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第34幕

 私たちエーレスタの部隊とレティシアさんたちウェリスタ隊は、それぞれ別々の方向から世界樹下の緑の領域に接近する事になった。

 散開して針葉樹や岩に身を隠しながら、ジリジリと雪山の領域から緑が濃い地点に近付いて行く。

 坂の上で奇襲を仕掛けて来たのは、帝国軍の警戒部隊だった。

 ラドリア王国側に自分たちの存在が露見しているとわかっていた帝国軍は、ああしてラドリア王国軍を迎え撃つ防衛線を構築していたのだろう。

 残念ながら彼らが対面したのは、ラドリア軍ではなくエーレスタ・ウェリスタ連合部隊の私たちだったのだけれど。

 警戒用の先鋒部隊がいるという事は、帝国軍の本隊がまだこの先にいる筈なのだ。

 彼らがこの世界樹で何をしているのかはわからないけど、迅速に制圧して帝国軍の策動の証拠を押さえなければ……!

 私はオレットさんの隣で大岩に身を隠しながら、ふうっと息を吐いて呼吸を整えた。そしてそっと顔を出して世界樹の方を窺う。

 谷の上から見た時も、雪山の風景の中に緑の領域が広がり巨大な樹が立っている光景は異様だなと思ったけれど、間近で見るとその違和感はさらに大きくなった。

 私がいる場所は雪と岩ばかりなのに、すぐそこには色鮮やかな草花が咲き乱れ、穏やかに風に揺れているのだ。

 そして、その中心にそびえる大樹。

 1個中隊の人員がずらりと並んでも囲めるかわからない様な太い幹に、ほぼ緑の領域を覆ってしまいそうな程巨大な枝葉など、もはや樹と呼んでいいのかもわからないほどの巨大さだった。

 その根元に……。

 いた、帝国軍だ!

 世界樹の根元辺りに、機獣を含めた帝国軍部隊の姿が見えた。しかし巨大な世界樹に比べると、あの牡牛の機獣がまるでおもちゃの様に見えてしまう。

 吹き抜ける寒風に、世界樹の枝が揺れる。

 ざざあっと巨大な枝葉が揺れ動く様は、まるで世界そのものが震えている様だった。

 う、とっとっ……。

 いけない、いけない。

 じっと世界樹の枝を見上げていると、後ろにゴロンと転んでしまいそうになる。

「すごい樹だね……」

 私は小声で、頭の上のアーフィリルに話し掛けた。

『うむ。立派なものだ。さすがだ』

 アーフィリルが短く答えてくれる。

 何がさすがなのかわからなくて、私は少し首を傾げた。

 谷をの上で世界樹を見てから、アーフィリルの様子が少し変だった。ずっと何かを考え込んでいる様なのだ。

 どうしたのかな……。

 そんな事を考えながら世界樹を見上げていると、不意にポンと肩を叩かれた。

 振り向くと、オレットさんが次の移動地点となる岩を指差していた。

 オレットさんは周囲に身を隠している味方部隊に対しても、次々とハンドシグナルを送る。

 それを受けて、数人ずつ固まっていた味方の騎士さんたちが、素早く次の障害物がある地点まで移動を開始した。

 しかしもう間もなく、障害物のある場所は終わりとなる。そこから先は、世界樹の幹まで隠れる場所はない。緑の草原が広がっているだけだった。

 緑の領域ギリギリまで近づいた後は、ウェリスタ部隊とタイミングを合わせて突撃するしかない。

 オレットさんが私を見て頷くと、さっと岩陰から身を躍らせて移動を開始した。

 次の岩に辿り着いたオレットさんの合図を待ってから、私も素早く移動を開始した。

 身を低くして、雪の上を走る。

 しかし次の瞬間。

「わぷっ!」

 何かに躓いた私は、勢い良く雪の上に突っ伏していた。

 うー。

 顔が冷たい……。

 私が転んだ瞬間飛び上がって上空に退避したアーフィリルが、のそのそと起き上がろうとする私の背中に、ぽすっと着地した。

「セナ!」

 オレットさんがこちらを見て駆け戻って来てくれる。そして私の腕を引いて、岩陰に連れて行ってくれた。

「す、すみません……」

 私は前髪に付いた雪を払うと、眉をひそめてオレットさんに謝った。

 パタパタと羽を動かして付いて来ていたアーフィリルが、ぽすっといつものとおり私の頭の上に収まる。

 それを見たオレットさんが、ふっと息を吐いて微笑んだ。

 うむ?

 騎士服をぱんぱんと叩き、スカートもひらひらとさせて雪を払った私は、気を取り直して岩陰に身をひそめると、世界樹の根元の帝国軍を窺った。

 世界樹が大き過ぎて距離感がおかしくなりそうだけど、ここから確認出来る2体の機獣までは、まだ距離がある。

 出来るなら、一気に接近したいところだけど……。

『セナ』

 そこで唐突に、アーフィリルの声が響いた。

 作戦行動中や会議の間など、いつもは場の空気を読んで大人しくしてくれているアーフィリルが突然話し掛けて来るなんて、珍しい。

「どうしたの?」

 声をひそめながら私が尋ねると、アーフィリルは短い前足でぽんぽんと私の頭を叩いた。

『セナの行動に付き従うと約したにも関わらず、この様な事を口にするのは心苦しいが、1つ我が願いを聞き入れてはもらえないか?』

 随分かしこまった様子のアーフィリルに、私は首を傾げた。

「何かな。アーフィリルのお願いだったら、何でも大丈夫だよ」

 アーフィリルがお願いを口にするのも珍しい。

『うむ』

 アーフィリルがパタパタと尻尾を振り始める。それが、私の白いままの髪にペシペシとぶつかった。

 どうやら、何でも大丈夫と言った事が嬉しかったみたいだ。

 私が叶えてあげられる程度のお願いだったら、もちろん何でも喜んで協力するつもりだ。アーフィリルには、本当にいつもお世話になっているのだから。

『セナには、我があの大樹の根の下に下りる事を許してもらいたい』

「根っこの下?」

 そんなところに行けるのだろうか。

「そんな事なら、もちろん付き合うよ。でも、根っこの下に行けるなんて、アーフィリルはあの樹を知っているの?」

 私の質問に、アーフィリルは一緒沈黙した。私に何と説明したらいいのか、迷っている様だ。

『直接は知らぬ。しかし、あの樹は、そういうものだ』

 アーフィリルは私の頭の上でピンッと体を伸ばして、世界樹を見つめている様だった。

 ……ふむ。

 アーフィリルにとって、あの樹は何なのだろう?

 私も釣られて世界樹を見上げようとした瞬間、

 耳に装着していたレティシアさんの機械がざざっと鳴った。以前も借りた事がある、遠くの声を聞き取る事が出来る機械だ。

『よろしいかしら、セナちゃん。ウェリスタは全隊配置完了よ』

 微かなノイズ混じりにレティシアさんの声が聞こえる。

「こ、こちらも準備完了です!」

 私は慌てて耳の機械を押さえて答えながら、オレットさんを見た。

 オレットさんが了解だという風に頷いてくれた。

 これで突撃の準備は整ったという訳だ。

 ……よし、いくぞ。

 私は、頭の上のアーフィリルをぽんぽんと軽く叩いた。

「世界樹に行くためにも、まず目の前の帝国軍を何とかしなくちゃ。また力を貸してね、アーフィリル」

 私は、声をひそめてアーフィリルに囁き掛けた。

『うむ、セナの意のままに』

 アーフィリルが重々しく頷いてくれる。

 その次の瞬間。

『では行くわよ。全隊突撃』

 レティシアさんの号令が聞こえて来る。

「突撃です!」

 私も、レティシアさんに合わせて声を上げた。

 オレットさんたちの体が淡く輝く。

 戦技スキル縮地を使って、猛烈な速さで前方の敵目掛けて突進して行くオレットさんたちエーレスタの騎士部隊。

 同時に、マリアちゃんたち援護役の数人が弓を構える。

 そちらも戦技スキルを使用しているのだろう、弓と矢が淡い光を放っていた。

「行くよ、アーフィリル!」

 私もむんっとアーフィリルを掲げる。

 その瞬間、眩い光が周囲に広がった。

 その白光を切り裂いて飛び出した私は、一瞬にしてアーフィリルと融合した大人状態となっていた。

 余剰魔素を放出する、白く光り輝く長い髪がひるがえる。

 変装用にと羽織っていた黒いマントは、魔素で白いドレスが編まれた瞬間、真っ白に染め上げられていた。

 ふわりとその白のマントを広げながら、私は地を蹴って加速する。

 魔素を込めて地面を蹴ると、瞬時に私の体は猛烈な勢いで加速する。

 空気を切り裂き、まるで地面の上を飛ぶ様にして駆ける私は、ほんの2歩で先行するオレットたちを追い抜いた。

「セナ?」

 すれ違う瞬間、フェルトと目が合った。私の突撃を予期していなかったのか、フェルトは驚いた様に目を丸くしていた。

 私は、ふっと微笑んでおく事にする。

 その私の両脇を、マリアたちが放った矢が通過する。

 戦技スキルを用いて放たれた矢は、もはや一条の光と化して帝国軍へと突き刺さった。

 歩哨に立っていた2名の兵士が、瞬時に沈黙する。

 胸を射抜かれた兵の体が崩れ落ちる前に、私はその脇を通過すると、敵集団の中心に飛び込んだ。

 片足を緑の地面にめり込ませる様に踏ん張って、突撃の勢いを殺す。

 同時に、手の中に生み出した白の刃の剣を腰だめに構える。

 剣を構える私の眼前には、牡牛の機獣の巨体があった。

「はっ」

 短く息を吐き、私は低い姿勢から剣を振り抜いた。

 鞘走りの様な軌道を描いた白の刃は、何の抵抗もなく一薙ぎで機獣の首を落とした。

 その間、周囲の帝国兵も首を落とされた機獣自身も微動だにしない。ただ茫然とこちらを見ているだけだった。

 ひとまず奇襲は成功というところか。

 隣に立っていたもう一体の機獣の乗り手が、呆然とした顔で私を見ている。その顔が、徐々に驚愕に歪んで行く。

 しかしその時には、左足を軸にしてひらりと回転した私は、白の剣を大上段に振りかぶっていた。

 少し遅れてふわりとドレスの裾が広がる。

 そして、白刃一閃。

 瞬時に2体目の機獣の首を落とす。

 草花の咲き乱れる緑の上に、重々しい地響きを上げて先程の機獣が崩れ落ち、続いて今倒したこちらの機獣も横倒しになった。

 私はさっと剣を振り、残る帝国騎士たちを見据えた。

 敵部隊は、相変わらず皆唖然として私を見つめているだけだった。中には、未だ剣に手を掛けずに固まっている騎士もいた。

 奇襲が効いているにしても、動きが悪いな。

「我々は、エーレスタ騎士団特務遊撃部隊だ。抵抗は無駄である。大人しく降伏しろ」

 私はすっと目を細め、周囲の帝国軍部隊を見回した。

 帝国軍部隊がざわめく。

 攻めて来たのがラドリアではなく、エーレスタだった事が意外だった様だ。敵警戒部隊は全滅させていたから、私たちについての情報はこの世界樹の部隊には届かなかったのだろう。

 帝国軍は、それでも私に攻撃を仕掛けて来る事はなかった。互いに顔を見合わせ、どう動いたらいいのか迷っている様子だった。

 やはり士気は低い様だ。

 もしかしたらノルトハーフェンでの帝国軍の敗北や撤退といった情報が、既に伝わっているのかもしれない。しかしそうなると、何故未だこの様な場所を占領したままなのかが疑問になってくる。

「貴様ら、何をしている! 掛かれ! 相手は少数だぞ!」

 そこでやっと、他より立派な鎧を身に付けた騎士が私に剣先を向けて来た。その黒い鎧には、獅子と竜を意匠化された金の紋章が刻まれていた。

「そうだ !この場を死守するのだ! 行け!」

 もう1人の同じ紋章の鎧を身に着けた騎士が、ヒステリックに叫んだ。

 ふむ。

 命令はしているが、周りの将兵が混乱している。

 どうも指揮官といった雰囲気ではない様だが。

 その敵騎士がなおも何かを叫ぼうとした瞬間。

「はああああっ!」

 裂帛の気合を響かせ、フェルトが踏み込んで来た。

「くっ!」

 獅子と竜の紋章の騎士は、後退りながらも剣を振り下ろす。

 しかしその剣は、容易くフェルトの一撃に弾き飛ばされた。

 金属が激突する甲高い音が、周囲に響き渡った。

「制圧しろ!」

 そこへ、オレット以下エーレスタの騎士たちが次々に帝国軍を包囲していく。

 エーレスタの騎士たちに囲まれた帝国騎士や兵士は、容易く打ち倒されるか、戦う前に武器を捨てて投降し始めた。

 しかし。

「くそおおおっ!」

「皇帝陛下万歳!」

 先程の獅子と竜の紋章の騎士が、鬼気迫る叫び声を上げてフェルトたちに挑み掛かって来る。

 フェルトは、しかし冷静にその突撃をいなし、瞬く間にその敵騎士を斬り捨てた。

 もう1人の紋章の騎士も、2人のエーレスタの女騎士たちに翻弄され、呆気なく討ち取られてしまった。

 その途端、未だ銃を構えていた兵や、まだ抵抗しようとしていた兵たちも、戦意を失ったかの様に次々に武器を捨て、手を挙げた。

 私はふっと息を吐いた。

 これで終わりか。

 私は片手でさっと髪を搔き上げ、頭上の世界樹の枝を見上げた。




 白の剣を消し、胸の下で腕を組んでいる私の前で、エーレスタの騎士たちが手際よく捕らえた帝国軍将兵を拘束していく。

 爽やかな風がさっと吹き抜け、世界樹の枝をざわざわと揺らした。私の白い髪とドレスも、ふわりと広がる。

 風が暖かい。

 この世界樹の下は、やはり他とは空気が違う様だ。

 アーフィリルと融合していると良くわかるが、この周辺の魔素は他とは違い、明らかに高濃度だった。この世界樹が巨大なのも、周囲に緑が広がっているのも、この高濃度の魔素の影響で植物が異常成長しているためだろう。

 私は世界樹の幹の向こう、左方向へと目をやった。

 幹が太いのでかなり離れてしまっているが、あちら側から突入したウェリスタ部隊も、無事帝国軍を制圧した様だ。先程レティシアからも、戦闘が終わった旨の連絡があった。

 私はウェリスタ軍から、その近くに広がっている大地の亀裂に視線を向けた。

 世界樹の幹をぐるりと取り囲む様に、樹と大地の間には亀裂が広がっていた。どうやら、かなり深くまで続く縦穴になっている様だった。

 アーフィリルが言っていた様に、どうやら世界樹の地下にはそれなりに広い空間がある様だ。

 特にウェリスタ部隊がいる辺りなら亀裂の幅も広がっていて、あそこからなら地下に下りられそうだ。

 これで、アーフィリルの要望に応えられるか。

 私はその亀裂を見やりながら、すっと目を細めた。

「セナ!」

 そこに、私を呼ぶ声が響いた。

 声の方向を向くと、帝国軍の天幕や物資が並ぶ場所からオレットがこちらを見ていた。

 そちらに向かうと、オレットが天幕の1つを顎で指し示した。

「捕虜の話によれば、帝国部隊がこの場所にいる目的は、こいつの確保の為らしい」

 オレットが天幕の入り口を開く。

 その中を覗き込んだ私は、僅かに目を見開き、直ぐにすっと細めた。

 天幕の中にうず高く積み上げられていたのは、青く透き通ったクリスタルの塊だった。

「これは、凄いな」

 ただの鉱物でない事は、一瞬にしてわかる。

 これは、魔晶石だ。

 大地の魔素が濃い地域では、稀に魔素が付近の鉱物と融合して結晶化する事がある。それが、現在の我々人間の生活には欠かす事が出来ない魔晶石だ。

 魔晶石は、様々な物の力の源として重宝される。例えば、街灯や水道施設などの機械の動力源や戦技スキルの発動触媒など、その用途は多岐に渡る。

 一般的には高密度高濃度の魔晶石ほど貴重品として扱われるが、しかしここにある青の結晶は、並の魔晶石ではなかった。

 純粋な魔素の結晶といってもいい程の高密度、高純度。

 こんなものは、見たことがない。

 私の肌にも、ピリピリと響いてくる。

 この魔素の反応は、尋常ではない。

 それにこんな品が天幕一杯あるとは、驚くべき事だった。

 目の前の魔晶石の山を見ていると、ドキリと微かに胸の奥が震えた。

『……ふむ。やはりか』

 何か感じるところがあったのか、アーフィリルが小さく呟く声が胸の中で響いた。

 怒りや悲しみではない。胸の奥から湧き上がって来る切なくて胸を震えさせるこの想いは、何だろう?

「セナ、これ以外にもわかった事がある」

 じっと睨みつける様に魔晶石を見つめる私に、隣に立つオレットが話し掛けて来た。

 私はふっと息を吐き、オレットを見る。

「1つは、最後まで頑張っていたあの騎士、例の帝国軍親衛師団から派遣された騎士らしい」

 親衛師団。

 アンリエッタの所属先にして、今回の戦争を推し進めているといわれる勢力だ。

 私は、カルザ王国のラーナブルクで捕虜にした帝国軍のリッジス准将の話を思い出した。

 ここの部隊の士気が低かったのも、ラーナブルクと同様にその親衛師団の騎士が撤退や降伏を許さなかったからなのだろう。

「もう1つは、まだ敵の残りが世界樹の地下にいるらしいって事だ。この部隊の指揮官も、どうやらそこにいるらしい」

 オレットが表情を消し、ギラリと鋭い目で私をみた。

 ここに至るも、未だ黒の竜の鎧は現れていない。こうなると、件の竜の鎧も地下に潜んでいると考えるのが妥当だろう。

 果たしてそれがアンリエッタかどうかは、まだわからないが。

 アーフィリルの様子やこの魔晶石を見た瞬間の不思議な感覚も気になるところではあったけれど、ここはまず世界樹周りの帝国軍を無力化するのが先決だろう。

 私はフェルトや他の騎士たちにこの場を任せ、オレット以下3人の騎士を連れてウェリスタ軍が制圧した場所へと向かった。

 世界樹の地下に降りるなら、そちらの方が大地の亀裂が大きかったし、地下に突入するならレティシアの掩護があれば心強い。

 ウェリスタ軍が突入した場所に着くと、こちらも制圧した帝国部隊の拘束や残された物資の確認を行っているところっだった。

 しかし、見渡す限りレティシアの姿はない。

「アーフィリルさま!」

 直ぐにウェリスタ軍の中から、若い騎士が駆け寄って来た。

 見た事がある騎士だった。今回の作戦ではレティシアさんの副官をやっている者だったと思う。

 私が目を向けると、その副官の騎士は緊張した様に顔を強張らせて姿勢を正した。

「レティシア隊長は、現在地下空間の探索に赴いております。地下は通信機能が使えないそうで、アーフィリルさまが来られれば、その様にお伝えする様にと」

 やはり地下か。

 私は了解したとその騎士に頷いて見せると、オレットと視線を合わせた。

「もし地下に向かわれるのでしたら、あちらの帝国軍が設置した昇降機が使えます」

 私の考えを察したのか、すかさずレティシアの副官の騎士がそう告げると、大地の裂け目の方を指さした。

 さすがレティシアの部下。察しがいい。

 副官が指し示した方向には、牡牛の機獣が伏せの姿勢を取っていた。

 その機獣は、大砲や衝角の代わりに背中に大きな滑車を背負っていた。どうやら戦闘用ではなく作業用の機獣の様だ。

 機獣の滑車から伸びたロープは、そのまま大地の裂け目の中に続いてた。その周囲には、木製のゴンドラの様な物も見える。あれで穴の中に下りられるのだろう。

「あの機獣は制圧済みです。ご安心下さい。今、レティシアさまのもとへ送る第2陣を準備中です。よろしければ、ご一緒にどうぞ」

「ありがとう。手回しの良い事だ」

 私は副官の騎士にふわりと微笑みかけ、礼を述べた。

 顔を紅潮させたレティシアの副官の騎士が、慌てた様子で背筋を伸ばして敬礼をした。

 もう一度副官の騎士に礼を告げると、私はオレットを伴って大地の裂け目へと向かった。

「オレット、私が先行する。そちらも、必要な人員を連れて下りて来い」

 私は、隣に並んだオレットを一瞥した。

「くくくっ、了解だ。しかしこりゃ、ほっとくとフェルトのライバルが大量に生まれそうだな」

 オレットは私を身ながら、ニヤニヤ笑いを浮かべていた。

 ふむ。

 何故ここでフェルトが出てくるのかわからなかったが、オレットはいつもの調子の様だ。気負いがないのは良い事だが、傍から見ていれば不真面目に見えてしまうのは、オレットにとってもマイナスではないだろうか。

 私がむうっと眉をひそめていると、オレットはポンと私の肩を叩いた。

「セナも、アーフィリルが一緒だからって、警戒を怠るなよ」

 オレットはそう告げると、さっさと機獣の昇降機の方へと向かって行った。他のエーレスタの騎士たちもその後に続く。

 私が小さかろうが大きかろうが同じ態度で接してくるのは、オレットくらいだなと思う。後は、アメルか。

 私は小さく息を吐きながら、大地の裂け目のギリギリの場所に立った。

 黒く口を開ける穴は、深い。

 底が見えない。

 穴の先がぼうっと微かに輝いて見えるのは、先行しているウェリスタ隊の松明だろうか。

 地下から吹き上げて来る風が、ゴオっと唸りを上げている。

 それはまるで、この戦争が始まる前は毎朝聞いていた、エーレスタの城の竜舎から聞こえて来る竜たちの咆哮の様だった。

 気を抜くと、その暗闇の中に吸い込まれてしまいそうだ。

 私は、両手に白の剣を生み出した。

 どのタイミングで竜の鎧や帝国軍が襲いかかって来るかわからない。オレットが言う様に、警戒しなければならない。

「行くぞ、アーフィリル」

 私は、胸の中のアーフィリルに声を掛けた。

『……うむ』

 アーフィリルの声が、重々しく響く。

 私は静かに息を吸い込む。

 そして、ふわりと地を蹴った。

 深く大地の底へと続く暗闇に、身を躍らせる。

 微かな浮遊感の後、私は地下空間へと落下し始めた。

 ドレスの裾が、ひらひらと舞う。

 落ちるという感覚は、最初だけだった。

 周囲の大気に干渉して落下速度を制御すれば、後はゆっくりゆっくりと穴の底を目指すだけだ。

 縦穴の暗闇に身を沈め、地上の光が遠くなると、私は自身の周囲に光の球を飛ばした。

 周囲の穴の様子が、その淡い魔素の光に照らし出される。

 ゆらゆらと揺れる魔素の球は、岩壁や私の目の前に広がる巨樹の幹の、その表面の凹凸を強調する。

 ゴツゴツとした樹皮の影が、長く伸びては短く消えて行く。

 それにしても、やはりこの世界樹の大きさには圧倒されてしまう。狭い地下空間では、見渡す限りが世界樹の樹皮で埋め尽くされていた。

 永遠に続くかと思われた世界樹の壁は、やがて複雑に枝分かれし始めた。

 やっと根に辿り着いた様だ。

 竜の身体の様な太さの根が、縦に横に大地の奥底で絡み合っている。

 それはまるで、太古の地層で眠る古の化石の様であり、巨大な根で編まれた檻の様だった。

 縦穴は、その根の僅かな隙間を通り、さらに下へと続いていた。

 やがて足元に、淡い光が広がり始めた。

 私は、魔素の光球をふっと消す。

 その瞬間。

 周囲が、ぼおっと青い光に包まれた。

 地上から見下ろした際は松明の明かりか何かだと思ったその光は、淡く広く、足元に広がる地下空間全体を包み込んでいた。

 不思議な光だった。

 身体全体を包み込む様な温かさを感じる。

 これは、魔素の光だ。

 地下には、むせ返る様な高密度の魔素が充満していた。

 私は、先ほど見たばかりの大量の魔晶石を思い出す。

 地下空間を満たす淡い青の光は、あの魔晶石と同じ色の輝きをしていた。

 世界樹の根を超えると、ようやく穴の底が見えて来る。かなり広い空間が広がっている様だった。

 地下空洞の底が近付くにつれて、淡い青の光の中、その広い空間の端で、何者かが争っているのも見えて来た。

 激しく剣を交えているのは、ウェリスタの部隊と帝国軍の騎士たちだ。どうやらこの地下でも、激しい戦闘が発生している様だ。

 見える限りの周囲には、既に帝国軍やウェリスタ軍の騎士たちの亡骸が無数に散らばっていた。

 生き残ったウェリスタの騎士たちが、レティシアを中心に円陣を組みながら攻め掛かる帝国騎士を押し留めていた。

 形勢は、帝国軍優勢の様だった。

 攻める帝国軍騎士は、5人しかいない。

 しかし。

 私はすっと目を細めた。

 その帝国騎士の中心には、両手に小剣を構えた黒い竜の鎧の姿があった。

『ガギギギギギッ!』

 奇声を上げてレティシアへと襲い掛かる竜の鎧。その動きは、騎士や戦士というよりも、野の獣の様だった。

 レティシアが、魔術スキルの火炎球を放った。

 轟音と共に地下空洞がびりびりと震え、火球が黒鎧に直撃する。

 しかし、竜の鎧の突撃は止まらない。

 周囲の帝国騎士も片手に歩兵銃、片手に剣を携え、雄叫びを上げてウェリスタ軍に襲い掛かる。

 そちらに対処するのが精一杯で、ウェリスタの騎士たちはレティシアの掩護が出来ない様だった。

 レティシアが赤マントをひるがえし、後退する。

 私は体を倒して前傾姿勢を取ると、ふっと短く息を吐く。

 もちろんこのまま、レティシアをやらせる訳にはいかない。

 私は足の下に魔素を注ぐと、その爆裂する勢いを利用して急加速した。

 空を蹴り、真っすぐレティシアのもとへ。

 次の瞬間には私は、カツリと踵を鳴らしてレティシアと竜に鎧の間に降り立っていた。

 レティシアが目を丸めて私を見る。

 黒の竜の鎧は、突然宙から降って来た私に対応する事が出来なかったのか、そのまま私目掛けて突っ込んで来た。

 私はその黒の鎧を横目で見ながら、すっと白の剣を振るった。

 ただの騎士ならば、その一撃で間違いなく胴を両断出来ただろう。

 しかし、さすがは規格外の動きをする竜の鎧といったところか。

 私の刃がその片腕を斬り落とした段階で、竜の鎧は横へ飛び、地面を転がる様にして私から逃れたのだ。

 こちらの斬撃の威力をも利用して横に飛んだ様だ。

 敵ながら、なかなか良い判断をしている。

 いや、獣じみた本能がなせる技か。

 黒の竜の鎧は、そのまま勢い余って地下空洞の壁面に激突する。岩肌がくずれ、もうもうと土煙が上がった。

 今の竜の鎧、アンリエッタではなかった様だ。

 動きや外見からしても、オレットやフェルトが倒したアンリエッタの部下の鎧たちと同種の敵だろう。得物は、長剣や戦斧ではなかったけれど。

 この地にいた竜の鎧が、アンリエッタではなかった事に安堵すべきか、それともオレットがアンリエッタに出会えなかった事を残念がるべきか。

 斬り込み役である竜の鎧が後退したため、他の帝国騎士たちも退がり、ウェリスタの部隊から距離をとった。

「助かったわ、セナちゃん。あの鎧、硬いんだから。まったく、嫌になるわ」

 レティシアがほっと息を吐き、ストロベリーブロンドの髪をさっと掻き上げた。

「勇み足だったな、レティシア。こちらと合流してから突入すれば良かったものを」

 私はすっと目を細め、レティシアを横目で見た。

「ふふっ、だって、この魔晶石の塊を前にして、じっとなんてしていられなかったのよ」

 レティシアはくるりと機械の杖を回して、私の背後を指し示した。

 私は、ドレスの裾をひるがえして振り返る。

 そこには、青く輝く巨大なクリスタルの塊があった。

 世界樹の根が、そのクリスタルを守る様に光を発するその表面に絡みついていた。

 この地下空洞を満たす光は、いや、光だけでなくこの濃密な魔素そのものが、そのクリスタルから発せられている様だ。

 あれは、魔晶石か。

 私は、じっとクリスタルを見つめる。

 私が目を離せなくなったのは、眼前に地下空洞の中心に巨大な魔晶石の結晶が鎮座するという幻想的な光景が広がっていたせいではない。

 その中、巨大な魔晶石の結晶の中に、何かがいる。

 それがわかったからだ。

 この胸がきゅっと締め付けられる感覚は、先ほど地上で天幕の中の魔晶石の塊を目にした時と同じだ。いや、先程よりも遥かに強い想いが私を包み込む。

 思わずブーツの踵を響かせて、私は引き寄せられる様にそのクリスタルに向かって歩き出していた。

 先程の竜の鎧との攻防を見ていたのか、残った帝国騎士たちは、剣を構えたままじっとこちらを警戒しているだけで動かない。

「お前たち、何をしている! さっさと敵を排除するのだ! この場所がオルギスラ帝国にとってどれ程価値があるかわからんのか、この馬鹿者共め!」

 やや離れた場所から、1人の帝国騎士が怒鳴り声を上げていた。どうやら、ここにもやはり親衛師団の騎士がいる様だ。

 その傍らには、羽根飾りの付いた兜を被った指揮官らしき騎士もいた。

 そちらの指揮官は、押し黙ったまま私を睨みつけているだけで動かない。私の噂でも知っているのか、こちらに攻撃を仕掛ける事が無意味だとわかっているのだろう。

 私は帝国騎士たちに横目で視線を送り、ゆっくりとクリスタルに近づく。

 そして。

 青の結晶の前で、私は静かに立ち止まった。

「これは、竜か」

 私は、巨大な青の結晶を見上げる。

 透き通ったその中には、羽毛に包まれた巨大な竜が佇んでいた。

 その姿は、大きなアーフィリルとそっくりだった。

 ドキドキと胸が鳴る。

『……アルテラール』

 その私の中で、アーフィリルが短くそう呟いた。




 青クリスタルの中に佇む羽毛の祖竜は、座した姿勢のままやや俯き加減に首を垂らし、目を瞑っていた。

 羽毛に覆われた巨大な体躯や折り畳まれた翼はアーフィリルと同じ。少し違うのは、後頭部の角の形状くらいだった。

 私は、じっとクリスタルの中の竜を見つめる。

 目が離せなかった。

 体の奥底から湧き上がって来る懐かしさや切なさが、私を満たしていく。

 私はさっと胸に手を当て、その手をぎゅっと拳を握り締めた。

 アーフィリルと融合した私には、そんな気持ちに少し戸惑いながらも、それが私自身の想いではないという事がわかった。

 これは、アーフィリルが抱いている想い。

 しかし押し寄せて来る感情のうねりがあまりにも大きすぎて、そう理解していても私自身の想いとアーフィリルの想いの境目がわからなくなってしまう。

 やはり、ここにいたのか。

 最初にあの大樹を見た瞬間からわかっていた。

 汝の魔素を十分に吸い上げ、成長したあの樹を見た瞬間から。

 くっ。

 これは、アーフィリルか。

 ずきりと頭が痛む。

 私は顔を覆う様に手を当てると、その場に片膝を着いてしゃがみ込んでしまった。

 その時。

「セナちゃん!」

 背後でレティシアが私の名を呼ぶ声がした。

「くっ」

 歯を食いしばり、キッと目の前のクリスタルの竜を睨み付けた瞬間。

 周囲の景色が切り替わった。

 ふと気がつくと、私は青い空にいた。

 見渡す限り遮るもののない大空。

 海に浮かぶ島の様にこんもりとした雲の塊がゆったりと漂い、足元には微かに緑の大地を見て取る事が出来た。

 私は今、空を飛んでいる。

 それは理解出来たけれど、ここはどこだ。

 不意に私は、自分が人の形をしてない事を知る。

 そして理解した。

 これは、アーフィリルの記憶の中なのだと。

 アーフィリルを体の中に宿していた筈の私は、今は逆にアーフィリルの中からその記憶を見ているのだ。

 アーフィリルは、背に誰かを乗せて遥か空の高みを飛んでいた。

「気持ちいいな。やっぱり空を飛ぶのは楽しいよ」

 背に乗せた青年が朗らかに笑う。

『これから戦地に赴こうというのに、緊張感が足らぬのではないか、アベルよ』

 アーフィリルが、いつもの調子で重々しく告げる。

 しかしアベルと呼ばれた青年は、はははっと明るく笑った。

「気負ってもしょうがないさ。気合いと集中力は、戦場でこそ発揮すればいい」

 アベルはそう言うと、アーフィリルの首筋を撫でた。

『うむ。きちんと考えているなら、良いのだが』

 アーフィリルが気持ちよさそうに目を細めた。

 その真面目な返答に、アベルがやはりはははっと笑った。

『相変わらずいいコンビだな、お2人さん!』

『うむ。我とランス程ではないがな』

 アベルとは別の声が響き、アーフィリルの下方から巨大な白い物体が上昇して来た。

 それは、アーフィリルと同じ羽毛に包まれた、巨大な翼を広げた白い竜だった。

 アーフィリルよりはやや青み掛かった白の羽の竜は、ふわりとその大きな翼に風を受けてアーフィリルの隣に並んだ。

 もう一体の竜の乗り手であるランスと呼ばれた青年と、アーフィリルの乗り手であるアベルが親しげに話を始めた。

 アーフィリルとランスの竜も、至近距離で視線を合わせた。

『アーフィリルよ。お前は高く飛びすぎだ。戦闘前に無駄な力を使ってどうする』

 隣を飛ぶ竜が、親しげな口調でアーフィリルに話し掛けて来た。

『うむ、アルテラールよ。我は世界を見るのが好きなのだ。この高みをから世界を見つめるのが、な』

 アルテラール。

 アーフィリルが、先程クリスタルの中の竜を前にして口にした名前だ。

 確かにアーフィリルの隣を飛ぶ竜は、青のクリスタルの中にいた竜と同じ角の形をしていた。

『世界の命運を掛けた戦いに赴く今こそ、こうして我らが世界を見ておきたい。そうは思わないか、アルテラール』

『ふっ、お前は何があっても変わらないな、アーフィリル。変わり者だよ。しかしお前が高く飛べば、他の者も付いて来たがるのだぞ。我も含めてな』

 喉を鳴らして笑うアルテラール。

 アーフィリルが下方を見ると、やはり白い翼を広げた竜たちが数体、こちら目指して上昇して来るところだった。

 竜たちは風にのり、戯れる様に互いの位置を入れ替えながら飛ぶ。

 アーフィリルとアルテラールは常に並びながら、時たま言葉を交わしながら、ゆったりと翼を動かして飛んでいく。

 2体の竜の間には、親しげな空気が満ちていた。まるで友と一緒にいる様な、家族と一緒にいる様なそんな空気が。

 きっとアーフィリルにとって、世界を見つめながら一緒に空を飛んだこの瞬間が、アルテラールと過ごした思い出の中で一番印象に残っていた出来事なのだろう。

 だから、クリスタルの中のアルテラールを見た瞬間、その想いが溢れて私をも包み込んでしまったのだ。

「アーフィリル」

 私は小さく呟くと、アーフィリルが微かに静かに首を振った気がした。

『すまないな、セナよ。久方ぶりに同胞に会い、少し感傷的になってしまった様だ』

 アーフィリルがそう呟くと、私を包み込んでいた強い想いがさっと引いていくのがわかった。

 そして瞬きをして目を開いた次の瞬間には、私は先程までと同じ様に淡い青の光が満ちる地下空洞に立っていた。

 目の前のクリスタルの中には、静かに佇むアルテラールの姿があった。

『まさかお前が先に大地に還るとは、な。今も変わらず、どこかで惰眠を貪っていると思っていたが』

 アーフィリルが、柔らかな口調でそう告げる。

 大地に還る。

 その言葉の意味は、私にも理解出来た。

 魔晶石の中で眠るこのアルテラールという羽毛の祖竜は、既に死んでいる。

 己が役割を果たし、この地で果てたのだ。

 高濃度の魔素を含んだその肉体は、しかし朽ちる事なくその身からあふれ出た魔素により結晶体となった。そして豊かなその魔素で、未だに世界樹の巨木を、付近の土地や山や動物や植物を豊かに育んでいる。

 この祖竜の亡骸がある事を知っていて、アーフィリルは地下行きを望んだのだ。妙に申し訳なさそうにしていたのは、このクリスタルの竜に会う事が、感傷から来ている行動に過ぎないと自覚していたからだろう。

「アーフィリル」

 私がもう一度アーフィリルの名を呼んだ瞬間。

「セナちゃん!」

 再びレティシアの鋭い声が地下空間に響き渡った。

 同時に、ガシャリと鎧の音が鳴る。

 ドレスの裾をひるがえしてさっと振り返ると、そこには今まさに私へと飛び掛かろうとする、隻腕となった黒の竜の鎧の姿があった。

『ギガアアアアッ!』

 耳障りな獣の咆哮の様な絶叫が響き渡る。

 私はキッとその鎧を睨みつけた。

「私たちの再会を邪魔するな、木偶が」

 私は低い声で呟くと、右手の剣で得物を握る竜の鎧の腕を斬り飛ばした。

『ギギ?』

 続いて左手の剣の一閃で鎧の両足を横薙ぎにした私は、なおも突撃の勢いを殺せないその黒い塊の中央に、白の刃を突き立てた。

 ガシャリと甲高い音を立て、竜の鎧の残骸が地下空洞の地面に散らばった。

 ウェリスタ部隊の騎士も帝国軍の騎士たちも、その一瞬の出来事にただ唖然となってじっと私を凝視していた。

 やはりこの竜の鎧は、アンリエッタなどではなかった。

 アンリエッタが、こんなに弱い筈がない。

 私は目を細め、黒の鎧だったものを見下ろす。そしてブンッと白の刃を振ると、両手の剣を消した。

 ガタンと何かが地面に落ちる音がする。

 オレットたちを乗せたゴンドラが、やっと到着したのだ。

 次々に現れるエーレスタの騎士たちを目の当たりにして、帝国軍の指揮官が投降を申し出て来た。黒鎧が倒れ、こちらの増援がやって来た以上、戦闘はもはや無意味と判断したのだろう。

 武器を捨てる帝国騎士たちに罵声を浴びせながら、例によって親衛師団の騎士と思しき1人が特攻を仕掛けてくるが、呆気なく周囲のエーレスタ・ウェリスタの騎士たちによって無力化されてしまった。

 これで、この地下空洞は我々が掌握した事になる。

「もういいぞ、アーフィリル」

 私は胸に手を当ててアーフィリルに囁き掛けた。

「友との別れ、果たして来るといい」

『……すまないな、優しき者』

 私がふっと微笑むと、アーフィリルは短くそう答えた。

 私の体が、ぱっと広がった白い光に包まれた。

 巨大なものが体から離れていく感覚の後、私は元の小さな姿に戻っていた。

 そしてその私の目の前に、久し振りに元の威厳ある巨大な竜の形となったアーフィリルが現れる。

 アーフィリルは、お座りの姿勢のまま、青のクリスタルの中のアルテラールをじっと見つめていた。

 まるで合わせ鏡の様に、同じ様な姿の羽毛の竜が同じような姿勢で向かい合っている光景は、何だか幻想的だった。

『アルテラール。汝が先に逝くとはな。せっかちな汝らしいな』

 アーフィリルが、静かな口調でかつての友であった祖竜に話し掛ける。

『我らが竜の使命、きちんと果たせた様だな。死して尚その身を挺し、星を富まさんとするその姿、敬服する』

 私はふるふると震えそうになる唇をぎゅっと噛み締めた。そして両手で、騎士服の上着の裾をぎゅっと握り締めた。

 アーフィリルから流れ込んで来た強い感情のおかげで、私にも少しだけアーフィリルのたちの事情がわかっていた。

 アーフィリルたち祖竜は、私たち人間からすれば、想像もつかないほどの長い年月を生きて来た。それは、一般的な竜が長命とはいえ生物的な成長や繁殖、死を繰り返すのとは全く違う生き方だ。

 アーフィリルたちは、一つの命として、この星の長い歴史に寄り添って来たのだ。

 そんな彼ら祖竜には、大事な大事な使命があった。

 それは、星を満たす魔素の循環を司る事。

 その使命を果たす為に永劫ともいえる永い時を過ごして来た祖竜たちは、周囲の様々な生き物が栄え、死滅していくのを何度も何度も目の当たりにして来た。

 そんな中で、同じ使命に準ずる仲間たちだけが、彼らにとって互いに唯一無二の友人であり、家族だった。

 寝ぐらが近かった為か、そんな祖竜の仲間の中でも、アーフィリルとアルテラールは交流を持つ事が多かったみたいだ。

 はるか昔、人間と共に戦った際も、翼を並べて共に戦ったのだ。

『我らが使命が終わりに近付いているのは、我も感じていた。もうこの世界は、我らなしでも十分にやっていけるだろう。我ら竜も、命から解放される。我が汝を追う日も近いだろう』

 アーフィリルが、ふっと笑った様な気がした。

 私はドキリと震える。

 竜たちのおかげで、この世界は安定して魔素を循環させる事が出来る様に成長した。しかしそれは、世界が祖竜たちを必要としない様になり始めている事を意味していた。

 祖竜たちは今、使命から解放され様としている。そして、後はその身が朽ちるのを待つだけの存在になろうとしている。

 やがて祖竜は、この世界からいなくなる。

 このアルテラールの様に。

 それは、この世界と竜たちが求めた必然だった。

 ……でも。

 私はとととっと小走りにアーフィリルに駆け寄ると、その太い前足にがばっと抱き着いた。お日さまの良い匂いと柔らかな白の羽毛の感触が、私を包み込んでくれる。

 ……アーフィリルがいなくなるなんて嫌だ。

 アーフィリルとお別れするのは嫌だ。

 もうアーフィリルは、私にとっていつも側にいてくれる掛け替えのない大切な存在なのだから。

『セナ。遅かれ早かれ使命を終えた我々はこの大地に還る。その骸を糧としてますますこの世界が栄えるのであれば、それは喜ばしい事だ。このアルテラールの様にな』

 アーフィリルの優しい声が、私の中に響く。

 ……でも、嫌だ。アーフィリルには、側にいてほしい。

 私はぎゅっと力を込めてアーフィリルを抱き締める。

『だが、我が逝くのはまだ先だよ。セナの生を見届けるくらいは造作もない事だ。我らの時間は人とは違う。だからそう泣くものではない、セナよ』

 前足に抱き着く私を、アーフィリルのふわふわの長い尻尾が包み込んでくれた。

 今すぐの別れではない……。

 それを聞いて、私は少しだけ安堵の息を吐いた。

 ……穏やかに優しい目でかつての仲間を見つめるアーフィリルを見ていて、急にアーフィリルがどこかに行ってしまう様な気がして、私は不安になってしまったのだ。

 ……むう、駄目だ。

 アーフィリルに気を遣わせてしまったら、私がせっかくの古い友人との再会を邪魔してしまっている事になってしまう。これでは、あの竜の鎧と同じだ。

 私はアーフィリルから体を離すと、グリグリと目を擦った。

「……ごめんね、アーフィリル。私は離れているから、お友だちとのお別れ、ちゃんと済ませてあげて」

 私はにこりと微笑んで、アーフィリルを見上げた。

 緑の大きな瞳が、優しく私を見下ろす。そして、アーフィリルのはゆっくりと頷いた。

 私はそのまま少し離れて地面の上に腰座ると、膝を抱えてアーフィリルとクリスタルの中のアルテラールが向かい合う光景を見守る事にした。

 そこへ、赤のローブを揺らしたレティシアさんとオレットさんが近付いて来る。2人は私を挟み込む様にして両脇に立つと、やはりアーフィリルたちを見た。

「あの竜、アーフィリルちゃんとそっくりね。知り合いなの?」

 私はレティシアさんを見上げてこくりと頷いた。そして、アーフィリルとアルテラールが友人だった事と、使命を終えて果てた友にアーフィリルがお別れを告げているのだと説明した。

「なるほどね。祖竜の存在と使命、興味深い話だわ」

 ぐふふとレティシアさんが不気味な笑い声を上げる。

 私は次に、竜の鎧の残骸を一瞥してからオレットさんを見上げた。

「オレットさん。あの、アンリエッタ、ここにはいませんでした……」

 眉をひそめる私に、オレットさんはニッと笑う。そして隣にしゃがみ込むと、ぽんぽんと私の頭を叩いた。

「まぁ、これでラドリアから依頼された作戦は成功だ。また名を上げるな、竜騎士殿」

 ニヤニヤ笑いを浮かべるオレットさんに、私は苦笑を返した。

 ……やっぱりオレットさんは、いつものオレットさんだ。

 私は微笑みながらコクリと小さく頷いた。

「……セナちゃん。取り込み中申し訳ないけど、私から1つ報告があるわ」

 オレットさんと笑い合っていた私は、真面目な口調のレティシアの声にばっと反対側を見上げた。

 ……別に、オレットさんと話しているのを突っ込まれて恥ずかしかった訳ではない。

「検証はまだこれからの話になるわ。でも、この地に帝国軍がいた事そのものが証拠だから、ほぼ間違いないと思うけれど……」

 顎の先に手をやり、考え込む様に言葉を紡ぐレティシアさん。

 オレットさんも表情を引き締め、レティシアさんを見た。

「機獣。魔素撹乱幕。機刃剣。そしてフォルクスで回収した竜型の鎧。今次戦争で帝国軍が投入して来たこれら画期的な新兵器には、共通して私の知らない部材が使用されていた。魔晶石と似て非なるそれは、それ自体が魔素の結晶でありながら、他の魔素を制御し、増幅する作用を持っていた。帝国軍の新兵器が高出力を維持出来るのは、この部材のおかげなのよ」

 私は眉をひそめてレティシアさんを見つめる。

 この間、魔刃剣が量産出来ない理由としてオレットさんが言っていた事を思いだす。

 帝国軍からの鹵獲品からしか、必要な素材が得られないのだ、と。

 それが今、レティシアさんが言っている品なのだろう。

「機獣や竜型鎧装なんかは、特にこれが沢山使用されていた。アンリエッタだっけ、あの鎧の残骸からも、これが回収されているわ。それが何なのか、今まで私には分からなかった。でも、結晶化したこの祖竜の死体を見てわかった」

 レティシアさんはそこで言葉を切って、アーフィリルと向かい合っているアルテラールを見た。

 まさか……。

 胸がドキリと震える。

「恐らく帝国軍は、竜の骸を兵器に利用しているわ。戦争を推進している帝国親衛師団の騎士がこの場所にこだわっていたのも、あの竜の結晶体が戦線拡大にどうしても必要だったからでしょうね」

 私は目を見開いて息を呑む。そして同時に、地上の帝国軍の天幕にあった青の結晶体の事を思い出した。

 あれはやはり、このアルテラールの体から溢れ出た魔素の結晶を切り出したものだったのだ。

 ……使命に準じて果てたアーフィリルのお友だちの亡骸を切り刻むなんて!

 ましてやそれを、侵略戦争に利用するなんて!

 私はギリっと奥歯を噛み締めた。

 そして、うんしょっと立ち上がる。

 私は痛くなるほどぎゅっと手を握りしめ、優しい目をしているアーフィリルの横顔をじっと見つめた。

 やっぱりこんな戦争、早く止めなければ!

 みんなの為にも。

 竜さんたちの為にも!

 私は大きく息を吸い込み、むんっとその決意を胸に刻み込む。

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