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第32幕

 ノルトハーフェン解放により大陸西部のオルギスラ帝国軍戦力の撃退に成功した私たちウェリスタ・エーレスタ連合軍は、しばらくの間周辺地域の治安維持と帝国軍残党狩りの任務に就く事になった。

 もちろんこれは、エーレスタ本国へ送った使者が戻るまでの任務にすぎない。

 ウェリスタ王国とエーレスタ本国の同意が取れ次第、私たちは東へ向かうつもりでいた。

 今回のサン・ラブール条約同盟国とオルギスラ帝国の戦争の主戦場となっている、東部戦線に加わる為だ。

 本来ならノルトハーフェンでの戦勝の勢いをそのままに、一気にサン・ラブールの領域を横断して東部戦線に向かいたかった。

 しかし大陸の西の端であるここノルトハーフェンから東部戦線に辿り着くまでには、何カ国もの領土を通過する必要がある。サン・ラブール条約に加盟し、同じ共同体に属しているとはいえ、数万の軍隊が勝手に他国に入る訳にはいかず、進軍にはそれぞれの国の同意を取る必要があったのだ。

 戦時を理由に強行するという選択肢もあったけれど、それでは後々禍根を残すかもしれないから控えた方がいいとグレイさんには言われてしまった。

 エーレスタがサン・ラブールの国々の軍事を担う国として活躍していたのは既に過去の話だ。今ではエーレスタも、相手国からの要請がないと勝手に動けないというのが実情だった。

 それが外交というものなのだろうけど、うーん、なかなか難しいものだ……。

 その為各国への働きかけはハルスフォード侯爵さまや政務卿さまたち本国に任せて、私たちはその間ノルトハーフェン近郊の豪商の邸宅を借り受け、そこで待機する事となっていた。

 ウェリスタ領を出てからは連戦続きだったので、ちょうど良い休息の時間ではあったのかもしれない。負傷者も段々増えて来ていたし、亡くなった仲間たちの弔いもまだだったし……。

 ただ待機するだけでなく、私たちは治安維持や帝国軍の残党狩りも行うことになった。

 治安維持任務は重要だ。

 西部地域に侵攻した帝国軍は、ここノルトハーフェンを中心に各方面へと侵攻していた。

 今回の戦いでは、それに対していた各国が私たちのカルザ解放に勢い付き、同時に戦線を押し上げた為に一挙に敵勢力を駆逐する事に成功した。

 しかし短期間での性急な進軍では、敵主力を追い立てるのが精一杯だった様だ。

 各国とも、全ての帝国軍部隊を完全に駆逐出来たかはわからないというのが正直な現在の状況だった。

 現にノルトハーフェンに駐屯する様になって数日で、私たちは何個隊かの残存帝国軍部隊を捕らえていた。

 そのいずれもがノルトハーフェンまで撤退出来なかった部隊で、小規模かつ士気の低い部隊ばかりではあったけれど。

 でも、私たちの役割はサン・ラブールの味方部隊が東部戦線に集中するため、背後の憂いを取り除く事なのだ。

 いくら小規模部隊でも、再集結して再びノルトハーフェンやその他の町村を襲撃する可能性がある以上は放置しておけるものではなかった。

 ノルトハーフェンを奪還し、敵の主力は駆逐した。でもそれで全てが元通りかといえば、事態はそう単純ではなかったのだ。

 目の前に展開する万の大軍よりも、いるかどうかわからない小規模部隊に備える方が、もしかしたら大変かもしれない。

 隊のみんなには、まだまだ苦労を掛ける事になってしまうと思うけれど……。

 ノルトハーフェン郊外に陣を構える私たちは、次の戦場に向かうまでの時間を、そんな戦後の処理に奔走しながら過ごしていた。



 そんな情勢の下。

 私自身は、借り受けているお屋敷で部隊長としての書類決裁や本国への報告書作成に追われる毎日を送っていた。

 大規模部隊を動かすという事には、びっくりするほど多くの手続きがいるものだ。

 隊務管理課にいて書類や事務仕事の大切さはわかっているのに、今は外で思いっきり剣の稽古をしたい気分だった。

 もちろんそんな事は、隣の部屋に控えているレイランドさんが許してくれないけれど……。

 私は欠員の出た第2中隊の再編案にさらさらと承認のサインをしてから、はふうっと息を吐いた。そしてうんっと伸びをする。

「うくっ」

 思いっきり手を振り上げたせいで、一瞬全身に激痛が走る。

 アンリエッタ戦の後遺症が、まだ完全に治りきっていないのだ。

 髪も白いままだし……。

 私はゆっくりと手を下し、ふうっと深く息を吐いた。

 早く元気になって、次の作戦に備えなければ……!

 私はむんっと気合いを入れてから、机の上で丸くなっているアーフィリルのお尻をペンで突いてみる。

『む』

 アーフィリルが、びくりとして頭を上げた。

 私はふふふっと笑って、手元の書類に視線を落とした。

 今お仕事に借りているこの部屋は、このお屋敷の持ち主の方の書斎だった部屋だ。

 広い部屋で、備え付けの調度品なども立派なものばかりだった。今私が向かっている執務机も、エーレスタの私のお屋敷のものより遥かに大きい。

 もしかしたら、ベッドよりも大きいだろうか。

 机の上にアーフィリルが丸くなっていても、仕事には何ら問題ない。多分、お布団を敷けば、私も眠ることが出来ると思う。

 私は数枚の書類を仕上げると、再び無造作に横になっているアーフィリルを突いてみる。

『む』

 むくっと起き上がったアーフィリルが、目をしょぼしょぼさせながら私を見た。

 やっぱりその様子が可笑しくて、私は微笑みながらアーフィリルの背中を撫でてあげる。

『むう……』

 アーフィリルは目を瞑りながら、くたっと横になった。

 その時。

 不意にノックの音が響き渡った。

「ど、どうぞ」

 私は慌てて姿勢を正す。

 アーフィリルと遊んでいるところをレイランドさんに見つかれば、きっと冷たく突き放す様に叱られてしまうに違いない。

「入るぞ、セナ」

 扉を開いて姿を現したのは、しかしレイランドさんではなくオレットさんだった。

 私はほっと息を吐き、笑顔で挨拶する。

 オレットさんを呼び付けていたのは私だった。先ほどレイランドさんの部下の騎士さんにお願いしたのだった。

「それで、何の用だ?」

 オレットさんが執務机の前に立つ。私も立ち上がってオレットさんを見上げた。

 オレットさんは、エーレスタの騎士服姿だった。鎧は身に付けていなかったけれど、腰にはレティシアさん謹製の魔刃剣が吊るされていた。

 私はむんっと力を込め、睨む様にオレットさんを見た。

「忙しいところすみません。あの、えっと、フォルクスで竜の鎧と戦った時の事について、確認したい事がありまして……」

 私が本当に尋ねたいのは、アンリエッタと対峙したあの時、オレットさんがアンリエッタに対して取った行動についてだ。あの時、急に名乗りを上げたり、オレットさんには不可解な行動が見て取れた。

 なんだかんだと色々な事があって、今までその事をオレットさんに尋ねる事が出来ていなかったのだ。

 アンリエッタの脅威が健在な今、オレットさんが何か情報を持っているなら、是非教えてもらわなければ。

「敵のあの竜の鎧、どうでしたか? ノルトハーフェンへの行軍中にも出会った部隊があるみたいですけど」

 私は机に手を着いて少しだけ身を乗り出した。

 正面から正直に質問してもはぐらかされてしまいそうなので、オレットさんとフェルトくんが対した鎧についてから尋ねてみる。

 まず外堀から埋めていく作戦なのだ。

 オレットさんはすっと目を細めて私を見下ろす。

 むむむ……。

 そんな目をしても、引き下がらないもん……。

 はぁっと溜め息を吐き、後頭部を掻くオレットさん。

「ああ、前も話したと思うが、あれは強敵だな。技量以前に身体能力のスペックが並じゃない。単純に速いし力はあるし、それに硬い。並の騎士じゃ、束になっても危ういかもしれんな」

 うむ……。

 やっぱりそうなのか。

 あのフェルトくんが重症を負うくらいなのだ。

「……最悪の事態を想定して、黒鎧に対処する訓練はしておいた方がいいかもしれませんね」

 私は顎に手をやりながら、少しだけ首を傾けた。

 例えば、5人1組で1体の鎧にあたる訓練なんてどうだろう。あんまり大勢で挑んでも、お互い邪魔になるだけだろうし……。

「まぁその辺りの事は、俺とグレイのおっさん、それにカウフマン参謀あたりで色々考えているさ」

 オレットさんは片足に体重を乗せ、腰の剣の柄頭に手を置いた。

「この魔刃剣がもっと揃えられれば、少しは楽になるんだがな。これがあれば、奴らと正面から打ち合える」

 私は眉をひそめてオレットさんの腰の剣を見た。

 確かに竜の鎧たちの武器は、純粋な魔素の刃で編まれていた。ただの鋼の刃では、一方的に斬り捨てるられるだけだ。

「レティシアさんにお願いして、一杯作ってもらえないかな……」

 私は小さな声でモゴモゴと呟く。

「あー、それは厳しいらしいな。この魔刃剣には特殊な材料がいるらしくてな。レティシアが作った分も、帝国軍から鹵獲したものを再利用しているらしい。その部材が揃わない限りは、魔刃剣の量産は無理みたいだな」

「そう、ですか……」

 オレットさんの言葉に、私はむうっと頬を膨らませる。

 奴らに対抗出来る武器がない以上、あの鎧たちが出て来た場合は、私やオレットさんたち少数で対抗せざるを得ないということになる……。

「フォルクスやノルトハーフェンの戦いでも敵さんの剣はいくらか確保出来たみたいだから、もう少しは増産出来るだろうな、魔刃剣は。まぁ、レティシアがやる気を出してくれれば、だが」

 敵のあの魔素の刃を形成出来る新兵器については、確かに10本程新たに押収したという報告は来ていた。

 ……それで多少なりとも戦力の拡充が出来ればいいのだけれども。

 私は腕組みをし、うーんと唸る。

 ……あ、そうだ。

 きゅっと眉をひそめてから思い切って視線を上げた私は、オレットさんを窺った。

「それで、あの、アンリエッタ……」

 私がそう言いかけた瞬間。

 軽快なノックの音が響いた。

 オレットさんを一瞥してから返事をすると、今度はレイランドさんが入って来た。

 オレットさんとレイランドさんが、すれ違い様に鋭い視線を交わす。

 どうもこの2人は、あまり馬が合わないみたいだ。

 レイランドさんは、大量の書類を抱えていた。

 その山が、ドカリと私の前に置かれる。その振動で、アーフィリルがばっと身を起こし周囲を見回した。

 アーフィリルはそのまま起き上がり、読みかけの書類を踏み付けて私の前で改めて丸くなった。

 あ、書類がシワに……。

「セナさま。急ぎの決裁はありません。遅滞ない様に進めていただければ結構です。今回の書類の中には、ご領地からの報告書も入っていますので、よく目を通しておいて下さい」

 レイランドさんはさらさらとそう告げると、くいっと眼鏡を押し上げた。

 領地……。

 新しい町作りに向かったマリアちゃんの村の人やオーズさんたちは、元気でやっているかな。

「ああ、それと。先ほどまたセナさま宛の面会申し込みが来ておりました。グレイ将軍が上手く捌いてくれましたが、竜騎士アーフィリルは未だ休養中という扱いになっています。あまり外をうろうろしない様に」

「あ、はい。了解です」

 私は鋭い視線を向けてくるレイランドさんに、こくこくと頷いた。

 ノルトハーフェン解放が成功し状況が落ち着くと、今回の戦いに参戦した色々な国の偉い人たちが私に面会を求めて来た。

 他国の人と会う時は大人状態の私で、と政務卿さまからもレイランドさんからも言われていた私は、しばらくはそういった面会依頼をお断りする事になった。

 まだアンリエッタとの戦いの後遺症が残っていた私は、しばらくはアーフィリルとの融合を控えるように言われていたためだ。

 私の体の負担を考えて、レティシアさんがそう勧めてくれたのだ。

 そんな私の代わりに、現在はグレイさんがそういった人たちの対応をしてくれていた。

 レイランドさんは私に一礼すると、踵を返した。どうやら伝達事項は終わったらしい。

 そのまま扉に向かいながら、レイランドさんは再びギロリとオレットさんを睨み付けた。

「あまりセナさまの邪魔をしない様に」

 冷ややかなレイランドさんの声。

「ふんっ」

 オレットさんが不機嫌そうに鼻を鳴らす。

 ぬぬぬ……。

 私は胸に手を当ててドキドキしながら、オレットさんとレイランドさんを交互にみた。

 2人とも仲良くして欲しい……。

 妙に長く感じられた睨み合いの後、レイランドさんが退室すると、私はふうっと息を吐いた。

 ……まだ胸がドキドキしているけど、気を取り直してアンリエッタの事を質問しなければ。

「あの、オレットさん!」

 私は意を決して再び声を上げた。

 その瞬間。

 何の前置きもなく、再びばたんと勢いよく扉が開いた。

「セナちゃん、いるかしら!」

 開け放たれた扉の向こうからカツカツとヒールを響かせながら執務室に入って来たのは、真っ赤なローブをひるがえす女の人だった。

 ウェリスタ王国の宮廷魔術士、レティシアさんだ。

 レティシアさんはオレットさんを一瞥すると、そのまま私の執務机の前までやって来る。そして机の上に腰掛けて、ぐいっと私の方に身を乗り出して来た。

 ローブの下から丈の短いスカートが見える。艶やかな白い太ももが露わになってしまっていた。

 あわわわ、書類がぐちゃぐちゃに……。

「セナちゃん、久しぶりね。ああ、やっぱり良いわ、その髪の色。純粋魔素の美しい色。惚れ惚れしてしまわ!」

 レティシアさんが私の髪に手を伸ばし、うっとりとした表情をする。

 私は突然現れたレティシアさんに気圧されながら、僅かに身を仰け反らせてその手を回避した。

「レ、レティシアさん。突然どうしたんですか?」

 私はそう尋ねながら、オレットさんを見た。

 オレットさんは楽しそうにニヤニヤ笑いを浮かべながら、腕組みをして私を見ていた。

 ……助けてくれるつもりはないみたいだ。

「もちろん、セナちゃんとアーフィリルちゃんを観察する為に、という理由が殆どなんだけど」

 レティシアさんは笑みを浮かべたまま、すっと目を細めて私を見た。

「実はお願いがあるの。本当に下らない事なのだけれど」

 レティシアさんは身を引くと、はぁとわざとらしく大きなため息を吐いて見せた。

「聞いているかもしれないなけれど、今集結している諸国軍は間も無く撤退する事になったわ。自国に戻るの」

 私はレティシアさんを見てこくりと頷いた。

 その報告は受けている。

「それで、帰国する前に英雄たるエーレスタの竜騎士と好を結びたいって依頼が、私の所に来ているのよ。それも沢山、ね」

 レティシアさんは疲れた様にわざとらしく肩を落として見せた。

 私は首を傾げる。

 先ほどのレイランドさんの話みたいに、私に会いたいというならエーレスタの陣に来るべきだと思うのだけれど、何故レティシアさんのところに話が行っているのだろう。

 レティシアさんは私に流し目を送ると、今度は事態を静観しているオレットさんを見た。

「……どうもエーレスタの将軍が、エーレスタよりもウェリスタに挨拶しておいた方がいいと勧めているみたいなのよね。それでセナへの取り継ぎの依頼までもが、こちらに来ているのよ」

 あ。

 なるほど……。

 グレイさんが私宛のお客さんを上手く捌いているというのは、そういう事だったのか。

「それでね、うちのお爺さんたちが、ウェリスタ主催で今回の戦勝会を催したいって言ってるの。そこでセナを各国の将校に紹介するんですって」

 そう提案したレティシアさん自身、その戦勝会というものにあまり乗り気ではない様な口調だった。

 エーレスタ宛の客を振られるのには迷惑しているが、戦勝会というもの面倒だといった感じなのだろう。

 それにしても、戦勝会……。

 見知らぬ色々な人に囲まれて、色々な偉い人と挨拶しなければいけないと思うと、今から既に緊張してしまう。思わず胸が、ドキドキとしてしまう。

 うぐぐぐ……。

 私はぎゅむっと唇を噛み締めて、眉をひそめて視線を泳がせた。

 ……どうしたらいいんだろう。

 体調的にはもう殆ど問題ない。アーフィリルと融合するのも大丈夫だと思う。でも、戦争が終わった訳でもないのに、そんなお祝いをしていてもいいのだろうか?

 今この瞬間もきっと、戦っている騎士さまや兵士の皆さんがいる筈なのに……。

 私は助けを求める様にオレットさんを見た。

 目が合うと、オレットさんはひょいっと肩をすくめた。

「将兵を労うには、丁度いい機会なんじゃないか。美味いもの食って酒を飲めば、良い気分転換にもなるだろう」

「まぁ、その辺りはウェリスタとノルトハーフェンの都市評議会にお任せね。きっとうちのお爺さんたちが張り切ってくれるでしょうから。なんせセナを各国に紹介して、ウェリスタの優位をひけらかそうって小賢しい奴らばかりなんだから。そういう奴らは、見栄のためには労力を惜しまないものよ」

 レティシアさんがつまらなさそうにふんっと息を吐いた。

 ……隊のみんなの慰労にもなるというのであれば、反対出来なくなってしまう。その催しで、皆が少しでも楽しんで、疲れを忘れてくれるなら。

 知らない人に挨拶回りしなければならないというのはやっぱり嫌だったけど、それが部隊長とか偉い人のお仕事であるならば、逃げるのは良くないと思うし……。

「そういう事でしたら、了解です……。あ、でもグレイさんとかレイランドさんに相談しないと」

 私は眉をひそめて、困った様に首を傾げた。

「グレイのおっさんには俺から言っておこう。レイランドには、セナから頼む」

 オレットさんが頷く。

「なら決まりね。ああ、それとセナちゃん。今度アーフィリルちゃんと融合する時は、私も立ち会わせてね。色々と確認したい事があるから。ふふふっ」

 レティシアさんは早口でそう言うと、艶やかに微笑んだ。

 私は、思わずびくりと身構えてしまう。

 レティシアさんは私に向かってもう一度ふっと微笑み掛けると、赤のローブをさっとひるがえして踵を返した。そして来た時と同様に、ひらひらと手を振りながら颯爽と執務室を出て行った。

 ……まるで嵐が来たみたいだ。

「まぁ、他の国の人間と接するのも勉強になるだろう。エーレスタの新たな竜騎士、セナ・アーフィリルをアピールするのにも良い機会だ。頑張れよ、セナ」

 レティシアさんを見送ったオレットさんが、腕組みを解きながら私を見てニヤリと悪戯っぽく笑った。

「……アピールしたくはないんですけど」

 どうも緊張している私を面白がっている様なオレットさんを、私はキッと睨み付けた。

「大きなパーティーともなれば、色々な作法も必要だろう。アメルを呼んで来る」

 オレットさんは笑いながらさっと手を上げると、部屋を出て行った。

 執務室がしんと静まりかえると、私ははあっと息を吐いてどかりと椅子に腰掛けた。

 ……何だか大変な事になってしまった。

 しゅんと肩を落とす私の目の前で、くぱっと口を開けて欠伸をしたアーフィリルが、続いて体を起こし前足を揃えて伸びをした。

「あ……!」

 私はばたりと立ち上がる。

 アーフィリルが不思議そうに私を見上げた。

 オレットさんにアンリエッタの事、聞けなかった……!



 ノルトハーフェン解放戦勝会の準備は、急ピッチで進められた。

 会場は、ノルトハーフェン市内の迎賓館となった。

 開催にはウェリスタだけでなくノルトハーフェンの都市評議会や有力商人の方々も協力してくれる事になり、私が想像していた単なるお疲れ様会の様なものよりも遥かに大規模で豪勢なパーティーと化してしまった。

 戦勝会に合わせて、ノルトハーフェンの街自体がお祭りの様な賑わいを見せていた。

 これは、今回の戦勝会が軍人を対象にしたパーティーだけでなく、ノルトハーフェン市民が街の解放を祝い、各国軍に感謝するお祭りに仕立て上げられてしまったからだ。

 どうもそれは、ノルトハーフェン都市評議会が仕組んだことらしいけれど……。

 戦勝会当日にもなると、ここぞとばかりに通りには沢山のお店が並び、様々な芸を披露する人たちまで現れて、ノルトハーフェンの街中は喧騒と混沌に包まれてしまった。

 ただしそれは、明るく笑い声が絶え間なく響き渡る類の賑やかさだ。

 街が解放されて日が浅く、物流の復旧も十分だと言えない状況でこれだけのお祭り騒ぎを作り上げてしまうなんて、さすが商人さんの街だなと思う。

 もっともこれなら、会場に入れない大勢の一般騎士さんや兵士の皆さんも十分楽しんで貰えると思うので、私的には歓迎すべき事だと思っていた。

 私は急速にお祭りが作り上げられていく状況にただ凄い凄いと目を見開くだけだったけれど、しかしオレットさんやグレイさんは少し冷めた顔をしていた。

 理由を尋ねてみると、グレイさんがふっと笑った。

「ノルトハーフェンを牛耳る豪商連中は、各国の海軍が敗退するとオルギスラ帝国に従順な姿勢を取っていた様なのです。帝国の占領中もかなり協力的だった様ですから、ここに来てサン・ラブール側にも媚びを売っておきたいのでしょう」

 戦勝会を都市ぐるみのお祭りにしたのも、ノルトハーフェンがサン・ラブールへの帰属を心から歓迎しているという意図があるのだろうとオレットさんが教えてくれた。

 強いものに従うというのはしょうがない事かもしれないけど、帝国軍に協力していた事が広まればマズい人たちもいるのだろう。

 もしかしたらそういう人たちは、オルギスラ帝国軍の占領がこれ程早く終わるとは思っていなかったのかもしれない。

 世の中、色々な立場で色々な思惑で動いている人がいるんだなと思う。

 そのお祭りの当日。

 外が大騒ぎになっている中、私は朝から準備に追われていた。

 残念ながら隊員の全てがお祭りに参加出来る訳ではない。警備や有事即応の隊は残しておかなければならないので、その確認とか承認とか、部隊長の私にも色々とお仕事があるのだ。

 次に私は、今度は自身の身支度に取り掛かった。

 その頃には準備を終えたレティシアさんも、迎賓館の中の私の待機部屋にやって来ていた。

 一応今日の会はウェリスタが主催の一角となっているので、その指揮官であるレティシアさんはこの会の責任者みたいになっていた。

「はい、セナちゃん。今日もいい魔素の反応ね」

 しかし何の気負いや緊張も感じられない軽快な声を上げてやって来たレティシアさんを見て、私は思わず息を呑んでしまう。

 パーティー用に着飾ったレティシアさんは、綺麗だった。

 本当に……。

 レティシアさんは、ストロベリーブロンドの髪を綺麗に結いあげ、胸元のざっくりと開いた真紅のドレスを身にまとっていた。

 キチンとお化粧もしているみたいで、いつも私に怪しい表情を向けて来る少し怖いお姉さんとは別人みたいだった。

 イヤリングや白い胸元で輝くネックレスもどれも高価そうで、でも品の良いデザインのものばかりだった。

 綺麗……。

 私は、思わずじっとレティシアさんを見つめてしまう。

 同時に期待に胸が高鳴る。

 私も、あんな風に綺麗なドレスを着て素敵に着飾る事が出来るのかな。

 レティシアさんみたいに胸を強調したドレスだと、私では寂しい事になってしまいそうだけど大丈夫かな。

 私はぎゅっとアーフィリルを抱き締めてレティシアさんに見とれてしまっていた。

 そこに、櫛や髪飾りを手にしたマリアちゃんとアメルがやって来る。2人が私の準備を手伝ってくれるのだ。

「セナ。そろそろ準備を」

「さ、変身して変身して! ドレスはアーフィリルのを生かすとして、髪とか装飾品はこっちで準備したから!」

 そう、だった……。

 少しだけ落胆する。

 私は、アーフィリルと融合した大人状態で参加するんだった……。

 ドレス、また着てみたかったなと思う。

 私だって女の子なのだ。綺麗な服には憧れるし、いつだって着飾ってみたいと思ってるし……。

 駄目だ、駄目だ。

 エーレスタの竜騎士として、相応しい振る舞いを心掛けねば。

 私は大きく深呼吸してから、両手でアーフィリルを掲げた。

「……アーフィリル、お願い!」

 瞬間、控え室を眩い光が満たした。

 目を瞑る。

 体中をアーフィリルの力が満たしていく。

 眠っていた体の奥の魔素が、強制的に奮い立たされていく。しかしそれは、決して不快な感覚ではない。

 力が満ちる。

 力が溢れるのがわかる。

 巨大で温かなものに包み込まれ、同時に私の中にアーフィリルの存在を感じたその瞬間。

 私はすっと目を開いた。

 光が収まる。

 レティシアにアメル、そしてマリアや他の女騎士たちが、大人状態となった私にじっと見入っていた。

「アーフィリル」

 私はアーフィリルに意志を伝え、白のドレスの胸部装甲や籠手を消し去った。魔素で編まれた防具は、アーフィリルの制御で出し入れが容易なので便利が良い。

 ふむ。

 アンリエッタとの戦いの後初めての融合になるが、特に問題はない様だ。しかしあの時経験した様な、より巨大な力と繋がる感覚は今はない。

 融合状態は以前のままの様だ。どうやら常時強化された融合状態を維持出来る訳ではないみたいだ。

「うふふ、うふふふふふっ!」

 私が手を握ったり開いたりしていると、地獄のそこから響いて来る様な笑い声が広がった。

 半眼でそちらを見ると、赤いドレスを揺らしてレティシアが私に突っ込んでくるところだった。

「やっぱり見応えあるわ! 素晴らしい魔素制御技術ね! さすが竜! 体組織の形状変化なんて、想像もつかない技術だわ! それに髪から溢れる余剰魔素! これだけの魔素を内包しておいて、まだ力が余ってるなんて、くうっ、素晴らしい!」

 レティシアが、がしっと私の左手を両手で握る。そしてぶんぶんと振った。

 形状変化とは失礼な。成長促進だ。

「やはりセナちゃん、貴女は是非私の実験材……パートナーになるべきよ! アーフィリルちゃんと一緒にね! そうすれば、さらなる魔素技術の革新が起こる日も近い筈! いえ、私は起こしてみせるわ、人類を導く技術の革新を!」

 私は鼻息の荒いレティシアを横目で睨み、その手を振り払った。

「その話は既に断った筈だ。私には成さねばならない事がある」

 私はふわりとドレスの裾をひるがえし、マリアとアメルに向き直った。

「2人とも。悪いが準備を手伝ってくれ。戦勝会開始まであまり時間がないからな」

 私はそう言うと、カツカツとブーツの踵を鳴らしてドレッサーに向かった。

「リスみたいにおどおどちょろちょろしているセナはもちろん可愛いけど、堂々としたお姉さんのセナは、やっぱり格好いいよねー」

「うん……。本当のお姉さまみたい……」

 背後から聞こえて来るアメルとマリアの声に、私は小さくため息を吐いた。

 まったく、普段の私は何だと思われているのだろうか。

「アメル。マリア」

 私は顔だけで振り返って2人に視線を送る。

 アメルとマリアは、顔を赤くして慌てて私に駆け寄って来た。



 戦勝会のメイン会場となる大広間の扉を、警備に就いているアーフィリル隊の騎士が開いてくれる。

 重々しく軋みを上げて巨大な扉が開いたその瞬間、眩い光と重厚な音楽が一斉に押し寄せて来た。

 続いて万雷の拍手が鳴り響き、私たちを包み込む。

 巨大な絵画や重厚なタペストリーが壁面を飾り、精緻な天井画と煌びやかなシャンデリアが見下ろす中、今回の戦いに参加した各国の国旗に彩られた広い大広間は、華やかな空気に満たされていた。

 正面には楽団が構え、広間の脇には無数の料理や酒、給仕と思しき男女が並んでいた。そしてその中心には、各国の騎士服や燕尾服、又は豪奢なドレスに身を包んだ女性たちが集まっていた。

 騎士服組は各国の軍人たちだろう。燕尾服は、ノルトハーフェンの評議員や豪商たちだ。

 無数の参加者たちが、最後に入場して来た私たちに向かって盛大な拍手を送っていた。

 私は真紅のドレスのレティシアと並び、会場の上手に向かって進んでいく。

 私が身に付けているのはいつもの白のドレスだったが、ネックレスや腕輪、それに僅かに色合いの違う飾り布が取り付けられているなど、いつもよりも幾分装飾が施されていた。

 微かに光を放つ純白の髪はマリアとアメルによって丁寧に結い上げられ、私の瞳の色と同じ緑の石の髪飾りに彩られていた。

 大人状態の私は、どうやら小さな時とは違い、服飾にはあまり興味を持てない様だ。

 華美な格好はいささか気恥ずかしいが、この様な場にはこの様な格好が相応しいというのであれば、逆らうのは野暮という事くらいはわきまえていた。

 それに、アメルやマリアが一生懸命手伝ってくれたのだ。

 2人の気持ちを、無碍には出来ない。

 そのアメルとマリアは、警備として会場の隅に立っていた。

 私と目が合うと、アメルがぶんぶんと手を振って来た。それを隣のマリアが、必死に押さえようとしている。

 2人の近くには、フェルトの姿もあった。

 私とレティシアの背後には、騎士服で正装したグレイ、オレット、そしてウェリスタの将軍たちが続く。

 私たちが参加者の前に並ぶと、波が引く様に一旦拍手が収まった。

「みなさま。本日は良くお集まりいただきました。みなさまのご尽力により、私たちはノルトハーフェン並びにサン・ラブール西部からオルギスラ帝国軍を駆逐する事に成功致しました。今日は、その戦果を祝して、ささやかではありますがこの様な場を設けさせていただきました」

 一歩前に出ると、流れる様な挨拶をするレティシア。

 私は少し驚いてしまう。

 優雅に、そして堂々とした所作のレティシアは、いつもとは別人の様だった。

 いつもの怪しい動きや言動が嘘の様だ。さすが大国の宮廷魔術士を務めているだけはあるという事か。

「不当にも我がサン・ラブール条約同盟国に侵攻して来たオルギスラ帝国との戦いは、まだまだ続いております。しかし本日ばかりは、私たちのこの勝利を祝おうではありませんか。そして再び、帝国軍を打ち破る為に、皆さまのその力を貸して頂ければ幸いです」

 レティシアがにこやかな笑みを浮かべると、優雅に一礼した。

 拍手が巻き起こる。

 会場の男たちは、あっという間にレティシアに目を奪われてしまった様だ。

 これならば、私よりもレティシアが人を引き集めてくれるかもしれない。

 その後挨拶の順番が、私にも回って来る。

 私は白のドレスを揺らして前に出ると、ふっと短く息を吐き、会場に集まった皆を見回した。

 皆何かを期待するかの様に目を輝かせ、私を見つめている。

「エーレスタの竜騎士セナ・アーフィリルだ」

 私が名乗ると、会場内がざわついた。

「あれが白花の竜騎士……」

「なるほど、確かに美しい」

「あれで1軍に匹敵する力があるというのだから、驚きだ」

「噂では帝国軍の新兵器も1人で打ち破られたらしい」

「しかし、可憐な……」

「一度手合わせしたいものだ」

「ふっ。貴公などがかなうものか」

「いや、しかしあの様な少女に……」

「しかし戦果は確かだ。あれは」

 仲間内や隣などと色々と囁き合う声が聞こえてくる。中には、思わず笑ってしまいそうになる様な話も聞こえて来た。

 私が素手で帝国軍の機獣を握りつぶしたというのだ。

 まぁ、出来ない事はなさそうだが。

 私はざわつく会場に構わず、挨拶を続けた。

「不覚にも私は、ノルトハーフェン解放戦には参加する事は出来なかったが、しかしこの戦争を終わらせる為に今後も全力を尽くすつもりだ。皆にも、さらなる奮戦を期待したいと思う」

 私は短くそれだけを告げると、後ろに下がった。

 戦地に向かう味方を鼓舞する演説ならまだしも、この様な場で長々と語る様な言葉は持ち合わせていない。

 騎士や兵の皆、ノルトハーフェンの人々、そしてウェリスタの面子の為に戦勝会の開催を認めたが、各国のお偉方と好を深める事にはあまり興味が無かった。

 続いてグレイやウェリスタの将軍たちの挨拶が終わり、給仕が杯を配り始める。そして、レティシアが再び前に進み出て乾杯の音頭を取った。

 楽団の奏でる音楽が一気に高まり、戦勝会が始まった。

 私は果実のジュースが入ったグラスを手にしながら、取りあえずは近くにいたオレットやグレイと雑談する。

 案の定、レティシアは各国の重鎮と思しき騎士服の男たちに囲まれていた。

 これならば私は楽出来るかと思った瞬間。

「アーフィリルさま。少しよろしいかしら?」

 余所行きの声を出したレティシアが、私の方へと近付いて来た。

 私はすっと目を細める。

 レティシアの背後には、大勢の各国の軍人が連なっていたのだ。さらには軍関係だけでなく、ノルトハーフェンの商人の団体までもが私を見ていた。

「みなさまがアーフィリルさまにご挨拶されたいそうです」

 私はカツリと踵を鳴らして、その一団に向き直った。

 怒涛の勢いで名乗りを挙げる各国幹部と思しき騎士たち。

 軍団長や騎士団長、名誉騎士とか聖騎士とか様々な肩書きに合わせて長い名前を名乗る彼らだったが、これ程一度に告げて果たして覚えてもらおうという気があるのだろうか。

 もっとも、私は最初から覚える気などなかったが。

 名乗りの次は、私に対する賞賛と賛辞の嵐だ。

 伝聞で得た様々な私の活躍を、とにかく褒め続ける各人。

 聞いているこちらが段々と恥ずかしくなってくる。

 この様な場でこの様な者たちの相手をするのも部隊長としての職務だ。

 それは理解しているつもりだからこうしてじっと話を聞いている訳だが、それにしてもこれはなかなかの精神攻撃だった。

 小さな私では、5分と持たずに撃破されていただろう。

 この時点で既に私は、完全に包囲されてしまっていた。最早退路はなく、オレットやグレイの援護はない。

 私はただ「ああ」とか「ありがとう」などと短く答える事しか出来なかった。

 不貞腐れてぶっきら棒に答えているのではない。それしか答える暇がないのだ。

 無限に続くかの様な賛辞がやっと終わったかと思うと、次に続くのは、今度はあちら側の戦果自慢だった。

 自分がいかに敵と戦ったか、何人の敵を打ち倒したか。どれほど不利な状態から戦況をひっくり返したかを朗々と語る騎士たち。

 さすがにこれには辟易とする。

 それに、先が見えない。

 彼らは私に何を求めているのだか。

「失礼」

 私はいかに自分の部隊が優秀かを語る若い騎士隊長ににこりと微笑み掛け、話を断ち切った。そして踵を返してさっとその場を離脱する。

 さすがに場を離れる女性を強制的に引き留める様な無作法な者はいなかった。ここに集まっているのは、貴族の家柄か立場のある者たちばかりだ。社交場での分別はわきまえているというところだろう。

 グラスを手に踵を鳴らして歩きながら、私は待避所を探すべく周囲を見回した。

 若い騎士の集団がこちらを窺っていた。

 その中の男が1人、グラスを一気に煽ってこちらに突撃して来たが、キッと睨んでやるとその場で棒立ちになって固まってしまった。

 小さい私と違い、知らない人間と話す事に緊張する事はないけれど、やはり興味のない相手と先の無い会話を長々続ける忍耐力は私にはなかった。

 私は小さくため息を吐き。髪を掻き上げて耳に掛けた。

「セナちゃん。少しいいかしら」

 そこに、レティシアがやって来た。その背後には、身なりの良い年配の男が1人立っていた。

 先ほどの文句を言ってやろうかと思ったが、レティシアは真剣な表情で私を見ていた。

「少し気になる話を聞いたの。こちら、ラドリアの国王陛下。帝国軍の事で私たちに相談したい事があるんですって」

 レティシアが胸の下で腕を組み、後ろで会釈している男を見た。

 気の弱そうな髭面の男は、前に進み出るとおずおずと私に握手を求めて来た。

「お初にお目に掛かります、竜騎士さま。お忙しいところ申し訳ありません」

 国王というのに、腰が低い人だ。これでは、その辺りにいる豪商の方が遥かに尊大な態度を取っている。

 聞いてみると、ラドリアというのはノルトハーフェンの北東方面、ラドーナ山地にある小国らしい。私も、その国名は今まで知らなかった。

 そのラドリアの国王陛下は、今回の戦いに1000の兵を率いて参戦したらしい。

「隣国とも協力しまして、我々はラドーナ山地方面の帝国軍をノルトハーフェンまで押し返す事に成功しました。いえ、正確には帝国軍が撤退してくれたと言った方が正しいかもしれません」

 恥ずかしそうに頭を掻くラドリア国王。

「でも、そのラドリア国内に帝国軍が残っているらしいのよ。その知らせが、昨日国元から国王陛下に届いたんですって」

 帝国軍という言葉に、私はキッと国王とレティシアを見た。

 国王陛下は、私に睨まれてひっと短い悲鳴を上げる。

「て、帝国軍が潜伏するのは山奥で、大軍が向かえない場所なのです。それに国に残る部隊が出した斥候の情報では、全身真っ黒の鎧も確認されたとか……」

 やや詰まりながら懸命に説明する国王陛下。

 私は、ぐっと拳に力を込めた。

 黒い鎧。

 アンリエッタかその配下の鎧がいる、という事か。

 私は顎を引き、考え込む。

 しかし大軍が入れない様なそんな場所に、そして今聞いた限りではさしたる戦略価値もない様なそんな山奥に、どうして帝国軍が潜んでいるのだろうか。ましてや、あの竜の鎧が。

 そこに何かある、という事だろうか。

 胸の下で腕を組む私に、レティシアがニヤリと笑い掛ける。

「どう、面白いでしょう」

 面白くはない。

 黒の鎧を擁している部隊が未だ尚残っているなら、それは憂慮すべき事態だ。

「ふふん、面白いのはこれだけじゃないわよ。実はその地域にはね、祖竜がいたという伝説が伝えられているの」

 私はすっと目を細めてレティシアを見た。

 祖竜。

 アーフィリルと同じ古の竜の伝説か。

 そういえば帝国軍は、同じく竜が住まうという伝説があるエーレスタの竜山連峰にも軍を進めて来た。

 今回の話は、その動きとも一致するが。

 オルギスラ帝国軍と竜。

 両者の間には、何の関わりがあるのだろうか。そこに、帝国軍部隊が動くほどの理由があるのだろうか。

 私は、胸の中のアーフィリルにも何か思い当たる事がないかを尋ねようとした。

 しかしその時。

「少しよろしいですかな。エーレスタの竜騎士殿とお見受けするが」

 いつの間にか私は、再び新手の戦勝会参加者に取り囲まれていた。

「やはり忙しそうね、アーフィリルさま」

 それを見たレティシアが、再び余所行きの猫撫で声を出すとにこりと微笑んだ。

「では、このお話はまた後ほど」

 レティシアはそう告げると、ラドリアの国王を伴ってさっさと私から離れて行った。

 あれではどちらが国王かわからない。

 もっとも弱小国の王と大国の高級官吏では、あの様な力関係になってしまうのかもしれないが。

 そこから私は、再び沢山の興味のない話をひたすら聞かされる羽目になってしまった。

 先ほどの様に自らの戦果をひけらかす騎士。私と個人的な縁を結びたいという貴族。そして、エーレスタの竜騎士を雇いたいという商人もいた。

 中には、私に結婚を申し込んで来る男までいた。

 気取った感じの若い男で、どうやらどこぞの貴族の息子らしい。名乗られたが、名前は覚える事が出来なかった。

 もちろん結婚については即断ったが、その男はまるで私の言葉が聞こえていない様にひたすら自分の事をまくしたてて来た。

 何度断っても聞く耳を持ってもらえなかったので、私は近くを通りかかったフェルトに協力してもらう事にした。

「フェルト。こちらに」

 私はフェルトを呼び寄せる。

 フェルトは、この戦勝会が始まってから少し様子がおかしかった。

 遠巻きにじっと私を見ているのだ。

 何か話しかけたそうなのに、何も言ってこない。目が合うと、いつもと同じ仏頂面で顔を背けてしまう。しかし私の側からいなくなってしまう訳ではなく、ずっと少し離れた場所をうろうろとしていた。

 もしかしたら、病み上がりの私の警護をしてくれているのかもしれない。

 あれでいて、フェルトも心優しい少年なのだ。

 私に呼び止められたフェルトは、びくりと身をすくませて一瞬間を置いた後、すごすごと私の元にやって来た。フェルトにしては妙に緊張した面持ちだった。

 私は、そのフェルトの腕を取る。

 フェルトが、びくりと身を強張らせるのがわかった。

 ぽかんとしている貴族の息子に挨拶をして、私とフェルトはさっとその場を脱出した。

 これであの者には、フェルトが私の恋人の様に見えただろう。これでもう、言い寄られる心配はないと思う。

 私たちは連れだって、会場脇の人気のないテラスに出た。

「すまないな、フェルト」

「い、いや……」

 他に人がいなくなると、私はふうっと大きく息を吐いてテラスの手すりに腰を預けた。そしてフェルトに向かって微笑む。

 周囲は、既に真っ暗になってしまっていた。

 戦勝会が始まったのが午後からだから、既にかなりの時間が経っている事になる。あの様な話を聞いているだけでこれほど時間が経ってしまった事が、少しもったいなく思えてしまう。

 吹き抜ける秋の夜風が、さらさらと私の髪を撫でた。

 しんと冷えた風は、しかし人の熱気渦巻く会場で火照ってしまった体には心地よかった。

 フェルトは何も言わず、ただじっと私を見つめていた。

 そしてしばらくの沈黙の後。

「セ、セナ!」

 意を決した様に、フェルトが口を開く。

 私は、んっと首を傾げてフェルトを見た。

「今日は、その、綺麗、だな……」

 敵を睨み殺す様な視線で私を見つめるフェルト。

 ん。

 ああ。

 この格好の事か。

「ああ、アメルとマリアが頑張ってくれたからな」

 私が微笑むと、フェルトはくっと顔を背けてしまった。そして苦悶の表情を浮かべると、逃げる様に私の前から立ち去ってしまった。

 む。

 どうしたというのだろうか。

 フェルトもこんな華やかなパーティーの場には慣れていない様子だったので、もしかしたらこの会場の雰囲気に耐えるのが限界だったのかもしれない。

 体調など崩さないといいのだが。

 1人になった私は、目を瞑ってふうっと息を吐いた。

 フェルトには、レティシアから聞いた帝国軍の話を相談してみようと思っていたのだが。

 大軍が入り込めない地で、さらには黒の鎧がいるかもしれないとなると、こちらも少数精鋭で向かわざるを得なくなる。

 もちろん私が先陣を切るつもりだが、支援は必要だ。

 アンリエッタがいた場合、負けるつもりはもちろんないけれど、全力で戦えば以前の様に意識を失ってしまう可能性がある。その為、単独行動は避けなければならない。

 我ながら不甲斐ない話ではあるけれど。

 そういう意味では、フェルトならば安心して背後を任せられる。あとは、オレットやレティシアが来てくれれば、戦力的には問題ないと思うのだが。

 目を瞑りながらラドリアの帝国軍について考え込んでいると、静かにガラス戸が開く音がした。

 すっと目を開きそちらを見ると、両手にグラスを持ったオレットがこちらに近付いて来るところだった。

「天下の竜騎士さまも、社交場での戦いは苦手か?」

 オレットがニヤリと悪戯っぽい笑みを浮かべ、私にグラスを差し出して来た。

 私はそれを受け取り、目を細めてオレットを見た。

 エーレスタの騎士の正装に身を包んだオレットは、パーティーを楽しんでいる余裕の雰囲気を漂わせていた。

 さすがは大人といったところか。

 その無精髭をきちんと剃れば、ハンサムな紳士に見えなくもないのだが。

「セナ。あまりフェルトをからかってやるなよ。あいつは不器用だからな。優しくしてやってほしい」

 オレットが私の隣に並びながら、どこか遠い目をしてそう話し掛けて来た。

「優しくする暇もなく走って行ったのだ、フェルトは」

 私はオレットから貰ったグラスに口を付けてから、そう答えた。

 オレット、何だかフェルトの父親みたいだ。それほど歳が離れているというわけではない筈なのに、フェルトの事を話す今日のオレットには、そんな雰囲気が漂っていた。

 しばらくの間、私たちは沈黙に包まれる。

 会場から響いてくる音楽と参加者たちの笑い声が、微かに私たちの周囲に漂っていた。

「オレット」

 私は、大人状態になってもなお背の高いオレットを横目で見上げた。

「機竜士アンリエッタとはどういう関係だ?」

 何の前触れもなく、まるで天気の話でもする様に、私は軽くそう尋ねていた。

 オレットは答えない。

 静かにグラスを回し、その中の深紅の液体を見つめていた。

 そのままどれくらいの時間が経っただろうか。

 私がじっと迎賓館の頭上に輝く月を眺めていると、オレットが隣で短く息を吐くのがわかった。

 私は何となくオレットを見る。

 オレットも私を見た。

「アンリエッタ・クローチェ」

 オレットがぼそりと低い声で呟いた。

「昔、俺がまだガキだった頃。その時仕えていた主に、そういう名の娘がいた。アンリエッタと聞いて、その名を思い出したんだ」

 オレットは、私から視線を外して夜空を見上げた。

「生きていれば、セナよりも少し年上だっただろうか」

 そう言うと、オレットは静かに目を瞑った。

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