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第37幕

 イリアス帝歴392年、白風の月12日。

 第35混成連隊と合流した私たち白花の騎士団はオルテンシア平原を北上し、グリッジ王国の街ハインケルを遠望出来る森に着陣した。

 手早く防御陣地を構築する騎士団のみんなや連隊の方々を激励して回った私は、その足で近くの丘に登ると、遠くに見えるハインケルのお城に目を凝らした。

 ハインケル城は、深い森に包まれた小高い丘の上に立っていた。その裾野には、城下町と街を守る城壁が扇状に幾重にも広がっているのが見て取れる。

 ここから見ていると、まるで街全体が1つの要塞みたいだった。

 でもあんな街だからこそ、グリッジの王さまはオルギスラ帝国の大軍に包囲されても、今まで持ち堪える事が出来たのかもしれない。

「うっ」

 突然吹き付けて来た強い風に、私は思わず片目を瞑る。

 オルテンシア平原を吹き抜ける冷たい風は、容赦無く私の髪をかき乱し、激しくコートをはためかせた。

 頭上に広がる空には、どんよりと重く雲が立ち込めている。今にも雪がこぼれて来そうだ。

 灰色の空と灰色の平原と、そして冷たい風に支配された風景は、見ているだけで何だか悲しくなって来てしまう。

 あの遠くのハインケルのお城から私と同じ光景を見つめている人たちは、今、果たしてどんな思いを抱いているのだろう。

 周囲を帝国軍に包囲されている重圧と、いつ敵が攻めて来るか、いつ自分たちが力尽きるかわからないという恐怖と懸命に戦っているのだろうか。

 何とかみんな、無事に助ける事が出来たらいいのだけれど……。

 私はぎゅっと手を握り締めて、唇を噛み締めた。

「セナ」

 不意に背後から名前を呼ばれる。

 振り返ると、丘の下からオレットさんがこちらを見上げていた。

「作戦の確認をするぞ。集合だ」

「あ、はい!」

 私はこくりと頷くと丘を駆け寄り、オレットさんのもとへ向かった。

 オレットさんとレティシアさんは、私がグリッジ救援作戦に参加すると決めた事について、最初は顔をしかめて反対していた。

 第35混成連隊は既にボロボロだし、私たち白花の騎士団は連戦で疲弊している。ここは一旦退いて態勢を立て直すべきだと言われてしまった。

 ……それは、正しい指摘だったと思う。

 でも。

 グリッジ王国のハインケル城には、国王さまやグリッジの騎士たちだけでなく、一般の方々だっているみたいなのだ。

 騎士として、そんな人々を見捨てる訳にはいかない……!

 そう力説する私に対して、オレットさんは大きくため息を吐いた後、ふっと笑ってくれた。

「まぁ、それでこそ白花の竜騎士か」

 オレットさんはそう言うと、ぽんと私の頭を叩いた。それを見て、レティシアさんも折れてくれたのだ。

 オレットさんがレティシアさんやグレイさんと集まって、窮地にあるグリッジを颯爽と救ってみせれば、私たち白花の騎士団の存在価値が上がるかもしれない、というような事をこそこそ話しているのが聞こえたりしたけれど……。

 でもやっぱり、オレットさんもグレイさんもレティシアさんも、色々と厳しい事は言っていても、困っている人を放っておく事なんて出来ないのだと思う。

 皆、良い人たちなのだから。

 そして、立派な騎士さまたちなのだ。

 ん?

 あ。

 まぁ、レティシアさんは騎士ではないのだけれど……。

 並んで部隊の司令部に向かいながら、私はそっとオレットさんを盗み見た。しかしそこで、不意にこちらを見たオレットさんと目が合ってしまった。

「さ、作戦、頑張りましょうね!」

 私は照れ隠しの意味も込めてむんっと気合いを入れて拳を握り締めて見せるが、オレットさんはふんっと短く息を吐いて難しい顔をしていた。

「あまり気負うなよ、セナ」

 ぽんっと私の肩を叩くオレットさん。

 私は真っ直ぐにオレットさんを見返すと、こくりと頷いた。

 私とオレットさんが並んで陣幕に囲まれた簡易司令部に入ると、そこには既に白花の騎士団の幹部の皆と第35混成連隊の指揮官さんたちが集まっていた。

 騎士団の皆が、一斉にさっと敬礼してくれる。

 まだ大人の私と小さい私の姿が結びついていない第35混成連隊の人たちは、ちらちらと私を見ながら何だか納得のいかない様な顔をしていた。

「セナさま。取り敢えず、先遣隊派遣の準備は整いました。出発は今夜を考えております。よろしいでしょうか」

 グレイさんが簡易司令部の中央に設置された大きな机の前に進み出ると、私の方を見た。

 私たちがこの場に着陣したのが昨夜の事だから、今晩の作戦開始とは随分と慌ただしい計画だなと思う。

 ……でも、グリッジにはもう時間がないのだ。

 オルギスラ帝国軍はグリッジに対して、既に最後通牒を突きつけているらしい。

 即ち、全面降伏か交戦開始かの選択を迫っているのだ。

 この事は、既にサン・ラブール側にも通告されているとの事だった。

 オルギスラ帝国軍の戦力ならば、ハインケル城を攻め落とす事など造作もないように思える。

 でも力攻めをせずにあえて時間を与えているのは、帝国軍はグリッジ王国を見せしめにしようとしているのだとグレイさんは言っていた。

 つまり、未だ帝国に対して抵抗を続ける国々やサン・ラブール条約同盟国に対して、恭順するならそれでよし。抵抗すればグリッシの様に粉砕する、という事を示すために。

 それを聞いた瞬間、私は思わず怒りで顔がカッと熱くなるのがわかった。

 なんて酷い事を……!

 ギリッと奥歯を噛み締めながら、そう思わずにはいられなかった。

 さらに、グリッジに時間がない理由はもう一つあった。

 それは、私たちの存在だ。

 帝国軍は、周囲の国々に見せつける為にじわじわとグリッジ王国を苦しめている。

 そこにグリッジ王国救援の為の部隊が現れれば、もしかしたら敵は侵攻の速度を早めてしまうかもしれない。

 万が一私たち救援部隊がグリッジの解放や国王陛下たちの救出に成功してしまえば、帝国の面目は丸潰れになってしまうからだ。

 さらに敵は、私たちが第35混成連隊を援護した戦いで、白花の騎士団の参戦を把握してしまっている。

 白花の竜騎士の名前は帝国軍の間でも広まっているだろうから、私たちの存在に敵は焦燥感を募らせているのではないかとグレイさんは言っていた。

 不用意に私が敵を刺激すれば、帝国軍が暴発する可能性があるらしい。

 うーん。

 それは、グレイさんの考えすぎの様な気がする。

 魔素攪乱幕があれば竜騎士にも対抗出来ると考えている帝国が、私1人の存在だけで行動を変えたりはしないと思うけれど……。

 いずれにしても、現在の状況は危うい均衡の上に成り立っているのは明らかの様だった。

 ハインケル城の人たちを救うには、やはり迅速な行動が重要なのだ。

 私はぎゅっと眉をひそめると、簡易司令部の机の上に広げられた周辺地域の地図を睨みつけた。

「作戦の第一段階として、まずは竜騎士アーフィリルを囮として、ハインケル城に向かっていただきます」

 グレイさんが、指揮杖でハインケル城の東側を指し示した。

 そちらには今、帝国軍の大部隊が陣を敷いていた。帝国軍は、主にハインケル城の東と南の平原にかなりの数の部隊を展開させていた。

 ちなみに地図上だと、私たち白花の騎士団が布陣しているのはハインケルの北西の丘陵地帯になる。ハインケル上からかなり離れてしまっているのは、帝国軍を警戒し、距離を取らざるを得なかった為だ。

「その間に、まずは少数精鋭の部隊がハインケル城下に突入します。オレット、これは頼んだぞ」

「了解」

 グレイさんが、ギラリと鋭い目でオレットさんを見る。

 オレットさんは飄々としたいつもの調子で、こくりと頷いた。

 ハインケル城への突入は、陽動で帝国の目を引いた上に夜間であれば、問題はないと思われる。

 さすがに主要な城門は帝国軍が封鎖しているだろうけど、ハインケル城下には森の中に目立たない様に作られた秘密の通用門があるそうだ。

 第35混成連隊の中には、グリッジの国王陛下から援軍を呼ぶ為の使者を命じられ、ハインケル城を脱出して来た者たちも混じっていた。彼らがいれば、地の利はこちらにあると言える。

「続いて竜騎士アーフィリルも、上空からハインケル城に入ってもらいます。よろしいですか、セナさま」

 グレイさんが優しい顔で私に微笑み掛けた。先ほどオレットさんに対して向けた挑発的な顔とは対照的な表情だった。

「了解です!」

 私はオレットさんやグレイさんたちを見上げて、むんっと力を込めて頷いた。

「その後、城内の部隊とタイミングを合わせて我々騎士団と混成連隊が帝国軍に対して陽動攻撃を仕掛けます。その隙に城内のグリッジ勢を退避させ、然る後、グリッジ勢を護衛しつつ我々も後退。北西へ抜け、最短距離でサン・ラブールの勢力圏へと撤退します」

 グレイさんは、ハインケル城から西へ向かってさっと指揮杖を走らせた。

 話し合いの結果、私の陽動とオレットさんたちの突入を今夜とするならば、全軍を上げて行動開始とハインケル撤退は、明後日の早朝という事が決まった。

 一通りの計画の確認が終わっても、私は眉をひそめながらじっと地図を睨み続けた。

 ……敵がもう少し固まっていれは、竜の咆哮で吹き飛ばすのだけれど。

 でも偵察隊からもたらされた帝国軍の配置では、敵に有効打を与えるには最低4射、竜の咆哮を放たなければならない様に思える。

 竜の咆哮は発射まで時間が掛かるし、消耗が激しい。

 低出力では効果が薄いだろうし……。

 遠距離攻撃だけで帝国軍を壊滅させるのは、現実的ではないだろう。

 ならば、突出して来る部隊をとにかく光球で吹き飛ばすのがいいか……。

 むむむ……。

 最初の偵察の時に、ある程度打撃を与えておくというのもいいかもしれない。敵の数は多い。簡単に撃退出来るとは思わないけれど。

 私は顎に手を当てキッと目を細め、頭の上にアーフィリルを乗せたままうーんと唸った。

 アーフィリルは見慣れない第35混成連隊の人たちに興味があるのか、私の頭をタシタシと踏みしめながら周囲を見回していた。

 ふと視線を感じて顔を上げると、連隊の人たちが先ほどよりさらに訝しげな顔で私を見ていた。

 ん?

 グレイさんに続いて、今度はグリッジ出身の騎士さんからハインケル城の詳しい様子や、助け出すべき人たちの規模について説明が行われる。

「セナ」

 それが終わると、オレットさんが近付いて来た。

「初撃の後の陽動だが……」

 オレットさんと詳しい動きを確認しながら、私はふむふむと頷いた。

「了解です! よし、ここから頑張らなくちゃですね!」

 最後に強い決意を込めて私が頷くと、オレットさんはふっと大きくため息を吐いて後頭部をガリガリと掻いた。

「張り切り過ぎるなよ、セナ。それと、無理はするな。ここでお前に何かがあれば、俺たち、いや、オルギスラ帝国に抗おうとしている者たちにとって、大きな損失になる」

 そう言うとオレットさんは、ぽんっと私の肩を叩いた。そして膝を折って僅かに身を屈めると、私の顔を覗き込むように見た。

「……すまないな、セナ。こんな言い方しか出来なくて。それでもお前は、俺たちみたいな者の希望なんだ」

 周囲の喧騒にかき消されてしまいそうな程小さな声で囁くオレットさん。

 私は、んっと疑問符を浮かべる。

 アーフィリルの力を貸してもらえる私が、今回の作戦でも最大戦力である事は間違いない。だからこそ、私が一番頑張らなければならないのだけれど……。

 それにしても、オレットさんの言葉は少し大げさ過ぎる様に思えた。

「それでは各自、作戦開始まで休息をとっておく様に。ただし、帝国軍の奇襲があるかも知れない。警戒は厳に願いたい」

 グレイさんが私を一暼する。

 私がこくりと頷くと、作戦会議はそこで一旦解散となった。

 みんなが私に向かって、ざっと敬礼する。私も背筋を伸ばして答礼した。

「セナ、今のうちに寝ておけよ」

 簡易司令部内がざわざわと騒がしくなり始める中、私にそう告げたオレットさんは既にいつもの調子だった。

 ひらひらと手を振りながら、グレイさんたちの方に歩み去るオレットさん。

 私はその背中を見送りながらうむっと首を傾げた。

 先ほどのオレットさん、少し様子がおかしかったと思うのだけれど……。

 私は、しかし気持ちを切り替える様に小さく息を吐くと、そっと首を振った。

 ……今は、目の前の作戦に集中しなければ。

 ハインケル城脱出戦は、きっと厳しい戦いになるに違いない。でも、オレットさんが言っていたとおり、今あのハインケル城で戦っている人たちに対して、私たちは希望にならなくてはならないんだ。

「行こう、アーフィリル!」

 私はさっと踵を返すと、出撃準備を整える為に竜騎士用天幕へ向かって勢い良く歩き出した。




 猛烈な勢いで吹き付けてくる冷たい風に必死に耐えながら、私は大きなアーフィリルの首筋にぎゅっとしがみ付く。

 私を乗せた大きなアーフィリルは、闇が支配する夜の空を高速で南へと向かって飛んでいた。

 純白な大きな翼がバサリと羽ばたく度に、ぐんとスピードが増していく。眼下に横たわる暗い大地が、あっと言う間に後方に流れ去ってしまう。

 押し寄せる風は冷たくて痛くて、出来ればうつ伏せでアーフィリルの羽毛に顔を埋めていたかった。でも私は、片目を瞑りながらも、顔を上げて真っ直ぐに前方を睨みつけていた。

 私の眼前には、広大な夜の世界が広がっている。

 思わず、その光景に目を奪われてしまう。

 昼間はどんよりと曇っていた空は、夜になると晴れ間を覗かせていた。その雲間から顔を出したお月さまの光が、夜の闇に閉ざされた大地を朧に照らし出していた。

 森や丘が繰り返す風景は、昼間とは違って暗色の一色ではあったけれど、驚くほど複雑な濃淡に彩られていた。

 それは、陽の光の下では決して見る事の出来ない神秘的な世界であり、地上にいても気がつく事が出来ない、少し不思議な美しい世界だった。

『間も無く先行した騎士たちの上空を通過する』

 アーフィリルの声が、直接私の胸の中に響く。

 アーフィリルが言っているのは、私よりも前に出発したオレットさんたちハインケル城先行突入部隊の事だろう。

 私は髪を押さえながら地上に目を凝らして見るが、眼下には暗い森が広がっているだけだった。

 オレットさんたち、順調かな。

 どこにいるんだろう?

『セナ。既に上空を通過した』

 う……。

『左前方。城が近づく』

 アーフィリルの声に顔を上げると、淡い月明かりの世界の中に小さな人の生活の光が見えた。温かそうな色の明かりだ。

 少し高い位置に見えるのは、丘の上のハインケル城の明かりだからだろう。

 その灯火がどんどんと近付く。

 これだけ接近すれば、私とアーフィリルは既にグリッジ王国の領土に入っている筈だ。

 オルテンシア平原の北東部に位置するグリッジ王国は、起伏に富んだ丘陵地帯にある小さな国だった。

 サン・ラブール条約同盟が締結される以前からオルテンシア周辺の小国と緩やかな同盟を結び、共存して来た歴史を持つ古い国であり、丘を開いて作られた段々畑と丘陵地帯に立ち並ぶ古風な街並みが美しい風景を作り上げる、長閑な小国だったらしい。

 グリッジを脱出して来た騎士さんは、遠くを見つめる様な顔をして私にそう教えてくれた。

 そんな平和な小国だったグリッジは、戦争開始初期、オルギスラ帝国のアーテニア侵攻ルートからは外れていた為に、直ちに戦火に晒されるという事はなかったそうだ。

 しかし帝国軍の東部侵攻が進み、それを支えられなくなったサン・ラブール連合軍が後退を始めると、グリッジ王国も激しい戦闘が展開される戦争の最前線へと晒される事になった。

 帝国軍の東進においても幸いかな進軍ルート外の小国であったグリッジは、敵主力の攻撃は受けず、代わりに帝国への臣従を要求されたそうだ。

 グリッジの国王陛下は、帝国軍の要求をのらりくらりと躱し、国民たちが逃げる時間を稼いでいたらしい。

 しかしオルギスラ帝国軍は、東部戦線での大規模攻勢に合わせてついにグリッジにも本腰を入れて侵攻を開始した。

 グリッジの王都は瞬く間に陥落したが、国王さまやグリッジ騎士団はハインケルへと後退して抵抗を続けていたという。

 そして現在。ハインケル城にはグリッジ王室の方々とグリッジ軍の騎士たち。そして逃げ遅れたグリッジの国民たち多数が籠城しているとの事だった。

 私は、左方向を通過するハインケル城とその城下町を見送る。

 強い風に髪がかき乱されるのも構わず、私はじっとハインケル城のシルエットを見つめ続けた。

 ……城下町は真っ暗だけど、お城には明かりがある。人がいる。私たちが救うべき人が。

 ハインケル城を通過すると、前方には広大な平原が見えて来た。

 そちらには、お城とは比べ物にならない数の灯がひしめいていた。

 オルギスラ帝国軍の大部隊だ。

 月明かりの下、所狭しと並ぶ天幕や整然と並ぶ機獣の大群も何とか見て取れた。

 ……すごい数だ。

 さすがは主戦場となっている東部戦線。もしかしたら、今まで私が見て来たどの帝国軍部隊よりも大規模かもしれない。

 私とアーフィリルが敵部隊の上空に接近すると、すぐちあちこちから警鐘が鳴り響き始めた。

 どうやら発見されたみたいだ。

 今晩は月夜とはいえ、空から迫る私たちを見逃さないとは、見張り役さんがきちんと仕事をしているのだろう。部隊の統制もきちんと取れているみたいだ。

 俄かに騒がしくなり始める帝国軍野営地に対して、しかし私たちは進路を変えずに真っ直ぐに突入する。

「左へ!」

 敵野営地に入った後、私はアーフィリルに敵本隊がいると思われる方向に向かって飛ぶようにお願いする。

 竜騎士の姿を見せつけて、敵の注意をこちらに引き付けるのだ。

 大人状態の私ではなく、あえて竜の姿のアーフィリルに乗せてもらっているのは、エーレスタの竜騎士が来た事を印象付ける為だ。

 竜騎士の存在が敵を刺激するかもしれないとわかっていて私とアーフィリルが囮役になっているのは、私たちならば確実に敵を引き付けておけるからだ。さらには、グレイさんの作戦の次の段階への布石でもあるのだけれど……。

 眼下の帝国軍から響いてくる警鐘に、複数の重々しい衝撃音が混じる。

 そして次の瞬間、空を駆けるアーフィリルの至近で爆発が起こった。

 帝国軍の対空砲撃だ。

 ……やはり、対応が早い。

 帝国軍野営地のあちこちからから、さらに発砲煙が噴き上がった。

 私たちの周囲で、次々に砲弾が炸裂する。

 黒煙が広がる夜空で、アーフィリルが上下左右に回避運動を開始した。

「ぬぬぬ、わわわっ!」

 至近距離で炸裂する砲弾の爆裂音に顔をしかめながら、私は必死にアーフィリルにしがみついた。気を抜くと、振り落とされてしまいそうだ……!

 対空砲撃は、私たちが帝国軍野営地奥深くへ進めば進むほど激しくなっていった。

 私たちを発見してまださほど時間が経っていないのにこれだけの砲撃を空に向ける事が出来るなんて、帝国軍は空からの襲撃に、竜騎士の急襲に備えていたのかもしれない。

 近くで爆発した砲弾の黒煙が、ぶわっと私たちを包み込んだ。

「けほっ、けほっ、けほっ」

 私は思わず涙目になりながらせき込んでしまう。

 さらに至近弾の閃光が、私たちを照らし出した。

「うむむっ!」

 私は涙が滲む目をぎゅっと瞑った。

 恐ろしい程密度の高い砲撃だけど、でも……。

 打ち上げられる砲弾や銃弾、そしてそれらが生み出す衝撃波は、決して私やアーフィリルには届かない。

 常時展開されているアーフィリルの強固な自動障壁が、全てを跳ね返しているのだ。

 本来ならアーフィリルは、回避運動を取る必要すらない。それでも左右にロールしながら砲撃の間をくぐり抜ける様に飛んでいるのは、単にアーフィリルが砲撃に包まれるのを嫌っているからなのだ。

 確かに大丈夫だとわかっていても、激しい砲撃に晒され続けるのは決していい気分ではない……。

「わわわわわっ!」

 激しい空中機動を行うアーフィリルに、私は必死にしがみついていた。胸がキュっと締め付けられたりすうっと冷たくなったり、背中がぞわぞわとしたり……。

 やっぱり、空を飛ぶのは怖い……!

 大人状態になってまだ自分ど飛んでいた方が、ましな気がする。

『そろそろ南に転ずるか、セナ』

 アーフィリルが、重々しい声で尋ねてくる。

「あ、うん、お願い、うわああっ!」

 こくりと頷いた直後、私は押し寄せる風圧に体が浮かび上がりそうになる。

 あ、危ない!

 アーフィリルが大きく翼を広げて優雅に旋回を始めた。

 帝国軍の目は、十分にこちらに引き付けられたと思う。あとはこのまま南に離脱して、そちらにもサン・ラブールの部隊がいるかも知れないと思わせる事が出来たなら陽動作戦は成功だ。

 無数の篝火が揺れる帝国軍野営地を見下ろしながら、アーフィリルは大きく翼を羽ばたかせて増速、徐々に高度を上げ始めた。

 既に対空砲の射程よりも高度を上げていても、帝国軍は執拗に砲撃を続けて来た。そして、篝火の密度が一際の高い場所の上空を通過した瞬間。

『追っ手が掛かった。注意せよ』

 胸中に、アーフィリルの低い声が響いた。

 私はアーフィリルから身を乗り出すと、キョロキョロと周囲を窺った。

 地上から光りが上がって来るのが見えた。わたしたの方へと向かって。

「あれは……」

 砲弾ではない。

 その光は、弓形の軌道を描いて私とアーフィリルを追尾して来た。

 数は全部で5。

 目を凝らすが、青白い月光だけではその正体はわからない。

「……アーフィリル?」

『うむ。あれは人竜兵装だ』

 はっと息を呑む。

 機竜士!

 もしかしてアンリエッタか!

「アーフィリル、融合お願い!」

 私は迫る竜の鎧の光に目を向けながら、声を上げた。

 アーフィリルから力強い了承の返事が返って来た次の瞬間。

 私は、眩い白の光に包まれた。

 地上から見上げれば、一瞬夜空に太陽が現れた様に見えたかもしれない。

 目を閉じ、体の中に流れ込んで来るアーフィリルを感じる。

 そして光が消えた次の瞬間。

 そこには、大人状態になった体を白のドレスに包み込んだ私がいた。

 ドレスの裾と長い髪が、夜の空の風を受けて激しくはためく。しかし背後から純白に輝く光の翼を展開した私は、微塵も揺らぐ事無く空中で静止していた。

 私は大きく深呼吸すると、前方から迫って来る5つの光を見据えた。

 ふむ、確かに黒の竜の鎧だ。何時ぞやのアンリエッタと同じ様に、背中に背負った装置から火を噴き、金属の翼で空を飛んでいる。

 アーフィリルと融合した私は視力や夜目も強化されているのか、奴らの姿を捉える事が出来た。

 竜の鎧は、アンリエッタでなくても戦力的に厄介だ。ましてや空を飛べる個体がいるとなると、明日のハインケル城脱出作戦においても危険な要素となるだろう。

 ならば、ここで倒しておくか。

 私は手の中に白の弓と輝く矢を生み出すと、すっと構えた。

 竜の鎧の先頭に狙いを定め、矢を引き絞る。

 弓を構えた私の周囲で、対空砲撃が炸裂する。どうやら帝国軍は、突入して来る竜の鎧への味方誤射は気にしない様だ。

 私はそんな対空砲撃は無視し、すっと息を吸い込む。

 そして。

 矢を放つ。

 夜空に走る白の矢は、一条の光となって黒の鎧に迫る。

 続けて4射。

 竜の鎧達が弾ける様に散開して、回避運動を取った。

 一体の竜の鎧が、肩口に矢を受けて高度を落として行く。

 しかし他の4体は、矢を回避した勢いのままこちらに突っ込んで来た。

 やはり遠距離攻撃で一撃、という風には仕留められないか。

 私は弓を消し、代わりに両手に白の長剣を生み出した。

『殲滅殲滅殲滅殲滅殲滅殲滅、敵ィ!』

 先頭の鎧が、剣を突き出して突進して来る。

 はっ。

 それ程速くはない。

 どうやらこの敵集団には、アンリエッタは含まれていない様だ。

 私はひらりと身をひるがえし、竜の鎧の突きを回避する。そしてすれ違いざまに、その金属の翼を叩き斬った。

 落下して行く片翼の鎧の追撃に入る前に、しかし次の鎧が突っ込んで来る。

 頭上から迫る竜の鎧の剣を躱し、側面に回った鎧の刺突を白の剣で弾く。

 空中にふわりと、私の白のドレスが広がる。

 鎧たちは一撃を繰り出し、そのまま離脱していく。

 そして4体目がやや上方から迫って来る。

 正面上段から繰り出された斬撃を、私は左の長剣で受け止め、右の剣を繰り出した。

 ゴウッと背中から吹き出す光を強め、私と剣を合わせたまま体を上昇させる竜の鎧。

 私の一撃を回避すると、面防の間から覗く赤い目が、その光を強めて私の頭上へと回り込んだ。

 地上での戦いと違って、なかなか奇妙な動きをする。

 だが。

 私は背や腰の光の翼に力を込める。そして合わせた剣ごと、グイッと竜の黒の鎧を押し上げた。

『グギ?』

 竜の鎧が戸惑いの声を上げる。

 私はふっと薄く微笑むと、体勢を崩している竜の鎧に向かって白の剣を突き出した。

 今度は外さない。

 黒の剣を弾き、左手も剣も突き出した私は、2振りの剣で竜の鎧の胴を串刺しにした。

『ギギ、ガアアアっ!』

 悲鳴か、怒りの叫びか、耳障りな声を上げる串刺しの鎧。

 私は手足をばたつかせるその鎧を、下方から迫って来る別の鎧に向かって放り投げた。

 夜空に耳障りな金属音が響き渡る。

 仲間と激突した竜の鎧は、バランスを崩しながら回転して落下して行く。当たり所が悪かったのか、背中から吹き出している光が弱まり、上手く飛べなくなった様だ。

 これでまともに動けるのは、あと一体か。

 私は大きく旋回しながらこちらに頭を向けようとしている最後の1体を目で追った。

 さて。

 私はふっと息を吐くと、光の翼に魔素を込めてゆっくりと上昇を開始した。

 段々と足元の帝国軍の灯りが遠ざかっていく。

 竜の鎧はこちらの出方を窺っているのか、下方から距離を空けて私を追撃して来ていた。

「アーフィリル。竜の咆哮の準備を」

 私は胸の中のアーフィリルに短くそう告げると、月が大きく輝く夜空を見上げた。

 左の剣に、X字に開いた補助制御陣が展開される。

「低出力で構わない。ここで帝国軍に一撃を入れておく」

『うむ』

 アーフィリルが重々しく頷いた瞬間。

 対空砲撃がさらに激しさを増し、私の周囲に集中し始めた。

 広がる爆炎と黒煙が、下方への視界を閉ざす。

 そのため、私が敵の姿を見失った刹那。

 対空砲撃の爆炎の向こう側から、初撃で矢を受けた鎧と味方と激突した鎧、そして無事な竜の鎧が、三方に展開しながら一気に突撃を仕掛けて来た。

 足が速いのは、やはり無傷な一体だ。

 私の上方に回り込み、急降下攻撃を仕掛けて来る。

 下降するエネルギーを乗せた黒い刃が、大気を斬り裂き、私の頭上へと振り下ろされる。

 私は竜の咆哮の魔素収束を継続したまま、体を開いて敵の斬撃を躱す。

 ふわりと白く輝く髪が流れる。

 至近距離で、私と竜の鎧の視線が交錯した。

『ギギッ!』

 すかさず体を捻った黒の鎧が、器用にも空中で回し蹴りを放って来た。

 私は迫る鎧の脚を目だけを動かして捉えると、素早く剣を振り上げる。

 白の刃が、繰り出された竜鎧の脚を斬り飛ばした。

 鎧の足は回転しながら宙を舞い、闇の中へと消えて行く。

『ガガガガガガッ!』

 絶叫しながら落下する竜の鎧。

 私は、しかし片足の鎧ではなく、体を回転させて振り返りながら背後へと刃を振り下ろした。

 ちょうどそこには、背後から突撃を仕掛けて来た黒鎧の姿があった。

 咄嗟に防御しようとしたのか、私は掲げられた黒の剣ごとその竜の鎧を袈裟懸けに斬り捨てる。

 体を2つに両断された鎧と片脚を斬り飛ばされた鎧が、揃ってバラバラと地上に落下して行く。

 最後の一体は飛行能力に不調があるのか、未だ下方からこちらに向かって突撃を仕掛けている最中だった。

 あれは確か、味方と激突した鎧か。

 落下する黒鎧だった残骸を回避しながらさらに駆け上がって来るその竜の鎧に対して、私はすっと剣を向けた。

 竜の咆哮の射撃準備を整えた、左手の剣を。

『収束率30パーセント。照射準備は完了した』

 アーフィリルの声に、私は小さく頷く。

「発射」

 私は短くそう呟くと、剣に収束させた魔素を解放した。

 光りが溢れる。

 閃光が広がる。

 大気を焼く破壊の輝きが、細い一条の光へと収束すると、夜の闇を2つに斬り裂いた。

 光は、上昇中だった黒の竜の鎧を貫く。

 その次の瞬間。

 光に貫かれた部分を中心にして、溶ける様に竜の鎧が完全に消滅する。

 続いて先ほど斬り捨てた黒鎧の残骸も、光の中に消えて行く。

 さらにそのまま大地へと突き刺さった光は、周囲の帝国軍を巻き込み、そして大爆発を巻き起こした。

 夜の平原が、爆炎に照らされて赤く輝く。

 巨大が黒煙が吹き上がり、私をも超えて夜空へと上って行った。

 私は月を背にしながらからその光景を見下ろし、僅かに目を細めた。

 剣の切っ先を地上へと向ける。

 魔素を込めて再度竜の咆哮の射撃の準備を始めるが、しかし私は、直ぐにその剣を下ろした。

 もう一撃をと思ったけれど、どうやら敵は篝火を消して散開し始めた様だ。夜目が効く今の私でも、大地を散り散りに逃げる敵を完全に把握する事は出来なかった。

 目印を掲げて固まっていては、狙い撃ちにされると思ったのだろう。

 的確で素早い判断だ。そして、行動も速い。やはり敵は、手強い。さすがは帝国軍主力といったところか。

「時は稼いだ。では、私たちもハインケルに向かうとしよう」

 私は胸の中のアーフィリルにそう告げると、夜空高く巻き上がる黒煙に背を向けた。




 遥か空の高みから、私はすっと力を抜いて降下を始める。

 背後から降り注ぐ青白い月の光を受けながら、私は足元に揺れる灯火を視界に入れた。

 先ほどまで対空砲撃がうるさく響き渡っていた空とは違い、周囲は夜の静寂に満ちていた。

 ただ風が流れるる音だけが、私を包み込んでいる。

 視界に広がる夜の世界。

 淡く優しい月の光に照らされた夜。

 その夜の底へと、私は落ちて行く。

 白のドレスをはためかせた、すっと目を細めた私は、眼前に迫って来るハインケル城の影を見据えた。

 帝国軍野営地から離脱した私は、高度を下げて敵の視界から姿を眩ませた後、再上昇。高空から見つけたハインケル城の明かりに向かって、ゆっくりと降下していた。

 前方の闇に沈んだハインケル城には、未だにいくつかの明りが灯っていた。時刻は既に夜明けも近い頃合いの筈だから、さすがにその数は少なかったが。

 城が近付くと、その明りの中の1つがゆらゆらと揺れ始めた。

 あちらでも、私の姿を見つけたのだろう。

 私は光の翼を制御して落下速度を殺しながら、重厚な石造りのハインケル城の中心部へと舞い降りた。

 中庭らしき広場の中心にタンッと足を着けると、松明を携えた騎士サリアが駆け寄って来た。

 私はふっと力を抜いて光の翼を消す。同時に、体の重さが戻って来た。

「お疲れ様でした、セナさま」

 サリアがさっと背筋を伸ばし、私に対して敬礼する。

「ああ。そちらの首尾は?」

 私はサリアに答礼しながら、さっと周囲を見回した。

 ハインケル城の中庭を取り囲む回廊には、人が溢れていた。

 兵や騎士たちではない。皆、疲れた表情をした一般人と思しき者たちだ。

 小さな荷物を抱え、近くの者と寄り添う様に座り込んでいる人たち。小さな子供や女、そして特に老人たちの姿が目立った。

 眠っている者もいたが、突如中庭に振って来た私を目を見開いて呆然と見つめている者も多かった。中には、明らかに怯えている者たちもいた。

「セナさまの陽動のおかげで、こちらは無事に侵入する事に成功致しました。現在は、オレット騎士長がグリッジ王と作戦会議中です」

 サリアが説明しながら、先に立って私を案内してくれる。

 カツカツと踵を鳴らして歩く私を、一般人と同様にグリッジの兵たちも、緊張した面持ちで窺っていた。

「セナ!」

「アーフィリルさま!」

 よく知っている声が聞こえてくる。

 そちらに目を向けると、完全装備のままのフェルトや白花の騎士団の騎士たちが、座り込む一般市民の間を縫う様に、私のもとへと駆け寄って来るところだった。

 静かだった中庭に、金属の鎧の音が響き渡る。

 それでさらに、私の方へと周囲の視線が集まってしまった。

 こちらを見るグリッジの民や兵たちとは対照的に、フェルトたちは顔を輝かせて私の周りに集まって来た。

「また派手にやったな、セナ」

 フェルトが真っ直ぐに私を見ながら、ニヤリと笑った。

 アーテニアの森以来、私に対して少しよそよそしいところがあったフェルトだったが、今は興奮でそれどころではない様だ。

 もっとも、私もアーフィリルと融合していなければ、まともにフェルトの顔を見る事が出来たかどうかわからないが。

「アーフィリルさまの戦闘、我々も拝見しておりました。帝国軍を屠った一撃、相変わらず凄まじい!」

 白花の騎士団のベテランの騎士がそう言うと、くしゃりと笑った。

 私は彼らの称賛に軽く応えてから、ハインケル城脱出の準備状況について確認を始めた。

「貴公が、あのオルギスラ帝国軍を吹き飛ばした竜騎士殿か!」

 そこに、明るく良く通る声が響いた。

 一般市民たちが座り込む廊下の先から、若い男が早足に近づいて来る。

 それは短く切り揃えた金髪と、大きな碧眼が印象的な少年だった。色白で整った顔をやや紅潮させながら、真っ直ぐに私を見つめて来る。

 歳は私やフェルトと同年代くらいだろうか。

 鎧姿ではなかったけれど剣を佩き、薄汚れてはいたが身なりは他の一般人よりは立派だった。

 その少年の背後には、よく似た雰囲気の少女が隠れていた。

 私や金髪の少年からやや年下、マリアくらいの年齢に見える。簡素なスカートにくたびれたブラウス姿といった服装だったが、そんな姿でも、腰に掛かる程長い金髪がキラキラと輝きを放っていた。なかなかの美人だ。

「グリッジ国王陛下のご子息、コンラート・グリッジさまと妹君のアステナさまです」

 サリアがそっと教えてけれる。

 つまり、この国の王子と姫という事か。

 コンラートとアステナが前を通り過ぎると、周囲の一般人やグリッジの兵たちが驚いた様に身を強張らせ、頭を下げていた。コンラートやアステナも、平伏されるのに慣れているのか、堂々とその前を通り過ぎていた。

 金髪の王子コンラートは真っ直ぐに私の前までやって来ると、にこりと笑った。そしてばっと勢い良く私の手を握った。

 ふむ。

 私は、僅かに目を細める。

「お前!」

 何故かフェルトが歯を剥いてコンラート王子に手を出そうとしたが、サリアに引き留められていた。

「何と、こんなに可憐な人が! あの様に一方的にオルギスラ帝国軍を倒してしまうとは……!」

 コンラートは目を丸くしてじっと私の目を覗き込んで来る。

「素晴らしい! 僕は感動したよ!」

 微笑みながら私の手をぶんぶんと振るコンラート王子。

 周囲がざわつき始める。

 私が帝国軍を倒したという事に、一般人や兵たちが驚きの声を上げていた。

 あんな少女が、という様な声があちこちから聞こえて来る。もしかして先ほどの爆発は、という声も聞こえて来た。

 アーフィリルと融合した大人状態で驚かれていては、もとの姿に戻ったらどうなってしまうのだろうと思う。

 恐らくは、私が皆の救援に来たエーレスタの騎士である事すら信用してもらえないのではないだろうか。

 コンラート王子が爽やかな笑顔を浮かべたまま自己紹介する。続いて背後の背後のアステナ姫も、膝を折って優雅に挨拶してくれた。

「エーレスタ騎士公国所属、白花の騎士団団長セナ・アーフィリルだ。すまないが、その手を離してもらえるか?」

 私も名乗りながら、コンラート王子に両手で握り締められたままの手を一瞥した。

「ああ、すまない!」

 少し恥ずかしそうに笑いながら、王子はやっと私の手を離してくれた。

「救援に来てくれて感謝するよ、セナ団長。君の様な人がいれば、帝国軍を倒せる筈だ。是非その力、僕たちに貸してくれ!」

 改めて表情を引き締め、コンラート王子が私を見る。

「力は尽くそう」

 私は横目でコンラート王子に視線を送ると、さっとドレスの裾をひるがえして歩き始めた。

 コンラート王子が言うほど状況は良くない。

 それは、この城にやって来てから直ぐにわかった。

 ハインケル城に立て籠もっている者たちについては、城を脱出して来たグリッジの騎士たちからあらかじめ確認していた。しかし直にその様子を確認すると、人数以上にその状態が良くないのがわかった。

 皆、疲れ切っている。

 これでは、迅速な行動は望むべくもないだろう。

 さらに、帝国軍の戦力だ。

 強大な戦力を優秀な指揮官が率いている。こちらも一筋縄ではいかない相手だろう。

 私はキッと表情を引き締めて、オレットとグリッジ国王がいる部屋へと急いだ。

 サリアの代わりにコンラートに案内されて辿り着いた会議室には、グリッジ王国の首脳陣とオレットたち先行侵入部隊の幹部たちが集まっていた。

 私は部屋に入ると、まずオレットと視線を交わす。言葉は交わさなかったが、こくりと小さく頷き合った。

 自分で名乗る前に、コンラートが高らかに私の紹介をしてくれる。

 会議室内にどよめきが起こった。

「この様な女性が、1人で帝国軍を……」

「あの攻撃を行なっていたのが、この少女1人だと?」

「かの白花の竜騎士、女性とは聞いていたが、このような少女だとは」

「なんと、俄かには信じられんな……」

 グリッジの騎士や貴族の様な者たちが、口々にそんな声を上げる。

 その中にあって、グリッジ首脳陣の中心に座り、立派な鎧を着込んだ姿の金髪の男だけが、真っ直ぐに私を見つめていた。

 皺が深く刻まれた顔には、ギラリと鋭い眼光が宿っていた。そしてその頭には、簡素な王冠が載っていた。

 コンラートが、あれが父上、グリッジ国王だと教えてくれた。

「白花の騎士団団長セナ・アーフィリル殿。貴公らの救援、感謝の言葉もない」

 国王の低い声が響き渡ると、会議室内がさっと静まり返った。

 返礼をしながらも、私はさすがだなと思う。

 なるほど、この王が重しになっているからこそ、今までグリッジは踏ん張ってこられたのだという事が自然と納得出来てしまう。

 眼前の王には、そんな迫力があった。

 オレットやグリッジ王からは一旦休む様に言われたが、私はその勧めを断わってそのまま会議に参加した。

 白花の騎士団側はハインケル脱出の手筈についていろいろと詰めておきたいところだったが、コンラートや一部のグリッジ騎士たちは、興奮した様でこちらから打って出るべきだと主張していた。

 もちろんその訴えは、国王によって却下されていたけれど。

 彼らはこの城から私の陽動攻撃を目撃し、少し興奮しているのだとオレットが教えてくれる。

 しかし現在のグリッジに、私たち白花の騎士団が提案する作戦以外の選択肢はない。すなわち、我々の陽動のもとに、全力でこのハインケルを脱出するのだ。

 全員で。

 その事は、グリッジ国王も十分に理解しているのだろう。

 問題は、本隊が動く時刻までにいかに脱出の準備を整えられるかだ。

 そして、帝国軍がどの様に動いてくるか、だが。

 私たちがグリッジに対して速やかな撤退の準備を依頼したところで、会議は一旦休憩となった。

 グリッジ側は、皆悲痛な面持ちだった。

「……くっ」

「そんな……」

「何とか、ならないのか……?」

 中には唇を噛み締め、嗚咽を漏らしている者もいた。

 無理もない。

 追い詰められ、国が滅亡する寸前に応援部隊が来てくれた。その戦力があれば、もしかしたら国を捨てずに済むかもしれない。

 皆そう思いたかったのだ。

 それが、ほんのか細い希望だったとしても、皆すがらざるを得なかった。

 その気持ちは、私にも理解出来る。今回の戦争では、そうして全てを奪われる人々の悲しみを、私も何度も目にして来たから。

 そしてそれは、故郷が滅んだオレットにも痛いほど理解出来ているだろう。

 しかし。

 だからこそ命を繋ぐ可能性がある以上、ハインケルを脱出出来る可能性がある以上は、国を捨てて逃げろと言うのだ。

 それが、彼らにとって受け入れがたい選択だったとしても。

 命がある限りは、終わりではない。

 命がある限り、別の道を見出す事が出来るかもしれないのだから。

 会議の合間の休憩時間。私は、再び興奮した様子のコンラートに捕まりそうになったが、その前にグリッジ王の声が掛かった。

 会議室の隣の部屋に通されると、薄暗い室内には、グリッジ王が1人で待ち受けていた。

 暗い夜の世界が広がる大きな窓を背に立つグリッジ王は、こちらを見ると薄く笑った。

 既に夜空に月はなかった。

 王の表情は闇に隠れていたが、今の私には昼間と同様に良く見て取る事が出来た。

「すまないな、竜騎士の少女。直接話がしたくてな」

 グリッジ王が真っ直ぐに私を見据える。

 その眼光はやはり鋭かったが、先ほどまでの覇気は感じられなかった。

「やはり、もう抗えんか」

 暗い声でグリッジ王が呟く。

 それが私に対する問い掛けだと気がつくまでに、少し時間が必要だった。

 私は、躊躇なく静かに頷いた。

 グリッジという王国の最期なのだ。

 言葉を虚飾で彩る必要はない。

「……そうか」

 グリッジ王は低い声でそう言うと、深く息を吐いた。

 室内を沈黙が満たす。

 そのまま、どれくらいの時間が経っただろうか。

 グリッジ王は鎧を鳴らして私に背を向けた。

「……今城に残っているのは、最後までグリッジを離れなかった者たちだ。民は、オルギスラ帝国の東進が始まった時点で出来る限り逃した。しかし彼らは、グリッジ以外に行く宛のない者たちばかりなのだ。皆この地に、故郷に残りたがっているが」

 グリッジ王は、短くため息を吐いた。

「竜騎士殿。どうか彼らを導いてやってくれ。私は、彼らの故郷を守ってやれなかった」

 最後の方は消え入る様な声でそう告げたグリッジ王が、僅かに俯いて深く息を吐いた。

「父祖から受け継いだこの国を、民を、守ってやれなかった」

 その呟きは、しんと静まった室内にゆっくりと沈んで行く。

 この様な状況だ。国王は、常に強くあらねばならなかった筈だ。心の内では終わりを予期しながらも、決してそれを表に見せる事が許されなかったのだろう。

 それが、王の務め。

 人々の上に立ち、導くものの務めか。

 先ほど出会ったばかりの部外者である私だからこそ、そのため込んでいた本音を漏らす事が出来たのだろう。

 ならば、私も私として、王に対さなくてはならない。

 私は、アーフィリルに融合の解除をお願いした。

 室内に、ぱっと白い光が広がった。

 王さまのお願いに答えるには、アーフィリルの力を借りるのではなく、本当の私の言葉でなければならない様な気がした。

 突然の白光に、王さまが驚いた様にこちらを見た。

「なっ、そ、その姿は……」

 グリッジ国王陛下は、ぽかんと口を開けて目を見開き、私を見ていた。

 私はふわふわと降りて来たアーフィリルを胸に抱いて、ペコリと頭を下げた。

「改めまして名乗らせていただきます。私が竜騎士のセナ・アーフィリルと申します、王さま」

 私は顔を上げると、真っ直ぐに国王陛下を見上げた。

「私に何が出来るのか、どこまで出来るかはわかりません。でも、グリッジのみなさんがもう一度やり直せる様に力を尽くしたいと思います。力ない人々が理不尽な暴力に怯えなくても良い様に、皆が安心して暮らせるように、私は今まで戦って来たんです。だから、私も頑張ります! 王さまも、前を向いて下さい! まだ何も、何も、終わった訳ではないのですから!」

 私はアーフィリルを抱き締めたまま、僅かに前へと足を踏み出した。

 グリッジ国王陛下が、じっと私を見つめる。

 私も力を込めて、その目を見返した。

「……そうか。あの白花の竜騎士の正体が、アステナよりも幼い少女とはな。そうか。そうか……。我らは、君の様な子に頼ろうとしていたのか」

 グリッジ国王陛下は俯き、くくくっと喉をならして笑った。

 えっと、アステナさんというお姫さまは、私よりも年下に見えたけど……。

「……そうだな。まだ出来る事はあろう」

 グリッジ国王陛下が顔を上げて私を見た。その目には、僅かではあったけれど先ほどよりもずっと鋭い光が宿っているような気がした。

 その時。

 国王陛下の背後の窓から、光が射し込んで来た。

 黎明だ。

 柔らかな朝日の輝きが、遍く世界を照らし出す。

 新しい1日が始まる瞬間だ。

 今日は、ハインケル城脱出の準備に力を尽くす。そしてもう一度、明日の朝日を迎える頃には、みんなで無事にこのお城を脱出するんだ。

 私は窓の向こう、遥か世界の彼方から昇る朝日を見つめて、うんっと小さく頷いた。

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