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第3幕

 すっと軽く息を吸い込み、私は体内の魔素に意識を集中させる。

 魔素を注ぐのは、鋼板で補強された軍靴に埋め込まれている魔晶石だ。

 私の周囲に魔素の力の奔流が巻き起こる。騎士団の制服の裾やリボンで結った髪がふわりと浮き上がった。

 私はさっと腰を落とした。

 足元では、溢れた魔素が白いスパークとなって輝いていた。

「よし。それじゃあ、俺の背に触れてみろ」

 少し離れた場所に立ったオレットさんが、来いという様にくいっと指を曲げた。

「行きます!」

 私は小さく頷き、魔素の力を解き放った。

 地面を蹴って、体を前方に投げ出す。

 その瞬間。

 周りの景色が、一瞬にして後方後へ流れた。

 私の体は、何かに弾かれた様に猛加速する。

 オレットさんの顔が瞬時に眼前に迫る。

「わわわっ!」

 しかし私の思考が、その猛加速についていけなかった。予想を上回る加速に、思わず悲鳴が漏れてしまっうた。

 ひょいと進路を開けるオレットさん。

 私はそのまま、曲がる事も止まる事も出来なかった。

「あ……わぷっ!」

 そのまま私は、猛烈な勢いでオレットさんの背後の植え込みへと突っ込んでしまった。

 枝葉に引っかかって体が止まる。

 世界がぐるりと反転する。

 うぐぐ……。

 体中がいたい……。

「まぁ、この短期間で縮地のスキルを会得したのは賞賛に値するがな……」

 私が埋没する茂みの上から、オレットさんの声が降って来た。少し溜め息混じりに……。

「す、すみません。も、もう一度……」

 私は起き上がって茂みを脱出しようと試みたが、どうやら服の裾が何かに引っ掛かっているらしく、身動きが取れなかった。

 もぞもぞと動く私の頭上から、再びオレットさんの溜め息が降って来る。

 ……うう。

 茂みの中におもむろに突っ込まれたオレットさんの太い腕によって、まるで猫が摘まれる様に、私は引っ張り出された。

 地面に下ろされた私は、ペタンとその場に座り込んでしまう。

 胸当ての間とか袖口とか髪とか、至る所に植え込みの葉や枝が入り込んでしまっていた。

 今は、お昼休みの真っ只中。

 私がオレットさんに稽古をつけてもらっている管理課脇の中庭には人通りも多く、戦技スキルを使って植え込みに突っ込んだ私は、何事かと周囲の人たちの注目を集めてしまっていた。

 自身の醜態に顔が真っ赤になる。

 私は肩を落とし、しゅんと身を小さくした。

「以前も言った通り、実戦に出向くには最低でも3つのスキルをマスターしなければならない」

 オレットさんが私の前に座り込み、頭の枝葉を払ってくれた。

「1つは攻撃系のスキル。1つは防御系のスキル。そしてもう1つは今の縮地みたいな加速、移動系補助のスキルだ。これらを使いこなせれば、どんな場でもそう遅れをとる事はないだろう」

「はい……」

 私はオレットさんに手を引かれて立ち上がった。

「縮地は使える様になった様だが、使いこなしているとはいえない。加速中でも、自由に動けるようになれ」

「はい!」

 私はオレットさんを見上げてコクリと頷いた。

 本格的にオレットさんに鍛えてもらえる様になって一週間。

 最初の夜に指摘された体力不足を補うトレーニングと同時に、私はオレットさんの方針に従って新たな戦技スキルの習得に務めていた。

 オレットさん曰わく、私は魔素の扱いに長けているらしい。まずは、その長所の強化を図った方が得策だという判断なのだ。

 私としては色々と剣の技術を教えて欲しかったのだが、そちらはまた別のトレーニングを用意してくれているそうだ。

 今はそれを楽しみにしつつ、新スキルと体力増進に努めているところだったが、それも今の失敗の様に決して順調という訳ではなかった。

 ……一週間くらいで簡単に強くなれる筈がない事はわかってはいるのだが。

「ありがとうございましたっ」

 私はぺこりと頭を下げた。

「ああ。今夜は来られないが、ちゃんと走り込みをしておくんだぞ」

「はい!」

 オレットさんはニヤリと笑って、いい子だと私の頭に手を置いた。そしてそのまま踵を返すと、ひらひらと手を振りながら中庭を出て行った。

 私はその背にもう一度頭を下げてから、ふんっと息を吐く。そして、午後の仕事に戻るべく管理課の執務室に向けて小さく駆け出した。

 カツカツと廊下を小走りに進んでいた私は、一瞬立ち止まって前方からやって来る騎士に挨拶した。知り合いではなかったが、鎧の胸の階級章から、第4大隊の1尉騎士だとわかる。上官だ。

 彼らは、私やオレットさんみたいなエーレスタの制服ではなかった。

 完全武装の全身鎧。

 おそらく今日の午後に進発する予定の部隊の騎士さんだろう。

 オルギスラ帝国を巡る情勢は、いよいよ緊迫度を増して来ているらしい。

 私みたいな低階級の者に各国間の情勢みたな詳しい情報は下りてこないが、大規模な部隊がオルギスラとの国境方面へ展開しているのは知っていた。管理課に所属している私には、兵站の状況や物資の配備状況などから、そんな事が朧気にわかってしまうのだ。

 それに、エーレスタの街にも色々きな臭い噂は流れているし……。

 戦争が始まる。

 そんな言葉が、だんだんと、確実に、現実味を帯びて来ている。

 エーレスタの街やファレス・ライト城に漂うそんな雰囲気に、私は微かな焦燥感を覚えていた。

 ……頑張って早く強くならなくては。

「どうした、カーライル。何だかボロボロだが……」

「す、すみません。大丈夫です……」

 執務室に戻ると、マーク先輩が訝しげにこちらを見てきた。私は苦笑を浮かべて色々と言い訳しながら、自席についた。

 強化増量中のトレーニングをこなしていると、書類仕事中に急に眠気に襲われる事があった。

 居眠りなど立派な騎士様にはあるまじき行為だというのは重々承知している。自身の鍛錬以前に、隊務管理課の仕事は全てきちんとこなさなければならない。

 しかし、どうも連日の疲れが溜まってしまっている様だった。

 近頃は、夜中にアメルがベッドの中に侵入して来ても気がつかない事が多くなっていた。以前はアメルの侵入を感知すると、直ぐにベッドの外へ押し出していたのだが、ここ何日かは目が覚めるとアメルの抱き枕状態という日が続いていた。

 しかし、鍛錬も仕事もおろそかには出来ない。

 眠気を吹き飛ばすために全力で仕事に打ち込み、その空いた時間に全力でトレーニングをこなす。

 私は毎朝竜の咆哮を聞いて気合を入れながら、そんな日々を過ごしていた。

 しかし気掛かりなのは、オレットさんが稽古を見にきてくれる頻度がだんだんと下がっているという事だ。

 何やら忙しいみたいだ。

 もしかしたら、オレットさんの隊も出撃するのでは。

 そんな考えが頭を過ったりもしたが……。

 植え込みに突っ込んでから数日後。またオレットさんのいないお昼休み。

 その日は空気が止まってしまっているのか、エーレスタにしては少し蒸し暑い日だった。雲が重く立ち込めていて、あまり気持ちの良い日ではなかった。

 しかしまだ雨の気配はなかったので、私は中庭の片隅でむんむんと素振りをしていた。

 訓練で習った一連の形を繰り返していると、自然と額に汗が滲み始める。

 時間を掛けて規定の回数を終えた私が、一旦休憩をと思ったその時。

「そこのお前」

 背後から不意に、低い声に呼び掛けられた。

 振り向くと、そこに立っていたのは金髪を短く刈り込んだ巨漢の男性騎士だった。

 制服の胸当てに付けられた階級章はオレットさんと同じ副士長。所属は第3大隊だ。

 私はすぐさま姿勢を正し、頭を下げた。

「貴様、第3大隊所属だな。官姓名を名乗れ」

 顎を上げ、遥か彼方から私を見下ろす金髪の副士長。

「基幹中隊隊務管理課預セナ・カーライル3尉騎士です」

 私は背筋を伸ばし大きな声を出した。少し訝しみながらも

 ……何の用だろう。

「……そうか。事務屋か」

 大男の金髪副士長はそう呟くと、私の胴くらいはありそうな太い腕を振り上げた。

 そして次の瞬間。

「いや、結構、結構! 寸暇を惜しまず鍛錬に励むその姿、同じ隊として誇らしく思うぞ!」

 大音量で笑い声を上げた金髪騎士の剛腕が、バシバシと私の肩を叩いた。

 その衝撃に私は、思わずふらついてしまう。

 ……ぐむっ、埋まる。地面にうまる!

「いや、感心だ! 他の者にも見習わせたいな!」

 痛みに顔をしかめる私をよそに、竜の咆哮の様な笑い声を上げる金髪副士長。しかしその笑い声が唐突に止むと、金髪副士長は腰を落とし、私にぬうっと顔を近付けて来た。

「お前の様なやる気ある者なら、我が隊で使ってやってもいい。我ら貴族の高貴な力、実戦で示す日は直ぐにやって来るぞ。心しておけ」

 ドキリとする。

 実戦……。

 戦争……!

 金髪副士長は、再び豪快な笑い声を上げると、のしのしと中庭を出て行ってしまった。

 私はその背を見送りながら、眉をひそめていた。

 私たち特別枠で入団した者達によって構成される第3大隊は、主にエーレスタ周辺の警備が主任務だ。

 各国から預かる貴族の子弟を危険な任務に就かせられないという理由と、純粋に戦力として他の隊に劣るという理由から、伝統的にその様な配置になっていた。もちろん、実力ある者は別だが……。

 その第3大隊に出撃が回って来るとは、そんなにも戦力が必要とされる状況なのだろうか。

 管理課の職務から得られた情報から部隊の動きは推測出来ても、具体的な状況まではわからない。

 私が騎士団に入ってから今まで、少なくとも今の様な状況はなかった。

 ……やはり、とうとう戦いが起こるのだろうか。それも、国と国どうしの大規模な戦いが。

 いつの間にか俯いて考え込んでいた私は、顔を上げて曇り空をキッと睨んだ。

 今の私は騎士。

 昔とは違う。

 こんな状況においても、きっと何かが出来る筈だ。いや、何か行動しなければならないのだ。

 その為に私は、ここに来たのだから……!

 私は剣を握る手にギュっと力を込めた。

「何燃え上がってるんだ?」

 そんな私の背後から、再び不意に声がした。同時に、大きな手がぽんと私の頭に乗せられる。

 ……こんな失礼な行動を取るのは、オレットさんしかいないだろう。

「よう。鍛錬はどうだ?」

 ばっと振り返ると、案の定そこには制服姿のオレットさんが立っていた。ニヤニヤ笑いを浮かべて。

「オレットさん、お久しぶりです」

 私は固めた拳を胸に当てながら、オレットさんを見上げた。

「ああ、悪いな。ここしばらくは付き合ってやれなくて」

「いいえ」

 私はリボンで結わえた髪をパタパタと揺らして首を振った。

「よろしければ、また時間のある時に鍛錬の成果、見て下さい!」

 出撃があるかもしれないと聞いた今、今まで以上にじっとはしていられない。

「ああ、もちろんだが……」

 しかしオレットさんは、少し困った様に片目を瞑り、無精髭の生えた顎をさすった。

「悪いがセナ。しばらくは少し忙しくなりそうだ。場合によっちゃ、しばらくエーレスタを離れるかもな」

 やはり……。

 私は眉をひそめ、小さく頷いた。

 やはり私の予想は、間違っていなかったという事だ。

 ……ならば、やはり私もじっとしていられない!

 グッと拳を固めて少し頬を赤くしながら、私は身を乗り出してオレットさんを見上げた。

「オレットさん、私も全力を尽くします。どんな任務でも! 例え、実戦でも頑張ります!」

 その瞬間、オレットさんの表情が変わった。すっと目つきが鋭くなる。

「セナ」

 不意に私の頭に、オレットさんの手刀が降り注いだ。

 ……っいたい。

「な、何を!」

 頭を押さえて抗議する私に、オレットさんは大きくため息を吐いて見せた。

 


 どこかそわそわとした雰囲気が漂うこんな時でも、一応お休みはやって来る。

 このところ残業が続いている仕事山積みの隊務管理課でも、みんなで順番にお休みを取る事になっていた。

 トレーニングと仕事で疲れている私を心配してくれたのか、マーク先輩が順番を代わってくれたので、今日の私は急遽お休みという事になっていた。その結果、タイミング良く私の休日とアメルの非番が重なるという事態が発生してしまっていたのだが。

 トレーニングも軽めのメニューに抑え、今日は休養日にしようと思っていた私だったが、朝からアメルの相手ばかりでなかなか忙しかった。果たして体が休まっているのかどうかわからない状態だった。

 オレットさんにも、休養は大切だと言われているけど……。

「セナの髪は綺麗だね。サラサラ」

 先程から私の後ろに立って髪を梳かしてくれているアメルは、上機嫌だった。

 私たちの狭い寮の部屋に、彼女の軽やかな鼻歌が響く。

 ありふれた茶色の髪の私より、いかにも高貴さが漂うアメルの金髪の方が綺麗だなと私は思うけど……。

 アメルが満足なら別にいいか。

 明るいアメルとは対照的に、私は小さく溜め息を吐いた。

「どうしたの、セナ。元気ないね」

「うん、えっと、別に……」

 目敏くこちらの様子に気がついたアメルに、私は言葉を濁した。

 私は、実は少し、落ち込んでいた。

 先日。

 金髪副士長の話を踏まえて、私も実戦で頑張りたい旨の決意表明をした時。私は、烈火の如くオレットさんに叱られてしまった。頭まで叩かれて。

 お前にはまだ早い。基礎がなっていない。そんな腕では他の者の足手まといだ、と、普段飄々としているオレットさんからは想像出来ない程キツく注意されてしまった。

 私は、身を小さくしてそのお説教を聞いているしかなかった。

 オレットさんの指摘は良くわかる。私も痛いほど実感している事だから。だから少し、焦っているのだ。

 しかし私は、これでも一応騎士なのだ。

 恐ろしい敵から、逃げる訳にはいかないのだ。

 反省しつつも、そんな事も同時に考えていた私に対して、オレットさんは最後にこう付け加えた。

「このままでは何も守れないぞ。自分の命もすら、な」

 その言葉を聞いた瞬間、私は破城槌で打たれた様な衝撃を受けた。思わずよろよろと後退ってしまう程に。

 何も守れない。

 私は、何も守れない?

 ……それは、それはダメだ。

 騎士ならば、あの時のアルハイム様みたいに、誰かを守って笑顔にしなくてはならない!

 でも、私には……。

 オレットさんの言わんとしている事もよくわかったから、私は肩を落としてシュンとするしかなかった。

 それから2日あまり、私はオレットさんの言葉を反芻してはどよんと落ち込んでいた。

 アメルはもちろんマーク先輩や管理課のみんなにも心配される有り様だったが、解決策は1つしか思い浮かばなかった。

 即ち、オレットさんに認められるほど頑張るしかないのだ。

 アメルに髪を梳かれながらも、私はむうっと押し黙りながらじっと考え込んでいた。

 自分に出来る事。

 私が成すべき事。

 それは……。

 その時不意に、私たちの部屋にノックの音が響いた。

「はい、はーい」

 アメルが軽やかに動いて扉を開くと、寮務のおばさんが顔を覗かせた。

「セナちゃん。お客さん」

「あ、はい。今行きます」

 私に客なんて誰だろう……。

 早く戻って来てねというアメルを置いて、私はパタパタと女子寮の玄関に向かった。

 開け放たれた玄関には、初夏の眩い日差しが射しこんでいた。今日は先日と違って良いお天気だった。もう本格的に夏がやって来た様な気がする。

 その日差しの中で私を待っていたのは、制服姿に無精髭のオレットさんだった。

「よっ」

 火の着いていない紙タバコをくわえながら、オレットさんがひょいっと手を挙げた。

「……お疲れさまです」

 私はぺこりと頭を下げる。

 この前怒られた後初めてオレットさんと顔を合わせるので、少し気まずくて私は僅かに目を逸らした。

「すまなかったな、この間は。お詫びといっちゃ何だが、この後時間はあるか?」

 私が色々と気にしてるのが馬鹿らしいほど、あっけらかんとそう告げるオレットさん。

 私は少し拍子抜けしながらもオレットさんを見上げ、こくこくと頷いた。

「大丈夫ですが……」

 こういうオレットさんのさっぱりとしたところは、素直に気持ちいい。

 ……何だか少し、お父さんみたいだ。

「よし。こっちだ」

 ニヤリと笑い、容赦なく照りつける外の日差しの中へさっさと歩き出すオレットさん。私も慌てて小走りに、その後を追いかけた。

「それにしても、その格好だと現役騎士には見えないな」

 オレットさんが、歩きながら顔だけ振り返り私を見ると、ニヤリとした笑みを浮かべた。

 えっと、そうかな……。

 私は改めて自分の姿を見た。

 今日はお休みなので、いつものパリっとした騎士団の制服ではない。今の私は、私服のワンピース姿だった。朝から既に少し暑かったので、白と紺のシンプルなノースリーブの物を着用していた。

 髪も先程までアメルに梳かしてもらっていたので、結っていない。肩に掛かるほどの長さの茶色の髪は、そのまま背中に流していた。

 ……このままだと、やはり少し子供っぽいだろうか。

「はは。まるでうちの姪っ子みたいだな。おじちゃん、おじちゃんって駆け寄って来るのが可愛いんだ。はははっ」

 楽しそうに笑うオレットさんを、私はすっと目を細めて睨み付けた。

 その姪子さんが何歳なのかは、あえて聞くまい……。

 それから特にこの間みたいな難しい話はせず、時に談笑しながら、私とオレットさんはファレス・ライト城の北側奥へと進んでいった。

 こちらは、城の中枢を挟んで練兵場の反対側になる。城に務める私も普段は近寄らないし、私の階級では立ち入れない区画になっていた。

 城の外壁とは独立した厚い内壁に囲まれた区画が近付いていくる。その壁の向こうには、いくつか大きな建物の丸屋根と壮麗な尖塔が見えていた。

 私は顔を上げて、その荘厳な建物群に目を奪われてしまう。

 はっと気が付くといつの間にかオレットさんから離されてしまっていて、私はスカートの裾を揺らしながら慌ててその背中を追い掛けた。

 いくつかの重厚な城門をくぐる。そして最後に特別巨大で古めかしい内壁の城門を通過する。その間、私たちは警備の騎士さんたちから何も咎めらなかった。もしかしたら、あらかじめオレットさんが話を通していたのかも知れない。

 私服の私は、時々何だこの小娘はという様な目で見られてしまったが……。

 城門の陰から出ると、降り注ぐ日差しに私は目を細めた。

 内壁の内側にも、あちこちに警備が立っていた。

 この辺りの警備の騎士さんたちは、城の警備を担当している第3大隊ではない。騎士公直属の近衛隊がその任を担っているのだ。

 ざあっと風に揺れる街路樹の向こう、ゆったりと曲がる石畳の街路の先に、2本の尖塔が印象的な大きな館が見えて来た。あの建物が、この厳重な警備の中心、の筈だ。

 この場所の警備が厳重なのも、当然なのだ。

 何せ私も話で聞いただけだから、確証はないけど……。

 オレットさんが向かっているのは、世界に7騎しかいない竜騎士様たちの本拠。竜たちが休む竜舎と竜騎士隊の総司令部がある場所の筈なのだから。

 毎朝城から響いて来る竜達の咆哮も、ここから轟いているのだ。

 そんなエーレスタ騎士団の中心ともいえる場所に、オレットさんは臆する事なくずいずいと入って行く。

 えっと……。

「オ、オレットさん!」

 私はきょろきょろと周囲を見回しながら、おっかなびっくりでその背中について行くしかなかった。

 こんなところに、一体何があるというのだろう。

 司令本部の建物の内には、ひんやりとした空気が漂っていた。広くゆったりとしたエントランスの床はピカピカに磨き上げられていて、壁には大きな絵が何枚も飾られていた。いずれも竜騎士たちの絵だ。

 凄い……。

 私はただただ場の雰囲気に圧倒されるばかりだった。

 私がキョロキョロしている間に、オレットさんは司令部の職員らしき人と話をしていた。相手は近衛隊の1尉騎士だ。

「もう1人のお客は既に待っている。手短に願いたい」

 事務的な口調の1尉騎士に、オレットさんは「了解だ」と軽く手を上げて答えた。

「セナ。行くぞ」

 オレットさんが手招きする。

「あ。はいっ!」

 私はワンピースのスカートを揺らしながら、オレットさんに従って歩き出した。

 司令部のエントランスを抜け、中庭を突っ切り、教会の様な荘厳な広間から通路は地下に向かっていた。

 昼間から魔晶石の灯りが灯る通路をどんどん地下に降りて行くオレットさん。その歩みに迷いはなかった。オレットさんはこの場所に来た事がある様だ。

 途中何か所か分岐するポイントがあったが、やはりオレットさんはスタスタと進んで行く。

 やがて通路は剥き出しの岩肌に囲まれる様になってしまった。

 まるで洞窟みたいだ。

 なんだろう、ここ……。

 心なしか気温も低くなってきた気がして、ノースリーブのワンピース姿の私は、思わず肘を抱いて腕をさすった。

 暗い通路に、私とオレットさんの足音が甲高く響いていた。

 不意に洞窟の様な通路が、開けた場所に出た。

「さぁ、着いたぞ」

 オレットさんが振り返り、私を見た。その顔には、悪戯っぽいニヤニヤ笑いが浮かんでいた。

 そこは、通路と同様に岩肌が露出した広い空間だった。女子寮の建物がまるまるおさまりそうなほど広い。その中央には天井から光の柱が降りていた。どうやらこの地下空間の上部が、外と繋がっている様だ。

 しかし、そんな事よりも。

 私は、その降り注ぐ光の中で身を横たえるこの空間の主に目を奪われていた。

 あまりの衝撃に呆然としてしまった私は、目を見開き思わずゆらゆらと数歩前に進んだ。

 言葉を失う。

 頭の中が真っ白になる。

 ただただ目を丸くし、驚きと共に私はこの空間の主をじっと見つめた。

 ああ……。

 視界が、じわりと涙に滲んだ。

「どうだ、満足したか」

 オレットさんがすっと私の隣に立った。

 私はそのオレットさんを一瞥して、再び前方に視線を戻した。

「この前言い過ぎた詫びだ。セナが元気がないってアメルがうるさくてな」

 何てことだ。

 何てこと、だ!

 そんな、こんな突然に、あっさりと……。

 でも、とうとう。

 再会、出来た。

「話を通すのに苦労したんだぞ。怖いお姉さんに頭下げてだな」

 隣でオレットさんがひょいと肩をすくめるのがわかった。

「……あ、ありがとう、ございます」

 私が答えられたのは、しかしこんな切れ切れの短いお礼だけだった。

 それも仕方がないのだ。

 だって、しょうがないもん。

 目を外す事なんて出来ない。

 ドキドキを抑える事が出来ない。

 ……会えた。

 とうとう!

 今、私の目の前にいる存在。

 それは、私たちを助けてくれた竜。

 憧れのアルハイム様のあの竜!

 空色の竜ルールハウトが、今私の目の前にいる!



「凄い……」

 私とオレットさんの目の前で横たわるのは、空色の鱗をした大きな竜だった。

 猫の様に丸まったルールハウトは、僅かに首を上げ、金色の瞳で侵入者である私たちをぎろりと見ていた。

 凄い威圧感!

 さすがの貫禄だ!

 空色の竜はこちらに興味を失ったかの様に直ぐに首を前足に預け、再び静かに目を瞑ってしまった。しかし、そんな事で私の興奮は冷めない。

「凄い……」

 思わずそんな言葉がこぼれてしまう。

「凄いです、オレットさん! 凄い、ホントに!」

 目を見開きルールハウトを見詰めたまま、私は何度もそんな言葉を呟いてしまっていた。

 胸がドキドキしてドキドキして張り裂けてしまいそうだった。

 ルールハウト。

 竜。

 私がずっと憧れ続けていた竜が、今目の前に……!

 何て力強くて格好いいんだろう。

 空色の竜を見つめながら、私はキュっと握り締めた手を胸に当てた。

「どうだ、元気が出たか、セナ」

 オレットさんの笑みを含んだ声に、私はルールハウトを見つめたまま素直に頷いていた。

「……はい!」

 胸の内にくすぶっていた不安や暗い気持ちは、いつの間にか根こそぎ吹き飛ばされてしまっていた。

「これでまた頑張れるか」

「……はい。はい、もちろんです!」

 私はオレットさんの言葉に、コクコクと何度も大きく頷いた。

 凄い。

 竜、凄い!

「実は、セナをここには連れて来たのは、この間言い過ぎたお詫びと、もう一つ理由があるんだ」

 ルールハウト、綺麗だな。

 あんな竜に跨って空を飛べたら、さぞかし気持ちいいに違いない。

「実はセナに紹介したい奴がいるんだ」

 ん?

 私はきょとんとして、そこでやっと隣のオレットさんを見上げた。

「そんな所に隠れていないで出てこいよ、フェルト!」

 オレットさんは部屋の入り口の方を向いて、不意に大きな声を上げた。

 一瞬の間を置いて、ガチャリと金属の音がする。それは、私にも馴染み深い剣帯から吊した剣が鳴る音だった。

 音のした方向、魔晶石の灯りが届かない地下空間の隅の暗がりから、エーレスタの騎士の制服を着た少年が現れた。

 歳は、私と同じくらいだろうか。

 整った顔と白い肌、それに艶やかな黒髪がまるで女の子みたいだが、すらりと背は高く、がっしりとした肩幅が彼が間違いなく男の子である事を示していた。そして印象的なのが、その鋭い眼光と左目の下にある傷跡だ。力の籠った眼光と左目の下の傷跡が、何とも近寄りがたい刺々しい雰囲気を作り出していた。

 その少年騎士の、まるで抜き身の刃の様な眼差しが、容赦なく私に突き刺さる。

 彼の胸元の所属階級章は、第2大隊の2尉騎士を表していた。

 私より上の階級だ。

 少年騎士は眉間にシワを寄せ、剣の柄頭に手を起きながら横目でオレットさんを睨んだ。

「……竜を見せてくれると言うから来たんだが、この子供はあんたの娘か」

 ボソッと低い声で話す少年騎士。

 子供、娘って……私の事!

 私はその失礼な物言いに、唖然としてしまう。

「セナ。こいつはフェルト・ロビック。俺の隊の下っ端だ」

 オレットさんは、しかしそのフェルトさんの言葉を無視する様に私に微笑み掛けた。

 フェルトさんの眉間のシワが深まる。

「フェルト。こちらはセナ・カーライルさんだ。第3大隊で隊務管理課付きだ」

 憮然としているフェルトさんの表情などお構いなしに、オレットさんは言葉を続ける。

「セナ。今後俺は、エーレスタを離れがちになってしまうだろう。仕事だ。そこで、俺のいない間はこのフェルトに剣の稽古をつけてもらえ」

 ニカッと微笑むオレットさん。

「……え!」

 私は絶句する。

 オレットさんの言葉が一瞬呑み込めず、首を傾げてしまった。

「やっぱりそういう魂胆か、このクソオヤジめ!」

 同時に、忌々しげにフェルトさんが吐き捨てた。

「その話は拒否しただろう。それに、任務なら俺もあんたと一緒に出撃だろ」

 フェルトさんが私を一瞥して顔をしかめた。

 私もむうっと人相の悪い少年騎士を睨み上げる。別に、私が頼んだわけじゃない。私は、オレットさんに剣を教えてもらえる様にお願いしたんだ。

 オレットさん、突然何を言い出すんだろ……。

「セナ。こいつはこの通り柄は悪いが、剣の腕は悪くない。俺がいない間、こいつの技術に触れておくのも良い経験になるだろう」

 オレットさんの言葉に、しかし私は眉をひそめたままだった。オレットさんの推薦ならその通りなのだろうけど……。

「おい、だから、その話は断った筈だ。何でガキの面倒なんか。それより俺を任務に出……」

「黙れ、フェルト」

 不満そうに声を上げるフェルトさんを、オレットさんがぎろりと睨んで黙らせた。

「お前はこの間の罰として謹慎中だろうが」

 いつもと違うオレットさんの厳しい声に、私はドキリとしてしまう。

「いいか。お前もこのセナから学ぶものがある筈だ。俺がいない間、それをきちんと見つけ出せ。剣の指導をしながらな。これは上官からの命令だ」

 オレットさんが私を一瞥してからまたフェルトさんを見た。

「こんな子供から何を……」

 フェルトさんが低く唸る様に声を発した。

 む!

「あの!」

 そこで私は、思わず声を上げてしまっていた。

 ……子供とかオレットさんの娘とか、先程から失礼だ。私にも誇るべき自分の名前がある。

「私、子供ではありません! セナ・カーライルです!」

 私はむうっとフェルトさんを見上げた。

「そうだ、フェルト。セナも立派な騎士だ。お互い高め合い、剣腕を磨くのは当然の事だろう。それにセナはもう16だ。お前と同い年だよな?」

 オレットさんが私の台詞を引き継ぎ、ニヤリと笑った。

 何だ、同い年か。

 上官という事で少し遠慮していた私は、むんと胸を張った。

「同じ……マジかよ……」

 フェルトさんが鋭い目をさらに細めて私を見た。

 私も真正面からその目を見返した。

「よろしくお願いします、フェルトくん!」

 ここは同年代としてまずこちらが優位に立つべく、私は優雅にお姉さんの笑みを浮かべた。結っていない髪がはらりと揺れる。

 フェルトくんは、顔をしかめて私から視線を逸らした。

 ……上官相手に、少し失礼だっただろうか。

 私はチラリとオレットさんを窺った。

 私と目が合うと、オレットさんはニヤリと笑って微かに頷いてくれた。

「まぁ、同じ竜騎士に憧れる若者同士、仲良くやってくれ。お兄さんからのお願いだ」

 竜騎士!

 フェルトくんも!

 私は、はっとしてフェルトくんを見た。

「お兄さんじゃなくておっさんだろ」

 小声で悪態をついたフェルトくんは、私と目が合うと眉をひそめて顔を険しくした。

「俺は別に竜騎士に憧れるみたいな子供っぽい事は……」

「照れるな、照れるな少年」

 フェルトくんがオレットさんを睨んだ。オレットさんの方は、飄々と肩をすくめるだけだ。

 息のあったやり取りだなと思う。この2人、なかなか仲が良いみたいだ。

 私は言い合いを続けるそんな2人から視線を外し、そっとルールハウトの方へと目を向けた。

 竜騎士を目指す、か。

 私にとっては、同じ夢を持つ仲間であると同時に、ライバルでもある訳だ。

 ……フェルトくんの力量はわからないけれど、私も負けずに頑張らなくては。

 私は密かにそっと拳を固めた。

 そんなこちらの状況など全く意に介さず、空色の竜は静かに目を瞑っていた。

 私は思わず微笑んでしまう。

 さすがは強者の風格だ。

 しかし不意に、その太い首がぬっと持ち上がった。見開かれた金の双眸が、私たちの背後に向けられる。

 何が……。

 私が振り返るのと同時に、ルールハウトが見つめる通路の先から複数の足音が駆け寄ってくるのが聞こえた。

 魔晶石の灯りが灯る薄暗い通路から、作業着姿の人たちが現れる。彼らは私たちに軽く会釈しながら、それぞれルールハウトのもとへ駆け寄って行った。

 ルールハウトの巨体がゆっくりと起き上がる。そこへ、作業着さんたちが鞍や手綱を手早く準備し始めた。

「何だ?」

 その様子を睨みながら、フェルトくんがぼそりと呟いた。オレットさんも、先程までとは打って変わって厳しい表情を浮かべていた。

 私も、只ならぬ様子に眉をひそめる。

 これではまるで、出撃の準備をしているみたいだ……。

 そんな私たちの背後から、再びカツリカツリと高く響く足音が聞こえて来た。続いて、ガシャリと鎧が鳴る音も響いてくる。

 私ははっとして、先程作業着さんたちが出て来た通路に目を戻した。

 その瞬間。

「あ……」

 小さく声が漏れる。

 私はびくりと身を震わせた後、そのまま固まってしまった。

 目を見開く。

 全身が震え始める。

 先程ルールハウトに再会出来た時以上の衝撃が、私の全身を貫いた。

 ドキドキと震える胸は、もう張り裂けそうな程速く激しく鳴り始めていた。

 ああ!

「随分と楽しそうだな、オレット副士長」

 透き通った氷の様に澄んだ声が、凛と響いた。

 ゆっくりと私たちに歩み寄りながら、柔らかな笑みを浮かべる鎧姿の女性。精緻な装飾彫刻の入った白銀の鎧を着こなし、青のマントを揺らしてオレットさんの前に立ったその人を、私が見間違う筈がない。

 腰まである長い黒髪がふわりと揺れる。

 ルールハウトと同じ金の瞳が、私たちを順番に捉えていく。

 私たちの前に現れたその人こそ、世界に7騎しかいない竜騎士の1人。

 10年前に私の故郷を救ってくれた人。

 そして、私の憧れる騎士さま。

 シエラ・アルハイムさまだ!

 あううう……。

 うむむむ……。

 顔が真っ赤になる。

 アルハイムさまが目の前に!

 シエラさまが、わ、わ、私の目の前に……!

 私は、小刻みに震えながら、思わずスカートの裾をギュッと握り締めた。

「先日、我が竜への面会許可を取り付けに来た時とは、些かにも態度が違いすぎるな、副士長殿」

 吸い込まれる様な漆黒の長い髪を揺らしたアルハイムさまは、悪戯っぽく可愛らしい微笑みを浮かべた。

「シエラ……」

 対してオレットさんは、面白くなさそうな表情だった。

「それよりこれは出撃準備か。出るのか」

 オレットさんがすっと目を鋭くした。同時に、アルハイムさまも笑みを消してしまう。

 ふわりと変わってしまったアルハイムさまのまとう雰囲気に、ぞくりと冷たいものが私の背を流れ落ちた。

 アルハイムさまが金の双眸をすっと細めた。

「ああ。北に向かう事になった」

 ルールハウトを一瞥したアルハイムさまは、またオレットさんを見る。

「オルギスラ帝国がアーテニア王国の国境を越えた。武力侵攻だ。ついに始まったよ」


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