃した。




 先頭の黒鎧を切り捨て、飛び掛かって来た別の鎧の胴を横薙ぎにして撃墜する。

 単独で敵渦中に飛び込んだ私は、当然ながらあっという間に包囲されてしまう。

 しかし私は、構わずに黒鎧を斬り捨てながら突進を続けた。

 敵集団を突破すると、反転せずにそのまま左手の中庭へと堕する脱する。

 ちらりと振り返ると、やはりほとんどの黒鎧が私を追撃して来る。敵の狙いは、予想どおり私という事なのだろう。

 黒鎧がダガーを投擲する。

 私はさっと横に飛び、回避仕切れないものはさっと白の剣を振って斬り捨てる。

 お返しにくるりと振り返って足を止めると、私は周囲の空間に魔素の光弾を生成した。

 ここは、少々反撃しておくか。

「撃ち貫く」

 私はさっと剣を振り、迫る敵鎧に向かって2発の光弾を放った。

 白の光が夜の空を裂く。

 鏃程の大きさの光の塊が、敵鎧をまとめて2体貫く。さらにもう1発は、1体の鎧を貫き、別の鎧の左腕を奪った。

 光弾はそのまま、城の壁面をも撃ち抜いた。石壁が盛大に崩れ、土煙が上がった。

 うぬ、いささか力加減を誤ったか。後で怒られてしまうな。

 味方がやられた事になんの動揺を見せる事もなく、敵鎧が私を包囲する様に広がる。

 私はさっと白く輝く髪をひるがえし踵を返すと、再び中庭の端の壁に向かって走った。

 地面を蹴り、跳躍する。

 建物2階分程を飛び上がり、私は城壁の上に着地した。

 後方を確認すると、わらわらとこちらに群がって来る敵集団の背面に、フェルトたち白花の騎士団が襲い掛かるのが見えた。

 さらに、中庭の敵を包み込む様に魔素が膨れ上がる。

 その次の瞬間。

 夜空より、眩い稲妻が降り注いだ。

 膨大なエネルギーを秘めた電撃が、敵鎧をまとめて薙ぎ倒す。中庭の庭木が一斉に燃え上がり、私にも激しい衝撃波が押し寄せて来た。

 レティシアの魔術スキルがさく裂したのだ。

 私は、はっと笑う。

 これは、レティシアの全力攻撃だ。

 今まで屋内のせいで加減しなければならなかった苛立ちを、一気に解き放ったのだろう。

 さすがの黒鎧たちも、一網打尽にされてしまった様だ。もう満足に動ける者は残っていない。

 城内部から、幾分すっきりとした表情のレティシアが手を振っているのが見えた。中庭に出たフェルトも私に剣を掲げて見せていたが、他の騎士たちは眼前に着弾した強力な魔術スキルの一撃に、青い顔をしていた。

 私はレティシアたちにさっと手を上げると、レンハイム城の本館へと目を向けた。

 目の前にそびえるレンハイム城の巨大な居館は、立ち上る黒煙と夜闇に紛れてどこか禍々しい雰囲気を漂わせていた。

 あちらこちから激しい戦闘音が聞こえる。未だ城の各所で、襲撃部隊との戦闘が展開しているのだ。

 その音に交じって、さらに何か低い音が連続して聞こえて来る。足元から響いて来る様な重低音だ。

 もしや大砲の砲撃でも始まったのか。

 どうやら敵は、なかなかの規模の様だ。

 そして、的確に私を狙って来た。

 こちらの状況に精通し、尚且つ短時間に大戦力を送り込むことが可能なこの状況。

 内通者がいたと考えるのが妥当だろう。

 内通者を利用した、ピンポイントでの敵拠点への奇襲攻撃。

 その目標は、敵軍の指揮官、有力者の排除が第一。第二に、敵の後方攪乱が目的、といったところだろうか。

 私は、レティシアが先ほど言っていた事を思い出す。

 ダーナのシェリル。

 彼女が何か関わっているの可能性はあるのだろうか。

 いずれにせよ今は、まずは事態の収拾が先だ。

 私は白く輝く剣を片手で保持しながら、城壁の上を走り始める。

 目的地はレンハイム城中央の本館の最上階。サン・ラブール条約同盟連合軍北部方面軍司令部の面々が集まっている場所だ。

 敵の最優先目標と思われる場所だ。もしアンリエッタがいるならば、きっとその場所に違いない。そして、そのアンリエッタを追っているなら、やはりオレットもそちらに向かっている可能性が高い。

 私は城壁から城壁へ飛び移り、櫓や塔の屋根を辿って本館建物の正面方向へと回り込んだ。

 黒々とした本館からは、あちこちから火の手が上がっていた。

 その黒煙の間に、ふと目に留まるものがある。

 私は小さな塔の屋上で足を止めると、すっと目を細めた。

 居館上層に、竜の姿があった。

 白花の騎士団の塔からは死角になって見えなかったが、あれはルールハウトと竜騎士ハイネの風竜シルフィルドだ。

 竜たちは飛び上がったり居館の屋根に張り付いたりしながら、しきりに中を窺っている様子だった。

 特にシルフィルドの様子がおかしい。

 居館の最上階に無理やり首や腕を突っ込みながら、仕切りに咆哮を上げていた。

 先ほど砲声かと思った音は、どうやらシルフィルドの咆哮だった様だ。

 どうやら、あの場所で何かが起こっているのは間違いなさそうだ。

 私は脚に魔素を込めると、身をたわませて大きく跳躍する。

 足元を城内の景色が流れて行く。やはり随分と混乱している様で、右往左往する部隊や呆然と立ち尽くしている隊の姿などが見受けられた。

 その中の目敏い騎士や兵士が、夜空を舞う私を見上げて指を指していた。

 屋根伝いにたどり着いたレンハイム城の最上階は、あちこちから黒煙と火の手が上がっていた。

 なかなかに酷い状況だ。

 私はルールハウトたちから近い窓を蹴破ると、城内へと飛び込んだ。

 そこは、遊戯室か応接間かといった雰囲気の部屋だった。

 足が沈み込みそうになる絨毯に、立派なソファーセット、カードゲームを行う為の机や分厚い本がぎっしり詰まった本棚などが目に付く。

 魔晶石の明かりは消えて真っ暗だったが、夜目の利く私には問題ない。

 さっと気配を探るが、この部屋に敵はいない様だ。しかし2つある扉の片方から、シルフィルドの咆哮に混じって戦闘の音が聞こえて来た。

 私は足早にそちらに向かうと、無造作にガチャリと扉を開いた。

 暗闇に沈んだ廊下の左手方向、階下に向かう階段周辺に黒鎧たちの姿を確認する。

 階段の途中で、何者かが黒鎧と戦っている様だ。廊下に現れた私など眼中にない様に、わらわらと複数の黒鎧が、その階段に群がっていた。

 私は剣を構えると、さっと床を蹴ってその敵集団へと斬り込んだ。

『ギッ?』

 敵の最後尾がこちらに気が付く。

 だが、遅い。

 剣が放つ白の光が、暗闇に弧を描く。

 袈裟懸けに1体を斬り倒し、返す刃でもう1体の胴を薙ぐ。

 遅ればせながら反撃を仕掛けてくる竜の黒鎧の喉元に、私は長剣のリーチを生かして白の刃を突き込んだ。

 ガシャリと鎧を響かせて、黒鎧たちが崩れ落ちる。

 その音に反応し、やっと敵集団が私に対して警戒態勢を取り始めた。

 ダガーを構えながら、ギギギっと警戒音を上げる黒鎧たち。

「くそぉっ、どけぇっ!」

 未だ黒々とした塊となって廊下を塞ぐ黒鎧たちの集団の向こうから、人の声が聞こえて来る。

「邪魔だ、くっ!」

 焦った様に叫ぶその声には、聞き覚えがあった。

 私は、はっと小さくため息を吐いた。

 まったく、こんな所で何をしているのか。

 やれやれと小さく首を振る私に対して、黒鎧が襲い掛かって来た。1体では分が悪いと判断したのか、今度は3体同時に襲い掛かって来る。

 正面から突撃して来た1体目は、すり抜け様に首を刎ねる。

 その間に右手から迫って来た黒のダガーを身を開いて回避すると、私はそのまま背後を向いてさっと手をかざした。

 防御城壁を展開する。

 バシっとスパークが走る。

 私の展開した防御壁に、敵鎧の投擲したダガーが突き立つ。

 しかしもちろん、黒塗りの刃は私とアーフィリルが作り出した見えない壁を越えられない。

 乾いた音を立てて、勢いを失ったダガーが床に落ちた。

 私はふんっと右手の剣を投げる。

 黒鎧を真似て投げた剣は、先ほどダガーを投擲した鎧の胸に綺麗に突き立った。

『ギギギッ!』

『グギギッ』

 金属の軋む様な音を上げ、階段側に向かっていた鎧が私を取り囲む様に展開し始めた。こちらの方が脅威度が高いと判断したのだろう。

 最初からこちらに向かって来なかったという事は、この場所の黒鎧は私が最優先目標ではないという事だ。

 敵が移動したために階段側の見通しが良くなり、先が見渡せる様になった。

 廊下と同様に明かりが消えた黒い階段室に、青い光が走るのが見えた。

 私はふんっと息を吐く。

 その瞬間、黒鎧たちが襲い掛かって来る。

 私はさっと両手に新たな白の長剣を生み出す。

 前進する。

 体を回転させ黒のダガーを回避し、両手の剣を振るう。

 そんな私の動きに合わせて白く輝く髪がふわりと舞い、ドレスの裾が花の様に広がる。

 そのまま私は、敵集団を斬り裂いて階段室へと足を踏み入れた。

 私の下方、階段の途中で、1人の男性騎士が黒鎧たちに囲まれながら戦っていた。

 オレットだ。

 やはりか。

 私は呆れた様に、何度目かのため息を吐いた。

 黒鎧たちを相手にしているオレットには、いつもの余裕ぶった飄々とした様子は微塵も感じられなかった。

 切羽詰まった必死の形相を浮かべ、太刀筋もどこか荒い。

 竜の黒鎧といえども、今回の敵は質よりも量といった感じだ。冷静に対処すれば、オレットであれば恐れる相手ではない筈だ。

 しかし今のオレットは、その黒鎧相手に一進一退の攻防を演じていた。

「何をしているのだ、オレット」

 私は、少しばかり冷ややか声を掛ける。

 はっとした様にオレットが私を見上げた。

 今までこちらに気が付いていなかったのか。

「セ、セナ……? どうしてそこに……」

「その台詞、そっくりそのまま返そう」

 私は目を細めてオレットを見下ろすと、そちらに歩み寄った。

 オレットも、私のもとへと駆け上がって来る。

 飛び掛かって来る黒鎧を倒しながら、私とオレットは背中合わせに剣を構えた。

 私と出会った事で幾分冷静さを取り戻したのか、先ほどよりは安定した剣捌きで黒鎧をあしらい始めるオレット。

 私はその背を守る様に立ち回りながら、白の剣を振るう。

 オレットには色々と言いたい事はあったけれど、まずは敵を殲滅する事が先だ。

 ある程度数を減らして見せれば、一般の部隊ならば後退したり降伏するところではあるが、黒鎧の集団はまったく動じない。どんなに仲間を倒されようとも最後の1体になろうとも、真っ直ぐに襲い掛かって来る。

 そこには個の意思や感情は認められず、まるで全員が同じ糸で操られる人形の様だった。

 前々からそんな印象はあったが、今日の様に同時に多数の鎧と対すると、ますますその感触が強くなる。

 黒鎧とは何なのだろうと考えているうちに、最後の1体が階段を転がり落ちていった。

 私は、ふっと息を吐いた。

 背後では、崩れる様に片膝を着いたオレットが肩で息をしていた。

「さて、オレット。まったくどうしたというのだ。単騎先行など、私の真似でもしたのか」

 私は振り返ると、僅かに顎を上げ、目を細めてオレットを見下ろした。

 オレットはくっと呻きながら、私を睨み上げて来る。

 しばらくの沈黙の後、オレットは無言のままおもむろに立ち上がると、私に何も言わずに先に進もうと歩き出した。

「オレット!」

 私が声を上げながら、オレットの肩を掴んだ。

「アンリエッタがいたんだ」

 顔だけで振り向いたオレットが、ぼそりと低い声でそう告げた。

 その目は、私ではない誰かを見ている様だった。

「竜の黒鎧の中に、アンリエッタ・クローチェの鎧が混ざっていたのか?」

「違う」

 私の問いに、オレットは首を振る。

「いたんだ。ちゃんと成長した姿で、あの時あの日離れ離れになったあのアンリエッタが、俺の目の前にいたんだ」

 いつもの様子からは想像もつかない程必死な形相で私を見つめるオレット。

 私たちは、しばらくの間じっと睨み合う。

 鎧姿ではなく、生身のアンリエッタがいたという事か?

 このレンハイムに、オレットの探すアンリエッタがいたという事なのだろうか。それとも、襲撃して来た帝国軍の中に、あの黒鎧をまとう前のアンリエッタがいたという事なのだろうか。

 オレットは僅かに顔をしかめると、ふっと私から視線を背けた。そして、再び足早にレンハイム城最上階の廊下へ上がると、奥へ奥へと進み始めた。

「オレット。少し冷静になれ。お前らしくもない」

 私は、そんなオレットの背を追いかける。

 オレットが目撃したというのが本物のアンリエッタならば、それはオレットがこれまでの人生を賭けて追い求めて来たものなのだ。

 それを目の当たりにして止まれという方が無理な事だというのは、私にも理解出来る。オレットが何を求めて今まで戦って来たのかは、私も知っているつもりだったから。

 レティシアや騎士団の仲間を放置したというのは、責任ある立場にある者のすべき事ではない。それについては、形だけでも上官である私から、後ほどじっくり説教してやろう。

 しかし今は、その背は私が守らねばならない。

 私は、そう思った。

 オレットには、散々気を遣わせて来たのだ。色々な意味でも守ってもらって来たし、鍛えられて来た。今日の私があるのは、オレットのおかげなのだ。

 オレットは、私にとって大事な師だ。

 出来れば、その目的に協力したいと思う。

 私は目を閉じると、ゆっくりと深呼吸する。そして改めて、前を行くオレットの背中に言葉を投げかけた。

「まて、オレット。前衛は私が務める。敵の数が思ったよりも多い。慎重に行こう」

 ドレスの裾を揺らして歩調を早めた私は、横目でオレットを見るとすっとその前に出た。

 その私の背に、「……すまない、セナ」という小さな声が聞こえて来る。

 何を殊勝な事を。

 私はふっと微笑むと、振り返らずに「ああ」と小さく頷いた。




 竜たちの咆哮が響き渡る中、私とオレットはレンハイム城最上階の各部屋を順番に検めて行った。

 何部屋か空振りが続き、オレットが苛立ちの篭った舌打ちをする。

 しかし私たちは、直ぐに当たりと思われる部屋に辿り着いた。

 そこは、私も何度か軍議で訪れた事がある会議室だった。

 会議室の前には、多数の騎士たちの亡骸が横たわっていた。同時に、斬り倒された黒鎧たちの骸も同様に点在していた。

 会議室の扉は千切れ飛び窓は割れ、壁には無数の傷が刻まれていた。もちろん周囲の明かりは消えていたが、一部カーテンや絨毯が燃えているところがあったため、その惨状を良く見渡す事が出来た。

 どうやら、この部屋を巡って激しい攻防があった様だ。

 さすがに慎重に魔刃剣を構えるオレットを引き連れ、私は無残にも崩壊した会議室へと足を踏み入れた。

 破れた窓から冬の夜の冷たい風が吹き付けて来る。同時に、ふっと血の臭いも漂ってくる。

 廊下と同様に濃密な死の気配に満たされた会議室には、やはり無数の物言わぬ骸たちの姿があった。

 一見してその亡骸は、サン・ラブール北部方面軍の上級幹部や将軍たちのものだとわかった。さらに、彼らを守ろうとした騎士たちの亡骸も多数見受けられた。

 やはり敵の狙いは、レンハイムの頭を潰す事の様だ。

 私の目に付く範囲だけでも、主たる北部方面軍の指揮官や参謀たち重鎮が、物言わぬ冷たい姿となり果てていた。

 こんな遅い時間に会議でもしていたのか、北部方面軍の首脳陣が一網打尽状態だ。これでは、今後の軍の運用に大きな支障をきたしてしまうだろう。

「これは……」

 後から入って来たオレットが、呆然とした様に呟く。

「くっ」

 オレットも気が付いたのか、一転して表情を引き締めるとさっと魔刃剣を構えた。

 そう、この部屋にいたのは骸だけではない。

 すっと目を細めて、私もオレットが見つめる先、会議室の奥へと視線を送った。

 死に満ちた室内には、私とオレットの他にも未だに立っている人影が2つあった。

 片方は、長槍を小脇に抱えた竜の黒鎧。

 もう片方は、剣を構えた女騎士だ。

 槍を手にした黒鎧は、その外観こそ今まで遭遇して来た敵たちと同じものだったが、その身にまとった剣呑な雰囲気は、一見して他とは比べ物にならない程危険な存在だという事を示していた。

 溢れんばかりの強力で禍々しい魔素が、私にもビリビリと伝わって来る。

 この感じ。

 間違いない。

 間違う筈がない。

 あの槍を手にした鎧は、アンリエッタ・クローチェだ。

 大きく息を吸い込み、私は剣を握る手に力を込めた。全身から力を抜き、いつでも動ける様に備えておく。 

 私の危機意識に呼応するかのように、余剰魔素を排出している白の髪が輝きを増してふわりと広がった。

 そしてそのアンリエッタと目される黒鎧に対して剣を構えるのは、長い黒髪の女性騎士。竜騎士、シエラ・アルハイムだった。

 竜騎士アルハイムの近くには、片膝を着いている人影もあった。

 夜目の利く私には、そちらの顔も見て取る事が出来る。

 知っている顔だ。

 短く刈った茶色い髪に、少年の様な細く華奢な体つき。そして、すっと細い糸目。

 あれは、風竜シルフィルドの主人、竜騎士ハイネだ。

 いつもは人懐こい表情を浮かべている竜騎士ハイネだが、今は真っ青な顔をして険しい顔をしていた。じっと何かに耐える様な表情のまま、動かない。どうやら、負傷している様だ。

「竜姫さま!」

 こちらの姿を確認した竜騎士アルハイムが声を上げる。それに合わせて、暗闇の中で爛々と赤く輝く目が私を捉えた。

『あらあら、ふふ、うふふふふっ』

 黒い竜を模した兜の向こうから、くぐもった笑い声が響く。

 それはまるで、地の底から這い上がって来る様な、ねっとりと全身に絡み付いて来る様な不快な笑い声だった。

『あはははははっ、竜騎士アーフィリルサマじゃない! 良く来てくれたわっ! あなたの方から来てくれるなんて、嬉しい! 本当に嬉しい!』

 自身の眼前で剣を構えている竜騎士アルハイムなど全く意に介さない様に、私を歓迎する様にこちらに向けて大仰に腕を広げて見せる黒鎧。

「アンリエッタ・クローチェ!」

 私は低い声でその名を口にすると、すっと白の剣を構えた。

 この声。この笑い方。この気配。そしてこの魔素反応。

 間違いない。

 私とオレットの前にいるのは、今まで何度も刃を交えて来た帝国軍の機竜士、アンリエッタ・クローチェだった。

 直接対峙するのは、カルザ王国の王都フォルクスでの戦い以来か。

 あの戦闘の後アンリエッタの死体は回収されなかった。やはり、生きていたのだ。

『そうです。アンリエッタですよ。お久しぶりね』

 アンリエッタが不敵に笑う。

『久々にあなたとはじっくり戦いたかったのだけれど、こちらにもお仕事があってね。あなたに会いに行けずに残念に思っていたのよ。それが竜騎士サマの方からわざわざ来ていただけるなんて、なんて素晴らしいのかしら!』

 長槍をくるくると回して脇に抱えるアンリエッタ。

『これでこの胸の内溜まったこの嫌な感情、すべて発散できるわぁ! くく、素晴らしいっ!』

 槍を弄びながら、気に障る声で笑うアンリエッタ。

「オレットが見かけた時は、あんな風ではなかったのだな?」

 私は、隣に並んだオレットにそっと問い掛ける。

「あ、ああ。俺が見かけたのは、生身の姿だったが……」

 オレットは困惑しながらも、剣を構えた。今私たちの目の前に立つ鎧が、何者かはさておき明確に敵であるという事は理解している様だ。

 オレットが目撃した生身のアンリエッタ。そしてその後こうして現れた黒鎧のアンリエッタ。

 この2人のアンリエッタは、やはり同一人物なのだろうか。

 私がじっと睨みつけていると、アンリエッタの鎧もじっとこちらを向いたまま動きを止めた。

 しかし、どうやら私を睨み返している訳でなない様だ。

 オレットを見ているのか?

「竜姫さま、申し訳ありません、援護願います!」

 そのアンリエッタの一瞬の硬直をチャンスと判断したのか、アルハイムが声を上げ、長い黒髪をひるがえして突撃を仕掛けた。

 白刃が煌めく。

 アルハイムが手にしているのは、魔刃剣ではない。通常の剣だ。

 しかしその斬撃の速度は、並ではない。

 さらに、刃に魔素が乗っている。魔刃剣と同じ原理で攻撃力を高める戦技スキルを使用しているのだ。

 雷鳴の如く夜闇を斬り裂く強烈な一撃が、アンリエッタに襲い掛かる。

 竜騎士は契約した竜の加護を受ける事により、たとえ竜が近くにいない状態であっても常人より遥かに優れた身体能力を発揮する。言うならば、常に複数の戦技スキルを発動している状態にあるのだ。

 常人では竜騎士に勝てない。

 今宵襲来した黒鎧も、アルハイムの敵ではなかっただろう。

 しかしその鋭い斬撃を、アンリエッタは僅かに身をそらして簡単に回避した。そしてすかさず槍を振り上げる。

 取り回しの悪い長柄の武器で、アルハイムの剣を凌駕する速さの一撃を放つアンリエッタ。

 攻撃を仕掛けた側の竜騎士アルハイムが、一瞬にして防戦へと追い込まれる。

 穂先、石突きを問わず縦横無尽に襲い来る槍を防ぎきるアルハイムも、さすが竜騎士と称えられるべき素晴らしい動きだったが、やはりアンリエッタ相手には分が悪い様だ。

 アルハイムの援護に入る。

 そう思った瞬間。

「アンリエッタ、やめろ! 俺だ、オレット・ウォルナードだ!」

 私より先に、魔刃剣を構えたオレットが飛び出した。

 青く輝く魔素の刃が、黒の槍と激突する。

『はっ』

 アンリエッタの嘲笑が響く。

 続くオレットの攻撃は、あっさりと回避されてしまう。

 私は僅かに眉をひそめた。

 それも当然だ。

 オレットの刃は最初から、アンリエッタを狙っていない。その武器を弾き、アンリエッタを無力化しようという意図が見え見えの攻撃だったからだ。

 その様な中途半端な踏み込みが通じる相手ではない。

 アルハイムが態勢を立て直す隙を作ろうとしたのか、アンリエッタへ打ち込む事に躊躇いがあったのか。

 いずれにしてもあっさりと攻撃を回避されたオレットの体が流れる。

 私はアルハイムを一瞥しながら、オレットと黒の槍の間に飛び込んだ。

 白の剣を振り上げ、槍を弾く。

 魔素と魔素がぶつかる閃光が、暗い会議室内に弾ける。

 む、この感触。

 私は、すっと目を細めた。

 槍を捌きながら同時に、左腕でオレットを後方に突き飛ばす。

 オレットが盛大に半壊した会議卓に突っ込むが、今はしょうがない。

 私はくるりと体を回転させる。そして更なる一撃を放とうとしている槍の間合いの内側へと踏み込んだ。

 遅れて白い髪が、私の動きに合わせて弧を描く。

『あはっ、やっぱりいい動き! 完全に竜の魔素を使いこなしているわね!』

 至近距離でアンリエッタが笑う。

 後ろへ飛ぶアンリエッタ。

 逃がすものか!

「やあああああ!」

 私は刃が光る剣を振りかぶり、追撃を仕掛ける。

 裂帛の気合が弾ける。

 しかし後方への跳躍で得た一瞬の間に、アンリエッタは槍を引き戻し、その穂先を跳ね上げて来た。

 跳躍により空中に体が浮いている不安定な状況で、まるで必殺の一撃の様な鋭さをもって黒の槍の穂先が迫って来る。

 よくもまあ、そんな状態でそんな鋭い一撃を繰り出せるものだ。

 私は内心で感心しながら、その槍を剣で弾いた。

 やはり、か。

 私は、その一合で確信する。

 後ろへ跳んだアンリエッタは、そのまま再度後退して私から距離を取る。

 この行動もおかしい。

 過去のアンリエッタなら、自分から間合いを外してくる事など殆どなかった。どこまでも苛烈に、隙あらば迷う事なく攻め込んで来るのが、アンリエッタの戦闘スタイルだと私は思っていた。

 今のタイミングにしても、後方跳躍から一転して再度突撃を仕掛けて来ると踏んでいたのだが。

 どうやら、今日のアンリエッタは本調子ではない様だ。

 フォルクスでの傷が癒えていないのか、以前戦った時よりも遥かに力が弱い。黒の槍と打ち合っても、手ごたえが軽すぎるのだ。

 まさか鎧が違うから力を発揮出来ないなんて事はないだろうが、これは絶好の機会なのではないだろうか。

 今この場には、私とオレット、それにアルハイムもいる。3人で力を合わせれば、今のアンリエッタならば抑え込む事が可能かもしれない。

 アンリエッタを捕えられれば、帝国軍の重要な情報を得られる可能性が高いし、オレットの目的を果たす事も出来るかもしれない。

『あらあら。やっぱりダメねぇ、この簡易量産型は。一般兵用じゃ出力がてんで足りないわ。まったく、悔しいけれど師団長の命令を素直に聞いておいて正解だったという訳ね』

 自身にとっては拙い状況であるはずが、アンリエッタは気楽な様子で何やらぶつぶつと呟いている。

「竜姫さま。申し訳ありません。我ら竜騎士が2人も揃っていながら、あの帝国軍の刺客に後れを取ってしまいました。この様な状況を許してしまい、本当に言い訳のしようもありません」

 竜騎士アルハイムが私に並び、剣を構えた。よく見るとその剣は、既に刃こぼれし、ボロボロの状態だった。ここまでアンリエッタや他の竜鎧相手に奮戦して来た結果だろう。

 竜騎士アルハイムが止められなかったのなら、この惨状を防げる手立てがあったとは思えない。

「……この様な状況ですが、アーフィリルさまにお願いがあるのです」

 アルハイムが声をひそめ、私を窺った。

「ハイネを、竜騎士ハイネに力をお分けいただけませんか? あれが生き残るには、ルールハウトの傷を癒した竜姫さまのお力を頼りにするしか……」

 ぐっと唇を噛み締めるアルハイム。

 私は、後方で膝を着いたまま動かないハイネを一瞥した。

「そんなに酷いのか、ハイネは」

 私の問いに、沈痛な面持ちでアルハイムが頷いた。

 意識があるのかはわからないが、確かにハイネの魔素反応が弱まっているのはわかる。先ほどよりも顔色が蒼白になっている様だ。

 表でシルフィルドが大騒ぎしていたのも、己が主の危険を察しての事だったのだ。

 まずは、ハイネを救う事が先決か。

「オレット、アルハイム、しばらくアンリエッタを押さえてほしい」

 私はそう告げると、アルハイムの肩に手を置いた。

 アルハイムが、少し驚いた顔をして私を見る。

 私は小さく頷くと、自身の中を流れるアーフィリルの魔素を、少しだけアルハイムに分け与えた。

 少しだけ、アルハイムの体に負担がかからない様に気を使いながら。

『私の相手が雑魚だって! あんまりなめないで欲しいわね、白花の竜騎士っ!』

 私の言葉が気に障ったのか、先ほどまでの余裕ぶった態度から一転してアンリエッタが吠えた。同時にその鎧の内側から、赤い光となった魔素が溢れ出してくる。

『気に食わない、気に食わないのよ、この甘々竜騎士がぁぁぁぁっ!』

 狂った様な絶叫を上げ、黒く穂先の輝く槍を振りかざしてアンリエッタが突撃してくる。その踏切の勢いで、会議室の床がべコリと崩落した。

「させるか、アンリエッタ!」

 オレットが黒い槍の進路に飛び込むと、魔刃剣を振り上げた。

『どけっ、雑魚がっ!』

 青の刃と黒の槍が激突する。

 出力ではもちろん、アンリエッタの方が遥かに上回っている。

 しかしオレットは、戦技スキルを複数同時に発動し、アンリエッタの槍を一瞬受け止めた。

『何なのよ、あんたはっ! さっきから、もうっ! あああああ、どいつもこいつも、イラつくのよねっ!』

 アンリエッタが咆哮を上げる。そして、魔刃剣ごとオレットを吹き飛ばした。

「ぐっ!」

 オレットの体が宙を舞う。そして再び、会議室の椅子を薙ぎ倒して壁に激突した。

 私は、視界の隅でオレットが起き上がろうとしているのを確認する。激しい衝撃を受けた様だが、戦技スキルで防御を固めていたのか、どうやら無事の様だ。

 オレットが作った一瞬の間。

 それで、私とアルハイムには十分だった。

 私はくるりと踵を返して竜騎士ハイネのもとに向かう。

『私に背を向けるなんて、あはははははっ、馬鹿なの、竜騎士サマッ!』

 背後から猛烈な殺気と共にアンリエッタの嘲笑が響いた。

 しかし。

『貴様の相手は私だ』

 その黒鎧の前に、純白の鎧に身を包んだ騎士が立ちはだかった。

 ボロボロだった剣が白く輝く。

 純白のマントが翻る。

 頭からつま先まで白の装甲に覆われた騎士が、アンリエッタの黒の槍を弾き返した。

 ハインケルの戦場に続いて、再び私とアーフィリルの力を得た竜騎士アルハイムが、白騎士の姿となって機竜士アンリエッタの前に立ちふさがった。

『何、何、それ!』

『行くぞ、帝国軍っ!』

 膨大な魔素と魔素がぶつかり合う。

 会議室内がその衝撃に耐え切れず、徐々に破壊されていく。一部では屋根が吹き飛び、夜空が覗いていた。

 私は白騎士化したアルハイムに背を預けて、竜騎士ハイネのもとに駆け寄った。

 確かにハイネは、重傷を負っていた。

 鎧は砕け、体中に槍を受けた傷が広がっていた。中でも、腹に受けた傷が致命傷の様だ。アンリエッタの槍にやられたのだろう。

 まだ少年の面影を残す顔は青くなり、生気が感じられない。朧げに意識はある様だが、既に私の事も良く認識出来ない様だった。

「アーフィリル。行けるか?」

 私はハイネの傍らに膝を着く。

『うむ。この者も竜の魔素を宿している様だな。我が力を受け入れる素養はある様だが、あの空色の竜の契約者に比べて力が弱い。契約した竜もまだ幼い様だ。力を分け与える匙加減が難しいぞ』

 アーフィリルの言葉に、私は小さく頷いた。

 ハイネが命を繋ぐ可能性があるならば、やってみるだけだ。どのみち今から医者に見せても間に合うかわからない。ここまで酷い傷ならば、戦技スキルの治癒でも助けられないかもしれない。

 私は目を閉じ、ハイネの頭に手を乗せる。そして体の中を流れる魔素から、ほんの少しだけ魔素を取り出す。

 気を抜けば、微妙な力の調整など膨大な魔素の奔流に押し流されてしまいそうになる。しかし受容量以上の魔素を流し込めば、逆にハイネの体が耐え切れなくなり、崩壊してしまうだろう。そうなれば、ハイネと契約する風竜シルフィルドも自我を失いただの獣になり果てるか、共に命を失う事になる。

 少しずつ。

 少しだけ。

 砂丘から数粒の砂だけを拾い上げる様に、力を抽出する。

 そして私は、その魔素の光をハイネの中へと注ぎ込んだ。

『見事だ、セナ。さすがは我が契約者である』

 私の胸の中で、アーフィリルがふんっと満足そうに息を吐くのがわかった。

 その次の瞬間。

 竜騎士ハイネの体を、白い光が包み込んだ。

 破壊と死の臭いを覆い隠す様に、ボロボロになった会議室内に眩い魔素の光が溢れる。

「ぐうっ、がああああああああっ!」

 目の前にハイネが絶叫する。

「な、なんだ?」

 片膝を立てて体を起こしていたオレットが、呆然とした様子でこちらを見ていた。そういえばオレットは、以前アルハイムが白騎士化するところは見ていなかったか。

『な、何よ、くっ、この不快な光っ!』

 アルハイムと剣を交えていたアンリエッタが、忌々し気に吐き捨てる。

『感謝します、竜の姫よ』

 アンリエッタに対しながら、一瞬私を見たアルハイムが小さく頭を下げた。

 会議室を満たしていた光が、目の前の竜騎士ハイネに向かって収束する。

 一瞬にして、暗闇が帰って来る。

 凍り付いた様な静寂が広がる中、ガシャリと甲冑の音を立てて、私の目の前で細身の白騎士が立ち上がった。

『この力……。僕は……。これが僕?』

 驚きの声を上げながら自分の手をまじまじと見るハイネ。

 竜騎士ハイネは、細部は微妙に異なるがアルハイムと同様の純白の鎧の身を包んだ白騎士の姿となっていた。

 うむ、ハイネは助かった様だ。

 よかった。

 私も立ち上がると、ふっと微笑んだ。

 白い兜に覆われたハイネが私を見る。

 その瞬間。

 純白の甲冑に身を包んだ少年騎士は、びくりと身をすくませると、飛び上がる様にして私から離れ、地面に身を伏せて頭を下げた。

 土下座の体勢だ。

『ア、アーフィリルさま、あ、あの、助けていただき、力を分けていただいて、あ、ありがとうございます! み、身に余る光栄ですっ!」

 勇ましい白騎士が全身全霊をもって土下座する光景は、何だか現実味がない妙な感じだった。

 私は、そっとため息を吐く。

 もしかしてと予想していたけれど、やはりハイネもこうなってしまったか。

『竜の王さま! 何なりとお申し付け下さい! 僕と風流シルフィルドは、王さまの僕として、このいただいた命で、全力で働いてみせますから!」

 顔を地面に擦り付けたまま、まるで話をする事すら恐れ多いという風に懸命に声を絞り出す竜騎士ハイネ。

 先ほどとは違った意味でぽかんとこちらを見ているオレット。そして、満足そうにうんうんと頷いているアルハイム。

 アンリエッタも一旦間合いを外して、じっとこちらを見ていた。

 黒い兜に覆われたその表情はわからなかったけれど、何なのこの茶番と考えているのが何故だか理解出来た。

 初めて出会った時、ハイネという少年竜騎士は糸目の奥に鋭い眼光を湛えて、小さな私を値踏みする様に見ていた。その顔にはいつも人懐っこい笑みが浮かんでいたが、私の他に7騎いる竜騎士の中でも最も政に長けた策略家だとレイランドが言っていたのを思い出す。

 しかし今目の前にいるのは、その様な権謀術に長けた人物ではない。まるで捕食者を前にした小鹿の様に震える少年だった。

「アーフィリル。こうなるのは避けられないのか?」

 私は内心辟易しながら、アーフィリルに問いかけた。

 命を救うためとはいえ、アルハイムの様に称え奉られるのにはうんざりだ。

『うむ。我が力を受けた相手がどのような態度に出るかは、相手次第だ。我の関知するところではない』

 私はむっと唸る。

 確かにアルハイムやハイネがアーフィリルの力を畏怖し、服従の態度を取っているのは別に私たちが強制している事ではないのだ。

 私は小さくため息を吐き、アンリエッタへと向き直った。

 その私の背後に、立ち上がったハイネと一旦戻って来たアルハイムの2騎の白騎士が並んだ。

 何はともあれ、これで憂いなくアンリエッタと戦える。

 オレットのために、そしてこれからの対オルギスラ帝国戦のためにも、ここは確実にアンリエッタを捕えておかなければならない。

 アンリエッタの黒鎧の目が怪しく赤く輝く。それは、私と白騎士2人を前にしても、まだ闘志を失っていない目だった。

 私は、すっと白の剣を構えた。

 アンリエッタが両手で黒の槍を構え、すっと腰を落とす。

「いくぞ、アンリエッタ」

『はっ、いくら手下を増やして群れても、私に勝てるなんて思わない事ね』

 私の低い声とアンリエッタの殺意のこもった声が、混乱の広がる夜の空気を震わせた。

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