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第41幕

 ダーナの町へと続く街道は、他の大街道と比べても遜色ないほど丁寧に整備されていた。

 帝国軍の占領や戦闘による影響もなさそうなので、ダーナ付近の安全が確認されれば直ぐにでも物資や人の行き来が可能になると思う。

 直接的な戦闘の影響はもちろん、帝国軍が撤退の際に行った破壊活動により、レンハイム周辺のインフラに関してはダメージを受けている場所が多いという報告を受けていた。残念な事に、完全な復興にはまだかなりの時間とお金がかかってしまうそうなのだ。

 そんな状況下で、この様に整備された街道が無事な事は有り難かった。

 栗毛の軍馬に騎乗した私は、サリアさんとフェルトくんを先頭にした隊列の中程からキョロキョロと周囲を見回していた。

 オレットさんの命を受けてレンハイムを発った私たちは、深い針葉樹の森を抜けて谷川沿いの登り道に差し掛かりつつあった。

 辺りには、野鳥の声と私たちが行軍する音だけが響いていた。

 しんと冷えた空気と微かな水の匂いがする。

 所々に薄っすらと積もった雪と冬枯れした茶色の草木が茂る周囲には、私たち一行以外の気配は感じられなかった。

 ……でも、油断してはダメなのだ。

 帝国軍が潜伏しているという情報がある以上、ダーナの町周辺は完全に安全ではない。どこから帝国軍が現れてもおかしくないのだ。

 それに、もし帝国軍が潜伏しているとしたら、そこには何らかの目的があるに違いない。

 竜晶石の採掘地点、竜のお墓が近くにあるという可能性については、あらかじめレティシアさんに確認をお願いしてあった。

 今のところ、特にこれといった情報はないみたいだが……。

 私は、斜め後ろを行くレティシアさんをちらりと窺った。

 私の懸念に対して、レティシアさんは考えすぎだと言っていたけれど……。

「温泉、まだかなぁ」

「アメル、少し静かに……」

「まぁ、天然の温泉を利用した湯治場なんて、なかなかないからね。私も文献で見ただけで、実地は初めてよ」

 レティシアさんとアメルたちの声が聞こえて来る。

「温泉中に含まれる魔素とそれが人体に及ぼす影響については、是非調べてみたいわね。それに、今は祖竜とその契約者というレアものもいるし、ぐふふふ、やはりフィールドワークは大事だわぁ」

 私は背筋に冷たいものが走り、思わずきゅっと眉をひそめた。

「……えーっと、ウェリスタの王都にも温泉ってないんですか?」

「おっ、やっぱりマリアちゃんも温泉に興味あるんだっ!」

 アメルが、周囲によく響く笑い声を上げる。もっと雪深いところでその声を上げたら、雪崩が起こってしまうのではないだろうか。

 アメルやマリアちゃん、それにレティシアさんたちは、レンハイムを出てからここまでずっと、こんな調子でずっとおしゃべりに興じていた。

 ……なんとも緊張感に欠けるものだ。

 私も何度も話を振られたが、任務中だからとお断りして来た。一応、みんなも任務中なのだけれど……。

 アメルたちが話している様に、これから赴くダーナの町は温泉場として有名な町らしい。オレットさんが広げていた地図にあった波線マークは、その湯気を指し示していたのだ。

 レティシアさんやアメルたちは、どうやら任務よりもそちらの方が主な目的みたいだ。

 ……まぁ、あの2人はいい。

 2人とも、良くも悪くも自分に忠実な人たちだ。

 意外だったのは、マリアちゃんだった。

 いつもクールなマリアちゃんがはしゃいでいるなんて、何だか珍しい。そして、少し可愛らしかった。

 もっとも、見た目の変化は僅かしかないので、じっくり観察していないと見落としてしまいそうなはしゃぎっぷりではあったけれど。

「……えっと、アメル」

「ん、どうしたのマリアちゃん」

「何だか、セナがじっとこちらを見てるんだけど……」

「あ、きっと1人でいるのが寂しくなって来たんだよ!」

「そ、そうなの……?」

「よし、ここは笑顔で手を振っておこう!」

 ダーナに向かう隊列の中で、私はアメルたちから若干離れた場所を進んでいた。みんなおしゃべりに巻き込まれない様に距離を取っていたのだ。

 しかし、十分に声が聞こえる距離ではある。

 ……別に寂しがっているとかはない。

 しかし手を振るマリアちゃんに罪はないので、私も軽く手を振り返しておく事にした。

「セナと温泉なんて楽しみだなぁ。それに、久しぶりの休暇だし!」

「オレットさま、優しいよね」

 アメルの声に、マリアちゃんが頷く。サリアさんたち他の騎士のみんなも、軽く笑い声を上げた。

「ふんっ」

「……オレットさんを褒めたのに、なんであなたが得意げな顔をしてるのかな」

 笑顔で胸を張るレティシアさんを、アメルが半眼で睨め付けた。

 周囲から、また笑いが起こる。

 オレットさんとレティシアさんがお付き合いしているらしい情報は、既に白花の騎士団の中では公然の秘密になっている様だった。

 私は、教えてもらうまで気が付かなかったけれど。

 楽しそうに笑い合っているみんなに対して、しかし私はきゅっと眉をひそめていた。

 ……むーん。

 これは、やはりオレットさんに嵌められてしまったという事なのだろうか。

 温泉場での休養を取らせるために、今回私にこの様な任務を課したという事なのだろうか。

 レンハイムで今回のお話を振られた時から、もしかしてそうなのかなという予感はしていたけれど……。

 そうなると、レティシアさんやアメルたちは、私がきちんとお休みする為のお目付役という事になるのかな。

 小さくため息を吐く。

 心配してくれるのは凄くありがたいのだけれど……。

 私は小さく首を振り、気持ちを切り替える。そして、密かに小さくうんっと頷いた。

 ……でも、とりあえずダーナ派遣部隊の支援は正規の任務の筈なのだ。

 まずはこの任務をきちんとこなし、その後でなら少しだけ温泉場でお休みしてもいいかなと思う。

 私がそんな決意を新たにしているところに、再びアメルたちの方からきゃっきゃっと賑やかな声が上がった。

 みんな全く気負いのない様子だけど、名目上とはいえ今も一応任務中なのだ。白花の騎士団のメンバーとして、そこはきちんとわきまえて行動しなければならないと思うのだ。

 私は、注意の意味も込めてアメルたちの方をもう一度キッと睨み付けた。

「アメル、またセナが怖い顔でこっちを見てるよ」

 私に気が付いたマリアちゃんが、アメルの袖を引っ張った。

「もう、セナは寂しがり屋さんだなぁ。ほらっ、レンハイムの食堂のおばあちゃんがくれたお菓子もあるよ! こっちにおいで!」

 アメルがどこからかバスケットを取り出すと、その中身を私に向かって掲げて見せた。

 バスケットの中には、色々な形をした焼き菓子がぎっしりと並んでいた。

 ……うくっ。

 一瞬そちらに引き寄せられそうになる。しかしエーレスタの騎士としての矜持が、私をぐっと押しとどめた。

 ……ふんっ、お菓子なんていらないもん。

『ふむ、セナよ。何やら良い匂いいが漂っているが、これは何だ』

 それまで私の頭の上でぺたんと伏せていたアーフィリルが、むくりと起き上がって鼻をひくひくさせ始めた。

 ここは、アーフィリルの為に1つだけお菓子をもらいに行こうか……。

 ……ううん、ダメだ。

 しばらく葛藤した後、私は前方に視線を向けて馬のお腹を蹴ると、速度を上げた。

「あ、セナ行っちゃうけど……」

「ちっ、もう少しで捕獲出来たのになっ」

 背後から、マリアちゃんとアメルのそんな声が聞こえて来た。

 ……2人には、騎士の任務がいかに重要かという事を再認識してもらった方がいいだろう。ダーナの町に着いたら、少しお説教しなければ。

 私はサリアさんたち騎士のみんなを追い抜かし、隊列の前に出た。

 馬のスピードを緩め、未だに名残惜しそうに後方を見ているアーフィリルを前に向かせる。

 隊の先頭は、いつの間にかフェルトくんが1人で先行する形になっていた。

 他のメンバーと違って、フェルトくんは1人静かに黙々と周囲の警戒にあたってくれていた。

 さすがフェルトくんだ。

 口では色々と不真面目な事を言いながらも、任務に関してはきちんとこなしてくれているのだ。アメルにも、少しは見習ってもらいたいものだ。

 私はフェルトくんを労うべく馬を寄せると、その顔を覗き込んだ。

「ふわっ、ああ……くそっ、戦いたいな。強いやついないかなぁ」

 盛大に欠伸をし、目に涙を溜めているフェルトくん。

 ……むーん。

 私が半眼で見上げていると、フェルトくんが僅かに眉をひそめた。

「あ、セナ。いたのか。小さくて気が付かなかった」

 面白くない冗談と共に、特に悪びれた様子もなくフェルトくんが私を見た。

「あ、そうだ、セナ。ダーナに着いたらまた手合わせしてくれよ。竜騎士の姿でな」

 いい事を思いついたという風に、ぱっと顔を輝かせるフェルトくん。

 私はそれに答えず、そっと視線を逸らした。そして、はぁっと小さくため息を吐いた。

 ……うむむ、これではダメだ。

 フェルトくんも含めて、みんな完全お休み気分みたいだ。これでは、ダーナにいる味方部隊を支援するという任務、上手くいくかどうかわからない。こんな時に帝国軍が攻め寄せて来たら、大変な事になる。

 ここは、やはり私が頑張らなければ……!

 怪訝な顔でこちらを見るフェルトくんをよそに、私は手綱を握る手にそっと力を込めた。




 温泉の町ダーナは、谷合にひっそりと張り付く様に広がったこぢんまりとした町だった。

 木造の建物が、南北に走る街道と谷川沿いに、半ば雪に埋もれる様に連なっている。

 特に城壁などは見当たらず、町の領域はそれほど広くなかった。でもその割りには、比較的大きくて立派な建物が目立つ。サリアさんの解説によれば、そのどれもが湯治客を受け入れる為の宿屋さんとの事だった。

 町中やここに至るまでの街道がしっかり整備されていたのは、色々な場所からやって来るそんな湯治のお客さんのためだったのだ。

 しかし現在は、あまり活気は感じられなかった。どちらかというと、観光地というよりも物悲しい冬の寒村といった雰囲気だ。

 ……それは、無理もない事なのかもしれない。

 この町も、ついこの間までは帝国軍の支配下に置かれていたのだ。打ち壊された建物や戦闘の爪痕は見えないけれど、気軽に湯治のお客さんがやって来れる様な環境ではなかったと思う。

 町の入り口にたどり着いた私は、温泉を楽しみにしているみなさんが、また気軽に旅行出来る様になったらいいのになと思う。

 人の姿はあまり見えなかったけれど、町の中に入ると、ダーナが有名な温泉の町であるという事はすぐにわかった。

 小さな町のあちこちから、もうもうと湯気が立ち昇っているのだ。

 白い雪に覆われた町並みが白い湯気に包み込まれている光景は、しんみりとした幻想的な美しさに満ちていた。初めて目にする筈なのに、不思議と懐かしさとか安心感を抱いてしまう光景が広がっていた。

 その町全体に広がる湯気からは、微弱な魔素が感じられた。

 ダーナの町のあちこちにから吹き出す温泉には、一般的な地下水よりも濃厚な魔素が含まれているのだそうだ。それがどうやら入浴者の体に影響し、疲労回復や血行促進の効果をもたらしてくれるらしい。あと、お肌にもいいらしい。

 道中、レティシアさんが色々教えてくれたのだ。

 サリアさんの先導でダーナの町の中を進みながら、私はキョロキョロと周囲の町の様子を窺っていた。

 初めての温泉の町は色々と珍しくて、新鮮だった。温泉関係だけでなく、木造の建物の様式なんかも目新しくて興味深かった。ここは大陸中央の都市国家群とも近く、そちらの影響を受けた建物が多い様だ。

 レンハイムほど大きな街だとサン・ラブールの様式で統一されているけれど、こうした山間の田舎の方には、そうしたその土地ならではのものが残っている様なのだ。

 周囲に興味をひかれていたのは、アーフィリルも同じだったみたいだ。先ほどから右に左に体を振りながら、必死に周りの匂いを嗅いでいた。

 私たちは、町の中程、斜面を随分と上まで登った高台にある、立派な門構えの大きな建物へと入った。

 大きな窓から雪の照り返しの光が射し込むその建物の中には、飴色の古めかしい家具が並ぶカウンターと、居心地の良さそなカフェスペースが広がっていた。

「あらあら、事前連絡いただいてましたお客さまですね。いらっしゃいませ」

 すぐさまエプロンを身に付けた女性が出て来ると、満面の笑みを浮かべて私たちを迎えてくれた。

 どうやらここは、宿屋さんの様だ。

 何だか立派な宿みたいだけど、ここに泊まるのだろうか。

 そういえば私は、騎士団で借りたお屋敷とか立派な部屋に泊まる事はあっても、きちんとした宿屋さんに泊まった事がなかった。何だが少し緊張してしまう。

 サリアさんとレティシアさんが、早速宿の人と話を始める。

 サリアさんの部下の騎士さんたちが私たちの荷物を運び入れてくれる中、アメルはマリアちゃんを伴って賑やかにあちらこちらを見て回っていた。

「セナ、こっち!」

 突然私も、アメルに大声で呼ばれる。

 何事かと駆け寄ってみると、アメルたちはおっとりとした感じのおばあちゃんが店番をしている売店コーナーを覗き込んでいた。

 私はそこで、アメルから何を象ったものかわからない得体の知れない木彫りの像をプレゼントされた。

 ぬ……?

「じゃあ俺は、ダーナ派遣部隊のところに顔を出して来るから」

 アメルが買ってくれた木彫りの像をためつすがめつする私の所に、フェルトくんがやって来た。

「あ、じゃあ私も……」

 私はパッと顔を上げてフェルトくんを見た。ここは部隊長として、先方にも挨拶しなければ……。

「ダメだよ。セナはこっち!」

 フェルトくんに付いて行こうとした私の手を、アメルががしりと掴んだ。そして、ぐいぐいと引っ張り始める。

「ア、アメル!」

 私の抗議にも耳を貸さず、レティシアさんと合流したアメルは、そのまま宿の奥へと向かって歩き出した。

 アーフィリルと融合していない状態だと、私はアメルの力には勝てないのだ。ぐぬぬぬぬ……。

 レティシアさんにマリアちゃん、サリアさんたち女性騎士は私たちと一緒だったけど、3人ほどいる男性騎士さんは途中で姿が見えなくなった。

 いつのまにか女性陣だけになった私たちは、複雑な構造の宿屋の中をたまに迷いながらも奥へ奥へと進んで行く。

 私も無駄だと悟り、抵抗をやめた。

 アメルと手を繋いだまま、私は綺麗に掃除の行き届いた廊下をキョロキョロと見回す。

 やがて、サリアさんがとある部屋を指し示した。

「ここがセナちゃんの部屋よ。あと、アメルとマリアもね。3人なら寂しくないでしょ」

 先行して部屋に入ったレティシアさんが、ふわりとストロベリーブロンドの髪を広げて私の方を向くと、にこりと微笑んだ。

 その部屋は、小さな可愛らしい暖炉と花柄のふわふわしたカーテンが印象的な居心地の良さそうな部屋だった。

 広さではレンハイムで私が借りている部屋の方が優っていたけれど、家具類や内装品はどれもこぢんまりとしていて品が良くて、私にはこちらの方が好ましく思えた。

 そして何よりも目を引くのは、部屋の一面を占める大きな窓からの眺望だった。

「わぁ、いい眺め!」

 アメルが、私の手を引いたまま窓へと駆け寄る。

 私もアメルと並んでガラス窓の外に広がる風景を見ると、はっと息を呑んだ。

 その窓からは、雪と湯気に包まれたダーナの町を一望する事が出来た。

 確かにそれは、思わず声を上げたくなるほど幻想的で美しい光景だった。

「セナちゃんには、しばらくこの部屋に滞在してもらうわ。美味しい料理を食べてゆっくり温泉に浸かって、しっかり休養してね」

 もはや取り繕う事もなくそう告げるレティシアさん。

 ここまで来たら、私がお休みを拒絶する事はないと考えたのだろう。

「了解です。その、ありがとうございます……」

 私は苦笑を浮かべながら、こくりと小さく頷いた。

「……色々と気を遣ってもらって、すみません」

 小さな声でそう呟いてから、私はふうっと息を吐いた。

 どうやら、ダーナまでの道中色々と考えていた事は正解だった様だ。

 オレットさんには、色々と気を遣ってもらったみたいだ。レンハイムにもどったら、お礼を言っておかなければならないなと思う。

 ……任務にかこつけて私をお休みにするなんて、色々と手を回してくれたに違いないから。

 色々と心配してもらえるのはありがたいのだけれど、嬉しさと気恥ずかしさと、そこまで他の人に気を遣わせてしまう自分への不甲斐なさがない交ぜになって、何だか私は複雑な気持ちだった。

 きゃっきゃと部屋の中を見て回るアメルに引っ張られながら、私はふと眉をひそめる。

「あの、レティシアさん。ダーナ付近の帝国軍残党の確認と先行部隊の支援という任務は……」

 もしかしてそれも全て私をダーナに連れ出すための方便、なんて事はあるのだろうか。

「ああ、それは正規の話よ。ただ、そっちはフェルトくんにでも任せておけばいいわ」

 胸の下で腕を組んだレティシアさんが、私を見てふっと笑った。

 任務、続行なのか。

 ならば、せめてそちらの方は疎かには出来ない。

 きちんと達成しなければ!

「だったらやっぱり、私もフェルトくんと一緒に……」

「セナ、さぁお風呂行こう! 旅の疲れを癒しに行こう! 髪洗ってあげるからっ!」

 アメルが、今度はぐいぐいと私の肩を押し始めた。

 手早く私の胸当てや剣を外してしまったアメルは、自分も鎧を脱いで騎士服だけの軽装になる。その後ろでは、マリアちゃんが手早く着替えやタオルの準備を始めていた。

 うぐぐ、何だかダーナ行きが決まったあたりから、どうもアメルとマリアちゃんの息がぴったりな気がする。

「ふふ、いいわね。では、効能が高いと噂の魔素のお湯、堪能させてもらいましょうか!」

 ストロベリーブロンドをばさっと広げて仁王立ちになるレティシアさん。

 アメルがおーと声を上げ、マリアちゃんがうんうんと頷く。荷物を片付けてくれていたサリアさんも、苦笑を浮かべていた。

「任務……」

 私の呟きは、楽しそうなみんなの声に呆気なくかき消されてしまう。

『この地の空気は、心地よい魔素に満ちているな。うむ。面白い土地だ。この我が翼がしっとりとする感覚、ふむ、今までに直に体感した事のないものだ。遠隔知覚だけでなく、実地だからこそ味わえるものだな。悪くない』

 こちらも、楽し気に声を弾ませるアーフィリル。興奮しているのか、先ほどから忙しなく私の頭の上でもぞもぞと動き回っている。

 アーフィリルまで……。

 私はアメルとマリアちゃんに挟まれる様にして部屋を出ると、そのまま壁の案内図が指し示す大浴場へと連れて行かれた。

 エーレスタ騎士団女子寮よりも広い脱衣場には、私たち以外誰もいない。こんな戦時では、やっぱり他にお客さんなんていないのだ。

 どうやら、この大きなお風呂を私たちで独占出来るみたいだ。

 ……うむ。

 これには、少し心が惹かれる。

 私は、お風呂が好きだった。

 エーレスタにいた時も、仕事終わりに入るお風呂は1日で1番幸せな時間だった。

 あちこち転戦していると、ゆっくりとお風呂に入るのがなかなか難しい。それが、旅をする中で感じていた不満点だったけど……。

 熱々のお湯に肩まで浸かりたい。

 ここまで来ると、目の前の大浴場へのそんな期待が、むくむくと大きくなってしまう。

 任務の事も考えなければいけないし、でもお風呂も気になるし……。

 そんな複雑な心境の私をよそに、アメルたちはさっさと入浴準備を始めていた。

 そこへ、どこから現れたのか、宿のおばさんが湯浴み着を運んできてくれた。ここの温泉では、この湯浴み着を着て入浴するのがルールの様だ。

 ここまできたら……。

 私はうぐっと決心すると、アメルたちと並んでえいやっと騎士服を脱いだ。下着も取り去り、手早く薄い湯浴み着姿になった。

 しかし。

 ……あれ。

 私は、手を広げてくるくると自分の湯浴み着を広げてみる。

 レティシアさんやアメル、それにマリアちゃんの湯浴み着は白くてシンプルな形なのに、おばさんが私に手渡してくれたものだけ薄いピンクでフリフリが沢山付いている。

 ……くっ。

 これはまさか、こどもよう……。

「わぁ、セナ可愛い!」

 とととっと軽快に駆けて来たアメルが、突然私をぎゅっと抱き締めた。

 薄布の向こうのアメルの柔らかな感触が、ぎゅうっと私を包み込む。アーフィリルとはまた違う甘くていい匂いが、ふわりと漂う。

 私は、何とかアメルを引き剥がそうともがいた。

「ア、アメル、落ち着いて!」

「よーし、久しぶりにセナの隅々まで洗ってあげるからね!」

 鼻息の荒いアメル。

 まずい。

 すっかり忘れていたけど、アメルとお風呂が一緒になると、ほぼ1人にしてもらえないのだ。だからエーレスタにいた頃は、アメルと入浴時間をずらしていたのに……。

「マリアちゃん、レティシアさん……アーフィリル!」

 私は、並んでこちらを見ている3人に助けを求める。しかし、返ってきたのは微笑ましいものを見る様な生暖かい表情だけだった。

 ぐぬぬ……。

 私をこねくり回しながら、髪を結いなおしてくれるアメル。

 むうっ、こういうところは優しいのに……。

「さぁ、行こう、行こう!」

 やはり力の強いアメルに引きずられる様にして、私は浴室へとむかった。

 脱衣場の扉を開いた途端、むわっとした湯気が押し寄せてくる。同時に、お湯や湯気にも含まれた濃厚な魔素が、幾重にも私たちを包み込んだ。

 それだけで、肌の表面がカッと熱くなる様な気がした。

 湯気の立ち込める浴場は、木製の内壁と黒いタイルに覆われた落ち着いた雰囲気の場所だった。常に注がれている温泉の水音が、小気味よく響き渡っている。

「わぁ、広い!」

「すごい……」

 アメルとマリアちゃんの声が、浴室内に響き渡る。

 私はアメルに掴まれながら、レティシアさんと視線を交わした。

 レティシアさんはニヤリと笑うと、興味深そうに周囲を見回していた。

 やはり魔術スキルを操るレティシアさんも、浴場内に満ちる魔素に気が付いているみたいだ。

 ……しかし、それにしてもレティシアさんはスタイルが良いなと思う。

 普段から露出の多い格好や体にフィットする服を着ている事が多いレティシアさんだったけれど、こうして薄布一枚の姿を目の当たりにすると、その迫力に圧倒されてしまう。体型にメリハリが効き過ぎていて、何だか攻撃的な感じがするのだ。

 何というか、凶悪というか……。

「こんな大きいお風呂、初めて……」

「セナ、ここ。座って。洗ってあげる!」

 ぽかんと周囲を見回しているマリアちゃんも、早くも洗い場を確保しているアメルも、レティシアさん程ではないにしても、スタイルがいい。みんな普段から鍛えているから、引き締まった体をしている。なのに、出っ張るところは凄くて……。

 特にマリアちゃんは、私よりも年下なのに、もう大人みたいなスタイルをしていた。

 私は、フリフリの湯浴み着姿の自分を見る。

 ……私だってアーフィリルの力を借りれば。

 そのアーフィリルは、宿のおばさんにお湯を入れてもらった大きな桶に、そろりと足を踏み入れているところだった。

『うむ。良い具合だ。これはなかなか……』

 数回前足でつんつんとお湯の具合を確かめたアーフィリルだったが、やがて完全に桶の中に入ると、こてっと倒れる様に体を横たえた。そして桶の縁に体を寄せながら、目をしょぼしょぼさせ始めた。

 どうやら、かなり気持ちいいみたいだ。

 ……くだらない事ばかり感がていないで、私も入ろう。

 アメルの隙を突いてその拘束から逃れた私は、たたたっと湯船に駆け寄った。そして手近な桶で掛け湯をすると、満々と満たされた魔素温泉の中へと足を踏み入れた。

「あー、セナずるい!」

 追いかけてくるアメルを無視して、私はゆっくりとお湯の中に体を沈める。

「ああ、はふうっ……」

 自然と声がこぼれてしまう。

 適度に熱いお湯に、全身が包まれる。

 淡い魔素が、軽く全身を刺激してくれる。

 こ、これは、なかなか、想像していた以上だ……!

「うきゅう……」

 目を閉じ、深く深く息を吐く。

 体の芯から、ポカポカと温まってくる。

 吐息と同時に、体の隅々に澱んだものがお湯の中に溶け出して行くかの様だった。

 気持ちいい……。

 私は、目を瞑ったまま天井を仰いだ。

 ……これまで頑張って来て良かった。

 何だか、自然とそんな感慨が浮かび上がってくる。

 厳しい戦いとか悲しい出来事とか色々な事があったけれど、今この瞬間だけは、このお風呂に入るために今まで頑張って来たんだと思っても良い様な気がした。

「気持ちいい……」

 今度は口に出してそう呟く。

「セナ、気持ちよさそうだね!」

「あのセナが、あんな蕩けた顔を……」

 アメルやマリアちゃんたちも、続けて湯船に入って来た。

 はぁ。

 ずっとこうしていたい。

 こうして、温かいお風呂に入っていたい。

 私は、湯船の中で手足をうんっと伸ばした。

 ……任務の事は、お風呂を出てから考えよう。

 私はアメルとマリアちゃんに挟まれる様にしてお湯に浸かりながら、もう一度長く長く体の奥から息を吐いた。




 たっぷりと時間を掛けて温泉を満喫した私たちは、部屋に戻って休息を取る事にした。

 お風呂に入っただけなのに何だか体が軽くなった様な気がして、私は気分よくアメルたちと話し込んでいた。

 そこにちょうど、ダーナ先遣部隊と連絡を取って来たフェルトくんが戻って来た。

 お風呂上がりでまだ髪も乾いていなかった私に、フェルトくんは一瞬ギョッとした様な表情をした。しかし直ぐに咳払いをすると、現在のダーナを取り巻く状況について報告してくれた。

 ダーナ先遣部隊は、現在町の外周探索に出ているそうだ。フェルトくんは町に残っていた部隊の連絡員と接触出来たみたいだけど、今のところ帝国軍部隊の姿は確認されていないらしい。

 これでは、私たちの出番が本当になくなってしまう。

 とりあえずフェルトくんに労いの言葉を掛けた私は、合わせて温泉に入るのも強く勧めておく。

 ……温泉、本当に気持ち良かったから。

 後は、探索に出ている部隊が戻るのを待つだけだけど、それでも何もなければそのままダーナから撤退という事もあり得るだろう。

 そうなれば、私たちは本当に温泉に入るためだけにダーナの町にやって来た事になってしまう。ただ、休暇を満喫しに来ただけになってしまうけれど……。

 温泉に入ってゆっくりして、美味しいものを食べて温かいベッドで眠るなんて、沢山の人たちが大変な状況に陥っている今の時期に、本当に良いのかなと思ってしまう。

 胸にチクリと刺さるものを感じながらも夕食を終えた私たちは、とりあえず今日はもう休む事になった。

 ……ご飯も美味しかった。

 ベッドに入った後も、しばらく誰が誰を好きだとかレティシアさんとオレットさんの事なんかを話し込んでいた私たちだったけど、はしゃぎ過ぎたアメルが力尽きて寝てしまうと、そのおしゃべり会も何となく解散になった。

 私だけでなく、アメルやマリアちゃんも疲れているのだ。みんな、今まで一緒に旅をして来た訳だし。

 翌朝。

 みんなより早く目が覚めた私は、朝一番でもう一度温泉に入る事にした。

 マリアちゃんやレティシアさん、アメルはまだ寝ているから、今度は私とアーフィリルだけだ。

 ちなみに、アーフィリルは私が強制的に連れて来た。

 早朝の静まり返った湯船で、私はうんっと手足を伸ばす。そして、体の底から息を吐いた。

 アーフィリルも、桶の中でひっくり返ってお腹を見せていた。なかなか器用な体勢だ。

 朝からお風呂だなんてなんだか特別な感じだったけど、私はこの後ダーナ先遣部隊の連絡員さんのところに顔を出すつもりだった。フェルトくんに任せっきりにしないで、自分でも情報収集をしてみようと思ったのだ。

 その前に、もう一度お風呂に入っておきたかった。そして、少し試したい事も……。

 それは、誰もいない時の方が都合がいいのだ。

 しばらくお湯の中でのんびりした私は、ちらりとアーフィリルの方を窺った。そして、そろりとそちらに近付くと、つんつんとその白いお腹を突いたた。

「アーフィリル、くつろいでいるところ申し訳ないけど、融合してもらえる……?」

『む、戦いか?』

「ううん、違うの! ほら、ここの温泉って魔素が含まれてるよね。だから、大人状態で入ったら、私の体に掛かる負担も抑制できりゅ!」

 ……噛んでしまった。

 そして、自分でも何を言っているのかよくわからない……。

『ふむ。別に構わないが。我はセナの意思に従う故な』

 アーフィリルはそう言うと、むくりと起き上がった。そしてふるふると体を振ってお湯を払うと、ふわりと飛び上がった。

 浴室内に白の光が満ちる。

 私の中に、アーフィリルの存在が宿る。

 次の瞬間、私は白のドレスをひるがえして浴室の中に立っていた。

「アーフィリル。入浴中だ。服はいらない」

『うむ。承知』

 私の要望により、アーフィリルが白のドレスや鎧を解除してくれる。

 再び白の光が浴室を満たした後、私は先程から身に付けていたピンクの子供用湯浴み着姿に戻っていた。

 ふむ。

 薄い湯浴み着が、パツパツ状態だった。

 胸が押し潰されて少し苦しい。さらに、少しでも力を込めれば破けてしまいそうだった。

 ウェストもきついが、お尻の方が厳しい。丈が短くなり、衣装の用をなさなくなっている。

 私は腰に手を当てると、ふっと口元を歪めて薄く笑った。

 やはり、な。

 これならば、アメルやマリアに遅れを取る事もないだろう。もしかしたら、レティシアと並んでも張り合えるかもしれない。

 体型の差異など下らない事かもしれないが、負い目を克服出来るならばそれに越した事はない。精神の平静は大事だ。

 まあ、自己満足である事は私も十分に承知しているが。

 私は、さっと湯浴み着を脱ぎ捨てる。

 裸になってしまうが、どうせ誰もいないのだ。

 長い白の髪を軽く結びながら、私は再び湯船に向かった。

 この状態なら、アメルにわしゃわしゃ頭を洗われる事もないだろう。一人前の騎士が他の人に頭を洗ってもらうなんて、恥ずかしい事この上ないからな。

 私はゆっくりと湯船に浸かりながら、ふっと苦笑を浮かべた。

 昨日は、マリアも私の髪を洗いたいと言っていた。この大人状態の私なら、逆にマリアの髪を洗ってやりたいものだ。

 そんな事を考えながらお湯の中に肩を浸ける。

 そして、適当に結った髪がお湯に触れた瞬間。

 私の周囲のお湯が、爆ぜた。

 爆発した。

 水柱が天井まで上がる。

 一瞬の間の後、打ちあがったお湯が雨の様に降って来る。

 む。

 何だ、これは。

 しばらく目を丸くしていた私だったが、気を取り直しておもむろに湯船から出た。

『ふむ。ここの湯は、もともと濃厚な魔素を含んでいる為、他の魔素の干渉に反応しやすい様だな。セナの髪から放出される魔素と反応して、膨張してしまったのだろう』

 アーフィリルが興味深いなと付け加えながら、解説してくれた。

 色々と得るものはあったが、どうやらアーフィリルと融合状態で温泉に入るのは良くない様だ。

「どうかされましたか、お客さま!」

 宿の者が慌てやって来る。

 私は何でもない旨とお湯を減らしてしまった謝罪をしてから、すたすたと浴室を出た。次から次へと宿の者が集まって来ているので、もう入浴していられる状態ではなくなってしまった。

 ここまで着て来たサイズの小さな服は着られないので、アーフィリルに簡単なシャツとロングスカートを構築してもらう。

 周囲に宿の者たちが複数いたので、この場で融合を解除するのは得策ではないと判断したのだ。私が大きな姿から突然小さくなれば、さらに騒ぎが大きくなりかねない。

 騒然とする脱衣場を出ると、ちょうど正面からフェルトが駆けて来るところだった。

「セナ! その格好、何かあったのか?」

「いや」

 私は苦笑を浮かべて首を振った。

 事情を説明すると、フェルトはふっと安堵の息を吐いた。

「まったく、敵襲かと思っただろう」

「ははは、済まないな」

 私は笑ってごまかしながら、まだ濡れている髪をかき上げ、耳に掛けた。

 大人状態では髪が多いので、乾かすのが大変だ。早く部屋に戻って融合を解除しよう。

 そんな事を考えながら歩き始めた私は、ふと視線を感じて隣を見た。

 そこには、微かに頰を上気させ、目を輝かせながらじっとこちらを見つめているフェルトの姿があった。

 私と目が合うと、フェルトはうっと慌てた様に視線を逸らしてしまった。

 何だか恥ずかしそうに唸ったり明後日の方向に目を向けているフェルト。

 同じ風呂上りでも、昨日小さな私の前にした時とは全く態度が違う。

 ふむ。

 せっかく大人状態なのだから、フェルトの要望通り剣の手合わせをするのも良いかもしれない。無為に休むだけというのも良くないだろう。時間があるなら、鍛錬ぐらいは行っておくべきだ。

 それに、フェルトにはいつも世話になっているからな。

「フェルト」

 私がその事を切り出そうとしたその時。

「セナさま!」

 今度は、サリアが廊下の先から走って来た。

 早朝の宿屋内で既に帯剣したサリアは、緊迫した表情を浮かべていた。

 私はさっと表情を引き締める。同時に、フェルトも剣士の気配へと変わった。

「どうした、サリア」

「セナさま」

 サリアがさっと敬礼する。

「報告致します! 現左ダーナの町外縁部にて、帰還中のダーナ派遣部隊が帝国軍部隊に襲撃されているとの情報が入りました!」

 フェルトが、くっと唸った。

「本当に帝国軍がいたのかよっ!」

 私は顎に手を当てて、すっと目を細めた。

 フェルトとサリアが私を見る。

 私は、すっと深く息を吸い込むと、カツカツと踵を鳴らして歩き出した。

「フェルト、武装を。サリアと私とフェルトで出るぞ。サリア。レティシアに連絡を。残りを率いてダーナの町の防衛にあたれ。斥候を出し、周辺に他の敵がいないかを確認しろ。敵の数如何によっては、レンハイムにも使者をだせ」

 私は前方を見据えたまま、追随してくるサリアとフェルトに指示を飛ばす。

「わかった!」

「了解です!」

 サリアとフェルトが同時に走り出す。

「アーフィリル」

 私は、いつもの戦闘装備を整える様にアーフィリルにお願いする。

 アーフィリルが装備を構築して行く間も、私は立ち止まらない。

 1歩進める間に、私の体を覆う服が白のドレスへと変化する。さらにもう1歩進める内に、白く輝く鎧が形成される。

 同じく足を覆った白のブーツの踵を響かせ、宿のエントランスに到着した私は、既に戦闘態勢を整えていた。

 そのまま宿の扉をあけ放つと、私はすっと目を細めて雪と湯気に包まれた朝のダーナの町を見据えた。

 帝国軍の襲来は、フェルトやサリアの反応を見る限り、皆にとっては予想外の出来事だったのかもしれない。しかし任務を果たす機会を待っていた私にとっては、想定内の事態だ。

 決して敵の襲来を待ち望んでいた訳ではないが、やはり私には動き回っている方が性に合っている様だ。

 どれくらいの敵が存在するかが問題だが、どんな敵が来たとしても残らず私が殲滅してやろう。

 このダーナの町と温泉は、私が守る。

 私は湯気に煙る町並みを見つめ、ふっと薄く微笑んだ。

「セナちゃん、敵って……」

 宿の奥から、慌てた様子のレティシアが出て来た。まだ寝ていたのか、ストロベリーブロンドの髪は乱れていたし、服装も部屋着のままだった。

 続けてフェルトやサリア、他の騎士たちも集まって来た。フェルトは指示通り、既に完全武装状態だ。

 隊員たちの中にアメルの姿は見えない。まだ寝ているのか。

「状況は聞いての通りだ。レティシア、後は任せるぞ」

 私は唖然とした表情のレティシアに頷きかけてから、フェルトの方を見た。

「私が先行する。先遣隊の残存部隊と連絡を取り、合流しろ」

 フェルトが頷くのを確認してから、私は町の中心へと向き直った。そして脚に魔素を巡らせると、タンっと地面を蹴って跳躍する。

 谷川に沿う様に細長く伸びたダーナの町が、一気に足元へと遠ざかる。凍てついた冬山の空気が、白のドレスを大きくはためかせる。

 戦闘が起こっているのは、どうやら町の北側の様だった。

 雪の白と針葉樹林の濃い緑が疎らに広がる風景の中で、そちらの方から黒煙が立ち上っているのが見えた。

 さらに、山肌に反響する銃声も聞こえてくる。

 一旦町の中心部にある大きな建物に着地した私は、再び跳躍してその町の北側に向かって跳躍した。

 吹き荒れる寒風が耳元で暴れまわる中、連続する銃声が聞こえて来る。

 戦闘はまだ継続中の様だ。

 跳躍が頂点に達し自由落下が始まると、やがて街道上に広がる戦闘現場が見えて来た。

 既に戦闘は、終盤に差し掛かっている様子だった。

 雪が疎らに積もった路面には、サン・ラブール連合軍の紋章が入ったマント姿の騎士たちが幾人も倒れていた。対して帝国軍にも多数の死者が出ている様だ。ダーナ派遣部隊も、果敢に反撃したのだろう。

 現在は、サン・ラブールの鎧を身に付けた黒髪の女性騎士が、片手に槍を持ち、片手で剣を構えながら帝国軍騎士3人を相手に奮闘していた。

 私はさっと周辺の状況を確認する。

 他には、数名の味方騎士が近くの木陰に身を隠している様だ。どうやら負傷兵たちの様だ。

 私は、木陰に身を隠したその騎士たちの近くにタンっと着地する。

「竜騎士アーフィリルだ。援護に来た。状況は?」

 突然空から降って来た私を唖然とした表情で見上げる騎士たち。

 私は、彼らをさっと見回した。

 皆それぞれ負傷している様だ。血を流しながら、青ざめた表情をしている者ばかりだ。どうやら、命に係わる傷ではなさそうだが。

「り、竜騎士さまですか。ああ、事前連絡のあった……。も、申し訳ありません。突然の帝国軍の襲撃で隊が引き裂かれてしまって……」

 この場の指揮官なのか、やや年配の騎士が立ち上がろうとしながら私を見上げた。その顔が苦痛に歪んでいる。

「了解した。間も無く味方が来る。それまで安静にしていろ」

 私はその騎士に向かってそのままで構わないと手を振ると、今も戦闘を継続している黒髪の騎士の方へを向いた。

 さっと手を振り、片手に白く刃の輝く長剣を生み出す。そして私は、1人で奮戦するその騎士を援護すべく地を蹴った。

 雪が派手に舞い上がる。

 まだ距離はあるのに、黒髪の騎士が私に気が付いた。

 なかなか良い勘をしている様だ。

 艶やかな黒髪を肩口で短くまとめたその女騎士は、私の姿を捉えた瞬間、印象的な赤い目を見開いて驚愕の表情を浮かべた。不意打ちを受けた敵騎士と同じ様な表情だった。

 しかしその顔は、直ぐに歓喜の表情に変わる。その表情の変化があまりに劇的過ぎて、私は僅かに目を細めた。

 私を見て微笑む彼女は、まるで旧知の友を見つけたかの様な笑顔を浮かべていた。

 はて、彼女の様な知り合いはいただろうか。確かに、どこかで見た事のある様な気がするが。

 一回の跳躍でその黒髪の騎士の隣に踏み込んだ私は、その勢いのまま白の剣を振り上げ、帝国騎士を両断する。

 白雪に鮮血が舞う。

「くっ、援軍か! ここまでだ! 引け!」

 残りの帝国騎士が声を上げる。

 しかしそこに、黒髪の騎士が斬り込んだ。

 手にした槍で帝国騎士を一突きにする。鎧の上からだ。細い体をしているのに、この力。何らかの戦技スキルを使っているのか。

 さらにその騎士は、もう片手の剣をさっと逆手に持ち帰ると、帝国騎士の兜の隙間にその刃を突き立てた。

「こ、こんなっ、ば、馬鹿なっ……何故っ!」

 帝国騎士が、低い呟く。そして、どさりと崩れ落ちた。

 ふむ、この黒髪の騎士。なかなか戦い慣れている様だ。身のこなしも軽い。かなりの手練れだ。

 黒髪の騎士が、さっと私に向き直った。

「救援感謝致しますわ、竜騎士アーフィリルさまっ!」

 炎の様に赤く揺らめく瞳で、真っ直ぐに貫く様に私を見る黒髪の騎士。その顔は、微かに上気し、歓喜に打ち震えていた。旧友どころか愛する人に再開した恋人の様な熱烈さが滲み出ている表情だった。

 やけに感動されている様だが、彼女の腕ならば私が助けに入らなくてもこの場を収める事は出来ただろう。

 ニヤリと口を三日月の様に歪める彼女を横目で見た私は、髪を掻き上げてふっと息を吐いた。

 果たしてこのオルギスラ帝国軍部隊は、本隊の撤退した地で何をしていたのか。

 ダーナ付近に潜伏する部隊は、この部隊だけだったのか。

 色々と不可解な点はあったが、これで休暇どころではなくなってしまった事は事実だ。また忙しくなるだろう。

「では、一旦撤収する。負傷者を回収してダーナに戻るぞ」

 私は槍をぎゅっと握りしめている黒髪の騎士にそう告げると、ひらりと白のドレスを翻した。

「ふふ、了解しました。竜騎士サマ」

 黒髪の女性騎士が、ふわりと微笑む。

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