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第38幕

 頭の上にアーフィリルを乗せた私は、ハインケル城脱出準備のために忙しく動き回っている人たちの間を縫って、お城の正門前広場に向かっていた。

 手には、大きなバスケットを携えている。この中には、簡素ではあるけれど、今のハインケル城において出来る限りの贅沢を尽くしたサンドイッチが入っていた。

 お城の正門前広場には、10台の大型馬車が集まっていた。

 オレットさんたちがお城の外から持ち込んだものと城内で急遽仕立て上げたものを、かき集めて来たのだ。

 グリッジの兵士さんや白花の騎士団のみんな、そして一般市民から有志で集まってくれた人たちが、その馬車の間で慌ただしく動き回りながら、その整備を行っていた。

 私が運んで来たこのバスケットには、そんな正門前広場で働くみなさんの晩ご飯が詰まっていた。このハインケル城で取る最後の食事なので、中身が少し豪華なのだ。

「みなさん、ご飯ですよ! 少し休憩して下さい!」

 私は声を上げながら、近場の資材の上にバスケットを置いた。

 重いバスケットを運んで来た私がほふっと吐いた息は、白くなってふわりと天へと舞い上がって行く。

 辺りはもう既に薄暗くなっていた。気温も随分下がって来た。

 間も無く夜がやって来る。

 太陽は、既に西の地へと沈んでいる。最後まで残ったその陽の光が、空を燃える様な茜色に染めているけれど、直ぐにそれも夜色に塗り潰されてしまうだろう。

 この馬車の準備が終われば、一応はハインケル城脱出の態勢が整う事になる。

 後は一般市民のみなさんが馬車に乗り込み、オルギスラ帝国がこのまま静かにしてくれていれば、作戦は無事成功するのだけれど……。

「かー、やっと休憩か。腹減ったな!」

「酒はあるか、嬢ちゃん!」

 陽気な濁声を上げて、グリッジの市民作業員の方々が集まって来た。

 お酒は無いですよーと答えながら、私は笑顔で作業員の皆さんにサンドイッチを配っていく。

 こうして笑っていても、お城の中の誰もがこれから起こる事に不安を抱いているのが良くわかる。だからこそ、じっとしているよりも働いていた方が気が紛れるという人たちもいるみたいだけれど。

 やはり、故郷を、グリッジを捨て逃げる事に反対している人もいた。しかし王子さまであるコンラートさまの説得もあって、今や殆どの人たちがハインケル城脱出作戦に協力してくれていた。

 ……みんなが頑張っているのに、私がじっとしている訳にはいかない。

 王さまたちとの作戦会議を終えてから城内で休ませてもらった私は、再びオレットさんやグリッジの人たちと打ち合わせを済ませると、今はこうして城内のお手伝いをして回っていた。

 オレットさんからは休んでおくようにと言われていたけれど……。

 最初私は、ハインケルを包囲する帝国軍の監視を行っていた。しかしそれはすぐに、白花の騎士団のみんなが代わってくれた。

 塔の上で帝国軍部隊がいる方をむーんと睨んでいると、風邪を引いてはいけませんからとお城の中に押し戻されてしまったのだ。

 次に荷物運びを手伝っていたけれど、物資を抱えて転びそうになった後、サリアさんからやっぱり私は休んでおくようにと言われてしまった。

 しかしそれでも私に出来る事はないかとうろうろしていると、困り顔のオレットさんから、各所への夕食の配布役を依頼されたのだ。

 重要な任務だからよろしく頼むとオレットさんにお願いされ、私はこうしてバスケットを持ってハインケル城内を回る事になった。

 一般作業員のみなさんの次に、グリッジの兵士の方々にもサンドイッチを配る。その次は、白花の騎士団のみんなだ。

「セ、セナさま、何を!」

 オレット隊の騎士さんが、サンドイッチを配る私を見て驚愕の表情を浮かべていた。

「その様な事、我々が致しますから!」

 別の騎士さんも声を上げ、私はあっという間にみんなに取り囲まれてしまった。

 私はそんな騎士のみんなを見回すと、微笑みながら静かに首を振った。

「大丈夫です。これは私がお仕事ですから!」

 みんなにはみんなの仕事があるし、食料配布こそが今の私の任務なのだ。

 兵站の確保は、作戦行動の要だ。食料の配布が重大任務である事は、オレットさんに言われなくても十分理解しているつもりだった。

 正門前広場前での配布が終わると、私は一旦城内の食堂に戻る事にした。

 その途中。

 慌ただしく人が行き交うお城の廊下で、私はばったりと長い金髪のお姫さまに出会った。

 グリッジ王国の姫君である金髪の女の子、アステナさまも、私と同じくバスケットを持っていた。

「姫さまもお手伝いですか?」

 私はにこりとアステナさまに微笑み掛けた。

 アステナさまは、少し恥ずかしそうに俯きながらこくりと頷いた。

 ……やっぱり可愛らしいな、アステナさま。

 こんな状況だというのに、自然と胸の中がぽかぽかしてしまう。

 アステナさまは、今年で12歳になられるそうだ。アステナさまのお兄さまであるコンラートさまは、私やフェルトくんの1つ上の17歳だそうだ。

「あの、私、お父さまやお兄さまが懸命に働いておられるのに、これくらいしか出来る事がないから……」

 そう言うと、困ったように微笑むアステナさま。

 やっぱり一国のお姫さまだし、しっかりしているなと思う。マリアちゃんといいアステナさまといい、私の周りには頼もしい年下の子が沢山いるものだ。

 うんうんと頷く私に対して、アステナさまは何だか私の頭の上にいるアーフィリルが気になっている様子だった。

 アーフィリルも、ぱたぱたと長い尾を振ってアステナさまを見ていた。 

 アステナさまはそこで、アーフィリルだけでなく私も一緒になって自分を見つめている事に気が付いたみたいだ。

 アステナさまの顔が、ぶわっと赤くなる。

「あ、あなたもお手伝いしているんですね。私たちに出来る事なんて多くはないけれど、が、頑張りましょうね」

 少し慌てた様にこくこくと頷くアステナさま。

 私は思わず、ふふっと微笑んでしまった。

 しかし。

 ……む。

 そこで、ふと気が付く。

 高貴な身分であり、まだ小さな女の子であるアステナさまに与えられた任務と、オレットさんが私に回してくれた任務、同じではないのだろうか……。

 つまり私は、お手伝いの戦力としてはアステナさまと同列という事なのか?

 うぬ、うぬぬ……。

 少しだけ落ち込む私を慰める様に、アーフィリルが私の頭をタシタシと踏みしめた。

 その様子を、アステナさまがほわんとした笑顔を浮かべて見つめていた。

「触ってみますか、アステナさま」

 私は気を取り直し、頭の上のアーフィリルをポンポンと撫でた。

「……よろしいのですか?」

『うむ。許可しよう』

「大丈夫みたいですよ」

 私とアステナさまは、そんな話をしながら並んで食堂に向かって歩き出した。

 ……私がオレットさんにどう見られているかとか、今はその辺りの事は気にしない様にしよう。

「羽の生えた犬なんて初めて見ました。この子、何という名前ですか?」

 アステナさまはそう問い掛けながら、私の頭の上のアーフィリルに、恐る恐るといった調子で手を伸ばした。

「アーフィリルという名前なんです」

 私はふっと笑う。

 小さなアーフィリルは、やっぱりただの子犬に見られてしまうみたいだ。

「あ。あの竜騎士のアーフィリルさまと同じお名前なんですね!」

 アステナさまが、微かに頰を赤らめて声を弾ませた。

 そういえば小さな私こそが竜騎士アーフィリルである事は、まだグリッジの国王陛下以外には説明していなかった。

「あ、えーと……」

「……竜騎士さま、かっこいいですよね!」

 きちんと名乗ろうかどうか一瞬考えてしまった私の隣で、アステナさまが何だかうっとりとした表情をしていた。

 ……うぬぬ。何だか少し、名乗りづらい。

「おお、アステナか」

 そこへ、燭台の灯りが燈るだけの薄暗い廊下の脇から、金髪の少年がひょこりと顔を出した。

 アステナさまのお兄さんのコンラートさまだ。

 コンラートさまはにこりとアステナさまに微笑み掛けた後、さっと私を見た。

「お友だちか。見掛けない子だが、騎士団の子かな?」

「お疲れさまです、コンラートさま。お城の退去に反対している方たちの説得、いかがでしたか?」

 私は僅かに眉をひそめ、コンラートさまを見上げた。

 コンラートさまは、人を説得するのが上手い。演説とかお話しが上手で、人徳か、市民の方々の人気も高いみたいだ。そこで私たちは、コンラートさまに色々な交渉事の担当をお願いしていたのだ。

 最初の作戦会議の際は、ひたすらこちらから帝国軍に攻め入る事ばかりを強硬に主張している方だったので、私はもっと武辺一辺倒の方かと思っていたのだけれど……。

「……ふむ。どうして君が、僕の仕事を知っているのかな?」

 コンラートさまが、訝しむ様に私を見た。

 ……あ、そうか。

 未だ根強くハインケル城放棄に反対している人がいる事は、王さまや私たち一部の秘密だったのだ。

 この事が広まれば、ハインケル城脱出に向かってまとまろうとしているグリッジ全体の士気に関わってしまうから。

「あう、その、えっと……」

 私は眉をひそめる。

 この事をきちんと説明するためには、まず竜騎士アーフィリルの正体から話さなくればいけない訳なのだけれど……。

「えと、私は……」

 意を決して私が事情を話そうとしたその瞬間。

 ハインケルのお城の中に、けたたましい警鐘の音が響き渡った。




 コンラートさまが勢い良く走り出す。私とアステナさまも、その後を追って走り出した。

 私はまだハインケル城の構造全部を把握している訳ではなかったけれど、コンラートさまが向かっているのが最寄りの物見の塔の屋上だという事はわかった。

 狭い石造りの螺旋階段を駆け上がる。

 外に出ると、冷たい夜の空気が、勢い良く私たちに向かって吹き付けて来た。

 頭上には、既に星空が広がっていた。背後には、ハインケル城の居館が黒いシルエットとなって建っていた。

 塔の直ぐ下には、煌々と篝火が灯された城門前広場を見て取る事が出来た。そちらにも、警鐘に驚いて飛び出して来た騎士たちの姿があった。

 その正門前広場を挟んだ向こう側にある物見の塔から、緊急事態を知らせる鐘が鳴り響いていた。

 そちらに目を向けると、塔の上に集まった兵士の方々が、大きな身振り手振りでハインケル城の正門の向こう側を指差していた。

 その先には、闇に沈むハインケルの城下町が広がっていた。

 お城のある丘から平原に向けて広がる斜面に、ずらりと沢山の建物が並んでいる。今はもう、住民の方々が避難した無人の町だ。

 その斜面の町で特に目立つのが、ハインケル城防衛の為の巨大な城壁だった。

 斜面中腹、木々と家々の間に見えるのが内壁、町の最外縁に広がる大きな城壁の方が、外壁と呼ばれていた。

 今。

 その外壁から、火の手が上がっていた。

 今晩はまだ、お月さまの姿は見えない。しかし、外壁の、町の入り口がある外門の辺りに広がる炎が、その周辺に幾つも立ち上る黒煙を照らし出していた。

 ドンっとお腹に響く重々しい衝撃音が聞こえて来る。それに合わせて、新たな火の手と煙が立ち上った。

 ……あれは、破城用の大型大砲の砲撃だ。

 この状況は……。

 私は、ぎゅっと握り締めた手に力を込めた。

「……外門が襲撃されてる。帝国軍が攻めて来たんだ」

 私は、低い声でぼそりと呟いた。

 それを聞いたコンラート、アステナさま兄妹が、ぎくりと体を強張らせるのがわかった。

「コンラートさま。帝国軍から何か通知はありましたか?」

 心なしか青ざめた顔をしたコンラートさまが、小さく首を振った。アステナさまは、そのお兄さまにぎゅっと抱き付いていた。

 ここに来て帝国軍が直接的な行動に出たのは、昨夜の私の奇襲攻撃や白花の騎士団の進出を受けてグリッジ側が勢い付き、何らかの抵抗に出るのを阻止するためだと思われる。まずは、グリッジの頭を押さえておこうという目論見があるのだろう。

 帝国軍がその様に動く可能性については、オレットさんとも話していた。でも私たちは、ハインケル城脱出作戦開始の方が何とか先行出来ると踏んでいたのだけれど……。

 ……帝国軍の動き、思ったより早い。

 昨晩の私の襲撃で、少なくない損害は与えたと思っていたのだけれど。

「帝国軍が……。そうだ! 竜騎士殿に、アーフィリル殿に知らせなければ!」

 コンラートさまが、はっとした様に声を上げた。

 私は燃える外門を見ながら、こくりと小さく頷いた。

 グリッジの市民の方々を乗せた馬車隊がハインケルを脱出するには、お城から出た後、少しの間だけ街中を走らなければならない。

 馬車隊が通行するのは、内壁の内側だ。通行の安全を確保するためにも、最低でも内壁以内に敵を入れるわけにはいかない。

 このままでは外壁は突破されてしまうだろうが、内壁には敵を近付けたくない。

 お城脱出作戦開始までは、城内に籠っているつもりだったけれど……。

 私は頭の上のアーフィリルを抱き上げると、一歩前へと進み出た。

「君……」

 コンラートさまが訝しげな声を上げる。

 私はそちらを一瞥してから、アーフィリルをぎゅっと抱き締めた。

「お願い、アーフィリル……!」

『承知』

 私のお願いに、アーフィリルが力強く答えてくれた次の瞬間。

 私は、白い光に包まれた。

 胸の奥に、ふっと宿ったアーフィリルの存在を感じる。

 そのアーフィリルを中心にして、膨大な量の魔素が私の中へと流れ込んで来る。

 体が熱い。

 私という存在が、より強大な何かに呑み込まれていく。

 しかし同時に、その魔素の1つ1つが私を構成する力となってこの体に染み込んでいくのがわかった。

 手足がすらりと伸びて、胸が大きくなる。体型が変わるのと同時に、吸収し切れなかった余剰魔素を放出する髪が白く輝き、大きくはためいた。

 白のドレスや籠手、ブーツなどか、アーフィリルの制御により一瞬にして構築されていく。

 目を閉じてすうっと大きく深呼吸した私は、改めてキッと前方を睨みつけた。

 白の光が終息すると、大人状態となった私はカツリと踵を鳴らして、塔の石床の上に降り立った。

 ふわりと広がっていた白のドレスや淡く輝く髪が、ゆっくりと落ち着いていく。

「なっ……」

 コンラート王子が、呆然と私を見つめていた。アステナも目を見開いたまま、固まってしまっている。

 こちらを凝視する兄妹はとりあえず放置して、私は帝国軍に襲撃されている外門へと目を向けた。

 すっと目を細める。

 襲撃して来ている帝国軍の数は、さほど多くなさそうだ。あくまでも、この襲撃は牽制という事なのだろう。

 牽制だけで終わる筈もない事は、誰の目にも明白ではあると思うけれど。

 私は、目だけでコンラートを見た。

「外門の守備兵は私が救出する。王子は、引き続き脱出の準備を」

 私を見つめたままのコンラートは、数瞬の間の後、こくりと頷いた。

 私はふっと微笑む。そして、塔の縁へと歩みを進めた。

 そのまま、私は空中に向かって一歩を踏み出した。

「アーフィリル殿!」

「きゃ!」

 コンラートとアステナが悲壮な声を上げるが、もちろん私はこの程度の塔から飛び降りたところでどうという事はない。

 私はそのまま落下の勢いを制御して、ふわりと正門前広場に降り立った。

「うおっ!」

「なんだっ!」

「て、敵襲か!」

 周囲の一般市民たちやグリッジ兵たちが、突然降って現れた私に騒然となる。中には、私に向かって槍を構える兵士までいた。

 そちらを一瞥してから、私はさっと城門に向かって歩き出した。

 既にハインケル城の城門には、完全武装状態のオレット以下白花の騎士団先遣部隊が整列していた。

 さすが、優秀な騎士たちだ。対応が早い。

 オレットを筆頭に、皆が一斉に私に向かって敬礼する。

 私も、さっと答礼した。

 騎士団の皆の動きに圧倒されたのか、グリッジの兵たちが呻き声を上げて後ずさり、慌てふためいていた一般人たちが動きを止めてこちらを凝視する。

「セナ。外門が攻撃を受けている。どうする」

 オレットが鋭い目で私を見た。

「少数で出て、まずは外門のグリッジ部隊を救出する。その後はハインケルの城下に入った敵部隊を殱滅し、内壁以内の防衛に務める」

 私の作戦指示を聞いたオレットが、にやりと不敵な笑みを浮かべた。

「後詰めはオレットに任せる。グリッジ側にも通達を」

 私はそう付け加えながら、横目でオレットを見た。

 オレットがこくりと頷く。そして騎士たちに向き直ると、さっと私の前に進み出た。

「セナには5人着いていけ! サリア、フェルト、ロイド、カーシャ、エドガー!」

 名前を呼ばれた騎士たちが一歩前へと出た。いずれもエーレスタ以来共に戦って来た、騎士団の中でも手練れの者たちだ。

「派手にやりすぎるなよ。城内に白花の騎士団がいる事を知られるには、まだ早い」

「「了解!」」

 オレットさんの指示に、5人の騎士たちか声を合わせる。

「他は、内門の守備に加わる。作戦開始時間まで、脱出経路を死守しろ!」

「「了解!」」

 残りの騎士たちもキッと表情を引き締め、気合いの声を上げた。

 私はゆっくりと皆を見回した。

「よし、では行くぞ」

 私は静かにそう告げると、ドレスの裾を揺らして歩き始めた。

 騎士たちがさっと左右に分かれて、道を作ってくれる。

「開門!」

 サリアの合図で、ハインケル城の正門が重々しい軋みを上げてゆっくりと開きはじめた。

 門の向こう、私たちの目の前には、人気のない、住人が退避した後の廃虚の様な町が広がっていた。闇に沈んだ人のいない町には、ある種の禍々しささえ漂っている様な気がした。

 丘の下からハインケルの町を超え、冷たい風が吹き上がって来る。その夜風に、白のドレスの裾が大きくはためいた。

 風に乗って、ものの焼ける戦場の匂いが漂って来る。

「吶喊する。続け」

 私は前を向いたまま背後に控えるサリアたちにそう告げると、脚に魔素を込めてタンッと地面を蹴った。

 ふわりと体が飛び上がる。一気に視界が広がった。

 前方下方に火の手と、それに照らされた発砲煙が吹き上がる外門が見えた。

 落下に転じる。

 私を包み込む風切り音の中に、微かに砲声が混じる。

 敵が砲撃を続けているという事は、まだ生き残っている味方兵がいるという事だ。

 私はドレスの裾を広げて、タンッと近くの民家の屋根に降り立った。

 ちらりと後方を見る。

 既にハインケル城の強大な城郭は、後方に離れて完全に影絵の様になっていた。

 そちらから、私を追い掛ける様に複数の人影が建物の屋根を伝ってくるのが見えた。

 フェルトたちだ。

 戦技スキルで跳躍力を強化し、私に追随しているのだ。

 彼らなら、私が少々足を速めてもついて来られるだろう。

 私は再び跳躍し、内壁まで辿り付く。そこからさらに、丘の麓を目指して跳躍する。

 足元に広がるハインケルの町並みは、狭く複雑に入り組んでいた。これでは土地勘のない者にとっては、下を行くのは骨の折れる作業となるだろう。

 この町の構造も、恐らくはハインケル城を守る為の仕組みの1つなのだ。

 私とフェルトたちは、屋根を駆け、斜面を下ってハインケルの町の外周を巡る城壁を目指した。

 現場は、直ぐに見えて来た。

 私たちが辿り着いた時には、既に外門は突破されてしまっていた。

 城門は無残にも破壊され、付近の城壁までもが打ち崩されていた。その破口からは、わらわらと帝国軍兵士が進入して来ており、さらには砲撃型の機獣も姿を見せていた。

 襲撃を伝える鐘音が響いてからさほど時間を掛けたつもりはなかったのだが、こうも容易く門が突破されてしまうとは。

 私は前方に広がる光景に、ぎゅっと唇を噛み締めた。

 帝国兵たちが、容赦なく銃撃を加えている。

 その先には、逃げ惑うグリッジ兵たちの姿があった。

 グリッジの兵士たちは、エーレスタ兵の様に自在に戦技スキルを使える訳ではない。そのため、一方的に帝国軍の火力に蹂躙されてしまっていた。

 私は戦域の中心に向かって最後の跳躍をしながら、目を細める。そして素早く、後続のフェルトたちにハンドシグナルを送った。

 風を切り、黒煙を裂いて、私はグリッジ部隊と帝国軍の中間に降り立った。

 着地姿勢から身を起こし、ゆっくりと帝国軍に視線を向ける私に、容赦なく銃弾が襲い来る。

 圧倒的な火力で優位に立つ帝国軍は、突然現れた私など気にかけず、諸共全てを踏み潰すつもりなのだ。

 さらに新手の銃歩兵隊が現れる。その部隊も、私とグリッジ兵に銃口を向けた。

 敵兵の口元に、嘲笑が浮かんでいるのが見えた。

 私は、すっと手を掲げる。

 その手の中に、白の長剣を生み出す。

 帝国兵が発砲する。

 同時に私の背後、逃げ惑うグリッジ兵たちの前に、騎士エドガーとカーシャが着地した。

「障壁!」

「ふんっ!」

 エドガーらが戦技スキルの障壁を展開する。

 帝国軍の銃撃は、いとも容易く2人の障壁に弾かれた。

 戸惑う帝国兵。

 戦技スキルが使用する可能性が低いグリッジ軍を相手にしていたからだろう、この戦域には、魔素撹乱幕は展開されていなかった。

 続いて敵集団の左右に、ざっとフェルトとサリアが降り立った。

 次の瞬間。

「うおおおおっ!」

 裂帛の気合いを入れ、フェルトが魔刃剣を振り上げた。

「やあああっ!」

 戦技スキル発動の光を走らせながら、サリアも敵集団へと飛び込んだ。

 私も2人に続く。

 地を蹴り、瞬時に砲撃型機獣の懐に飛び込む。

 視界の隅で、エドガーとカーシャに守られながらグリッジ兵たちが後退していくのが見えた。

 崩れた城門前に立ちはだかった私とフェルト、サリアは、剣を振るい、駆け回って、なだれ込んで来る帝国軍を塞きとめる。

 私は至近距離で砲撃体勢に入った機獣の脚を斬り飛ばすと、擱座した巨体に白の刃を振り下ろした。

「セナさま! 敵が退きます!」

 サリアが、敵歩兵をなぎ倒しながら叫んだ。

 思わぬこちらの抵抗に、一旦態勢を立て直す様だ。

 しかし。

 そう好き勝手にさせるものか。

「逃すな。殲滅する!」

 私は目を細め、周囲の敵をさっと確認しながら、敵騎士を斬り倒した。さらに踏み込み、呆然としている敵銃歩兵へも剣を振り下ろす。

 至近距離から放たれた銃弾が、私の顔の直ぐ側で障壁に弾かれた。私は地を蹴ってその銃弾を放った敵集団へと飛び込んだ。

 混乱と悲鳴が支配する混沌とした外門周辺が、さらに地獄絵図へと変わっていく。ただし蹂躙されている側は、グリッジから帝国軍へと移り変わっていた。

 戦技スキルを駆使するエーレスタの騎士は強い。

 フェルトとサリアも、瞬く間に敵を駆逐していく。

 外壁を突破しま帝国軍の数は、それほど多くなかった。

 さほど時間もかからずに帝国軍の侵攻部隊を撃破した私たちは、放置された破城用大砲などを破壊し、一度内門まで退く事にした。

 味方の撤退支援は成功したけど、外門は既に修復不可能な程破壊されている。この場所で防衛戦を行う事は、最早不可能だった。

 内門まで戻った私たちは、白花の騎士団の仲間たちに労いの言葉と共に迎え入れられた。しかしそれ以上に、グリッジの将兵からは大歓声が巻き上がっていた。

「おおおおおお!」

「すげぇ、帝国軍を倒したのかっ!」

「何と、凄まじいな!」

「行ける! これなら、俺たち行けるぞ!」」

 まるで、帝国軍を殲滅してしまったかの様な大騒ぎだ。

 歓喜に震えながら私たちを取り囲むグリッジの将兵たち。その中から、鎧を身に付けたコンラートが駆け寄って来た。

「さすがだ、白花の竜騎士殿! あの帝国軍を倒してしまうなんて、さすがだっ!」

 私の手を取り、ぶんぶんと振るコンラート王子。

「おいっ!」

 険しい顔をしたフェルトが、そのコンラートの肩に手を掛けた。

 返り血を浴びたまま顔をしかめて凄むフェルトは、なかなかの凶相だった。小さい私なら、思わず悲鳴を上げてしまったかもしれない。

 そのフェルトを、サリアが止める。

 思わず既視感を覚え、私はふっと微笑みながら僅かに首を傾げた。

 その瞬間。

 再び、けたたましく警鐘が鳴り響いた。

「て、敵襲っ!」

 見張りについていたグリッジ兵が、引きつった声を上げた。

「そうだろうな」

 私は低い声で呟くと、コンラートの手を解き、踵を返した。

 先程殲滅した帝国軍部隊は、恐らく敵部隊の一部にしか過ぎない。1当てして、グリッジの出方を見るための先遣隊だったのだろう。その隊がやられれば、本隊が乗り込んで来るのは当然の事だ。

 困惑しているグリッジ側とは対照的に、フェルトたち白花の騎士団の騎士たちは、既に戦闘態勢を整えていた。

「ここを通す訳にはいかない。迎撃する。各員、剣を構えろ!」

 私は声を上げると同時に、掲げた手の中に白の長剣を生み出した。




 帝国軍は、黒い波となって内門まで押し寄せて来た。その数は、先程の先遣隊とは比べ物にならなかった。

 唯一幸いだったのが、ハインケルの城下町の通りが複雑で狭く、かつ内門に至るまでずっとなかなかの勾配の登り坂だった為に、外門の時の様に大型の火砲が入ってこれなかった事だ。

 そのおかげで、内門や内壁が直ちに打ち破られる様な事にはならなかった。

 帝国軍のあの戦力なら、本来なら長射程の大砲で平原から直接遠距離砲撃を加え、ハインケル城に砲弾の雨を降らせる事も可能だっただろう。

 しかし幸いかな、その様な砲撃は散発的に行われるだけだった。

 直撃弾は私が斬り捨て、同時着弾しそうな砲弾も、オレットたちが力を合わせて展開した戦技スキルで防ぐ事が出来た。

 敵が物量に任せた一斉砲撃を行なって来ないのは、そうした大威力の長射程砲は、部隊の護衛戦力として温存しなければならなかった為だと推測される。

 つまりは、いつ再び上空から飛来するかもしれない竜騎士を、私を警戒しているのだ。

 昨晩あれだけ引っ掻き回し、竜の姿を晒しておいたのだから、帝国軍としてもそうせざるを得ない筈だ。それに加え、西方に陣取ったまま動かない白花の騎士団の本隊も警戒しておかなければならないだろうし。

 まさに、作戦開始前にグレイが言っていた通りの状況になった訳だ。

 これでハインケル脱出の際も、一般人たちに向く砲の数をいくらかは減らせた筈だ。まさに、グレイの目論見通りだ。

 しかし私が派手に動き回った事により、帝国軍のハインケル攻撃が始まってしまった事は、悪い方向に事態が加速してしまったと言えるだろう。

 内門に迫ったオルギスラ帝国軍の部隊は、攻撃開始前に降伏を呼び掛ける使者を送って来た。

 再三に渡り降伏勧告を行ない慈悲を掛けて来たが、その我々オルギスラ帝国に対して、グリッジ王国の態度は不遜極まりない。この最後の降伏勧告に従わない場合は、全面攻撃を開始する、と使者である帝国騎士は居丈高に告げて来た。

 影でそれを聞いていた私は、思わずふっと笑ってしまった。

 今更降伏勧告とは笑わせる。

 何の通告もなく外門を破壊しておいて、よくその様な事が言えたものだ。

 帝国軍が、白花の騎士団本隊が動く前にグリッジを呑み込むつもりなのは、明白だった。

 もちろんグリッジ王は、グリッジは帝国軍などには屈さぬと宣言し、使者を追い返した。

 王の態度は、巨大な力を前にして小勢が虚勢を張っているだけに見えたかもしれない。現に使者の帝国騎士は、グリッジ王を蔑む様な目で見てから謁見の場を出て行った。

 しかしグリッジ王には、私たち白花の騎士団が付いている。

 そう簡単にやらせはしない。

 使者の帰還を見送った後、私はオレットたちに警戒を強める様に指示を出した。そしてそれから程無くして、帝国軍の本格的な攻勢が始まった。

 重火砲がないといえども、帝国軍の攻撃は熾烈を極めた。

 激しい銃撃が次々と内壁の石壁を削り取っていく。障壁の使えない者は、障害物から顔を出す事すら難しかった。

 グリッジ兵たちが反撃出来ないでいる間に、内壁や内門に肉薄した敵兵が爆弾を仕掛ける。

 長い内壁のあちこちで同時多発的に爆発が起こると、内壁全体が震えた。いつの間にか月が顔を覗かせていた夜空を、さらに暗い黒煙が覆ってしまった。

 もちろん強固に作られた城壁は、それぐらいで簡単には崩れたりはしなかった。しかし、着実にダメージを負っているのは確実だった。

 私は白い髪をひるがえして、高速で城壁の上を走り回っていた。

 銃撃に釘付けになっている味方の隙を突いて城壁内に浸入しようとしている敵の迎撃に回っているのだ。

 斬り捨てた敵が、城壁の向こうに落下していく。既に内壁の向こう側には無数の火の手が上がり、夜闇の中にハインケルの城下町が赤く浮かび上がっていた。

 内壁は、外壁に比べれば規模は小さい。しかし数的に、グリッジ軍と私たち白花騎士団先遣隊だけでは、全てをカバーする事は難しかった。

 オレットやフェルトたちが敵の肉薄攻撃を防ぐ為に城門を超え、帝国軍陣中へ斬り込む。

 戦技スキルで銃弾を弾きながら縦横無尽に敵の渦中を駆け抜けるオレットたちエーレスタの騎士は、まさに無双の活躍を見せていた。

 縮地で加速し、雷撃剣やスラッシュで一気に敵を薙ぎ倒す。魔刃剣の青い刃をひるがえし、敵の重装甲兵を一刀のもとに斬り捨てる。

 その戦いぶりに、鎧を着込んだコンラートは驚嘆の声を上げていた。

「これが、戦技スキルを駆使するエーレスタの騎士の力か……」

 城門の上からじっとオレットたちの戦いぶりを見つめるコンラートの隣に戻って来た私は、ふっと白の長剣を消すと、代わりに弓と輝く光の矢を生み出した。

 コンラートがギョッとした様に私を見る。

 私は無言で矢を構えると、矢をつがえた。そして狙いをつけ、放つ。

 白く輝く矢は、今まさにサリアたちの背後から突撃を仕掛けようとしていた牡牛の機獣を貫いた。

 サリアがハッとした様に背後を見てから、私の方を見上げた。

 私はフェルトやオレットたちも援護すべく、次々と矢を放った。

 ここ内門まで上がって来る幅広の通りを発出来たのか、時間が経つにつれて帝国軍の中には機獣の姿が混じり始めていた。

 あれの相手は、私がしなくてはならないだろう。

「コンラート。脱出作戦が早まる可能性がある。馬車隊はいつでも動ける様にしておけ」

 私は再び弓から剣に持ち替えながら、コンラートを横目で見た。

 グレイたちが現在のハインケルの様子を察知すれば、作戦開始を前倒しする可能性がある。そうなれば、私たちはそのタイミングを逃さず、一般市民やグリッジの者たちを逃さなくてはならない。

 一瞬でも判断を誤れば、罪のない人らが銃火に倒れる。

 それだけは、何としても避けなければならない。

「り、了解したが、竜騎士アーフィリル、君は……」

 心配そうに顔を曇らせるコンラートに対して、私はふっと微笑んで見せた。

「少しばかり皆と交代して来る。すまないが、我が騎士団の者たちへの補給もよろしく頼む」

 私はそう告げると、帝国軍でひしめく内門の外へと身を躍らせた。

 敵の数が多い。

 倒しても倒しても、次から次へと敵の増援が現れる。

 幸いにも敵は魔素撹乱幕を使用して来なかったため、戦闘自体はこちら側優位に進める事が出来た。しかし、オレットたちの戦技スキルにも使用限界がある。

 内門防衛戦開始から数時間が経過した時点で、オレットたち白花の騎士団の騎士たちも、かなり疲労の色が濃くなっていた。

 内門の内側は、負傷者と休憩を取る騎士たちで溢れていた。その誰もが、尽きる事のない帝国軍の戦力に絶望的な表情を浮かべていた。

 何とかこの戦局を打開する方法はないのだろうか。

 私が斬り込んで囮となれば、敵をハインケルから引き離す事が出来るだろうか。

『セナ。連続した力の行使は、体に掛かる負担が大きい。自重せよ』

 重装騎士隊を一旦退けた私の胸の中に、アーフィリルの声が響く。

 やはりアーフィリルは、優しい子だ。私の体の事を心配をしてくれても、無理矢理私を止めたりはしない。戦わなければならないという私の意志を、尊重してくれているのだ。

「私は大丈夫だよ」

 アーフィリルにそう告げた途端。

「セナ! 内門に機獣が迫っている! 迎撃頼む!」

 片手に魔刃剣を持ち、片手で槍を構えて敵銃歩兵と対していたオレットが声を張り上げた。

 私はくっと顔をしかめると、身をひるがえして2体の機獣に向かって駆けだした。

「まだ来るかっ!」

 内門は度重なる帝国軍の突撃を受けて、既にボロボロだった。これ以上やらせる訳にはいかない。

 機獣の迎撃に向かう私に、新手の騎兵隊が迫って来る。

 その敵部隊の頭上から、矢が降り注いだ。

 ちらりと城壁の上に目をやると、グリッジ王が直接指揮する弓兵隊が援護射撃を行なってくれていた。

 そこから私たちは、さらに帝国軍の2波に渡る攻勢を何とか防ぎ切った。

 敵が一旦引いた僅かな時間を利用して、私たちは城壁の内側に引き上げると素早く休息と補給を取る。

 さっと周囲を見回すと、あのオレットやフェルトですら座り込み、肩で息をしている状態だった。サリアやカーシャなど女性騎士たちは、いよいよ険しい表情いなっていた。

 さらに負傷者も増えるばかりだ。もちろん、既に力尽きた者も多い。

 私は汗で張り付いた白い髪をさっと掻き上げると、夜空を見上げて深く息を吐いた。

 白くなった息が吸い込まれて行く先では、大きな月が、地上の惨状とは対照的に淡く優しく輝いていた。

 目を細め睨むようにして、私はその月をじっと見つめる。そして、剣を握る手にぎゅっと力を込めたその時。

「連絡信号……確認! アーフィリルさま!」

 見張りに就いていた騎士ロイドが、城壁の上から声を上げた。

 私はすかさず跳躍して、ロイドがいる場所まで飛び上がる。

 果たして西の空に、暗く沈む大地から幾く条かの光が打ち上げられているのが見えた。

「こちらの戦いに気が付いたか、グレイ」

 私はそう呟くと、ふっと微笑んだ。そして、騎士ロイドを見る。

「白花の騎士団本隊が動いた。これより我々は、西門外の安全を確認し次第、ハインケル脱出作戦を開始する。各所に連絡を」

 こくりと頷いて、素早く走り去るロイド。

 私もふわりと城壁から身を踊らせると、グリッジ王やオレットたちのもとへと向かった。




 内壁の内側から直接ハインケルの町の外に出る事が出来る西門には、一般人を満載した馬車と私たち護衛役の白花の騎士団先遣隊、そしてグリッジ王麾下のグリッジ王国軍が集結していた。

 篝火に照らし出される皆の顔は、疲労と緊張感に満ちていた。

 一度西門から出てしまえば、引き返す事が出来ない。まさにここからが正念場なのだ。

「ハインケル西部に展開していた敵部隊、離れて行きます! その後ろ、白花の騎士団確認! 2部隊に分かれて南進中!」

「南から敵の大集団! 騎士団本隊と会敵する模様!」

「敵長距離砲撃確認! 凄い数です!」

 門の上から状況の確認に当たっていた騎士たちから、次々と報告の声を上げる。

 夜空に輝く眩い月のおかげで、私たちは何とか周囲で起きている状況を掴む事が出来た。

 やはりグレイは、こちらの状況を察知して予定時間よりもかなり前倒しで部隊を動かした様だ。それに釣られて、私たちの脱出進路上に展開していたオルギスラ帝国軍が移動を開始した。

 このままハインケルに対していては、後背から白花の騎士団に襲撃され可能性が出て来たからだ。

 ここまでは、こちらの目論見通りと言える。

 しかしグレイたちの本隊がこちらの馬車隊の進路を完全制圧する前に、白花の騎士団を迎撃する為の敵大部隊が現れた。

 これは、私たちの想定よりもかなり早い反応だ。

 これでは騎士団と帝国部隊がぶつかる主戦域が、ハインケルのかなり近くになってしまう。下手をすれば、馬車隊が戦闘に巻き込まれる恐れも出て来てしまった。

「帝国軍は、騎士団の動きを読んでいた……いや、堅実に備えていたというところか。手堅い部隊運用の積み重ね、厄介だな。まぁ。どっちにしろ行くしかないんだろうが」

 汗と返り血で汚れたオレットが、それでもいつもの通りの不敵な笑みを浮かべる。

 オレット以下白花の騎士団の各員が私を見つめる目には、強い光を宿っていた。疲れ切り、ボロボロになっていても、皆まだ諦めている者など1人もいないのだ。

 これが、私の尊敬する騎士たちの姿だ。

 窮地にあっても諦めない心。巨大な敵を前にしても怯まない強い心。そして守るべきものの為に、命を懸けられるその勇ましい心。

 私もその様な騎士になりたいと、剣を手に取ったのだ。

 私が力を込めて頷き、脱出部隊の出発を告げようとしたその時。

「て、帝国軍の大部隊だっ! 機械の獣も沢山いる! も、門が! 内門がもたない!」

 今度は背後から、グリッジ兵の悲痛な報告が響いて来た。

 くっ。

 私はギリッと歯を噛み締めた。

 間に合わないか。

 ここで内門が破られれば、私たちは町の内側と外側から挟み撃ちにされる事になる。ここで背後を取られる訳にはいかない。

 ならば。

「ここは、私が行こう」

 私は、低い声でそう告げた。

 オレットが何も言わず、無精髭の生えた顎をさすった。

 フェルトは、魔刃剣を握り締めてゆっくりと私の方へと進み出てくる。あの顔は、私と一緒に残ると言い出すつもりなのだろう。

 コンラート王子も、何か言いたげに口をパクパクさせている。

 私はそんな皆を見回すと、白のドレスの裾をひるがえし一歩踏み出した。

 しかし。

「ならぬ」

 不意に、重々しい声が響き渡る。

 そちらを見ると、2人の老騎士を従えたグリッジ王が私たちのもとへ近づいて来るところだった。

「殿は私が努めよう。竜騎士殿には、我が民と我が子らを守っていただきたい」

 低い声でそう告げるグリッジ王。

 私は僅かに目を見開き、深く皺の刻まれた王の顔を凝視する。

 ハインケル城に到着した直後、王と交わした言葉を思い出す。

 オルギスラ帝国軍に国を侵された事を悔いていたグリッジ王は、しかし最後には自分にもまだ出来る事があると言ってくれた。

 今の王の顔には、その時と同じ決意の表情が浮かんでいた。

『ふむ』

 胸の中で、アーフィリルが興味深げに呟いた。

 しかし、戦技スキルを使えない王やグリッジの騎士に、帝国軍に抗う力があるとは思えない。

「父上!」

 コンラートが声を上げる。

「……この町を知り尽くした我らなら、例え門が突破されたとしても、戦い様はある。父祖が作り上げた複雑な街並みが、我らに利するだろう。私は簡単にはやられぬ。彼奴らに一矢報いて見せるわ」

 鋭い眼光を湛えた目でコンラートを見つめるグリッジ王。

「我が息子よ。ここから先は、アステナとグリッジの事、お前に託したい。グリッジの王族として皆を守れ」

 コンラートがはっと息を呑むのがわかった。

 王からは、自暴自棄な雰囲気は感じられなかった。それどころか、他者を有無を言わせず従えるだけの覇気が滲み出ていた。

 これが、王か。

 私は自然と、そんな感想を思い抱いていた。

「内門、もう持ちません!」

「セナ!」

 私はギリっと奥歯を噛み締めた。

「くっ、西門開け! 西門解放後、各馬車は全速で北西を目指せ! 味方との合流が最優先だ!」

 私はグリッジ王を睨みながら声を張り上げた。

 グリッジ王が微かに微笑むと小さく頷いた。

 私の背後で、ハインケルの西門が軋みをあげながら開き始める。

「コンラート。お前と民がおれば、我が望みが潰える事はない。頼んだぞ、我が子よ」

「……父上!」

 グリッジ王が私を見る。そして力を込めて、もう一度ゆっくりと頷いた。

「竜騎士アーフィリル殿。まだ幼い貴公にこの様な荷を背負わせるのは、サン・ラブールに名を連ねる王として、いや、1人の大人として大変申し訳ないと思う。しかし、竜騎士だからではなく、貴公だからこそ、託したい」

 私は、真っ直ぐにグリッジ王を見つ返した。

「平和で穏やかな日々を、再び取り戻して欲しい。サン・ラブールに勝利を。貴公は、我らの希望だ」

 そう告げると、穏やかな目で私を見るグリッジ王。

 私も、じっとその王の顔を見返した。

 そして、こくりと頷く。

 小さな私ならば、ここで泣きじゃくってでも王を引き止めていただろう。自分も残ると声を上げただろう。

 しかし、それでは一般人たちが乗る馬車を危険に晒す事になる。別の帝国部隊がこの西門に回り込んで来る可能性がある以上、馬車隊の護衛は1人でも多いほうが良いに決まっている。

 今の私には、グリッジ王の告げる方法がこの場では正しいという事が理解出来る。

 だから、王の案を否定する事は出来ない。

 その覚悟を、否定する事が出来ないのだ。

 だが。

 納得は出来ない。

 私は、王や騎士たちを含めたグリッジの人々を助ける為にこの地に来たのだから。

 ギュッと痛みを感じる程に、剣を握る手に力を込める。

 竜騎士だ、白花の騎士団団長だともてはやされておいて、結局はこの体たらくか。これ程巨大なアーフィリルの力を借りておきながら、結局全てを守る事は出来ないのか。

 くっ。

 怒りが膨れ上がる。

「馬車隊、出ろ! 白花の騎士団! 周辺警戒を厳に! いつでも障壁を展開出来る様にしておけ! 敵は遠くからでも狙い撃ちしてくるぞ!」

 オレットが声を張り上げる。

 馬車隊と騎乗した騎士たちが、次々とハインケルの東門をくぐり始める。

「グリッジの王よ。この場は任せた。しかし私は、必ず貴方を助けに戻る。その時まで持ち堪えてくれ」

 私はグリッジ王を睨む様にそう告げると、さっと踵を返した。

 グリッジ王はふっと笑いながら、しかし小さく頷いていた。

 馬車隊を守りきり、グレイらに引き継いだ後、直ぐにハインケルへと引き返す。そして王たちを救出するのだ。今の私に出来る事は、それしかない。

 その為には、迅速に、的確に動かなくてはならない。

 私はオレットたちの様には騎乗せずに、魔素を込めた自分の足で夜の平原を走り始めた。

 白花の騎士団本隊からも、こちらを迎えるための部隊は出ている筈だ。

 まずは、それと合流出しなければ。

 砲声が轟く。

 爆発音が響き渡る。

 それが、背後のハインケルの町から聞こえて来るものなのか、南東の白花の騎士団と帝国軍部隊が激突する主戦場から聞こえて来る音なのかは、咄嗟には判別出来なかった。

 戦場は、私たちを取り囲むよう様に広く展開されている。

 もはやどこから帝国軍の部隊が現れてもおかしくない状況だった。

 夜の街道を、馬車群が猛烈な勢いで進んで行く。

 周囲には馬車の車輪が高速で回転する音と馬の嘶き、御者役のグリッジ兵が鞭を入れる声と騎兵部隊の馬蹄の音が響き渡っていた。

 白のドレスをひるがえして駆ける私には、それに加えて自分の呼吸音がやたらと大きく響いている様な気がしていた。

『魔素の受容量が急速に増している。セナ、心を落ち着けた方がいい』

 輝く白の髪を振り乱し、馬車と並走する私の胸の中に、アーフィリルの声が響いた。

 確かに、体が熱い。

 しかし。

 今の状況でこの胸の震えを止めろというのは、難しい。

「問題はない、アーフィリル。このまま行く」

 私は短く呼吸を繰り返しながら、アーフィリルにそう答えた。

 その次の瞬間。

「南を移動する部隊を確認!」

「所属不明!」

「かなりの数です!」

 先行して周辺偵察を行なっていた騎士が、馬車隊に馬を寄せながら声を上げた。

 誰かが、味方が来てくれたかと声を上げる。

 しかし私は、報告の詳細を聞く前に馬車隊から離脱し、走り出していた。

「セナ!」

 オレットの声が聞こえる。

「敵だ! 防御態勢!」

 私は振り返り、そう叫ぶ。

「見つかったか。早かったな」

 私は前方を睨みつけながら吐き捨てる様にそう呟くと、原野を駆け抜ける脚にさらなる魔素を込めた。

 南から来たのなら、間違いなく帝国軍だ。

 直ぐに丘の向こうに、土煙を上げて迫ってくる騎兵隊が見えた。

 夜目が効く私には、その背後に巨大な金属の牡牛が続いているのが見て取れた。

 機獣だ。

 やはり帝国軍か。

 ならば、これ以上馬車隊に近づける訳にはいかない!

「はっ!」

 軽く跳躍した私は、周囲に白の光球を展開する。

 同時に5発。

 膨れ上がる魔素。

 溢れ出たエネルギーが、スパークとなって夜の大気に弾けた。

 先制攻撃だ。

 ハインケルの町中と違い、もう遠慮なく戦っても構わない。私の位置が敵に知られても構わない。むしろここに白花の竜騎士がいると知れた方が、帝国軍も迂闊に仕掛けて来られなくなるかもしれない。

「全力で行くぞ、アーフィリル!」

 私は叫ぶと同時に光球を放った。

 吸い込まれる様に敵群に向かった白の光球が炸裂する。夜の原野に、白の爆光が広がる。

 別の方向から発砲音が聞こえる。

 ざっと着地した私は、地面に手を着いて無理やりに体の方向を変えた。

 馬車隊の後方から、無数の発砲炎が瞬くのが見えた。

 街道に、次々と砲弾が着弾する。すかさず防御陣形を展開したオレットたちによって、直撃弾はなかった様だ。

 いつの間に後方に!

 私は両手に生み出した白の長剣を握り締めながら、馬車隊に向かって走り出した。

 敵がいた!

 南西の丘の上に、砲撃型機獣がずらりと並んで砲を構えている姿が見えた。

「やらせるものかっ!」

 私は馬車隊をかすめる様にして南西へと進路を向けながら、再び白の光球を放つ。

 手加減も威力調整をする暇はない。ただひたすらに早く、正確に敵を打ち滅ぼすだけだ。

「南、9時の方向に敵集団!」

「砲撃来たぞ! 防げ!」

「右にも何か……」

 私は右へ左へ縦横無尽に戦場を駆け回る。

 光球を放ち、剣で騎兵を切り捨て、矢で機獣を貫いた。

 上空から小型の白球を無数に打ち込み、敵部隊ごとごっそりと大地を吹き飛ばす。地を蹴り、高速で敵集団に突っ込むと、両手の剣で周囲の敵をまとめて斬り捨てる。

 とにかく全力で戦闘行動を繰り返した。

 守る。

 騎士として。

 竜騎士として!

「ああああああっ!」

 私は白の剣から放った斬撃波で、複数の敵部隊を薙ぎ払った。

 しかし。

 次々と現れる敵部隊を次々と撃破していっても、さらなる敵の増援が現れる。

 この数、異常だ。

「これではっ」

 私は夜空に向かって大きく跳躍しながら、ギリっと歯を噛み締めた。

 全力を尽くして動き回っているつもりだが、それでもだんだんと馬車隊の近くに着弾する砲撃が多くなっていた。オレットたちも障壁による防御だけでなく、私が優先順位が低いと判断して後ろに逸らした騎馬兵たちと既に接近戦を展開していた。

 コンラートやグリッジの騎士たちも、戦闘を繰り広げている。

 このままでは、まずい。

 それは明らかだった。

 数の力は脅威だ。

 私は、改めてそれを感じていた。

 いくらアーフィリルの力があっても、同時多方向から攻めよせる敵を防ぎきる事は難しい。

 しかし。

 今の私たちには、ただ馬車を守って戦う以外の選択肢はない。

 白花の騎士団本隊までの距離が、味方部隊が来てくれるまでの時間が、無限にも思えてしまう。

 私はタンッと着地すると、僅かに乱れた息を整える様に深呼吸する。そして、新たに現れた敵に向かって突撃を仕掛けた。

 その時。

「4時方向、北から新たな敵だ!」

 フェルトが叫ぶ声が聞こえた。

 敵騎士を斬り捨てた私は、白の髪を振って北を睨み付け、顔をしかめた。

 北からという事は、ハインケルの町を大きく迂回して来たという事だ。恐らく白花の騎士団本隊を挟撃するための部隊だろう。

 この推測が正しければ、新手の敵軍はそれなりの数がいる筈だ。今その部隊に狙われれば、数の少ない私たちでは支えきれない。

 敵の数があまりにも多い。

 これでは、私たちだけでなく騎士団本隊すら危ういかもしれない。

 くっ!

 私は白の長剣を投擲して、馬車隊に砲口を向けている機獣を打ち倒した。

 その刹那。

 戦場を照らす月光が、僅かに陰った。

『セナ、上を見よ!』

 不意に、アーフィリルの声が響く。

 新たな光球を展開しながら、私は何事かと夜空を一瞥した。

 そして、一瞬固まってしまう。

 煌々と輝く月を見る私は、徐々に目を大きく見開いて行く。

 まさか。

 あの影はっ!

 遥か空の高みから、それは真っ直ぐに降りて来た。

 私のもとへと。

 鋭い風切り音が響き渡る。

 夜空に輝く金色の月を背にして、巨大な翼が広がった。

「あれは」

 私は目を丸くしながら、しかし直ぐにふっと笑った。

「来てくれたのか」

 そうだ。

 あの姿を、私が見間違う筈がない。

 そしてその巨影は、盛大な衝撃音と土煙が巻き上げて私の直ぐ傍に着地した。

 あまりの衝撃に、馬車や騎士たちの馬が前足を振り上げて暴れる。猛烈な衝撃波に、私のドレスと髪も、激しく揺さぶられた。

 夜の大気を震わせる凄まじい咆哮が轟く。

 この声。

 私は、この声をよく知っている。

 圧倒な力の象徴であるこの声を!

 馬車隊の者たちもエーレスタの騎士たちも、オルギスラ帝国軍の将兵たちですら、突然現れたその威容を見上げて一瞬動きを止めてしまっていた。

 私は、両手に剣を下げたまま、真っ直ぐに目の前の存在を見上げる。

 降り注ぐ月の明かりの下。

 空色の鱗をした巨大な竜が、その金の瞳を輝かせて真っ直ぐに私を見下ろしていた。

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