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第30幕

 肌を刺す様な冷たい風を切り裂いて、私はフォルクスの街に向かって飛ぶ。

 頭上には、今にも雨が落ちて来そうな黒く低い雲が広がる空。地上には、無残にも砲撃に削られ荒れ地と化した大地が広がっている。

 見下ろすその大地には、無造作に転がっている幾人もの騎士たちの亡骸が見て取れた。

 激しい戦闘の跡は、フォルクスの街に近づくほど密度を増していく。

 私はその光景から目を背けない様にじっと大地を睨み付けながら、体の中と周囲に流れる魔素を制御して加速を続けていた。

 白の光の翼を制御して飛翔する事にも、随分慣れたと思う。

 これならば、飛びながらアンリエッタと空中で戦う事も可能だろう。

 私は前方に広がるフォルクスの街と、その中へ吸い込まれる様にして飛ぶ、黒い翼を広げた竜の鎧を見据えた。

 地上で激戦を繰り広げている味方部隊には、手を出させない。

 アンリエッタが配下の黒鎧たちを置き去りにし、私に背を向けてまでフォルクスに向かったのは、あの発光信号を受けての事だ。

 恐らくあれは、フォルクスを占領している帝国軍からの救援依頼か任務遂行の催促だったのだろう。

 アンリエッタは、自分の任務をフォルクスを攻める私たちの隊の殱滅だと言っていた。私が追いつかなければ、騎士を殺すとも。

 あの光がいずれの意味合いであったとしても、アンリエッタの優先目標が、私からフォルクス攻略中の味方部隊に変わってしまったのかもしれない。

 そうはさせるものか。

 ローデント大公の時の様にはさせない。

 今度こそ、私が守ってみせるのだ!

 私は両手の白の刃の長剣を握り締めながら、自分の周囲に純粋な魔素を凝縮させた光球を生み出した。

 意識を集中させて、飛行制御と攻撃準備を同時に行う。

 前方には、今この時も激しい戦いをが行われているフォルクスの街並みが迫っていた。

 カルザ王国王都フォルクスは、ラーナブルクより遥かに規模の大きな街ではあるけれど、上空から見下ろすその雰囲気には似通ったものがあった。

 坂がちな街並みに、モノトーンの古いレンガ作りの建物がびっしりと立ち並んでいる。ラーナブルクよりも人口が多いせいか、背の高い集合住宅が目に付いた。

 その建物の間を走る通りも、エーレスタに比べれば遥かに狭い。どこが目抜き通りなのかどこが裏路地なのか、上空からでは判別するのが難しかった。

 エーレスタ・ウェリスタ連合軍は、その狭い路地を利用してフォルクスの街の奥へ奥へと浸透していた。

 私やレティシアの援護攻撃で最外縁の城壁は打ち破る事が出来た筈だが、連合騎士団はさらに内門をも既に突破し、王城へ迫る勢いを見せていた。

 狭い路地と迷路の様な街並みが、こちら側に有利に働いている様だ。

 オルギスラ帝国軍は、自慢の銃や大砲の長射程を生かせない。逆に突然の遭遇戦では、近接戦闘を得意とするサン・ラブールの騎士たちに分がある。

 フォルクスの街のあちこちからは、黒い煙が幾筋も天へと立ち上っていた。

 このままいけば、フォルクスの陥落も時間の問題に思える。

 このまま順調にいけば、だが。

 私が追跡するアンリエッタが、直線飛行から突如急上昇を仕掛けた。

 ぐんぐん上昇して行く黒い竜の鎧。

 その真下には、フォルクスの街の東門広場が広がっていた。

 入り組んだフォルクスの中でも比較的開けた場所であるその広場には、街の奥へと侵攻するエーレスタ騎士団の橋頭堡として、簡易の物資集積所が築かれていた。

 もちろんそこには、沢山の騎士たちが集まっている。さらには、捕虜となった帝国兵たちも。

 アンリエッタに気付いた簡易駐屯地の騎士たちが、にわかに騒がしくなる。

 その遥か上方の空中で静止したアンリエッタは、大きく槍を構えた。

 黒い槍に魔素が集まる。

 禍々しい力の波動が、私にもビリビリと伝わって来た。

 これはっ。

 いけないっ!

「アンリエッタっ!」

 私は叫びながら、背後の光の翼に力を込める。

 加速する。

 しかしすぐには、アンリエッタに届かない。

 間に合わないか。

 私は、あらかじめ周囲に展開させていた白の光球を放つ。

 文字通り光の矢と化した光球が、アンリエッタへと殺到する。

 その数は4発。

 それに対して私は、逆に一気に高度を下げた。

 半壊した城壁を飛び越え、私はこちらを見上げて叫ぶ騎士たちの頭上に滑り込んだ。

「竜騎士アーフィリル!」

「これは何事ですか?」

 騎士たちの叫び声が聞こえた瞬間。

 上空で爆発が広がる。

 爆光は4つ。

 連続して白の閃光が広がる。

 轟音と共に眩い光が、灰色の街を照らし出した。

 しかし、手応えがない。

 アンリエッタの魔素は消えていない。

 徐々に薄らいでいく爆光の向こうを、私がキッと睨み付けたその瞬間。

 黒の光が煌めく。

 禍々しい魔素が溢れる。

 高度を上げて私の光球を回避したのだろうアンリエッタが、私たちの直上で黒の槍を振り被った。

 距離が空いていても、その赤い目が一層強く輝くのが見えた。

 その刹那。

 アンリエッタが、黒の槍を投擲する。

 黒の稲妻が走る。

 周囲の大気に余剰魔素を撒き散らしながら、強大な破壊力を秘めた黒槍が降り注ぐ。

 一直線に、簡易陣地のエーレスタ騎士団に向かって。

 皆が呆然とそれを見上げる中、咄嗟に加速した私はその落着地点に滑り込んだ。

 騎士たちの頭上で私は片手の剣を消し、一振りになった白の長剣を構える。

 白の刃へと魔素を送り込む。

 迫り来る黒槍を見据え、私はすっと息を吸い込んだ。

「はあああああっ!」

 刃を振るう。

 一閃。

 飛来する黒の槍を、私の剣が迎撃する。

 剣を握る手に衝撃が走る。

 周囲の全てを塗り潰す様に、眩い光が広がった。

「ぐ、うううう!」

 私の長剣は、的確にアンリエッタの槍を捉えた筈だった。

 しかし、黒の槍は投擲された勢いを失わない。それどころか、こちらの剣を押し返す様な勢いを保ったままだった。

 激突する魔素の余波が、周囲の建物にも降り注ぐ。

 直下の部隊を直撃する。

 吹き出す光のなぞった場所が炎を吹き上げ、騎士たちを吹き飛ばした。

 くっ。

 溢れる光の中で、私は歯を食いしばる。

 しかしこの一撃が直撃すれば、被害はこの程度では済まない。

 この場の部隊が壊滅、いや、フォルクスの街の広範囲が吹き飛んでしまうかもしれない。

 そんな事!

 そんな事、させるものかっ!

「うう、あああああっ!」

 私はさらなる魔素を刃へ注ぎ込むのと同時に、飛行制御に回している魔素を全力推進へと切り替えた。

 背や腰から吹き出す白の光の翼が、徐々に大きくなっていくのがわかる。

『魔素の受容効率が上昇している。セナ、これは……、いや、初期接続でここまで出来るのか』

 アーフィリルが胸の中で何かを呟いている。

 その低い声は、最初はただ驚いている様だったけど、徐々に何かを確信した様な響きに変わっていた。

「行けえっぇぇっ!」

 私はしかし、そんなアーフィリルの様子を気に掛けている余裕はなかった。

 暴れ回る光の中で、白の剣に全力を込める。

 そして。

 私の白の長剣が、アンリエッタの黒の槍を打ち砕く。

 槍が砕けた瞬間、周囲の建物の上層部を巻き込んで、私の周囲で大爆発が巻き起こった。

 爆光に視界が埋め尽くされる直前、驚愕に顔を歪める騎士たちの姿が見えた。

 皆には、この爆発は直撃していない筈だ。

 私の身は、アーフィリルの自動障壁が守ってくれる。

 白の長剣を両手で握り締め、私は黒の槍の爆発の中を急上昇した。

 爆炎を突破すると、目の前に灰色の空が開ける。

 そして、こちらを見下ろすアンリエッタの姿を捉える。

 加速する。

 アンリエッタの鎧が、急速に近付く。

 私の姿を捉えたアンリエッタは一瞬身構えて固まった様だったが、すぐにその手の中に新たな黒の槍を生み出した。

『あはははっ、いいよ、竜騎士さま!』

 こちらへ向かって急降下しながら、アンリエッタが槍を繰り出した。

「アンリエッタ・クローチェ!」

 上昇の勢いを乗せて、私は剣を振り上げる。

 白刃と黒の矛先が激突する。

 魔素と魔素がぶつかる閃光が、フォルクスの街の空に煌めいた。

 私とアンリエッタは、白と黒の刃を合わせながら空中でぐるぐると回転した。

 至近距離で睨み合う。

 竜を模した兜の赤い双眸が、ギラリと輝いた。

「フォルクス陥落は時間の問題だ。抵抗は無意味だ」

『あらあら、随分と出力が上がっているじゃない! 嬉しい! まだ楽しめそうねっ!』

 私の言葉は無視して、アンリエッタが嗤った。

 そして私たちは、同時にばっと身を引いた。

 一瞬空中で静止し、睨み合う私とアンリエッタだったが、すぐにアンリエッタの方から再突撃を仕掛けて来る。

 金属の翼を広げ、背中から光を吹き出しなが突進して来る黒の竜の鎧。

 私は空中で足を開き、白の剣を腰だめに構えてそれを迎え撃とうと待ち受ける。

 飛行制御は問題ない。

 このまま行ける。

 アンリエッタが迫る。

 槍が繰り出される、そう思った瞬間。

 不意にアンリエッタの姿が消える。

 鎧に包まれた重そうな体をひらりとひるがえし、私の上へと回り込んだのだ。

 頭上から黒槍が襲い来る。

 私はそれを背後に倒れ込む様にして回避すると、槍の矛先を弾き飛ばした。

 長い白の髪が、私の動きを追随してひらりと踊る。

 そのまま私の背後へ回り込むアンリエッタ。

 私も仰向けになる勢いを殺さずそのまま後ろを向くと、上下が反転したままアンリエッタ目掛けて斬り込んだ。

 私とアンリエッタは共に、頭を下にした不自然な形で数合打ち合う。

 場所を変え、素早く飛行しながら、私たちは何度も激突する。

 上も下もなくフォルクスの上空を飛び回っていると、どちらが空でどちらが大地かわからなくなってしまいそうだった。

 互いの武器を打ち合ったまま絡まり合う様に急速に高度を下げた私たちは、集合住宅の屋根に着地すると、互いに古い瓦を蹴り飛ばし、今度は低空で激突した。

 私が踏み切った屋根は、べこりと陥没してしまう。

 私はその家の持ち主に許せと心の中で謝りながら、目の前の竜鎧に高速の斬撃を叩き込む。

『くっ』

 たまらずアンリエッタが後退、下降する。

 そこは、馬車1台なやっと通れるかという狭い通りだった。

 その裏路地の様な場所には、先客がいた。

 雑多に散らばる木箱や鋼の大楯を押し立てるエーレスタの騎士隊と、短い横隊を組み銃を構えるオルギスラ帝国軍の銃歩兵部隊だ。

 私とアンリエッタは、狭い路地で交戦する両軍の丁度真ん中に降り立てしまったのだ。

 帝国の銃歩兵が、唖然とした顔をして中途半端に銃を構えていた。

 エーレスタ側も似た様な状況だった。皆攻撃や防御の手を止め、目を丸くして呆然としている。

『あはっ』

 アンリエッタが嗤った。

 それだけで、奴が何を狙っているのかわかった。

 私に向かって槍を構えながら、アンリエッタは自身の周囲に黒の光球を生み出す。

 アンリエッタが、ぶんっと槍を振るった。

 こちらに向かって放つと見せかけたその光球を、エーレスタの部隊の方に向かって打ち出したのだ。

 しかし黒の光球が生み出された瞬間、私も踏み込んでいた。

 アンリエッタの方ではなく、味方部隊の前へと。

 白のドレスの裾が、ふわりとひるがえる。

 飛来する黒の光球を一刀で斬り伏せる。

 さらに返す刃で、もう1発の光球を斬り裂く。

 次の瞬間。

 形を失った光球が、大爆発を起こした。

 私は咄嗟に手をかざして障壁を展開する。

 背後の味方を、やらせる訳にはいかない!

 しかしあまりにも至近距離過ぎたためと背後の味方の防御を優先したため、私が展開した障壁もアーフィリルの自動障壁も、完全にその爆発の威力を殺す事が出来なかった。

 強烈な衝撃に、私は吹き飛ばされる。

 足を開いて手を着き、何とか態勢を維持するが、全身を殴打された様な鈍い痛みが体中を駆け巡っていた。

 くっ。

「ア、アーフィリルさま!」

「大丈夫ですか!」

「前進! 防御態勢を……!」

 騎士たちが我に返ったかのように私に駆け寄って来る。

 私はふっと息を吐き体を起こしながら、アンリエッタを睨みつける。そして騎士たちの前に、さっと手をかざした。

「建物が倒壊する。部隊は後退して別ルートを進め。伝令を出して、各隊に頭上を警戒しておく様に伝えて欲しい」

 低い私の声に、背後の騎士たちがざっと姿勢を正すのがわかった。

「りょ、了解です!」

「後退だ、下がれ!」

「1ブロック下がる! 後方警戒!」

 騎士たちは私の命令通り、素直に退いてくれる。

 それと同時に、先ほどの爆発の直撃を受けた左右の建物が、通りに向かって倒壊し始めた。

 土煙を上げレンガ造りの建物が崩れ落ちるそのなかに向かって、私は剣を構えて突撃する。

 もうもうと巻き上がる土煙を突っ切り、瓦礫を踏み台にして剣を振り被る。

 濁った空気を、私の斬撃が斬り裂いた。

 土煙の中から姿を現したアンリエッタが、槍を振るって私の剣を弾いた

『雑魚を庇ってダメージを負うなんて、馬鹿よねっ、竜騎士さん!』

 剣戟の合間に、アンリエッタの甲高い笑い声が響き渡る。

 土煙が広がり視界が悪い中でも、アンリエッタは目は爛々と輝いて見えた。

「味方の為に戦うのが、馬鹿げた事であるものか」

 私は独り言をいう様にそう小さく呟くと、剣を構え直してアンリエッタを睨み付けた。

 私は、仲間の皆と共に戦っている。

 騎士団の皆が、命を懸けてフォルクス解放の為に戦っている。

 オレットやフェルトも、今も竜の鎧の足を止めるため懸命に戦っている筈だ。

 グレイやレティシアや他の皆も、カルザ王国を解放する為に力を尽くしている。

 エーレスタの騎士として、竜騎士と呼ばれる立場にあるものとして、私は彼らと共に全力をもって戦う。

 私は1人で戦っている訳ではない。

 だからこうして、アンリエッタとも戦える。

 その仲間の為に傷付くならば、それは誉の証に他ならない。

 それを蔑ろにする者に、私が負ける訳にはいかない。

 私は剣を両手に握りしめ、アンリエッタの正面に3連撃を叩き込む。続けて瓦礫を蹴ってその側面に回り込むと、先程の攻撃を超える最速の2連撃を放った。

 白の光を発する長い髪が、私の後を追って弧を描く。

 髪から放出される光の粒子が、キラリと輝く。

『ぐっ』

 アンリエッタが後退しながらふわりと飛び上がった。

 私を狙って振るわれた槍は、しかし黒の衝撃波となって瓦礫の山と化した建物を斬り裂いた。

 周囲の建物の倒壊が、さらに加速する。

「ぎゃ!」

「に、逃げろ!」

「後退、後退だっ!」

 アンリエッタの攻撃に、オルギスラ帝国の部隊が巻き添えになる。帝国部隊は、瞬く間に混乱に陥っていた。

 しかし友軍のそんな状態など御構い無しに、アンリエッタは空へと逃げる。

 私も光の翼を展開し、直様追撃へと移った。

 距離を取ったアンリエッタが再び黒の球を生み出し、自身の周囲に浮遊させた。

 灰色の空に浮かぶ黒鎧に向かって、私は真っ直ぐに、勢い良く駆け上がる。

『これで落ちろ、竜騎士!』

 叫ぶアンリエッタが、地上から迫る私に向けて黒の光球を放つ。

 4発の黒の光の塊が、それぞれ違う複雑な軌道を描いて私に殺到する。

 これを背後に逸らす訳にはいかない。

 私の背後の街には、敵や味方だけでなく、沢山の非戦闘員たちがいるのだから。

 私はすり抜け様に光球の1つを斬り捨てる。

 さらに白の光の翼を振って体を回転させると、背後に回り込んでいたもう1つの光球を両断した。

 その両者が爆発する前に急速上昇。

 左右から同時に突っ込んで来る片方を障壁で押し留め、もう片方を剣で突き刺す。そして素早く身を引くと、突き刺した光球の爆発で、もう一方を誘爆させた。

「はああああっ!」

 一瞬でアンリエッタの攻撃を処理した私は、翼と髪から余剰魔素の白の光を振りまきながら、全力でアンリエッタへと突撃する。

 槍を構えるアンリエッタが迫る。

「だが、遅い!」

 突進の勢いを乗せながら、私はひらりと槍をかわしてアンリエッタの懐へと飛び込んだ。

 体を捻りながらの一閃。

 私の刃が、防御の為に掲げられたアンリエッタの籠手と胸部装甲、そして兜の一部を斬り裂いた。

 浅いかっ!

 たがっ!

『ぐうっ! お前ぇぇぇっ!』

 アンリエッタが絶叫する。

 一度上空に通り過ぎた私は、反転して再び剣を構えた。

 そこへ、苦し紛れの槍が突き出される。

 私は一旦後退し、間合いを取った。

 槍を振り回すアンリエッタは、頭を両手で押さえて身をよじらせていた。

『やったな、やったなぁぁぁ、くそ、くそがあぁぁぁぁぁっ!』

 私の斬撃で傷付いたアンリエッタの赤い目が、兜を押さえる籠手の間からギロリとこちらを睨みつけていた。

『私の体を! この、死に損ないがぁ!』

 アンリエッタが、槍に魔素を込め、黒い炎を燃え上がらせた。

「誰がダメージを負ったって?」

 私も白の剣に力を込めてふっと笑った。そしてその剣の切っ先を、すっと黒の竜の鎧に向けた。

「ここで倒れるのはお前だ、アンリエッタ・クローチェ!」



 黒と白の光が激突する。

 空中で複雑な軌道を描きながら激突する私とアンリエッタは、何度も刃を交え、弾き弾かれながら交錯する。

 複雑な戦闘軌道を繰り返す内に、私は自在に空中を舞えるほどに飛行制御に慣れて来ていた。

 それだけではない。

 体が軽い。

 力が溢れる。

 アーフィリルの力を使いこなせている実感が、今の私にはあった。

 これならば、いける!

 そんな確信のおかげか、縦横無尽に斬撃を繰り出す私に対して、アンリエッタは徐々に防戦へと回る事が多くなっていた。

 私たちは縺れ合いながら、再び地上へ落ちる。

 エーレスタ・ウェリスタ連合軍とオルギスラ帝国軍が対峙するカルザ王城の前の通りに落着した私たちは、両軍の間で激しい戦闘を繰り広げた。

 黒の槍の突撃を弾く瞬間、こちらに向かって歓声を上げる味方の姿が視界に入る。その向こうでは、続々と集結する味方部隊が喊声を上げながらカルザ王城に向かって突撃しているのが見えた。

 僅かに飛び上がり、空中からアンリエッタを急襲する瞬間、指揮官の号令の下アンリエッタを援護しようと私に銃を向ける敵部隊が見えた。

 敵銃歩兵の射撃など、私には通じないが。

「アーフィリルさまを援護しろ!」

「全隊突撃! 左翼敵部隊を撃滅する!」

 味方の一団が敵部隊に向けて吶喊する。

 私とアンリエッタの周囲でも、敵味方が入り乱れた激しい戦闘が展開し始める。

「行くぞ、皆! 今こそ最後の攻勢だ! 一気に帝国軍を駆逐する! サン・ラブールの勇士たち、全軍、私に続けえっ!」

 私は声の限り叫ぶと、全力でアンリエッタの槍を押し返した。

「おおお!」

「突撃、突撃!」

「行けぇ!」

 私の叫びに呼応する様に、周囲の味方騎士や兵たちが雄叫びを上げる。それは一気に周囲に広まっていくと、まるでフォルクスの街そのものが揺れている様な巨大な叫びへと変わった。

『お、おのれっ!』

 アンリエッタが声を上げながら槍を振るうが、私はそれをかわし、さらにその黒の竜鎧の懐に飛び込んだ。

 白の残像を残した私の剣が、黒の槍を両断した。

 どちらも魔素で編まれた武器だ。

 しかし、私の引き出す魔素がアンリエッタのそれを上回ったのだ。

 流れる様に踏み込んでさらなる追撃を繰り出すが、しかしアンリエッタはそこで背後へ跳ぶと、背中から光を放って上空へ逃走を図った。

「逃がすか!」

 キッとアンリエッタを睨み上げた私は、光の翼を展開してさっと飛翔する。そして王城の上空へと逃げるアンリエッタの追撃に移った。

 全力で加速し、一気に間合いを詰める。

 両手に槍を生み出したアンリエッタが、武器を構えた。

 速さで翻弄しながら、私は次々と斬撃を叩き込む。

 左右を問わず、上下の別なく、白の残像を引く斬撃がアンリエッタを襲う。

『ば、馬鹿なっ!』

 アンリエッタが吐き棄てる様に叫んだ瞬間。

 私の斬撃は、再びアンリエッタの槍を破壊した。

 一瞬アンリエッタの動きが止まる。

 その刹那。

 私は円を描く様にアンリエッタの背後へと回り込んだ。

『ぐっ』

「はあああっ!」

 白の刃が、竜鎧の装甲を斬り裂く。

 甲高い衝撃音と共に、私の一撃がアンリエッタの金属の翼を斬り落とした。

『くっああああああ、おのれ、おのれぇぇぇぇっ!』

 アンリエッタが絶叫する。

 そしてそのまま、もんどりうちながら落下し始める。

 私は白の剣を振り被り、そのまま追撃に入る。

 ここで、仕留める!

 しかし。

 突撃しようとした私に向かって、身をよじってこちらを向いたアンリエッタが、残った槍を投擲した。

「うくっ」

 何とか体を捻る。

 黒い槍が、私の左肩を擦過する。

 鋭い痛みが肩に走った。

 飛行姿勢が乱れる。

 私は両足を開いて何とかバランスを保った。

 左肩を見ると、白のドレスに赤く血が滲んでいた。

 くっ。

 追撃のタイミングを逸し、落下するアンリエッタに目を向ける。

 アンリエッタはそのまま、カルザ王城に落下した。上層階のバルコニーからガラス窓を突き破り、城内に落ちた様だ。

 それを見送り、私はすっと目を細めた。

『傷は浅い。直ぐに治癒しよう』

 アーフィリルの声が胸に響いた。

「問題ない。このまま追撃する」

 私はふんっと息を吐いてそう答えると、ゆっくりと高度を落とした。

 アンリエッタ・クローチェ。

 やはり油断ならないなと思う。

 私はアンリエッタが墜落した部屋のバルコニーに降り立つと、グシャグシャに壊れたガラス戸を踏みしめ、室内を窺った。

 不意打ちに注意しながら、目だけでさっと周囲を確認する。

 そこは、豪華な内装が施された会議室の様な広い部屋だった。

 その部屋の中にあるものは、毛足の長い朱色の絨毯に、壁に掲げられた絵画やタペストリー、それに沢山並んだ立派な椅子など、どれも高級そうな品物ばかりだった。

 さすがは一国の首脳クラスが集まるのであろう王城の上層部といったところか。

 しかし今、本来ならばこの部屋の中央に鎮座していたのであろう巨大な円卓は、真っ二つに折れてしまっていた。

 その机の上に激突したのであろうアンリエッタは、周囲の机の残骸を踏みしめながらゆっくりと身を起こそうとしていた。

 その室内には、私とアンリエッタ以外にも数名の人間がいた。

 いずれも飾緒や勲章の付いた派手な軍装の者たちばかりだった。

 その軍服や鎧には、もちろん見覚えがある。

 オルギスラ帝国軍だ。

 ここに集まっているのは、どうやらその高級将校たちの様だった。

 この場所から推測するに、カルザ王国に居座る帝国軍の司令部要員、最高幹部といったところだろうか。

「まったく、やっと救援に来たかと思ったら、これはどうなっているのだ!」

 その中の1人が怒鳴り声を上げた。

 私にではなく、こちらに背を向けてゆらりと立ち上がったアンリエッタに対して。

「親衛隊の機竜士! さっさと我らに脱出を援護するのだ」

「もうサン・ラブールの騎士どもが、そこまで迫っているのだぞ!」

 口々に叫ぶオルギスラ帝国の指揮官たち。

 アンリエッタを呼び寄せたのは、そういう訳か。

 敵軍の事でありながら、私は目を細めてふんっと息を吐いた。

 一般兵がまだ戦っているのに、上層部が逃げる算段とは。

 私はカツリと白のブーツの踵を鳴らして、改めて部屋の中へと足を踏み入れた。

 そこでやっと帝国軍の指揮官たちは、私の事に気が付いた様だ。

 私を認識した途端その顔が、みるみる内に青ざめていく。

「白い女……まさか!」

「エ、エーレスタの竜騎士かっ!」

「白花の竜騎士……!」

 こちらを見て悲鳴を上げる帝国軍の高級将校たち。その中には、ダッと扉に向かって駈け出す臆病者までいた。

「ま、またかっ! な、何で俺ばっかりこいつに遭遇するんだ!」

 その逃げ出した者たちの先頭を行くのが、口髭をピンっと伸ばしたひょろりとした男だった。

 ふむ。

 どこかで会った事などあっただろうか。

『……負ける訳ない。負ける訳がないんだ。私は強い。強くなったんだから。誰かに負ける私なんて、私じゃない。私は、負けちゃいけない……』

 そんな帝国指揮官たちをよそに、ぶつぶつと呟く低い声が響いた。

 アンリエッタだ。

 落下の衝撃と私との戦闘で汚れ、傷付いた竜の鎧が、どこかぎこちない動きで私の方を向く。

 私は僅かに目を細めた。

 その竜を模した頭部に輝いていた赤の目は、隻眼になっていた。

 墜落の衝撃の為か、私の剣が傷付けた兜の左目の辺りが、大きく割れていた。そしてその黒い装甲の下から、アンリエッタの本来の目が露わになっていた。

 燃え上がる様な赤い瞳が、私を睨み付けている。

 竜の兜から、艶やかな黒髪が零れ落ちていた。

 やはり鎧の中身は、女の様だ。

『負ける訳にはいかない。負けちゃダメなんだ。この私が負ける訳ないんだ。私は強いんだから。強い、私は強いから! 私は、強い、強い、強い!』

 徐々に声を荒げて叫ぶアンリエッタ。狂気を含んだ甲高い声が、室内に響き渡った。

 私は眉をひそめ、剣を構えて警戒する。

 アンリエッタがどう動くのか、読めなかった。

「機竜士! さっさと我らの退路を……」

『うるさい、ゴミがぁぁ! 師団長の命も果たせぬ豚どもがぁっ!』

 アンリエッタが声を荒げて頭を振った。

 艶やかな黒髪が、ひらひらと舞う。

『あああっ、お前のせいだっ! これはお前がさっさと死なないのが悪いんだからっ!』

 アンリエッタは、ギロリと私を睨んだ。

 その黒鎧の全身から、殺気と同時に魔素が溢れ出すのがわかった。

 狂気彩られていたアンリエッタの雰囲気が変わる。同時にこの部屋の中の空気も、何かが変わった様な気がした。

『セナ、警戒せよ! この人竜兵装は……!』

 アーフィリルが鋭い声を上げる。

 私の背筋を、ぞくりと冷たいものが走った。

 大きく息を吸い込み、私はぐっと力を込めて白の剣を構えた。

『行くぞ、竜騎士! セーフティリミッター、解除ッ!』

 アンリエッタが絶叫を上げる。

 その瞬間。

 目の前の黒い竜の鎧から、赤く血の色をした魔素が溢れ出した。

 逆に足元の、周囲の空気中の魔素が、全てアンリエッタに吸い取られていく。そして私の目の前で、禍々しい力へと塗り替えられて行く。

 アンリエッタから溢れる力の奔流は、物理的な圧力を伴っているかの様に私にも押し寄せて来た。

『ガガアアアアアッ!』

 顔をしかめてその力の流れに対抗する私の眼前で、アンリエッタの黒い鎧に毒々しい赤い光が走った。

 それはまるで、鎧の表面に血管が浮き出ているかの様な光景だった。

 赤の光が、脈打つ様に明滅し始める。

 思わず私は、一歩後退ってしまった。

『殺ス、私ヲ傷付ケル奴ハ、ミ、ミ、ミンナ殺ス! ワ、ワ、私ガ1番、強インダカラッ!』

 獣の様な唸り声を上げ前傾姿勢を取ったアンリエッタは、剥き出しになった方の目もギラリと赤く輝かせて私を睨み付けた。

 ダラリと手を揺らしながら赤い瞳を爛々と輝かせてこちらを睨むその姿は、もはや竜などではない。

 禍々しい何か。

 少なくとも、人ではなく敵には違いない何かだった。

 来る!

 そう思った刹那。

 アンリエッタの鎧から濃密な魔素が赤い炎の様な光として噴き出すと、その得体のしれない物へと変わった全身を包み込む。

 そして次の瞬間、その異様な姿が私の眼前にあった。

 なっ!

 脈打つ赤い光を宿したその手が、白の剣を握る私の腕を押さえつける。そして反対の腕が、私の顔面を掴んだ。

 ギリッと締め付けられる頭と腕。

 激痛が走る。

「ぐっ!」

 何とかその手を振り払おうとするが、アンリエッタの力は先程までとは比にならない程強大だった。

 強い!

 アーフィリルの力を借りる私ですら、まったく太刀打ち出来ない。

『アハハハハハッ、死ネ死ネ死ネ、ミンナ死ンデヨッ!」

 絶叫しながらアンリエッタは、大きく振りかぶると私を外へ向かって投げ飛ばした。

 ぐうっ!

 強烈な加速度が私を襲う。

 残ったガラス戸を突き破り、私は王城の外へと吹き飛ばされる。

 顔をしかめてそれに耐える。

 灰色の空とフォルクスの街が、ぐるぐると入れ替わり視界に入っては消える。

 素早く白の光の翼を展開して放り出された勢い殺そうと試みるが、私が何とか体勢を整えた時には、既に王城からかなり飛ばされてしまっていた。

「はぁ、はぁ、はぁ……」

 息を整えながら、私は何とか白の剣を構える。

 その私の眼前に、炎の様な魔素を全身にまとったアンリエッタが悠然と浮かび上がって来た。

 グルルと唸るアンリエッタは、その部下の剣や斧の鎧たちと同じ様に完全に獣の様に成り果ててしまっている様だ。

 抜き身の刃の様に、猛烈な殺気だけが私に向かって押し寄せてくる。

『魔素の受容量を上げた代わりに、完全に力に呑まれたか』

 アーフィリルが呟く。

 私は白の剣を構え、攻撃を仕掛けるタイミングを窺う。

『セナ。ああなっては手がつけられない。あれは、当初の感情に従って行動するだけの文字通り機械人形だ。純粋に魔素を破壊の力に転換する、な。神になり損ねた哀れな傀儡。しかし今のセナでは……』

「私が引く訳にはいかない。皆が戦っているんだ。私は、私の戦いから逃げる訳にはいかない!」

 私はアンリエッタを睨みつけたまま、アーフィリルの言葉を遮ってそう叫んでいた。

 例え相手がどんなに強大であったとしても。

 仲間や守るべき人たちがいる限り、私は退けない。

『……ふっ。そうだったな。セナはそうであった』

 アーフィリルが私の胸の中でふっと笑った。それは、困っている様にも楽しんでいる様にも取れる笑いだった。

『諦めずに進めば、道は開けるやも知れん。我の力を使いこなし、ここまで戦って来たセナならば、あるいはな。その為に、我も力を尽くそう』

 アンリエッタの言葉に、私はこくりと頷いた。

 そうだ。

 アーフィリルと融合する様になって忘れがちだったが、強敵に対して決して諦めずに突っ込んで行く事こそ私の戦い方なのだ。

 アーフィリルと初めて出会ったあの山の中での事を思い出す。

 諦めない。

 諦めてはいけない!

「アーフィリル。付き合わせて悪いが、よろしく頼む!」

 私は小さな声でそう告げてから、剣を握る手にぎゅっと力を込めた。

「さぁ、行くぞ!」

 そして私は力を込めてそう叫ぶと、全力で眼前の黒鎧へ突撃した。



 赤く輝くアンリエッタの力は圧倒的だった。

 以前に増して速くなっている筈の私のスピードを軽く凌駕し、その圧倒的な膂力は私の斬撃を容易く弾いてしまう。

 魔素の炎をまとうその攻撃は、今のところ槍を生み出す訳でもなく徒手空拳で殴り掛かってくるだけだったけれど、数合激突しただけで既に私には、ダメージが蓄積してしまっていた。

 何とか直撃は避けている筈なのだけれど。

 アーフィリルの魔素で守られている筈の私の体が、痺れて動かない。

「はぁ、はぁ、はぁ」

 乱れた息を整えながら、私は悠然と浮かぶアンリエッタを睨み上げた。

 片翼を失っても、直接周囲の魔素に干渉して飛行しているのだ。

 アンリエッタの攻撃が私にダメージを与えているのは、先程私が魔素で編まれたアンリエッタの槍を叩き斬ったのと同じ仕組みだ。

 純粋に内包する魔素量が多いものが勝っているのだ。

 どうする。

 どう打ち込む。

 そうすれば、あの赤黒い獣を倒せる?

 私は、必死に考える。

『ミンナ死ネバイインダ! 私タチヲ虐メル奴ラハ、ミンナ! アアハハハハハハハハハハッ!』

 狂った様なアンリエッタの哄笑とも絶叫ともつかない大声が、フォルクスの灰色の空に響き渡った。

 私は周囲に白の光球を生み出す。そして剣を弓へと変化させた。

 光球を同時に放つ。

 問答無用のその一撃は、全てアンリエッタに直撃したかの様に見えた。

 閃光と爆炎の中にアンリエッタの赤黒い凶相が消える。

 その隙に私は、最大限の力を込めて白の矢を生み出す。そしてそれを弓につがえ、ギリっと引き絞った。

 以前アンリエッタの鎧を撃ち抜いたこの弓撃ならば、あるいは!

 私は奥歯を噛み締め、キッと爆炎の中のアンリエッタを睨み付ける。

 直接姿は見えなくても、その濃密な気配はアンリエッタがそこにいる事を示していた。

 矢を放つ。

 ここだっ!

 大気を切り裂く白の矢は、白の光と化して爆炎を切り裂く。

 そして、その先にいるアンリエッタに直撃する。

 白の矢は、見事にアンリエッタの肩口に突き刺さった。

『グギギギッ、ゴガガガガガオオオオァァァァァッ!』

 アンリエッタが吠える。

 それは苦悶の声というより、純粋な怒りの雄たけびだった。

 いける。

 十分に魔素を攻撃へと転化出来れば、アンリエッタを倒す事が出来る!

 私は再び弓から白の剣に持ち替えると、その白の刃に魔素を込めた。

 そしてアンリエッタに向かって突撃する。

 しかし。

 それまで頭を抱えて苦しんでいたアンリエッタが、突然静かになった。

『ミンナ、死ネ。私ヲ虐メル世界ハ、ミンナ!』

 ポツリと呟いたアンリエッタの声が、やけに大きく響いた気がした。

 アンリエッタが、おもむろに大きく天に手を掲げた。

『来イ、バスターランチャーッ!』

 アンリエッタの絶叫が響き渡る。

 その次の瞬間。

 アンリエッタの手の上に、長大な砲身の大砲が現れた。

 突然、何もない場所から。

 あれも魔素で編んだものなのだろうか?

『空間転移か。物質の転換まで操れるのか。うむ……』

 アーフィリルが唸る。

 アンリエッタがその大砲を脇に抱える様にして構えると、砲口を突撃する私へと向けた。

 大砲に、アンリエッタの全身を覆っている赤い魔素が集まる。

 砲口に光が宿る。

 ああ。

 私は一瞬目を見張り、しかし直ぐにグッと唇を噛み締めた。

 私にはわかる。

 あの量の魔素を純粋な力として放てば、防ぐ手段はない。

 あれは竜の咆哮と同質の純粋な魔素エネルギーの放射。

 しかしその威力は段違いだ。

 あんな攻撃が可能なのか?

 しかし。

 もしあれが放たれれば、被害は計り知れない。

 ならば。

 撃たせる訳にはいかないっ!

 私は更に加速する。

『吹キ飛べ!』

 アンリエッタが砲口を掲げる。

 間一髪。

 私はその間合いの内側に踏み込んだ。

「うおおおっ!」

 白の剣を振るう。

 アンリエッタの大砲に向かって。

 刃が砲身に直撃する。

 しかし、甲高い音が響き渡るだけだった。

 砲身は切断出来ない。

 私が歯を食いしばって力を込めた瞬間。

 光が溢れた。

 アンリエッタが大砲を放った。

 猛烈なエネルギーが一挙に解き放たれる。

 轟音が響く。

 力の奔流が荒れ狂う。

 ぐっ!

 せめてフォルクスが街への直撃だけは避けるっ!

「あああああああっ!」

 私は砲身にぶつかる剣に、ぐっと力を込めた。

 アンリエッタの放った赤の光の束は、僅かに軌道を上げる。

 私を狙っていた光は、フォルクスの遙か彼方の原野に直撃すると大爆破を起こした。

 天高く爆炎が吹き上がる。

 それに倍する黒煙が、雲を突き破り遥か上空まで吹き上がった。

 しかしその光の砲撃は、直ぐには消滅しない。

 さらに大地の上を移動すると、そのことごとくを消滅させていく。

 暴れ回る光は、最後に遠方の山1つを吹き飛ばし、やっとそこで終息した。

 なんという事だ。

 その威力と被害を目の当たりにした私は、剣を握り締めたまま唖然として背後に広がる大参事に目を奪われていた。

 戦慄する。

 これが、人が起こせる所業なのだろうか。

 竜の力を借りている訳でもないただの人間が成せる事なのか。

『ガアッ!』

 至近距離で獣の咆哮が響く。

 光の砲撃に目を奪われていたその私の隙を突いて、アンリエッタが拳を振るった。

「くっ」

 私は咄嗟に剣を引き戻して防御するが、その上から叩きつけられた黒の拳は大きく私を吹き飛ばした。

「かはっ」

 衝撃で意識が飛びそうになる。

 全身に激痛が走り、息が出来なくなった。

 それでも私は歯を食いしばり、体勢を整える。錐もみ回転する体を、建物の屋上に激突する寸前に何とか立て直した。

 直片を目を瞑り顔をしかめながら、私はアンリエッタを睨み上げる。

「はぁ、はぁ、はぁ」

『大丈夫か、セナ』

 アーフィリルが心配そうに声を掛けてくれるが、私は小さく頷く事しか出来なかった。

 必死に息を整える。

 汗に濡れた白い髪が、はらりとこぼれた。

 一刻も早く、あの獣と化した黒鎧を止めなければならない。

 しかし、体が動かない。

 私はただ、荒い息を吐いて目の前の光景を睨みつける事しか出来なかった。

 脇に大砲を構えたアンリエッタは、私を睥睨したまま上昇を始める。

 何をするつもりなのか。

 私はぎゅっと剣の柄を握る手に力を込めた。

 追撃しようと試みるが、先程のダメージが残っているのか思う様に加速出来ない。

 ふらふらと飛ぶ私を尻目にぐんぐん上昇したアンリエッタは、灰色の空を背に天高く街を見下ろす位置で停止する。

 そしてその砲口を、真下に向けた。

 その狙いは、私に向けられたものではない。

 眼下に広がるフォルクスの街そのものを狙っているのだ。

 私は、ギリっと歯を噛み締める。

 くっ!

『アハハハハハハハッ! コンナ世界、死ンデシマエッ!』

 アンリエッタの絶叫が響き渡る。

 そして、その大砲に光が宿った。

 どうする。

 どうすればいい?

 私が回避する事は出来るだろう。

 しかしそれでは、下の街が壊滅する。

 先程の様に突撃して射線をずらしても、この角度では街への直撃は避けられない。

 私は空中で停止すると、ゆっくりと息を吐いた。

 そして、左右に大きく手を広げた。

 アンリエッタの砲口と正対する様に、仰向けになって空を仰ぐ。

 私は、大きく息を吸い込んで全力の障壁を展開した。

 これで防ぎきれるかはわからない。しかし何としても、街への、人々への直撃だけは避けなければならないのだ。

 魔素を振り絞り、障壁を展開していく。

「アーフィリル、力を貸して!」

 私は直上のアンリエッタを見上げながら、声を張り上げた。

 しかし。

 アーフィリルの反応がない。

 数瞬の間の後。

『セナ』

 アーフィリルが、厳かに私に問い掛けて来た。

『セナは、さらに我に踏み込む覚悟があるか?』

 私は障壁を展開しながら、眉をひそめてアーフィリルの言葉の意味を探った。アーフィリルの声には、この状況など全く意に介さない様な落ち着いた響きがあった。

「あのアンリエッタを止める事が出来るのか?」

 私は低い声で問い返す。

『うむ。魔素の転換効率を次段階まで引き上げれば、それも可能だろう。しかし、リスクもある。さらなる魔素の奔流に呑み込まれれば、セナはセナではなくなるだろう。まさに、あの人竜兵装の様に、な』

 さらなるアーフィリルとの一体化。

 しかしそれは、力に呑まれ、獣へと落ちる諸刃の刃。

 果たして私に、その力を制御する事など出来るのだろうか。

 しかし。

 フォルクスを、騎士団のみんなを守る手段がそれしかないというのであれば、何も迷う事なんてない。

 仲間たちすら守れなくて何が騎士か。

 罪もない人たちを守れなくして、何が竜騎士か。

 私は、立派な騎士さまになりたかったのだから。

 そこだけは、どんなに立場が変わろうともどんな事を経験をしようとも、変わらない私の根底にある想いなのだ。

 ならば、アーフィリル問いに対する答えなど、初めから決まっている。

「アーフィリル。お願い、力を貸して」

 私はもう一度、先程と同じセリフをゆっくりと噛み締める様に告げた。

 胸の中に宿る、白の竜に向けて。

『承知した』

 アーフィリルの低い声が響く。

『セナは魔素の扱いが上手い。我の力を予想以上に使いこなしている。ならばこそ、第2次接続も可能かと思い、提案したのだ。遠い昔の出会ったあの者と同様に、セナなら可能だと我は信じている』

 アーフィリルの声には、何かを思い出している様な響きがあった。

 そのアーフィリルと一体化している私にも、何か切ない様な懐かしい様な胸を締め付ける想いが溢れて来る。

 これは、記憶か。

 世界の?

 いや、アーフィリルの、か。

「セナっ!」

 アンリエッタから光が溢れる。

 その瞬間、私の名を呼ぶ声がした。

 ちらりとそちらに視線を送ると、城の中層辺りのバルコニーから、こちらに向かって叫ぶ騎士たちの姿が見えた。

 その先頭に立つのは、フェルトとオレットだ。

 2人ともかなりやられて満身創痍といった状態だった。フェルトは、オレットに肩を借りて立っている様な状態だ。

 しかしここまで来たという事は、あの竜の鎧たちを倒したという事だろう。

 私はふっと笑う。

 ならば私も、彼らに負けないよう戦わなければならない。

 私の胸から、白い光が溢れる。

 そして頭上からも、アンリエッタの砲撃の光が迫って来る。

 その魔素の奔流の中に、私の意識が沈んで行く。

『第2次接続を開始する』

 静かにアーフィリルの声が響いた。

 その瞬間。

 体中がカッと熱くなった。

 まるでアンリエッタの砲撃に呑み込まれてしまったかの様だ。

 しかしそれは、皮膚の表面を焼く熱ではない。

 私自身の内側から溢れてくる力の熱だ。

 体の隅々まで、白の魔素の力が流れ込む。

 それは私の中身をグチャグチャにかき混ぜて、違うものに置き換えていくのだ。

 頭の中に様々なものが流れ込んで来る。

 アンリエッタの砲撃で焼けただれた大地の痛み。倒れた騎士たちの悲しみ。窓の隙間からこの光景を見つめる人たちの恐怖。そしてオレットやフェルトやアメルにマリアたち、仲間たちの様々な思い。

 私を想ってくれているアーフィリルと、強烈な否定の意思を振り撒いているアンリエッタの意思。

 その全てと、私が繋がる。

 自分というものが、押し流されてしまいそうになる。

「私はっ!」

 負けない。

 負けるものかっ!

 歯を食いしばり、耐える。

 しかしその意志すら、真っ白な力に飲み込まれてしまう。

 守る。

 騎士として。

 その最初の想いだけが、白の水面に波紋を残す。

 白の光が、私の中に収束していく。

 私の体は、いつもの白のドレスに上から装着された全身鎧に包まれていた。一部が透き通った白く輝く魔素の甲冑だ。

 その鎧から、何枚もの巨大な光の翼が広がる。

 それは飛行制御時のそれよりも大きく、まるで白花の花弁の様に幾重にも折り重なりながら広がっていた。

 私の羽や髪から溢れた光が、周囲を広く照らし出す。

 白の翼の届く範囲そのものが、純白に輝いていた。

 私は僅かに目線を上げると、こちらに飛来するアンリエッタの砲撃の光に視線を向ける。

 無感動にその光見上げながら、私は右手に剣を生み出した。

 白い刃の剣を。

 そしてその切っ先を、迫る赤の光に向けた。

「収束」

 私がぽつりとそう呟くと、白の剣の切っ先に白い小さな光が宿った。

「照射」

 剣の先端から、収束熱線を放つ。

 アンリエッタの砲撃に比べればか細い私の白い光が、赤の砲撃と激突する。

 そして。

 白の光は、容易くその砲撃を突き破った。

 赤の砲撃を霧散、蒸発させながら突き進む白の閃光。

 それは一瞬にして、アンリエッタそのものを呑み込んだ。

『ギギギギ、ガアアアアアアアアアアアッ!』

 アンリエッタの絶叫が響き渡る。

 黒の竜の鎧を包み込んだ白の光は、そのまま重く雲が立ち込める空へと吸い込まれる。

 その次の瞬間。

 フォルクス上空の雲が、一気に消滅した。

 私を中心にさっと蒼天が広がる。

 眩い青が、一面に広がる。

 眩い秋の陽光が、柔らかに降り注いで来た。

 その穏やかな自然の光の中を、全身から煙を上げる黒の竜の鎧が落下して行く。

 それはまるで、空間にポツリと開いた穴の様だった。

 消さなければ。

 敵は。

 私たちの敵は。

 騎士として、私が皆を守らなければ。

 私は、落下していくアンリエッタに再び白の剣を向けた。

『セナ、ここまでだ。これ以上の力の行使は、やはり負担が大きい様だ』

 アーフィリルが声を上げる。

「セナ!」

「セナっ!」

「セナちゃん!」

「セナ……!」

 みんなが私を呼ぶ声がする。

 私が声のする方へとゆっくりと向きを変えると、王城のバルコニーから肩を組んだ騎士が2人、大きく手を振っているのが見えた。

 その他にも、建物の屋上やあちこちの広場、そして狭い通りのそこらかしこから、騎士たちをが私を振り仰いで声を上げ、手を振っている。剣を掲げている。

 私が良く見知っている顔も見える。

 なかま?

 みんな?

「アーフィリルさま!」

「竜騎士さま、万歳!」

「アーフィリルさまが敵を倒したぞ!」

「勝鬨を上げろ!」

「おおおおおおっ!」

 私の名を呼ぶその声が、大地を街を城を揺るがす歓声に変わっていく。

 私は白の翼を広げながら、頭上から降り注ぐ陽の光の中で、勝利と解放に震える街を見下ろす。

 終わったのか。

 勝てたのか。

 私は、守れたのだろうか。

『セナ。我は良いパートナーを得られて誇りに思う』

 アーフィリルが、少し安堵した様に笑った。

『良く頑張ったな』

 その言葉を聞いた瞬間。

 私は力を失って落下する。

 そこで私の意識は、ふつりと途絶えてしまった。

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