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第31幕

 ふと気が付くと、私の周囲には見た事もない大きな建物が所狭しと立ち並んでいた。

 背の高い建物がニョキニョキと固まって立っているその光景は、まるで石造りの森が広がっている様だった。

 今まで見て来たどこよりも立派な街だ。

 きっとサン・ラブール条約同盟国のなかで最も栄えているウェリスタの王都も、目の前に広がる楼閣の都市に比べれば見劣りしてしまうだろう。

 そんな巨大な建物の間に、ほんの僅かな緑が広がっていた。

 小さな池があり、その周りを一周する小径があって、あちこちにベンチや簡素な東屋が設えられている。こぢんまりとしているが、しかしきちんと手入れの行き届いた庭園だ。

 周囲を無機質な高層建築に囲まれていても、吹く風に騒めく木々の枝葉に、懐かしい自然の息吹を感じる事が出来た。

 私はうんっと伸びをして、くぱっと欠伸をする。

 ん。

 そこで私は、小さく首を傾げた。

 私としたことが、なんてはしたない事を……。

 ん?

 あれれ……。

 ふと違和感を覚える。

 緑の上で丸くなっているのは、私ではなかった。真っ白な羽毛に覆われた大きな体だ。

 くわっと再び欠伸をしているのも、私ではない。

 大きな口を開け、呑気にゆらゆらと尻尾を揺らしているのは、アーフィリルだ。

 むむ……。

 どういう事なのかわからなかったけれど、私は今、大きな状態のアーフィリルと一体になっているみたいだ。

 それも、いつもみたいにアーフィリルが私の中に入っているのではない。逆に私の意識が、アーフィリルの中に入ってしまっているのだ。

 うーむ……。

 丸めた前脚の上に顎を乗せているアーフィリルの気持ちが、こちらにも伝わって来る。

 アーフィリルは、私の知らないこの街の、この小さな公園で日向ぼっこをするのがお気に入りの様だった。

 固められた石畳ばかりの人間の街の中で、ここがとても大地を感じ易い場所だったから。

 でも、だからといってアーフィリルは人間の街そのものが嫌いな訳ではない。

 人間の作り上げるものには興味が尽きないし、何よりも知恵を捻って様々な物を生み出す人間という存在に、興味が尽きなかった。

 そんな人間たちを見ているのが、アーフィリルの何よりの楽しみだったのだ。

 仲間の竜たちからは、おかしな竜だと言われていたけれど……。

 だから人間の街にこうして暮らす様になって、アーフィリルは概ね満足していた。

 ……なるほど。

 私はふむふむと納得する。

 アーフィリルは、もしかしたら私と一緒にいる間もこんな風に思っているのかもしれない。

 そこで私は、唐突に理解した。

 これは、記憶の中の風景だ。

 私は今、かつてアーフィリルがどこかで体験したその記憶を見ているのだ。

 不意にアーフィリルがぴくりと耳を動かした。そして、むくりと首をもたげる。

 程無くして、1人の男の人がアーフィリルの方に駆け寄って来た。

 アーフィリルがぱたぱたと尻尾を揺らし始める。その人の足音と匂いが近づいて来る事が嬉しいみたいだ。

「ようっ、アーフィリル。また日向ぼっこか?」

 黒髪のスラリと背の高い男の人が、アーフィリルの前に立つ。

 大人の男性というには妙に人懐こい笑みを浮かべたその人は、アーフィリルの胸をポンポンと叩いた。

『うむ。今日は久方ぶりの晴天故な』

 アーフィリルがいつもの声で厳かに答えた。そして首を曲げてその人へと鼻を近づける。

「まったく、明日は出撃だっていうのに、呑気なもんだな」

 アーフィリルの鼻先に手を当ててから、黒髪の男の人はアーフィリルの横に腰を下ろした。そして白い羽毛に包まれたアーフィリルのお腹に背を預けて寝転がると、うんっと背を伸ばした。

『……その言葉、そのまま返そう、アベル・ガラードよ』

 アーフィリルがふしゅっと息を吐いた。

 アベルと呼ばれた青年はくしゃりと笑顔を浮かべると、はははっと爽やかに笑った。

 あ、そうか。

 このアベルという人、どこかで見覚えがあるなと思っていたら、少しフェルトくんに似ているのだ。

 黒髪は同じだし、背格好もだいたい同じだ。さすがにフェルトくんみたいな顔の傷は無かったけれど、整った顔立ちも似ている。さらにその歩き方とか佇まいとか、身のこなしが何だか似ているのだ。

 このアベルという人も、フェルトくんみたいになかなかの剣の使い手に違いない。

 アベルさんは、金属とも革ともつかない良くわからない素材の簡素な鎧を身に付けていた。剣は、装備していないみたいだけれど。

 しかし雰囲気は似ていても、アベルさんの表情はフェルトくんとは全然違った。

 いつもブスッと不機嫌そうなフェルトくんとは対照的に、アベルさんはぱっと輝く様な爽やかな笑みを浮かべて表情豊かにアーフィリルを見上げていた。

「俺たちの戦いに巻き込んで悪いな、アーフィリル」

 アーフィリルと色々とりとめのない会話をしていたアベルさんは、ふと深く息を吐いた。

『世界の魔素を乱す彼奴等の兵器は、我らの敵でもある。我が使命の為にも、我らは汝らと共に戦うのだ』

 アーフィリルはゆっくりとした口調でそう言うと、すっと目を細めた。

 ……アーフィリルとアベルさんは、どういった関係なんだろう。

 これがアーフィリルの記憶なら、2人は昔の仲間という事なのだろうか。

「……すまないな、アーフィリル」

 アベルさんはもう一度謝ると、ふと表情を消した。

「アーフィリル。俺は強くなりたいよ。もっともっと強くなって、この世の中を変えたい」

 低い声で噛み締める様にそう告げるアベルさんの言葉に、思わず私はドキリとしてしまう。

 アベルさんの言葉には、思わず身を強張らせてしまう様な強い力が込められていた。

 強くなる。

 強くなりたい。

 私もずっとそう思っている。

 フェルトくんは、いつもそう言っている。

 そして、赤黒い魔素の輝きをまとった鎧の姿が脳裏を過った。

 あの機竜士も……。

『我と融合する資格を得たアベルは、力を手に入れただろう。それは万物を御する力だ。それでは不満かな?』

 アーフィリルがどこか優しい声で尋ねる。

 それだけでアベルさんとアーフィリルが、長い時間を共に過ごしているのがわかった。多分、私がアーフィリルと過ごした時間よりも、ずっと長い時間を……。

 それにこのアベルさん、アーフィリルと融合出来るのだ。

 私と同じ様に……。

「はは、アーフィリルには感謝しているよ」

 アベルさんは、くしゃっと人懐っこい笑みを浮かべた。

「アーフィリルの力のおかげで俺は戦えるんだ。奴らの侵攻を押し止められているのも、アーフィリルたち祖竜の協力があるからだしな」

 アベルさんは、そこで空を見上げた。

 吹き抜ける爽やかな風が、アーフィリルの白い羽毛とアベルさんの黒髪をサラサラと揺らした。

「でもな。俺が欲しいのは、個人の戦闘能力とかとは別なんだよな。うーん、なんて言うのかな」

 わしわしと頭を掻くアベルさん。

「俺は、こう時代を切り開く、みたいな、みんなを引っ張って行けるみたいな強さが欲しいんだよ。こんな袋小路みたいな逼塞した世界じゃなくて、みんなが戦争や食料配給に怯えて暮らす世の中じゃなくて、一心に1日1日を過ごせる様な、生き生きと過ごせる様な、そんな世界を作りたいなって思うんだ」

 どこか遠くを見つめるアベルさんの目には、キラキラと輝く強い光が宿っていた。

『アベルがその気なら、ラナたちは今すぐにでもこの国の命運をアベルに託すだろう。それはアベルもわかっているだろう?』

「ああ、それはな。でも今の俺には荷が重い。今はまだ戦う事しか出来ないよ。だからこそ、もっと強くなりたい……!」

『ふむ。個としては脆弱で歪な生き物に過ぎないが、やはり複雑なものだな、人間というものは』

 アーフィリルがふっと息を吐いた。しかし呆れているというよりも、アベルさんとの会話に興味が尽きないといった様子だった。

 お互いに通じ合っている雰囲気を漂わせ、小慣れた会話を繰り返すアベルさんとアーフィリルを余所に、私はじっとアベルさんの言葉を噛み締めていた。

 戦う事以外の強さ……。

 時代を切り開くとか世の中を変えるとか、アベルさんの言う事は殆どよくわからなかった。でも、アベルさんの求める強さというのは、私やフェルトくんの求めるものとは違うんだという事はわかった。

 ただ戦うための力を求めるのではない。

 そういう強さもあるんだ……。

 具体的にはよくわからなかったけれど、その小さな驚きは確かに私の心にじわりと染み込んでいく。そんな気がした。

 今は大きな戦争が起きていて、目の前の敵と戦うのが精一杯だった。

 騎士として、アーフィリルの力を得られた竜騎士として、力のない人々を守るのに精一杯だった。

 でも、力と力のぶつかり合いには際限がない。

 私は、再びあの赤黒い竜の鎧の禍々しい姿を思い出す。

 ……機竜士アンリエッタ。

 あの敵も、強い力を求めていた。そして、その力で私たちを否定しようとしていた。

 アンリエッタとの戦闘の最中。

 くぐもったその言葉は不明瞭で良く聞き取れなかったけれど、アンリエッタの意志は周囲の魔素を経由して感じ取る事が出来た。

 世界の否定と、その破壊を望む強い願い。

 その強力な想いが、アンリエッタが力を求める理由なのだ。

 もちろん、私やフェルトくんが強さを求める理由はアンリエッタと同じなんかじゃない。

 でも。

 目的は違ったとしても、他を退ける為だけに力を求めてはいけない気がするのだ。

 理不尽な暴力に剣を取って立ち向かう事は大事だけれど、それだけではいけない気がする。

 私の求めるべき強さ、力とは、もっとこう、なんというか……。

 そう。

 小さい頃目の当たりにしたアルハイムさまみたいに、みんなに希望を与えられる様な力なのだ!

 ……でも、具体的にどうすればそんな強さを得られるのかは、何もわからないのだけれど。

 うーん……。

 取り敢えず今は、目の前の目標を1つ1つクリアにしていくしかないのかもしれない。

 それでは結局、今までの私と何も変わらないかもしれないが。

 今の私たちの目標は……。

 カルザ王国の王都フォルクスは解放出来た。

 ……多分。

 ならば次は、私たちエーレスタ特務遊撃隊の結成目標であるノルトハーフェン解放を目指さなければならない。

 サン・ラブールの西側から帝国軍を追い出して、次に東の戦線に応援に向かって、この戦争を終わりにするのだ。

 オレットさんやフェルトくんや、みんなの状態も確認しなければならないし、フォルクスの街の人たちやカルザ王国の復興にも協力しなければ。

 レティシアさんたちウェリスタの部隊は大丈夫だっただろうか。また無茶をしたから、マリアちゃんに怒られるのではないだろうか。

 そうだ。

 アーフィリルはどうなんだろう。頑張りすぎて何か異常は出ていないだろうか。

 はっ。

 それよりも、アンリエッタを無事仕留める事は出来ただろうか。または、捕らえられただろうか。

 アンリエッタがまだ動けるのならば、その鎧は危険だときちんとみんなに言っておかなければ。

 あと、何だか無性にお腹が空いてきた。

 1つ懸念事項を思い出すと、次から次へと心配な事が押し寄せて来る。

 いつの間にかあの大きな街もアベルさんの姿も無くて、私はただ暖かで柔らかい感触に包まれているだけになっていた。

 それは天幕のベッドの中であり、エーレスタの女子寮のベッドであり、ハロルド領の実家の私のお布団の温もりだった。もしくは、アメルの体の温かさとか、お母さんの柔らかさとか……。

 私は、きっとまだ眠っているんだなとわかる。

 だったら、早く目を覚まさなければと思う。

 でもそんな思いに反して、トクトクと規則的に鳴り続ける自分の胸の鼓動に包まれた私は、再び深い深い眠りの淵へと落ちていった。



 微睡みと柔らかな覚醒を何度繰り返しただろう。

 自分でもまだ目覚められないのかと半ば諦めと呆れ半分の気持ちになるほど眠り続けて、どれくらいの時間が経ったのか。もしかしたら一瞬の事だったのかもしれないし、何日も経過した後だったのかもしれない。

 私は不意に、パチリと目を開いた。

 目を開いた筈なのに、目の前が真っ暗だった。

 いや、これは、顔の上に何かが……。

 もぞっと手を動かして顔に持っていく。

 しかし。

「ううっ」

 びっくりするほど腕が重い。

 それでも何とか、手が顔の上のふわふわに触れた。

 この感触。この鼻から上を覆う生暖かさは、多分小さなアーフィリルだ。

 私はアーフィリルを摘み上げようとするが、やはり腕に力が入らなかった。

『うむ。目が覚めたか、セナよ』

 アーフィリルの声が響く。しかし、私の顔の上から退いてくれる気はないみたいだった。

「……フィリル、どいて」

 抗議してみるが、声が掠れて上手く出ない。

 私がもぞもぞと動いていると、不意に顔の上からアーフィリルの重みが消えた。そして、ぱっと眩い光が射し込む。

 思わず私は目を細め、うーんと唸った。

 まだボヤけている私の視界に、ふっと誰かが顔を出した。

 アベル、さん……?

「起きたか、セナ」

 男の人の声が響く。

 この声は、フェルトくん?

「……うん。おはよう」

 私は掠れる声でそう挨拶してから、一旦目を閉じた。そしてぎゅっと目を瞑ってから、ゆっくりと周囲を見回した。

 そこは、すっかり慣れ親しんだ竜騎士用天幕の中だった。

 私は、天幕内に設えられたベッドで横になっているみたいだった。

 そのベッドの脇に、アーフィリルを摘み上げたフェルトくんが立っていた。顔には幾つも絆創膏が張られ、片腕を布で吊っている。かなり痛々しい姿だった。

「待ってろ。今アメルかマリアを読んで来るから」

 アーフィリルをベッドの上に放り投げる様に下したフェルトくんは、いつものぶっきらぼうな口調でそう告げると私から離れた。

 アメルと、マリアちゃん……。

 私はまだぼんやりとしたままの頭で、2人の名前を繰り返す。

 フェルトくん、怪我している。

 あの剣と斧の竜の鎧との戦闘で負った傷なのだろう。

 レティシアさんの魔刃剣や戦技スキルがあるとはいえ、フェルトくんの体は普通の人のそれなのだ。あの鎧たちを相手にして、よくぞ無事だったなと思う。

 やっぱりあの黒の鎧を倒したんだ、フェルトくん。

 凄いな。

 私は倒せたのだろうか、あの機竜士アンリエッタを……。

 そこで私は、はっと息を呑む。

 そうだ、戦いの状況はっ!

 私は思わず、ばっと体を起こした。

「いっ!」

 その瞬間、雷に打たれた様な激痛が全身に走る。

 悶絶した私は、再びボフッとベッドに転がった。

 涙目になりながら、我ながら学習能力がないなと思ってしまう。

 アーフィリルと融合して頑張った後は、いつも体中が痛くなってしまうのだ。

 ……でも、このまま寝ている訳にもいかない。

 私は何とかずりずりと体をずらすと、ベッドから足を下ろした。そして痛む腕を突っ張って、思い切ってベッドを出た。

「わわっ!」

 しかし次の瞬間。

 足に力が入らなくて、私はパタリとその場に倒れてしまった。

 あ、あれ……。

 結っていない髪がはらりと溢れてきた。

 視界に入る私の髪は、純白だった。

 敷布の上にうつ伏せになりながら、私は髪に手をやる。

 魔素の光こそ発していないが、私の髪は大人状態と同じ純白のままだった。

 まさか、体が戻っていない?

 イルカさんのパジャマに包まれた自分の体を見る。

 髪の色以外は、普段の私と変わらないみたいだ。

 胸も……。

『大丈夫か、セナよ』

 ベッドの上から、心配そうに首を傾げたアーフィリルがこちらを見下ろしていた。

「セナ! 何やってるんだ!」

 天幕の入り口に手を掛けたところだったフェルトくんが、倒れた私に気が付いて慌てて駆け戻って来た。

「全く、無理するなよな」

 フェルトくんは顔をしかめながら私の側にしゃがみ込む。そして、片手で私を支えてくれた。

「……あれだけ激しい戦いだったんだ。消耗しているんだろう。もう少しじっとしてろ」

 フェルトくんは半眼で私を睨む。

 私はふうっと小さくため息を吐いて苦笑する。しかし直ぐに、ふっと笑みを消した。

「フェルトくん。戦況はどうなってるの? カルザ王国は、ノルトハーフェン攻略は? 帝国軍はどう動いてるの?」

 私はキッとフェルトくんを見上げて、矢継ぎ早に質問を繰り出した。

 しかしフェルトくんは私の質問には答えずに、はあっとため息を吐きながら立ち上がった。

「全部順調だよ。だからセナはもう少し寝てろ」

 短くそれだけを告げたフェルトくんが、すっと私に手を差し出して来る。

 私は一瞬、むうっと膨れる。しかし真っ直ぐにこちらを見つめるフェルトくんの目を見て、私はふっと息を吐いた。そして素直にその手を取った。

 ……フェルトくん、心配してくれてるんだ。

 何だか少しだけ嬉しくなって、私は小さく微笑んでしまう。

 フェルトくんも、案外優しいところがあるんだ。

 そんな私を見て、フェルトくんがさらに憮然とした表情になった。

「……ひゃあ!」

 フェルトくんの手を取って立ち上がろうとした瞬間、やはり足に力が入らず、私はその場にぺたりと座り込んでしまった。

 ……あれれ。

「……ったく、何やってるんだよ」

 立てない事に当の私がぽかんとして驚いていると、首から下げた布から腕を引き抜いたフェルトくんが、両手を私に差しだした。

 膝の後ろと背中に腕を通して、ひょいっと簡単に私を持ち上げるフェルトくん。

 ぐうっと視点が上がる。

 わわわわ……!

「フェルトくん、腕!」

 わ、私なんかを抱き抱えたら、多分折れていたのだろうフェルトくんの腕に負担が掛かってしまう!

「ああ、こんなのはもう治ってるから」

 何でもない事の様にぼそりと告げるフェルトくん。

 私は、すぐそこにあるフェルトくんの顔をまじまじと見てしまう。

 戦技スキルの中には、確かに魔素を高めて自身の治癒能力を高めるという技がある。

 生傷の絶えない騎士には必須の技能だけど、それにしても1日2日で骨折が完治する様な便利な技ではない筈だ。

「……セナ、軽いな。こんなんで良く戦えるな」

 まじまじと顔を見てしまったせいか、すこし恥ずかしそうに渋面を作ったフェルトくんは、ついっと私から視線を逸らしてしまった。

 ……むむ。

 その反応に、私も少し恥ずかしくなってしまう。

 うーと唸りながら、私は顎を引く。

 私を支えるフェルトくんの腕はごつごつとして力強く、やっぱ男の子なんだなと思ってしまう。普段抱き着いてくるアメルとは大違いだ。

 少し気まずい空気が流れる。

 しかし直ぐにはっとした様に、フェルトくんは私をベッドへと下ろしてくれた。

 凄く丁寧に。

 私は目だけでフェルトくんを窺う。

 いくらフェルトくんとはいえ、男の人に抱き抱えられるなんて場面をアメルにでもみられたら、大変な事になってしまうだろう。

 フェルトくんは、ギシッとベッドを軋ませて私の隣に腰掛けた。そして邪魔にならない様に少し離れた場所にちょこんと座っていたアーフィリルに手を伸ばした。

 少し恐る恐るといった様子でアーフィリルの首根っこを掴もうとするフェルトくん。

「こいつを抱いてたら、調子が良くなるんだろ? なら、しっかり抱いて大人しくしてろ」

 アーフィリルは、しかしひょいっとフェルトくんの手を躱すと、自分でちょこちょこと歩いて私の胸の上に座った。

 疲れた様にがくりとベッドに手を着いてため息を吐いたフェルトくんが、横目で私を一瞥する。

「無理するなよ。セナは、あのフォルクス解放戦以来、2週間以上眠り続けていたんだからな」

 は?

 私はびくりとして固まる。

 ……2、週間?

 フェルトくんの言葉に、私はゆっくりと目を見開いた。

 その瞬間。

「何か物音がしたけと、セナ起きたの? フェルト?」

 天幕の扉を押し開く音が鳴り、良く知っている声が響き渡った。

 天幕に入って来たのは、豪華な金髪を揺らしたアメルだった。

 アメルは軽快に鎧を慣らしながらこちらに駆け寄って来る。そしてベッドの前に置かれた衝立の向こうからひょいっと顔を出して、私とフェルトくんを見た。

 アメルが固まる。

「アメル。セナが寝てるんだから静かに……」

 アメルに続いて天幕に入って来たのは、マリアちゃんだった。

 こちらを見たマリアちゃんが、やはり動きを止めてすっと表情を消した。

「フェルト」

 アメルがぼそりと呟く。

「セナのベッドで何してるんだっ!」

 聞いた事もない低い声で叫んだアメルが、まるで戦技スキル縮地を使ったかの様な踏み込みでフェルトくんにつかみ掛かった。

 私もフェルトくんも、ぽかんと呆気に取られて動けない。

 しかし次の瞬間には、フェルトくんは床に引き倒され、私は同じく突撃して来たマリアちゃんにむぎゅっと抱き締めらていた。

 マリアちゃんの柔らかな感触が私を包み込む。先ほどのフェルトくんとは対照的だった。

 私とマリアちゃんに挟まれる恰好になってしまったアーフィリルが、迷惑そうにもぞもぞともがいていたけれど。

「セナ、大丈夫? ずっと寝ていたんだから、少しでもおかしなところがあったら言いなさいよ」

 体を離したマリアちゃんが、心配そうに私の顔を覗き込んで来る。

「髪の色も戻ってないし……」

 確かに体中痛いけれど、私の体感的にはそんなに長い間眠っていた感じがしないので、何だかマリアちゃんの心配が大袈裟に思えてしまった。

 ……長い夢を見ていた気はするけれど。

 私は、ははっと苦笑を浮かべる。

「大丈夫だよ、マリアちゃん。あ、アメル、フェルトくんは何もしてないよ。さっきもベッドから落ちたところを抱っこして助けてくれて……」

 私はマリアちゃんの向こうのフェルトくんとアメルを見た。

「抱っこ……」

 アメルが顔を青くしてフェルトくんを睨みつける。

 私はすっと表情を引き締めて、改めてマリアちゃんを見た。

「それよりマリアちゃん。本当に……」

「幼気なセナを抱っこだなんて、私が許さないんだから! 羨ましい! あの如何わしい女が戦場に出ているかと思ったら、まったく!」

「おい、俺は何もしていないからな。何か勘違いしているだろう、ったく……」

 私の声は、しかしベッドの脇でじゃれ合い始めたアメルとフェルトくんに打ち消されてしまう。

 ……むむん。

 この2人、やはり仲がいいのだ。息がぴったりだ。

「2人とも! セナがいるんだから静かにしてよね!」

 そこへ、さっと立ち上がったマリアちゃんがフェルトくんたちを一喝した。三つ編みにしたマリアちゃんの綺麗な赤髪が、ふわりと舞った。

 おお……。

 マリアちゃん、今ここにいるメンバーの中で1番年下の筈なのに凄い迫力だ。

 2人揃ってびくりと身をすくませているフェルトくんとアメルを睨み付けてから、マリアちゃんは私に向き直った。

 私が少し目を丸くしていると、マリアちゃんは気まずそうに咳払いをした。

「で、どうしたの、セナ?」

 私は胸の上のアーフィリルをキュッと抱き締めると、上目遣いにマリアちゃんを見上げた。

「……私が2週間も眠ってたって本当なの? みんなは、戦いの状況はどうなってるの?」

 私はじっとマリアちゃんを見つめる。

 私を見下ろすマリアちゃんは、そっと柔らかく微笑んで小さく頷いた。

「セナのお陰でみんな凄い順調だよ。だから、セナは安心して眠っていて」



 フォルクスでのアンリエッタとの戦いの後、私は意識を失ってしまった。

 街中へ落下した私は、融合を解いたアーフィリルが連れ帰ってくれたお陰で、無事にオレットさんたちと合流する事が出来たそうだ。

 フェルトくんからそう聞かされた私は、ぎゅうっと精一杯アーフィリルを抱き締めた。

「ありがとうね、アーフィリル」

『うむ』

 体が全快したら、思う存分お散歩に付き合ってあげようと思う。たまにはアーフィリルに恩返ししなければ。

 私を失ったウェリスタ・エーレスタ連合軍だったけれど、その後は順調にフォルクス市内を制圧し、翌朝までにはほぼ王都内の帝国軍を一掃する事に成功したそうだ。

 王都制圧が順調に進んだのは、私とアンリエッタの戦いが終息して以降、帝国軍の組織的な反抗が極端に弱くなった事が影響している様だ。

 私がアンリエッタを撃墜した後、どうやら帝国軍の指揮官や高級将校たち幹部は、現場の部隊を残して早々とフォルクスを脱出したらしい。実際戦闘終結後、捕虜になった帝国軍幹部は前線の指揮官クラスしかいなかったそうだ。

 既に味方部隊がカルザ王城に踏み込んでいた段階で敵幹部に逃げられてしまったのは、奴らがカルザ王族しか知らないお城の脱出路を利用した為らしい。どうやらその脱出路を利用して、外部から幹部の逃亡の手引きをした敵部隊もあった様だ。

「あの狂った黒い鎧、機竜士といったか。セナが撃墜したあの鎧も、結局見つからなかったんだ。どうやらそのどさくさに回収されてしまったらしい」

 私のベッドの脇で腕組みをして立つフェルトくんが、面白くなさそうにそう付け加えた。

 背中にクッションを敷いてベッドの上で上半身を起こした私は、顎を引いてむうっと眉をひそめた。

 アンリエッタが墜落したと思われる場所には、相当数の鎧の部品が散らばっていたらしい。

 かなりのダメージを与えた事は確かな様だが、完全に仕留められなかったのが悔やまれる。これでこの先も、まだまだアンリエッタを警戒しておかなければならないという事になってしまった。

 顔をしかめたまま、私はギリっと奥歯を噛み締めた。

 ちなみに回収せたアンリエッタの鎧の残骸は、レティシアさんか保管しているらしい。レティシアさんなら、きっと何かの役に立ててくれるに違いない。

 フォルクスを解放したウェリスタ・エーレスタ連合軍は、しばらくの間街に止まって帝国軍の残党狩りとカルザ王国内の治安維持に当たっていたそうだ。

 幸いにもカルザの王族の方々は、フォルクス郊外に監禁されているところを無事に救助されたとの事だった。

 人質にする為か将来の統治に利用するつもりだったのか、いずれにしてもオルギスラ帝国が早まった事をしなくて良かったなと思う。

 カルザ王国の今後については、国内が安定するまでの間はウェリスタ王国が全面的に支援してくれるみたいだ。

 最低限の事後処理の後、ウェリスタからの増援が到着するまでの間の治安維持の為の部隊を残し、ウェリスタ・エーレスタ連合軍は北の港湾都市、ノルトハーフェンを目指して進軍する事になったそうだ。

「フォルクスの後は、ほとんど敵と会わなかったよね。みんなセナの大活躍に怖気づいて逃げたんだよっと」

 アメルがにこにこと微笑みながら、いつもの軽鎧の姿のまま私の隣にごろんと横になった。そしてそのままじりじりと近付いて来る。

 フェルトくんの補足によると、周囲に散った偵察部隊が帝国軍の小規模な部隊と衝突する事は何度かあったらしい。

 しかしそのいずれの場合も、帝国軍はかなり逃げ腰だったみたいだ。大した戦闘にはならず、直ぐにノルトハーフェン方向に撤退していったそうだ。

「しかし1度だけ、あの竜の鎧らしき敵と遭遇した隊があったらしいな。その時はこちらにも損害が出たみたいだが、鎧はすぐに壊れた人形みたいに動かなくなったらしい。それで敵味方共に引いたらしいが……」

 フェルトくんが鋭い視線で私を見る。

「……あの剣の鎧と斧の鎧は、フェルトくんとオレットさんが倒したんだよね」

 にじり寄ってくるアメルを押しとどめながら、私はポツリと呟いた。

 フェルトくんが無言で頷く。

 フェルトくんの骨折やあちこちの傷は、やはりあの鎧との戦いで負ったものなのだ。

「……という事は、他にもいる、という事か」

 私は自分で呟いておいて、その言葉にドキリとしてしまう。

 あんな黒鎧たちが大挙して押し寄せてくれば、いくら精強なエーレスタの騎士たちでもひとたまりもないだろう。

 ……その場合は、私が何としても味方を守らなくては。

 私はぎゅむっと唇を引き結んで、フェルトくんとアメル、そしてマリアちゃんを見た。

「それで、今私たちはどこまで来ているの?」

 ノルトハーフェン解放戦が始まる前に何とか体調を戻して、私も作戦に参加しなければ。

「ノルトハーフェンはまだかな。今度も気合いを入れて頑張らないと!」

 いつまでも眠ってはいられないのだ!

 アーフィリルを抱きしめたまま、むんっと手を握り締める私。

 しかしそんな私を見てフェルトくんが目を細めた。アメルとマリアちゃんがそっと顔を見合わせる。

「セナ。もうここがノルトハーフェン都市領だよ」

 あっけらかんとそう告げるアメル。

「街からは結構離れてるけど……」

 マリアちゃんが眉をひそめて私を見る。

「ノルトハーフェン解放戦が始まって2日目だ。もう戦いも終盤だろうな」

 そして最後に、フェルトくんがぶっきらぼうにそう付け加えた。

「……はっ?」

 私は目を丸くして固まる。

 じっとしている事に飽きたのか、私がぎゅっと抱き締めるアーフィリルがもぞもぞと暴れ始めた。

 戦いが、もう始まっている……?

 私たちの隊の最重要目標の攻略が、始まっている?

 私は目を見開いたまま、ゆっくりと大きく息を吸い込んだ。

 ……なんて事。

「のんびり寝てる場合じゃないよ!」

 私は、ぱんぱんと両手で布団を叩いた。

 アーフィリルが、私の上からぴょんと飛び降りた。

「オレットさんとグレイさんは?」

「……おっさんたちなら、本陣で作戦指揮を執ってるぞ」

 私は、ぼそりと答えてくれたフェルトくんをばっと見た。

「私も行く! これから本陣に行きます!」

 作戦の経過を確認しなければ!

 名目上とはいえ、エーレスタの部隊長である私が、この大事な一戦に際していつまでも寝ている訳にはいかないんだからっ!

「ちょっと、セナ。まだ目が覚めたばかりなんだから……」

「そうだよ。無理は駄目だよ!」

 マリアちゃんとアメルが心配そうに声を上げるが、私はむうっと唇を引き結んでふるふると首を振った。

 多くの騎士さまや兵士のみんなが今も戦っている。ならば、せめて私も現場に行かなくては……!

 アメルとマリアちゃんは、困った様に顔を見合わせた。

「わかった。サリアに話してくる」

 不意にフェルトくんが腕組みを解くと、天幕の扉に向かって歩き出した。

「ちょっと、フェルト!」

 アメルが抗議の声を上げるが、フェルトくんはひらひらと手を振るだけだった。

 むっ、フェルトくんが何だか私に優しい。

 でも、お礼は後だ。

「マリアちゃん! 支度手伝って!」

 私はあちこちギチギチと痛む身体に顔をしかめながら、何とか身を起こした。

「……もう。言い出したらきかないんだから」

 マリアちゃんが諦めた様にため息を吐いて、私の身支度の準備を始めてくれた。

 アメルがアーフィリルの相手をしてくれている間に、私はいつもの騎士服に着替える。タイツを履いて短いヒラヒラスカートに足を通す。季節も随分寒くなって来たので、もちろんコートも羽織った。

 マリアちゃんが備え付けの鏡台の前で髪も結ってくれた。しかし、白いままの私の髪に触れるマリアちゃんは、眉をひそめて少し辛そうな表情をしていた。

 私が休んでいた天幕は、サリアさん率いるアーフィリル隊以下500の部隊に護衛され、輜重部隊と共に戦域の後方に配置されていた。

 本陣に赴くと言う私に、やはりサリアさんも病み上がりだからと反対した。しかしそこは繰り返し繰り返し粘り強く説得して、何とか認めてもらう事が出来た。

 サリアさんもアーフィリル隊の女性騎士のみんなも、何だか駄々をこねる小さな子供を相手にする様な態度になっていたのが少し気になるけれど……。

 体調的にまだ1人で騎乗出来ない私は、アメルの馬の後ろに乗せてもらって移動する事にした。

 本当はフェルトくんに乗せてもらおうと思ったけれど、これはアメルとマリアちゃんに凄い勢いで反対されてしまったのだ。

 護衛に就く事になった50騎ほどを引き連れ、顔馴染みのアーフィリル隊のみんなやフェルトくん、マリアちゃんに囲まれた私は、ノルトハーフェン解放戦を指揮する本陣へと向かう事になった。

 私は馬上で横座りになり、アメルの腰に捕まる。私とアメルの間には、アーフィリルがちょこんと座っていた。

 空は鈍く銀色に光る雲に覆われていた。海はまだ見えなかったけれど、潮の匂いを含んだ冷たい風が前方から吹き寄せてくる。

 昔何かの本で読んだ、大陸西北部独特の空模様だ。

 私の目の前には、じっと見つめているとどこか物悲しくなってしまう様な光景が広がっていた。

 整備された街道を踏み締める馬蹄の音と騎士たちの鎧の音が、そんな風景の中に響き渡っていた。

 微かに焦げ臭い戦場の空気が、ふわりと漂って来る。

 馬が歩く振動が体を揺らす。その度に私は、少し顔をしかめる。私がぎゅっと力を込めて掴まる度に、アメルが変な声を上げていた。

 耳を澄ませば、どこからか遠雷の様な重苦しい音が聞こえてくる。

 私はきゅっと眉をひそめた。

 砲撃の音だ。

 きっと今も、 激しい戦いが繰り広げられているに違いない。

 ノルトハーフェンへ続く街道は、なだらかな坂になって小高い丘へと向かっていた。

 ノルトハーフェンは、今までのカルザの街の様に城塞都市ではない。壁や剣ではなく、お金と商業と様々な利権で自由と独立を守って来た都市国家なのだ。

 商船護衛の為に強力な海軍力を有しており、良質な港には各国の海軍が駐留していたが、陸上の兵力は傭兵による自警団程度しか保持していなかったらしい。

 それでもどこの国にも属さず、1都市としてサン・ラブール条約同盟に参加していた特異な国だ。

 サン・ラブール条約同盟国の西部最大の港町として、かなりのお金持ちの国でもあったみたいだ。

 今私たちが進んでいる街道も、幅が広く、綺麗に石畳が施され、水捌け対策や道案内用の看板も充実していた。

 凄いなと思う。

 これならばきっと、沢山の荷馬車が素早く安心して移動出来るだろう。

 私たちの部隊は、早足にその街道を進んで行く。

 やがて丘の先に、沢山の陣幕とサン・ラブール条約同盟の旗、エーレスタやウェリスタの軍旗がひるがえる陣地が見えて来た。

 ウェリスタ・エーレスタ連合軍の本陣だ。

 私たちは警備の騎士さまたちに敬礼しながら陣内に入ると、そこで馬を降りた。

 陣の中は、慌ただしく将兵の皆さんが行き来していた。しかし、混乱したり切羽詰まっている様な様子はなかった。取りあえずは一安心といったところだろうか。

 直ぐに小さい私を知っている顔なじみの騎士さんたちが、挨拶に来てくれる。

 私はまだ1人で立つのが辛かったけれど、アメルの手を借りて何とか姿勢を保ち、敬礼を返した。

 みんなと一緒に本陣内を進む。アメルはおんぶすると言ってくれたけど、流石にそれは恥ずかしいので遠慮する事にした。

 指揮官が子供みたいにおんぶされていては、戦闘中の将兵のみなさんに示しが付かないというものだ。

「大丈夫、セナ。無理しないでね」

「だから、私がだっこしてあげるから!」

「……だいじょぶ、うっ」

 アメルやマリアちゃんに手を借りて、私は陣地の奥へと進む。

 私に負担をかけまいとしてくれているのか、珍しくアーフィリルは頭に乗らず、私の足元をちょこちょこと歩いていた。

 短い距離をたっぷりと時間を掛けて移動し、私はやっと卓上に広げられた地図を中心に幹部のみなさんが集まっている陣の中心部に辿り着いた。

 そこには、オレットさんにグレイさん、それにウェリスタ側のお爺さん将軍や幹部のみなさん、それにレイランドさんたち後方部隊の指揮官も集まっていた。

 レティシアさんの姿がないのは、前線に出ているからだろうか。

 その場のみんなが、突然現れた私に驚いた様な顔を向ける。小さな私の姿を良く知らないウェリスタの方々の中には、怪訝な表情を浮かべている人もいた。

「オレットさん! グレイさん! 戦況は、部隊は、敵はどうなってますか?」

 私は手を貸してくれるアメルを引きずる様にオレットさんたちに駆け寄った。

 うぐ。

 足が痛い……。

 マリアちゃんにポニーテールに結ってもらった白いままの髪が、背中でパタパタと跳ねる。

「セナ! 大丈夫なのか?」

「目が覚められましたか。これは良かった」

 オレットさんが声を上げ、グレイさんが深く頷く。

 私は卓上の地図に目をやってから、再びむむむんっとオレットさんに詰め寄った。

「いや、作戦は順調だから少し落ち着け」

 困った様に私を見てから、フェルトくんを見るオレットさん。

 フェルトくんたちが私が目覚めてからの経緯を説明してくれるが、やっぱり我儘を言う小さな子供みたいな私の扱いに、少し引っかかるものを感じる。

 うむむ……。

「話はわかったが、まだ寝てないとダメだろう、セナ」

 オレットさんが大袈裟に溜め息を吐いて見せる。

 私はうぐっと顎を引いて唇を尖らせると、上目遣いにオレットさんを睨み上げた。

 ……でも、やっぱり寝ている訳にはいかないと思うのだ。

 そんな私の様子を見てもう一度は溜め息を吐いたオレットさんが、おもむろに陣幕の方へと歩き出した。そして私に向かって手招きをした。

 オレットさんが陣幕の向こうに出る。私が入って来たのとは、反対の方向だった。

 私はその行動に僅かに眉をひそめるが、アメルに手伝ってもらって素直にその後に続いた。

 外へ出た瞬間。

 濃い潮の香をはらんだ強い風が、ぶわっと吹き付けて来る。

 私は思わず、ぎゅっと目を瞑ってしまった。

「これを見たら、安心して眠れるだろう」

 隣でオレットさんの声が響く。

 私はゆっくりと目を開く。

 そして、目を丸くして、はっと息を呑んだ。

 本陣のこちら側は、ノルトハーフェンの街に向かって開けていた。

 小高い丘の上に設置されたこの陣地からは、ノルトハーフェンの街を一望する事が出来た。

 周囲を私たちの陣地がある場所と同じような小高い丘に囲まれたノルトハーフェンの街は、前方の海に向かって広くなだらかに広がっていた。

 あまり背の高い建物は見えず、同じ色合いの赤屋根たちが広がっている。すり鉢状の地形の中心部には建物がぎっしりと密集して固まり、周囲の丘に近付く程ゆったりと、比較的大きなお屋敷が立ち並んでいた。

 そしてその街の先には、大きな倉庫や広い荷揚げ場が広がる立派な港が見て取れた。

 ノルトハーフェン港が接する海は、左右からせり出して来た陸地によって広い湾状になっていて、波も無く穏やかだった。

 普段なら、目の前に広がるそんな素敵な港町の風景に息を呑んだと思う。

 しかし今私が驚いたのは、そのノルトハーフェンの街を、無数の軍旗と数え切れない程の大軍勢が包囲していたからだ。

 ひるがえる軍旗は、サン・ラブール条約同盟国のもの。そして、その構成国の軍隊の旗だった。

 エーレスタやウェリスタだけではない。

 もっと沢山の国々が集まっている。

 そして、フォルクス攻めを遥かに超える規模の大兵力が集結していた。

「これは……」

 陸だけではない。

 湾内には、既に何隻ものオルギスラ帝国の旗を掲げた巨大軍船が擱座し、炎を上げていた。その周囲には帝国軍に比べれば遥かに小さいが、沢山の味方の船が集まっていた。

 どうやら強制接舷して移乗攻撃を行っているみたいだ。

 ノルトハーフェンが帝国軍に制圧された際、サン・ラブール側の海軍兵力は壊滅したと思っていたのに、まだこれほどの船が残っているなんて……。

 詳しい戦況はわからないけど、一見すると戦いの趨勢は既に決している様に見えた。

 もちろん、サン・ラブール条約同盟国側の勝利で。

「ノルトハーフェンに集まった兵力は、10万近くになる」

 私は、隣に立つオレットさんを見上げた。

「セナの強さが、この状況を切り開いたんだ」

 ニヤリと笑いながら、オレットさんが横目で私を見た。

 私は目を丸くしてオレットさんを見つめる。

「私……?」

 小さくポツリと呟いた私の言葉に、オレットさんが頷いた。

「セナが帝国軍の切り札だったんだろうあの鎧を打ち破ってくれたお陰で、大陸西部の帝国の攻勢が止まった。それに加えてエーレスタの竜騎士がカルザを解放したという情報が広まると、この西部地域で帝国の侵攻を受けていた各国が、一気に反撃に出たんだ」

 オレットさんがふんっと笑った。

「それで一気に戦線を押し上げて、このノルトハーフェンでその各勢力が合流したって訳だ」

 オレットさんは笑いながら、すっと目を細めた。

「間も無く大陸西部のオルギスラ帝国軍は駆逐されるだろう。よくやったよ、セナは。この勝利は、お前の行動が、お前が勝ち取った勝利だ」

 オレットさんはそう言うと、白いままの私の頭にわしっと手を置いた。

 オレットさんがぽんぽんする度に体を揺すられながらも、私は目の前に広がるノルトハーフェンの景色に目を戻した。

 微かに胸が震えていた。

 オレットさんはああ言ったけど、この状況を勝ち得たのは私の力だけではないと思う。一緒に戦ったみんなが力を合わせたからこその戦果なのだ。

 でも今はその事を指摘するよりも、私は胸の中で芽生えた不思議な感覚を捕まえておくのに精一杯だった。

 ……なんだろう。

 どこかで聞いた言葉が、胸の中にことりと収まる様な感覚……。

 ただ強くなるのではない。

 時代を切り開き、世の中を変えられる様な強さが欲しい。

 そう言っていた誰かが求めていた強さとは、多分今のこの状況を生み出した様な力の事ではないのだろうか。

 私だけではない。

 みんなが力を合わせる事によって生み出される大きな力。

 それが強大な敵を倒し、何かを変えていく強さになる。

 ……きっとそうだ。

 ただ自分が強くなる事を目指すのではなく、私たちが求めるべき力とは、こういうものなのではないのだろうか。

 ……うん!

「わかっただろう。さぁ、セナは安心して寝て……」

 私は、ぐいっとオレットさんを見上げた。

「みんなが頑張っているなら、私も何かしないと! オレットさん、私に出来る事ないですか!」

 私の言葉に、オレットさんは大きく溜め息を吐いた。そして、少し困った様にがしがしと頭を掻くだけだった。



 イリアス帝歴392年。紅水の月23日。

 2日という短期間の戦闘により、ウェリスタ・エーレスタ連合軍を中心としたサン・ラブール条約同盟国軍は、ノルトハーフェンのオルギスラ帝国軍を撃破する事に成功する。

 これにより、大陸西部に侵攻していた帝国軍勢力はほぼ一掃される事となった。


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